ゼンゼ、アイドルになる
ある日のこと。
重厚な扉の閉じる音が、
静まり返った玉座の間に響いた。
「……ゼーリエ様」
ゼンゼが一歩前に出る。
無表情のまま、
しかしどこか影を落とした声だった。
「大陸魔法協会の予算が壊滅的です……」
「……なぜだ」
椅子に深く腰掛けたまま、
長命の大魔法使い——ゼーリエがわずかに目を細める。
ゼンゼは手元の書類に視線を落とし、淡々と続けた。
「魔法使い試験でのダンジョン貸切、
施設維持費、研究費……」
一枚、紙をめくる。
「さらに、魔王討伐後の魔物被害の減少により、
魔法使いの需要が激減しています……」
わずかに間を置く。
「……現在、都市開発の主力は戦士や土木職人です。
育成コストの高い魔法使いは敬遠され始めています」
ゼンゼは小さく息を吐いた。
「ようするに、平和な時代の副作用かと……」
ゼーリエの目がわずかに険しくなる。
「……ふむ」
指を組み、ゆっくりと背もたれに体を預ける。
「……このままだと、どうなる」
短い問い。
ゼンゼは一瞬だけ視線を落とし、
すぐに答えた。
「……近い将来、大陸魔法協会の破産が懸念されます」
——沈黙。
ゼーリエは天井を見上げる。
(魔王討伐後の平和……)
(予想はしていたが、皮肉なものだな)
しばらくして、静かに口を開いた。
「……ふん、いいだろう」
「次の会議で対策を出させろ」
「……わかりました」
その日はそれで終わった。
⸻
翌日。
大陸魔法協会・会議室。
重鎮たちが並ぶ中、
ゼーリエは玉座のような椅子に座っている。
「案のある者はいるか?」
ゼーリエの一言に、わずかな沈黙が落ちる。
やがて、ゼンゼが控えめに手を挙げた。
「では、一案を……」
全員の視線が集まる。
「魔法を使える“アイドル”をプロデュースし、
商業活動をするというのはどうでしょうか」
ざわり、と会議室の空気が揺れる。
ゼンゼはそのまま続けた。
「歌、舞踏、演出に魔法を使用して……」
「興行として成立すれば、大きな収益になります」
少しだけ視線を逸らす。
「実は、最近アイドルのライブを観るのに
ハマっておりまして……」
恥ずかしそうに、もじもじと補足する。
端末を取り出し、動画を再生した。
会議室に、
アイドル達の楽しそうな歌声が響く。
——しばし、沈黙。
全員の視線が、
一気にゼーリエに集まる。
ゼーリエはゆっくりと口元を吊り上げた。
「……ほう」
目が、わずかに輝く。
「それは、面白いな」
重鎮たちがざわつく。
だが、ゼーリエはすぐに続けた。
「……だが、それは誰がやるのだ?」
その一言で、空気が止まる。
沈黙。
そして。
すっと動く視線。
全員が同時にゼンゼを見る。
「……?」
ゼンゼの眉が、
わずかに動いた。
重鎮の一人が口を開く。
「発案者が責任を持つべきかと」
「……えっ?」
ゼンゼが初めて表情を崩す。
額に汗が滲んだ。
ゼーリエは深く頷く。
「……うむ。確かに、理にかなっているな」
ゼンゼが慌てて割り込む。
「ま、待ってください——」
「ゼンゼ、却下だ」
即答だった。
ゼンゼがわかりやすく狼狽える。
「ま、まだ何も言ってません……」
「言う前からわかる」
ゼーリエは満足そうに椅子に座り直す。
「……よし」
「では決まりだ、ゼンゼ」
それは、
ゼンゼにとって死刑宣告に近かった。
「……はい……」
ゼンゼの目が虚ろになる。
もともと小さい声が、さらにか細くなった。
ゼーリエは一拍置く。
「……お前は今日から」
そして、楽しげに言い切る。
「魔法アイドルだ……!」
こうして——
大陸魔法協会を救うための、
史上最も不本意なアイドル活動が始まった。
⸻
数日後。
王都・ライブ特設会場。
豪華な魔法演出。浮遊するステージ。
光魔法による照明。空中を舞う光の花弁。
完璧なライブ空間だった。
——だが。
客席は、スカスカだった。
観客数は十三名。
そのうち七名は協会職員である。
「…………」
ステージ上で、ゼンゼは死んだ顔をしていた。
歌い、そして踊る。
楽曲は大陸魔法協会にて急遽作られたものだ。
どことなく、一昔前に流行ったような曲調。
練習期間は短い。
振り付けも、
ゼンゼが独自に考えたものだった。
どう見ても、やっつけである。
——それでも。
ゼンゼの身体能力と元々のセンスにより、
最低限の形にはなっていた。
しかし。
羞恥心を隠しきれず、遠慮がちに踊るその姿は、
アイドルとは程遠い。
会場には冷たい空気が流れ、
小さく手拍子が鳴るだけだった。
ゼンゼは必死に笑顔を作る。
非情な現実から目を背けるように。
一級魔法使いとしての意地とプライドだけが、
ステージの上の彼女を支えていた。
◇
終演後。
大陸魔法協会・会議室。
先ほどまでの華やかな光景が嘘のように、
室内は重苦しい静けさに包まれていた。
「こちらが、収支報告です……」
ゼンゼが死んだ目のまま、静かに書類を差し出す。
指先には、わずかに力が入っていない。
「……赤字です」
「まあ、当然だな」
即答したのは、ゼーリエだった。
あまりにも迷いのない返答だった。
ゼンゼは机に手をつく。
「私のせいで、さらに赤字が……」
声が震える。そのまま、力なく項垂れた。
責任を自覚している分、逃げ場はない。
だがゼーリエは腕を組んだまま、どこか楽しげに呟く。
「……発想は悪くない」
「……え?」
ゼンゼがゆっくりと顔を上げる。
理解が追いついていない表情だった。
ゼーリエは視線を向けたまま続ける。
「ゼンゼ自体も、キャラはともかく……ビジュアルは悪くない」
「キャ、キャラはともかく……?」
ゼンゼの眉がぴくりと動く。
今の状況でそこを突かれるとは思っていなかった。
「歌も踊りも、そこそこだ」
評価としては悪くない。
だが、それが逆に逃げ道を塞ぐ。
一拍。
「……だが、一人では弱い」
沈黙が落ちる。
その言葉は、事実としてあまりにも正しかった。
ゼーリエはゆっくりと椅子から立ち上がる。
その動作に、無駄な躊躇は一切ない。
「……私も、アイドルをやろう」
空気が止まる。
ゼンゼの思考も、同時に止まった。
「……しょ、正気ですか?」
ようやく絞り出した言葉だった。
ゼーリエは鼻で笑う。
「ふん、誰に向かって言っている」
腕を組み、堂々と言い放つ。
「私は“大魔法使いゼーリエ”だぞ」
その一言には、根拠のない自信と、
なぜか否定しづらい説得力があった。
「よし」
ゼーリエは満足そうに頷く。
「今度は、勝ちにいくぞ……」
その“勝ち”の定義が、誰にも共有されていないまま。
ゼンゼの顔が、ゆっくりと青ざめていく。
(ま、また……)
(あの地獄を……?)
現実が、じわじわと追いついてくる。
こうして——
世界最強の魔法使いによる、
史上最悪のアイドルユニットが誕生することになった。
そしてこの時は、まだ誰も知らない。
この“火種”が、
後に大陸を揺るがす存在になることを。
◇
大陸魔法協会・会議室。
「……そんな予算はありませんな」
低く言い放ったのは、予算委員長だった。
その声には、遠慮も忖度もなかった。
「貴様……」
ゼーリエの額に青筋が浮かぶ。
「誰が大陸魔法協会のトップか、
わかっているのか……?」
圧をかけるような声音。
だが委員長は、まるで意に介さない。
「ええ、もちろん理解しておりますとも」
淡々と答え、書類を机に置く。
音だけが、やけに響いた。
「……ですが」
一拍。
「一度目のゼンゼのライブで、
ある程度の成果が出ていれば話は別でした」
言葉は穏やかだが、内容は容赦がない。
「しかし、結果は——」
ほんの一瞬の間。
「……観客十三名」
「そのうち七名が協会職員」
現実が、数字として突きつけられる。
「……」
ゼンゼが顔を伏せる。
否定の余地はなかった。
委員長は続ける。
「ご理解ください、ゼーリエ様」
「これ以上の予算は出せません」
完全な拒絶だった。
沈黙が落ちる。
空気が、静かに冷えていく。
「ゼーリエ様……」
ゼンゼが小さく言う。
「これはもう……諦めるしか……」
ほんのわずかに、安堵が混じっていた。
ここで終わるなら、それでいいと。
だが——
「ふん、何を言っている」
ゼーリエが立ち上がる。
迷いはない。
「諦めるのはまだ早いぞ」
「……えっ?」
ゼンゼが顔を上げる。
嫌な予感だけが、先に来る。
ゼーリエはゆっくりと窓の方へ歩き、
王都の街並みを見下ろした。
人の流れ。
活気ある通り。
商人の声。
それらすべてを一瞥し、
ゼーリエは呟く。
「……路上ライブだ」
空気が凍る。
その発想に、ためらいは一切なかった。
ゼンゼの顔が、一瞬で青ざめる。
「……正気ですか」
ゼーリエは振り返る。
「うむ、当然だ」
腕を組み、堂々と宣言する。
「……観客が来ないのなら」
一拍。
「こちらから行けばよい」
理屈としては、間違っていない。
だからこそ、止められない。
ゼンゼの目が、完全に死んだ。
こうして——
ゼンゼと最強の大魔法使いによる、
無駄に偉大な路上ライブが開始されることになった。
◇
夕方。
王都の、とある路上。
人通りが増え始めた通りの片隅で、ゼーリエが歌っていた。
一生懸命に。
場違いなほど真剣に。
その横で、ゼンゼが踊っている。
動きは控えめだが、相変わらずキレがある。
だからこそ余計に、状況とのズレが際立っていた。
だが。
往来する人々は——
決して彼女たちに目を合わせない。
ちらり、と見る者はいる。
しかし。
次の瞬間、何事もなかったかのように視線を逸らす。
関わってはいけないものを見る目だった。
「……」
「……」
曲が終わる。
拍手は、ない。
二人は同時に空を見上げた。
沈黙だけが残る。
「……何故だ」
ゼーリエが呟く。
本気で理解していない声音だった。
「なぜ、誰も立ち止まらん」
ゼンゼは少しだけ視線を落とし、
静かに言う。
「ゼーリエ様……」
「これ以上は、流石に……」
それは提案というより、
懇願に近かった。
だが——
ゼーリエは首を横に振る。
「いや」
短く、迷いなく。
「まだだ……」
「まだ、私たちは戦える」
根拠はない。
だが、本人だけは本気だった。
そして。
「……続けるぞ、ゼンゼ」
ゼンゼの目に、じわりと涙が溜まる。
だがその涙は——
ゼーリエには決して届かない。
再び、曲が流れ始める。
……。
ゼーリエの歌は、
決して下手ではない。
むしろ上手い。
声量もある。音程も外さない。
歌唱力だけでいえば、
有象無象のアイドル達より上だろう。
しかし。
問題は、そこではなかった。
大陸魔法協会のオリジナル曲を——
知っている人間は、誰一人いない。
知らない曲。
知らないグループ。
知らない企画。
立ち止まる理由が、ない。
そして何より——
“路上で突然始まった魔法アイドル”という情報量が、多すぎた。
彼女たちは、その事実に気づかない。
それでも。
ゼーリエは歌い続ける。
それは執念に近かった。
……
そして。
足掻くこと、三十分。
ついに。
立ち止まる人物が現れた。
「……」
驚いた顔で、こちらを凝視している。
白い衣装。
二つに結んだ白い髪。
長い耳。
見慣れた姿だった。
「え……」
「ゼーリエ、こんなとこで何やってんの……」
ゼーリエが目を細める。
「……フリーレンか」
一瞬で、空気の質が変わる。
フリーレンは、二人と“ステージ(ただの地面)”を交互に見た。
「……」
理解が追いついていない。
ゼーリエが、当然のように言う。
「……路上ライブだ」
フリーレンが、ほんの僅かに息を呑む。
数秒の沈黙。
「そ、そうなんだ」
「じゃあ頑張ってね……」
関わりたくない。
その意思が、言葉の端々から滲んでいた。
踵を返す。
——その瞬間。
「待て、フリーレン」
ぴたりと足が止まる。
「……え、なに?」
振り返った顔に、警戒が浮かぶ。
嫌な予感しかしない。
ゼーリエは迷いなく言った。
「よし、お前もアイドルになれ」
「絶対に嫌だ」
即答だった。
間すらなかった。
ゼーリエがわずかに動揺する。
「な、なぜだ……」
本気で分かっていない顔だった。
フリーレンは呆れたようにため息をつく。
「……いちいち言わないとわからない?」
声が冷たい。
正論だった。
横で、ゼンゼは遠い目をしていた。
(早く、終わらないかなぁ……)
思考が、半分ほど現実から逃げている。
背後では——
大陸魔法協会オリジナル曲が、
むなしくビートを刻み続けていた。
その時。
ゼーリエが、ふと思い出したように口を開く。
「……よし」
「魔法研究費を出そう」
フリーレンの耳が、ぴくりと動いた。
分かりやすい反応だった。
「……どれくらい?」
現実的な問い。
ゼーリエは腕を組む。
「ふん……」
一拍。
「成功すれば潤沢だ」
さらに畳み掛ける。
「それと……」
「私の所持している魔導書もくれてやる」
フリーレンが大きく息を吐く。
迷っている。
ほんの少しだけ。
そして。
「……短期間なら」
ゼーリエが満足げに頷く。
「よし……」
「交渉成立だな」
話は終わった。
一方的に。
その横で——
ゼンゼの顔が、静かに青ざめていた。
(え……)
(これ、まだ終わらないの……?)
現実が、また一段階悪化する。
ゼンゼの苦悩は、
まだ始まったばかりだった。