※本話は、以下の回から続く重要なエピソードです。
未読の方は、先に読んでいただくことをおすすめします。
42話『ゼーリエ、歌を教える』
43話『ゼーリエ、チャリティーライブをする』
どうぞよろしくお願いいたします。
アーク・アルカナは、
武道館コンサートに向けて、
可能な限りのレッスンを詰め込んでいた。
全員が常に睡眠不足だった。
それでも、誰一人として弱音を吐くことはない。
ゼーリエは、大陸魔法協会の業務をこなしながら
レッスンにも参加していた。
会議や書類仕事を終えると、そのままスタジオへ向かう。
休む暇などない。
他のメンバーたちも同じだった。
それぞれが芸能の仕事をこなしながら、
レッスンに打ち込む日々を送っていた。
武道館コンサートまで、もう時間は多くない。
だからこそ、誰も立ち止まらなかった。
毎日、限界まで身体を動かす。
声が枯れそうになるまで歌い、
足が震えるまで踊る。
また次の日も同じことを繰り返す。
倒れる一歩手前まで、自分たちを追い込んでいった。
⸻
そして——
ライブ本番まで、残り一か月となった頃。
アークアルカナのメンバーは、
以前チャリティーライブで訪れた子どもたちのもとへ、
サプライズで招待状を渡しに行くことになった。
それぞれの場所へ、メンバー全員で直接届けに行く。
まず訪れたのは——
前回、最初にライブを行った王都中央病院だった。
病院の小児病棟へ入ると、
子どもたちは以前にも増して大はしゃぎしていた。
チャリティーライブをきっかけに、
アークアルカナを知った子どもたちは、
あれからどんどんのめり込んでいったらしい。
今では、すっかりファンになっていた。
前回来た時とは、明らかに空気が違う。
武道館ライブのグッズを持って行くと、
子どもたちは目を輝かせて喜んだ。
サインを求める声。
質問攻めにする声。
それぞれのメンバーが、
子どもたちに囲まれていた。
その様子を少し離れた場所から見ながら、
ゼーリエはふと視線を巡らせる。
以前ここで会話をした、あの少女の姿を探していた。
だが——
どこにも見当たらない。
ゼーリエは近くを通りかかった、
以前も見かけた病院のスタッフに声をかけた。
「以前、ライブに来た時にいた少女が、
今日は見当たらないようだが……」
少しの間があった。
看護師は、わずかに表情を曇らせる。
「……ああ、あの子なら——」
静かに事情を説明した。
少女は、あれから徐々に容態が悪化していったという。
今は集中治療室に入っているようだった。
ゼーリエは、わずかに眉を動かす。
「……来れないのか?」
看護師は首を横に振る。
「今は、なんとも……」
そして続けた。
「ですが、いただいたチケットは渡しておきます……」
ゼーリエは、短く頷いた。
「……頼んだ」
その様子を、少し離れた場所で見ていたユーベルが、
ゆっくりとゼーリエの方へ歩み寄った。
子どもたちの賑やかな声の中で、小さく声をかける。
「……あの子、来れないの?」
ゼーリエは答えない。
しばらく沈黙が流れる。
ゼーリエはゆっくりと視線を落とし、
口を開いた。
「……来い、と言った」
一拍。
「私は、“約束”した……」
その声は、先ほどよりもわずかに強くなっていた。
ゼーリエは前を向く。
そして、はっきりと言い切る。
「だから、来る」
ユーベルはその横顔を少し見つめてから、ふっと笑った。
「そっか」
そして肩をすくめる。
「じゃあ、頑張んないとね」
ユーベルは、にこりと微笑んだ。
ゼーリエは小さく鼻を鳴らす。
「……ふん、言われるまでもない」
そう言って、ニヤリと笑った。
⸻
しかし——
ライブ本番まで残り二週間となった頃。
メトーデから、ゼーリエへ連絡が入った。
「あの少女ですが……」
一度、言葉を区切る。
「容態が、さらに悪化したそうです」
「ライブへ来ることは難しいと……
正式に病院側から連絡がありました」
ゼーリエは黙って聞いていた。
しばらく沈黙が流れる。
やがて、低い声で言った。
「……病院に連絡を入れろ」
メトーデが顔を上げる。
「……はい?」
ゼーリエは短く続けた。
「すぐにだ」
メトーデは小さく頷いた。
「……承知しました」
◇
その後——
ゼーリエは、
すぐに王都中央病院へ向かった。
到着すると、少女の病室の前で足を止める。
扉の前には、一人の女性が立っていた。
少女の母親だった。
以前よりも、さらに顔色が悪い。
目の下には濃い隈があり、疲れ切っているように見える。
母親は、
ゼーリエの姿を見るとすぐに頭を下げた。
「……来ていただいて、ありがとうございます」
声はかすれていた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「ですが……」
少し言葉に詰まりながら続けた。
「娘の容態が、かなり悪くて……」
一拍。
「今の状態では……
ライブには確実に行けません」
ゼーリエは黙って聞いている。
母親はさらに言葉を続けた。
「それと……」
視線を落とす。
「面会も……」
わずかに声が震える。
「娘が……断りました」
ゼーリエの目がわずかに細くなる。
母親は、申し訳なさそうに言った。
「……ゼーリエさんに、
こんな自分の姿を見られたくないと……」
そして、深く頭を下げる。
「せっかく来ていただいたのに……
本当にすみません」
そのまま、ぽろぽろと涙を流した。
ゼーリエは何も言わず、扉の方へ視線を向けた。
わずかに開いた扉の隙間から、
病室の中が少しだけ見える。
ベッドの上。
少女の頭上の壁には、小さな写真が飾られていた。
ゼーリエが中指を立てている、あのニュース写真だった。
そして——
ほんのわずかに見えた少女の腕。
以前よりも、明らかに細くなっている。
骨と皮だけのように痩せ細っていた。
その光景を見た瞬間。
ゼーリエの目が、静かに細くなる。
少し間を空け、
何かを決めたように、母親へ視線を戻した。
「……ふん」
短く鼻を鳴らす。
そして言った。
「……私がなんとかする」
一拍。
「少し、待っていろ」
それだけ言うと、ゼーリエはその場を離れた。
母親は、しばらくその背中を見送っていた。
だが。
その表情は、まだ暗いままだった。
◇
大陸魔法協会へ戻ると、
ゼーリエはすぐにアークアルカナのメンバーを集めた。
会議室に全員が揃う。
ゼーリエは、ゆっくりと口を開いた。
「……容態が悪く、
会場に来れない子供に生のライブを届けたい」
ゼーリエらしからぬ願いだった。
そして続ける。
「考えがあるなら……言え」
いつも通りの、強気な言い方。
だが——
その声は、いつものゼーリエよりも、
ほんの少しだけ低かった。
普段なら見ない、どこか異様な光景だった。
しかし。
メンバーは誰も何も言わない。
しばらく沈黙が流れたあと、
フェルンが静かに口を開いた。
「それは……とても難しいですね」
続いて、フリーレンが首を傾げる。
「……一時的な回復魔法でどうにかならないの?」
メトーデが小さく首を横に振った。
「病院側と話をしましたが……厳しいという回答です」
ユーベルが腕を組み、少し困ったように言う。
「でも、なんとかしてあげたいね……」
その時。
これまで口を閉ざしていたゼンゼが、
ゆっくりと口を開いた。
「……無理を承知ですが」
一度言葉を区切る。
「ゼーリエ様の魔法で、
病室をライブ会場と繋げるのはどうでしょうか」
そう提案した。
フリーレンはすぐに反応する。
「何キロも離れたライブ会場と病院の一室を、
ピンポイントで安定して繋ぎ続けるなんて……」
小さく首を振る。
「いくらゼーリエでも無理だ……」
フェルンも冷静に続けた。
「ゼーリエ様と言えども、
魔力切れを起こし、ライブどころではなくなります……」
声の調子は穏やかだったが、
どこか申し訳なさそうだった。
ゼンゼは、少し気まずそうに視線を落とす。
そして、そのまま黙り込んでしまった。
重い沈黙が、会議室を包んでいた。
誰もすぐには言葉を出せない。
その静けさの中で、ふいにユーベルが口を開いた。
「……誰が何言っても無駄だよ」
肩をすくめる。
「ウチのリーダー、いっつもそうじゃん」
そして、ニヤリと笑いながらゼーリエの方を見る。
「どうせ、もうとっくに決めてるんでしょ」
ゼーリエはその視線を受け、口の端を吊り上げた。
「……ふん、その通りだ」
同じように、ニヤリと笑う。
そして言った。
「私は、不可能を可能にする
“大魔法使いゼーリエ”だぞ」
一拍。
それから、少しだけ視線を横へ向けた。
「……ゼンゼ、恩に着る」
ゼンゼはゼーリエと目を合わせる。
そして、力強く頷いた。
「……何か、私にできることがあれば」
いつもより、わずかに前のめりな声だった。
ゼーリエは首を横に振る。
「……これは、私の戦いだ」
短く、突き返す。
さらに続けた。
「第一、他の者に何ができる……」
冷たい口調だったが——
それは、紛れもない現実でもあった。
ゼンゼは小さく頭を下げる。
「……出過ぎた真似でした」
ゼーリエは鼻を鳴らした。
「ふん……だが、気持ちは受け取った」
その表情は、ほんの少しだけ柔らかくなっていた。
その様子を見ながら、
フリーレンは静かに目を細める。
(ライブを行いながら、空間を繋ぎ続ける……)
(途方もないほどの技術と魔力消費……)
(それが容易でないことは、
少しでも魔法に教養がある者なら誰でも理解できる……)
ゼーリエへ視線を向ける。
(……ゼーリエだって、わかってるはず)
(言うなれば……神の御業)
だが。
ゼーリエの目には——
揺るぎない覚悟が宿っていた。
◇
その後、
ゼーリエは、すぐに王都中央病院へ向かった。
少女の病室の前。
母親が立っていた。
ゼーリエはその前で足を止め、
静かに告げる。
「ふん、待たせたな……」
「あの子供が、わざわざライブに来る必要はない」
母親が顔を上げる。
ゼーリエは続けた。
「ライブ会場を、この部屋の空間に繋げる」
「目の前で、生のライブを見れるようにする」
母親は言葉の意味をすぐには理解できず、首を傾げた。
「……映像ではなく、ですか?」
ゼーリエは小さく鼻を鳴らす。
「ふん……映像だと?」
「ライブは生で楽しむものだ」
「映像で真の臨場感が得られるか」
そして、はっきりと言い切る。
「最高の席を用意する。」
「だから、ライブを楽しみにしていろと、
あの子供に伝えておけ」
自信満々にそう言うと、
ゼーリエは母親の前から姿を消した。
母親は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
話の意味を完全に理解できたわけではない。
だが——
ゼーリエの妙な説得力に、
思わず呑まれてしまっていた。
やがて、
母親は病室の扉を開け、中へ入る。
ベッドの上には少女が横たわっていた。
身体はほとんど動かせない。
声も、まともに出せない状態だった。
母親はベッドの傍に座る。
そして静かに言った。
「……ゼーリエさん、きてくれたよ」
母親は続けた。
「この部屋と会場を繋げて、
生のライブを見れるようにしてくれるって……」
少女の表情には、
どこか困惑の色が浮かんでいた。
母親は言葉を探しながら続ける。
「だから……楽しみにしてろ……って……」
その途中で、母親の声が震える。
とうとう耐えきれず、涙が溢れた。
嗚咽が漏れる。
そして小さく呟いた。
「……ごめんね」
静寂。
反応は、なかった。
だが——
目の色が、わずかに変わった。
少女は知っていた。
ゼーリエは、約束を守る。
◇
その日から。
ライブに向けて、
ゼーリエの魔法訓練が始まった。
静かに目を閉じる。
頭の中で、病院の座標を描く。
王都中央病院。
あの病室の位置。
空間を繋ぐ。
意識を一点に集中させる。
次の瞬間——
床が大きく揺れた。
空間が歪む。
周囲の空気がねじれ、
ゼーリエの身体がわずかによろめいた。
魔力が暴れる。
制御が乱れる。
「……チッ」
舌打ちが漏れた。
失敗。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。
そして、短く言った。
「……もう一度だ」
再び目を閉じる。
◇
ゼーリエは、これまで以上に疲労していた。
昼は大陸魔法協会の仕事。
そして、空いた時間はすべて魔法訓練に費やす。
夜になれば、力尽きたように寝床へ倒れ込む。
まるで死んだように眠る。
そして。
翌日も、同じことを繰り返す。
何度でも。
だが——
その様子を見ている者たちは、
誰も心配していなかった。
ゼーリエが、
必ずやり遂げることを理解していたからだ。
⸻
そして——
とうとう、ライブ当日。
ゼーリエの全身に、緊張が走る。
この日のために、準備してきた。
何度も失敗し、何度もやり直した。
頭の中で、静かにイメージする。
……
…………
——できる。
ゼーリエは確信した。
ゆっくりと目を開く。
ゼーリエの魔法が発動する。
病室の座標を捉える。
ライブ会場へと繋げた。
ただ、映像が見えるだけではない。
空間そのものが、繋がっている。
生の臨場感が、病室に響く。
そして——
ライブが始まった。
少女は、
まったく動くことができない状態だった。
顔だけをこちらに向けている。
それでも。
病院のベッドの上で、
心の底からライブを楽しんでいた。
目の前には、武道館のステージ。
観客の歓声。
まばゆい光。
すべてが、この病室に届いている。
隣にいる母親は、
笑顔だった。
だが。
その目からは、とめどなく涙が溢れている。
娘に悟られないよう、
必死に声を押し殺す。
母親は、娘の分まで。
ゼーリエの黄色いペンライトを振っていた。
◇
やがて——
ライブは終盤に差しかかる。
ステージの中央に、ゼーリエが立つ。
ゼーリエはマイクを握る。
そして、静かに目を閉じた。
ゆっくりと天井へ指を向ける。
その瞬間——
会場の音が、一瞬で消えた。
歓声も、ざわめきも。
すべてが止まる。
呼吸音すら聞こえそうなほどの
静寂が流れた。
ゼーリエが深く息を吸う。
そして——
少女の病室の方へ、指を差した。
「早く、私に歌を教えさせろ」
「……“約束”だろう」
囁くように、声を落とす。
その瞬間。
会場に、爆発するような歓声が響いた。
観客たちは、誰も事情を知らない。
今の言葉も、
演出の一つだと思っている。
そして、そのまま最後の曲へ移る。
ゼーリエとフェルンのデュエット。
『Heal the Song』。
母が歌ってくれた、あの曲。
二人の歌声が、会場に響く。
そして——
病室にも、静かに流れていった。
少女の瞳から、涙が溢れる。
やがて。
ライブは、幕を閉じた。
◇
ライブ終了後——
ゼーリエは、
すぐに王都中央病院へ向かうことになった。
少女が、自ら会いたいと願い出たらしい。
だが、ゼーリエの魔力はほとんど残っていなかった。
転移魔法を使えるほどの余力はない。
ゼーリエは、ライブ衣装のまま病院へ急いだ。
やがて——
病室の扉の前に立つ。
そして、静かに中へ入った。
ベッドの上には、少女がいた。
久しぶりに見る姿。
だが——
その命が長くないことは、誰の目にも明らかだった。
身体は、骨と皮だけのように痩せ細っている。
酸素マスクに繋がれ、
無理やり命を繋いでいるような状態だった。
痛々しい。
その身体のどこも、もう自分では動かせない。
それは。
母親が説明するまでもなく、
見れば分かることだった。
ゼーリエは、
ゆっくりと少女のベッドの横にしゃがみ込んだ。
少女と目線を合わせる。
自然と、ゼーリエの顔に笑みが浮かんだ。
そして、そっと少女の手を握る。
冷たい。
だが——
その奥には、確かに熱が残っていた。
少女は、必死に何かを伝えようとしている。
ゼーリエは静かに身を乗り出し、
少女の口元へ耳を寄せた。
声にならない声。
空気がかすれるような、かすかな音。
それでも——
聞こえた。
確かに、聞こえた。
「……あ、り……が……と、う……」
ゼーリエは、小さく頷く。
そして言った。
「……ふん、ライブ中にああは言ったが、焦らなくて良い」
一拍。
「私は、長命のエルフだ」
「……お前が良くなるまで、いつまでも待っていてやる」
少女の表情は、大きくは変わらない。
だが。
ところどころ、顔の筋肉がわずかに動いていた。
必死に、笑顔を作ろうとしている。
ゼーリエには、それが一番よく分かっていた。
「……“約束”だ」
その言葉のあと。
少女の手に、
ほんの少しだけ力が宿った。
その様子を、母親はずっと見ていた。
これまで必死に声を抑えていたが、
今はただ。
静かに、その光景を見守っていた。
その目は、とても温かかった。
悲しみよりも。
未来への期待が、
少しだけ上回っているようだった。
⸻
翌日。
そのまま、武道館ライブ二日目を終えた。
武道館ライブは、
見事に大成功だった。
ゼーリエは自室へ戻る。
扉を閉めた瞬間——
張り詰めていた疲れが、一気に爆発した。
そのまま寝床へ倒れ込む。
まるで電源が切れたように、
深い眠りについた。
⸻
次の日。
玉座の間。
ゼーリエは、
しばらく手付かずになっていた
大陸魔法協会の業務を確認していた。
机の上には書類が積み上がっている。
それを見たゼーリエの表情が、
露骨に歪む。
その時。
メトーデが静かに近づいてきた。
「ゼーリエ様……」
声をかけられた瞬間——
嫌な予感がした。
……。
メトーデが静かに言った。
「先ほど……少女の母親から連絡がありました」
ゼーリエは顔を上げる。
メトーデは少しだけ言葉を選び、続けた。
「……あの日のライブの翌日、少女が亡くなったそうです」
その言葉を聞いた瞬間。
ゼーリエは、しばらく何も言えなかった。
ただ、呆然としていた。
静かな時間が流れる。
やがてメトーデが、もう一度口を開く。
「……ゼーリエ様」
ゼーリエはゆっくりと視線を向けた。
メトーデは、
机の上に小さな荷物を置く。
「……それと、病院から荷物が届いています」
ゼーリエは、
その包みを見つめる。
ゆっくりと手を伸ばし、紐を解いた。
中を開く。
そこには——
一冊のノートが入っていた。
表紙には、
『うたのれんしゅう』
弱々しい字だった。
だが、はっきりと大きく書かれている。
そこには、幼い文字が並んでいた。
ゼーリエは、ゆっくりとノートを開いた。
ノートの最初のページ。
そこには、幼い文字が並んでいた。
⸻
うたの
れんしゅうのーとを
かくことにした
おねえちゃんみたいに
うたがじょうずになれるようにって
おかあさんがかってくれた
ぜったいうまくなって
いつか
おねえちゃんといっしょに
すてーじでうたいたい
⸻
思わず、
ゼーリエの顔が綻ぶ。
ページをめくる。
⸻
おねえちゃんの
うたってたきょくを
みんなのまえでうたった
へたっぴだとからかわれたけど、
それでもみんな
きいてくれた
はやくおねえちゃんに
うたをおしえてもらいたい
げんきになるっていってくれた
きっとだいじょうぶ
⸻
どこか、胸が熱くなる。
小さく息を吐いて、
また、ページをめくる。
⸻
だんだん、
うたがじょうずに
うたえるようになってきた
おねえちゃんのうたを
がんばっておもいだす
そしたら、
おおきいこえがでる
おかあさんにもほめてもらった
とてもうれしかった
はやくげんきになって
もっといっぱい
れんしゅうして
はやく
おねえちゃんに
おしえてもらう
もっともっと、
がんばりたい
⸻
口元が、
わずかに緩んでしまう。
ゼーリエは、
ゆっくりページをめくる。
⸻
きょうは、
ともだちにほめてもらった
あのおねえちゃんみたいだねって
いってもらった
うれしかった
もっとれんしゅうして
いっぱいじょうずになって
おねえちゃんにも
きいてもらいたい
はやくげんきになりたい
⸻
ゼーリエは、
またページをめくる。
ページを進めるごとに、
筆圧は、
少しずつ弱くなっていた。
⸻
だんだんちからが
はいらなくなってきた
でもだいじょうぶ
おねえちゃんが
いってくれた
わたしはつよいって
だいじょうぶって
いってくれた
あのおねえちゃんは
うそをつかないとおもう
うたはうたえなくなった
こえがでない
でも、
いつかおねえちゃんに
おしえてもらうひまで
がまん
⸻
次のページからは——
途端に字が綺麗になっていた。
明らかに、
先ほどまでの文字とは違う。
母親の字だった。
⸻
娘は、筆も持てなくなりました。
先生の話では、
もう二週間も持たないということです。
ライブは、あと一ヶ月後。
サプライズでライブに招待してくれたこと、
娘は苦しみながらも、とても喜んでいました。
自分がライブに
行けない可能性は
頭にあると思います。
手足は思ったように動かせない。
声も上手く出せない。
それでも、
そんな自分との
ライブに招待するという約束を、
忘れずに守ろうとしてくれる
ゼーリエさんに
心から感謝しているようでした。
女神様、ほんの少しだけ
娘がそちらに行くのを
待っていてくれませんか。
少しだけで良いんです。
お願いします。
⸻
ページには、ところどころ
湿ったような跡が残っていた。
ゼーリエは、
ゆっくりとページをめくる。
⸻
娘は以前よりもさらに動けなくなりました。
自分でまともに動かせるのは眼球ぐらい、
呼吸も弱くなりました。
とうとう、
ライブに正式に行けないことが決まり、
娘の目からは涙が溢れていました。
行けないことを
ゼーリエさんに伝えると、
必ず見れる状態にすると約束してくれました。
娘にそれを伝えると、
目の色がはっきり変わったのが
わかりました。
女神様、お願いです。
もうちょっとだけで良いんです。
娘を連れて行かないでください。
私の命を捧げますから。
どうか。
⸻
このページは、
後半にいくにつれて、筆圧が濃くなっていた。
ゼーリエは静かにページをめくる。
⸻
ライブの前日。
娘はまだ生きてくれていました。
苦しみに耐え凌ぎ、
ライブの日のためだけに生きていました。
アークアルカナの曲を流すと、
痛みが和らぐようで
娘と一緒に聞きました。
「たのしみだなぁ……」
娘が呼吸の音だけで、
小さく呟きました。
女神様、
お願いです。
せめて、あと一日だけ。
もう贅沢は言いません。
お願いです。
もう少しだけ、
待ってあげてください。
⸻
次のページ。
ところどころ、
紙が湿ったように波打ち、
文字が滲んでいた。
ゼーリエは、
その部分を指でなぞるようにして読み進めた。
⸻
ライブ当日。
娘は、今日まで必死に生きました。
ゼーリエさんの言っていた通り、
本当に病室とライブ会場の空間が繋がれました。
私は、驚き声も出ませんでした。
娘は会場の臨場感に緊張していましたが、
ライブが始まり、アークアルカナの歌を聴いて
楽しそうに身体を揺らしていました。
私も、娘と一緒にライブを楽しみました。
この瞬間だけは、
娘も苦しくないように見えました。
目を輝かせ、
真っ直ぐにステージを見つめていました。
ライブがずっと続けば良いのに……
私は酷い母親かもしれません。
それでも、
娘に生きていて欲しい。
それだけでした。
ライブ中に、
ゼーリエさんがステージで娘にくれた
「早く歌を教えさせろ」
というメッセージを聞いて、
娘に火がついたようでした。
ですが、もう声は出ません。
荒い呼吸音で答えるだけです。
娘の表情からは
「早く治さなきゃ」
そう思っているのが
痛いほどに伝わってきました。
そしてライブが終わり、
娘がゼーリエさんに会いたいと願いました。
それをゼーリエさんに伝えると、
本当に会いに来てくれました。
娘は大喜びでした。
ですが。
憧れの人が
目の前にいるのに
動けない。
声は出せない。
辛かったでしょう。
もどかしかったでしょう。
練習した歌を
聞いてほしかったでしょう。
ゼーリエさんは
娘の手を握りました。
娘は必死に力を振り絞って、
しっかりとお礼を伝えたようです。
ゼーリエさんは、
「良くなるまで、いつまでも待っている」
「約束だ」
そう言い、
娘を奮い立たせます。
もしかしたら、
奇跡が起きるかもしれない。
そう勘違いしてしまうほど、
ゼーリエさんの言葉は力強かったです。
⸻
ゼーリエの指が止まる。
ページの端をつまんだまま、動かない。
めくれば、終わる。
それでも——
手を離すことはできなかった。
静かに息を吐く。
そして、ゆっくりと。
——ページをめくる。
そこに書かれていた文字は滲み、
紙は皺でぐしゃぐしゃになっていた。
最後のページだった。
⸻
ライブの翌日に
娘は亡くなりました。
安らかな最期でした。
力尽きたように
静かに息を引き取りました。
ここまで生きられたのは奇跡だと
神父様は言っていました。
ゼーリエさん。
本当にありがとうございました。
娘は
幸せでした。
⸻
そこでノートは終わっていた。
ゼーリエは、
最後のページを
しばらく見つめていた。
そして、
静かに、
ノートを閉じる。
そっと
表紙を撫でる。
『うたのれんしゅうのーと』
幼い字。
その文字に、
視線を落とす。
目を瞑る。
沈黙。
ゼーリエは、ゆっくりと立ち上がる。
「……少し、歩いてくる……」
芯のない声だった。
メトーデは一瞬だけ目を伏せる。
「……はい」
短く答えた。
……
廊下を歩くゼーリエ。
すれ違う魔法使いたちが、
思わず足を止めた。
ゆらゆらとした足取りで、
外へ出る。
大陸魔法協会の庭。
ゼーリエは、
ぼんやりと空を見上げた。
空が滲んで見えた。
少女が大切にしていた
『うたのれんしゅう』のノートが
紙が皺になるほど、
強く握りしめられていた。
そして——
囁くように、
震えた声で呟いた。
「……また、約束が果たせなくなった」
静寂。
風が頬を撫でる。
どこか温かい。
肩が震え、声が漏れる。
——これからも、彼女は
何度でも、
同じ痛みを繰り返す