BrokenWorld~黒鉄の装着者~   作:半笑いの妖精

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第五十一話:決着

 

 立ち込める砂埃の向こうで、ぬらりひょんは歪んだ笑みを浮かべていた。

 無傷。

 その事実が、今しがた叩き込んだ二段構えの攻撃を根こそぎ嘲笑っているようで、背筋に冷たい物が流れる。

 空を埋め尽くしたミサイル飽和攻撃。

 そして戦場において致命的とも言える溜めを経て放った超電磁加速粒子砲。

 あれだけを重ねて、まだ届かない。

 絶望的なその事実だが、小さな光も見つけた。

 

 ぬらりひょん本人に傷は見えない。

 しかし、あの影のシールドは間違いなく削れた。

 今もなお彼の周囲でほどけていく黒い膜の残滓が、その事実を証明している。

 

 無敵ではない。ただ途轍もなく耐久性が高いだけ。

 

 つまりは足りないのだ。火力が。

 

 土煙が落ち着き、ぬらりひょんの気配が変わった。

 笑みはそのまま。

 だが、その奥にあるものが、一段深く冷たくなる。

 値踏みが終わった目だ。

 今までは余興。

 だが、この瞬間からは違う。

 妖を滑る鬼の主が、本気で殺しに来る。

 

「総員、第一線維持! ぬらりひょんは俺が受ける!」

 

【命令受理】

【前線維持】

【首魁対応:個体戦闘優先】

 

 兵器群の青い光が一斉に脈打つ。

 防護重盾機が列を組み直し、浮遊砲台が火線を再編。

 飛行砲艇が天井に近い軌道を取り、中型多脚砲戦車が餓者髑髏他大型妖モンスターを面で押さえ込む。

 超大型兵器群もまだ健在だ。

 妖怪の軍勢を踏み砕き、焼き払い、押し潰しながらA-級の相手もしつつ、戦場の輪郭だけはどうにか維持している。

 

 そんな他事を考えた一瞬、ぬらりひょんが動いた。

 音はなく、気が付けば目の前に居た。

 

「──ッ!」

 

 演算が警告を吐くより先に、妖刀が振るわれる。

 右から左へ、浅く見える軌道。

 だがその斬線は広い。受けても避けても死角が少ない。

 ネメシス・ムーンへ即時要請。

 

「近接重点防御、対刀!」

 

【適装:超高速近接防御仕様】

 

 右腕へ重ねていた砲身系ユニットがほどけ、細長い偏向刃へ変わる。

 左腕には受け流す為の流線型の盾。

 推進機構は短噴射に全振り。

 間に合う。

 そう思った瞬間、ぬらりひょんの刀筋が微かに歪んだ。

 軌道が変わったわけじゃない。

 こちらの対応に合わせて、最初からそこへ来るように見える形へ滑り込んでくる。

 嫌な感覚だ。

 未来予測レベルまで高まったネメシス・ムーンの演算を、ぬらりひょんの刀捌きがさらに上から踏み越えてくる。

 先読みの、その先を読むような刃。

 受け流しは諦める。追い付く気がしない。

 体ごと捻る。

 黒い刃が胸元を掠める。

 外装が裂け、火花ではなく黒紫の残滓が舞う。

 

【胸部外装:中損傷】

【機構侵食:微量検出】

 

「ちっ……!」

 

 避けきれない。

 だが、それでいい。

 今は刀の軌道を読むことが先だ。

 すれ違いざま、左腕の補助刃を逆手に持ってぬらりひょんの脇腹を狙う。

 読まれている。

 ぬらりひょんは刀を振り抜いた後なのに、すでにそこにいない。

 足元の影が波打ち、その向こうへ滑るように体をずらしている。

 

 距離を取る。

 取った瞬間、影から手が伸びる。 

 影そのものが腕になったような禍々しい黒い腕。

 その手が足首を掴みかける。

 避ける為に上へ跳ぶ。

 遅れて床がめくれ上がる。

 影がそのまま槍みたいに立ち上がり、今まで自分がいた位置を貫くのが見える。

 

 後方で飛行砲艇が火線を通し、ぬらりひょんの影を横から焼く。

 同時に浮遊砲台が面で叩く。

 だが鬼主は、片手を広げるだけでそれを受け止めた。

 影の盾。

 黒い花びらみたいな膜が重なり、砲撃を全部飲んでいく。

 

「攻撃支援機、上から重ねろ!」

 

 高高度待機の支援機が穿孔弾を撃ち下ろす。

 更にへ中型砲戦車の砲撃まで加える。

 普通の相手なら消し飛ぶ連撃。

 しかしぬらりひょんは平然と立っている。

 ただし防御をしたことで、一瞬だけ動きが止まる。

 そこを逃さず踏み込んだ。

 

 短距離加速を三つ重ね、刀の間合いに入った瞬間、ぬらりひょんが笑う。

 待っていた、と言わんばかりの顔。

 

 誘われた。

 

 そうだと気づいた時には遅かった。黒い刃が肉薄する。無傷で切り抜けるのは無理だと判断を下し、一番ダメージが浅い様に切り抜ける。右脇腹を深く切り裂かれた。鋭く熱い感触と共に鋭痛が走る。装甲を貫き、生身まで到達したらしい。同時に刀の呪詛が激痛と共に広がろうとする。それをスーツの機能で無理矢理押さえこみ、浄化する。

 

 妖刀による全ての一振が命に届く。

 

 あの漆黒の刃にまともに触れた兵装は、金属だろうがエネルギー刃だろうが関係なく切り割かれる。しかもただの切傷じゃない。

 刀に宿る禍々しい妖力が、触れた瞬間に機構を乱し、装甲あるいは肉体そのものを侵してくる。

 既に右腕の刃は三度失い、左腕の補助盾も一度は真っ二つにされた。

 そのたびにネメシス・ムーンが即座に兵装を更新し、別種の装備へと換装する。

 

 A+級。それをつくづく痛感する程ぬらりひょんは強い。

 

 踏み込みは軽く、しかし刃筋は深い。体捌きは舞踊のように無駄が無く、間合いの管理は綿密。

 それだけでも十分怪物であるのに、その上で意識領域の外から来る妖術が混ざる。

 視界の端。

 背後。

 足元。

 演算が警告を出すより先に、影の刃や黒い腕や歪んだ圧が襲い掛かってくる。

 右肩を掠める。

 脇腹を抉る。

 腿を浅く削る。

 即死しないのが奇跡なくらいの攻防が続いた。

 もちろん、こちらだけが一方的にやられているわけじゃない。

 兵器軍がいる。

 超大型兵器群は百鬼夜行を圧殺し続け、中型兵器群との連携でA-級個体を押し留める。

 浮遊砲台は間断なく砲撃を続け、防護重盾機がぬらりひょんの妖術を防いでくれている。

 飛行砲艇は上空を切り裂き、攻撃支援機は鬼主の集中を散らすために何度も穿孔弾を撃ち込んでいる。

 戦場全体でぬらりひょんを削っている。

 そんな感覚。

 

 実際、ぬらりひょんも無傷ではなくなっていた。

 最初に見た時の、あの整いすぎた青年の姿は少しずつ乱れている。

 袖口は裂け、長髪の一部が焼け、頬には薄い切創も入った。

 影のシールドも、一度や二度ではなく何十度も張り直されている。

 

 だがそれでも、破るに至らない。

 

 鬼主の背後からはなお妖怪の軍勢が湧き続ける。

 ぬらりひょんの呼吸は乱れず、笑みも消えない。

 

「本当に……面倒くせえ奴だなァ!?」

 

 吐き捨てると同時に、ぬらりひょんの刀が袈裟に走った。

 避ける。

 間に合わない。

 肩から胸へ、深い線が走る。

 外装が裂け、内側の生体補助層まで届く。

 

【左肩口:重損傷】

【呪詛浸透:中】

【総耐久:危険域】

 

「がぁッッッッ……!!」

 

 熱い。

 熱いのに、血ではなく冷たいものが流れ込む。

 呪詛。

 切創だけではない。更に壊れろと命じられているみたいな嫌な感覚を残す。

 スーツの浄化機能、生体回復機能が唸るように出力を上げる。

 だが完全には塞がらない。

 そこへ、影から生まれた黒い槍が左脚へ刺さる。

 膝の横。

 深くはない。

 だが動きが鈍るには十分。

 

「支援機、前へ!」

 

 防御支援機が滑り込み、偏向障壁を張る。

 追撃の影刃をギリギリで防ぐ。

 その陰に潜るようにして一歩下がり、呼吸を整える。

 肩から胸へ走る傷が痛む。

 左脚も重い。

 右腕の兵装はもう何度目も分からない再構成で、内部負荷が限界に近い。換装はあくまで換装であり、重武装スーツひいては有機性強化外装というベースの上に載せているだけであって、構成しているスーツ全てが変わっている訳じゃない。

 なのにもかかわらず、ぬらりひょんはまだまだ余裕を残している。

 

「……このまま削り合っても、先に死ぬのはこっちか」

 

 そう呟いた時、戦術管制ユニットから損耗報告が入る。

 

【超大型兵器《ヘカトン・キャリア》:一基機能停止】

【中型兵器:九機喪失】

【妖群再出現:増加傾向】

 

 歯を食いしばる。

 こちらの機械軍も無限じゃない。

 相手の軍勢が無尽蔵である以上、長引けば長引くほど不利になる。

 なら、やることはひとつだ。

 もう一段階、上の賭けに出る。

 

 捨て身。それしか道はないだろう。

 

 現状のまま膠着したとして先に限界が来るのはこちらだ。

 

 だったら、最後の最後まで残していたやり方を使うしかない。

 

 自分の身を削る覚悟を持って。

 

「ネメシス・ムーン」

 

【応答】

 

「右腕の兵装を近接特化及びリミッター全解除」

 

 一瞬の沈黙。

 次いで、警告が走る。

 

【警告】

【右腕兵装および上肢フレームに致命的損傷発生の見込み】

【装着者肉体にも重大欠損の可能性】

 

「構わない」

 

 即答する。

 右腕の感覚は既にかなり悪い。

 妖刀を受け流し続けた負荷と度重なる切創と呪詛によるダメージで、保っている方がおかしいくらいだ。

 それなら、残っている価値を全部叩き込む。

 

「その代わり、一発で仕留めるぞ」

 

【…要求受理】

【右腕:超過負荷適装開始】

 

 右腕の装甲が、嫌な音を立てて再構成を始める。

 刃ではない。

 砲ではない。

 槍でもない。

 それは、破城杭と刃と加速器を無理やり一体化させたような異形だった。

 細くない。

 洗練もされていない。

 ただ“ぬらりひょんを殺すためだけに、右腕ごと使い潰す”思想で組まれた兵装。

 肩から先が、もう武装そのものへ変わりつつある。

 重い。

 熱い。

 そして、不吉なくらい静かだった。

 

「全軍、ぬらりひょんへ圧を集中。妖群処理は二の次だ。首魁だけを見ろ!」

 

【命令受理】

【全火力:鬼主優先】

 

 A-級を見ていた超大型兵器が進路を変える。

 中型砲戦車が射角を調整。

 飛行砲艇が真上の座標に位置取り、浮遊砲台が一斉にぬらりひょんへ砲口を向ける。

 数の暴力。

 全方向同時攻撃。

 ぬらりひょんの影が膨らむ。

 こちらの意図を察したのだろう。

 鬼主の笑みが、ほんの少しだけ深くなった。

 

 …面白い。

 

 そう言ったように見えた。

 次の瞬間、戦場全体が爆ぜる。

 超大型兵器の砲撃。

 中型兵器のミサイル。

 飛行砲艇の穿孔弾。

 浮遊砲台の面制圧火線。

 妖群ごと、影ごと、ぬらりひょんの周囲を飽和させる。

 鬼主はそれを影で受ける。

 右。左。上。前。

 次々と黒い膜が立ち、破れ、また立ち上がる。

 その隙間から妖刀が伸び、飛び込んできた自律兵器をまとめて断ち切る。

 だが、今回は違う。

 止まらない。

 途切れない。

 ひたすらに押し潰し続ける火力の波。

 その中心へ、俺が行く。

 

「──ッ!」

 

 背部推進全開。

 左脚の鈍さも、肩の切創も、全部無視して前へ出る。

 ぬらりひょんがこちらを見る。

 影のシールドを張ったまま、妖刀を振り上げる。

 来る。

 分かる。

 だが、それでいい。

 こちらの狙いは一つ。

 妖刀を振らせること。

 ぬらりひょんの間合いへ入り込む。

 左腕の補助刃をわざと大振りに出す。

 当然、それは本命じゃない。

 ぬらりひょんの妖刀が落ちる。

 補助刃が断たれる。

 その瞬間に、右腕の過負荷兵装を突き込む──つもりだった。

 だが、ぬらりひょんは更にその先を読んでいた。

 影が足元から噴き出す。

 黒いトラバサミ。

 それが左脚を貫きに来る。

 避けるには遅い。

 咄嗟に左脚を引いた。

 だが完全には間に合わない。

 影の喰顎が、左膝から下を食い千切った。

 

「──ッッッ!!」

 

 喪失感、神経や骨を砕かれ千切られる叫びが喉を登る。

 

【左脚:重大損傷】

【膝下状態:欠損】

【生命維持補助:最大】

 

 生命の危機を知らせる様に視界端が赤く染まる。

 だが、止まらない。

 いや、止まれない。

 左脚を失いながら、倒れる勢いそのまま前へ体を投げる。

 ぬらりひょんの妖刀が小手を返して首を刎ねに来る。

 受ける。

 右腕で。

 過負荷兵装と妖刀が真正面から噛み合う。

 金属でも骨でもない異音。

 黒と青白い光が激突し、空間そのものがきしむ。

 そこで理解する。

 このままじゃ、右腕ごと断たれる。

 だが、だからこそ。

 

「行けええええッ!!」

 

 右腕の出力を、さらに一段上げる。

 

【警告】

【右腕上肢フレーム:崩壊開始】

【装着者右上肢:危険稼働域】

 

 構わない。

 既に全部賭け(オールインし)たのだ。降りる事等許されない。

 右腕が砕ける。

 肩から先へ走る、先程とは全く別種の激痛。

 骨、肉、外装。兵装と一緒に焼け、裂け、吹き飛ぶ感覚。

 だが、妖刀を押し返した。

 ほんの一瞬。

 ぬらりひょんの刃が逸れた。

 それで十分だった。

 右腕を犠牲にして作ったその一瞬に、左腕でネメシス・ムーンの最終兵装を転送。

 短い。

 静かな。

 影も妖術も、意識外のずれすらも貫くためだけの一点穿孔兵装。

 

「殺った」

 

 ぬらりひょんの胸へ、突き刺す。

 鬼主そのものの核へ、真正面から。

 ぬらりひょんの瞳が見開かれる。

 その整いすぎた顔に、初めてはっきりと驚愕が浮かんだ。

 だが終わらせない。

 左腕の兵装をそのまま固定し、ネメシス・ムーンへ最後の指示を飛ばす。

 

「全出力、ここへ集めろ」

 

【要求受理】

【全兵装残出力:一点集中】

 

 飛行砲艇。

 浮遊砲台。

 中型砲戦車。

 超大型兵器の残っていた火力。

 全部が鬼主の胸へ刺さった一点へ、収束し──爆ぜた。

 

 ぬらりひょんの体内から影が溢れ出る。

 操り人形の糸が切れたように妖怪たちが動きを止め、ぱしゃんとはじけ影へと還る。

 

 鬼主が後ろへよろめき、胸の中心が裂けた。

 黒い長髪が舞う。

 影が更に勢い良く噴き出す。

 妖刀が手から離れ、地面に触れると粉々に砕け散った。

 影を吐き出し終わると最後にぬらりひょんは快活に笑った。

 朗らかで今までで一番愉快そうな笑み。

 

 見事。

 

 そんな風に口が動いた気がした。

 

 次の瞬間、鬼主の体が崩れた。

 

 百鬼夜行の鬼主(ぬらりひょん)

 A+級。

 討伐P五億。

 その存在が、ようやく光の粒子へ変わって消えていく。

 

『討伐ポイントを入手しました』

 

 

 勝った。

 終わった。

 それを理解した瞬間、分泌していたアドレナリンが切れたのだろう。抱えていた負債が全てが一気に襲い掛かる。

 

「──が、ぁ……!」

 

 右肩から先が、無い。

 いや、正確には肩口の先で千切れ、焼け、吹き飛んでいた。

 右腕を犠牲にした、なんて言葉で済む状態じゃない。

 肩から右腕そのものが欠損している。

 左脚も駄目だ。

 膝から下の感覚がない。

 視線を落とせば、そこには血と壊れた外装と、千切れた部位の残骸しかなかった。

 肩からは袈裟斬りの切創も深く走っている。

 九尾とぬらりひょんの斬撃が重なり、左肩口から胸へ斜めに入った傷が、今になって最悪の痛みを返してきた。

 

【右上肢:欠損】

【左下肢:膝下欠損】

【左肩口~胸部:重切創】

【総耐久:ゼロ】

【強制解除開始】

 

 バイザーへその表示が出た瞬間、スーツが限界を迎えた。

 耐久値が、消えた。

 外装の各所でロックが外れる。

 警告音。

 強制解除。

 

「っ、待て……!」

 

 叫んでも止まらない。

 限界を超えて使い続けた代償だ。

 外装がほどける。

 支えを失う。

 その瞬間に崩れ落ちれば、そのまま失血かショックで終わる。

 だから、最後の最後の反射で別のスーツを呼ぶ。

 

「サブ……スーツ!」

 

 青い光。

 最低限の防護と生命維持だけを担う予備外装が、崩れかけた体へ噛み付くように装着される。

 間に合った。

 完全にではない。

 だが、地面へ顔から倒れ込むよりは遥かにマシだ。

 それでも膝をつく。

 いや、膝が片方無い以上、実際には半ば崩れ落ちるような形で床へ寄りかかる。

 息が浅い。

 肩が熱い。

 いや熱いを通り越して、もう痛覚そのものが曖昧だ。

 生体回復機能が、必死で命を繋いでいるのが分かる。

 肩口の欠損を閉じようとし、左脚の断面を塞ぎ、袈裟斬りの傷を最低限だけ止血している。

 だがギリギリだ。

 有機循環強化を回したい。

 回せれば、熱も血流も修復ももう少しマシになる。

 だが。

 

【陽光ポイント:0】

【有機循環強化:起動不可】

 

「……くそッ」

 

 それもそうだ。

 ここまで何度も使った。途中で回復できたものの、極寒零妖妃戦、深部、A-級コンビ、そしてぬらりひょん戦でも吐き続けた。

 むしろぬらりひょんと戦い終わるまで持ったのが奇跡だ。

 指先が冷える。

 いや、指先どころじゃない。

 全てが遠くに感じる。

 視界が揺れる。

 倒れる。

 何か支えが要る。

 

「浮遊……移動砲台」

 

 命令は声になっていたかどうかも怪しい。

 だが、近くに残っていた一基が、静かにこちらへ寄ってきた。

 低い駆動音。

 青いランプ。

 その砲台の装甲へ、残った左腕をかける。

 支えにする。

 

「……助かる」

 

 誰に向けたでもない言葉が漏れる。

 広大な異界は、もう静かだった。

 百鬼夜行の影も薄れ、無数の妖は主を失って消えつつある。

 召喚した兵器群も、半分以上は沈黙していた。

 それでもまだ動く機体が、わずかに周囲を警戒している。

 勝った。

 その事実だけが、遅れて胸へ落ちてきた。

 A+級。

 百鬼夜行の鬼主。

 五億の討伐P。

 それを倒した。

 代償は、あまりにも大きい。

 右腕。

 左脚。

 肩口から胸へ走る深い切創。

 スーツの耐久値は尽き、強制解除。

 予備スーツと生体回復機能で、ギリギリ人の形を保っているだけ。

 それでも、生きている。

 

「……後は、核か」

 

 掠れた声でそう呟く。

 門の向こう。

 あるいはこの空間のさらに奥。

 どこかに迷宮核があるはずだ。

 だが、今すぐ立てるかと問われれば嘘になる。

 浮遊移動砲台の支えがなければ、その場で崩れ落ちていた。

 痛い。

 苦しい。

 呼吸が浅い。

 浮遊移動砲台へ体を預け、断続的に鳴る警告音を聞きながら、俺はゆっくりと顔を上げた。

 

 まだ終わっていない。

 その執念だけで、辛うじて意識を繋ぎ止めながら。

 後の報酬を得るために、俺は空間の中央に現れた扉を潜った。

 

 勝ったから終わりではない。

 迷宮はボスを倒して終わりではない。

 核へ触れ、報酬を得てようやく攻略になる。

 それはもう骨身に染みている。

 もっともその最後の一歩が今の俺には死ぬほど遠かった。

 

 浮遊移動砲台に体を預けたまま、左脚を引きずるという表現すら正しくない有様で進む。

 サブスーツの最低限の補助が無ければ、まともに姿勢すら保てなかっただろう。

 

 先にあったのは、静寂。

 祭壇でも、座敷でも、大広間でもない。

 強いて言うなら、核を置くためだけに作られた空間だった。

 そして、それが中央にあった。

 

「……でか……」

 

 思わずそんな声が漏れる。

 家のようなサイズ。

 いや、下手な平屋よりずっと大きい。

 透き通った巨大結晶が、空間の中央に鎮座している。

 迷宮核。

 今まで見てきた核とは規模が違う。

 拳大だの人頭大だの、そういう次元じゃない。

 あまりにも大きく、あまりにも濃く、そこにあるだけで空間全体の法則を支配しているのが分かる。

 表面には、屋敷迷宮そのものを圧縮したような光の紋様が流れていた。

 日本屋敷の廊下。

 中庭。

 白銀世界。

 百鬼夜行。

 そういった全ての残滓が、この巨大な結晶の内側で渦巻いている。

 近付くだけで頭が痛い。

 圧が強い。

 だが、ここまで来た以上、触れないわけにはいかない。

 浮遊移動砲台を一歩先へ出させ、残った左腕でその装甲を掴みながら、少しずつ前へ進む。

 足元が揺れる。

 視界が霞む。

 生体回復機能の警告音が断続的に鳴る。

 サブスーツの内側で、冷たい汗が背中を伝っているのが分かった。

 

「……あと、少しだ」

 

 自分へ言い聞かせる。

 数歩。

 いや、実際にはもっと短い距離だったかもしれない。

 だが、今の俺にはその数歩が、ぬらりひょん戦の全てより長く感じた。

 ようやく辿り着く。

 巨大迷宮核の表面は、冷たくも熱くもなかった。

 ただ、触れる前から“吸い込まれる”ような感覚がある。

 霞む視界で何とか焦点を合わせる。

 左腕を持ち上げる。

 震える指先を伸ばす。

 触れた。

 その瞬間光が溢れた。

 巨大迷宮核の内側を流れていた無数の紋様が一斉に明るさを増し、部屋全体が白く染まる。

 

 そして続く頭の奥へ響いてくるシステム音声。

 

『迷宮核の吸収を確認しました。能力が強化されます。新カテゴリ【機器創成】が追加されました。50億Pが残高に追加されました』

 

「……ごじゅ…!?」

 

 五十億。

 あまりにも現実感の無い数字。

 今まで積み上げてきたポイントを悠々と飛び越す額。

 しかも、新カテゴリ。

 

 【機器創成】。

 

 兵器召喚の延長か。

 有機化学のさらに先か。

 それとも全く別系統か。

 気になることは山ほどあった。

 だが、それを考えるだけの余裕は、もう脳に残っていない。

 巨大迷宮核の光がこちらへ流れ込み、能力の深部を書き換えていく感覚と共に、意識の輪郭が一気に薄れていく。

 まずい。

 落ちる。

 このまま完全に意識を失えば、攻略自体は完了していても、その後が危ない。

 今までの経験からこの後に迷宮外へ飛ばす魔方陣が現れる筈。つまりは樹海に放り出される事になる。

 

「……まだ、だ」

 

 自分へ言い聞かせるように呟く。

 霞む意識の中、最後の気力を振り絞る。

 バイザーの表示が二重にも三重にもぶれる。

 それでも兵器召喚の項目を無理やり開く。

 

「兵器……召喚……」

 

 超小型小隊。

 護衛。

 索敵。

 防護。

 最低限でいい。

 いや、最低限じゃ駄目だ。

 この状態の自分を運び切れるだけの戦力が要る。

 青い光が、ぼやけた視界の中でいくつも灯る。

 偵察ドローン。

 防護重盾機。

 小型浮遊砲台。

 戦術管制ユニット。

 そして、汎用変形機兵。

 最後にそいつを呼び出したのは、本能に近かった。

 運搬と護衛。

 両方を任せるなら、今の俺の手札の中ではあいつが一番向いている。

 現れた兵器群の青いランプが、薄れていく視界の中で頼もしく灯る。

 命令を出す。

 声に出たかどうかすら怪しい。

 だが、ネメシス・ムーンと戦術管制ユニットが拾ってくれると信じるしかない。

 

「……俺を……守りながら……拠点へ……帰還、しろ」

 

【命令受理】

【護衛対象:最優先】

【帰還経路:構築開始】

 

 その受理音を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れた。

 安心ができる。後を任せられる。

 少なくとも、今の俺がここで一人きりで倒れるよりは遥かにマシだ。

 兵器群がこちらへ寄ってくる。

 汎用変形機兵が膝をつくように身を低くする。

 防護重盾機が外周へ展開し、偵察ドローンが先へ飛ぶ。

 それら全部を、もうはっきりとは見られない。

 意識が薄れる。

 重い。

 深い。

 底へ沈む。

 最後に頭の隅を掠めたのは、五十億ポイントという馬鹿みたいな数字と、新カテゴリ【機器創成】の文字だった。

 そこまでを辛うじて胸の奥へ刻み付けたまま、俺の意識は、完全に闇へ沈んだ。

 

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