陽炎の色彩 =同級生がマリスビリーを殺すまでの話=   作:新ツキハ

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運命、もしくは色彩。 =後編=

「うん、そう。同じところに繰り返すんじゃなくて、繊維を断ち切るイメージで。なるべく細かく複雑にしよう」

 

「……うん」

 

「魔術刻印は本人の意思関係なしに『生かそうとする』からね。私のは中々に年代物だ、胴体が終わったら手足もやると、箇所が増えていいだろう」

 

「…………うん」

 

 

 冷たいコンクリート敷きの屋上にマリスビリーは横になり、名も無き彼女は彼に馬乗りになっていた。

 彼女は手にしている包丁をマリスビリーに突き立て、横に動かして切る。それをなんども繰り返して、いくつもの大きな傷を作ろうとしている。

 一般的な少女の肉体で、たかが家庭の包丁で、人間の体を『意図的に大きく傷つける』のは案外難しい。料理をする時とて、大きめの肉は弾力があって切りにくいものだ。それと同じである。

 殺人と料理を同一にするな、と彼女ならば口にしただろう。

 

 

「嬉しいなぁ、私の為にそんなに泣いてくれるなんて。キミを傷つけるのは好ましくないが、私という存在がキミの忘れられない『傷』になるのも悪くはない。お互いに『傷』をつけた仲、というわけだね」

 

「ばか……あほ……」

 

「そんなに罪悪感と悲しみと喜びとでぐちゃぐちゃな『中身』で言われても、罵倒には聞こえないよ」

 

「うるさい……ばかだ……お前は、ばかったらばかなんだよ……」

 

 

 人間を切るために作られたわけではない、ひどく研がれている訳でもない包丁。それで切られる、刺される。そこには間違いなく痛みも熱も苦しみもあるべきだ。

 しかし、このマリスビリーという男は、名も無き彼女を支えるように声をかけ続けている。あまりにも優しく、それでいて強く燃える熱を宿した瞳で彼女を見つめ、隠す必要の無くなった『恋心』を丸見えにして語りかける。

 少しでも長く、彼女と話したいから。『最期』まで、彼女を感じていたいから。……それで、やっぱり少しだけ、彼女の苦痛を軽くしたいから。

 

 マリスビリーには『見えて』いる。

 眼前の大好きな少女が、自分に刃を突き立て切り裂く度に、彼女が生まれた時以上の苦しみを感じている心が。

 忘れられない『傷』になったら嬉しい、というのも、出来ることなら傷つけたくない、というのも本心。これも『恋心』の矛盾か、とクスクス笑い、泣き続けている彼女に手をのばした。

 

 

「そんなに泣いたら、目が腫れちゃうよ。また頭痛もするだろう。キミはどんな顔でも可愛いけれど、キミの思う『かわいい』はまた別だろう? いいのかな、私の記憶のキミが『泣き顔』で固定されるかも」

 

「マリスビリーの、せいなんだから……自業自得、だろ……」

 

「手厳しい、だがその通りだ。いまキミを泣かせているのは私に他ならない」

 

 

 切って、切って、切り続けて。彼女はマリスビリーの助言に従い、手足にも傷をつける。時間が経つに従って出血量は増えていき、彼の意識は少しずつ薄れ始める。

 『人間』の肉体として、当たり前の反応として。

 

 

「あぁ……ちょっとだけ、頭が、ぼうっとしてきた。もう少し、もう少し……頑張って」

 

「っう……うぅ……!」

 

「大丈夫、大丈夫、だよ……大好きなキミに、つけられているんだ、から。私にとっては、キスマークみたいなもの、さ」

 

「こんなっ……こんな、キスマークが、あるわけないだろっ……!」

 

「ははは、返せるなら、まだ大丈夫、だね。ほら、『お願い』だよ、ね?」

 

 

 そしてまた、泣きながら、切り続けて。

 殺したくないと、こんなことやっぱりしたくないと。やめたくて仕方ない。

 彼女が研ぎ澄ませていたはずの『殺さないといけない』理由のナイフはポッキリ折れていて、使い物にならない。だからこそ、今の彼女にとってのマリスビリーは、『殺したくない相手』に戻ってしまっていた。

 だと言うのに。とうの本人が『殺してほしい』と、『自分の恋心を守るために、恋した相手に殺してほしい』と言い出すものだから。彼女は握らされたモノで、マリスビリーを傷つけるしかなかった。

 

 そして、ついに。

 

 

「あ……と、は。心臓、を、刺して、くれ……骨が、ある……から……包丁、は……横にしたほうが、刺し……やす、い」

 

「…………」

 

 

 カラン、と。軽い金属音が転がって、彼女の手から包丁が落ちた。いつまでも涙は止まらなくて、むしろどんどん増えていくばかり。

 息も絶え絶えのマリスビリーが、言葉を口にする前に。彼女はマリスビリーへと顔を近づけた。星空を映していたマリスビリーの真白の瞳と、彼女の日本人らしい真っ黒な瞳が見つめ合う。それも一瞬のことで、彼女の瞳が瞼にて隠されたと思えば、開きかけていたマリスビリーの口に柔らかなものが触れた。

 近づいた顔の距離、柔らかい感触、直前に『見えた』もの。それらは簡単なひとつの答えを導き出して、彼は驚くこともせず、その柔らかいものの感触を、体温を覚えることに努める。

 ただ触れるだけだったそれは短時間で離れ、再び星空を背景にし涙に塗れた彼女の顔が、マリスビリーの視界に広がった。

 

 

「……好き、好きだよ、マリスビリー」

 

「あ、ぁ……私も、キミが……好き、だ」

 

「本当に、本当に……大好き、だよ。マリスビリー」

 

「私、も、大好き……だ」

 

「好きで、大好きで、恋してて……自分に、色彩(いろ)をくれた、世界一大切な人、だと……思ってる」

 

「そ、うだね……私、も……キミに色彩(いろ)を、見、た……『夢』を、叶え、たくない……と、願う、ほど……に」

 

 

 震える、唇。

 マリスビリーには『見えて』いる、彼女が今すぐにでも止めたいことを。「やめたい」と叫びたいことを。

 そう叫んで、マリスビリーとこんなおかしな『恋の証明』をやめて、マリスビリーを治療して、明日から『恋人』になって隣で歩いて、手を繋いで、楽しいことをもっと沢山したい。ずっと、そう考えている。

 

 それでも、彼女は『そう』しない。

 

 

「──さようなら、マリスビリー。自分に色彩(いろ)をくれた、運命。誰よりも何よりも、『あなた』に恋していました」

 

 

 落とした包丁を拾い上げて、マリスビリーの助言通り横向きに構える。

 涙が消えていないぐちゃぐちゃの、泣き腫らした顔で。それでも精一杯の笑顔を浮かべ、彼に告げる。

 

 

「あ、ぁ──さようなら、名も無き、キミ。私に、色彩(いろ)を、くれた……運命。誰より、も……何より、も……『キミ』に、恋していた」

 

 

 マリスビリーも、応えるように笑う。

 オウム返しと笑われるかもしれないような、だが真実としてそう思っている『恋』の言葉。彼らは互いの『恋』を噛み締めて、自分自身の『恋』の為に行動を決めた。

 

 ────包丁が、マリスビリーの胸に刺さる。

 

心臓を確実に切り裂けるように、肋骨の隙間を狙い何度も刺して、横に引いて。

 何も言わず、ピクリとも動かなくなったマリスビリー。それを見て、彼女は今度こそ包丁から手を離し、彼の胸に耳を当てた。

 無音。

 心臓の鼓動は、聞こえない。

 

 

「あ……あ……」

 

 

 多量の出血、数多の切り傷、致命傷、動かぬ心臓。

 魔術刻印によって、完全な死亡は直ぐに訪れないだろう。だが、『魔術師でもなければ治療するかも怪しい』ほどの状態で放置すれば、彼は完全に、彼の望んだ通りに、死ぬ。

 

 

「あぁ──ッ!!」

 

 

 人目もはばからず、否、誰もいなくなったからこその慟哭が響く。

 

 殺した。自分の手で。間違いなく。『殺してほしいと頼まれた』から、殺したのだ。

 『自分が嫌だから』というわがままな理由ではなく、『殺してほしいと頼まれた』から殺した。『キミがキミであって欲しいから』などと言う理由に、喜びを感じながら。

 許せない、自分自身が許せない。悲しみと怒りが彼女の中を埋めつくし、荒波のように暴れている。

 彼女は決して短くない間泣き続けて、涙が枯れ果てた頃にマリスビリーの横に寝っ転がった。体温が無くなっていくマリスビリーの身体に寄り添うように、マリスビリーの腕を枕にして、まるで恋人に甘えるように。

 

 

「お前さぁ……本当バカだよ。自分のこと好きな女の子相手に『キミが好きだからキミのままでいて欲しい』なんて、ただの殺し文句だ。あんなの聞いて、『好きな人』のお願い聞かないわけないじゃん」

 

 

 彼女はマリスビリーのうっすら空いていた瞳を撫で、瞼を下ろしてやる。

 仮にも殺されたというのに、マリスビリーの顔はあまりにも幸福に満ちた、あたたかな笑顔を浮かべたままだった。

 諦めのような、喜びのような、呆れのような笑み。それで彼女はマリスビリーを見つめて。

 

 

「──そんで、『好きな人のいない世界』に生きたいと思う『恋した乙女』がいると考えてるのも、さらにバカ」

 

 

 切り裂く。

 先程までマリスビリーに突き立てていた包丁が、彼女の首筋を切り裂く。それは頸動脈を確実に傷付けて、勢いよく鮮やかな動脈血が流れ、吹き出た。

 

 

「……これで、『自分』は『自分』のまま死ぬ。どう足掻いても変わりゃしない。どう転ぼうが、お前の心配も消える。本当に、バカなやつ。『未来で笑ってるのがキミじゃないキミなら無意味だ』なんて。あーあ、『お前がいないなら、そもそも自分は生きる意味ない』んだよ。『使命』なんて、差し引いても、さ。好きなんだから」

 

 

 ただの『一般人』の肉体である彼女は、マリスビリーほど頑丈ではない。そして、無理やり生かそうとする器官もない。

 太い動脈を傷付け、止血もせず放置する。

 それは、ただ死へ歩むだけの行為に他ならない。

 

 

「ま、行くならお互いに地獄でしょうよ。直ぐに会える、怒られるかもしれないけど」

 

 

 マリスビリーの身体に頭を預け、彼女は『然るべき時』を待つ。

 彼女の『最初の想定』とは別の、けれども間違いない『自分の命の終わり』を。目を閉じて、彼の生きた証を感じながら、ただただその時を、焦らず待つ。

 そんな彼女にも一つだけ、心残りはあった。彼女が生まれた原因にして、マリスビリーを引き合わせるきっかけともなった『誰か』。それに中指をたてて「ざまぁみろ」と言ってやりたかったが、正体もわからず何も分からず、知る暇もなかったため『考えるだけ無駄』ということだ。

 

 まぁ、彼女がそう『考えて』いるだけで、確かに届いているのだが、それは今の彼女が知るべくもなく、また『知ったところで』という話である。

 

 聞こえるのは自分の心臓の音だけ。残っていたマリスビリーの体温も、失われた血液のせいで簡単に消えていく。

 マリスビリーの願いを無視しているとも言える暴挙であるが、彼女に言わせれば『お互い様』だ。互いに自分の理由で相手を殺そうとしたり、はたまた殺されようとしたのだ。しかも、後半に至ってはマリスビリーが無理やりマリスビリーを殺害させた、と言っても過言ではない。

 だから、『お互い様』。お互い身勝手に、自分の『恋』で死ぬのだから。許さなくても良いが言われる筋合いはない。

 段々と薄れゆく意識の中で、彼女は最後にこう呟いた。

 

 

「──あなたがいる世界に、自分も生きてる……なんて、ね」

 

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