突如としてプロデューサーの脳内に存在しないはずの記憶が溢れ出したのは、事務所で担当アイドルである十王星南のスケジュールを組んでいた時だった。
走馬灯のように脳裏に浮かぶのは、見たこともない景色、知らない人々、強烈な衝動と感情の揺さぶり。
プロデューサーは半ば無意識にぽつりと呟く。
「これは……前世の記憶?」
馬鹿馬鹿しい推察だと我ながら思う。
だが、くだらない錯覚や幻覚、思い過ごしと一蹴するには、余りにも実感があり過ぎた。
朧げだった光景は瞬く間に鮮明になっていき、程なくして弾けるようにして途切れた時、プロデューサーはこれが前世の自分の記憶であることを確信した。
同時に今際の際に願った誓いも思い出した。
「そうだ。俺には……生まれ変わったら、また逢おうと約束した人がいた……!! ——あさり先生……!!」
かつてのプロデューサーには互いに愛し、けれど立場や身分の違いから決して結ばれることのなかった大切な人がいた。
根尾亜紗里——初星学園プロデューサー科の教師である彼女が、前世の恋人である根拠はない。
だが、プロデューサーの魂がそうだと叫んでいた。
あの時は叶わなかった願い。
けれど、何のしがらみもない今なら何の問題も——、
「……いや、まあ、今でも先生と生徒という壁はあるけど、それでもこの程度なら造作もない。そうとなれば——」
早速彼女に会いに行こうとして、はたと思い留まる。
あさり先生が前世の記憶を保有しているとは限らない。
そんな中でいきなり会って訊ねたとしても、彼女を困らせるだけだ。
それにこれから担当アイドルの星南との打ち合わせもあるわけで。
「むむ……」
結局、悩んだ末にまずは電話で確認を取ることにした。
ただ、何をきっかけに話題を切り出せばいいのか、それすら決められないまま電話をかけてしまう。
口の中が緊張で乾く中、スマホのコール音だけがプロデューサーの耳元で鳴る。
しかし、いくら待てど通話が繋がることはなく、遂には留守電に切り替わってしまったので、諦めてメッセージを飛ばすことにした。
「……流石にいきなり前世とか言っても普通に信じてもらえないよな。それとなく本題に持って行けそうな話題にしよう」
遠回しにはなるが、前世について訊けるような切り出しであさり先生にメッセージを送信する。
通話の着信音が鳴ったのは、そのすぐ後だ。
ただし、通話を寄越した相手はあさり先生ではなく学園長だった。
「……学園長? どうして俺に連絡を……? ——はい、学Pです」
「おお、プロデューサー! いきなり連絡してすまんな。唐突じゃが—— ”初星プロデューサー”として一つ頼みたい案件がある」
瞬間、プロデューサーの顔つきが変わった、
瞳から感情が消え、あさり先生に対する悩みもすぐさま頭の片隅に追いやる。
「——任務内容は?」
静かに訊ねれば、
「最近、初星を嗅ぎ回るネズミがおる。叩き潰して欲しい」
冷淡な声が返ってきた。
普段、生徒に見せるひょうきんな振舞いからは考えられない剣呑な声音で学園長は、
「ターゲットの目星は既に掴んでおる。詳細は追って連絡するので確認が済み次第、迅速に任務に取り掛かってくれ」
「——承知しました」
通話を切断後、程なくして学園長から任務の詳細データがプロデューサーのスマホに届く。
内容を確認して、プロデューサーはかっと目を見開いた。
学園長が指定したターゲットがあさり先生だったからだ。
「よりにもよって……そんな——」
ファイルに表記された根尾亜紗里の名前を見て、目の前が眩むような動揺と動悸が走りながらもプロデューサーは学園長から送付された任務ファイルを読み進める。
あさり先生が標的になった理由は、世界でも特異な”かわいい”を有する星南を拉致する為であった。
「ちっ……本当に面倒というかややこしいことになったというか——!! ひとまず、星南さんの安否を確認しなければ……!!」
狙われていると判明した以上、悠長にしていられない。
すぐさま星南に通話をかけ、安否の確認を図るも、彼女が応答することはなかった。
「……星南さんも連絡に出てくれない。まさか、もう既に連れ去られた……? いや、そう結論づけるにはまだ早い。電話は継続してかけつつ、星南さんが居そうな場所をしらみ潰しに探していこう。まずは——生徒会室に行こう。少なくとも、何かしら手掛かりはある可能性が高い」
星南本人に会えずとも、生徒会の誰かがいれば星南に関する情報を得られるだろう。
そんな考えのもと、急いで生徒会室に向かったプロデューサーだったが、部屋の中に人影はなかった。
「——誰もいない。推測が外れたか……!? ……いや、ひとまず捜査だけでもしておこう」
もしかしたら痕跡があるかもしれない、とプロデューサーは部屋の中を見回る。
一見、普段の生徒会室と何ら変わらないように見える室内だが、五感を研ぎ澄ましてよく観察していれば、小さな違和感に気づく。
カーテンの奥、壁際にある窓がほんの僅かにだけ閉まりきっていなかった。
加えて、星南と同じ生徒会である花海佑芽からコピーした嗅覚がプロデューサーに違和感の正体を教えてくれる。
「……なるほど、そういうことか。カーテンで隠れて見えなかったが、窓が完全に閉まり切っていない。加えて——ほんの微かにだが、星南さんの匂いとあさり先生の匂いがどちらもする」
ほんの微かに残っていた二つの香りが、点と点を線で結びつけた。
できることなら結びついて欲しくなかった答えを——。
「考えたくはなかったが……悪い予感が当たってしまったか——!!」
状況を鑑みるに、星南はもう既にあさり先生に連れ去られたと見るべきだろう。
対応が一手遅れてしまったことに歯噛みしつつも、プロデューサーはすぐに対応策を練り始める。
佑芽からコピーした嗅覚を頼りに痕跡を辿ることもできなくはないが、それでは時間がかかる上にもし途中で匂いが消えてしまったらそれこそ本当に詰みかねない。
となれば、第二のプランで追跡するのが確実だろう。
「星南さんがどこにいるか分からない以上、藤田さんだけが頼りだ。この時間、確か藤田さんは——レッスン室にいるはず。以前、星南さんが言っていたから間違いはないはず。急がねば——!」
藤田ことね。
星南が気にかけている一年生は生徒会に所属している三人を含め複数人いるが、中でも更に一目置いている有望株。
可愛いを具現化したようなルックス、パフォーマンスは星南曰くアイドルパワーにして十万を超えるという。
アイドルパワーが何であるのかはプロデューサーにはよく分かっていないが、藤田ことねの秘めた潜在能力はトップアイドルにも匹敵しているのはプロデューサーも把握していた。
そして、星南に万が一のことがあった際、彼女を救い出すための最終手段でもある。
全速力で廊下を駆け抜け、ことねがいるであろうレッスン室の扉を開ければ——、
「——あら? どうしたんですか、プロデューサーくん。そんなに怖い顔をして」
ことねの他にもう一人いた。
学園長から排除の標的とされ、星南と同様に足取りが掴めなくなっている渦中の人物——あさり先生が。
「……藤田さんから離れてください。今すぐに」
プロデューサーは、敵意を悟られぬよう努めて冷静に告げる。
しかし、どうやら見抜かれているようだ。
あさり先生はわざとらしく小首を傾げ、
「何か変な勘違いをしていませんか? 私は用事を済ませるついでに藤田さんとちょっとしたお話をしていただけですよ」
「……なるほど、あくまで白を切るつもりですか」
この様子だと、恐らくプロデューサーの正体を察している可能性も十分にあり得る。
緊迫した空気の中、まだ事件に巻き込まれていることに気づいていないであろうことねがおずおずとプロデューサーに訊ねる。
「え、えーっと……あの、状況を説明してくれません? 二人は一体何を話しているんですか……?」
「状況が状況なので手短になりますが——教皇がピンチです」
「っ——!?」
刹那、ことねの瞳が大きく見開いた。
「教皇……? 一体何のこと——って、藤田さん!?」
隣であさり先生が訝しむ中、激しく狼狽しながらもことねは、すぐさまプロデューサーに詰め寄った。
「プロデューサーさん! 星南プロデューサーがピンチってどういうことですかぁ!?」
「言葉通りの意味です。ですが、今、藤田さんがこちらに来てくれたことで事態は一つ好転しました」
教皇という言葉だけでピンとくる人間はまだ少ないはず、というプロデューサーの読みは的中した。
藤田ことね非公式ファンクラブ——通称”藤田ことねちゃん教”。
発足したのは、ことねのプロデューサーである星南だ。
プロデューサーはその補佐をしていたことで星南からファンクラブNo.2——即ち”枢機卿”の地位を賜っていた。
当然、ファンクラブNo.1”教皇”の座にいるのは星南であり、その彼女がピンチと言われれば、ことねが慌てるのも無理はない。
「それと急ですが——逃げますよ」
「へっ? ええええっ!?」
ことねの返事を待つよりも早く、プロデューサーは彼女を抱えてレッスン室を脱出する。
あさり先生が動き出す前に勢いよく廊下に飛び出し、一般生徒が視認できない速度である目的地へと向かった。
* * *
「——逃げられちゃいましたか」
一人、レッスン室に取り残されたあさり先生がぽつりと呟く。
動き出しの初動で潰すつもりだったが、想像していた以上にプロデューサーの動きが俊敏だったせいでそれは叶わなかった。
そも、星南に近しい人物であり、もう一人の被験体になり得る藤田ことねに接触した直後に彼がやって来ること自体が想定外の自体だった。
「ですが、十王さんの居場所は分からないまま。計画を進めるのに焦る必要はなさそうですね」
おかげでもう一つの目的は達成できずじまいとなってしまったが、十王星南の確保という最低限の目的は達成してあるので計画に支障はない。
あさり先生もがらんとなったレッスン室を出て、そのまま学園の外へと向かう。
星南を拉致したからには、もう二度とこの敷地に足を踏み入れることはない。
教師として過ごした時間は短く、彼といた時間は更にもっと少なかったが、任務である以上いたしかたない。
ほんの少しの寂しさと名残惜しさを胸に、あさり先生は初星学園に別れを告げる。
* * *
「ひとまずここなら安心でしょう」
辛々目的地に辿り着き、呟いた直後、
「いや、安心できないんですケド!?」
ことねの盛大なツッコミが入った。
というのも——、
「なんで、逃げた先が星南プロデューサーの部屋なんですか!? ていうか、なんで本人不在なのに入れるんですか!?」
「藤田さんがいる場合に限り、自由に出入りできる仕組みになっています」
初星学園と100プロダクションを営むだけあって、十王家のセキュリティは万全だ。
しかし、ことねがいることによって顔パス同然に敷地内に入り、我が家に帰るかのように邸宅の扉を開け、挙げ句の果てに何の手間をかけることなく星南の自室に入ることができていた。
「怖っ!! なんでそうなってるんですか!?」
「さあ、それは本人に聞いてください。一応、なぜこうしたのか心当たりがないわけではありませんが……それよりも——藤田さん」
姿勢を正して、ことねに向き直る。
プロデューサーのただならぬ態度にことねの背筋もピンと張る。
「は、はい……なんでしょう?」
「唐突で申し訳ありませんが、星南さん奪還作戦に協力していただけないでしょうか?」
深く頭を下げて助力を請えば、ことねはきょとんと首を傾げた。
「星南先輩の奪還? ……奪還!?」
「はい、星南さんは現在、あさり先生によってどこかに連れ去られてしまっています。しかし現状、星南さんがどこにいるのか皆目見当がついていないというのが今の状況です。そこで他でもない藤田さんの力をお借りしたいのです」
「は、はあ……事情は分かりましたけど、具体的にはどうすれば……?」
「しばらくの間、俺についてきてください」
「えっと、それって……プロデューサーさんと一緒に行動しろってことですか?」
はい、プロデューサーは短く首肯し、
「藤田さんが一緒にいることで格段に星南さんの居場所を特定しやすくなります」
「……あたしがいることで何が変わるんです?」
「レーダー補足ができます」
「へ?」
途端、ことねが素っ頓狂な声を漏らして固まった。
こいつは何を言っているんだ、と言わんばかりのな眼差しを向けられながらも、プロデューサーは構わず説明を続ける。
「教皇を始めとした藤田ことねちゃん教の幹部は、藤田さんの発する”かわいい”オーラによって常に居場所を補足できるようになっています。このシステムを利用して星南さんが今どこにいるのかを特定します」
「またあたしの知らないところでよく分かんないシステムができてるのなんなんだよっ!!」
「レーダーシステムは藤田さんを中心にして構築されています。なので探知の精度を上げるには、藤田さんが傍にいてもらう必要があり、且つそのシステムを利用できるのは、教祖である藤田さんだけなのです。ですから、藤田さんにも来ていただく必要があるというわけです。ちなみにここに逃げこんだのは、このレーダー探知機を取りに来たからでもあります」
「あたしの話を聞けし!!」
憤りを露わにし、頬を膨らませることねだったが、だんだんとしおらしくなり、
「……ケド、まあ、それで星南先輩が助かるのであれば……一緒に行きますよ。あたしにとっても、星南先輩は大事な人ですし……」
「ご協力ありがとうございます。危険な作戦にはなりますが、藤田さんの身の安全は保証します。藤田ことねちゃん教枢機卿の名に懸けて、絶対にお守りしますので」
プロデューサーの言葉にことねは、若干の苦笑を浮かべた。
「流石、星南プロデューサーのプロデューサーだけあって言動が重い……!」
「褒め言葉として受け取っておきます。……さて、それでは早速星南さんの救出に向かいましょう」