序章あるいは脱出   作:ゆり0626

1 / 1
序章あるいは脱出

 話はあの陰険クソ重ホバー二脚(スネイル)からの攻撃で飼い主諸共行動不能になった、その後から始まる。脳に響く声ことエアのおかげで621は強化人間としての機能抜きに目覚めることが出来ていた。エア曰くずっと呼びかけていた、レイヴンが目を覚ましてくれて安心した、らしいが……目覚めてすぐに探したのはハンドラーの姿だった。

『いない?』

『ええ、貴方のハンドラーは……おそらくここのどこか、別の場所に輸送されました』

 それはそうだろう。犬を一番無防備に、そして新しい飼い主を刷り込む為には、隔離するのはまず第一歩だ。それから前の飼い主を忘れ去るまで教育する。その為には……。

 来た。

「駄犬が目覚めたと聞いて来ましたが……ああ、コレですか」

 新しい飼い主の顔を覚えてもらわなければならない。

 長身で神経質、至る所に手術痕とそれを隠すための手術痕、今まで以上にGを軽減するヴェスパー最新式のパイロットスーツが首から覗き、その上に着た高価そうな(621には衣類の値段など解らないので予測に過ぎないが)一揃いのスーツはトレーニングを欠かさない人間特有のシルエットを過不足無く強調している。隈やシミ、たるみは無く、金のある人間が金を出して自己プロデュースを余念なくしている、そういう印象を受けた。

 汚い犬の顔など触れたくもないのか、薄手の手袋を目の前ではめてから621の、自分の顎を上げさせられる。軽い力をかけるだけで持ち上がる首は、鎮静剤など打たずとも元より自分の意思だけでは動かない入れ物だった。

 合成樹脂と、焼けていないヒトの皮膚、合成した香水の香りがする。焼けた側から、失った側から、他人を犠牲に奪ったのだろうか。

 「レイヴン。私が新しい飼い主です。よくよく覚えておくように」

 勝ち誇るように嗤ったその表情は焼けた脳にも反感を覚える程度には嫌味ったらしかった。その後、興味深そうに皮膚感覚やら四肢の動作範囲やら脳波の記録やらを調べてからスネイルは退出した。皮膚感覚はそもそもAC操作に不用なので大抵切っている。ルビコンに来る前、それからウォルターがルビコン入りしてからはストレッチだの自己マッサージだのをやっていたからか、身体の柔らかさは平均以上らしい。それから強化手術の安定度は低い。だから621は在庫で、ウォルターに飼われたのだった。

「あっ!ああ!!第二隊長閣下!!」

 聞いたことのある声がする。アレだ、一度見逃した……見逃した後に再教育される予定だと言われていた男。ガイダンス。元第七隊長。スウィンバーン。

 外の様子がわかるのはそれで恐怖を与える為だろう。自分しかいない部屋の向かいは複数人が拘束された部屋で、脅威たるレイヴンを他者に寄せ付け結託させないように――レイヴンの有用性が損なわないようにかもしれないが――つまりは特別扱いが見てとれた。そしてその特別扱いを受けられなかった男は収容されてなお、飼い主に縋り自らの有用性を説いている。スネイルは一瞥もやらず、通り過ぎ、やがてバチン!という破裂音と共に男の叫び声、それから見せしめだろうか?複数の人間の叫び声と疑問の声、非難の声、そして……静かになった。

 それは、自分のこれからを暗示するようで、621は不安と強い郷愁に襲われた。621の郷愁とはつまりハンドラーのことであった。こいつはハンドラーではない。少なくとも、621のハンドラー足りえない。やはり、621のハンドラーはウォルターしかいない。

 犬は飼い主を選べない。

 621はウォルターに飼い続けて欲しかった。

 その為には、ウォルターを、探さなくてはならなかった。探して、見つけ出して、一緒に抜け出す事。それが犬の至上命題になった。

 その為の全てをやる事にした。

 痛みに耐える事、それらしいタイミングで気絶する事、飼い主を忘れた犬のふりをする事。あとはエアによる情報遮断、脳波改竄。同時に施設内の探査。

 再教育センターは、名前こそそれらしいが実体はそれ以下だった。地獄行き、にでもした方が可愛らしいのではないかと思うほど。静かな時か、人間の痛みを訴える時か、そのふたつにひとつしかない世界でなお自我を保ち続けていると言えるのは621とスウィンバーンくらいだ。彼の生への執着はルビコニアンの信仰をも超越した矮小さで、それ以外の人間は教育され企業への忠誠を誓うか、ファクトリーに輸送され部品となった。もしかしたら元第七隊長という地位が責め手に緩みを与えたのかもしれないが。顔見知りを虐め抜こうと思える人間は少ない。こういう場所に勤めるような人間は、その少数派と汚職に手を染め多かれ少なかれスウィンバーンの甘い汁を啜った事のある人間だ。

 エアの作戦に乗るとして、スウィンバーンの懐柔、もとい回収に成功したならば成功率は上がる。ウォルターが生きてセンターのどこかにいてくれる可能性は低い。そもそもスタンニードルランチャーは生身で受けて生存できるほど優しい武器ではない。死んでいるかもしれない。生きていても、既にファクトリーに輸送されているかもしれないし、脱出失敗の見せしめになにか、なにか酷いことをされるかもしれない。再教育されてもはやウォルターですら無くなっている可能性も。

 再教育センター基幹システムはすぐにエアの手に渡った。システムの擬装看破と放たれた囚人が回収されレイヴンがいない事に気が付かれる前に脱出しなくては。ここに居ないならば脱出して、それからすぐにでもファクトリーに行かなくては。

 時間がない。

 放たれた囚人はまだ頭と手足が動くものだけが出口に殺到する。その中に一人、別の動きをしている奴がいた。同じペラッペラの、一人で脱ぎ着出来ない服の薄くて細い男はエアの誘導より先に同じルートを辿ろうとしていた。

 こいつだ。

 スウィンバーンは元々物理障壁の少ないルートを知っている。意図的に掴みやすくなっている襟首を掴めばぎゃあと情け無い声を上げ、少々ジタバタした後さめざめと命乞いをし、その途中でようやくこちらに気がついたらしい。

「貴様、レイヴンか!?よくもまぁおめおめとその顔を私の前に出せたものだな!」

「AC以外で殺すことも出来る。ハンドラーはどこだ」

「ヒッ……貴様よくよく教育がなってないようだな。交渉のやり方は教えて貰わんかったのか?」

「交渉は飼い主の仕事だ」

「どこまでも犬だな」

「命」

「は……はぁ?」

「今握っている交渉」

 それだけで会計責任者をやっていた程度の頭はある男は理解したらしかった。わかりやすいほどにさっと青ざめた顔をする。果たしてこの男は説けるほど交渉がうまいのだろうか?

「しっ、しらん!私は知らんぞ!そもそもお前がいた場所が一番警備が手厚い!」

 なるほど『レイヴン』はそれほどまでに危険視されていたようだ。

「二番目は」

「二番目も三番目も同じ階層だ。貴様の飼い主はここに居ない」

 エアの探査には漏れがある。人間がわからないのだ。正確には、そこに誰かがいるのかは分かっても誰がいるのかはわからない。彼我の判別は621の耳目から受けた情報のみで行っているらしい。だから、スウィンバーンの言葉の真贋もわからない。しかし突き止めるだけの時間も無かった。

 脱出出来たなら、犬の餌として飼い主が生きていられる時間はのびる。

「ぎゃん!」

 べちゃりと支えを失ったスウィンバーンは犬より犬らしい声で叫び痛みに蠢いた後、理解したらしかった。

 レイヴンには自身を助ける理由はない。脱出ルートが同じなら早い者勝ちだ。

 621はそこに打ち捨てられたジャンクACがある事を知っているが、この男はそれを知らない。そればかりか、同じルートを辿るならそこの警備はより堅牢になる。いや、それ以外も。レイヴンを探し出す為なら草の根一本逃さない程の苛烈な捜索が為されるだろう。

 この男の生存の道は少ない。

 センターにとどまり再教育され生まれ変わるか、別ルートでの脱出を目指すか、レイヴンを頼るかだった。

「たッ助けてくれ!」

 驚いたのは621の方だった。そう来るのか。

「交渉か?」

「違う!……ただの命乞いだ」

 男からすると正当かつ一番分の良い賭けを選んだつもりの選択が621の何かに触れた。

 人はそれを気まぐれだとか人の心だとか、あるいは琴線に触れたというのかもしれないが、犬はそれの呼び名を知らなかった。

「ついて来い。操縦席が広いといいな」

 

 

 

  古くさいACの操縦席は妙に広く、最新のACに馴染んだ621にとっては奇妙に感じた。いや、マッドスタンプの乗り手は大男だったらしいからこれくらい広くないと入らないのかもしれない。あるいは昔のルビコニアンは豊富なコーラルの恵でこれくらいの巨漢が普通だったのだろうか?ともかくジャンクACの操縦席は621が乗り込んでもあとスウィンバーン二人くらいならなんとか詰め込めるかもしれなかった。

 

 

 

「で、なんだいその薄汚い男は」

「拾った」

「あんたもウォルターの犬だね……飼い主に良く似てるよ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。