BrokenWorld~黒鉄の装着者~   作:半笑いの妖精

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第七話:ダンジョンボス

 

 ダンジョンの探索は、思っていた以上に神経を削った。

 最初のうちは、地図が埋まっていくのが純粋に楽しかった。

 未踏の通路。青白く光る結晶。ホームセンターの残骸が岩壁に呑まれた異様な光景。

 オタク心をくすぐる要素しかなく、多少の警戒心すら興奮で上書きできていた。

 だが、そんな気分も長くは続かない。

 奥へ進むにつれ、モンスターとの遭遇頻度がじわじわと増え始めたのだ。

 最初は通路の陰に潜んでいたスライムが一体。

 次はゴブリンが二体。

 さらに進めば、ニードルマンが細い通路の先から突き出してくる。

 どれも、今の俺にとって処理できない相手じゃない。

 むしろ単体、あるいは少数なら危なげなく倒せる部類だ。

 だが問題は、数ではなく“頻度”だった。

 ひとつ倒して数分歩けば、また遭遇。

 分岐を一つ確認すれば、その先にもう一体。

 袋小路を潰した帰り道で、さっきはいなかったゴブリンに出くわすことすらある。

 

「……ダルいな、おい」

 

 短剣でニードルマンの頭を叩き割り、光の粒子へ変わるのを見送りながら吐き捨てる。

 エネルギー残量を確認する。

 減っている。

 少しずつ。だが確実に。

 派手な大技を撃っているわけじゃない。

 基本は短剣と体術、必要な時だけ最小出力のエネルギー弾で対処している。

 それでも、遭遇回数が多すぎて蓄積する。

 地図作成機能も、常時稼働している以上はタダじゃないのかもしれない。

 露骨に減るわけではないが、戦闘と探索を繰り返すうちに、じわじわとエネルギーゲージが削れていくのが分かった。

 しかも、ダンジョンは広かった。

 いや、広いなんてもんじゃない。

 分岐、迂回路、行き止まり、上下差。

 外から見たホームセンター一棟分の広さなど、とっくに現実感を失っている。

 右へ折れて、戻って、下って、また別の通路へ出る。

 そのたびに地図は少しずつ埋まっていくが、同時にまだこんなにあるのかというげんなりした現実も突きつけてくる。

 

「……宝箱一個で割に合うのか、これ……」

 

 ぼやきながら、ゴブリンの振り下ろした粗末な棍棒を躱し、逆袈裟に切り裂く。

 自分で入っておいてなんだが、終わりの見えないゴールに若干後悔し始めていた。

 もちろん引き返すという選択肢も頭をよぎる。

 だが、ここまで来て何も得ずに帰るのも癪だった。

 しかも地図が埋まるほどに、逆に“何かあるはずだ”という確信も強くなっていく。

 これだけ広くて、これだけ敵が湧いて、これだけ異質な空間だ。

 何も無しで終わる方がおかしい。

 だから進む。

 小さな不満と疲労を抱えたまま、それでも一歩ずつ。

 そうして探索を続けた末、ついに地図の九割ほどが埋まった。

 現在地の先には、まだ未踏の大きな空白がひとつ。

 それ以外の枝道や袋小路は、ほぼ確認済みだ。

 

「……で、最後にこれかよ」

 

 思わず乾いた笑いが漏れる。

 目の前には、巨大な両開きの扉があった。

 明らかに異質だ。

 これまでの通路は、ホームセンターの残骸と洞窟が混ざり合った不自然な空間だった。

 だがこの扉だけは、そうした歪な成り立ちとは別種の意図を持ってそこに存在しているように見えた。

 高さは三メートル以上。

 幅もかなりある。

 黒ずんだ金属とも石ともつかない材質で、表面には渦巻くような紋様が刻まれていた。

 青白い結晶光を受けても鈍くしか反射せず、ただそこにあるだけで圧を放っている。

 そして、その前の空間だけ妙に広く、何も置かれていない。

 

 ……いかにもだ。

 いかにもすぎる。

 

「絶対ボス部屋じゃねぇか……」

 

 口に出した瞬間、逆に腹が据わる。

 ここまで来て、ただの倉庫でしたなんてオチがあるはずもない。

 この演出、この配置、この空気。どう考えても最後の一室だ。

 地図上でも、この扉の先が最後の未踏領域になっている。

 つまり、ここを越えれば終わる。

 そう考えた途端、疲労で鈍っていた神経が再び引き締まった。

 耐久値を確認。

 まだ余裕はある。

 エネルギーは減っているが、ゼロではない。むしろオーガ戦のような無茶をしなければ、まだ十分戦える範囲だ。

 問題は中身だ。

 何が出るか分からない。

 雑魚の群れか。中型の強敵か。あるいは今まで見たことのない何かか。

 

「……やるしかねぇよな」

 

 自分に言い聞かせるように呟き、深く息を吸う。

 右手に短剣。

 左手にはエネルギー弾の準備。

 バイザーには地図と耐久値、エネルギー残量、モンスター解析の待機表示。

 気合いを入れ、扉の前に立つ。すると──

 ゴゴゴ、と低い音を立てて、巨大な両開きの扉がひとりでに動き始めた。

 

「……っ」

 

 反射的に身構える。

 歓迎するかのように、いや、侵入者を待っていたかのように、扉はゆっくりと左右へ開いていく。

 冷たい空気が流れ出し、その奥の空間が露わになった。

 広い。

 かなり広い。

 これまでの通路や小部屋とは比べものにならない規模だ。

 天井は高く、壁の端も遠い。だが不思議なことに、光源らしいものがどこにも見当たらないのに中は明るかった。

 均一だが、曖昧な明るさ。

 まるで空間そのものが薄く発光しているような、そんな不自然な明るさだった。

 床は黒い石。

 中央はぽっかりと円形に開けており、障害物らしいものはない。

 代わりに壁際には柱のようなものが並び、それぞれに淡い光の筋が走っている。

 完全な戦闘空間。

 そうとしか思えなかった。

 喉が鳴る。

 それでも意を決して、一歩踏み込む。

 次いで二歩、三歩。

 扉の敷居を越えて部屋の中へ入った瞬間──

 背後で、重々しい音が響いた。

 振り返る。

 開いていたはずの両扉が、ゆっくりと閉じていくところだった。

 

「おい、ちょっ──」

 

 言い終わる前に、完全に閉まる。

 ゴン、と最後に響いた重い音が、やけに大きく耳に残った。

 閉じ込められた。

 その事実を理解した瞬間、空気が変わる。

 部屋の中央。

 何もなかったはずの空間へ、ふわりと光が集まり始めた。

 最初は小さな粒。

 だが、それは瞬く間に数を増やし、渦を巻き、ひとつの塊になっていく。

 眩しい。

 思わず目を細める。

 光の奔流は人の輪郭を作り、次いで肉を、骨を、装飾を、そして圧そのものを形にしていった。

 現れたのは、鬼。

 ただし、ただのオーガではない。

 体躯は以前倒したオーガと同等か、あるいは少し細身。

 だがその分、無駄のない危険さがあった。

 赤銅色の肌。

 二本の剛角。

 筋肉で固めた巨体。

 だが、片手には巨大な杖。もう片手には禍々しい紋様の刻まれた黒い魔導書じみた石板を携えている。

 粗暴な棍棒だけを振り回す脳筋ではない。

 見ただけで分かる。こいつは頭脳を使う奴だ。力を持ち、なおかつ知恵も持つ類の敵。

 バイザーが即座に反応し、ウィンドウを展開する。

 

 ▼

 モンスター名:オーガ・メイジ

 ランク:C+

 詳細:オーガの武力と多彩な魔術を兼ね備えたモンスター。討伐には十分な装備と入念な準備が必要。

 討伐P:3500

 ▲

 

「……C+?」

 思わず声が漏れる。

 前に倒したオーガがC-。

 その上位種で魔術を使うらしい。

 討伐には十分な装備と入念な準備が必要──

 解析文がそこまで言う時点で、危険度は察するに余りある。

 嫌な汗が背中を伝う。

 探索で削られたエネルギー。連戦による疲労。閉じた扉。

 タイミングとしては最悪だ。

 だが、オーガ・メイジはそんなこちらの事情など関係ないとばかりに、ゆっくりと顔を上げた。

 燃えるような赤い瞳が、真っ直ぐこちらを射抜く。

 次の瞬間、口元が吊り上がった。

 まるで、これから始まる殺し合いを愉しむように。

 杖の先端へ、じわりと赤黒い光が灯る。

 

「……クソ。マジでボスじゃねぇか」

 

 吐き捨てながら、短剣を握り直す。

 逃げ道はない。

 だったら──やるしかない。

 広間の中央。

 薄く発光する床の上で、オーガ・メイジと俺は向かい合う。

 ダンジョン最奥。

 そこで始まろうとしていたのは、今までで最も厄介で、最も濃密な死闘だった。

 

 先手必勝。

 

 その四文字が脳裏に浮かんだ瞬間、体はもう動いていた。

 この手の相手に、悠長に手札を見せ合うつもりはない。

 オーガの膂力に加え、多彩な魔術まで使う化け物だ。距離を取って好き勝手に撃たせたら、それだけで詰む可能性がある。

 なら、やることはひとつ。

 一気に間合いを詰めて、スーツの性能をフルに使って叩き潰す。

 床を蹴る。

 強化外装が脚力を底上げし、視界が一気に流れた。

 短剣を握る右手に力を込め、左手はいつでもエネルギー弾を撃てるよう意識を向ける。

 だが、踏み込んだその瞬間だった。

 

「──っ」

 

 嫌なものが、背筋を這い上がる。

 オーガ・メイジは動いていない。

 いや、正確には──動き終わっていた。

 奴の杖が、ぴたりとこちらを捉えている。

 ほんの僅かな違和感。

 だが、それだけで十分だった。

 視線。

 杖先の向き。

 光の収束。

 そして、本能が鳴らす警鐘。

 ヤバい。

 理屈より先に、強烈な悪寒が全身を貫いた。

 このまま突っ込めば死ぬ。

 ほとんど反射で、無理矢理行動を変える。

 踏み込みの勢いをねじ伏せるように全身を捻り、横へ飛ぶ。

 直後。

 空気が、爆ぜた。

 杖先から放たれたのは、火球──などという言葉で片付けていい代物じゃなかった。

 灼熱の塊。凝縮された炎そのもの。

 それが一直線に真横を通り過ぎ、さっきまで俺がいた空間を焼き潰していく。

 熱い。

 いや、熱いなんてものじゃない。

 掠めただけで装甲越しに焼けるような熱気が走り、頬の横を通り過ぎた余熱だけで喉が詰まりそうになる。

 

「ッ……!」

 

 床を転がり、なんとか姿勢を立て直す。

 背後で轟音。

 振り向けば、火球が着弾した床が爆ぜ、黒い石材が赤熱しながら砕け散っていた。

 衝撃で破片が飛び、壁面へ当たって甲高い音を立てる。

 もし、避けるのが一瞬でも遅れていたら──そう考えるだけで胃が冷たくなった。

 冷や汗が、頬を伝う。

 

「……冗談だろ」

 

 思わず漏れた声は掠れていた。

 火球。

 たった一発。

 それだけで、部屋の床があそこまで抉れている。

 オーガの膂力に加えてこの火力。

 しかも、今のは明らかに牽制じゃない。最初から殺すつもりで撃ってきた一撃だ。

 オーガ・メイジは、そんなこちらの動揺を愉しむように、口元を歪めていた。

 杖の先には、すでに次の光が灯り始めている。

 速い。

 詠唱も溜めもほとんどない。

 魔術っていうより、もはや砲撃だ。

 

「クソが……!」

 

 悪態と同時に、床を蹴る。

 今度は一直線に突っ込まない。

 左右へ、斜めへ、不規則に軌道を変えながら走る。

 スーツの強化を全開にして、奴の狙いを狂わせる。

 それを見て、オーガ・メイジの目がわずかに細まった。

 次の瞬間、杖が振られる。

 火球が二発。

 一発目は足元。二発目は逃げ道を潰すように少し先へ。

 

「読んでやがる……!」

 

 床へ滑り込むように身を沈め、最初の火球をやり過ごす。

 爆炎が頭上を舐め、髪が焼けるような臭いがバイザーの内側にまで届いた気がした。

 そのまま滑走の勢いで体勢を崩したように見せかけ、逆に腕の力で床を弾いて跳ねる。

 二発目の爆発が背後で炸裂し、熱風が背中を押した。

 速い。重い。しかも正確。

 だが、見えないほどじゃない。

 避けられないほどでもない。

 だったら──詰める。

 左手をオーガ・メイジへ向け、最小出力のエネルギー弾を三連射。

 狙いはダメージじゃない。視界と意識を削るための牽制だ。

 青白い光弾が一直線に走る。

 オーガ・メイジはそれを杖の一振りで迎え撃ち、薄赤い魔力の膜みたいなものを前面へ展開した。

 着弾。閃光。

 光弾は弾かれ、霧散する。

 

「防壁までありかよ……!」

 

 吐き捨てながらも、その一瞬の硬直へ踏み込む。

 距離が縮まる。

 十メートル。八メートル。六メートル。

 オーガ・メイジが杖を引く。

 今度は殴打か、近接用の魔術か。

 どちらにせよ、ようやく俺の間合いだ。

 右手の短剣を低く構え、左手には次の一発を溜める。

 胸の奥で鼓動が荒れ狂う。熱と冷や汗が混ざり合い、全身が異様に冴えていた。

 死ぬほど危ない。

 だが、その危険の中でしか開けない勝ち筋がある。

 だったら行くしかない。

 オーガ・メイジの赤い双眸を睨み返しながら、考え──

 ──ひとつの考えが閃いた。

 収納機能。

 このダンジョンに入る前、ビルの整備で散々使ったあの機能。いつでも処理は出来ると後回しにした瓦礫や壊れた棚、ひしゃげたロッカーの類がまだかなり入っている。

 

「遮蔽物にすればいい……!」

 

 真正面から撃ち合うのが不利なら、撃たせなければいい。

 奴の視線と杖先さえ切れれば、接近戦へ持ち込める可能性は一気に上がる。

 即座に実行へ移る。

 走りながら、進路上の少し先へ収納物を取り出すと念じた。

 空間が青白く揺らぎ、次の瞬間、コンクリート塊やひしゃげた金属棚、割れたロッカーの残骸が一気に出現する。

 轟音。

 重たい瓦礫が床へ叩き付けられ、瞬く間に即席の障害物が出来上がった。

 その陰へ身を滑り込ませる。

 直後、火球が飛来。

 さっきまで俺がいた位置を灼熱が抉り、遅れて熱風が吹き抜ける。

 だが今度は直撃じゃない。視界を切った。射線を外させた。

 

「いける……!」

 

 そのまま次の位置へ、また収納物を取り出す。

 斜め前方。

 今度は作業台の残骸と分厚い鉄板混じりの瓦礫。

 青白い光が弾け、二つ目の遮蔽物が生まれる。

 一つ目の陰から飛び出し、スーツの脚力で一気に距離を詰める。

 オーガ・メイジの火球が背後で炸裂。

 最初の瓦礫が熱で砕け、赤熱した破片を撒き散らすのが見えた。

 だが構わない。

 壊されるのは前提だ。重要なのは、壊れるまでの一瞬で次の位置へ移ること。

 走る。

 取り出す。

 隠れる。

 走る。

 まるで塹壕戦だと、どこか冷めた頭が思う。

 だが有効なのは間違いなかった。これまで自由に通っていた杖先の照準が、瓦礫と残骸に邪魔されてわずかに遅れる。その遅れだけで、生存率が段違いに上がる。

 五メートル。

 さらに詰める。

 オーガ・メイジの顔から、余裕めいた笑みが薄れたのが分かった。

 代わりに、獲物の策を見極めようとするような鋭さが宿る。

 そして次の瞬間。

 奴は、黙って撃つのをやめた。

 

「──っ」

 

 予感と同時、オーガ・メイジが杖ではなく左腕を持ち上げる。

 魔術書めいた石板が赤黒く発光し、奴の巨体が前へ出た。

 速い。

 魔術師だからといって後衛に徹するつもりはないらしい。

 地面を踏み砕く勢いで接近し、次の遮蔽物として取り出したコンクリート塊へ拳を叩き込んだ。

 爆音。

 人の背丈ほどあった瓦礫の塊が、まるで発泡スチロールみたいに砕け散る。

 破片が弾丸のように飛び、頬や肩の装甲を打った。

 

「馬鹿力まで健在かよ……!」

 

 悪態をつく間もない。

 さらに杖が振り抜かれる。

 先端から放たれた赤い閃光が、次の遮蔽物──ひしゃげたロッカーと金属棚の重なりへ命中した。

 轟ッ、と短い炸裂音。

 金属がねじ切れ、爆ぜ、粉々に吹き飛ぶ。

 ただの火球じゃない。

 破壊に特化した別の魔術か、あるいは火力を一点に凝縮した砲撃。

 せっかく作った接近ルートが、奴の膂力と魔術で無理矢理こじ開けられていく。

 遮蔽物を作る。

 壊される。

 次を作る。

 また壊される。

 まるで、こちらの手を読んだ上で真正面から粉砕してくるみたいだった。

 だが、それでも意味はある。

 壊される前に、一歩でも、半歩でも前へ出られればいい。

 収納重量の表示がじわじわ減っていく。

 使える瓦礫の量にも限りはある。無限じゃない。だが今は惜しんでいる場合じゃなかった。

 右前方へ、分厚いコンクリ塊。

 正面やや左へ、鉄骨混じりのロッカー残骸。

 さらにその先へ、作業台のフレーム。

 連続で取り出す。

 ダン、と重い音が続き、視界の中に即席の壁がいくつも生まれた。

 その隙を縫って駆ける。

 オーガ・メイジの拳が一つ目を砕き、魔術が二つ目を吹き飛ばし、杖の一振りが三つ目を割る。

 だが壊すたび、奴の動きにはわずかに間が生まれる。

 そのわずかな間へ、俺は滑り込む。

 三メートル。

 もう少し。

 熱風。

 爆砕。

 飛び散る瓦礫。

 赤く光る杖先。

 オーガ・メイジの巨腕。

 空間そのものが荒れ狂っている。

 まともに足を止めたら終わりだ。だから考えるより先に体を動かし続ける。

 

「来いよ……来い……!」

 

 自分を奮い立たせるように吐き捨てる。

 オーガ・メイジは苛立ったのか、低く唸り声を漏らしながら石板を掲げた。

 嫌な光が集まる。

 次は広範囲か。

 遮蔽物ごと焼き払う気だ。

 なら、その前に――届かせる。

 最後の瓦礫を真正面へ出現させ、その陰へ滑り込むと見せかけて、途中で踏み切る。

 粉砕される直前の遮蔽物を踏み台に、斜め上へ跳んだ。

 オーガ・メイジの視線が僅かにぶれる。

 その反応を見て、口元が吊り上がる。

 

「ようやく、届く……!」

 

 短剣を握る右手に力を込め、至近距離へ飛び込む。

 遮蔽物はもうボロボロだ。

 作ったルートも半ば崩壊している。

 だが、十分だった。

 オーガ・メイジの膂力でも、魔術でも、消し切れなかった一瞬。

 その一瞬を積み重ねて、俺はついに奴の懐へ手を伸ばせる位置まで辿り着いていた。

 

 懐へ飛び込んだ、その瞬間。

 もう迷いはなかった。

 短剣で削るには足りない。

 中途半端な一撃では、この化け物は止まらない。

 なら、ここで叩き込むしかない。

 最大出力。

 両掌へ意識を集中させた瞬間、スーツ全体を走る青いラインが焼けるような光を放ち始めた。

 腕部から肩、胸部、背部へと張り巡らされたラインが一斉に明滅し、内部のエネルギーが凄まじい速度で収束していくのが分かる。

 重い。

 熱い。

 いや、熱ではない。もっと危険で、もっと剥き出しの暴力が、両腕に凝縮されていく感覚だった。

 オーガ・メイジもそれを察したのか、石板の光を強め、杖をこちらへ向け直そうとする。

 だが、間に合わない。

 

「ぶっ飛べぇぇぇッ!!」

 

 叫びと同時に、最大出力のエネルギー弾を叩き込む。

 轟光。

 両掌から放たれた膨大なエネルギーは、至近距離ゆえに拡散する間もなくオーガ・メイジの上半身へ激突した。

 青白い閃光が視界を塗り潰し、次の瞬間には凄まじい衝撃が広間そのものを揺らす。

 空気が消し飛ぶ。

 床が唸る。

 壁際の光の筋が激しく明滅し、圧縮された爆風が遅れて全方位へ叩き付けられた。

 オーガ・メイジの巨体が、真正面からその奔流に呑まれる。

 

「グァァァァァァアアアアッ!!」

 

 耳をつんざく絶叫。

 赤銅色の肉体が抉れ、千切れ、吹き飛ぶ。

 まず杖を持っていた片腕が肩口から消し飛び、遅れて胸の半ばまでが大きく削り取られた。

 肩から先が、肉も骨も魔力の防壁ごとまとめて削り飛ばされ、断面から黒赤い飛沫が噴き出す。

 巨体がぐらりと傾いた。

 着弾の余波だけで床石が砕け、オーガ・メイジの足元には放射状の亀裂が走る。

 奴は二、三歩たたらを踏み、その場へ膝をついた。

 片腕は肩まで吹き飛び、杖は床へ転がっている。

 石板も半ば砕け、胸部の損傷は致命傷にしか見えなかった。

 呼吸は荒く、口元から黒ずんだ血を吐き、息も絶え絶えだ。

 

「……ッ、は……!」

 

 こっちも呼吸が乱れていた。

 最大出力の反動か、エネルギー残量は一気に底が見え始めている。全身も重い。だが、今ので決まった──そう思いかけた、その時だった。

 目が合う。

 オーガ・メイジの赤い双眸。

 その光が、まだ消えていなかった。

 死んでいない。

 折れてもいない。

 むしろ、今まさに何かを決断した目だ。

 

「──っ!」

 

 嫌な予感が、脊髄を直接撫でた。

 終わってない。

 理屈より先にそう確信して、地面を蹴る。

 止めを刺す。今、この瞬間に。余計な動作を挟まず、首でも頭でも心臓でも、何でもいいから叩き込む。

 右手に短剣を再生成し、前へ出る。

 オーガ・メイジは膝をついたまま。距離も近い。間に合う──はずだった。

 だが、一歩遅かった。

 奴の砕けかけた石板が、最後の力を振り絞るように赤黒く発光する。

 同時に、オーガ・メイジの口元が笑った。

 

「しまっ──」

 

 言い切る前に、目の前で爆発が起きた。

 光。

 熱。

 衝撃。

 それら全部が区別のつかない暴力となって、真正面から叩き付けられる。

 至近距離どころの話じゃない。

 ほぼゼロ距離。

 避ける余地も、防ぐ余地もない。

 視界が真っ白に焼き潰される。

 次の瞬間には、全身を凄まじい熱と衝撃が貫いていた。

 

「がッ──ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 悲鳴が上がったのか、自分でも分からない。

 スーツ越しでも分かる。

 これは、今まで受けたどんな一撃よりも重い。

 爆炎が装甲を舐めるどころか噛み砕くように圧し掛かり、内部まで衝撃が浸透してくる。

 胸が軋む。腕が弾かれる。脚の感覚が一瞬消える。

 頭の奥で何かが破裂したような耳鳴りが響き、視界が赤と白のノイズでぐちゃぐちゃに塗り潰された。

 体が浮く。

 いや、吹き飛ばされた。

 さっきオーガに棍棒で殴り飛ばされた時とはまた違う。

 今度は、爆発そのものに飲まれて弾き飛ばされた。

 空中で自分の体勢がどうなっているのかも分からない。

 ただ、次の瞬間には背中から床へ叩き付けられ、さらに何度もバウンドして転がった。

 ゴシャッ、ガガッ、と装甲が床石を削る音が響く。

 最後に壁際近くの柱へぶつかって、ようやく止まった。

 

「ッ……か、は……ッ!」

 

 喉の奥から血の味が上がる。

 呼吸が上手くできない。肺が焼けているみたいだ。腕も脚も痺れ、指先が思うように動かない。

 バイザーの表示が激しく点滅している。

 耐久値が、今まで見たことのない速度で削れていた。

 緑だったゲージは大きく失われ、黄色を通り越して赤に片足を突っ込んでいる。

 警告表示がいくつも視界に浮かび、電子音が耳障りなほど鳴り続けていた。

 甚大なダメージ。

 その一言で済ませていいものじゃない。

 明らかに危険域だ。

 全身が痛い。

 鈍痛とか痺れとか、そんな生易しい段階じゃない。

 焼けるような熱と、骨の芯まで揺さぶられるような衝撃が、遅れてまとめて襲ってくる。

 

「ぅぐ……ッ……!」

 

 それでも、無理矢理顔を上げる。

 まだだ。

 まだ終わっていない。

 爆炎の向こう。

 揺らめく熱気の奥に、オーガ・メイジの影が見える。

 奴も無事じゃない。

 むしろ瀕死だ。片腕を失い、上半身は半壊し、今の自爆まがいの一撃でさらにボロボロになっているはずだ。

 だが、それでも。

 もし、まだ立っているなら。

 もし、まだ次の一手があるなら。

 今度こそ、本当に死ぬ。

 焦げた臭いの混じる熱風の中、歯を食いしばりながら起き上がろうとする。

 崩れかけた視界の先で、爆煙の奥にある赤い光だけが、まだ消えていなかった。

 




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