死にたくないし帰りたい。それが俺の勇者としての動機です 作:メリィ
ヴェラの手紙は三つに折られて、レンの革ポケットの奥にある。
東の古戦場に先回りした、と書いてあった。「穏やかにお話しさせてください」と、整った字で。脅しの文章なのに字が丁寧だった。それが余計に気味悪かった。
旅立って三日目の昼、レンはまた手紙のことを考えていた。
「また考えごとしてる」
サーシャの声が横から来た。
「してないし」
「してる。唇が止まってる」
「歩いてたら普通止まるだろ」
「レンは何か考えてるときだけ唇が動かなくなるんだよ」
知らなかった。そんな癖があるとは自分でも思っていなかった。「そうかな」と返すと、「そうだよ」とだけ返ってきて、それで会話が終わった。サーシャは一歩分だけ前に出て、三つ編みの端を揺らしながら歩いていた。
問い詰めてこないのが、かえって落ち着かなかった。
東への街道は緩やかな丘陵地帯を抜けていく。秋の終わりで、道沿いの木々は葉をほとんど落としていた。枯れ葉が積もった路面を踏むたびにざくざくと音を立て、冷たい風が首元をかすめた。
前方でガルーダが歩いていた。眉間のしわはいつも通りだが、足取りに無駄がなかった。ギデオンは彼のすぐ後ろに続き、ときおり地図を確認していた。
イレナは少し後ろを歩いていた。レンと並ぶくらいの位置で、ときどき梢を見上げながら進んでいた。
「葉が多い」
ぽつりと言った。
「好きなんだ、落ち葉」
「嫌いじゃない」
それで会話が終わった。イレナとの会話はいつもそういう感じだった。でも沈黙が重くないのは、彼女が嫌がっているわけじゃないとわかっているからだ。
四日目の夕方、街道沿いの小さな村に一泊した。宿の食堂で干した豆と野菜の鍋を食べながら、ギデオンが東の地図を広げた。
「二日後に古戦場の手前の集落に着きます。そこから古戦場まで半日ほど」
「宿は」
「廃村に近い集落です。まともな宿はないかもしれない」
ガルーダが少し考えてから「野営で行く」と言った。ギデオンが「了解です」と頷いた。
レンはそのやりとりを聞きながら、懐から三つの欠片を取り出して手の中で転がしていた。
青白い石と、琥珀色のものと、緑の透明なもの。それぞれ温度が違う。第一は指先が冷えるほど冷たく、第二は人肌に近く、第三は秋風みたいにかすかに温かかった。
四つ目を手にしたら、どうなるのか。
*鍵を使えば、星紋は消える。*
精霊がそう言った。エルダンもそれを知って使った、と。
消える、というのがどういうことなのか、まだわかっていなかった。
単純に考えれば、使命が終わる。星紋が消えて、ただの薬師見習いに戻る。アルデン村に帰って、ヤナ婆さんに怒られて、カルロに呆れられて、それで終わりだ。
それは悪いことじゃない。そのはずだった。
でも精霊は「エルダンは使命を果たして消えた」と言った。姿を、ではなく。ただ、消えた、と。
全部が終わった後、エルダンに何が残ったのか。レンはまだ誰にも聞けていなかった。ガルーダは知っているかもしれない。でも聞けなかった。聞いたら、その答えが現実になる気がして。
五日目の昼休憩で、レンはガルーダの隣に腰を下ろした。
ガルーダは干し肉をかじりながら地平線を見ていた。どこを見ているというわけでもなく、ただ遠くを見ていた。こういうとき、声をかけていいのか毎回迷う。
「ガルーダさん」
「何だ」
「エルダンって、使命が終わった後……どうなったんですか」
しばらく間があった。ガルーダは干し肉を噛みながら、正面を向いたまま言った。
「記録に残っていないことが多い。封印が完了した後、エルダンの姿を見た者はいない」
「消えた、ってこと?」
「封印の衝撃で、星紋と共に何かが失われたと思われている。ただ」
ガルーダが少し止まった。
「俺が読んだ資料の中に一枚だけ、エルダンの師匠が記したものがあった。封印の三日前にエルダンに会った、という記録だ」
「何を言ってたんですか」
「笑っていた、と書いてあった。怖くないのかと聞いたら、怖いに決まっている、でも仲間たちが一緒だから行けると言った、と」
風が吹いた。レンは膝に置いた手を見た。
「それだけですか」
「それだけだ」
ガルーダは立ち上がった。「行くぞ」とだけ言って歩き出した。
レンはしばらくそこに座っていた。怖いに決まっている、でも行けると言った。
エルダンも怖かったのか。
百年前の英雄でも、怖かったのか。
六日目の朝、野営になった。
木立の間に天幕を張って、ギデオンが薪を集め、サーシャが火を起こし、イレナが無言で鍋の準備をした。ガルーダは少し離れた場所で周囲を見回していた。
「レン」
ギデオンに呼ばれた。鍋の中にタイムとローズマリーが入っていた。
「これ、合ってますか?」
「ローズマリーは多いと後味が強くなる。半分くらい取り出したほうがいい」
「なるほど」
ギデオンは言われた通りにした。「これで?」
「それで十分」
「覚えておきます」
ギデオンと薬草の話をするようになったのは霧の森のあたりからだ。今では旅の中で最も自然に話せる相手の一人になっていた。
「うまくなりますか」
「少しは」
「それで十分だ」
控えめな笑い方だったが、確かに笑っていた。
「タイム多めで」とサーシャが横から言った。
「わかった」
「覚えてたんだ」
「体で覚えた」
「何それ」とサーシャが笑った。イレナが口の端をかすかに動かした。
鍋の湯気が上がって、タイムの香りが広がった。レンは木の根に腰を下ろしながら、こういう時間がずっと続けばいいと思った。思ってから、続かないかもしれないことを思い出した。
「着いたら、どんな感じの場所ですか」
「廃墟だ」とガルーダが言った。「百年間、誰も手を入れていない。建物は崩れているが、地下神殿は残っている可能性が高い」
「地下はどのくらい深いんですか」
「記録では十メートルほどだが——実際に行ったのはエルダンしかいない。どこまで正確かはわからない」
「エルダンの記録に、何か書いてましたか。地下のことが」
ガルーダが少し考えた。
「空気が冷たかった、と書いてあった。それから——声が聞こえた、と」
「声」
「担い手にしか聞こえない何かだと思われる。記録にはそう書いてある」
レンは手の中の欠片を感じた。三つ。青白い、琥珀色、緑の透明な。明日、四つ目になる。
「ガルーダさんの師匠は、どんな人でしたか」
ガルーダが少し間を置いた。
「厳しかった。記録を渡す以外は、ほとんど何も言わない人だった」
「ヤナ婆さんと似てる気がします」
「……そうかもしれない」
ガルーダが珍しく口の端を動かした。笑ったのかどうかわからなかったが、そういう気配があった。
「師匠は星紋の担い手を見届けられなかった。現れる十七年前に死んだ。でも記録は残した。それだけが仕事だったから」
「見届けたかったと思いますか、師匠が」
「思うだろうな」
短い答えだった。でも確かに答えた。
火が静かに揺れた。
食後、ガルーダが火の前に座った。
「明日着く。古戦場の話をしておく」
全員がガルーダに向いた。
「百三年前、エルダン・ソールが最後の封印を行ったのがあの地だ。理由は二つある。一つは地下に神殿跡があった。もう一つは——あそこが大陸でもっとも多くの人間が死んだ場所だったからだ」
「……どのくらい死んだんですか」
ギデオンが静かに聞いた。
「三万。三十年戦争の最後の戦場だ。欠片が落ちた時、その怨念が守り手になったと記録にある」
誰も何も言わなかった。火だけがぱちぱちと音を立てた。
「怨念が、守り手」
レンが繰り返した。
「ああ。エルダンの記録に一文だけ書いてあった」
ガルーダは少し間を置いた。
「——『怒りは本物だ。否定するな』」
静かになった。風が木立の間を抜けていった。
サーシャが腕を組んだ。ギデオンが地面を見た。イレナは炎をじっと見ていた。
「どうすれば、通れるんですか」
ギデオンが言った。
「わからない。エルダンが通れたなら、星紋の担い手にしか通れない試練だろう。ただ——」
ガルーダはレンを見た。
「これまでの試練の共通点を思い出せ」
レンは考えた。古竜は「なぜ来たか」と問い、亡霊騎士は「信念があったかどうか」を問い、精霊は「使命の外に自分の生があるか」を問い続けた。全部、正直に答えた。誤魔化せなかったし、誤魔化す気もなかった。
「……正直に向き合う、ってことですかね」
「それだけで十分かどうかはわからない」
ガルーダは炎を見た。「ただ、それしかない」
その夜は眠れなかった。
三万の人間が死んだ戦場。その怒りが守り手になった。どんな怒りなのか、想像しようとしてうまくできなかった。怒りは本物だ、と言った。エルダンはどんな顔でその怒りに向き合ったのか。怖いに決まっている、と言いながら。
天幕の布が風に揺れた。
「……レン」
サーシャの声がした。
「起きてる?」
「起きてる」
少し間があった。
「怖い?」
「……ちょっと」
「そっか」
「サーシャは?」
「私も。でも行くよ」
「俺も行く」
暗い中で、彼女が小さく笑った気配がした。しばらく何も言わなかった。
「ガルーダさん」
「寝ろ」
「……はい」
「明日も動く。体を休めておけ」
「腕は大丈夫ですか」
少し間があった。
「問題ない。お前の手当てが良かった」
それだけだった。でも確かに言った。
「あのさ、レン」
「うん」
サーシャが何か言いかけた。
少し間があいた。
「……おやすみ」
「……おやすみ」
何を言いかけたのか、分からなかった。でも聞けなかった。もしかしたら、彼女はすでに気づいているのかもしれなかった。
そのことが、胸の奥で静かに重かった。眠れないまま夜が明けると思っていたのに、気づいたら朝になっていた。
七日目の朝。
集落の外れで街道が終わり、荒れ野が始まった。枯れた草と赤茶けた地面。空は低い雲に覆われていて、冷たい風が吹いていた。
遠くに廃墟の輪郭が見えた。崩れた塔の残骸と、黒く焦げた石壁。
地面に何かが刺さっていた。錆びた槍の柄だった。その隣に折れた盾の金具が転がっていた。百年前のものだ、昨日ガルーダが言っていた。回収されなかった残骸が、まだここにある。
「着いた」
ガルーダが言った。「古戦場だ」
レンは荒野を見渡した。枯れ草が風で波打った。
どこかから音が聞こえる気がした。耳を澄ませた。音じゃない。声だった。遠くて言葉にならない。でも確かに、何かが呼んでいた。
右手が熱くなった。
見ると、星紋が光っていた。
いつもの青白い光じゃなかった。赤く、燃えるように光っていた。