BrokenWorld~黒鉄の装着者~ 作:半笑いの妖精
ケルベロックを撃破した後の静けさは、奇妙な質感を持っていた。
黒炎が消えた。
獄卒獣像の残滓も崩れた。
持ち込んだ機械の軍は損耗しながらもまだ形を保っている。
それでも、広間に残った空気だけは、戦いの終わりを許していなかった。
奥へ続く通路は一本。
いや、通路というには広すぎる。
神殿へ向かう参道を、そのまま塔の内部へ押し込めたような、異様に整い過ぎた道だ。
床は白灰色。
壁もまた同じ色。
それまでの階層にあった無骨な石や鉄の匂いは薄れ、代わりに“清められ過ぎた空間”に特有の無臭さが支配している。
綺麗だ。
綺麗すぎる。
だからこそ気味が悪い。
「……ようやく本命か」
この先にいるのはケルベロックのA+級を越えたS-級、
名前からして、真っ当な相手であるはずがない。
機械の軍を再編しながら先へ進む。
重盾機は数を減らした。
浮遊砲台も損耗が目立つ。
変形機兵はまだ動けるが、全体としては着実に削られている。
それでも今のところ、進軍を止める理由にはならない。
道の先で、空間が開いた。
◆
そこは、広間ですらなかった。
巨大な円形祭壇。
あるいは、闘技場。
塔の頂に近い場所へ無理やり押し込められた“神の座”とでも言うべき空間だった。
床は白い。
壁も白い。
天井は霞んで見えず、空間の上方から柔らかな金の光が降り注いでいる。
だが、その光は暖かくない。
祝福のように見えて、触れれば拒絶されることが直感で分かる類の光だった。
そして、その中央。
そこにそれは立っていた。
女神像。
そう見えた。
高い。
おそらく二十メートル近い。
だが、ただ巨大なだけではない。
均整が取れ過ぎている。
完璧な人体比率を、そのまま彫像として拡大したような、不気味なまでの均衡。
材質は白。
石に見える。
だがただの石ではない。
金属でもない。
光そのものを凝固させたみたいな艶がある。
翼があった。
背から左右へ広がる大きな翼。
羽根一枚一枚が精緻に彫り込まれ、それでいて全体としては神話めいた圧を持っている。
片手には長柄の槍。
もう片方の手は、何かを授けるように軽く前へ差し出されていた。
顔立ちは美しい。
だが人間的な感情は薄い。
慈悲も怒りも無く、ただ上位存在としてそこにあるという冷たさが宿っている。
▼
モンスター名:
ランク:S-
詳細:神域に踏み入れた石工が命を削って産み出した石像。数多の畏敬を浴びた結果、ただの石像は疑似的な神と化した。
討伐P:8億5000万P
▲
視界へ表示されたその情報すら、どこか現実味を持たない。
S-。
A+の先。
S級未満とはいえ、神の領域に足を掛けた怪物であることを、その見た目だけで思い知らされる。
「……いいね」
怖くないわけじゃない。
だが、それ以上に昂揚があった。
ここを越えれば、塔型迷宮の核へ手が届く。
そしてS級へ向かう道も、また一段現実的になる。
ニケは、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
ただそれだけで、空間が変わる。
床に走る見えない圧。
白い光の濃度。
空気の重さ。
何も攻撃していないのに、ここから先は神域であると宣告されたような息苦しさが広がった。
「総員、戦闘開始」
命令と同時に、持ち込んだ兵器群が一斉に砲火を開く。
浮遊砲台の収束射。
中型砲戦車の高出力砲撃。
変形機兵の投槍。
誘導弾。
小型迎撃弾。
広い祭壇空間へ、今まで通りの“飽和火力”を叩き込む。
だが。
「……なに?」
当たらない。いや、正確にはニケの周囲数メートル手前で、全部が掻き消えている。
全ての砲撃が光の粒になってほどけている。
弾かれるでも、防がれるでもない。
命中する寸前で、存在そのものが消滅していた。
ニケは動かない。
避けない。
防御姿勢すら取ることもしない。
ただ立っているだけで、こちらの遠距離攻撃が全て意味を失っていた。
「継続射撃」
さらに火力を重ねる。
だが同じだ。
密度を増しても、角度を変えても、狙点をずらしても、結果は変わらない。
一定のラインに入った瞬間に掻き消え、塵一つと残らない。
その様子を見て、背筋へ冷たいものが走った。
これは硬いとか、防御力が高いとか、そういう話じゃない。
ルールが違う。
「ネメシス・ムーン、解析の精度を上げろ。あれが何か解明してくれ」
【要求受理】
【対象:勝利の偽神像〈ニケ〉】
【権能解析を開始】
三機のネメシス・ムーンが同時に回る。
視界の端で演算ウィンドウが高速に更新され、光と軌跡の残像が祭壇空間いっぱいへ重なる。
ニケがその間にも動く。
ゆっくりと槍を持ち上げる。
ただそれだけの動作なのに、全身が警報を鳴らした。
「防御しろ!」
叫ぶ様に指示を飛ばす。
投擲。
槍が、いや、光の筋が一本、世界を真っ直ぐ貫いた。
避ける。
義足に加重。
重力制御を使って横へ滑る。
ギリギリで外れる。
そのまま背後の重盾機三機がまとめて消し飛んだ。
爆発ではない。
破壊とも少し違う。
貫かれた箇所ごと存在を持っていかれたように、綺麗な大穴だけが残る。
「……冗談じゃねぇな」
奴にとっては軽い準備運動程度の一撃。それで出力を上げ、防御に特化させた三機の重盾機が一瞬で破壊された。
これがS-。
A級とは、明らかに土俵が違う。
解析結果が、そこで揃った。
【解析結果:対象は特殊権能を保有】
表示された文字列を、思わず読み返す。
【偽神の権能:勝利】
【効果:遠距離攻撃及び一定威力以下の攻撃無効化】
【効果:全攻撃に防御突破、完全貫通、抹消効果付与】
詳細が更に開示される。
【詳細解析】
【対象周囲5m以遠からの攻撃は原則無効化】
【対象周囲5m以内からの攻撃であっても、一定威力以下の攻撃は無効化】
【高出力・高密度の近接攻撃のみ干渉可能】
【全ての攻撃に防御力や抵抗力の無効化が発生】
【勝利】という権能の所持者。
故に当たらず、命中しても消え、奴の攻撃には抵抗が意味を成さない。
遠距離攻撃や高火力以外の攻撃が意味を成さないなら、機械軍は戦力にならない。
このまま戦場に存在していても徒に消耗するだけだろう。
「送還」
【命令受理】
機械軍を下げる。
砲戦車。
浮遊砲台。
変形機兵。
残った重盾機も含め、持ち込んだ兵器群を送還していく。
明らかな隙だがニケは動かず、ただ静かに立ってこちらの選択を見ている。
そんな態度が癇に障る。
「ネメシス・ムーン、全部のリソースを俺に集めろ。あと…」
【要求受理】
【補助対象を集約します】
【追加要請:受諾】
三機の月が回転を変える。
一機目が近接適装。
二機目が適装製造補助と出力補正。
三機目が解析と予測。
視界が研ぎ澄まされる。
「じゃあ、やるか」
◆
最初の交錯は、一瞬だった。
俺が踏み込み、ニケが槍を振るう。
正面からの刺突。
単純な直線。
だが、単純であることがそのまま暴力の密度に繋がっている。
避ける。
紙一重。
頬を掠めた風圧だけで、外装表面が削れた。
そのまま五メートル圏内へ滑り込む。
ここからだ。
義手の高周波ブレードを高出力化し、内蔵兵装を出力偏重に換装。
義足の加重を使って、足場を殺さない最短踏み込み。
斬る。
届く。
今度は掻き消えない。
だが、浅い。
ニケの脇腹に白い傷が一本走ったがそれだけだ。
手応えはあったが、致命へはほど遠い。
「単純防御もバカ硬ぇな……!」
近付けば何でも通るわけじゃない。
五メートル以内で、なおかつ高出力。
条件が厳しい。
ニケが反転し、槍を薙ぐ。
下から上へ。
体を持ち上げるような軌道。
受けるのは無理だ。
義足で加重を抜き、半歩浮くようにして外す。
だが、完全には逃れ切れない。
槍の穂先が右脇腹を掠め、外装が深く裂けた。
【右脇腹:中損傷】
【装甲:修復中】
重い。
ただの打撃じゃない。
勝利の権能を帯びた武器の一撃は、装甲の防御を無視してダメージを与えてくる。
すれ違い様に義手を開く。
通常の対消滅砲では威力が足りない。
ならばとアタッチメントを要請し、高密度、高圧縮化して至近距離から胸部へ叩き込む。
今度は通る。
表面がえぐれ、白い石像の胸板に深い穴が穿たれた。
だが、ニケは止まらない。
翼が広がる。
光が舞う。
そして、剣が現れた。
槍だけじゃない。
持っていなかったはずの片手剣が、空間から手元へ滑り込むように具現する。
無策では敗北は濃厚。
しかし練った策でも容易く対処してくる。
攻めあぐねていると、ニケが姿をブレさせ視界から消えた。それを見てヤバいと思う前にはもう体が動いていた。グラビティ・コア及び義足を全力稼働させ、その場を離脱する。直後今居た場所に刃が通り過ぎ、上から白石の巨鎚が落ちる。
今の、喰らってたら死んでたかもな…。
ネメシス・ムーン一機が新しい刃を重ねる。
両手に超高密度の振動とエーテル流路、ナノマシンによる修復、侵食技術を併設した、あらゆる物を切り裂き、断面を侵食する火力特化の近接装備が換装される。
切り結ぶ。
剣と槍。両のブレード。
ニケは完璧だ。
技量も、重心も、隙の無さも、人間の武術を神の領域へと引き上げたような傑物感がある。
このままいってもジリ貧。
技量、防御、破壊力。全てを上回る相手との戦いで勝利するためには──多少のダメージを無視した、捨て身しか無いだろう。
つまりは前回と同じって訳だ。芸が無くて嫌になるね。
フェイント。
加重の変化。
重力制御によるわずかな軌道ずらし。
三機のネメシス・ムーンが先読みした高精度の未来を、ニケは更にその先を踏み越えるよう動いてくる。
斬りかかり、受けられる。
刺そうとして避けられる。
掌砲を差し込み掻き消される。
出力を上げ、再射撃。
今度は通る。
少しずつ。
ほんの少しずつだが、傷は増えていく。
ニケの肩。
脇腹。
太腿。
翼の付け根。
白い石像に亀裂が走り、そこから薄い金光が漏れ始める。
ただし、捨て身な以上、こちらも無傷ではない。
槍の穂先が左肩を削る。
剣が太腿の外装を裂く。
蹴りの衝撃で背中から床へ叩きつけられ、息が一瞬止まる。
少しのピンチでは済まなかった。
ニケは、一度流れを取られると凶悪だ。
避けられない連撃が来る。
権能と技量が噛み合っているせいで、避けた先に次の正解を置いてくる戦い方をしてくる。
右から槍。
左から剣。
後ろへ下がれば遠距離攻撃扱いとなり無に帰される。
接近戦でも高出力を維持し続けない限り弾かれる。
逃げ道が少ない…或いは無い。
「ぐぅっ……!」
剣を受ける。
無効化されないよう、修復用ナノマシンの出力を維持したまま。
肩から肘へ負荷が走る。
そのまま槍が喉へ来る。
義足のグラビティ・コアを自分の足場ではなく、ニケの足元へ短く打つ。
ニケの態勢が少し崩れ、刺突の直撃は逸れた。
それでも首筋を浅く裂かれ、警告が視界へ弾けた。
【頸部周辺:軽中損傷】
冷や汗が垂れる。
危ない。
今のは本当に危なかった。
だが、そういう瀬戸際へ入らないと、この相手は殺せない。
◆
戦いながら、条件を詰めていく。
周囲五メートル以内かつ、高出力であれば攻撃は通る。
途切れる事なく近接高火力を押し付ければいい…のだが。
問題は負荷だ。
義手義足と外装にかなりの負担が掛かっている。超過稼働率、消耗率が加速度的に上がっていく。
壊れる前に殺るか、それとも耐えきれずに殺られるか。最高にスリリングなチキンレースの開幕だ。
「二機目、出力制御をこっちへ寄せろ。三機目は予測演算を最小限にして火力へ」
【要求受理】
視界が少し荒れる。
その代わり、義手と義足へ流れる補助出力が跳ね上がる。負荷が更に上がるが、無視だ。
踏み込みが深い。
右腕が重い。
いい。
これなら届く。
ニケが槍を構え直す。
これまでで最も低い姿勢。
突進型。
来る。
正面突破の構え。
ならこちらも、真正面からぶつける。
義足へ最大級の加重。
床が砕ける。
同時に義手へ高出力兵装を要請。
刃でも砲でもなく、貫通と破壊を両立した一点突破の楔に近い武装へと換装。
踏み込む。
白い巨像と黒い外装が、真正面から交錯した。
槍が右肩を掠める。
無視する。
剣が腰へ来る。
義足の重力補正で体幹だけを捻って外す。
そのまま、こちらの一撃を胸部中央へ叩き込む。
通った。
今までで一番深い手応え。
胸部中央が大きく陥没し、背中側までひびが走る。
だが、まだ倒れない。
ニケはそのまま片手でこちらの右腕を掴んだ。
冷たい。
硬い。
そして、あり得ないほど重い。
「っ……!」
振り払う前に、翼が開く。
光が収束する。
まずいと理解した時には遅かった。
爆ぜる。
翼そのものが刃のような光片となって至近距離で拡散した。
全方位。
避ける余地がない。
外装が裂ける。
肩。
胸。
脚。
細かな損傷が一気に積み上がり、視界が警告で埋まる。
【全身外装:多重損傷】
【総耐久:低下】
吹き飛ばされる。
背中から床へ叩きつけられ、数十メートル滑る。
止まった時には息が詰まっていた。
少しのピンチ。
どころではない。
今のは明確に死線だった。
起き上がる。
すぐに。
立て。
止まるな。
そう自分へ命じながら、歯を食いしばって体を起こす。
ニケは追ってこない。
いや、追わなくてもいいと思っているのだろう。
神の如き無表情のまま、次の槍を静かに構えていた。
「……クソったれが」
吐き捨てる。
だが、同時に見えたものもあった。
胸部中央。
今の一撃で入れた亀裂。
そこだけは、明らかに他より深い。
あと一回。
今以上の火力を入れれば届きそうだ。
◆
立ち上がる。
既に表面上は肉体、装甲両方共に回復、修復は完了している。
しかし、内部の回復までは追い付いていない。筋肉の一部は変な熱が篭ってるし、骨も軋むように痛む。
義手も義足も負荷が大きい。
だが、まだいける。
「最後だ」
三機のネメシス・ムーンが、それに応じるように出力を上げる。
ニケも踏み出した。
槍を引く。
剣を低く。
翼を少し閉じる。
今度こそ、本当の決着の構え。
こちらも義手を開き、義足へ全てを預ける。
攻防一体の構えではない。
防御は捨てる。
必要なのは、もう一度だけ胸の核へ届くことだ。
踏み込む。
ニケが槍を突く。
読める。
だが避けない。
槍の軌道へ自分から半歩入る。
穂先が右脇腹を貫く。
鋭い激痛。
外装ごと深く入る。
それでも止まらない。
「がぁッ…!っ、今だッッ!寄越せッッ!!!」
最初に要請していた近接火力特化の兵装。
貫通に特化させた装備で義手自体を杭として扱い、敵の内部へと差し込んで
そして今出せる全部。
そしてダメ押しとして義足の【
発射。
音が消える。
対消滅砲の白い光。
縮退砲の漆黒の照射。
そして金のひびがニケの全身に入った。
偽神像の胸部中央が内側から砕けていく。
亀裂が広がる。
肩へ。
翼へ。
首へ。
全身へ。
ニケの顔に、初めて崩れが出た。
無表情が、均衡を失う。
槍が落ちる。
剣が消える。
翼が片方から砕け、光の羽片になって散る。
既に瀕死。しかしまだ立とうとする。
流石はS-。
簡単には終わらない。
「三機、全部寄越せ!止めを刺す!」
【要求受理】
三つの月が同時に輝いた。
一機目はのこった左腕。
二機目は義足。
三機目は最適な演算をする。
その全部を乗せて、最後の一撃を叩き込む。
光が逆流した。
勝利の偽神像:〈ニケ〉の体内を走っていた金光が暴走し、全身の亀裂から噴き出す。
祭壇空間そのものが鳴動した。
そして。
巨像は、胸から崩れた。
頭。
翼。
腕。
脚。
全てが均衡を失い、白い石ではなく、砕けた勝利そのものみたいな光の粒へ変わっていく。
『討伐ポイントを入手しました』
◆
終わった。
静寂が戻る。
祭壇空間にはもう、白い光も圧も残っていない。
槍も剣も、翼の羽片も、全部が光へ変わって消えた。
荒い呼吸と、三機のネメシス・ムーンの低い駆動音が響く。
「……勝ったか」
誰に聞かせるでもなく、そう呟く。
遠距離攻撃が一切通らない。
弱い攻撃は内側でも無効。
勝利そのものを権能として持つ偽神像。
まともな相手じゃなかった。
A+を越えた先がどういう領域なのか、嫌というほど分からされた。
それでも、届いた。
遠距離を捨て、兵器群を送還し、補助を全て自分へ集約し、高出力高攻撃力装備をひたすら重ねて、ようやく勝てた。
足元には、消え残った白い粉のような残滓だけが積もっている。
その向こう、祭壇空間の最奥には、さらに上へ続く道が見えていた。
迷宮核。
そして五百六十億P。
まだ終わっていない。
だが、この塔型迷宮最大の壁は、今ここで越えた。
勝利の偽神像を殺した今、塔の最上層はもうすぐそこだった。