元人間、今たぬき。現代ダンジョンを闊歩する。   作:ばリオンズ

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第10話 〜エルフのゴブリン焼き、たぬきは添えず〜

原始的な森。

人の手が一切介在していない大森林が、どこまでも広がっている。

日照は乏しく、枝葉は絡み合い、ねじ曲がった木々や異様に肥大した巨木が視界を塞ぐ。

地面には湿った落ち葉が幾重にも積もり、踏みしめるたびに鈍い音を返す。

 

ところどころには焚き火の焦げた匂いが残り、そこに混じるのは鼻をつくゴブリン特有の悪臭だった。遠くでは獣が駆ける気配がし、さらに耳を澄ませば、人のものらしきか細い悲鳴が風に紛れて流れてくる。洞窟の奥からは、嘲るような笑い声が低く反響していた。

 

ここは第六階層

【あざける小鬼の蛮族集落】。

 

異世界の大森林をそのまま切り取ったかのようなこの場所は、侵略種であるゴブリンにほぼ支配されている。侵略種はその繁殖力ゆえに、群れを成して階層を渡り歩く性質を持つ。その大規模移動はスタンピードと呼ばれ、通過した土地の生態系は例外なく破壊される。食い荒らされ、蹂躙され、何も残らない。

 

繁殖方法もまた厄介だった。他種族の雌を利用するだけでなく、場合によっては無性のスライムにすら干渉し、数を増やす。

理屈は不明だが、結果だけを見れば脅威でしかない。さらに成長速度は異常で、数週間もあれば成体に至る。つまり、ひとたび見逃せば、あっという間に群れは膨れ上がる。数という単純で強力な暴力を、彼らは最短で用意できる。

 

基本的にはメスであれば何とでも繁殖可能だが、とりわけ彼らが好むのは、人肌の温度を持つもの、声帯を持つもの、そして自分たちと似た形をした存在。

すなわち人型。

森にもともと住んでいたエルフの集落や、外縁にあった小さな村は、すでに襲撃を受け続けている。

全滅させることはしない。滅びぬ程度に数を残し、資源として扱う。まるで家畜でも飼うかのように。悪辣で、狡猾で、そして躊躇がない。それがゴブリンという種である。

 

そんな森の中を、たぬきはのそのそと歩いていた。落ちているどんぐりを見つけては、飴玉のようにがりがりとかじる。固い殻の割れる感触を楽しみながら、ちてちてと進む。

たまに渋いのを噛み砕いては吐き出し、甘いのを見つけては貪る。

緊張感というものがあまり感じられない足取りだったが、それでも耳はぴくりと動き、周囲の気配を拾っている。

 

第五階層への侵攻失敗でゴブリンロードを失った森は、奇妙な均衡を崩していた。

支配者のいない群れはまとまりを欠き、あちこちで争いを始めている。枝の陰でも、倒木の裏でも、洞窟の入口でも、どこでも小競り合いが起きていた。勝者は奪い、敗者は喰われる。単純で、救いのない循環が続いている。

 

地面には骸が転がっていた。新しいものもあれば、すでに腐敗が進んだものもある。まるで競りに並べられた品のように雑然と積まれているが、そこに値段をつける声はない。あるのは怒声と悲鳴だけ。

生き物の営みとしての賑わいとも違う、荒れた音に満ちていた。

 

そんな中でも、たぬきに目を向ける者は少ない。小さく、弱そうに見える存在は優先度が低いのか、それとも単に気にも留められていないのか。ゴブリンたちは互いの縄張り争いに夢中で、視線すら向けない。

 

群雄割拠。そんな言葉が似合う状態だった。大森林は今や一つの戦場となり、秩序は失われている。だがその混沌は、ある意味では均衡でもあった。誰もが敵で、誰もが獲物。そんな場所を、たぬきは相変わらずの調子で歩いていく。

 

がりり、とどんぐりを噛み砕く音だけが、妙に軽やかに響いていた。

 

さて、たぬきが唐突に足を止めた。

それまでどんぐりをかじりながらのんびりと歩いていた足が、ぴたりと止まる。

 

視線の先には、廃城が一つあった。

森の奥に埋もれるようにして佇むそれは、ただ古いというだけではなく、明確に朽ちている。かつて世界樹をくり抜いて築かれた王城は中ほどで折れ、幹は腐り、外壁には黒ずんだ汚れが広がっており、往時の面影は辛うじて形を残しているに過ぎなかった。

 

それでもなお、規模だけは圧倒的だった。

自然物を加工したとは思えないほど精緻な造りは、今なお異様な存在感を放ち、この森の異質さをさらに際立たせている。

 

かつて、異世界からこの森林が切り取られる遥か昔。

この城はエルフのものであった。

 

エルフはこの森を支配していた。動物を狩り、森の恵みを独占し、類稀なる魔力の才能をもって繁栄を極めていた。彼らは魔法の構造を解き明かし、それまで直感や感覚に頼っていた術を理論として整理し、人類でも扱いやすい形へと昇華させた最初の世代でもある。

 

複雑で曖昧だった魔法を、誰でも再現可能な体系へと落とし込んだその功績は、後の時代においても大きな意味を持つことになる。魔法が特別な才能ではなく、技術として扱われるようになった始まりがここにあった。

 

そうして、何千年もの時間が流れた。

 

長い時間は、栄華を変質させる。

権力と魔力を持ち続けたエルフたちは、やがてそれに溺れていった。

 

かつては己の才を磨き、魔法の探求に心血を注いでいた彼らも、いつしか努力をやめるようになる。新たな術を生み出すことも、既存の理論を深めることもなくなり、ただ先人の遺したものに寄りかかるだけの存在へと変わっていった。

 

森の外縁に住む人間たちからは重税を搾り取り、それを当然の権利として扱い、城の中では贅沢を尽くす。酒と食事に溺れ、快楽を追い求め、誰もが堕落していることを自覚しながらも、それを止める理由を見つけられずにいた。

 

衰退は静かに進んでいたが、誰もそれを問題視しなかった。

気づいたときには、もう遅いという典型的な流れだった。

 

そんな彼らの住む森の洞窟に、一匹のゴブリンが住み着いた。

 

それは偶然だったのか、それとも必然だったのか。

少なくともエルフにとっては取るに足らない出来事だった。

 

感知魔法に反応したその存在を、警備のエルフは遠距離から魔法の弾丸で撃って遊んでいた。明確な脅威とは見なしておらず、単なる暇つぶしの対象として扱っていたのである。

 

何発か撃ち込み、傷つき、倒れかけるゴブリンの姿を見て満足したのか、そのエルフはやがて興味を失った。仕事の最中であるにもかかわらず持ち場を離れ、城へ戻って酒を飲み、そのまま眠りについた。

 

その程度の存在でしかなかった。

 

一方で、瀕死のゴブリンは生き延びようとしていた。

 

身体は焼かれ、裂け、まともに動くことすら難しい状態だったが、それでも本能に従って這いずり、手当たり次第に周囲のものを口に運ぶ。虫も草も果物も区別なく飲み込み、どうにかして命を繋ごうとしていた。

 

やがて近くの洞窟へと潜り込み、暗闇の中で息を潜める。

何が起きたのか理解はできていなかったが、自分が理不尽な目に遭ったという認識だけは、はっきりと残っていた。

 

理由は分からない。

なぜ攻撃されたのかも分からない。

ただ一方的に、傷つけられた。

 

その事実だけが、強く刻まれる。

だから彼は、この森林に住むすべてを恨んだ。

理屈ではなく、感情として。

逃げ場のない、濁った感情として。

 

この森に住むすべてを支配し、踏み躙る。

そんな歪んだ願望が、いつしか頭の中に居座るようになる。

その憎悪は、原動力へと変わっていった。

 

ゴブリンは繁殖する。

それが彼らの生存戦略であり、最大の武器でもある。

 

野生生物を襲い、数を増やす。

生まれた個体にも同じ行動を繰り返させる。

さらに増える。

また襲う。

 

やがてその繰り返しの中で、数だけならば森の中で最も多い種へと変わっていった。

 

増えすぎた個体は餌を求め、より外へと広がるようになる。

狩りに出たエルフを見つければ集団で襲いかかり、魔法を使う間も与えずに押し倒し、武器や装飾品を奪い取る。最初は扱い方も分からず、ただ振り回すだけの代物だったそれらも、数を重ねるうちに変化していった。

 

奪った武器を壊し、分解し、構造を調べる。

金属の組み合わせ方、刃の角度、重さの配分など理解できているわけではないが、繰り返し観察し、真似をすることで精度を上げていく。

 

やがて粗雑ながらも似たものを作り上げる個体が現れ、それをさらに別の個体が改良する。失敗しても構わない。壊れても問題ない。いくらでも試せるだけの数がある。

 

数の暴力は、ここでも効果を発揮していた。

知識がなくとも、試行回数で押し切る。

それが可能な種族だった。

 

一方で、攫われるエルフは増えていく。

 

森の外れで姿を消す者。

狩りに出たまま戻らない者。

それでも王城の中では、誰も気に留めなかった。

 

欲に溺れた愚か者たちは、他人が消えたところで自分に影響がなければそれでよかった。

酒を飲み、食事を楽しみ、退屈を紛らわせることだけに意識を向ける。

異変は確かに積み重なっていたが、それを危機として認識する者は、もはや存在しなかった。

 

そして、はじまりのゴブリンから引き継がれた憎悪は、やがて形を持つ。

 

それは単なる復讐ではない。

魔法に対する否定であり、力で押し潰すという、極めて単純で原始的な欲求が内に秘められていた。

 

理解する必要はない。

解析する必要もない。

ただ上回り、叩き潰す。

 

そのための準備は整っていた。

 

無数に用意された武器。

統率はないが、方向性だけは共有された集団。

数で埋め尽くされた森。

 

ゴブリンの軍団は、静かにエルフの王国を囲んだ。

 

夜が深まる頃、最初の火が放たれる。

火矢が弧を描き、城壁へと降り注ぐ。乾いた木と積み重なった装飾がそれを受け、あっという間に火が広がる。

 

続いて油がぶちまけられる。

外壁を伝い、地面に流れ、火と結びつくことで炎は一気に勢いを増す。

王国は、紅蓮に包まれた。

 

ようやく事態に気づいたエルフたちは魔法を行使しようとするが、その動きは鈍い。

長年の怠惰によって技術は鈍り、詠唱は乱れ、制御は不安定になっていた。

 

本来であれば圧倒的なはずの魔力も、扱う者が未熟であれば意味をなさない。研鑽を行わず、使わずにいれば回路は錆び付き、魔力詰まりを引き起こす。

魔力詰まりの解消の為にと膨大な魔力を無理矢理注ぎ込もうものなら魔力と共に体ごと爆裂する。

 

実際に、それは起きた。

 

王族や上位のエルフほど強大な魔力を持つがゆえに、制御の乱れがそのまま致命的な結果を招く。

詰まった流路に無理やり力を流し込めば、行き場を失った魔力は暴発する。

魔力を伴った光が、城の内部から噴き上がる。

 

混乱は連鎖し、誰も状況を立て直せない。

そこへ、外からゴブリンがなだれ込む。

 

武器を振るい、数で押し潰し、抵抗する者を一人ずつ確実に排除していく。

個々の力では劣っていても、集団としての圧力はそれを補って余りある。

 

かつて偉大な魔法師たちが集った王国は、たった一夜で崩壊した。

 

炎に焼かれ、内部から破裂し、外から踏み荒らされる。

残ったのは、焦げた木と崩れた構造物、そして無数の死体だけだった。

 

その残骸が、今の廃城である。

 

しかし、そのゴブリンたちですらも、更に強力な力の前では等しく無力となる。

どれだけ数を揃えようとも、上から押し潰されれば終わりであり、抗う術はない。

第五階層にて露と消えた彼らもまた、強さに驕り高ぶった末路なのだ。

 

驕れる者は久しからず。

ただ春の夜の夢のごとし。

その言葉は、種族を問わず当てはまるものらしい。

たぬきにとっては渋いどんぐりよりもどうでもいいものだったが。

 

そんな歴史の残る廃城の内部をすり抜け、崩れかけた壁の隙間を抜けるようにして、たぬきはやがて外縁へとたどり着く。

かつては外敵を拒むために築かれたであろう防壁も、今では半ば崩れ落ち、ただの目印のように残っているだけだった。

 

その壁際に、ぽっかりと口を開けた洞窟群がある。

まるで巣穴のように、いくつも、いくつも。

 

第七階層と第八階層へと至る道は、そのどれかの奥に存在する。

しかし当然ながら、すべてが正解というわけではない。

 

無数に枝分かれした洞窟の中から、正解を引き当てる必要がある。

割合にしておよそ一割。

残りは行き止まりか、あるいは別の危険へと繋がっている。

 

迷路のような構造だが、完全な運任せというわけでもない。

 

第七階層へと続く道であれば、洞窟の奥にかすかな光が揺れている。

自然のものとは明らかに異なる、人工的で鮮やかな色彩。

青や紫、時折混じる赤い光が、岩肌に反射して不気味な輝きを放つ。

サイバーパンクめいたネオンサイン。

この森には本来あり得ないはずの光景が、異物としてそこに存在している。

 

一方で、第八階層へと続く道はさらに異質だ。

入口の時点でわずかに整えられた痕跡があり、奥へ進めば木製の床が敷かれ、天井からは無数の人形が吊り下がっている。

 

首に糸が巻き付けられたそれらは、風もないのにわずかに揺れ、侵入者を見下ろしているように見える。自ら首を吊ったようにも見えるのはかなり不気味だ。

 

どちらを選ぶかは好みの問題ではあるが、どちらもまともではない。

 

とはいえ、探すべき特徴ははっきりしている。

洞窟そのものを見つけることさえできれば、あとは迷うことはない。

 

たぬきはしばし立ち止まり、鼻をひくつかせる。

匂いを確かめ、空気の流れを感じ取り、ほんのわずかな違和感を拾い上げる。

 

そして、ぴたりと方向を定めた。

とてとてと軽い足取りで洞窟の一つへと駆け込む。

迷いはない。

判断は直感に近いが、外れてはいない。

 

奥へ進むにつれて、空気が変わる。

湿った土の匂いに混じって、どこか焦げたような、金属の焼けるような匂いが混ざり始める。

 

やがて視界の先に、光が見えた。

鮮やかな青やオレンジ、紫の色彩が暗闇の中で浮かび上がる。

不自然なほどに鮮烈な光が、洞窟の内壁を染め上げている。

 

たぬきはそのまま、ネオンサインの輝くきらびやかな洞窟へと駆け抜けていく。

 

足元の岩がわずかに震え、空気が乾いた音を帯びる。

バチバチ、と断続的に響くスパーク音。

壁に走る光の線が、不規則に瞬きを繰り返す。

まるでこの場所そのものが、予期せぬ来訪者を歓迎しているかのようだった。

 

もちろん、歓迎という言葉が適切かどうかは別の話である。

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