大陸魔法協会・事務所
アーク・アルカナの打ち合わせ会議。
長机の前に、ゼンゼとフェルンが並んで立っていた。
いつもの空気より、ほんの少しだけ真面目な雰囲気。
ユーベルが腕を組みながら言う。
「……なにその感じ」
「なんかあったの?」
フェルンが頷く。
「はい」
ゼンゼが資料を一枚、机に置いた。
紙の音が静かに広がる。
「……フリーレン」
ゼンゼに名前を呼ばれ、フリーレンは顔を上げた。
「ん?」
ゼンゼが淡々と続ける。
「歌手として、ソロのオファーが来たよ」
一瞬。
空気が止まる。
ユーベルが目を丸くする。
「え?」
フェルンも小さく頷く。
「フリーレン様名義でのソロ活動です」
ゼーリエは腕を組んだままフリーレンを見ていた。
フリーレンは少しだけ首を傾げ、自らに指を向ける。
「私が?」
ゼーリエが即答する。
「よし、受けろ」
あまりにも迷いのない声。
フリーレンが苦笑する。
「早いね……」
ゼーリエは腕を組んだまま言う。
「断る理由がない」
ユーベルも笑う。
「良いじゃん受けなよ」
「普通にすごい話じゃん」
フェルンも冷静に続ける。
「知名度向上のためにも受けるべきです」
「グループの価値も上がります」
ゼンゼは小さく頷いた。
静かな同意。
フリーレンは机に肘をつきながら、少し考える。
「うーん……ソロかぁ」
その時、ゼンゼが資料をもう一枚めくった。
「……ちなみに」
全員の視線が集まる。
「作詞作曲の担当ですが」
一拍置く。
「……“ヨネヅレモン”だそうです」
沈黙。
部屋の空気が微妙に変わる。
ユーベルが視線を泳がせる。
フェルンが小さく咳払いする。
ゼーリエは天井を見上げた。
「……あいつか」
遠い目。
少し前の出来事を思い出している顔だった。
ユーベルが苦笑いする。
「ま、まあでもさ」
肩をすくめる。
「あの人、才能は本物じゃん……」
ゼーリエが小さく息を吐く。
「まあ、それはそうだが……」
納得しているような、していないような声。
フェルンが資料を閉じる。
「では、」
「早速アポイントを取って打ち合わせしましょう」
だがその言葉に、ゼンゼが小さく首を振った。
「……それなんだけど」
一同が見る。
ゼンゼは淡々と言った。
「実は」
「もう曲が」
一拍。
「……既に、できているらしい」
沈黙。
ユーベルが吹き出す。
「仕事早すぎない?」
ゼーリエが腕を組み直す。
「……用意周到な男だな」
フリーレンは苦笑した。
「私が断ったらどうしてたんだろう……」
ユーベルが笑いながら言う。
「断る前提じゃないんじゃない?」
ゼーリエが短く言う。
「なんか……怖いな」
珍しく弱気。
だが、そんなゼーリエの様子に誰も驚かない。
フリーレンは小さくため息をついた。
そして少し笑う。
「……まあ」
「会ってみるか」
その言葉に、フェルンが頷いた。
「では、早速レコーディングの日程を調整します」
ゼンゼが静かに資料をまとめる。
アーク・アルカナの新しい仕事が、また一つ動き始めていた。
⸻
三日後。
王都・レコーディングスタジオ
ガラス張りのロビーには、まだ朝の静けさが残っていた。
廊下の奥の打ち合わせ室に入ると、既に一人の男が座っている。
長い前髪。
少し猫背。
どこか陰気な空気。
——ヨネヅ・レモンだった。
フリーレンは扉を閉めながら、軽く手を上げる。
「久しぶり〜」
ヨネヅはゆっくり顔を上げた。
「……久しぶりです」
相変わらずの低い声。
部屋の空気まで少し暗くなるような雰囲気だった。
フリーレンは椅子に座りながら笑う。
「前はさ、ゼーリエが失礼なこと言ってごめんね」
以前、アーク・アルカナが楽曲提供を受けた時のことを思い出す。
ヨネヅは少しだけ首を傾げた。
「いえ……」
「僕は、あれくらいストレートな人の方が絡みやすくて楽です」
フリーレンの動きが一瞬止まる。
「そ、そうなんだ」
少し引きつった笑顔。
(こいつも相当変わってるな……)
内心でそう思いながら、コーヒーに口をつける。
ヨネヅはノートPCを開いた。
「……じゃあ」
「早速、打ち合わせに入りましょうか」
淡々とした声。
フリーレンは頷いた。
「うん」
ヨネヅが資料を一枚差し出す。
そこには曲名が書かれていた。
フリーレンが読む。
「……“ピーマン”?」
沈黙。
ヨネヅは普通の顔をしている。
フリーレンはぎこちなく笑った。
「か、変わったタイトルだね」
「まあ……そうですね」
ヨネヅは少しだけ目を伏せた。
「でも、意味はあります」
「……聴いてもらえればわかると思います」
そう言って、PCを操作する。
「デモです……」
ヘッドホンを差し出す。
フリーレンはそれを受け取った。
再生。
——イントロが流れる。
ドラム単体のリズムを刻む音。
静かなピアノ。
そこにギターやベースの音が重なっていくが、
五月蠅さはない。
透明なコード進行。
少し懐かしくて切ない記憶を思い出させる音の広がり。
しかし、どこかポップでキャッチーなメロディー。
フリーレンの目が少しだけ開いた。
(……あ)
サビ前。
音が一度落ちる。
そして——
一気に広がるメロディ。
胸を掴むような旋律。
思わず息を止める。
(これ……)
曲が終わる。
フリーレンはゆっくりヘッドホンを外した。
目の前の男を見る。
ヨネヅ・レモンは、相変わらず静かに座っていた。
「……どうですか」
フリーレンは少しだけ笑った。
「……驚いたよ」
正直な声。
そして心の中で思う。
(ヨネヅ・レモン……)
(やっぱりこの男の実力は本物だ……)
……タイトルは変だけど。
それでも。
アーク・アルカナの代表曲になった、あの時と同じだ。
この男の作るメロディには、
人の心を一瞬で掴む何かがある。
フリーレンは椅子にもたれた。
「なるほどね」
「ピーマンか……」
少しだけ笑う。
「面白い曲作るじゃん」
ヨネヅは静かに答えた。
「……ありがとうございます」
彼の表情に変化はない。
窓の外では、王都の朝が少しずつ動き始めていた。
◇
フリーレンは椅子にもたれながら言う。
「でも、私にソロ曲っていうのがまだピンと来ないんだよね〜」
「アーク・アルカナで歌うのと、何か違うの?」
ヨネヅは少しだけ考え、言葉を選ぶ。
「……雰囲気の話になりますが」
「今回の曲は、極力フリーレンさんのオリジナル性を優先したいと思っています」
フリーレンは静かに聞いている。
「その上で」
ヨネヅは続けた。
「ソロということを意識して」
「いつもより主張して……本気で歌ってほしいです」
フリーレンが、きょとんとした顔になる。
「……?」
首を傾げる。
「私……別にグループの時手を抜いてないよ?」
純粋な疑問の声。
ヨネヅが一瞬だけ目を伏せる。
「……言い方が悪かったですね」
小さく息を吐く。
そして顔を上げた。
「ただ」
言葉を続ける。
「フリーレンさんの歌唱力は」
「自分から聴いても……異常に高いです」
フリーレンの表情が少しだけ固まる。
ヨネヅは淡々と続ける。
「ある程度のボーカリストとは会ってきました」
「プロも、アマチュアも」
「ですが」
一拍。
「……これほどの歌唱力を持った人間は、滅多にいません」
部屋の空気が少しだけ変わる。
ヨネヅは視線を落としながら続ける。
「ただ……」
「グループで歌っていることで」
「フリーレンさんは無意識に気遣っている」
フリーレンは何も言わない。
「周りに合わせている」
「声量も」
「表現も」
一拍。
フリーレンの息を呑む音が部屋に響く。
「……全部」
静かな声で言い切るヨネヅ。
そのまま続けていく。
「そのせいで」
「フリーレンさんは、実力ほど評価を受けていない」
ヨネヅはそこで一度言葉を区切る。
「もちろん」
「既に歌唱力が評価されているのは知っています」
「……ですが」
少しだけ顔を上げた。
「もっと評価されている方が、むしろ自然です」
真っ直ぐな声。
「だから」
「今回、フリーレンさんにオファーを出しました」
沈黙。
フリーレンは何も言えなかった。
ただ、目の前の男を見る。
普段はどこか陰気で、感情が薄い男。
その声だけは、今少しだけ熱を帯びていた。
フリーレンは視線を落とす。
少しだけ考える。
そして、ゆっくり笑った。
「……そっか」
椅子に座り直す。
「わかった」
ヨネヅを見る。
「……じゃあ、今回は」
肩をすくめた。
「私が“主役”だって意識で歌うよ」
ヨネヅは静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
フリーレンは窓の外を見る。
王都の街が広がっていた。
「……ソロかぁ」
小さく呟く。
少しだけ楽しそうな声だった。
◇
少しの沈黙のあと、
フリーレンがふと思い出したように口を開いた。
「そういえばさ」
ヨネヅを見る。
「ヨネヅ・レモン……だっけ」
首を傾げる。
「なんて呼んだらいい?」
沈黙。
ヨネヅが固まった。
フリーレンが瞬きをする。
(あれ)
(なんかまずいこと言ったかな)
ヨネヅは目を伏せたまま、しばらく黙っている。
数秒。
そして、口が小さく動いた。
「……ヨネチャン……」
フリーレンが聞き返す。
「……ん?」
「なんて言った?」
ヨネヅは少しだけ顔を上げた。
そして、もう一度言う。
「……ヨネチャァン……」
さらに続けた。
「ヨネチャァンって、呼んでください……」
その瞬間。
口元がゆっくり歪む。
普段ほとんど笑わないせいか、ぎこちない。
ニチャァ。
どこか不気味な笑顔。
フリーレンが目を丸くして、黙る。
(……)
(この人……表情筋が死んでる……)
心の中でそう思う。
決して口には出さない。
数秒の沈黙。
フリーレンは軽く咳払いをする。
「じゃ、じゃあ……」
少し視線を逸らしながら言う。
「そろそろレコーディング、入る?」
ヨネヅは静かに頷いた。
「はい……」
◇
レコーディングブース
マイクの前に立つフリーレン。
ガラスの向こうにはヨネヅとスタッフ。
「じゃあ一回通してみます」
スタッフの声。
曲のイントロが流れる。
ピアノ。
そして、フリーレンが歌い始める。
透明な声。
柔らかいのに、芯がある。
サビ。
声が一段広がる。
ヨネヅは無言で聴いていた。
曲が終わる。
ブースの中でフリーレンがヘッドホンを外す。
「……どう?」
少しして。
スタッフが言う。
「……OKです」
フリーレンが目を丸くする。
「え?」
ブースのドアを開けて出てくる。
「これで良いの?」
きょとんとした顔。
ヨネヅは頷いた。
「はい……」
少し間を置いて続ける。
「想像以上に良かったです」
そして小さく言う。
「やっぱりフリーレンさんはすごい……」
相変わらず表情はほとんど動かない。
だけど声は、どこか嬉しそうだった。
フリーレンは肩をすくめる。
「そんなもん?」
ヨネヅは静かに言う。
「そんなもんです」
そして小さく呟いた。
「……フリーレンさんは、天才ですから」
フリーレンはそれを聞き流しながら、マイクの方を振り返った。
「ソロか……」
少しだけ笑う。
「案外、楽しいかもね」
◇
レコーディングが終わり、機材の片付けが始まっていた。
フリーレンはストレッチをしながら肩を回す。
「にしても……思ったよりあっさり終わったね」
ヨネヅはノートPCを閉じながら言った。
「素材が良いので……」
相変わらず静かな声。
少し間を置いて続ける。
「また……是非組みましょう」
フリーレンは少しだけ困ったように笑う。
「うーん……」
肩をすくめた。
「アーク・アルカナにお願い」
ヨネヅが小さく頷く。
「……それでも構いません」
フリーレンは軽く手を振る。
「じゃ、またね」
スタジオを出て、廊下を進んでいく。
そこで、フリーレンは内心で思う。
(……あ)
(そういえば)
さっきの曲名。
「ピーマン」
フリーレンは立ち止まり、振り返る。
「なんでピーマンなんだろ……」
少し考える。
数秒後。
「……まあいっか」
深く考えるのをやめた。
いちいち聞くと、たぶん疲れる。