「見て達哉くん! すごいすごい! すごくきれい!」
水族館のクラゲコーナーで由良ちゃんが小声ではしゃぐ。クラゲコーナーには十数個の円筒状の水槽が天井から床まで貫いており、その中をクラゲたちがのんびりフワフワと漂っている。
光るクラゲがいるからか、この部屋は薄暗くなっており、あちこちから照らされている柔らかくもカラフルな光が神秘的な雰囲気を醸し出している。休憩所も兼ねているようで腰かけるところが多く、カップルが数組座っていた。
由良ちゃんはとりわけミズクラゲが気に入ったらしく、大きな水槽の前で立ち止まって、ゆらゆら漂うクラゲを眺めている。
「クラゲってね。死んじゃったら、海に溶けて無くなっちゃうんだって」
楽しげだった表情から一転。由良ちゃんは切なげな、儚げな表情でじっとクラゲを見つめている。
「人間も同じ。いつかは消えてなくなっちゃう。達哉くんとデートして楽しいなって思ったことも、もっと一緒に居たいなって思ったことも、死んじゃったら全部なくなっちゃう。記憶も、思い出も、全部。それって、なんだかすごく切ない気がする」
「そうだね。だけど、消えちゃうからこそ大切に出来るんだと思うよ」
由良ちゃんの隣に立ち、何かを探すように揺れる由良ちゃんの右手を左手で優しく握る。
「ぁ♡」
「もしもさ、俺達の命が永遠で、この身体も消えることが無いのだとしたら、多分大切な物なんてなくなってしまうと思うんだ。いつか消えてしまうって、無くなってしまうって心のどこかで分かっているから、大切にしたいって思えるんだよ」
「……そうなのかな」
「だからさ、俺達に出来ることって、いつか消えて無くなっちゃう日にさ、もう満足したって、十分に楽しんだって思える様に、今を全力で生きることなんだと思う。それにさ、自分が消えてなくなったとしても、残るものはあるよ」
「残るもの?」
「子供。愛する人と愛した証。自分たちの意思を、気持ちを受け継いでさ、子供たちは生きていくんじゃないかな。だから、全部が無くなっちゃうことはないよ。あ、でも……」
「でも?」
「俺は子供、作れないかなぁ。多分、相手の人、死んじゃうから」
「……」
この両手で触れるだけで、ほとんどの女性は失神してしまう。性行為なんてしようものなら、確実に相手を殺してしまうだろう。だから俺の物語は俺で終わり。俺の意思も気持ちも、受け継ぐ子供は産まれない。
「……んっ♡」
考え込む俺の左手を、由良ちゃんが両手で握って来た。
「由良ちゃん?」
「大丈夫だよ、きっと大丈夫。いつか何とかなるよ。ほら、もう両手で触ったって、た、耐えられる♡」
平気そうに振る舞っているが、由良ちゃんの身体は小さくピクピクと震えている。我慢しているのだろう。
「私は耐えてみせる。たとえ達哉くんに何をされても、死んだりなんかしない。達哉くんを、終わりにしない。だから、だからもし、達哉くんが欲しいなら、したいなら、私が……♡」
「由良ちゃん……」
潤んだ瞳で見上げてくる由良ちゃん。その瞳に吸い込まれるように、俺は顔を近づけて……
『まもなくメインプールにて、イルカショーが開催されます。かわいいイルカたちの元気なショーを、是非ご覧ください』
「っと、由良ちゃん、イルカショーだって!」
「ぁ、う、うん! 行こ行こ!」
俺達の甘い空気は館内アナウンスによって霧散した。助かった。手を繋ぐだけならまだしも、こんなところでキスなんてしようものなら、由良ちゃんがあられもない姿になってしまう。
俺は由良ちゃんの手を牽いて駆け出した。
◇
「前方列の方は水しぶきを浴びる可能性がありますので、着替えの無い方はビニールカッパの購入をお勧めしておりまーす。おひとつ二百円でーす」
「すみません、二つください」
「はーい、ありがとうございまーす」
水族館の飼育員のお姉さんからカッパを二つ購入し、一つを由良ちゃんに手渡す。
「ありがとう。カッパ着たほうがいいの?」
「そんなに水浸しになることは無いと思うけど、念のためにね」
服の上からカッパを羽織ったところで、イルカショーが始まった。二種類のイルカがおもちゃで遊んだり、飼育員さんを乗せて泳いだり、高くジャンプしたり。初めて生で見るイルカのショーに大興奮してしまう。
「わぁー! すごーい!」
それは隣の由良ちゃんも同じようで、イルカがジャンプするたびにキャーキャーと楽し気な声を出している。
「それでは楽しい楽しいイルカショーも、そろそろ終了のお時間です」
「えー、もう終わっちゃうのー?」
飼育員のお姉さんのアナウンスに、残念そうな声を上げる由良ちゃん。
「最後に可愛いイルカさん達から、皆さんにプレゼントがあります!」
「プレゼント!? なんだろう!?」
今度はわくわくとした表情になった。ころころと変わる由良ちゃんの表情は見ていて飽きない。
「それではイルカさん達から皆さんへのプレゼントでーす!!」
三匹のイルカが水槽を高速で泳ぎ、高く高くジャンプした後、プールのギリギリ、観客席側に激しく着水した。
舞い上がる水しぶき、悲鳴と歓声を上げる前方席の人たち。
「キャーーー!」
由良ちゃんも楽しそうに悲鳴を上げる。
「あははは! すごいね。めっちゃしぶき跳んで来たね」
「ちょっと濡れちゃった~」
「素敵なプレゼントをもらったね?」
「うん! でも、カッパを買うほどじゃなかったかなー?」
水しぶきのかかった由良ちゃんが、顔に水滴を付けたまま笑う。
楽しいイルカショーを終えて、カッパを脱ごうとした、その時。
「まだまだ行きますよー!」
飼育員のお姉さんの楽し気な声が響いた。
「え?」
途端、視界が真っ白になった。
プールの淵から、大きな尾びれを使ってこれでもかというほどに水をかけてくるイルカたち。信じがたい量の水が降り注いでくる。
「ぎゃーーーー!」
先ほどは楽しそうだった由良ちゃんの悲鳴が、今回はただの悲鳴に変わっていた。
「以上、イルカショーでした! まだまだ寒い日が続いておりますので、濡れてしまったお客様はお風邪などひかないようにお気を付けくださーい! 一回の売店で当水族館限定のフェイスタオルも販売しておりまーす!」
楽し気なお姉さんの声が響き、イルカたちからの一分ほどのプレゼントがようやく終わった。
「……」
「……」
カッパを着ていたので体は大丈夫だったものの、顔と脚がびしょびしょになった。俺と由良ちゃんは水を滴らせながら無言で顔を見合わせる。そして、どちらからともなく笑い出した。
「……っぷ、あはは、あははははははは! ふつうこんなに水かける!? 消化活動かと思ったよ!」
「……ふふ、あははははは! 本当だね! 息が出来なくて死んじゃうかと思った!」
「由良ちゃんめっちゃ濡れてるね。ちょっとまってね」
せっかくのデートなのに風邪をひいてしまったら大変だ。俺はポケットからハンカチを取り出して、由良ちゃんの顔を軽く拭く。
「ん♡ ありがと♡ 足も拭いてくれる?」
「りょーかい」
「……んぁ♡」
俺はなるべく由良ちゃんの足に直接触らないように、右手に握ったハンカチで足を拭く。
「ふぁ♡ す、すご♡♡♡♡♡♡ んぁ♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
直接触っていないはずなのに、由良ちゃんが甘い声を上げる。
「もうちょっとまっててね」
そして反対の足も。
「んんんんん♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡ た、達哉くん♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡積極的、だね?♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
「え?」
あまりにも由良ちゃんがびくびくとするものだから、疑問に思って顔を上げる。
「あ」
右手が直接触れないように意識しすぎて、左手のことが完全に頭から抜けていた。
拭きやすいように由良ちゃんのスカートを少し上げた俺の左手。あろうことか、柔らかで温かな由良ちゃんの内ももに触れている。
「ご、ごめ……!」
「い、いいよ。大丈夫。だって、デートだもん。そういうこともあるよ♡♡♡♡♡♡♡♡ んあぁぁっ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
離そうとした俺の左手を、由良ちゃんが両手で抑える。柔らかな太ももに押し付けられる俺の左手。
「由良ちゃん!?」
「ちゃんと♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡最後まで♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡シて?♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
「う、うん! 早く終わらせるね!」
俺は急いで由良ちゃんの足を拭いた。
内腿という敏感な場所に触れ続けていると言うのに、由良ちゃんは歯を食いしばりながらも、声を上げることなく最後まで耐えた。