死にたくないし帰りたい。それが俺の勇者としての動機です   作:メリィ

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第十四話 古戦場の扉

 

 地下神殿への入り口は、古戦場の中央部にあると記録にあった。

 

 「広い」

 

 ギデオンが廃墟を見渡しながら言った。

 

 「記録では古戦場の東西は一里ほどですが——実際に立つと、感じが違いますね」

 

 「死んだ者の数の問題だ」とガルーダが言った。「三万の死者がいた場所は、体積が変わって見える」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 崩れた石壁が続いていた。かつては城塞だったか、あるいは野戦の陣地だったか。今は区別がつかなかった。焦げた木材が土に混じっていた。百年前の炎の跡だった。

 

 「こんなに広い場所で、三万人が」

 

 レンが呟いた。

 

 「三十年戦争の最後の戦場だ。この地で大陸中の軍が集まった。生き残った者もいたが——ここで死んだ者は、誰も帰れなかった」

 

 廃墟の中を進むにつれて、声は少しずつ近くなった。言葉ではなく、音でもなく、何かが胸に直接触れてくるような感じだった。怒りだとか悲しみだとか、そういう言葉では足りなかった。ただ重かった。足が重いわけじゃないのに、一歩踏み出すたびに何かが増えていく気がした。

 

 「大丈夫か」

 

 ガルーダが短く言った。

 

 「歩けます」

 

 「聞いたのはそういう意味じゃない」

 

 レンは少し考えてから「わかりません」と正直に言った。

 

 ガルーダが一瞬だけ何かを言いたそうな顔をして、それから「そうか」と頷いた。

 

 「速度を落とすな」

 

 ガルーダが前を向いたまま言った。「気配に飲まれる。足を動かしていれば頭が働く」

 

 「わかりました」

 

 一歩ずつ踏み出した。止まらなかった。

 

 サーシャが並んだ。何も言わなかった。ただ隣にいた。

 

 「聞こえてる?」

 

 「聞こえてる」

 

 「どんな感じの声」

 

 「声っていうか——重さ、に近い。怒りと悲しみが混じったような。でも今は怒りよりも、疲れが多い気がします」

 

 「疲れ」

 

 「死にたくなかったけど、死んだ。それがもう終わったことで——でも終わっていない感じで。そういう重さ」

 

 サーシャが前を向いたまま少し間を置いた。

 

 「……ちゃんと通り抜けて」

 

 「通り抜けます」

 

 「約束して」

 

 「約束します」

 

 それだけで、サーシャは前に戻った。でも少し速度を落として、レンの横を歩いていた。

 

 

 

 廃墟の地面には百年前の痕跡がまだ残っていた。崩れた石壁に錆びた武具が混じって、一部は土と同化していた。ギデオンが探偵みたいに地面を確認しながら歩いていた。

 

 足元に古い兜が転がっていた。錆が完全に侵食して、もとの形がかろうじてわかる程度だった。隣に折れた槍が転がっていた。百年前のものだ。回収する者も弔う者も、もういない。

 

 「多いな」

 

 ギデオンが静かに言った。

 

 「何が」

 

 「遺物が。戦が終わった後、普通は回収する。武具は資源だ。それが百年経ってもこれだけ残っているということは」

 

 「近づく者がいなかった」

 

 「ええ。ここで死んだ者の数が多すぎて、放棄されたんでしょう」

 

 誰も返事をしなかった。

 

 レンは足元に気をつけながら進んだ。踏んではいけない気がした。ただの錆びた金属だとわかっていても、踏みつける気になれなかった。

 

 前方でガルーダが立ち止まった。壁に手を触れて周囲の気配を探っていた。説明はなかった。でも全員が自然に足を止めた。しばらくして、ガルーダがゆっくり手を離した。それだけで「続けて進む」と伝わった。

 

 こういう動きが自然になっていた。声がなくても分かった。三ヶ月前の自分なら、立ち止まる意味すらわからなかっただろう。

 

 「足跡があります」

 

 ギデオンが止まった。

 

 「最近のものです。三人から四人。馬はない。軽い靴底の形——影士ですね」

 

 ガルーダが足跡を確認して、「前に進んだか」と呟いた。

 

 「地下神殿の入り口に向かった可能性が高い」

 

 サーシャが弓を取り出した。イレナが腰の短刀に手をかけた。

 

 「先に占拠されてたら」

 

 「突破する」とガルーダが言った。それだけだった。

 

 

 

 「撤退すべきか」

 

 ギデオンが低く言った。

 

 「既に入口に向かっているなら、引いても意味がない。追ってくる」

 

 「では突入か」

 

 「数は三から四。ただ——地形の利はあちらにある。石段は一列にしか降りられない。正面から突っ込むのは悪手です」

 

 ガルーダが広場を見渡した。「右手に迂回できる隙間はないか」

 

 「確認します」

 

 ギデオンが姿勢を低くして石壁に沿って動いた。少しして戻ってきた。「狭いですが、一人ずつなら抜けられます。石段の脇に出られます」

 

 「左右に分かれる。ギデオン、右から回れ。俺が正面から行く。イレナは左の壁際。サーシャ——」

 

 「魔法陣を射ち落とす」

 

 サーシャが先に答えた。ガルーダが頷いた。「術式が崩れたと同時に動く。タイミングを合わせろ」

 

 「わかった」

 

 一行の速度が落ちた。廃墟の間に隙間が生まれ、全員の距離が広がった。狭い場所で固まると一度にやられる。自然にそういう動きになっていた。

 

 三ヶ月前なら、こんな動きは取れなかった。

 

 レンは欠片を握った手を確認した。三つの石の重さを感じながら、今日四つ目になることを思った。戦闘は仲間に任せるしかない。でもその任せ方を知っていた。三ヶ月前の自分なら「助けに行けない」ことに焦っていただろう。今は——仲間を信じて待つことが仕事だとわかっていた。

 

 

 

 地下神殿への入り口は、広場の中央に崩れかけた石台があって、その下に段々になった石段が続いていた。石段の前に、二人の影士が立っていた。フードをかぶって、足元に魔法陣を展開していた。入り口を封鎖する気だとわかった。

 

 「ガルーダさん、右」

 

 「ギデオン、左」

 

 二人が同時に動いた。ガルーダが探知魔法で影士の動きを読みながら石壁を盾にして近づき、ギデオンが低い体勢で距離を詰めた。影士が暗魔法を使おうとした瞬間、サーシャの矢が魔法陣の要石を射貫いた。術式が崩れた。

 

 「今!」

 

 ガルーダとギデオンがほぼ同時に影士を制圧した。音は最小限だった。

 

 「三十秒かかった」とギデオンが言った。

 

 「次は二十秒でやれ」

 

 「無茶言わないでください」

 

 

 

 石段を下りていくにつれて、声が強くなった。

 

 声というか、圧力みたいなものだった。耳ではなく皮膚で感じた。足元から染み上がってくるような。

 

 「俺だけですか、この感じ」

 

 「私には何も聞こえない」とギデオンが言った。

 

 「私も」とサーシャが言った。

 

 ガルーダは何も言わなかった。ただ前を向いて歩いていた。

 

 石段の下は細長い通路で、両側の壁に文字が刻まれていた。古い文字で、一部は剥落していて読めなかった。ギデオンが壁面を照らしながら「古代ルーン文字の一種ですね」と言った。「読めますか」と聞くと「少しだけ」と返ってきた。

 

 「何て書いてある?」

 

 「……『ここに眠る者の怒りを踏みにじる者よ、立ち止まれ』」

 

 全員が止まった。

 

 「続きは?」

 

 「剥落していて読めない。でも——」ギデオンは少し止まった。「この文字の様式からすると、百年以上前じゃない。もっと古い。神殿そのものは三十年戦争より前に作られたものかもしれない」

 

 「戦死者が守り手になる前から、何かがいた、ってこと?」

 

 「可能性は高いです」

 

 

 

 ギデオンはしばらく壁を調べていた。

 

 「他に読める部分はありますか」

 

 「断片的にですが。この通路全体が一つの祈りの文章のようです。戦死者への鎮魂か、あるいは封印のための儀式で使われたものか」

 

 「誰が刻んだんですか」

 

 「わかりません。でもここが神殿として使われていたなら——三十年戦争より前に、司祭のような人間がいたはずです」

 

 通路が曲がった。先が見えなかった。

 

 壁が湿っていた。手を触れると冷たい水分が指についた。深く潜るほど空気が重くなっていた。息を吸うと、土と石と、それ以外の何かの匂いが混じっていた。

 

 「これ、全部名前じゃないですか」

 

 イレナが壁の一点を指した。

 

 ギデオンが照らした。細かい文字が並んでいた。読めないものも多かったが——確かに人の名前の羅列だった。

 

 「台座だけじゃなくて、ここにも」

 

 「通路全体に、か」

 

 「おそらく。できるだけ多くを残そうとした人間がいた」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 三万の名前。全部を刻もうとした者がいた。その意志だけが、百年たっても消えずにここにあった。

 

 深くなるほど空気が重かった。松明の炎が揺れた。

 

 

 

 通路の突き当たりに、大きな扉があった。

 

 石造りの扉に、七つの星が円を描くような浮き彫りがあった。星紋と同じ形だった。

 

 「エルダンもここを通ったんだ」

 

 レンが呟くと、サーシャが「だね」と短く言った。

 

 扉に触れた。

 

 冷たかった。でも指が離れなかった。何かがこちらに引いていた。引力のようなものだった。

 

 「星紋が反応している」

 

 ガルーダが言った。「手を見ろ」

 

 右手の星紋が、薄く赤く光っていた。扉の星の浮き彫りと同じ形で。

 

 「扉と繋がってる、ってことですか」

 

 「エルダンが来たとき、同じことが起きたはずだ。担い手にしか開けられない扉かもしれない」

 

 「試してみろ」

 

 レンは扉の星の浮き彫りに、右手の星紋を重ねた。

 

 何も起きなかった。

 

 でも光が強くなった。指先から、扉を通じて、何かがやりとりされているような感覚があった。

 

 「誰かいますか」

 

 扉に向かって呟いた。

 

 返事はなかった。ただ光が一瞬強くなって、消えた。

 

 「……いる」

 

 「ああ」とガルーダが答えた。

 

 扉は施錠されていなかった。ガルーダが手をかけると、音もなく内側に開いた。

 

 冷たい空気が流れてきた。

 

 その中に声が混じっていた。言葉にならないまま、ただ流れてきた。

 

 怒りは本物だ。否定するな。

 

 「行くぞ」

 

 ガルーダが言った。

 

 レンは扉の向こうを見た。暗くて先が見えなかった。

 

 右手の星紋が赤く燃えていた。

 

 「行きます」

 

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