ゼンゼにとって、今日は久しぶりの休日だった。
大箱ライブの直前に倒れ、入院して以来のまともな休み。
——しかし、
休んでいられなかった。
ゼーリエには何度も言われている。
「休め」
と。
だが。
やることはいくらでもあった。
アーク・アルカナのメンバーのスケジュール調整。
SNSの運用。
ライブ業者との打ち合わせ。
イベント会議。
挙げれば、きりがない。
そのほとんどを、ゼンゼが回している。
だから今日も——
ゼンゼは仕事部屋にいた。
◇
そこは元々、大陸魔法協会がゼンゼに与えた仕事部屋だった。
だが今は、様子が少し違う。
部屋の隅にはパソコン。
壁にはライブ衣装。
机の上には、グッズの試作品。
資料と書類が積み上がっている。
奥には簡易的な寝具。
ゼンゼが帰れない夜のためのもの。
最近は、ずっと引きっぱなしだった。
ここはもう、個人の仕事部屋ではない。
アーク・アルカナの事務所。
そんな場所になっていた。
カタカタ。
キーボードの音が部屋に響く。
ゼンゼはパソコンを見つめながら、メールを打っていた。
ライブ業者の担当者とのやり取りだ。
その時。
扉が開いた。
ゼンゼは顔を上げる。
そして。
目を丸くした。
「……ゼーリエ様?」
立っていたのは、ゼーリエだった。
珍しい。
ゼーリエが自ら玉座の間を出ることはほとんどない。
レッスンでも会議でもないのに、ここへ来るなど——
なおさらだ。
ゼーリエは部屋を見渡す。
机の書類。
開きっぱなしのパソコン。
そして。
ゼンゼの顔。
目の下には、はっきりと隈があった。
それを見て、ゼーリエが大きな溜め息をついた。
「……はぁ」
少し間が空く。
「……ゼンゼ」
「いい加減、休め……」
ゼンゼは苦笑する。
「ありがとうございます……」
そう言いながらも、手は止まらない。
キーボードを打ちながら答える。
「休んでいます……」
ゼーリエの眉が動いた。
「嘘をつくな」
低い声。
ようやく、ゼンゼの手が止まる。
ゼーリエは腕を組む。
「一度、お前は倒れている」
「……それを自覚しろ」
部屋が静かになる。
ゼーリエは続けた。
「お前に倒れられて困るのは」
「私たちだけではない……」
一拍。
「ファンもだ」
ゼンゼは少し目を伏せる。
ゼーリエは言い切った。
「応援してくれる者たちを、裏切るな」
ゼーリエがさらに言う。
「休むことも仕事だ」
「いい加減、覚えろ」
ゼンゼはしばらく黙っていた。
だが。
やがて、静かに口を開く。
「……ですが」
ゼーリエを見る。
「私が休めば……」
一度、言葉を選ぶ。
「……誰がこの仕事をするのでしょうか」
ゼーリエは何も言わない。
ゼンゼは気まずそうに続けた。
「……お言葉ですが、」
「業務は、溜まっていく一方です」
「既にフェルンと分担していますが……」
少し言いづらそうに目を伏せる。
「私抜きで、この業務量を捌き切るのは難しいかと……」
部屋が静かになる。
やがて、キーボードを打つ音がまた部屋に響き始める。
それが、事実だった。
ユーベルは、芸能活動が多い。
そのため、マネージャー業務は外部に委託している。
だが——
アーク・アルカナは、事務所に所属していない。
“大陸魔法協会”直下の独立したアイドルだ。
その分、生き残るには多くの仕事が必要になる。
そして。
その大半を回しているのが、ゼンゼだった。
表舞台。
そして。
裏舞台。
その両方を支えている。
さらに。
ゼーリエの、大陸魔法協会での業務。
そのスケジュール管理まで含めれば——
外部マネージャーと連携するのは、現実的ではなかった。
だから。
結局、ゼンゼが背負う形になっていた。
ゼーリエはしばらく黙っていた。
そして、言う。
「……それも含めて」
一度、息を吐く。
「一度、皆で考える」
ゼンゼが顔を上げる。
ゼーリエは続けた。
「とにかく……」
「休め」
低い声。
だが、どこか柔らかい。
「今までお前に任せきりにしていて」
「言えた身分ではないが」
一拍。
「お前ばかりに押し付けるのは」
「もういい加減、辛抱ならん……」
ゼンゼは黙ったままだった。
そして。
ゆっくり頷く。
「……わかりました」
小さく息を吐く。
「では、」
「今日だけは、ちゃんと休みます……」
椅子から立ち上がる。
足取りは、少しふらついていた。
ゼンゼはそのまま部屋を出ていく。
家路へ向かう背中を見送りながら——
ゼーリエは小さく呟いた。
「……魔力切れで」
少し目を細める。
「転移魔法すら使えんのか……」
その表情には。
わずかに、申し訳なさが滲んでいた。
◇
ゼンゼが家に着いたのは、日も落ちた頃だった。
静かな部屋。
久しぶりの、自宅。
ゼンゼは靴を脱ぎながら小さく息を吐く。
「……休み」
ぽつりと呟く。
「ゼーリエ様に、休めと言われたけど……」
部屋の中央で立ち止まる。
そして、考える。
「休む……とは」
しばらく沈黙。
腕を組む。
「……何をすればいいのか」
真面目に悩む。
とりあえず。
「……寝るか」
そう呟いてベッドを見る。
だが。
横になろうとした瞬間——
頭に浮かぶ。
仕事。
「……ゼーリエ様」
スマホを見る。
「……SNSで変なことを言っていないかな」
次。
「……急に配信して炎上していないかな」
さらに。
他のメンバーたちのことも浮かぶ。
「……ユーベルは撮影現場で何かやらかしていないかな」
「……フリーレンは仕事サボったりしてないかな」
「……フェルンは過労になっていないかな」
次から次へと浮かぶ。
——止まらない。
ゼンゼは頭を抱えた。
「……だめだ、落ち着かない」
ベッドの端に座る。
考える。
しばらくして。
ふと、顔を上げた。
「……そうか」
ぽつりと言う。
「自分一人だからダメなんだ……」
立ち上がる。
「誰にも見られていないから、落ち着かない」
少し考える。
そして。
結論に至る。
「……敢えて」
「人に見られる状況を作ればいい」
一拍。
ゼンゼは頷いた。
「……よし」
スマホを持つ。
「配信をしよう」
名案だ、とばかりの顔。
だが。
ゼンゼは気づいていない。
かなり疲れていることに。
そして。
その発想が、しっかりとズレていることにも。
いま、もっとも“危険”な配信開始ボタンが、
ゆっくりとゼンゼの手によって押された。
◇
配信が始まった。
初めての、ゼンゼ一人の配信。
アカウントは昔作ったもの。
SNS運用を始めた時に作成したまま、ほとんど触っていなかった。
それでも。
配信が始まると、少しずつ人が集まる。
同時接続。
3000。
3500。
4000。
伸びる気配はない。
だが——減りもしない。
集まっているのは。
かなり濃いファンばかりだった。
ゼンゼが口を開く。
「……ゼンゼです」
それだけ言う。
それから。
何もしない。
画面の前で、ぼーっとしている。
コメント欄:
“なにこれ”
“ゼンゼが見れて幸せ”
“喋らなくてもいいからずっとつけてて”
“生まれてきてくれてありがとう”
“今わかった。この配信を見るために生まれてきたんだ、俺”
コメントはどんどん流れる。
だが。
ゼンゼは、ただ画面を見つめているだけだった。
ぼーっと。
同接は、ほとんど変わらない。
増えない。
減らない。
異常な安定。
二時間が経った。
ゼンゼの目が、少しずつ閉じていく。
うとうと。
コメント欄:
“うとうとしてるの可愛い”
“何の配信かわからないけど、可愛いことだけはわかる”
“俺、二時間画面と向き合ってる。家のこと何もできない”
“あーまじで結婚してほしい”
“↑●ね”
“↑↑新規か?肩の力抜けよ”
“↑↑↑それを言ったら戦争だろうが”
コメント欄は白熱している。
だが。
ゼンゼは気づかない。
そのまま。
ゆっくり。
眠りに落ちた。
座ったまま。
すぅ、と。
同接。
4100。
減らない。
むしろ、少しずつ増えていた。
◇
十時間後。
朝。
ゼンゼの目が開く。
「……ん」
周囲を見回す。
そして。
気づく。
「……あ」
「配信をつけたまま寝てしまっていた……」
そして、
ボヤけた目を擦りながら、
配信画面を確認する。
同接、
5000。
(!?)
(増えてる……)
そして、その下のコメント欄に恐る恐る目を向ける。
コメント欄:
“あ、起きた”
“おはよう、天使さん”
“寝てても可愛いし、起きてても可愛いって何なんだよ”
“生まれてきてくれてありがとう”
“俺、12時間くらいパソコン見てた。これから討伐の仕事行ってくる”
“↑兄弟。でも不思議と身体軽いだろ?”
“↑ああ。配信見る前より軽いよ”
“↑きめぇ”
“やばい奴しかいなくて安心する”
ゼンゼは、しばらく画面を見つめた。
コメントは。
ほぼ寝る前と同じメンバー……。
「……」
ゼンゼは、かなり引いた。
だが。
そのまま。
小さく笑う。
無表情のまま。
ほんの少しだけ。
口元が緩む。
そして小さな声で言う。
「……皆さん、身体には」
「気をつけてくださいね」
少し間。
「……私も気をつけます」
最後にボソリと呟くように言って、
配信を切った。
その日。
【身体には気をつけてくださいね】
【私も気をつけます】
がトレンド入り。
アークアルカナの希少種、ゼンゼ。
彼女はファンを大事にしている。
たとえ、12時間
無言でも。
——そういうことに、
ファンたちはしている。
彼女のファンたちは、
目をギンギンにしながら
無理やり瞼を持ち上げ、
それぞれ学校や職場へ向かっていく。
だが。
表情は、どこか明るかった。
◇
一方
その頃。
フリーレンとシュタルクは、魔族討伐へ向かっていた。
戦士であるシュタルクは、今の時代では魔法使いよりも需要が高い。
そのため、忙しい日々を送っている。
だが。
「……シュタルク、なんか眠そうだね」
目の下に大きな隈。
明らかに寝不足だった。
「大丈夫?」
シュタルクは、少し遅れて反応する。
「……ん? ああ……」
ぼーっとした顔のまま答える。
「配信見てたからさ……」
フリーレンが少し驚く。
「へえ。配信なんて普段
私たちの以外見ないのに」
「珍しいね」
「そんなに遅くまで見てたの?」
「誰?」
すると。
シュタルクの目が急に輝いた。
「……ゼンゼ様だよ!!」
「昨日、珍しく一人でやってらしたんだ……」
一拍。
「それをさっきまで見てた!!」
「十二時間!!」
「ぶっ通しで画面に張り付いてた!!」
フリーレンの顔から血の気がひいている。
「きもいって思ってんだろ……!?」
「コメント欄でも“きもい”って煽られたよ!!」
「“●ね”とも言われたさ!!」
フリーレンは、完全に引いていた。
シュタルクは続ける。
「……それでも俺は」
少し間。
「幸せだった」
「今も……幸せなんだ」
シュタルクは、どこか遠くを見つめていた。
先ほどまでの眠たそうな目は、
もうどこにもなかった。
フリーレンは思う。
(こいつ昨日の討伐で、かなり疲れてなかったっけ……)
(……まあいいか)
一瞬、空を見上げる。
(考えるのはやめよう)
「そ、そうなんだ……」
フリーレンがぎこちなく笑う。
シュタルクは大きく息を吸った。
すると次の瞬間、走り出した。
「最高だあああああ!!」
「早く行こうぜフリーレン!!」
「俺は“無敵”だああああああ!!」
深夜テンションのまま走っていく。
それを見送りながら。
フリーレンが小さく呟いた。
「……きもいなぁ」
驚くほど冷たい目で。
だが、その声も表情も
“今”の戦士シュタルクには決して届かなかった。