ゼーリエ、アイドルになる。   作:ジュウヨン

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ゼーリエ、ユーベルと仲直りする(後編)

 

 

あの夜の、歪な結束から——

間も無くして。

 

“ユーベル人でなしTシャツ”の販売会。

 

言わば、特典会が——

王都の特設ブースにて開催されると、生配信で発表された。

 

発表の瞬間。

画面の向こうに走ったのは、歓声ではない。

 

ほんの一瞬の、間。

 

そして——ざわめき。

 

期待とも、困惑ともつかない声が、

細かく、途切れながら広がっていく。

 

それでも配信は止まらない。

進行役のメトーデが、何事もないように次へと進める。

 

内容は、下記の通り——

 

 

 

【特典会・内容】

 

・1枚:サイン会参加(ゼーリエのサイン)

・2枚:ゼーリエと撮影+サイン

・3枚:ゼーリエ、ユーベルと撮影+サイン+コメント

・5枚:全員と撮影+メンバー全員のサイン+コメント

 

 

提示された条件は、分かりやすい。

 

積めば、近づく。

積めば、得られる。

 

露骨な構造。

 

だからこそ——

画面越しの視聴者たちが、わずかに言葉を失う。

 

オンライン購入したファンは、と。

 

だが、その空気を押し潰すように。

メトーデが、間を置かずに次の情報を重ねる。

 

オンライン購入者には、

デフォルトでゼーリエとユーベルのサイン付き。

 

さらに——

購入順のシリアルナンバーを手書きで記載。

 

逃げ道を、先に用意する。

 

不満が出る“前”に、塞ぐ。

 

——メトーデのやり方だった。

 

その流れのまま、

サイン作業の生配信へと移行する。

 

カメラが切り替わる。

 

机。

山積みのTシャツ。

 

さらに、後ろにはダンボールの山。

 

そして——

並んで座る、ゼーリエとユーベル。

 

 

……

 

最初に動いたのは、

ゼーリエだった。

 

「貴様、サインがでかいぞ……」

 

ゼーリエがペンを止め、

ユーベルの書いたサインを見る。

 

わずかに眉を寄せる。

 

「私が書くスペースが

 小さくなったではないか……!」

 

その声に対して、ユーベルは肩をすくめる。

 

「まあ、オリジナル感出ていいでしょー」

 

軽い調子。

 

だが——

空気は軽くならない。

 

ゼーリエが、わずかにペンを強く押し付ける。

インクが、布に滲む。

 

小さな苛立ちが、そのまま形になる。

 

——それでも。

 

次に崩したのは、ユーベルだった。

 

「ちょっと、ゼーリエww」

 

ユーベルが覗き込む。

 

ゼーリエの手元を見て、吹き出す。

 

「インク切れてるのに書いてるから

 文字がすっごい途切れてるってwww」

 

「ちっ……」

 

ゼーリエが舌打ちをする。

 

一瞬だけ手を止めると、

視線を横に流す。

 

「ゼンゼ、新しいペンを寄越せ」

 

その声に、すぐ反応するゼンゼ、

 

「ゼーリエ様、どうぞ……」

 

用意していたペンを差し出す。

 

ためらいのない動きだった。

 

そのやり取りを——

少し離れた位置から、メトーデが見ている。

 

うっとりと、涎を垂らしながら。

 

じっと。

一切口を挟まずに。

 

「……うふふふ……」

 

小さく、笑う。

その声だけが、妙に湿っている。

 

場の空気と、

ほんのわずかに温度がズレる。

 

その違和感ごと——

コメント欄は、盛り上がっていた。

 

流れる速度が、一気に上がる。

 

さっきまであった“引き”が、崩れる。

 

見世物として、

成立し始めていた。

 

「……次」

 

ゼーリエが短く言う。

 

その声に合わせて、

ユーベルが次のTシャツを手に取る。

 

無言のまま、向きを整える。

 

ほんの数センチ。

 

だが——ズレない。

 

ゼーリエは何も言わず、

そのままサインを書き始める。

 

視線は交わらない。

 

それでも、動きは噛み合っている。

 

最初にあった棘は、

完全には消えていない。

 

だが——

作業に支障はない程度に削れている。

 

一枚。

 

また一枚。

 

ゼーリエが書き、

ユーベルが整える。

 

その逆も。

 

同じ動きが、繰り返される。

 

単調なリズム。

 

時間の輪郭が、

少しずつ曖昧になる。

 

——そして。

 

気付けば。

積み上がっていたTシャツの山が、消えていた。

 

五百枚。

 

すべてにサインが入っている。

 

ペンを置いたのは、ゼーリエだった。

 

その手が、

わずかに震えている。

 

続いて、ユーベルもペンを離す。

 

指先が、

小さく痙攣していた。

 

限界だった。

 

力を抜こうとしても、

うまく抜けない。

 

遅れて、疲労が落ちてくる。

 

腕が重い。

 

自分のものではないみたいに。

 

——それでも。

 

画面の向こうでは、

コメントが流れ続けている。

 

止まらない。

 

むしろ、さっきよりも速い。

 

この配信は——成功していた。

 

少なくとも、“見せる”ことには。

 

そして——

特典会そのものへの反応。

 

最初に声を上げたのは、

普段はコメントをしないような野次馬だった。

 

売れないアイドルの手法。

搾取。必死すぎる。

 

否定のコメントが、

いくつも並ぶ。

 

だが——

それも、長くは続かなかった。

 

生配信で、

メトーデが最後に提示した情報。

 

“ 売上は、

 全て孤児院や児童福祉施設への寄付に回す。”

 

その一文が、

流れを止める。

 

空気が、変わる。

 

完全な肯定ではない。

 

だが、否定しきれない。

 

『寄付って後付けじゃね?』

 

一瞬の間。

 

『まあでも……

 やらないよりは全然良くない?』

 

濁った納得。

 

曖昧な着地。

 

——それで、十分だった。

 

批判は残る。

 

だが、燃え上がらない。

 

火はある。

だが、広がらない。

 

メトーデの狙い通りに。

 

結果として——

企画そのものだけが、表に残る。

 

これまで安売りをしてこなかったアーク・アルカナだからこそ、

今回の動きは“異物”として強く目立った。

 

メディアが、大々的に取り上げる。

 

議論になる。

 

是か、非か。

 

だが——

 

全額を寄付する、という一点が、

その全ての言葉の行き場を奪っていた。

 

踏み込めない。

切り捨てきれない。

 

そのまま——

 

炎上目当ての人間の居心地の悪い沈黙だけが、

ゆっくりと広がっていった。

 

 

 

そして——

 

Tシャツの販売会。

および、特典会当日。

 

王都、特設ブースにて。

 

列が、途切れない。

 

どこからが最後尾なのか、

ぱっと見では分からないほどに伸びている。

 

人の流れが、緩やかに、

しかし確実に前へと押し出されていく。

 

「最後尾はこちらでーす!」

 

大陸魔法協会のスタッフが声を張り上げる。

 

その声が、通りに反響する。

 

角を曲がっても、まだ列は続いている。

別のスタッフが、さらにその先で同じ言葉を繰り返す。

 

何度も、何度も。

 

列そのものが、一つの“現象”みたいに膨らんでいた。

 

その中で——

 

客たちは、どこか浮ついた空気を纏っている。

 

「マジで並ぶとは思わなかったんだけど」

 

一人の客が、

苦笑混じりに呟く。

 

その手には、すでにTシャツの袋。

 

「5枚いく?

 いや……3で様子見る?」

 

隣の客が、

紙を見下ろしながら迷う。

 

「どうせなら、5はいきたいかなぁ……」

 

「まあ、3枚が無難でしょ」

 

「2枚の人、いるのかな」

 

「相当少ないでしょ」

 

軽い会話。

 

だが、その中身は妙に現実的だ。

 

それぞれが、自分の“距離”を測っている。

 

手元の紙に書かれた数字。

袋の中の枚数。

 

それを見下ろして、少しだけ笑う。

 

——楽しんでいる。

 

ただ物を買いに来た、

という空気ではない。

 

この場そのものを、消費している。

 

これまで、

ファンがライブのついでにグッズを買うことはあった。

 

だが——

 

グッズ“だけ”を目的に、

ここまで人が集まることはなかった。

 

物珍しさ。

 

そして——

圧倒的な話題性。

 

それが、列をここまで膨らませていた。

 

 

……

 

「次の方どうぞー!」

 

スタッフの声が、列の流れを一段押し上げる。

 

一歩。

 

また一歩。

 

背中を押されるように、前へと進む。

 

そして——

 

ブースの中。

 

外のざわめきが、一気に遠のく。

 

距離が、近い。

 

思っていた以上に。

 

目の前にいる。

 

逃げ場が、ない。

 

「……貴様、名前は?」

 

ゼーリエが、顔を上げもせずに聞く。

 

短く、ぶっきらぼうに。

 

その声に——

ファンの体が、わずかに強張る。

 

「あ、えっと……!」

 

喉が詰まる。

 

視線が泳ぐ。

 

「ぼぼぼぼぼぼ、僕の……

 ななななななな、名前は……」

 

言葉が、崩れる。

 

緊張が、そのまま音になる。

 

その様子を見て——

ユーベルが、横で吹き出す。

 

「いや、緊張しすぎでしょww」

 

肩を揺らしながら、軽く笑う。

 

そのまま、少しだけ身を乗り出す。

 

「ほらほら、

 ちゃんと喋らないとゼーリエ様の機嫌が悪くなっちゃうよ〜」

 

余計な一言。

 

ファンの表情が固まる。

 

そして。

 

その瞬間——

ゼーリエの手が止まる。

 

ゆっくりと、顔が上がる。

 

視線が、横へ。

 

「ユーベル……」

 

低い声。

 

「余計なことを言うな……!!」

 

鋭く、刺す。

 

そのやり取りに——

 

目の前のファンが、思わず笑う。

 

張り詰めていたものが、ほどける。

 

呼吸が戻る。

 

「あ、あの……○○です!」

 

今度は、はっきりと名乗る。

 

ゼーリエが小さく頷く。

 

そのまま、サインを書き始める。

 

隣で、ユーベルもペンを取る。

 

流れが、戻る。

 

「じゃあ、私のコメントは……」

 

ユーベルが少し考えるように視線を上げる。

 

「噛みすぎないように……かなぁ」

 

いたずらっぽく笑う。

 

それに対して——

 

ゼーリエは、

手を止めないまま答える。

 

「私は、ビビるな。だ」

 

短い。

 

無駄がない。

 

「ほぼ同じ意味じゃんww」

 

ユーベルが笑う。

 

ファンも、つられて笑う。

 

さっきまでの緊張は、

もう残っていない。

 

——こうして。

 

流れが、できていく。

 

一人。

 

また一人。

 

同じやり取りが繰り返される。

 

少しずつ形を変えながら、しかし本質は変わらない。

 

テンポが上がる。

 

止まらない。

 

最初に売れていたのは——

Tシャツだった。

 

だが、今。

 

この場で消費されているのは、それではない。

 

ゼーリエとユーベル。

 

ぶつかって、

噛み合って——

 

それでも同じ場所に立っている、その関係。

 

完成されたものではない。

 

むしろ、未完成なままの“過程”。

 

それそのものが、価値になっていた。

 

その光景を——

少し離れた位置から、三人が見ている。

 

フリーレンが、列の流れを目で追う。

 

「5枚買う人はやっぱり少ないね……」

 

淡々とした観察。

 

フェルンが腕を組んだまま、静かに頷く。

 

「3枚購入する方が一番多いように見受けられます」

 

数字の傾向を、そのまま言葉にする。

 

ゼンゼが、小さく息を吐く。

 

「大体は、メトーデの言った通りになったな……」

 

その言葉には、

わずかな安堵が混ざっていた。

 

その横で——

フリーレンが、カバンを開ける。

 

中を、ゴソゴソと探る。

 

「じゃあ、私は魔導書でも読んでよっかな……」

 

やる気はない。

 

完全に、外側の人間の顔だった。

 

だが——

 

「すみませーん!

 5枚購入の方でーす!」

 

スタッフの声が飛ぶ。

 

一瞬で、空気が変わる。

 

フリーレンの手が止まる。

 

カバンの中に突っ込んだまま、動かない。

 

「……はぁ……」

 

そのまま、肩が落ちる。

 

露骨だった。

 

その様子を見て、フェルンが一歩近づく。

 

フリーレンの服の裾を、

軽く引っ張る。

 

「フリーレン様、早くいきましょう」

 

逃がさない。

 

フリーレンは、

小さくため息をつきながら歩き出す。

 

引きずられるように。

 

その後ろ姿を見ながら——

ゼンゼが、ぽつりと呟く。

 

「なんとか、無事に終わりそうだな……」

 

小さな声。

 

だが、

その声は——

 

もはや、確信に近かった。

 

 

……

 

遠くで、スタッフの声が上がる。

 

「——在庫、残りわずかでーす!」

 

その声が、ブースの外から中へと流れ込んでくる。

 

一瞬。

 

列のざわめきが、わずかに変わる。

 

空気が、前のめりになる。

 

迷っていた客が、ほんの少しだけ歩幅を速める。

後ろの方で、小さなどよめきが広がる。

 

——終わりが見えた、という空気。

 

その変化は、ブースの中にも伝わっていた。

 

ゼンゼが顔を上げる。

フェルンが列の方へ視線を向ける。

フリーレンも、手を止めてそちらを見る。

 

そして——

 

自然と、

メンバーが中央に集まる。

 

客との合間。

ほんの短い、隙間の時間。

 

声を潜めるようにして、顔を寄せる。

 

「え、やばくない?」

 

最初に口を開いたのは、

ユーベルだった。

 

目を少し見開いたまま、

外の様子を気にしている。

 

それに対して——

ゼーリエは、腕を組んだまま鼻で笑う。

 

「ふん、だから問題ないと言っただろう……」

 

視線は逸らさない。

 

だが、声にはどこか余裕が混じっている。

 

フリーレンが、小さく肩をすくめる。

 

「メトーデと特典会のおかげでね……」

 

事実だけを、そのまま置く。

 

ユーベルが、すぐに横から口を挟む。

 

「ゼーリエ、この前の夜ブチギレてたじゃんw」

 

にやにやとした笑い。

 

それに対して——

ゼーリエの眉が、ぴくりと動く。

 

「貴様もな……!」

 

即座に返す。

 

短いが、しっかり刺す。

 

そのやり取りの横で——

 

フェルンが一歩だけ前に出る。

 

腕を組んだまま、少しだけ視線を落とす。

 

「……ですが、Tシャツの制作費、人件費、会場費——」

 

淡々と、並べる。

 

現実を、一つずつ。

 

「売上全額寄付となると、とんでもない大赤字ですね」

 

言い切る。

 

一切の遠慮がない。

 

その瞬間——

 

ゼーリエの視線が、わずかに逸れる。

 

ほんの少しだけ。

 

何も言わない。

 

代わりに、沈黙だけが落ちる。

 

その空気を見て——

ゼンゼが慌てて口を開く。

 

「ま、まあ……」

 

一度、言葉を詰まらせる。

 

それでも続ける。

 

「倉庫代が長期的に掛からないだけ、幾分マシだ……」

 

苦しいフォロー。

 

だが、何もないよりはいい。

 

ユーベルが、軽く肩を回す。

 

「今後の課題だねー」

 

軽い調子でまとめる。

 

フリーレンが、その横でため息をつく。

 

「ゼーリエ、少しは反省しなよ……」

 

刺すでもなく、諭すでもなく。

 

ただ、そのまま言う。

 

その言葉に——

 

ゼーリエの口元が、わずかに歪む。

 

小さく、舌打ち。

 

「……わかっている……」

 

吐き出すような声。

 

さっきまでの張りは、もうない。

 

どこか、力が抜けている。

 

——一瞬。

 

会話が途切れる。

 

誰も、すぐには続けない。

 

その短い沈黙の中で——

 

ユーベルが、ちらりと横目でゼーリエを見る。

 

様子を探るように。

 

「……じゃあ、さ」

 

軽く、投げる。

 

重くならないように。

 

「次はさ、ちゃんと可愛いの作ろうよ」

 

空気を変える一言。

 

——間。

 

ゼーリエが、ゆっくりと目を細める。

 

ユーベルを見る。

 

ほんの少しだけ、考えるように。

 

「……誰が、デザインするんだ?」

 

静かな問い。

 

そこだけは、外さない。

 

ユーベルが、すぐに笑う。

 

「そこ、大事なんだ……w」

 

一拍。

 

「そこは普通にプロに頼むよwww」

 

軽く言い切る。

 

逃げない。

 

その返しに——

 

ゼーリエが、小さく鼻を鳴らす。

 

「ふん」

 

短い音。

 

その瞬間——

すぐ横にいたゼンゼの肩が、びくりと揺れる。

 

反射的だった。

 

警戒が、抜けていない。

 

だが——

続く言葉は、来なかった。

 

ほんの一瞬だけ。

 

ゼーリエの口元が、わずかに緩む。

 

見逃しそうなほど、小さく。

 

「……まあ、それが無難か」

 

ぽつりと付け足す。

 

強がりも、否定もない。

 

ただ、認める。

 

ユーベルが、にやっと笑う。

 

「でしょ?」

 

少しだけ、距離が縮まる。

 

その空気を、すぐに切るように——

 

「貴様、調子に乗るな」

 

ゼーリエが返す。

 

だが。

 

その声は——

 

さっきまでより、

ほんの少しだけ柔らかかった。

 

その変化に気付いたのは、

 

すぐ隣にいたゼンゼだった。

 

ゼンゼは、

誰にも見られないように小さく息を吐く。

 

胸の奥に溜まっていたものを、

そっと逃がすように。

 

ほんの少しだけ。

 

空気が、軽くなっていた。

 

 

……

 

そして、

とうとう——

 

「完売でーす!!」

 

会場スタッフが声を張り上げる。

 

続けて、別のスタッフが声を重ねる。

 

「ここまで物販の販売は終了となりまーす!!」

 

さらに、外に向けて案内が飛ぶ。

 

「今後の生産については、

 公式からの発表をお待ちくださーい!!」

 

声が、何度も反響する。

 

そのたびに——

列の空気が、わずかに揺れる。

 

並んでいたファンたちの間から、

不満混じりの声がこぼれ始める。

 

「えーマジかー」

 

一人の男が、肩を落とす。

 

「2周目行きたかったのに……」

 

その隣で、別の客が袋を見下ろす。

 

「まさか足りなくなるとは……」

 

少し後ろから、別の声が飛ぶ。

 

「これ、売上全額寄付ってすごいグループだな」

 

「話題性でしょ、話題性」

 

「いや、それにしても相当お金かかってない?」

 

「これ叩くのは流石に違うんじゃね」

 

「今回のこと、間違いなくイレギュラーではありそう」

 

「それだけは絶対にそう」

 

肯定と疑問が、混ざる。

 

完全に納得しているわけでもない。

 

だが、否定しきることもできない。

 

曖昧な評価だけが、

その場に残る。

 

その声を、少し離れた位置から——

メトーデが静かに聞いていた。

 

表情は、変わらない。

 

だが。

 

「……ふふっ」

 

ほんの小さく、笑う。

 

喉の奥で転がすような、短い笑み。

 

その目は——

どこか満足していた。

 

一時はどうなるかと思われた、

人でなしのユーベルTシャツ騒動。

 

それは——

無事、終わった。

 

……

 

時間が少し進む。

 

客がいなくなり、会場のざわめきが引いていく。

 

残るのは、スタッフの動く音だけ。

 

机を運ぶ音。

箱を重ねる音。

誰かが、遠くで指示を飛ばす声。

 

そのすべてが、どこか遠くに感じられる。

 

その中で——

 

ユーベルとゼーリエが、

並んで椅子に腰掛けていた。

 

二人とも、ぐったりと力が抜けている。

 

他のメンバーの姿は、見えない。

 

どこかで片付けを手伝っているのか、

あるいは、すでに戻ったのか。

 

少なくとも、この場にはいない。

 

ゼーリエが、ゆっくりと口を開く。

 

「やっと、終わったか……」

 

息と一緒に、言葉が落ちる。

 

その横で、ユーベルが腕をぶら下げる。

 

力なく、前後に揺らす。

 

「あはは……」

 

「もう……腕全く上がんないよ……」

 

本気だった。

 

指先に力が入らない。

 

ゼーリエが、小さく頷く。

 

自分の手を見る。

 

「魔法使いがここまでペンを握る時代がくるとは、な……」

 

どこか呆れたような声。

 

ユーベルが、それを見てにやりと笑う。

 

「まあ、ゼーリエのせいでもあるけどね……」

 

軽く刺す。

 

ゼーリエが、ゆっくりと目を細める。

 

何か言い返そうとして——

 

止まる。

 

その間に、ユーベルが先に笑う。

 

「ごめんってwww」

 

軽く流す。

 

ゼーリエが、小さく息を吐く。

 

「ふん……」

 

短く。

 

「まあいい……」

 

それ以上は、続けない。

 

——少しだけ、間が空く。

 

会話が途切れる。

 

二人とも、何も言わない。

 

ただ、目の前で進んでいく撤収作業を眺めている。

 

箱が運ばれる。

テーブルが畳まれる。

 

終わりの風景。

 

その中で——

 

ユーベルが、少しだけ姿勢を直す。

 

視線を横に向ける。

 

「……あのさ……」

 

小さく、声を出す。

 

それに対して、ゼーリエはすぐには見ない。

 

視線を外したまま、短く返す。

 

「……なんだ……」

 

ユーベルが、一瞬だけ言葉を選ぶ。

 

ほんのわずかに、迷う。

 

「Tシャツ勝手に作って、ごめんね……」

 

そのまま、言う。

 

軽くはない。

 

だが、重くもしすぎない。

 

間を置かず、続ける。

 

「別に、そこまで悪気はなかったんだけどさ……」

 

言い訳のようで、そうでもない。

 

本音だった。

 

——返事は、すぐには来ない。

 

ゼーリエは何も言わない。

 

ただ、じっと前を見ている。

 

撤収作業の様子を、

ぼんやりと眺めている。

 

誰かが箱を落とす。

小さな音が響く。

 

それでも——

 

ゼーリエは、視線を動かさない。

 

そして。

 

「……別に、いい」

 

本当に小さな声で、そう言う。

 

ほとんど、空気に溶けるような音。

 

続けて。

 

「今度からは、一声掛けろ」

 

少しだけ、言葉に力が戻る。

 

「そこから——判断する」

 

線を引くように。

 

ユーベルが、間の抜けた声を出す。

 

「……へ?」

 

予想していなかった反応。

 

そのまま固まる。

 

ゼーリエが、ほんの一瞬だけ視線を落とす。

 

そして——

 

「私も……」

 

「今度からは相談してやる」

 

聞こえるかどうか、ぎりぎりの声。

 

ほとんど、独り言に近い。

 

ユーベルが、動きを止める。

 

「……」

 

何も言えない。

 

今の言葉が、本当に聞こえたのか——

一瞬、判断がつかない。

 

ゼーリエが、すぐに立ち上がる。

 

椅子が、小さく音を立てる。

 

「……早く、帰るぞ」

 

ぶっきらぼうに言う。

 

そのまま、さっさと歩き出す。

 

背中を見せる形で。

 

逃げるように。

 

——その横顔。

 

エルフ耳まで、

ほんのり赤くなっている。

 

本人は、気づいていない。

 

ユーベルが、それを見て固まる。

 

数秒。

 

完全に、思考が止まる。

 

だが——

遅れて、理解が追いつく。

 

口元が、ゆっくりと歪む。

 

「……ふっ」

 

小さく笑う。

 

ニヤリと。

 

そのまま、立ち上がる。

 

少しだけ間を置いてから——

ゆっくりと、後を追う。

 

「ツンデレ大魔法使いさーん、待ってよ〜」

 

わざとらしく、声を張る。

 

前を歩くゼーリエの肩が、ぴくりと動く。

 

「……誰が、ツンデレ大魔法使いだ」

 

振り返らないまま、返す。

 

鬱陶しそうに。

 

だが——

 

足は止めない。

 

そのまま歩き続ける。

 

ただ。

 

ほんの少しだけ。

 

気のせいか、

歩く速度が、落ちていた。

 

 

 

 

それを——

会場の隅。

 

積まれた資材の影に、

四人が身を潜めていた。

 

気配を殺して。

息を潜めて。

 

そして——

 

「……行ったね」

 

フリーレンが、小さく呟く。

 

その直後。

 

全員が、

ぬっと姿を現した。

 

隠れる必要がなくなった瞬間、

空気が一気に緩む。

 

フリーレンが、満足そうに伸びをする。

 

「いやー良いもの見れたねー」

 

軽く、肩を回す。

 

そのまま、思い出すように目を細める。

 

「それにしても、ゼーリエって反省できたんだね……」

 

素直な感想だった。

 

その言葉に——

 

フェルンが、ほんのわずかに息を止める。

 

「……とんでもないものを見た気分です」

 

静かに言う。

 

その内容はかなり大げさだった。

 

その横で——

ゼンゼが、ゆっくりと顔をしかめる。

 

「お前たちは、

 ゼーリエ様をなんだと思っているんだ……」

 

半ば呆れたような声。

 

それに対して、フリーレンが首を傾げる。

 

「え……“そういう人”って見てるけど……」

 

何の迷いもない。

 

フェルンも、小さく頷く。

 

「……違うんですか?」

 

確認するように。

 

二人とも、本気だった。

 

ゼンゼが、言葉を失う。

 

口を開きかけて——閉じる。

 

「……」

 

何も言えない。

 

否定できない。

 

その沈黙が、すべてを物語っていた。

 

その空気を、

柔らかくほどくように——

 

メトーデが一歩前に出る。

 

「とにかく、無事に終わってホッとしました……」

 

穏やかな声。

 

すべてを包むような響き。

 

フェルンが、すぐに姿勢を正す。

 

「メトーデ様、お疲れ様です」

 

きっちりとした労い。

 

フリーレンも、軽く手を上げる。

 

「うん、文句無しのMVPだね」

 

素直に認める。

 

ゼンゼも、深く頷く。

 

「メトーデがいてくれて、本当によかった……」

 

実感のこもった声だった。

 

その言葉を受けて——

 

メトーデが、柔らかく微笑む。

 

「ありがとうございます」

 

一度、言葉を区切る。

 

そのまま、

視線をゼンゼへ向ける。

 

「でも、ゼンゼさんも頑張られていたじゃないですか……」

 

自然なフォロー。

 

逃がさない優しさ。

 

その視線を受けて——

 

ゼンゼが、わずかに目を逸らす。

 

「いや、別に……」

 

小さく否定する。

 

言葉が続かない。

 

「わ、私は……」

 

ゴニョゴニョと、尻すぼみに消える。

 

その様子を見て——

 

フリーレンが、じっと顔を覗き込む。

 

「ゼンゼ、目の下の隈すっごいよ……」

 

遠慮がない。

 

フェルンも、すぐに頷く。

 

「早く休んだ方がいいです」

 

真っ当な指摘。

 

ゼンゼが、苦笑する。

 

否定はしない。

 

そのまま、

少しだけ肩の力を抜く。

 

その空気をまとめるように——

 

メトーデが、静かに手を叩く。

 

「それでは……

 皆さんも帰りましょうか」

 

一度、全員を見渡す。

 

「本当に、お疲れ様でした……」

 

締める声。

 

それに対して、ゼンゼが短く返す。

 

「ああ……」

 

ようやく終わった、という響き。

 

——その直後。

 

「よーし、じゃあ打ち上げはどこ行こっか〜」

 

フリーレンが、即座に言う。

 

間髪入れずだった。

 

空気が、一瞬止まる。

 

フェルンが、

ゆっくりと目を細める。

 

フリーレンを、じっと見る。

 

「フリーレン様、さっきまでの話を聞いてましたか?」

 

静かに問う。

 

逃げ場を作らない声。

 

「このまま、帰る流れでしたよ」

 

正論だった。

 

だが——

フリーレンは気にしない。

 

「それはそれとしてだよ、フェルン」

 

軽く受け流す。

 

そのまま、指を立てて補足する。

 

「こういうのはね、

 ちゃんと締めないとダメなんだよ」

 

一拍。

 

「うん、無難に焼肉が良いかな〜」

 

勝手に決める。

 

フェルンが、

大きくため息を吐く。

 

「はぁ……」

 

呆れが混じる。

 

それでも、口は止まらない。

 

「私、お寿司が良いんですけど」

 

しっかり主張する。

 

フリーレンが、じっとりとした目で見る。

 

「もう、フェルンはわがままだなぁ……」

 

言い切る。

 

その言葉に対して——

フェルンが、間を置かずに返す。

 

「フリーレン様にだけは言われたくありません」

 

一切の迷いがない。

 

静かで、的確な一撃だった。

 

フリーレンが、

やれやれといった様子で首を横に振る。

 

ほんの少しだけ、大げさに。

 

「仕方ないな、お姉さんが教えてあげよう」

 

わざとらしく胸を張る。

 

どこからその立場が出てきたのかは、

誰にも分からない。

 

「こういう時はね、焼肉一択なんだよ」

 

自信だけは、やたらとある。

 

フェルンが、

ゆっくりと目を細める。

 

呆れとも、

警戒ともつかない視線。

 

「初めて聞きましたが……」

 

当然の疑問だった。

 

だが、フリーレンは気にしない。

 

むしろ、

待ってましたと言わんばかりに続ける。

 

「太古の時代からの常識だよ?」

 

どこか誇らしげに、言い切る。

 

「大魔法使いフランメや勇者ヒンメルも言ってたんだから、

 間違いはないよ」

 

さらりと、

とんでもない名前を持ち出す。

 

根拠としては強すぎるはずなのに——

 

どこか決定的に、

信用できない響きだった。

 

フェルンが、一拍も置かずに返す。

 

「絶対に嘘です。信じられません」

 

「フリーレン様が食べたいだけじゃないですか?」

 

淡々と。

感情をほとんど乗せずに。

 

そのやり取りに——

ゼンゼが、小さく吹き出す。

 

「ふっ……」

 

力の抜けた笑い。

 

肩が少し揺れる。

 

「どちらにじても、また赤字がかさむな……」

 

ぼそりと、現実に戻す。

 

それを聞いて——

 

メトーデが、くすくすと笑う。

 

「これから、みんなで頑張りましょう……」

 

柔らかい笑い。

 

その声に、場の空気がほどける。

 

完全に。

 

緊張も、張り詰めたものも——

すべて、どこかへ流れていく。

 

ようやく。

 

本当に——

 

終わったのだと、

誰もが実感していた。

 

 

 

その夜。

 

打ち上げを終え——

ユーベルは、自室のベッドに寝転んでいた。

 

天井が、ゆっくりと揺れている。

 

視界の端が、わずかに歪む。

アルコールが回っている。

 

頭の奥を、ぐわん、と掻き回されるような感覚。

思考が、ひと拍ずつ遅れてついてくる。

 

「はぁ……」

 

小さく息を吐く。

胸の奥に溜まっていたものを、ようやく外に逃がすみたいに。

 

そのまま、ぼんやりと天井を見つめる。

 

焦点は合っていない。

ただ、視線だけが上に向いている。

 

「……無事に終わって、よかった……」

 

誰に聞かせるでもない声。

部屋の静けさに、すぐ溶けていく。

 

さっきまでの喧騒が、嘘みたいだった。

 

あれだけ人がいて、

あれだけ声があって、

あれだけ近くに熱があったのに——

 

今は、何もない。

 

その落差の中で。

 

ユーベルの口元が、ゆっくりと緩む。

 

意識していない。

ただ、勝手に。

 

やっぱり——

アイドルやってて、よかったな。

 

心の中に浮かんだ言葉は、

消えずに残った。

 

……まあ、ほんのちょっとだけ悔しいけど。

 

色々、あった。

 

面倒なことも、

腹の立つことも。

 

でも——

 

ゼーリエの、

去り際のあの顔。

 

ほんの一瞬だけ見せた、あの緩み。

 

思い出すと、

少しだけ笑えてくる。

 

……少しだけ。

 

嬉しくも、なる。

 

やっぱり、楽しいな。

 

「ふふっ……」

 

小さく、笑いが漏れる。

 

誰もいない部屋で。

誰にも見られないまま。

 

そのまま——

 

意識の輪郭が、

ゆっくりとほどけていく。

 

現実と、夢の境目が曖昧になる。

 

その時。

 

ふと。

 

何の前触れもなく——

 

記憶が、浮かぶ。

 

輪郭はぼやけている。

色も、形も、曖昧だ。

 

それでも——

 

声だけが、やけにはっきりしていた。

 

『ユーベルは、笑ってた方が可愛いよ——』

 

耳元で囁かれたみたいに、近い。

 

『もし、

 ユーベルが人を笑わせる仕事をすることがあったら——』

 

続く声は、柔らかくて。

 

少しだけ、くすぐったい。

 

……懐かしい。

 

ユーベルが、ゆっくりと顔を横に向ける。

 

そのまま、枕に顔を埋める。

 

布の匂いが、意識をさらに曖昧にする。

 

暗い。

 

安心する暗さ。

 

沈んでいく。

 

抗う気は、もうない。

 

その声の主が誰なのか——

考えるまでもなかった。

 

忘れたことなんて、一度もない。

 

会いたい。

 

でも——

今は、会えない。

 

あの日から、ずっと。

 

距離じゃない。

時間でもない。

 

もっと、どうしようもない“何か”で、

隔てられている。

 

とても、大事で。

とても、愛おしいひと。

 

……。

 

「……姉貴」

 

ほとんど、息みたいな声。

 

久しぶりに口にしたはずなのに、

妙に馴染んでいた。

 

ずっと、胸の奥にあったみたいに。

 

そのまま——

 

ユーベルは、記憶を手繰ろうとする。

 

もう少し——

もう少しだけ……。

 

届きそうで、届かない。

 

その前に——

睡魔が、静かにすべてを奪っていく。

 

思考が沈む。

意識が、落ちる。

 

抗えない。

 

ゆっくりと。

 

確実に。

 

まぶたが閉じる。

 

暗闇が、広がる。

 

そして——

ユーベルの意識は、そのまま沈んでいった。

 

深く。

静かに。

 

何もかもを、飲み込むように。

 

 

 

 

 

——次回。

 

ユーベル、過去に思い耽る。

 







ここまで読んでいただきありがとうございます。
ジュウヨンです。

今回は、今までで一番文字数が多い回となりました。(多分)
話を考えていた当初よりも、良い雰囲気で締められたと思います。

結果として、
相当、お気に入りの回になりました。

ゼーリエとユーベルが、
良い感じに仲直りしてくれて良かったです。

やっぱり、アーク・アルカナは良いですね。

なんだかんだみんな仲良くて、
書いてて幸せな気持ちになります。

メトーデがマネージャーになってくれたおかげで、
フェルンもボケに回るようになってくれました。

今後も、関係を書けていけたらと思います。

……唯一の問題は、
現実の気力を持っていかれることぐらいですね。

私以外の人に続きを書いて欲しいと常々考えています。

そして——
次回はユーベルの過去についてです。

原作のユーベルとあまりに乖離している本作のユーベルですが、
ちゃんと理由が存在します。

原作でも姉がいるという描写があり、
まだ深掘りされていませんが、そこから解釈しました。

独自の解釈にはなりますが、
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。

今後ともよろしくお願いします。
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