元人間、今たぬき。現代ダンジョンを闊歩する。 作:ばリオンズ
飼い主さんとお布団のうえでごろーん。
ご飯も食べておなかポンポコ。
元からポンポコだろうという指摘は、たぬきの権限により却下される。
なお、たぬきが腹鼓を打つのは童話の中だけの話であり、現実のたぬきはだいたい食って寝る生き物である。
同じ部屋では、貴族さんと犬さんも床に転がっていた。
なんだかんだで全員くつろぎモードに入っている。
空気がゆるい。とてもゆるい。
これからたぬきの風呂敷の中身を確認しようという流れになったらしい。
ゴブリンロードのドロップがたくさん入っていると聞けば、誰だって期待する。
特にこういうとき、貴族さんは妙に目が輝く。
犬さんはよく分かっていないが、とりあえず尻尾を振っている。
ノリである。
たぬき、寝てていいです?
ご飯を食べ終えたたぬきは、もはや戦力外である。
ふかふかのお布団に意識が沈んでいく。
じわじわと、確実に、抗いようもなく。
ああ、これはもうダメなやつ。
すぴぃ。
見事なまでの寝落ち。
あまりにも速い。
秒である。
眠りこけたたぬきの前脚をそっと持ち上げ、飼い主が風呂敷をほどく。
たぬき以外この風呂敷を空けられないため、たぬきの足が必要になったというわけである。
ほどけた布の中から、ぱらぱらと中身が散らばった。
ポーション。
干し肉。
簡素な包帯。
火打ち石。
どれも粗雑ではあるが、いざという時には命を繋ぐものばかりだ。
ゴブリンシャーマンから派生したゴブリンロードは、従来の種とは明らかに性質が違う。
臆病で、疑い深く、そして何よりも現実的。
群れが壊滅する可能性。
自分より強い個体に群れを奪われる可能性。
苗床にした人間に反撃される可能性。
外から来た冒険者に討伐される可能性。
常に最悪を想定し、備える。
だからこそ、こうした逃走用の物資を溜め込んでいたのだろう。
奥のほうから転がり出てきたのは、ひとつの糸巻きと木製の人形。
その瞬間、部屋の空気がわずかに重くなる。
肌にまとわりつくような、静かな圧。
女将から借りた鑑定用の眼鏡をかけ、貴族さんがそれらを覗き込む。
視界に文字情報が浮かび上がった。
アイテム名:アリアドネの糸巻き
レアリティ:
説明:無限の長さの糸を繰り出す。輝く糸は道標となり、さらに強い忌避効果を持つ。三重に囲えばモンスターは近づけない。糸の端を持つ者同士で強く引けば、位置を入れ替える。破損不可。
アイテム名:ピノッキオの人形
レアリティ:SR
説明:持ち主が嘘をつくたび鼻が伸びる。鼻を押し縮めて地面に叩きつけると身代わりになる。ただし裏切りやすい。
押し込んだ鼻の長さだけ身代わり状態の継続時間が延びる。
便利だが単独では扱いにくい糸巻き。
強力だが信用できない人形。
どちらも使い手を選ぶ。
いや、むしろ使い手が試される類の代物だ。
さらに、指輪やインゴット、金貨がざらざらと転がり出る。
金属同士がぶつかる乾いた音が心地よい。
いかにも戦利品、といった風情。
そして最後に現れたのは、大腿骨を束ねたような悍ましい杖だった。
見た目からしてアウトである。
触りたくない。
アイテム名:小鬼候爵の廃骨杖
レアリティ:R
説明:墓場から掘り出した骨を呪術で束ねた杖。触れた者は怨念に苛まれ、精神を蝕まれる。
備考:魔界犬にはただの美味しいおやつ。
その説明文のとおり、杖は即座に犬さんの口へ。
一切の躊躇がない。
がじがじ。
ばきばき。
ぼりぼり。
怨念がわらわらと溢れ出すが、すべて犬さんの咀嚼音にかき消されていく。
悲鳴のようなものが一瞬だけ響いたが、それもすぐに消えた。
完全敗北である。
なんとも哀れである。
だが犬さんは満足げだ。
しっぽがぶんぶんしている。
指輪や宝石、金貨などは飼い主さんと貴族さんで分配されることになった。
軽く山分けである。
たぬきはそれらに興味がない。
後から聞かされても、荷物が軽くなるならいいです、としか思わない。
金より軽さ。
実にたぬきらしい価値観だ。
糸巻きと人形は使い手がいないため、風呂敷へ戻された。
とりあえず保留。
危険物扱いである。
翌朝。
まあるくて、黄色くて、ほかほか。
オムレツの上にはケチャップのハート。
形がちょっと歪んでいるのが愛嬌だ。
隣にはバターで軽く炒めたほうれん草。
ベーコンとハッシュドポテトも添えられ、見た目からして贅沢。
昨日ご飯選びを手伝ってくれたエルフさんは、今日は執事服姿でたぬきを運んでいる。
持ち方が若干雑だが、落とさないあたりはさすがである。
クロワッサンは外がさくさく、中はしっとり。
噛めばバターの香りが広がる。
欠片がぽろぽろ落ちるのは不可抗力。
許してほしい。
温泉卵に鰹節、葱。
その横には炊きたての白ご飯。
どうやら卵かけご飯の代替らしい。
ホテル的な配慮である。
醤油を垂らし、卵を崩し、鰹節をふわり。
葱は気持ち多め。
ぐしゃぐしゃに混ぜる。
見た目は完全にそれ。
味もたぶんそれ。
そんな豪華な朝食が、ペット用の低い低いテーブルに並べられる。
高さが絶妙に低い。
人間には優しくないが、たぬきにはちょうどいい。
そこに、二匹のたぬき。
並んでがつがつと食べている。
片方はいつものたぬき。
もう片方は、どこか動きがぎこちないたぬき。
たぬきが増えてしまった原因は単純。
ピノッキオの人形である。
風呂敷にきちんと収まっていなかった人形が布団の上に転がり落ち、その上にたぬきが寝転がった。
鼻が押し込まれ、寝返りで離れた瞬間、条件成立。
結果、人形はたぬきになった。
本来なら人間になるはずだった。
だが参照元がたぬきだったため、こうなった。
バグである。完全に。
予定されていなかった四足歩行は難しいらしく、
一歩進むごとに微妙にバランスを崩す。
止まるときもぎこちない。
振り向くのも遅い。
それでもご飯は食べる。
そこだけは妙に適応が早い。
この人形には自我がある。
本来なら使い捨てられることも理解している。
理解しているがゆえに、使われた瞬間に裏切るよう設計されている。
ひねくれている。
だが今回は事故。
命令でも契約でもない。
ただ巻き込まれただけ。
現状を把握した人形たぬきは、とりあえず寝た。
考えるより先に寝た。
判断が完全にたぬき寄りである。
柔らかいお布団の魅力は、理性を簡単に超えてくる。
結果として、二匹は平和に共存していた。
争う理由がない。
というか、争う気力がない。
食後には、ぐるぐると追いかけっこ。
ときどきぶつかって転がる。
何事もなかったかのように起き上がり、また走る。
片方は妙に慣れた動きで走り回り、
もう片方はぎこちないまま必死についていく。
まるで自転車の乗り方を教えるかのように、四足歩行の先輩面をするたぬき。
対して人形たぬきは、ぎゅあぎゅあと文句らしき声を出している。
内容は不明だが、たぶん大したことは言っていない。
のんき。
とても、のんき。
危険なアイテムのはずなのに、この平和さである。
どうやらたぬきを参考にした時点で、だいたいすべてが決まってしまったらしい。
本来であれば言語能力も運動神経も精神性すらも人間基準で作成されるはずだった。
しかし、意図せぬエラーは連鎖する。
仕様外。
想定外。
完全な不具合。
もはやバグたぬき。
さて、人形たぬきが風呂敷に戻ったところで。
元祖たぬきはというと、いつの間にやら旅館の裏口へと回り込んでいた。
裏口は表とは違い、ひっそりとしている。
厨房の匂いがほんのり漂い、湯気とともに温かい気配が流れてくる。
時折、従業員らしき人影が行き来するが、たぬきに気づいているのかいないのか、特に騒がれることもない。
いつまでもダラダラしていたい気持ちはある。
それはもう、ある。
お布団もご飯も完璧だった。
できることなら三日くらいはここでぬくぬくしていたい。
だが、たぬきは決めたのだ。
この迷宮を登ると。
思い立ったが吉日。
なお、思い立ったのは昨日である。
厳密には昨晩、寝る直前である。
だいぶ遅い。
それでも、決めたものは決めたのだ。
たぬきはやるときはやる。
やらないときはやらない。
ということで、飼い主さんたちにお別れを告げることにした。
ゔるるん、ゔゆん、ぽきょー。
いつものたぬき語である。
語感は軽いが、気持ちはしっかり乗っている。
たぶん。
女将さんがそれを受け取り、うんうんと頷く。
そして翻訳する。
内容は、だいぶ雑だった。
なんとなく要点は押さえているが、細かいニュアンスは完全に消えている。
だがまあ、雰囲気は伝わる。
たぬきの世界では雰囲気がすべてである。
飼い主さんも、貴族さんも、犬さんも、それぞれに頷いた。
犬さんはよく分かっていないが、とりあえずしっぽを振っている。
たぶん応援している。
さて、次の階層へ行く道を聞こう。
そう思い、女将さんの方へと向き直った、その瞬間。
ひょいっ。
軽い。
あまりにも軽い動作で、たぬきは持ち上げられた。
飼い主さんである。
視界がふわりと上がる。
地面が遠くなる。
一瞬、なにが起きたのか分からない。
そのまま、テーブルの上にとん、と置かれる。
着地は安定している。
妙に慣れている。
なにをするだぁ、とばかりにその場でぐるぐる回るたぬき。
抗議の回転である。
意味はない。
しかし、すぐにがっしりと捕まる。
逃げ場はない。
足に、何かが触れた。
ひんやりとした感触。
柔らかく、それでいてしっかりとした締め付け。
取り付けられたのは、白い足輪だった。
きめ細やかな糸で編まれており、光を受けてほんのりと輝く。
装飾は控えめだが、中央には小さな黒い宝石がひとつ。
静かに、しかし確かな存在感を放っている。
見た目は可愛らしい。
だが、ただの装飾ではない。
アリアドネの糸で編んだ足輪なのだとか。
飼い主さんと貴族さんの共同制作ということらしい。
飼い主さんの家に、糸の片割れが結ばれているらしい。
つまり、この足輪と家は常に繋がっている。
そして、たぬきがピンチになったとき。
この足輪を噛みちぎることで、
一瞬で、家へと戻る。
テレポート。
それも強制帰還型。
どんな状況でも関係なく、問答無用で引き戻される。
安全装置。
最後の逃げ道。
帰る場所。
たぬきは、自分の足元を見る。
白い足輪が、そこにある。
軽い。
ほとんど重さを感じない。
だが、その意味はとても重い。
いつでも帰れるお家。
それは、たぬきにとって少し特別な響きだった。
どこへ行ってもいい。
どれだけ遠くへ行ってもいい。
でも、帰る場所がある。
それだけで、なんだか安心する。
たぬきは、ぐっと前脚に力を込める。
足輪がわずかにきらりと光った気がした。
たぬきは、必ず帰ります。
誰に言うでもなく、そう思う。
お土産を、風呂敷にパンパンに詰めて。
できれば美味しいものを多めに。
あと、ちょっと珍しいやつも。
あとあと、なんか光るやつ。
欲望が増えている。
裏口の向こうには、迷宮へと続く道。
暗く、静かで、少しだけ冷たい空気が流れてくる。
一歩踏み出す。
また一歩。
振り返ると、飼い主さんたちがいる。
女将さんが手を振り、貴族さんが軽く頷き、犬さんが元気よく尻尾を振っている。
たぬきも、ちょこんと前脚を上げる。
たぶん手を振っているつもり。
そして、そのまま迷宮の中へ。
ふわふわではない地面。
ぬくぬくでもない空気。
だけど、足取りは軽い。
なぜなら、帰る場所ができたから。
アイテム名:うちの子の印
レアリティ:LR
説明:
アリアドネの糸で編まれた小さな足輪。
中央には黒く輝く宝石を織り込み、魔界貴族さんの渾身の魔法を込めた一品。
噛み千切ることでたぬきの所有権のあるアリアドネの糸の場所に転移する。
魔法によって壊れても治る上、魔術に対する抵抗力を持つ。
アイテム名:タヌッキオの人形
レアリティ:SR(ユニーク品)
説明:
たぬきのせいでバグったピノッキオの人形。
たぬきになる。裏切らないが頭脳レベルはたぬきとどっこい。
壊れても時間が経つともとに戻る。
たぬき状態でいられる時間は本人の気分次第。