BrokenWorld~黒鉄の装着者~ 作:半笑いの妖精
参奪の機械蟲軍は、音もなく海霧へ溶けた。
黒銀の小さな蟲たちは、直線では進まない。
海面の浮遊粒子に紛れ、魔素乱流の揺らぎに乗り、聖骸収集機団の外周を飛ぶ骨片めいた小型機械群へ近付いていく。
敵は油断していた。
いや、正確には警戒している。
周囲へ観測線を流し、浮遊粒子を読み、空間の歪みを測り、海霧の中に異物がないか探っている。
だが、その警戒は外へ向いていた。
真正面から来る兵器。
権能反応。
神性符号を乱す攻撃。
アーク級の機械都市。
そういったものを想定している。
まさか、ただの残滓に偽装した微細な蟲が、自分たちの回収対象と同じ符号で紛れ込んでくるとは思っていない。
潜弐は海霧の中で動かない。
完全に気配を消し、敵の観測が通り過ぎる瞬間だけ、ほんの少しだけ霧を薄くする。
参奪は蟲群をさらに細かく分けた。
一群は外周の小型機械へ。
一群は棺型装甲箱の下部へ。
一群は海面へ垂れている回収索へ。
残りは、船体の排熱孔に相当する隙間へ。
接触。
まず、小型機械群の一体が止まった。
異常検知は出ない。
機械蟲軍は外装を食い破らない。
表面の符号を読み、そこに自分はここにいて当然の部品であるという小さな嘘を書き込む。
次の一体。
さらに次。
十。
百。
破片めいた小型機械群の一部が、こちら側へ静かに寝返っていく。
奪うのではなく、混ざる。
命令するのではなく、所属を書き換える。
聖骸収集機団は、気付かない。
棺型装甲箱の一つへ、参奪の蟲が潜り込んだ。
中には、神性反応を帯びた残骸が収納されていた。
機殻聖堂の部品ではない。
別系統の機械神性片。
古い。
だが強い。
その残骸を解析するための細い針が、箱内で何本も伸びている。
その針へ、機械蟲軍が噛み付いた。
情報の流れが見える。
収集。
分類。
解析。
複製。
送信。
聖骸収集機団の本質は戦闘ではない。
戦場に残された神性残骸を拾い、解析し、上位へ送る機械群。
だからこそ、そこを逆に使う。
「参奪、収集経路を奪え」
【参奪:実行】
棺型装甲箱の内部で、黒銀の蟲が一斉に動いた。
解析針を食う。
情報線を乗っ取る。
送信用の神性符号へ、こちらの偽情報を流し込む。
同時に、潜弐が外周観測へ干渉した。
霧が、ほんの一瞬だけ濃くなる。
敵の観測線が乱れた。
だが、それを異常とは認識させない。
魔素乱流による自然な揺らぎ。
海霧の濃淡。
浮遊粒子の反射。
その程度に見せかける。
聖骸収集機団の船体中央に、細い光が走った。
内部異常に気付いたのだろう。
遅い。
既に主要な解析経路は参奪の蟲群が押さえた。
小型機械群の三割は制御下。
棺型装甲箱の半数は内側から封鎖済み。
外部通信には毒を流し込んでいる。
「仕上げるぞ」
潜弐を動かす。
海霧の中から、薄い人影が現れる。
敵が認識した瞬間には、もう船体の上に立っていた。
反応は速い。
機械群が一斉にこちらを向くと棺型の装甲箱が開き、内部から複数の解体用の機構が伸びる。
切断能力は高いが、それは固体に対してだけだ。本体や分体のようにナノマシンで構成されている存在には効果が薄い。
潜弐の身体が霧へほどけた。
解体腕が空を切る。
霧化した潜弐は装甲箱の隙間へ入り込み、内部から再構成。
一部を刃にして、核へ一閃する。
沈黙。
続けて二つ。
三つ。
機械蟲軍を内側から発生させ食い破る。
防御機構は起動するが、起動先の命令経路そのものが既に汚染済みだ。
船体上部の棺が、まるで貝類のように次々と開いたまま沈黙していく。
【聖骸収集機団:制御中枢三割沈黙】
【外部通信:遮断成功】
【回収機構:掌握中】
敵の反撃はさらに鈍った。
収集機団は正面戦闘用ではないのだろう。
捕獲した対象を解体する事に特化している。
相手が罠に掛かり、拘束され、弱った状態なら恐ろしく厄介だろう。
だが、先手を取られた時の即応性は低い。
潜弐が船体前方へ滑る。
参奪の蟲群が後方から押し潰す。
寝返った骨片機械群が、味方だったはずの装甲箱を撃つ。
敵がようやく非常警報のような神性符号を放とうとした。
そこで参奪が、奪った収集経路へ毒を流し込んだ。
神性符号が詰まる。
通信しようとした信号が、自分の内部で反射し、制御層を焼いた。
聖骸収集機団の船体が細かく振動する。
「終わりだ」
潜弐が船体中央へ手を置く。
参奪の蟲群が、そこへ集まる。
外から刃。
内から蟲。
制御核には汚染。
回収機構には逆命令。
数秒後、聖骸収集機団の先行部隊は完全に沈黙した。
『討伐ポイントを入手しました』
【敵性先行部隊:討伐完了】
【外部送信:確認されず】
【解析機構:一部鹵獲】
完全に決まった奇襲。
まともな戦闘態勢へ移る前に終わらせた。
こちらの損耗といえる損耗は、機械蟲軍の微細個体が数百。
つまりは皆無に等しい。
参奪は、沈黙した船体の中から使える情報だけを抜く。
潜弐は周囲の観測線を見張る。
回収しすぎない。
喰い跡を残しすぎない。
外から見れば、魔素乱流域で故障した先行部隊が、海上を漂っているように整える。
それで十分だった。
◆
その頃。
本体の俺は、別の場所へ手を伸ばしていた。
シャングリラ・アーク本体は魔素乱流域の内側に残し、俺の本体だけを切り離して前へ出る。
当然、無策ではない。
戦闘形態は最小限。
存在反応は霧に薄める。
機械聖歌を低く流し、周囲の機械神性通信へ紛れ込む。
ネメシス・ムーン三機の補助は極細の同期だけに絞る。
目的は第七大陸そのものの外縁。
巡礼工廠艦や聖骸収集機団を叩くのは、作戦の一部に過ぎない。
もっと重要なのは、大陸そのものへ触れることだ。
第七大陸。
機械文明、神性体系、超大型迷宮群が融合・圧縮・再展開された特殊大陸。
権能保持者、特に機械系権能保持者を観測・捕食対象とする存在。
なら、逆にこちらが奪える可能性もある。
ほんの一部。
大陸を構成する機械神性の端。
それだけでも触れられれば情報を取れるだろう。
夜の海が終わる。
黒い大地が見えた。
海岸線と呼ぶには歪すぎる。
岩ではない。
土でもない。
歯車の歯のような断崖、装甲板のような地層、血管めいた紫黒の光脈。
ところどころに、建築物とも内臓ともつかない機構が露出している。
それが、水平線の向こうまで続いていた。
大陸の外縁。
俺は、そこへ降り立った。
足が触れた瞬間、音が消えた。
「……っ」
圧。
ただの重力ではない。
魔力でもない。
念動でもない。
大陸そのものが、俺という異物を認識した。
足元の機械地層が、微かに脈打つ。
紫黒の光脈が一斉に走り、俺の足元から数キロ先まで、巨大な回路が目覚めていく。
即座に展開霧装を薄く流す。
吸収を試みる。
外縁の機械地層。
表層の符号。
小さな歯車片。
地面を流れる疑似神性の脈。
ほんの薄皮一枚でいい。
情報を剥ぎ取る。
そう思った瞬間、弾かれた。
霧が消える。
ナノマシンが焼けるのではない。
喰われるのでもない。
接続そのものを拒否された。
続いて、圧が跳ね上がった。
「ぐ……ッ!」
膝が沈む。
強化を重ねた今の肉体ですら、立っていられない。
ナノマシンの構成単位が一瞬ごとに軋み、存在情報の表面を削られていく。
A級以下が傷一つ付けられなかった身体。
S級を殺し、S+の亜神と削り合った身体。
それが、ただ大陸の外縁に立っただけで潰されかけている。
これが大陸規模の機械神性。
敵個体ではない。
土地そのもの。
世界に食い込んだ巨大な機械の神経網。
圧に逆らい、片膝をつく。
両手を地面へ突く。
「なるほど…!想定以上の化物だったか…!」
足元の機構が盛り上がり始めた。
装甲板のような地層が剥がれる。
歯車が噛み合う。
紫黒の光脈が筋肉のように集まる。
砲身、祭壇片、骨組み、虫の殻、聖堂の尖塔に似た破片。
それらが歪に組み上がり、人型を形成していく。
人間ではない。
機械でもない。
大陸の表面が、その場で会話するための形を作っただけのもの。
それでも、その圧は聖堂機神像の比ではなかった。
歪な人型が、こちらを見下ろす。
顔はない。
だが、視線はある。
音ではなく、文字でもなく、機械神性の符号そのものが空間へ浮かぶ。
【まさか直接乗り込んでくるとは】
声が脳裏へ響く。
【未完成な機神よ。驚嘆に値する】
歪な人型の胸部で、紫黒の光が脈打った。
俺の身体を押し潰していた圧が、ほんの少しだけ緩む。
立ち上がれはする。
ただし、逃げるためではない。
見逃されたのではなく、観察しやすい姿勢を許されただけ。
その程度の差だ。
「……ご挨拶に伺おうかと思いまして」
歪な人型は、笑ったように見えた。
顔はない。
だが、機構の軋み方がそう感じさせた。
【そうか、なら折角だ。我が
次の瞬間、足元の大陸が開いた。
裂けるのではない。
扉が開くように、装甲地層が左右へずれ、内部へ続く縦穴が現れる。
底は見えない。
紫黒の光。
機械聖歌。
無数の回路。
大陸の内側から吹き上がる、神性と油と鉄の匂い。
明らかな罠だ。
だが、同時に機会でもある。
俺は分体たちの状況を確認する。
潜弐と参奪は、聖骸収集機団先行部隊の処理を終えている。
アーク本体は魔素乱流域で待機中。
影壱の欺瞞は継続。
肆守は防衛待機。
終伍は隔離状態。
最悪、ここで本体が潰されても終わりではない。
だからこそ、踏み込める。
歪な人型が、こちらへ手を伸ばした。
その手は歓迎の形をしている。
だが、指先の全てが解体機構でできていた。
「招待、か」
俺は立ち上がる。
戦闘形態は展開しない。
今ここで外殻を広げれば、余計に大陸へ反応を渡すだけだ。
代わりに、身体の奥で機械蟲軍を極小状態へ圧縮する。
展開霧装も、皮膚の内側で待機。
遊離自機も、存在情報へ溶かして隠す。
見せるものは最小限。
隠すものは最大限。
「いいだろう」
縦穴へ一歩踏み出す。
「遠慮なく」
歪な人型は、何も答えなかった。
ただ、大陸の内側から響く機械聖歌が、低く、深く、強くなった。
俺は第七大陸の体内へ降りた。