元人間、今たぬき。現代ダンジョンを闊歩する。   作:ばリオンズ

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第1話 スライムとたぬき

さくさく、と小さな足が雪の振り積もった瓦礫の山を越えてゆく。

踏みしめるたびに、凍りついた雪が軽く鳴いた。かつては舗装されていたはずの道路も、今ではひび割れたコンクリートと鉄骨の残骸がむき出しになっている。

 

大きな赤と白の鉄塔が崩れ、ねじ曲がった骨組みを空へと突き立てていた。

大都市の栄華は見る影もない。

高層ビル群は半ばから折れ、ガラスは粉々に砕け、看板は雪に埋もれている。

風が吹くたびに、どこか遠くで金属が擦れる音がした。

 

現代にダンジョンが発生してから、もう数年になるだろうか。

最初は一つだった穴は、やがて各地に広がり、都市の地下や海辺、山中にまで口を開けた。

どこの都市もダンジョンから出たモンスターたちによって壊滅状態に陥っていた。

軍も警察も対処しきれず、空を覆っていたヘリの音も今はない。

 

いわゆる冒険者、というものが出始めたのは二年くらい前か。

魔法やら異能やら、世間の影に隠れていた技術たちが、隠れる余裕すらなく表に出てきた。

古い魔術書が競売にかけられ、研究機関が異能者を保護し、ネットには怪しげな訓練法が溢れた。

それらを学び、命を賭してダンジョンに潜る者たちを、人は冒険者と呼ぶ。

 

私は冒険者ではない。

異能をたまたま手に入れてしまっただけで、

日々ダンジョンに糧を求めて潜り込むだけの存在だ。

 

そもそも、もう人間に戻れなくなってから一年くらい経つのだ。たぬきでいるのも楽ではない。

冬は寒いし、夏は暑い。

言葉を話せない不便さは想像以上で、買い物も交渉もできない。

鏡に映る丸い顔を見るたび、妙な感覚に襲われる。

それでも生きているだけましだ、と尻尾を揺らして自分に言い聞かせる。

 

幸いなことに、ダンジョンのモンスターは生物を食うことはない。

人間や、犬、猫。

ペットと呼ばれたり家畜と呼ばれる彼らは襲われたが、たぬきは襲われていないのだ。

正確には、襲われにくい。

基本的にモンスターはアクティブ型が多く、視界に入っただけで襲ってくる。

だが、たぬきに対しては反応が鈍い。視線が合っても、ほんの一瞬迷うような挙動を見せ、結局動かない。

 

たぬきはかしこいのだ。

車というものが走らなくなって、歩くのも安全になった。

夜道を横切るのも容易い。

たまに目を血走らさせた人間に襲い掛かられるが、副産物で迎撃している。

異能の残滓が爪先に宿り、軽く叩くだけで相手を昏倒させる程度の力はある。

できれば人は殴りたくないのだが、向こうが襲ってくるのだから仕方がない。

 

さて、今日も食事に行こう。

ダンジョンの一階層はスライムの群れが大半を占めており、ある一角には超大型の個体もいる。

天井は高く、光源のないはずの空間はぼんやりと明るい。

床は半透明の粘液で常に湿っている。

 

ベリースライム、ライムスライム、ホットスライム、クールスライム、プロテインスライム、など明らかに食用である名前を持っているのに、人間たちはさっさと下に潜るのは解せない、とたぬきは思う。

命がけで深層に挑み、希少金属や魔石を求める。

その横で、果実味あふれるゼリーを放置していくのだ。

もったいない。

 

今日はまずはライムスライムからいただいていこう。

いくらたぬき相手はノンアクティブ化するとはいえ、反撃を受けるのは怖い。

なので、目を凝らす。

視界の端に、淡い文字列が浮かび上がる。

ライムスライム。危険度低。弱点コア。

 

スライム系統は中心のコアが弱点であり、目のかわりをしている。

ぷるぷると震える半透明の体の中央、ほんのりと色の濃い部分がそれだ。

 

全身の筋肉を目の前の獲物に突撃することだけを意識し、収縮。

小さな体に力を溜める。

地面を蹴った瞬間、雪と粘液が跳ね上がった。

 

開ける限りの大口でライムスライムに齧り付く。

弾力が歯を押し返すが、迷わない。

爽やかな果実の味が口のなかに広がる。

いかんいかん、まだ食ってる場合ではない。

 

コア部分は確かに口のなかに収まったが、それ以外の部分も微弱に動く。

体表が波打ち、反射的に包み込もうとしてくる。

故に前脚で叩く。

たぬきの爪では痛打は与えられなくとも、

すでに致命傷は与えているのだ。

 

ペチペチ、と可愛らしい音を立てて殴り続けること数分。

やがて震えは止まり、粘液はただのゼリーへと変わった。

ライムスライムは倒れた。

 

コア部分をもりゅもりゅと噛み砕く。

柑橘系の爽やかな風味が口いっぱいに広がり、久方ぶりの果物の味を楽しんでいる。

ほのかな酸味が、かつてコンビニで買ったジュースを思い出させた。

たぬきはやはりかしこいので、

人間たちが食べないこれらが美味しいことはまだ誰にも教えていない。

知られれば、きっと乱獲される。

 

ちなみにスライム系が食われない理由は、

味が薄いからである。

たぬきにとっては十分でも、人間にとっては薄い。

舌の感覚が違うのだろう。

そしてもう1点は、そもそも人間は名前が見えない。

このたぬきはなぜかモンスターの名前が見え、これはベリーだ、と喜んで突撃するが、

人間から見たら紫色が毒々しすぎて食うどころか近づこうともしない。

 

そして最後。

たぬきは何も気にせず食事をしているが、

周囲はほかのスライムがいっぱいいる。

半透明の群れがゆらゆらと揺れ、粘液の床を満たしている。

 

つまり、スライム相手に戦うのは確実に集団戦になる上、旨味がないから忌避されているのだ。

効率を重んじる冒険者たちにとっては、割に合わない相手なのである。

 

おなかぽんぽこりんになるまでライムスライムの残骸のライムゼリーをすすったたぬき。

腹は丸く張り、歩くたびにぷるんと揺れる。

満足げにひとつ鳴いて、そのまま二階層へと足を踏み入れる。

 

二階層は住宅街。

ダンジョンが発生した時に巻き込まれた街がそのままそこにある。

ポストには古びた新聞が差し込まれたまま。

庭先にはカラッカラの洗濯物が風もないのに揺れている。

空は存在しないのに、夕方のような橙色の光が差していた。

 

中にはゾンビやゴースト、スケルトンなどのモンスターが住み着いている。

窓の隙間からこちらを覗く影。

電柱の上を漂う白い輪郭。

骨の擦れる乾いた音。

おそらくは巻き込まれた人たちが、ダンジョンに縛り付けられたのだろう。

生前の行動をとるものが多い。

 

あろうことかこのたぬき、犬小屋に潜り込んだ。

木製のそれはやや朽ちているが、内部はまだ使える。

雪が舞う外は寒いが、ダンジョンの中はいつも春ぐらいの暖かさ。

ほんのりと木の匂いがする。

 

毛布に包まれてたぬきは一休み。

丸くなり、尻尾を鼻先に巻きつける。

すぴすぴと鼻を鳴らして眠りこけている。

夢の中では、まだ人間だった頃の自分が歩いていた。

 

さて、なぜここまでたぬきが優遇されているのかと思うものもいるかと思われる。

 

優遇ではなく、バグである。

野生生物の侵入を拒む障壁がダンジョン入口に設置されており、本来普通のたぬきであれば入れずに追い返されてしまう。

見えない膜に弾かれ、森へと戻されるはずだ。

 

しかしこのたぬきは異能によってたぬきになった人間である。

野生生物でありながら人間でもあるという二律違反により、システム全体がバグっているのだ。

判定が重なり、優先順位が衝突し、結果としてどちらにも完全には分類されない。

 

本来であればペットなどは優先的に攻撃される傾向にあるが、ペットではなく本人が野生生物のため、バグが多発してこんなことになっている。

モンスターの敵対判定も揺らぎ、障壁も素通りできる。

都合が良いと言えば良いが、いつ修正されるかわからない不安もある。

 

そして、たぬきが名前を見れる理由は、2つ目の異能にある。

1つ目は【たぬき転生】、2つ目は【賢者の叡智】。

 

2つ目から使えば、たぬきになっても人間以上の高い叡智を保ったまま生きることもできたし、化ける技術を習得できたかもしれない。

文字を読み、言葉を書き、魔法理論を組み立てることもできただろう。

 

1つ目が先に暴発したため、たぬきのスペックで人の知識がある程度にとどまっている。

余剰分が目に反映された、というだけである。

だから名前が見える。

だから少しだけ有利だ。

 

自分で自分をかしこいと言うようになっているのも、これが悪影響を及ぼしている。

本当にかしこいのかどうかは、誰にもわからない。

 

犬小屋の中で、たぬきは小さく寝返りを打つ。

尻尾がふわりと揺れ、口元がわずかに緩む。

 

明日もきっと、ライムスライムはおいしい。

ベリースライムもオレンジスライムもおいしい。

プロテインスライムは食べると大きくなるのでほどほどに。

たぬきはかしこいので、それを知っているのだ。

 

ことり、とお皿が置かれ、ザラザラと何かが注がれる音がした。




ライムスライムゼリー
素材アイテム
加工することで防水皮膜になったり、服の主原料となり得る素材。
食べるとほんのりライムフレーバー。
食べて消費するとSTR+1。

食べる勇気のある人間は、今のところいない。
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