ゼーリエ、アイドルになる。   作:ジュウヨン

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姉妹グループオーディションの途中でしたが、
一度中断します。





フェルン、太る

 

 

 

久々の休日。

 

フェルンが、

自宅の脱衣所で足元に睨みをきかせていた。

 

 

 

 

 

…………ギシッ。

 

 

 

 

 

……おかしい。

 

も、もう一度だ。

 

 

 

 

 

…………ギシッ。

 

 

 

 

 

……こんなの、絶対何かの間違いだ。

 

何かが、間違ってる。

 

壊れてるのだろうか。

 

……もう一回だけ乗ってみよう。

 

 

……

 

 

……

 

 

 

その後——

 

 

 

何度試しても、

表示された数字が変わることはなかった。

 

裸足で乗っても。

 

少し息を止めてみても。

 

姿勢を正してみても。

 

現実は——

まるで嘲笑うように同じ数字を映し続ける。

 

……。

 

……もはや。

 

自覚せざるを得ない状況になっていた。

 

(ふ、太った……)

 

体重計が示す数字は、

自分の知っている体重より二十キロ以上も重かった。

 

……。

 

……今まで、なるべく見ないようにしていたが。

 

恐る恐る鏡を見る。

 

そこには——

 

自分の知らない恰幅の良い人が、

堂々と映っていた。

 

胸の奥が、ずっしりと重くなる。

 

だが——不思議なことに、

フェルンは意外なほど冷静だった。

 

この結果については、

思い当たる節しかなかったからだ。

 

魔法の修行から遠ざかり、

生活はアイドル活動が中心。

 

最近はイベントで歌う機会が増え、

激しく踊る仕事も以前より少なくなっていた。

 

その一方で増えたのは——食べる仕事。

 

美味しそうに食べる様子から、

すこぶる評判が良かった。

 

……だから、増えた。

 

全国を巡る食レポ。

 

新作スイーツの試食。

 

人気店とのコラボ企画。

 

(残すのは……

 作ってくれた人に失礼だよね)

 

そう自分に言い聞かせては、

毎回きっちり完食していた。

 

そして……

仕事を終えて帰宅した深夜。

 

疲れ切った体に染み渡るのは——即席ラーメンだった。

 

袋麺に卵を落とし。

 

たっぷりのチーズを乗せ。

 

チャーシューを惜しみなく加える。

 

麺を食べた後は——

 

仕上げに残ったスープへ、

ご飯を投入する。

 

そして——

 

一気にかき込む。

 

とろけたチーズ。

 

卵のまろやかさ。

 

旨味を吸い込んだご飯。

 

その瞬間だけは、日常の疲れも、

仕事のストレスも、全部忘れられた。

 

まさに——

 

至福のひと時だった。

 

……フリーレンにも言われていた。

 

「あれ……フェルン」

 

「なんか、デカくなってない……?」

 

いつも無表情なフリーレンにしては珍しく、

その声にはわずかな驚きと困惑が滲んでいた。

 

「……デカいとは、

 一体どういうことでしょうか。フリーレン様」

 

凍てつくような視線で、静かに牽制する。

 

「あ——いや、うん……」

 

「ごめん、勘違いだね……」

 

そう言うと、

フリーレンは露骨なくらいに目を逸らした。

 

……勘違いだと思っている人間の反応ではなかった。

 

シュタルクにも——

 

「うおっ……!!」

 

「フェルン、めっちゃ強そうになってんじゃん!」

 

「鍛えてんの!?」

 

……などと、デリカシーの欠片もないことを言われた。

 

反射でゾルトラークを撃ち込みそうになったが、

 

寸前で——踏みとどまる。

 

そして——

 

冷静に、

全力のビンタで妥協した。

 

……。

 

幸いにも、

フェルンは顔に肉が付きにくい体質だった。

 

衣装も、

極力、体のシルエットが出にくいものを選んでいた。

 

そのおかげで……

これまでのテレビやイベントはどうにか誤魔化せてきた。

 

……いや。

 

誤魔化せていた、と信じたい。

 

しかし——

 

ライブだけは違う。

 

細身の衣装。

 

体のラインがはっきり出るステージ衣装。

 

腕も出す。

 

脚も出す。

 

観客からは、

全身を見られる。

 

——どう考えても、隠し通せない。

 

 

 

……全国ライブツアーまで、あと三か月。

 

 

 

このままでは、

駄目だ。

 

(どうにかしなきゃ……)

 

(私は……アイドルなんだ)

 

フェルンの瞳に、静かな決意が宿る。

 

ここ数年で積み重ねてきた、

アイドルとしての誇り。

 

その火が、胸の奥で静かに燃え始めていた。

 

(……痩せよう)

 

(一日でも、早く。

 一キロでも……多く)

 

(それが——

 プロフェッショナルだ)

 

勢いよく踵を返し、

そのまま玄関へ向かう。

 

——その時だった。

 

(……ん?)

 

ふと、台所に置かれた袋麺が視界に入る。

 

(そういえば……

 今、辛い物の気分なんだよね……)

 

(辛い物って、脂肪燃焼に良いって聞いたことあるし……)

 

そう考えた瞬間だった。

 

フェルンの行動は、驚くほど早かった。

 

迷いなく袋麺を取り出し。

 

魔法で鍋に水を張る。

 

そこに、

麺と粉末スープを入れる。

 

さらに——

 

チーズと卵を投入。

 

……チャーシューだけは、さすがに我慢した。

 

そして。

 

鍋を火にかける。

 

魔法で火力を調整しながら……

静かに待つ。

 

……

 

——よし。

 

火を止める。

 

本来なら三分。

 

だが、フェルンは一分で止める。

 

麺は固め。

 

それだけは——

絶対に譲れなかった。

 

アイドルとして

体型のこだわりは揺らいでも、

 

ラーメンへのこだわりだけは、

一切揺らがない。

 

 

 

……

 

…………

 

 

「……ゲプ」

 

「美味しかったぁ…………」

 

幸せだった。

 

自然と頬が緩む。

 

辛めのスープ。

 

歯応えの残る麺。

 

とろりと溶けたチーズが麺に絡みつき、

 

卵が全体を優しく包み込む。

 

——完璧だった。

 

麺を食べ終えた後は、

 

いつものように、

残ったスープに迷わずご飯を投入した。

 

最後の一滴まで綺麗に平らげる。

 

器は空っぽ。

 

幸せだけが、

胃袋いっぱいに広がっていた。

 

「……ふぅ」

 

さて。

 

お腹もいっぱいになったし、

 

少しだけ横になろう。

 

これが——

最高なんだよね。

 

ベッドへ飛び込み、

 

スマホをぼんやり眺める。

 

満腹感と心地よい疲労感。

 

まぶたが、

ゆっくりと重くなっていく。

 

 

 

……

 

 

……

 

 

……

 

 

……ん?

 

 

……いや、何をやっているんだ私は!!

 

飛び起きる。

 

勢いよく体を起こしたものの、

 

先ほど食べたラーメンが、ずしりと胃に残っていた。

 

「うぅ……重い……」

 

のそり、と起き上がる。

 

さっきよりも、

さらに体が重い気がした。

 

急いで玄関へ向かう。

 

……いや。

 

でも。

 

今日は、やめようかな。

 

明日から頑張ればいい。

 

一日くらい、大丈夫だよね。

 

そんな甘い考えが頭をよぎる。

 

足が止まる。

 

振り返ろうとした——その時だった。

 

ゴッ——。

 

肩が、タンスにぶつかった。

 

……一瞬、何が起きたのか分からなかった。

 

以前なら、

こんなことはなかった。

 

小指をぶつけることはあっても、

 

肩や体を家具にぶつけることなんて、

一度もなかった。

 

——なぜなのか。

 

答えは、

嫌というほど分かっている。

 

体が……

 

大きくなったからだ。

 

その事実だけが、

 

何よりも重く胸へ突き刺さる。

 

「……っ」

 

涙が、頬を伝う。

 

ぽろり。

 

ぽろり、と。

 

止めようとしても、

 

止まらなかった。

 

「うっ……うう……っ」

 

「な、なんで……

 どうして……こんなことに……っ……」

 

悲痛な叫びが、

部屋の中を木霊する。

 

 

……。

 

……。

 

……もう、覚悟はできた。

 

涙を誤魔化すように、

強引に手の甲で拭う。

 

そして、小さく拳を握り締めた。

 

今、立ち止まれば——

 

きっとまた、

自分に言い訳をしてしまう。

 

だから。

 

急いで靴を履き、

逃げるように玄関を飛び出した。

 

この決心が——

 

鈍ってしまう、その前に。

 

彼女が向かった先は、

 

王都の、

とある施設だった。

 

 

 

 

 

「それでは、施設の見学からしましょうか〜」

 

「はい……お願いします」

 

やけに明るいトレーナーの声が、

耳に響く。

 

その眩しい笑顔さえ、

今のフェルンには少しだけ辛かった。

 

彼女に案内されるまま、施設の中を歩いていく。

 

ここは——

 

王都最大級の二十四時間営業ジム。

 

——『マジックタイム・フィットネス』

 

有酸素マシン。

 

筋力トレーニング用の器具。

 

フリーウェイトエリア。

 

館内を見渡せば——

 

筋骨隆々の戦士。

 

細身の学生。

 

健康維持に励む老人。

 

談笑しながら歩く主婦。

 

年齢も目的も様々な人々が、

それぞれ汗を流していた。

 

……その光景だけで、少し気が重くなる。

 

フェルンは、

昔から運動が好きではなかった。

 

苦手というわけではない。

 

やれば、それなりにはできる。

 

だが、

 

好きか嫌いかと聞かれれば——

 

間違いなく、嫌いだ。

 

アイドルになってからは

ダンスのレッスンをするようになった。

 

ダンスそのものは嫌いではない。

 

踊れるようになる達成感もあった。

 

……。

 

全ての始まりは——

 

メトーデが、マネージャーになってからだ。

 

突然——

体力作りのランニングが、始まった。

 

あれだけは……

本当に地獄だった。

 

メトーデの目を盗み、

 

転移魔法でこっそり距離を稼いだのも、

一度や二度ではない。

 

……もっとも。

 

『フェルンさん、プラス2kmです……』

 

メトーデが笑顔で告げ、

 

『……メトーデ様、それだけは勘弁してください』

 

必死に抗議をしても——

 

『さぁ——

 一緒に成長しましょうね……』

 

フェルンの目から——光が消える。

 

毎回、きっちり見抜かれ。

 

縮めた分だけ追加で走らされていた。

 

最近はライブや大型イベントも少なく、

 

芸能活動が中心だったおかげで、

その苦行からもしばらく解放されていた。

 

だからこそ。

 

今さら、

また運動漬けの日々に戻るなんて——

 

できることなら。

 

絶対に、

やりたくなかった。

 

 

 

……

 

…………

 

 

「それでは、ご入会はいかがなさいますかー?」

 

トレーナーの、

やたらとエネルギッシュな声が、耳の奥までキーンと響く。

 

……やっぱり、無理だ。

 

(本当に入りたくない……)

 

フェルンは心の底からそう思った。

 

トレーナーの無駄な陽気さも苦手だったが。

 

それ以上に——

彼女は、筋金入りの運動嫌いだった。

 

ダンスや戦闘訓練なら、まだいい。

 

上達が実感できる。

 

強くなれる。

 

アイドルとしても、

魔法使いとしても意味がある。

 

だから耐えられた。

 

問題は——

それ以外のトレーニングだった。

 

走って、

何になる。

 

重い物を持ち上げて、

一体何になる。

 

もちろん、体は変わるのだろう。

 

頭では理解している。

 

だが、それ以上に——

 

“キツい”

 

その三文字が、全てを上回ってしまう。

 

目標までの道のりは、

あまりにも長い。

 

汗を流して。

 

息を切らして。

 

筋肉痛に耐えて。

 

それを何ヶ月も続けなければならない。

 

考えただけで気が遠くなる。

 

(……やっぱり、食事制限だけで痩せようかな)

 

そんな、

弱気な考えが頭をよぎった——

 

その時だった。

 

「く……苦しい…………っ」

 

「くそっ…………」

 

「なぜ、私がこんなことを…………」

 

恨み言を呟きながら、

ランニングマシンの上を——

 

のっそ……のっそ……と、

歩いている人物が目に入る。

 

不自然なまでに大きなパーカー。

 

フードの隙間から覗く、長い耳。

 

鮮やかな金髪。

 

わずかに出ている

透き通るように、白い肌。

 

幼い背丈。

 

だが——

とんでもないガタイ。

 

「……え、」

 

思わず、声が漏れた。

 

気づけば、

足は自然とそちらへ向かっている。

 

……。

 

……どれだけ服装と体が違おうと、

見間違えるはずがない。

 

大陸魔法協会創始者。

 

そして——

アーク・アルカナの絶対的リーダー。

 

彼女は——

 

 

 

「ゼーリエ様……

 

 一体、ここで何をされていらっしゃるんですか……?」

 

その声に。

 

ビクリ、と肩が震えた。

 

ランニングマシンが止まる。

 

ゆっくりと振り返り。

 

さらに、

ゆっくりとフードを脱ぐ。

 

「……ちっ、フェルンか」

 

汗で前髪を額に張り付かせながら、

ゼーリエは忌々しそうに舌打ちした。

 

「ふん、別に何もクソもない」

 

「ただ……歩いているだけだ」

 

「……見れば分かるだろう」

 

肩で息をしながら汗を拭う姿は、

普段の尊厳に満ちたゼーリエとはまるで別人だった。

 

「とにかく……私はウォーキングの途中だ」

 

「……邪魔をするな」

 

ぶっきらぼうに言い捨て、

再び前を向く。

 

その雄大な背中を見た瞬間。

 

フェルンは、全てを悟った。

 

……そういうこと、か。

 

だからこんな時間に。

 

だからパーカー姿で。

 

だから……

誰にも見られたくなさそうだったのだ。

 

——だが。

 

同じアーク・アルカナの仲間として。

 

この事実だけは、

確認しておかなければならなかった。

 

「ゼーリエ様……」

 

「なんか……大きくなりました?」

 

静かに尋ねる。

 

ゼーリエの動きが止まる。

 

ゆっくりと振り返る。

 

「……黙れ、フェルン」

 

低い声だった。

 

「私は……大きくなどなっていない」

 

「第一、エルフはそんな急に成長せん」

 

……いや、そういうことじゃない。

 

苦しい言い訳だった。

 

そして今度は、

ゼーリエがフェルンをじっと見つめる。

 

頭の先から——足元まで。

 

時間をかけて。

 

ゆっくりと。

 

「……そもそも、貴様はどうなんだ」

 

「以前より……だいぶ面積が広くなったように見えるが」

 

その一言に。

 

フェルンの肩が、ビクンと震えた。

 

「……私の面積は広くなっていません」

 

「運動不足を解消しに来ただけです」

 

苦しい返答だった。

 

ゼーリエは数秒だけ黙って見つめ、

 

「……ふん」

 

小さく鼻を鳴らす。

 

「……ならば、話しかけるな」

 

……何かを察したようで。

 

そう言うと、

再びウォーキングを始めた。

 

……

 

……ドシン。

 

……ドシン。

 

……ドシン。

 

一歩踏み出すたび、

ランニングマシンがギシリ、と悲鳴を上げる。

 

床が微かに震え、

パーカー越しでもわかるぐらいに腹回りの肉がぶるり、と揺れる。

 

「はぁ……っ」

 

「はぁ……っ」

 

息は荒く、肩は上下し、

足取りもどこか頼りない。

 

「く……くそっ…………」

 

今にも倒れそうだった。

 

(……え、)

 

(すっごく、辛そうなんだけど……)

 

フェルンは圧倒される。

 

これが——運動。

 

これが……

 

ダイエット。

 

想像していた何倍も、過酷そうだった。

 

(……だ、ダメだ)

 

(私には……絶対に無理だ)

 

(続く気が——微塵もしない)

 

決心が、音を立てて揺らぐ。

 

(やっぱり……

 食事制限だけで、なんとかしよう……)

 

そう思った——

 

その瞬間だった。

 

「……ん?」

 

「お、フェルンじゃーん」

 

「フェルンもジムの契約しに来たのー?」

 

背後から聞こえた。

 

この、無駄に明るい声。

 

どこまでも砕けた口調。

 

……思い当たる人物は、一人しかいなかった。

 

「……あれ?」

 

「なんか、めっちゃデカくなってない?w」

 

……このデリカシーのなさ。

 

——予感が、確信に変わる。

 

ゆっくりと振り返ると……

 

 

 

「ひさしぶりーーw」

 

 

 

……やはり、ユーベルだった。

 

よりにもよって——

 

今、一番会いたくなかった相手だ。

 

「……ユーベル様ですか」

 

「私はデカくなっていません」

 

むっとした表情で言い返す。

 

だが。

 

「いやいやw」

 

「絶対デカくなったってwww」

 

「それでデカくなってないはさすがに厳しいからwwww」

 

「お腹痛いwwwww」

 

腹を抱え、

爆笑しながらごろごろと転げ回るユーベル。

 

……。

 

フェルンは目を閉じる。

 

……抑えろ。

 

ここはジムだ。

 

戦場じゃ、ない。

 

……抑えなきゃ。

 

杖を呼び出しそうになる右手を、

左手で無理矢理押さえつける。

 

深呼吸。

 

一回。

 

二回。

 

……まだ、耐えられる。

 

「いやー笑った笑ったw」

 

「……ん?」

 

そこで——

ユーベルの視線が、フェルンの後ろの人物に移ろいだ。

 

「……あれ、」

 

「てか、後ろで歩いてるめっちゃ大きい人、

 ゼーリエじゃない?」

 

「……」

 

ゼーリエは何も答えない。

 

無言のまま、

ウォーキングを続ける。

 

だが——

フードの隙間から金髪と長い耳が覗いている。

 

知っている者なら、一目で分かる特徴。

 

ユーベルは確信したようにしゃがみ込み、

顔を覗き込んだ。

 

「ほら、やっぱゼーリエじゃん!」

 

「ゼーリエもちょっと見ない間にデッカくなったねwww」

 

「言っちゃうと、だいぶ太ったねwwww」

 

どストレートに。

 

悪びれもなく笑う。

 

その笑い声が、ジムに響く。

 

……嫌な予感がした。

 

ゼーリエは何も言わない。

 

何も反応しない。

 

それなのに——どこかで。

 

ぷつり、と。

 

何かが切れる音がした気がした。

 

ウォーキングマシンが止まる。

 

ゆっくりと降りる。

 

そして。

 

……ドシン。

 

……ドシン。

 

床を震わせながら、一歩ずつ歩き始めた。

 

「ユーベル、貴様……」

 

低い声。

 

その一言だけで、空気が凍り付く。

 

同時に、

ゼーリエの魔力が一気に膨れ上がる。

 

ゴォォォォ……。

 

空気そのものが震え、

髪や衣服がばさりと揺れた。

 

運動の疲れもあったのだろう。

 

普段のゼーリエが、

どれほど魔力を抑えて生活しているのか。

 

それが嫌というほど伝わってくる。

 

「ちょwww」

 

「ゼーリエこっわwwwww」

 

それでもユーベルは笑っていた。

 

まるで危機感がない。

 

……ドシン。

 

……ドシン。

 

ゼーリエは止まらない。

 

一歩。

 

また一歩。

 

確実に距離を詰めていく。

 

「てかさ——」 

 

「ゼーリエが歩くたびに、ちょっと地響きしてない?w」

 

 

 

——ブチッ。

 

 

 

今度は、全員が聞いた。

 

何が切れたのかは分からない。

 

だが。

 

決して、

切ってはいけない何かだった。

 

「ふっー……!」

 

「ふっーー……!!」

 

「ふっーー……ふっーーーー……!!!!」

 

肩で荒く息をしながら、

ゼーリエが右手を高く掲げる。

 

瞬間。

 

頭上に、巨大な魔法陣が展開された。

 

ゴゴゴゴゴゴ……

 

空間が歪む。

 

床が震える。

 

圧倒的な魔力が渦を巻き、

周囲の利用者たちは一斉に息を呑んだ。

 

ゼーリエは、

ブツブツと小さく詠唱を始める。

 

魔法陣の中心には、

今にも溢れ出しそうな膨大なエネルギーが収束していく。

 

——その時だった。

 

「……ゼーリエ様、抑えてください」

 

「ここは、公共の施設です……」

 

「一般の利用客もいます……」

 

静かな声が、その場を切り裂いた。

 

止めに現れたのは——

 

ゼンゼだった。

 

彼女だけは、

いつもと変わらない体型のまま。

 

この場で唯一、

冷静さを保っている人物だった。

 

「ユーベル、ゼーリエ様を煽るな……!」

 

「今、一生懸命に頑張っていらっしゃるんだ……!」

 

長い前髪の隙間から、

ギロリと鋭い視線がユーベルを射抜く。

 

普段は穏やかなゼンゼにしては珍しく、

その声には明確な怒気が宿っていた。

 

「いやぁwwごめんってwwww」

 

「あまりにも見慣れない光景だったからさーww」

 

悪びれる様子は、一切ない。

 

ケラケラと笑うユーベルを見ていると、

本当に反省しているのかすら怪しかった。

 

……相変わらずだ。

 

肝が据わっているのか。

 

それとも、

単純に感覚が狂っているだけなのか。

 

もはや誰にも分からない。

 

「……にしても」

 

「二人とも見事にサイズアップしたねww」

 

「ちょっとさすがに痩せた方がいいと思うよwwww」

 

 

 

——あ、殺したい。

 

 

 

フェルンの理性が、

一瞬だけ吹き飛ぶ。

 

反射的にユーベルへ飛びかかろうとした、

その瞬間——

 

「フェルン、落ち着いて……!」

 

ゼンゼの長い髪が蛇のように伸び、

一瞬でフェルンの体へ巻き付いた。

 

「くっ……!」

 

「ゼンゼ様、離してください……!」

 

身動きが取れない。

 

同時に、ゼーリエの体にも髪が絡み付いていく。

 

「離せ、ゼンゼ……!」

 

「今すぐ、このクズを殺す……!」

 

荒い息を吐きながら暴れるゼーリエだったが、

ゼンゼの拘束はびくともしない。

 

「ゼーリエ様も、気を確かに……!」

 

二人を必死に押さえ込みながら——

 

ゼンゼは額に手を当て、

大きく天を仰いだ。

 

「ユーベル……今日はもう帰ってくれ……!」

 

「私一人では、この二人の怒りをこれ以上抑え込めない……!」

 

「本当に……お願いだから……!!」

 

切実だった。

 

心の底からの懇願だった。

 

ここまで感情を露わにするゼンゼは、

滅多に見られない。

 

「もう、わかったよーww」

 

「まあ、私もここのジムに通うからさー」

 

「これからよろしくねーー」

 

まるで何事もなかったかのように、

ひらひらと手を振るユーベル。

 

とんでもない爆弾を落としていき、

そのまま軽い足取りで出口へ向かっていく。

 

その背中へ。

 

フェルンとゼーリエ、

二人分の殺意に満ちた視線が突き刺さる。

 

だが、本人はまるで気付いていない。

 

いや——

 

気付いていて、

気にしていないだけなのかもしれない。

 

「…………はぁ」

 

ゼンゼはようやく拘束を解き、

深く息を吐く。

 

肩から力が抜ける。

 

(……本当に、なんて奴だ)

 

(危うく、ジムが焦土になるところだった……)

 

胸を撫で下ろしながら、

帰っていくユーベルの背中をぼんやり見つめる。

 

……その時だった。

 

(……ん?)

 

ふと、違和感を覚える。

 

(ユーベルって……)

 

(普段は、もっと露出の多い服を着ていなかったか……?)

 

今日は妙にゆったりした服装だ。

 

さらに目を凝らして見る。

 

(……心無しか)

 

(少し、背中が逞しくなったような……)

 

肩周りも、

以前より厚みがあるように見える。

 

だが、その疑問はすぐに消えた。

 

ユーベルは扉を開け、

そのまま施設の外へ姿を消してしまう。

 

(……まあ、気のせいだろう)

 

(もし、本当にそうなら……)

 

(あんなふうに、人を煽ったりなんてしないはずだ)

 

ゼンゼは小さく首を振った。

 

——この時の彼女は、まだ知らない。

 

 

 

ユーベルという女が。

 

自分のことは思いきり棚に上げて、

人を煽る天才だということを。

 

 

 

 

 

 

こうして——

 

それぞれの事情を抱えた魔法使いたちによる、

前代未聞のダイエット生活が幕を開ける。

 

その戦いは。

 

脂肪よりも先に、

互いの理性を削り合うことになるとは——

 

まだ、誰も知らなかった。

 

 

 

 

 








ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
ジュウヨンです。

約2か月ぶりの更新になりました。

本来は姉妹グループ発足編を書き切ってから着手する予定だったのですが、
どうしてもモチベーションが湧かず……。

「今、一番書きたいものを書こう」と思い、
このダイエット編を先に描くことにしました。

改めて書いてみて思いましたが、
この作品はゼーリエとユーベルの掛け合いが本当に楽しいですね。

二人が会話を始めると勝手に物語が転がっていきますし、
そこへゼンゼが青ざめながら止めに入る流れも含めて、
自分でも書いていてとても楽しかったです。

ダイエット編自体は、
実は作品を考え始めた頃から温めていたエピソードでした。

ユーベルが思っていた以上に煽り倒してくれましたが、
彼女自身も、肥満という咎を背負っているので、
どうか許してあげてください。

これが細い人だったら、ただの嫌な人ですからね(笑)。

更新は空いてしまいましたが、
エタるつもりはありません。

自分自身、この作品を書くのが本当に楽しいですし、
読んでくださる方がいる限り、
この先も最後まで描き続けたいと思っています。

また、自分も趣味でトレーニングを続けているので、
ジムや筋トレの描写はできるだけリアルに描いていきたいと思っています。

その経験も少しずつ作品に反映できればと思っています。

それでは、今後ともよろしくお願いいたします。

現状、好きな要素を教えてください。

  • アーク・アルカナ
  • カンラヴィ(姉妹グループ)
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