ゼーリエ、アイドルになる。   作:ジュウヨン

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メトーデ、有能すぎる

 

大陸魔法協会、会議室。

 

テーブルの上には資料が整然と並べられ、

その中心にメトーデが静かに立っていた。

 

いつもの柔らかな口調ではあるが、

その動きには迷いがない。

 

「まずは……皆さんの仕事の割り振りを調整しました」

 

そう言いながら、手元の資料に目を落とす。

 

「ゼーリエ様は、

しばらく大陸魔法協会の業務が中心です……」

 

「もう少し落ち着けば、

アイドルやメディアの仕事も入れていきます……」

 

ゼーリエは腕を組み、静かに頷いた。

 

「うむ、わかった」

 

ゼーリエの返事に、メトーデが微笑みを浮かべ、

続けていく。

 

「次に、ユーベルさんのマネージャーは

外部委託のまま据え置きで、

ひとまず連携は完了しています……」

 

ユーベルは椅子の背にもたれながら、

軽く手を振った。

 

「オッケー。マネージャーからも聞いてるよー」

 

「ありがとうございます……」

 

小さく頷き、メトーデは次の項目へ移る。

 

「フリーレンさんは、以前のヨネヅさんとの件で

歌番組からのオファーや地方営業の依頼が来ています」

 

「しばらくは、それ中心になります……」

 

「はーい、わかったよー」

 

フリーレンはいつも通り気の抜けた返事をする。

 

メトーデは全員を一度見渡し、少しだけ間を置いた。

 

「ゼーリエ様、ユーベルさん、フリーレンさんについては、

これまでと基本は変わりません……」

 

だが、そこで視線がゆっくりと移る。

 

フェルンと、ゼンゼへ。

 

「ですが……」

 

二人は自然と姿勢を正した。

 

「これまで二人が担当されていた管理業務については、

私が引き継ぎましたので……」

 

「これからは、もっと別の仕事を増やしていきましょう」

 

静かな声だったが、その言葉には確かな決意が込められていた。

 

「先方とのやりとりを行い、これから調整していきます。

決まり次第、またお伝えします……」

 

「……わかった」

 

短く答えるゼンゼ。

 

フェルンは椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

その様子を見て、メトーデは少しだけ目を伏せる。

 

「お二人のこれまでの頑張りのおかげで、

“アーク・アルカナ”は回ってきました……」

 

そして、静かに頭を下げた。

 

「マネージャーとしても……

ファンとしても、感謝いたします」

 

深く、深く。

 

予想外の行動に、フェルンが慌てる。

 

「そ、そんな……やめてください」

 

オドオドと手を振るフェルン。

 

しかし、ゼンゼは何も言わなかった。

 

ただ、静かに視線を落としていた。

 

(“頑張り”、か……)

 

頭の中で、言葉が反芻される。

 

(私はある程度、裏方に徹してきたけど……)

 

(本当に、頑張っていたのだろうか)

 

胸の奥で、小さな疑問が浮かぶ。

 

(ただ……目の前のことに必死だっただけだ)

 

ライブの準備。

レッスンの調整。

配信の管理。

 

いつの間にか、すべてが日常になっていた。

 

(そもそも……)

 

ふと、自嘲気味に思う。

 

(表舞台よりも、裏方の方が適性はあったんだろう)

 

その方が、気楽だった。

その方が、自分には向いていると思っていた。

 

だからこそ。

 

(これから……)

 

ふと、視線を上げる。

 

メトーデが、次の資料を確認している。

 

(私は……何をすればいいんだ……)

 

会議室の静かな空気の中で、

ゼンゼだけが少しだけ立ち止まっていた。

 

 

大陸魔法協会

アーク・アルカナ 事務室。

 

いつもなら資料や連絡に追われている部屋だったが、

その日は妙に静かだった。

 

机に並んだパソコンの画面を見ながら、

フェルンとゼンゼはそれぞれキーボードを叩いている。

 

しかし——

 

やることは、ほとんど残っていなかった。

 

「……私たち、突然やることがなくなりましたね」

 

ぽつりと、フェルンが呟く。

 

「……そうだね」

 

ゼンゼも画面から目を離さないまま、

ぼんやりと答える。

 

しばらく、キーボードの軽い音だけが部屋に響いた。

 

「今まで本当に大変でしたけど……」

 

フェルンが言葉を続ける。

 

「それはそれで、形になっていたので……」

 

そこまで言って、フェルンはふと黙り込んだ。

 

「……どうしたの?」

 

ゼンゼがちらりとフェルンの方を見る。

 

フェルンは少しだけ困ったように笑った。

 

「いえ……」

 

小さく首を振る。

 

「少し寂しいな、と……」

 

複雑そうな笑みだった。

 

その言葉を聞いて、ゼンゼは少しだけ目を細める。

 

「……それ、わかるよ」

 

小さな声で、同意する。

 

「……別に嫌々やっていたわけじゃないからね」

 

ぽつりと、ゼンゼが呟く。

 

フェルンが静かに頷いた。

 

「……はい。あれはあれで、やり甲斐がありましたから」

 

その言葉に、ゼンゼは少しだけ笑う。

 

ふと、過去のことが頭に浮かんだ。

 

路上で歌って、

レッスンをして、

配信をして

ライブをして——

 

気がつけば、

裏方はすべて、フェルンと二人で回していた。

 

大変だった。

 

本当に。

 

過労で倒れたことだってあった。

 

けれど——

 

(……最初のきっかけはどうであれ)

 

(自分で選んだことだ)

 

だからこそ、後悔はなかった。

 

ゼンゼは、小さく息を吐く。

 

「これから、私たちも……別の方向で頑張っていこう」

 

静かに言う。

 

その声は、どこか決意を含んでいた。

 

フェルンは穏やかに微笑む。

 

「はい、ゼンゼ様」

 

短く、しかし力強く答えた。

 

それから二人は残っていた簡単な業務を片付ける。

 

そしてそのまま、いつもより少し早く事務室を後にした。

 

 

数日後。

 

いつものようにゼンゼは、

大陸魔法協会へ出勤していた。

 

朝の協会はまだ静かで、廊下にはほとんど人影がない。

 

事務室の扉を開けると、

すでに一人の姿があった。

 

「ゼンゼさん、おはようございます」

 

メトーデが机の前でスケジュール表を確認しながら、

丁寧に挨拶をしてくる。

 

「……おはよう」

 

ゼンゼは朝に弱い。

まだ頭が回っていない様子で、ぼんやりと返事をした。

 

メトーデは手元の資料を一枚取り出す。

 

「……これ、今日のスケジュールなんですけど」

 

「ご確認をいただけるでしょうか……」

 

差し出された紙を、

ゼンゼは眠い目を擦りながら覗き込む。

 

そして——

 

「営業……配信……レッスン……」

 

目が、少しずつ開いていく。

 

「……前より、スケジュールが増えてる……」

 

思わずメトーデの方を見る。

 

メトーデは少しだけ疲れた笑みを浮かべた。

 

「ここ数日、各所と交渉して……

やっと、ある程度スケジュールを調整できました」

 

よく見ると、目の下にはうっすらと隈ができている。

 

かなり急いで動いていたことがうかがえた。

 

(……メトーデが、営業してくれていたのか)

 

そのことに気づいた時だった。

 

メトーデは続けて言った。

 

「フェルンさんも、

もう既に営業へ向かわれました……」

 

そう言ってから、

メトーデは申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「調整に時間がかかってしまって……

申し訳ありません」

 

「いや、いいんだ……ありがとう」

 

ゼンゼはもう一度スケジュール表へ目を落とす。

 

営業、配信、レッスン。

確かに、以前よりも仕事が増えている。

 

(……わたし、こんなに仕事くるんだ……)

 

少し驚きながら、心の中で呟く。

 

レッスンは自分でも入れようと考えていた。

 

だが——

 

大陸魔法協会の仕事以外にも、

アイドル業の仕事が増えるとは思っていなかった。

 

もちろん、依頼があること自体は知っていた。

 

けれど——

 

(私は、“プレイヤー”じゃない)

 

そう思い込み、どこかで目を背けていた。

 

しかし今、

目の前にははっきりとスケジュールが並んでいる。

 

その瞬間だった。

 

ゼンゼが——

アイドルとしての仕事と、改めて向き合ったのは。

 

「……驚かれてますか?」

 

メトーデが、優しく声をかける。

 

「……正直、少しね」

 

ゼンゼは苦笑する。

 

「私に、こんなに仕事来るなんて思ってなかったからさ……」

 

メトーデは静かに首を振った。

 

「ゼンゼさんは、ご自身のことを人気がないと

思っていらっしゃるかもしれませんが……」

 

一拍。

 

「それは、違います」

 

はっきりと否定する。

 

「……裏方に、徹されていたからです」

 

「現に、固定ファンは少なくないですし……

皆さん、温度感が高いですよね?」

 

少しだけ言葉を区切り、続けた。

 

「……ファンたちは、

ゼンゼさんの頑張りを知っています」

 

そして、少し照れたように視線を落とす。

 

「私も……

ゼンゼさんのファンですから……」

 

少し間を空け、

 

「……以前の12時間無言配信も、

見ながら仕事をしていました」

 

「……え、あれ観てたの?」

 

ゼンゼが目を丸くする。

 

そして、ほんの少しだけ引いた。

 

「……はい。ゼンゼさん単独のレア配信回でしたし……」

 

メトーデは頬を赤らめる。

 

「そこは、ちゃんと仕事に集中しなよ……」

 

ゼンゼは苦笑した。

 

「すみません……」

 

メトーデも少し気まずそうに笑う。

 

短い沈黙が流れたあと——

 

ゼンゼはスケジュール表を折りたたむ。

 

「……じゃあ、私もこれから営業に向かうよ」

 

準備を整え、立ち上がる。

 

「はい、お願いします」

 

メトーデは丁寧にお辞儀をした。

 

ゼンゼは扉へ向かいかけて、ふと足を止める。

 

振り返らないまま、小さく言った。

 

「ありがとう……メトーデ」

 

そして、ほんの少しだけ声を落とす。

 

「……これから、よろしく」

 

聞こえるかどうかもわからないほど

小さな声だった。

 

それでも——

 

メトーデには、しっかり届いていた。

 

彼女の頬がさらに赤くなる。

 

そして、静かに微笑んだ。

 

 

それから数日。

 

ゼンゼのスケジュールは、日を追うごとに増えていった。

 

「ゼンゼさん、今日は地方営業が三件と、

メディアの取材が一件入っています……」

 

メトーデが淡々とスケジュール表を確認しながら言う。

 

「空いた時間にはレッスンを入れておきましょう……」

 

紙をめくる。

 

「その後は、チームの打ち合わせです」

 

「う、うん……」

 

ゼンゼは頷きながら、思わず苦笑する。

 

(なんか……ますます仕事増えていくな……)

 

少し前までは、こんなスケジュールは考えられなかった。

 

(まあ……良い傾向なんだろう)

 

そう思い直し、ゼンゼはメトーデを見る。

 

「メトーデ……ありがとうね」

 

その言葉を聞いた瞬間。

 

メトーデの肩がぴくりと揺れた。

 

「そんな……私に、お礼なんて……」

 

少し俯きながら、頬を赤くする。

 

褒められることにまだ慣れていないような反応だった。

 

少し間を置いてから、メトーデは続ける。

 

「それと……」

 

「レッスンには、私も付き合いますので……」

 

顔を上げる。

 

「一緒に、“成長”しましょう」

 

柔らかく微笑んだ。

 

「……え?」

 

ゼンゼが少し驚く。

 

「あ、うん」

 

とりあえず頷いたが、心の中では少し引っかかっていた。

 

(……メトーデも一緒にレッスンをするのか……)

 

メトーデはマネージャーだ。

 

普通ならスケジュール管理や連絡役が中心で、

レッスンに参加する立場はない。

 

以前までのゼンゼとフェルンのような

ポジションではないはずだ。

 

(そもそも……)

 

ゼンゼは首を傾げる。

 

(一緒に“成長”って……どういうことだろう)

 

(メトーデ、別にステージに立つわけじゃないよな……)

 

メトーデは、相変わらず優しい笑顔を浮かべていた。

 

 

その日。

 

ゼンゼはダンスレッスンを受けていた。

 

スタジオの鏡の前で、

何度も同じ振り付けを繰り返す。

 

「ゼンゼさん……」

 

メトーデの落ち着いた声が飛ぶ。

 

「ここのダンスの振り付けは、

ステップも重要ですが……」

 

少しだけ指先を動かす。

 

「指先への意識は、

特に忘れないでください……」

 

「う、うん……」

 

ゼンゼは、言われた通りにもう一度動く。

 

鏡に映る自分の動き。

 

そして、その横にいるメトーデの動き。

 

(……こいつ、踊れるのか……)

 

メトーデは、見本のように綺麗な動きをしていた。

 

姿勢、リズム、指先の角度。

 

どれも無駄がない。

 

(……しかも、下手したら本業の私たちより上手い……)

 

ゼンゼは内心で少しだけ引いていた。

 

それから何度も振り付けを繰り返し——

 

ようやくレッスンが終わる。

 

「今日のレッスンは……終了です」

 

メトーデが穏やかに言う。

 

「よく、頑張りましたね……」

 

一緒に動いていたはずなのに、

 

メトーデは息一つ乱れていない。

 

対して——

 

「……はぁ……」

 

ゼンゼは床に手をつきそうなほど疲れていた。

 

「うん……あ、ありがとう……」

 

息が荒い。

 

完全に疲弊していた。

 

メトーデはそんなゼンゼを見て、優しく微笑む。

 

「今日は、もう帰って休んでください……」

 

「そ、そうさせてもらうよ……」

 

へとへとになりながらも、ゼンゼは立ち上がる。

 

なんとか荷物をまとめ、帰ろうとしたその時。

 

「そういえば、ゼンゼさん……」

 

メトーデがふと思い出したように言う。

 

「明日は朝六時から、

体力向上のためにランニングを行います……」

 

ゼンゼの動きが止まった。

 

「迎えに行くので、準備しておいてくださいね」

 

メトーデが、にっこりと微笑む。

 

「……え、」

 

ゼンゼの顔がゆっくり青くなる。

 

「な、なにそれ……」

 

「……あれ、言ってませんでしたっけ……」

 

メトーデの表情は変わらない。

 

穏やかな笑顔のままだ。

 

ゼンゼはしばらく沈黙したあと——

 

小さく息を吐いた。

 

「……いや、わかったよ」

 

「明日の朝……よろしくね」

 

(メトーデも頑張ってくれてるんだ……)

 

(私も……頑張らないと……)

 

自分に言い聞かせる。

 

メトーデは満足そうに頷いた。

 

「私も、走りますので……」

 

「一緒に、“成長”しましょう」

 

相変わらず、気持ちの良い笑顔だ。

 

「う、うん……」

 

ゼンゼは頷く。

 

しかし、心の中では——

 

(……こいつも走るのか……

つまり、逃げ場はない……)

 

(……“成長”か、嫌な響きだ)

 

妙な違和感が残っていた。

 

その日を境に——

 

ゼンゼのレッスン量は、

さらに増えていった。

 

それに伴い、

 

ゼンゼの身体は、

少しずつボロボロになっていく。

 

 

それから——

 

一週間ほどが経った、ある夜のこと。

 

大陸魔法協会

アーク・アルカナ

会議室。

 

夜。

 

広い会議室には、

二人の姿だけが残っていた。

 

「辛い……嫌だ……」

 

机に突っ伏しながら、ゼンゼが弱々しく呟く。

 

「お願い……メトーデ……」

 

顔を上げる。

 

「もう、こんなに仕事入れないで……」

 

震える声。

 

「休ませて……」

 

必死の訴えだった。

 

しかし。

 

メトーデは静かにゼンゼを見つめていた。

 

「私は、ゼンゼさんに……」

 

少しだけ間を置く。

 

「もっと、“成長”してほしいんです……」

 

そう言うと、メトーデの視線が遠くへ向く。

 

どこか懐かしむような目だった。

 

「ゼンゼさんの、初回の一人ライブを……」

 

「私は、あの日見ていました……」

 

思い出すように言葉を紡ぐ。

 

だんだんと、その目が潤んでいく。

 

「そ、その話ならもう何回も聞いてるよ……」

 

ゼンゼが慌てて口を挟む。

 

必死の抵抗だった。

 

しかしメトーデは止まらない。

 

「その時から……」

 

「あなたを支えたいと思っていました……」

 

静かに、しかし確かな熱を帯びた声。

 

「そ、それは嬉しいんだけどさ……」

 

ゼンゼが複雑な表情を浮かべる。

 

メトーデがゼンゼを見る。

 

柔らかく、微笑んだ。

 

「もっと、“成長”していきましょう……」

 

優しく、気合いを入れるように言った。

 

ゼンゼは全力で首を横に振る。

 

ぶんぶんぶんぶん。

 

完全な拒否だった。

 

「ふふ……」

 

メトーデは少し笑う。

 

「これ、早速なんですけど」

 

一枚の紙を差し出す。

 

「明日の、スケジュールです」

 

ゼンゼは恐る恐る、その紙を見る。

 

そして——

 

固まった。

 

そこにはこう書かれていた。

 

6:00 ランニング

7:00 打ち合わせ

8:00 営業

9:00 ラジオ出演

11:00 雑誌取材

13:00 ダンスレッスン

15:00 ボイトレ

17:00 営業

18:00 配信

20:00 打ち合わせ

22:00 SNS営業

23:30 勉強会

0:30 反省会

 

数秒の沈黙。

 

ゼンゼの口が、ゆっくり開く。

 

そして——

 

「こ、こんなの死んじゃうよ……!!」

 

珍しく声を荒げた。

 

その瞬間——

 

「お前たち、騒がしいぞ……」

 

会議室の入り口の方から、低い声が響いた。

 

ゼンゼの身体が、ぴたりと止まる。

 

恐る恐る振り返る。

 

そこに立っていたのは——

 

ゼーリエだった。

 

「ゼ、ゼーリエ様……」

 

ゼンゼの表情が、見る見るうちに明るくなる。

 

まるで救いを見つけたかのようだった。

 

「ゼーリエ様、お疲れ様です……」

 

メトーデが丁寧に頭を下げる。

 

ゼンゼは藁にもすがる思いでゼーリエに駆け寄った。

 

「ゼーリエ様……助けてください……」

 

「メトーデが……」

 

「……ゼンゼ」

 

ゼーリエが静かに言う。

 

「お前は、さっきから何を騒いでいるんだ……」

 

その目が、わずかに険しくなる。

 

ゼンゼは必死に言葉を続ける。

 

「き、聞いてください……メトーデが——」

 

「これ……ゼンゼさんのスケジュールなんですけど」

 

メトーデが遮るように紙を差し出す。

 

「何やら、ご不満があるようで……」

 

数秒の沈黙。

 

「……ふん、これがなんだと言うのだ」

 

ゼーリエはそれを受け取り、じっと眺めた。

 

「うう……」

 

ゼンゼの情けない声が、会議室に響く。

 

「見てください……メトーデが本当に酷いんです……」

 

その時。

 

ゼーリエの口元がわずかに動いた。

 

「……ほう」

 

そして。

 

「素晴らしいではないか」

 

「えっ……?」

 

ゼンゼの顔が固まる。

 

ゼーリエはスケジュールをもう一度見直し、

感心したように頷いた。

 

「メトーデ、」

 

「やはりお前は完璧だ……」

 

メトーデが少し驚いた顔をする。

 

「ゼンゼの才能を……よくぞ見抜いた」

 

ゼーリエの目が、なぜか少し潤んでいる。

 

一拍。

 

そして、力強く言い放つ。

 

「貴様を選んだ私の目に狂いはなかった……!」

 

感極まった声だった。

 

ゼンゼの顔が、みるみる青くなる。

 

「よかったな、ゼンゼ……!」

 

ゼーリエが満足げに頷く。

 

「ゼンゼを……もっと伸ばしてやってくれ」

 

「ち、違うんですゼーリエ様……!」

 

ゼンゼが慌てて叫ぶ。

 

「私、こんなの求めてません……!」

 

しかし。

 

ゼーリエは腕を組み、考え込むように言う。

 

「私も……負けてはいられんな」

 

ゼンゼの背筋が凍る。

 

「メトーデ」

 

「私にも、もっと仕事を回せ」

 

完全に乗り気だった。

 

「もちろんです……」

 

メトーデの目が輝く。

 

「さすがです……ゼーリエ様……!」

 

感動したように、うっすら涙を浮かべる。

 

ゼンゼの膝が震えた。

 

「こ、このままじゃ……」

 

「疲れて死んじゃうよ……!」

 

その目にも涙が溜まっていく。

 

メトーデが優しくゼンゼを見る。

 

「ゼンゼさん……安心してください……」

 

「疲れたら、その時は……」

 

少しだけ口元を歪める。

 

「私が癒してあげます……」

 

にやり、と微笑んだ。

 

ゼンゼが固まる。

 

「い、癒すってなに……?」

 

恐る恐る聞く。

 

「回復魔法……?」

 

「でも、そんな疲労が取れる魔法なんて……

あったっけ……?」

 

メトーデはゆっくり首を振った。

 

「いいえ……」

 

「回復魔法ではありません……」

 

ゼンゼの身体が、かすかに震え始める。

 

「じゃ、じゃあ……」

 

涙目で尋ねる。

 

「何で取るっていうの……」

 

メトーデがさらに優しく微笑んだ。

 

「……聞きますか?」

 

ゼンゼは即座に首を振る。

 

「……い、いやだ……」

 

「聞きたくない……」

 

涙がぽろぽろと落ちる。

 

メトーデはそんなゼンゼを見て、満足そうに頷いた。

 

そして言う。

 

「さあ、」

 

「今日はこれから配信です……」

 

「どんどん、いきましょう……」

 

ゼンゼはその場で小さく震える。

 

「い、嫌だ……」

 

「うう……」

 

泣きながら、ゼンゼは配信室へ向かっていった。

 

その後ろ姿を、

 

ゼーリエとメトーデが見送っていた。

 

ゼーリエが小さく頷く。

 

「……うむ、」

 

「順調だな……!」

 

 

以前よりも疲弊するようになったゼンゼ。

 

だが、家ではしっかり眠れるようになった。

 

以前まで悩まされていた不眠症も、

いつのまにか解決した。

 

 

ただ——

 

 

毎回、死んだように眠るようになったが。

 

 

 

 

【後日談】

 

メトーデがマネージャーに就任してから一ヶ月ほど経ったある日。

 

23:30。

 

仕事を終えたゼンゼが帰宅する。

 

その日のスケジュールは、営業五件、レッスン、ライブ配信。

 

「……今日も、本当に疲れた……」

 

家に着くなりベッドへ倒れ込む。

 

ぼんやりと天井を見つめる。

 

(……もはや、裏方業務をしてた時が懐かしく感じる)

 

(……仕事もレッスンも今までの比じゃなくなったな)

 

ふと、枕元のスマホに目を向ける。

 

(……フェルンはどうしてるのかな)

 

(ここ最近全然会ってないけど、

きっと同じ状態になってるに違いない……)

 

「……連絡してみるか」

 

メッセージアプリを開く。

 

 

(個人チャット)

 

ゼンゼ:

「久しぶり」

「最近会えてないけど」

「元気?」

 

(数秒後、すぐに返信が来る)

 

フェルン:

「お久しぶりです」

「元気です」

「ゼンゼ様はどうですか?」

 

ゼンゼ:

「元気でよかったよ」

「私も元気」

「仕事が忙しくて辛いけどね」

 

フェルン:

「ゼンゼ様も元気そうで何よりです」

「私も今日は営業を8件回りました」

 

ゼンゼ:

「え」

「多くない?」

 

フェルン:

「そうでしょうか」

「私なんてまだまだです」

 

ゼンゼ:

「それにしても8件って」

「メトーデも」

「酷いことするよね」

 

フェルン:

「そうでしょうか」

「メトーデ様は優しいですよ?」

「“成長”できますから」

 

ゼンゼ:

「え?」

 

フェルン:

「メトーデ様が言っていました」

「限界は“成長”の入り口だと」

 

ゼンゼ:

「何言ってるの」

 

フェルン:

「それを聞いて、私本当に感動しました」

「あそこまで仕事ができる人はなかなかいませんよ」

「私も早くメトーデ様のようになりたいです」

 

フェルン:

「そういえば、今度メトーデ様と今後のアイドル界のニーズの考察や流行の傾向について勉強会をするんです」

 

フェルン:

「ゼンゼ様もきませんか?」

 

フェルン:

「仕事終わりから始めるので遅くなるんですけど」

 

フェルン:

「“成長”できますよ」

 

フェルン:

「ゼンゼ様も一緒に“成長”しましょう」

 

 

「ひぃ……!」

 

恐怖のあまり、スマホを手から落としてしまう。

 

コツン。

 

床に落ちた音が、やけに大きく響いた。

 

「フェルンが……」

 

ゼンゼの声が震える。

 

「せ、洗脳されてる……」

 

恐る恐るスマホを拾い上げる。

 

画面を確認すると、さらにメッセージが届いていた。

 

 

 

フェルン:

「ゼンゼ様?」

 

フェルン:

「ゼンゼ様」

「寝られましたか?」

「これからメトーデ様とオンライン会議です」

「起きていらしたらゼンゼ様も参加しませんか?」

「“成長”できますよ」

 

 

「……」

 

ゼンゼは数秒、画面を見つめた。

 

そして。

 

(……よし。)

 

(見なかったことにしよう)

 

スマホの画面を静かに伏せる。

 

そのままベッドに寝転び直した。

 

それから——

 

ゼンゼは、しばらくスマホに触れなかった。

 

 

次の日。

 

メトーデから直々に勉強会に誘われたが——

ゼンゼは即断った。

 

 

その頃。

 

ゼーリエとフリーレンは仕事量に耐えきれず、

普通に体調を崩し、三日ほど仕事が止まった。

 

その結果。

 

アーク・アルカナの仕事量は、

 

ゼーリエの不満によって、

徐々に減少していくことになった。

 




ここまでご拝読いただきありがとうございます。
ジュウヨンです。

今回はいつもより文字数の多い回となりました。
普段ならば前編と後編に分けるボリュームですが、
没入感を重視して1話にまとめています。

ゼーリエ様のおかげ(?)でアーク・アルカナのブラックノリは続きませんが、
フェルンはメトーデの思想に侵されつつあるので、
今後その片鱗もお楽しみいただければと思います。

ここまで書いてきて、自分でも少しずつ作品の形が見えてきた気がしています。
序盤も読み返して気になる部分は都度修正していますが、
時間があればもう少し手を入れるかもしれません。

不定期にはなりますが、今後も更新は続けていきます。
日常回だけでなく、徐々にストーリーの方も進めていく予定ですので、
引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。

感想や評価をいただけると今後の励みになります。
よろしければぜひお願いいたします。
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