BrokenWorld~黒鉄の装着者~ 作:半笑いの妖精
意識が浮上したのは、バイザー越しに差し込む薄い朝の光のせいだった。
ゆっくりと瞼を開く。
仮眠室の天井は相変わらず薄汚れたままだが、昨日見た時よりは幾分ましに見えた。単に、少し寝たことで頭が回るようになっただけだろう。
体を起こす。
スーツの耐久値は昨日から大きく減っていない。エネルギーも、眠っている間に自動回復した分でだいぶ持ち直していた。
見た目に反してこのスーツ、本当に便利すぎる。
それでも、体の芯には重たい疲労が残っていた。
オーガ戦。ビル内部の掃討。慣れない連戦。昨日一日で色々ありすぎたのだ。完全回復とは程遠い。
だが、起きた以上は動かないわけにもいかない。
「……まずは四階だな」
低く呟いて立ち上がる。
昨日の時点で三階までは制圧した。
ただし、このビルを仮でも拠点にするなら、上に何がいるか分からないままというのは論外だ。四階まで掃除して、内部の安全を確認する。話はそれからだ。
扉の前へ寄せていた棚をどかし、仮眠室を出る。
三階の廊下は静かだった。昨夜の戦闘の痕跡は残っているが、新しく何かが入り込んだ様子はない。
そのまま階段へ向かい、上を見上げる。
四階へ続く踊り場の先は薄暗い。暗視で見えているとはいえ、朝の静けさも相まって妙な圧迫感があった。
短剣を生成し、左掌にはエネルギー弾の用意をして、一段ずつ慎重に上っていく。
四階は、下の階よりさらに荒れていた。
元々は倉庫か、あるいは軽作業用のフロアだったのだろう。
広い空間に棚や作業台が並んでいたと思しき痕跡がある。だが今はその大半が倒れ、ひしゃげ、通路を塞ぐように転がっていた。
天井の一部は崩れ、剥き出しになった配線が垂れ下がっている。
窓も何枚かは完全に割れており、朝の風が冷たく吹き込んでいた。
「……三階よりも使いにくそうだな」
口に出した直後、返事の代わりみたいに頭上で羽音がした。
来た。
反射的に前へ転がるように身を沈める。
直後、背後の鉄骨棚へ鋭い一閃が走り、甲高い金属音が響いた。
レイザーバットだ。
天井近くの梁に逆さにぶら下がっていたらしい。
一体だけじゃない。二体、三体、五体──暗がりに潜んでいた影が次々に羽ばたき、刃の翼を光らせながら滑空してくる。
「朝から元気だな……!」
吐き捨てつつ、左手から最小出力のエネルギー弾を連射。
青白い閃光が暗い四階を走り、一体の胴を穿ち、もう一体の翼を半ばから吹き飛ばす。
だが残りは散開し、棚や作業台の隙間を使って死角へ潜り込もうとしてくる。
鬱陶しい。
ならば、空間ごと制圧する。
障害物の少ない中央へ踏み込み、やや出力を上げた光弾を天井近くへ撃ち込む。
炸裂。衝撃。
閃光に炙り出されたレイザーバットたちが一瞬動きを止めたその隙に、跳躍。
スーツの補助で一気に高度を取り、空中で短剣を振るう。
首を断ち、翼を裂き、胴を貫く。
散った血肉が光の粒子へ変わり、四階の暗がりに青白く消えていった。
『討伐ポイントを入手しました』
着地と同時に鳴る無機質な声。
だが、終わりじゃない。
次は棚の陰。
金属を擦るような嫌な音と共に、エッジ・ラットが飛び出してくる。
昨日と同じく速い。
ただ、もう初見ではない。
横薙ぎの刃を半歩で見切って躱し、壁を蹴って跳ねた二体目にはエネルギー弾。
三体目は短剣を投げて牽制し、その一瞬の硬直へ踏み込んで踏み潰す。
四階には全部で六体いた。
倉庫フロアらしく、棚や資材の陰に潜みやすかったのだろう。だが一度動き出せばこっちのものだ。遮蔽物ごと破壊し、逃げ道を潰し、確実に仕留めていく。
最後の一体が窓際へ逃げようとしたところを、背中からエネルギー弾で吹き飛ばした時には、もう息が少し上がっていた。
そして、さらに奥。
区切られた小部屋の並ぶ一画からは、ヒルクライムが四体現れた。
目がないくせに、こっちが立てた物音だけで迷いなく集まってくる。
だったら、逆に利用するだけだ。
近くの金属棒を拾い、遠くへ放る。
カランカラン、と乾いた音がフロアの端へ響くや否や、ヒルクライムたちは一斉にそちらへ殺到した。
「残念。そっちは外れだ」
密集したところへ、今度は少しだけ強めのエネルギー弾を撃ち込む。
青白い光が弾け、黒褐色の肉が飛び、壁や床にぬめった飛沫が散る。
それでも一体だけ、半身を吹き飛ばされながらこちらへ向かってきたが、正面から頭を踏み抜いて終わらせた。
『討伐ポイントを入手しました』
電子音声が続く。
耳障りなほど聞き慣れてきたその声を聞きながら、四階全体をもう一度見回す。
動くものはない。
気配も、息遣いも、羽音もない。
「…よし。これで一応、ビル内部は制圧完了か」
小さく息を吐く。
完全に安全かと言われれば、そんな保証はどこにもない。
外から新しいモンスターが入り込む可能性だってある。だが少なくとも、今この瞬間、このビルの中は俺の支配下に置けたと言っていい。
四階から階段を下り、三階へ戻る。
改めて仮眠室へ入ると、なかなかに良い場所に思えてきた。
壁と天井の損傷は比較的軽い。
扉も閉まる。
窓も完全には割れていない。
ベッドもある。
水回りも電気もないし、快適とは程遠い。
だが、現状の自分にとっては十分すぎる。
「ここを一旦、仮拠点にするか」
口に出して、部屋の中を見回す。
寝る場所。
少量の物資置き場。
すぐ手に取れる武器。
退避経路。
最低限必要なものを頭の中で整理していく。
ビル全体を本格的な拠点にするには、まだまだ時間が掛かる。
片付けも、資材の調達も、物資の備蓄も全然足りない。
だが今はそれでいい。
まずはこの仮眠室を核にする。
ここを基点に出入りし、周辺を狩り、ポイントを稼ぎ、物資を集める。
そして目指すのは、あの【収納機能】だ。
あれがあれば、今より遥かに効率よく拠点整備ができる。
物資運搬の手間が減る。備蓄量も増やせる。邪魔な物もどかしやすくなる。
必要だ。
必須と言っていい。
残ポイントを確認する。
オーガ戦と昨日の掃討、それから四階の制圧でかなり増えてはいるが、まだ2500には遠い。
「……稼ぐしかないな」
結局それに尽きる。
仮眠室の棚へ、無事だった水や食料を置いていく。
ベッド脇には水。
念のため、扉前に寄せる棚もさらに増やしておく。
見た目は雑だ。
雑だが、昨日の何もない状態よりはずっとマシだった。
準備を終えると、そのまま外へ出る。
朝の空気はまだ冷えていた。
町外れの工場地帯は静かで、風が吹くたびに錆びたフェンスがかすかに軋む。遠くでは何かの破壊音が響き、別の方向からは獣じみた唸り声が混ざっていた。
モンスター掃討と物資集め。
今日の目的は明確だ。
まずはビル周辺の脅威を減らす。
そのついでに使えそうな物資も回収する。
水、保存食、工具、寝具、ロープ、ライト類、板材──何でもいい。今は拠点強化に繋がる物なら全部価値がある。
最初に見つけたのは、道路脇の配送センター跡に潜んでいたエッジ・ラットの群れだった。
昨日よりも動きに慣れていた分、処理は早い。物陰へ逃げ込む前にエネルギー弾で散らし、残りを近接で潰す。
次は、トラック置き場の陰に溜まっていたヒルクライム。
足音に釣られて寄ってきたところを、障害物越しに撃ち抜く。
建材置き場の屋根裏にはレイザーバットの小群。
これは少し面倒だったが、屋根に穴を開けるつもりで光弾を撃ち上げたら一気に数を減らせた。
討伐ポイントは地道に積み上がっていく。
4。
5。
3。
少しずつだが、確実に増える。
戦闘の合間には、使えそうな物も集めた。
倒れた事務所から毛布。
別の建屋から未開封のペットボトル水。
工具箱。
ガムテープ。
軍手。
保存の利きそうな菓子類。
段ボールに入った簡易食。
さらには、まだ使えそうな折り畳み椅子まで。
ただ、持ち運びは相変わらず面倒だった。
ボストンバッグがあるとはいえ、入れられる量には限界がある。
拠点整備に使うものともなれば嵩張るから何度も往復するしかなく、そのたびに時間と体力を食われる。
「……あー、早く収納機能取りてぇ……」
ぼやきながらも回収を続ける。
昼を過ぎ、日がやや傾き始めた頃には、仮拠点の仮眠室とその周辺にかなりの物資が積み上がっていた。
まだ全然足りない。だが、拠点に物があるというだけで安心感が違う。
これだけあれば今日明日を越える分には全く問題ない。
…もう少しだけ、稼いでくるか。
まだ体力と時間には余裕はあると判断し、夕方前にもう一度だけ周辺の掃討へ出た。
ビルから少し離れた高台の方へ向かう。
ここは町外れを一望できる場所で、周囲の地形把握にも使えそうだった。
途中でニードルマンを二体、犬型モンスター──スプリット・ウルフと言うらしい──を三体仕留め、ポイントを積み増す。
そのまま斜面を上り切り、開けた場所へ出た時だった。
ふと、空気が変わった気がした。
風が、大気の流れが止まった。
「……?」
違和感に足を止め、空を見上げる。
西の空。
ずっと遠く。街の向こう、地平線に近い場所。
そこだけ、空の色が異様だった。
巨大な雲塊。
ただの積乱雲じゃない。山のように盛り上がり、何層にも捩れ、渦を巻きながら天を覆う、異様な何か。
その中心に、いた。
雲の中に浮かぶ、途方もなく巨大な影。
翼とも、王冠とも取れる輪郭。
白と灰の奔流を従え、雷光を侍らせ、空そのものへ君臨する存在。
それを視界に捉えた瞬間、バイザーが自動的にウィンドウを開く。
▼
モンスター名:クラウド・エンペラー
ランク:S
詳細:空を自分の領域とする雲の帝王。縄張りに侵入したものには想像を絶する異常気象を持って制裁を与える。制裁が下った者は塵すら残らない。
討伐P:10億
▲
──息が止まった。
「……は?」
声にならない声が漏れる。
10億。
桁を見間違えたのかと思った。
だが何度見ても、表示は変わらない。
10億。
今まで見てきたポイントの桁が、まるで冗談みたいに思える数字だった。
だが、目を奪われたのはそこじゃない。
クラウド・エンペラー。
Sランク。
遠く離れているはずなのに、その存在感だけで空全体が支配されていると分かる。
雲が従っている。
風が止まっている。
雷が、その周囲でひれ伏すように瞬いている。
バイザー越しですら、見ているだけで本能が理解した。
あれは、駄目だ。
今まで戦ってきたモンスターとは、存在の格が違う。
オーガですら強敵だった。だが、あれは比較対象にすらならない。
もし、もしもだ。
あの化け物がこっちへ来たら──
今の自分も、ビルも、集めた物資も、全部まとめて消し飛ぶ。
そんな確信だけが、冷たい現実として胸に落ちてきた。
空の彼方で、クラウド・エンペラーが僅かに動く。
それに合わせるように雲が渦巻き、遠雷が低く鳴った。
慌てて身を低くする。
遠すぎる。なのに、それだけで見つかったら終わると感じてしまう圧を感じる。
しばらくそうして息を潜めていたが、やがて巨大な雲塊は進路を変え、さらに遠方へと流れていった。
風が戻る。止まっていた世界が、ようやくまた動き出した気がした。
「……冗談じゃねぇ……」
乾いた声で呟く。
強くなったと思っていた。
オーガも倒した。ビルも制圧した。拠点も作り始めた。
だが、それでも。
この世界には、まだあんなものがいる。
今の俺なんて、あの化け物から見れば地面の塵と変わらない。
浮かれていた気分が、一気に冷めた。
だが同時に、はっきりしたこともある。
もっと強くならなきゃいけない。
もっと備えなきゃいけない。
拠点も、物資も、スーツも、全部。
生き残るために必要なものは、まだ全然足りていない。
視線をビルのある方角へ戻す。
まずは、足元からだ。
仮拠点を整え、仮を取る。
ポイントを稼ぎ、収納機能を取る。
できることを積み上げる。
あんな空の帝王に喧嘩を売るのは、そのずっと先の話だ。
踵を返し、俺は仮拠点へ戻る。
夕方の光の中、遠くの空にはまだ雲の王の余韻が残っていた。
それは、この世界がどれだけ広く、どれだけ理不尽で、どれだけ危険なのかを嫌というほど突きつけてくる。
だからこそ。
今、自分にできることをやるしかない。
荒れた中型ビルの三階。
あの埃っぽい仮眠室こそが、今の俺の城だ。
そこを守り、そこから広げる。
全部は、そこから始まる。
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