元人間、今たぬき。現代ダンジョンを闊歩する。   作:ばリオンズ

9 / 14
第8話 おゆはんとたぬき

飼い主さんの手により、風呂敷の結び目がするりとほどかれた。

首元に結びつくように貼り付いていたそれは、結び目が解けた瞬間にふっと力を失い、背中から跡形もなく消えていく。

飼い主さんの手中に収まったそれをよそ目にたぬきは風呂場に駆け込みます。

 

慌ててそれを脱衣所の籠に置いた飼い主も入り、たぬきを捕まえてざぶざぶと洗い出しました。どろんこたぬきを洗うのはなかなか手強かったようで、終わるころにはへとへとです。

 

ようやっと、たぬきは呪いから解放されました。

自由です。たぬきは自由なのです。

 

勢いのまま、たぬきは浴槽へと飛び込みました。

ばっちゃばっちゃと音を立てて湯を跳ね上げながら、これでもかと喜びを表現します。お風呂楽しい。

 

飼い主さんはやれやれと肩をすくめ、そんなたぬきの丸いたぬ顔を両手でわしわしともみくちゃにしてやります。

そのままゆっくりと自分も湯へ身を沈めました。

 

極楽極楽。

 

貴族さんも隣でだらーんと湯に浸かり、酒を飲みながらすっかりくつろいでいます。

いぬさんを洗うのに疲れ切ったのもあるようです。

湯気の中で二人はぐったりと力を抜き、完全に休憩モードです。

 

その横でたぬきは、浴槽にぷかぷか浮いている柚子を見つけました。

ころころ転がるそれを前足でつつくと、水面を滑るように転がります。

 

いぬさんも興味を持ったのか、ぴょこぴょこと近寄ってきました。

二匹で柚子をぽんぽんと弾き合い、水球のようにして遊び始めます。

 

ぽん。

ちゃぷん。

ぽん。

 

柚子は水面を跳ねながら浴場の中を舞い、やがて勢い余って飼い主さんと貴族さんの頭上を越えていきました。

 

それを見た貴族さんが面白がって柚子を拾い上げます。

そして軽い調子で投げ返しました。

 

しかし勢いが良すぎました。

 

柚子がばしゃんと水面に叩きつけられ、大きな波が立ちます。

ざばあと湯が揺れ、たぬきのいる場所へと押し寄せました。

 

体の小さいたぬきは簡単に波に巻き込まれます。

ぐるぐると水に振り回され、必死に前足をばたつかせました。

 

ばしゃばしゃ。

ぼこぼこ。

 

なんとか顔を出した頃には、すっかりへとへとです。

 

よろよろと浴槽から這い上がり、溺れかけたたぬきが脱衣所へ出ると、そこには女将さんが待ち構えていました。

濡れそぼったたぬきをひょいと抱き上げ、わっしゃわっしゃとタオルで体を拭いてくれます。

 

毛の奥まで丁寧に水分を取られ、そのままドライヤーへ。

温かい風がふわふわの毛を揺らします。

風が吹く度に全身もこもこになってゆくような、そんな気がします。

 

ぶるぶると水滴を振り払うまもなく乾かされてしまいました。たぬどりるならず。

 

そのとき、お腹の奥からぐぅぐぅと音が鳴りました。

盛大な抗議です。ご飯の時間だと体が主張しています。

 

たぬきの持ち物を確認してみます。

しかし食べられそうなものはありません。困った困った。

 

脱衣所をうろうろしていたところ、風呂上がりで湯気をまとった飼い主さんにひょいと抱えられました。

そのまま廊下を歩き、連れて行かれた先は旅館のレストランです。

 

なんと、ビュッフェ形式でした。

 

料理がずらりと並んでいます。

しかし問題が一つありました。

 

たぬき、背が届きません。

 

ぴょんぴょん跳ねてみても、料理台の高さにあと少し足りないのです。

ゔゆーん、と遺憾の意を示していると、従業員のエルフさんが近づいてきました。

 

にこにこと笑いながら、たぬきを抱えて料理台の前へ。

 

視界いっぱいにごちそうが広がります。

たぬきの目がきらきらしました。

 

お魚の干物を揚げたやつ…?

たぬき、それ欲しいです。

 

エルフさんが皿に乗せてくれます。

 

お刺身もたくさん。

もっとください。

 

卵焼きもあります。

ここの卵焼きはしょっぱい方でしょうか。

それはうれしい。

 

ころっけ!ころっけです!

そこのミニトマトもください。

 

ニコニコ顔のエルフさんが、たぬきの要求に沿って料理を取ってくれます。

気づけば皿はすっかり山盛りです。

 

そのまま席に連れて行かれ、たぬきは椅子の上に座らされました。エルフさんはついでにたぬきの頭を撫でて去っていきました。

 

いぬさんの方を見ると、こちらにも専属の従業員さんが付いているようです。

皿の上には肉料理がずらり。お肉ばっかりです。

ステーキもいっぱい。すてきです。

 

お手々を合わせて、いただきます。

 

やはりまずは揚げたお魚です。

骨が刺さりそうだなぁ、なんて思いつつ頭からがぶり。

 

高温でカラッと揚げられた骨は、お煎餅のようでした。

想像していたような硬さはなく、歯を入れた瞬間に軽く砕け、さくさくと気持ちのいい音を立てて崩れていきます。

 

身の部分はふわりと柔らかく、揚げ油の香ばしさと一緒にほどけていきました。

噛むほどに魚の旨味がじんわりと広がっていきます。

 

骨の軽い食感と身の柔らかさが交互にやってきて、口の中で楽しい騒ぎを起こしていました。

まるで小さな宴会です。

 

強すぎない塩加減がまた絶妙でした。

しょっぱすぎず、かといって物足りないわけでもなく、魚の旨味だけをきれいに引き立てています。

 

これはいけません。

一口食べるたびに、もう一口が欲しくなります。

頭からしっぽまで、ためらいなくかりかりと食べ進めてしまいました。

 

うますぎます。

 

次はこんもりと盛られたお刺身です。

お醤油はすこーしだけかけてもらって、もぐもぐ。

 

日本人だった身としては、やっぱり醤油は欲しいのです。

ほんの少しでもあるだけで、味の輪郭がきゅっと締まります。

 

まずはサワラ。

口に入れると、むにっとした独特の弾力が歯に触れました。

思っていた以上にもっちりしています。

 

噛むほどに脂がにじみ、舌の上でゆっくり溶けていきました。

魚なのに、お餅みたいな不思議な食感です。

本当に魚なのでしょうかこれ。

 

次は鮪。

これがなくては刺身を食べた気がしません。

 

赤身であっても主張が強いのです。

噛んだ瞬間に、魚の旨味がどんと押し寄せてきます。

余計な味付けなど必要ありません。

鮪は鮪のままで強いのです。

 

やはり旨し。

 

続いて鰹の叩き。

たぬきがまだたぬきじゃなかった頃の好物でした。

表面の香ばしさと中の柔らかい身が合わさり、これまたたまりません。

生姜と一緒に食べたくなりますが、醤油だけでも十分に美味しいです。

 

三階は季節問わず、お魚は何故か全部食べ頃です。

ここのお魚もどうやら三階から取ってきてるみたいです。

とてもうまうまです。

 

ご飯に乗せて漬け丼にしたくなります。

そんなことを考えながら、もぐもぐと食べ続けました。

 

ここで卵焼きをぱくり。

 

ふわっと柔らかく、ほんのり湯気が立っています。

噛むとじゅわっと出汁がにじみました。

 

たぬきのおうちは、卵焼きがしょっぱいのです。

この卵焼きも、ちゃんと塩気のある味でした。

刻んだピーマンとしらすが入っていたり、

日によって具が変わる卵焼きだったのを思い出します。

 

朝ごはんの食卓。

家族の声。

フライパンの音。

 

懐かしいです。

美味しいです。

 

家族に会いたいなぁ。

 

ほろほろと、たぬきの瞳から涙がこぼれ落ちました。

ゴブリンに殴られたり、飼い主さんに怒られたりしたときは流れなかった涙でした。

それなのに、卵焼きを食べただけで出てきてしまうのです。

 

飼い主さんはそれに気づきました。

何も言わず、そっと頭を撫でてやります。

人ならざる者になった先達として、何か思うところがあったのでしょう。

 

たぬきは涙をぬぐいながら、恥ずかしさを隠すようにコロッケにかぶりつきました。

衣はさくっと軽く砕け、すぐに中の芋が顔を出します。

ほくほくのじゃがいもです。

しかし油断していました。

中がとても熱かったのです。

 

口の中でほふっと悶えながら、それでも慌てて吐き出すことはしません。

なんとかふーふーしながら飲み込みました。

甘い芋の味とソースの香ばしさが合わさり、これまたたまりません。

気づけば次の一口をかじっていました。

 

そして白米。

これがまた美味しいのです。

ふっくら炊き上がったご飯を、夢中で貪ります。

揚げ魚の塩味も、刺身の脂も、コロッケのソースも、全部受け止めてくれます。

 

おみそ汁も欲しくなりました。

けれど体の構造が変わってしまったせいで、飲みにくくなってしまいました。

 

残念です。

 

そのかわり、平たいお皿に入れてもらったたぬきうどんをすすりました。

つるつると喉を通る麺。

揚げ玉の油がじんわりと汁に広がり、ほっとする味です。

 

人間に戻りたい、とまでは思いません。

今の体も、これはこれで悪くありません。

食べられるものもそこまで変わらず、生きていくだけならなんとでもなってしまいます。

 

けれども。

もう少し上に登ってみようかな、と思いました。

 

忘れかけていた景色を、もう一度思い出すために。

漠然と生きるだけでなく、何か目的を見つけて生きていくために。

 

たぬきとして、個としての目的を。




たぬき転生:
致命的な傷を追った際にたぬきとして転生させる。
味覚、視覚、食性に関しては元の人間としてのものと自由に切り替えて生きていくことができる。
なのでたぬきだと食べられないものも食べることが可能。チョコレートでもボリボリいける。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。