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燃ゆる松葉
灰と成りても
恋情と
愛情の
狭間に揺れる
幽玄の時
◇◆◇◆◇◆
「大人になったら結婚しようね」
俺が松実家に引き取られた頃に、そう言ったのは、玄だった。
「お兄ちゃんと、お姉ちゃんと、私。三人でだよ」
あの頃の俺たちは子供だった。ずっと三人で一緒にいられると思っていた。
あの約束を、玄は覚えているのだろうか?
「どう、かな? 似合う?」
姉さんが巫女服を着ていた。玄と二人で、憧ちゃんの神社の手伝いに行くらしい。
「目茶苦茶似合うよ」
楚々とした姉さんの美しさを、巫女服が引き立てていた。
「お兄ちゃん、私は?」
「すっごく似合う」
玄の艶やかな黒髪に、和装が映える。
「えへへ~」
玄がくるりと回転し、紅い袴がふわりと靡いた。
「玄ちゃん可愛い♡」
「お姉ちゃんも♡」
二人の華憐さと仲睦まじさに、俺は腕組みをし、尊い気持ちに浸っていた。
♢
幼少期の俺は、玄に引っ張られるように連れ出され、クタクタになるまで遊んだり、姉さんと話をしたり、一緒に本を読んだり、穏やかで柔らかな時間を過ごしていた。
一番好きなのは、三人で過ごす時間だった。
幼い頃、寒がりの姉を温めるために三人で同じ布団で寝る事があった。甘える姉を見て、玄と俺は愛らしい天使か何かを愛でているような錯覚を覚えていた。
三人で過ごす時間が増えたのは、露子さん、姉妹の母であり、俺の義母が亡くなった事がきっかけだった。
玄は泣きじゃくる姉を抱き締めていた。自分も泣き叫びたいだろうに。
強いな、と思った。けれど、その強さは表面的な物だった事に、後で気付いた。玄は俺と姉さんが自分の側から居なくなる事を、極度に恐れるようになっていたから。
一番泣いていた姉さんは、立ち直るのが早かったように思う。
『私はお姉ちゃんだから、ね』
儚げで、ともすれば、か弱い印象さえ受ける姉は、時に年長者らしい強さを見せた。
玄はきっと、今もまだ引き摺っている。姉さんの胸に顔を埋める玄を見るたび、そう感じていた。
別れる事に、慣れる事などあるのだろうか――。
月光の様に美しく優しい玄。
健気な妹。だが、その健気さは恐ろしい程の執着心という側面を持っていた。
子供麻雀クラブが無くなった後、玄は使われていた部屋に二年以上も通って掃除をしていた事があった。いつか誰かが戻ってくると信じて、虚空に向かって祈る様に。その祈りは通じたのだけれど、彼女の内に秘めた危うさを、俺は痛ましく感じていた。
一方で、姉さんは柔らかな陽射しを連想させる。
ふわふわして掴みどころのない、庇護欲を掻き立てられる愛らしさを、愛しく思う。姉さんといると、何処か神聖な気持ちになるのは、彼女に対して抱いている感情から来るものだろうか。
初恋は、姉だった。
初めて会った時、体中を稲妻が駆け巡るような衝撃で、自分は恋に堕ちたと気が付いた。
「私の事、どう思ってる?」
中学生の時、玄に尋ねられた事がある。
「可愛い妹だと思ってる」
「それだけ?」
立ち上がる玄。俺の目の前には、制服のミニスカートとニーソックスの狭間の白い太腿が曝け出されていた。
「美人で優しくて、素敵だと思うよ」
玄の太腿から、目を逸らして答える。
「えへへ、やだぁ、お兄ちゃんたら~」
きっと玄は、俺が姉さんに抱いている感情に気付いている。
美しく、華憐で、優しい姉と妹の存在。玄の兄として、姉さんの弟として、相応しい人間でなくてはならない。そうでなくては家族である資格が無い、という思いに囚われていた。
美しい人間でなくてはならない。
優しい人間でなくてはならない。
高潔な人間でなくてはならない。
◇◆◇◆◇◆
時々だが、女装して阿知賀女子麻雀部の雑用を手伝う事があった。
二人といる時間を、少しでも長くするための苦肉の策。最初は気恥ずかしかったが、今では女性の振りをするのも慣れたものだ。麻雀の実力は皆の足元にも及ばないが、それでも出来る事はあった。
廊下で見知った女生徒の姿を見付ける。
「こんにちは。憧ちゃん」
「あ、先輩、こんにちは~」
ハキハキとして快活な憧ちゃんは、姉妹とはまた違った魅力を放っていた。
「重そうね、それ。一つ持とうか?」
憧ちゃんが抱えていた、二つのダンボール箱の内の一つを持つ。
「え~、いいんですか? じゃあ、私の教室まで、お願いします」
彼女の教室に着き、ガラガラとドアを開ける。黒板を見て、憧ちゃんの表情が凍り付いた。
『援交してそうな生徒ランキング』
黒板にはそんな下世話な文字が書かれていた。幾人かの生徒の名前と共に。
憧ちゃんの名前の下には、沢山の正の字が書かれている。二位に大差をつけての一位だった。
「ちょ、ちょっと何やってんのよ!」
憤る憧ちゃん。軽薄そうな女生徒が面白がって囃し立てていた。俺の胸に、ざわざわとした衝動が押し寄せる。
「こんな事して、何が楽しいの?」
不快な感情を隠す事なく、俺は黒板を叩くように手を付き、鋭い声で詰問した。
「な、何よあなた、他校の生徒? あなたには関係ないじゃない」
「関係ない? 憧ちゃんは私の姉と妹にとって大切な人よ。侮辱されて、黙っていられるはずが無い!」
軽薄そうな女子は、張り詰めた空気に息を呑み、観念したかのように両手を合わせる。
「ごめん憧、悪ふざけが過ぎたわ」
「しょーがないなー。今度ジュースおごりなさいよね」
「余計な事、しちゃったかな」
教室を後にし、憧ちゃんに声を掛ける。聡明な彼女なら、もっと穏便に事を治めていたかもしれない。
「ううん、嬉しかった。ありがと、先輩」
女子に対して声を荒げてしまった事に、後ろめたさを覚えていたが、微笑む憧ちゃんを見て、これで良かったと思えた。
♢
その日の夕方、姉さんは上機嫌だった。
「聞いたよぉ。憧ちゃんを助けたんだって?」
「ああ、まあ、大した事はしていないけど」
「いいなぁ。お姉ちゃんも弟くんのかっこいいところ、見たかったなぁ~」
「姉さんのためなら、いくらでも見せるよ」
「ええっ、そ、それって……」
姉さんの瞳に、惑いと期待の感情が浮かぶ。
その瞳は俺を狂わせる。
「姉さんの事が、好きだから」
そっと、抱き寄せる。
間近に紅潮した姉さんの顔があった。その唇に引き寄せられて、ゆっくりと、唇と唇が重なる。
甘い感情に胸が満たされていくのを感じていた。
♢
夜に玄が部屋を訪ねてきた。
「良かったね、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、ずっとお姉ちゃんの事が好きだったから」
見られていたのか。
「子供の頃の約束、覚えてるか?」
何処か寂し気な玄を見て、その言葉が口を衝いて出てしまった。
「――覚えてるよ」
玄の表情から色が消えていた。どのような感情を抱いているのか、推し量る事が出来ない。
パチリと、玄が照明のスイッチを切った。
「大人になったら結婚しようね」
暗闇に響く声。
「お兄ちゃんと、お姉ちゃんと、私。三人で」
玄は囁く、呪言のように。
背後から、か細く白い腕が巻き付いた。それは抱擁か、或いは捕獲か。
背中に当たる、柔らかな肉の感触。玄の肉体の感触。
しっとりと滑らかな玄の腕を掴む。けれど、縋る様な妹の腕を振り払う事は、出来なかった。
どうしても――。
何故だか玄が泣いている気がしたから――。
「玄、俺は――」
「好きだよ、お兄ちゃん」
振り向いたその時に、俺の良識は崩れ落ちるのだろうか。