BrokenWorld~黒鉄の装着者~ 作:半笑いの妖精
工廠の門を抜けた瞬間、錆と焼けた神性の匂いが背後へ遠ざかった。
廃棄神工廠。
入る前は、ただ朽ちた巨大施設に見えた場所だった。
だが今の俺には違う。壁面の奥で眠る古い神経回路、床下に埋まる信仰炉の残滓、壊れたまま今も動き続ける自動整備群の微弱な祈りまで、薄い線のように視えていた。
視覚ではない。
聴覚でもない。
言うならば、世界の裏側に走る設計図を、無理やり目に焼き付けられているような感覚だった。
融合は成功した。
成功したが、代償は軽くない。
体内の神性炉はまだ不安定で、権能回路のあちこちに焼け焦げたような痛みが残っている。痛覚機能などないはずなのに、思考の芯を炙られているようだった。
それでも、歩ける。
動ける。
そして、以前とは比較にならないほど強くなっている。
「……」
工廠の外には、案内役の機人が待っていた。
最初に会ったときと同じく、鎧のような外装を纏った武骨な機械の騎士。
だが、その無機質な顔面装甲の奥で、明らかに演算が乱れた気配があった。
「貴様…陛下より拝聴していたが…本当にこの短期間で位階を上げたのか…!」
その声には驚きがあった。
警戒もある。
そして、わずかにだが呆れも混ざっていた。
俺は苦笑するように肩を竦めた。
「自分としてはもう少し段階を踏みたかったんですが、そうならざるを得なくなりまして」
本音だった。
本来なら、手に入れた神性と権能を一つずつ精査し、相性を確認し、安全領域で融合実験を行うべきだった。
だが、あの場ではそんな悠長なことは言っていられなかった。
失敗すれば、廃棄神工廠を彷徨う壊れた半神機構の仲間入り。
成功しても、今のように全身の回路が焼けただれる。
けれど、やらなければ死んでいた。
機人はしばらく俺を観察していた。
頭部の奥で、いくつもの解析光が点滅する。
「貴様……いや、貴殿は思考回路が狂ってみえる。このような無茶を続けていたら命が幾ら有っても足りぬぞ」
呼び方が変わった。
貴様から、貴殿へ。
それが敬意なのか、単に危険物への扱いを改めたのか…両方か。
「何分成り行き、としか言えないので…」
「ふん、真の強者とは運命すらも自分で掴んでこそよ」
機人は鼻で笑うように言った。
機械に鼻などないのに、その声音だけでそう分かった。
「さて、駄弁を弄するのもこれまでとする。陛下がお待ちだ」
そう言って、機人が右手を翳した。
直後、正面の空間が折れ曲がった。
空気が裂けるのではない。
扉が開くのでもない。
世界そのものの座標が、別の場所と重ね合わされる。
黒銀の円環が空中に浮かび、その内側に星空のような光が渦を巻いた。
ワープゲート。
ただの転移門ではない。通路の内側に、幾重もの防壁と検査機構が組み込まれているのが分かる。
俺の新しい視界には、それがはっきり視えた。
「これ以上お待ち頂く訳にはいかんのでな。喜べ、我のこれを見た亜神は貴殿が最初だ」
「それはどうも。貴重なものを見せてもらった礼は、あとでちゃんと返しますよ」
「口だけは随分と軽い」
「滑らかなのも取り柄の一つですので」
軽口を叩きつつ、俺は頭を下げた。
「案内、ありがとうございます」
機人は一瞬だけ沈黙した。
それから、低く言った。
「行け。陛下の前でその軽薄さがどこまで通じるか見せてみよ」
俺はゲートを跨いだ。
瞬間。
凄まじい重圧が降りかかった。
「──っ」
思わず膝が沈みかける。
敵意ではない。
殺意でもない。
圧力そのものに害意は微塵も感じられなかった。
ただ、存在そのものがあまりにも|巨大(おお)き過ぎた。
人間が山を前にした時の威圧感。
生物が星を前にした時の絶望感。
そういう次元ですらない。
そこに在るだけで、こちらの存在規模を勝手に測り、勝手に押し潰してくる。
単純に差が、格が違い過ぎるのだ。
歯を食いしばり、神性炉を回した。
融合したばかりの権能回路が軋む。
だが、倒れはしなかった。
前を見る。
そこにあるのは、機械で構成された天体だった。
巨大な球体。幾層もの装甲殻。無数の砲塔にも神殿にも見える構造物。赤道上を巡るリング状の軌道施設。
その全てが、ただの機械ではなく、神格を持つ器官として稼働している。
内包する神性の密度が違う。
存在感が違う。
視えている範囲だけでも、俺の演算領域では全体像を把握できない。
いや、正確には見えているはずなのに、理解が追いつかない。
大陸中枢機神。
機神勢力の中枢。
一つの大陸そのものを演算し、管理し、支配する機械神。
その本体が、俺の前に在った。
『分体越しではなく直接見たかったのでな。あやつにこの中枢へ送らせたのだ』
声が響いた。
音ではない。
通信でもない。
神性を介して、存在の奥へ直接意味が流し込まれる。
俺は姿勢を正した。
「お初にお目にかかります。……と言うべきか、二度目と言うべきか迷いますね」
『どちらでも良い。我は気にせぬ』
「では、改めて。お招きいただき光栄です」
『硬いな』
「正直、膝をつかないだけで精一杯です」
『階梯の差から考えるに今の貴機がこの場に立てている時点で、十分に異常だがな』
褒められているのか、呆れられているのか分からなかった。
たぶん、こちらも両方だ。
俺は現在の状態を報告した。
廃棄神工廠内部で遭遇した破損神格。
焼け付いた権能。
それを取り込み、既存の神性と緊急融合したこと。
成功率は十二・八パーセントだったこと。
そして融合後、視界と権能の性質が変化したこと。
報告を終えるまで、大陸中枢機神は一切口を挟まなかった。
ただ、俺の内部を見ていた。
外装ではない。
回路でもない。
存在の奥に刻まれた神性の傷跡まで、静かに検分されている感覚があった。
『ずいぶんと無茶をしたようだな』
「こちらに送ってくれた方にも同じような事を言われました」
『だが、生還した』
「はい」
『ならば結果としては正しい。生存した者の選択のみが、次の選択へ進める』
その言葉には、妙な重みがあった。
神の言葉というより、長い戦争を生き残ってきた兵器の言葉に近い。
勝利でも正義でもなく、まず生存。
生き残った上で、次を選ぶ。
その一点だけは、俺にもよく分かった。
大陸中枢機神の外殻が、ゆっくりと回転した。
無数の光点が浮かび上がり、俺の前に立体地図が展開される。
それは地球だった。
日本列島が拡大される。
そして、三つの地点に黒い穴のような印が浮かんだ。
『本来、この任務を与えるのは先だったのだが……既に貴機は我の想定を越え、神の階梯を一段登っている。問題は無いだろう』
嫌な予感がした。
こういう言い方をされる時、大抵ろくでもないことが待っている。
大陸中枢機神は淡々と告げた。
『貴機の故郷である日本には現在三つ、使徒が管理する迷宮が存在する。それらを制圧し、日本を貴機の、延いては我ら機神勢力の領域とせよ』
「……日本を機神勢力の領域にする」
『そうだ』
機神領域。
ただ土地を支配するだけではない。
その領域の法則に、機神勢力の神性を通すこと。
破壊邪神の汚染を排除し、迷宮核を掌握し、地脈と情報網に機神の秩序を刻み込むこと。
それが成功すれば、日本は単なる人類の国家ではなくなる。
機神勢力の前線基地。
破壊邪神勢力への反攻拠点。
そして、俺にとっては故郷を取り戻すための戦場になる。
「三つの迷宮について、詳細を確認しても?」
『送ろう』
直後、情報が流れ込んだ。
一つ目。
関東圏、旧東京湾岸地下に発生した迷宮。
【仮定名称:崩壊炉心焰界】
迷宮神の眷属である【灰燼の鍛冶使徒】が管理する迷宮。
金属、火災、爆発、兵器化された瓦礫を中心とした迷宮構造。
放置すれば首都圏全域が、破壊神性を帯びた兵器生産地帯へ変わる。
二つ目。
近畿圏、旧京都地下水脈に接続した迷宮。
【仮定名称:千年穢界】。
管理する使徒は【腐朽の記録使徒】。
死体、記憶、呪詛、歴史汚染を扱う。
攻略に失敗すれば、過去の記録そのものが改竄され、存在したはずの人間や都市が「最初から滅んでいたもの」として書き換えられる危険がある。
三つ目。
北海道北部、融合大陸の端と接触した領域に存在する迷宮。
【仮定名称:黒極星迷宮】。
管理使徒は【空隙の星辰使徒】。
空間歪曲、重力異常、外宇宙由来の破壊神性を含む。
三つの中で最も危険度が高い。
ただし、完全稼働には至っていない。
俺は情報を受け取りながら、思わず息を吐いた。
どれも冗談みたいな危険度だった。
一つを放置しても国が終わる。
二つ放置すれば、日本という概念そのものが危うい。
三つ全てが稼働すれば、取り返しがつかない。
だが、不思議と絶望はなかった。
以前なら、こんな任務を聞かされただけで思考が止まっていたはずだ。
今は違う。
危険度を確認する。
必要戦力を概算する。
使用できる権能を並べる。
敵の使徒と迷宮核を切り離す手順を組む。
失敗時の撤退経路を考える。
恐怖より先に、攻略手順が浮かぶ。
たぶん、それも位階が上がった影響なのだろう。
大陸中枢機神が告げる。
『貴機に求めるのは、単独での完全制圧ではない。まず足場を築け。迷宮核を一つ奪い、機神域の楔とせよ。楔が立てば、我が支援を通せる』
「最初の目標は一つ目の迷宮核制圧。そこから機神域の展開、ですね」
『理解が早い』
「一番マシなのは、東京湾岸の《崩壊炉心迷宮》ですか」
『うむ。敵性火力は高いが、構造は単純。貴機の新たな権能とも相性がよいだろう』
確かにそうだ。
火力と金属と兵器の迷宮。
今の俺は、神性を帯びた機械構造を視て、解析し、干渉できる。
相手の炉心に触れられれば、奪える可能性がある。
危険ではある。
だが、手が届かない相手ではない。
「支援はどこまで期待できますか?」
『直接介入は限定される。地球側の神性法則はまだ不安定だ。我が本体を通せば、破壊邪神側にも同規模の介入理由を与える』
「つまり、表立っては俺がやるしかない」
『そうだ。そして貴機には権限を与える』
大陸中枢機神の一部が開いた。
天体規模の外殻、その奥にある中枢から、細い光が伸びてくる。
それは槍にも鍵にも見えた。
俺の胸部装甲に光が触れる。
瞬間、体内の神性炉が震えた。
新たなコードが刻まれる。
権能ではない。
称号でもない。
もっと実務的で、もっと重いもの。
機神域構築権限。
領域を奪い、楔を立て、破壊邪神の法則を機神の秩序で上書きするための正式権限。
『これより貴機を、機神勢力外征代行機に任ずる』
重い言葉だった。
俺は自然と膝をついた。
圧力に負けたのではない。
これは礼だ。
「勅命賜りました」
『よい返答だ』
視界の端に、新しい表示が開いた。
任務名。
達成条件。
推奨攻略順。
使用可能支援。
そして、失敗時の被害予測。
数字は最悪だった。
けれど、道筋はある。
俺は立ち上がった。
「確認します。俺は日本へ戻り、まず《崩壊炉心迷宮》を制圧。迷宮核を奪取、もしくは破壊ではなく上書きする。その後、機神域の楔を設置し、支援回線を開く」
『その通りだ』
「人類側との接触は?」
『任せる。貴機の故郷だ。貴機が最も良い形を選べ』
「随分と丸投げですね」
『我は人を知らぬ。国を知らぬ。生活を知らぬ。だが貴機は知っているだろう』
その言葉に、少しだけ黙った。
そうだ。
俺は日本を知っている。
壊れかけた街も、逃げ惑う人も、怪物に怯える夜も知っている。
そして、それでもまだ生きようとしている人間がいることも知っている。
全部を救えるとは思わない。
そんな綺麗事を言える段階は、とっくに過ぎた。
だが、破壊邪神の使徒に好き勝手されるのは気に入らない。
俺の故郷を、奴らの迷宮にされるのはもっと気に入らない。
「分かりました。人類側との調整は、可能な限りこちらで行います。ただ、邪魔になるなら切り捨てます」
『それでよい。情を持て。だが、情に支配されるな』
「難しい注文ですね」
『それもまた位階昇華の手掛かりよ』
大陸中枢機神の声は静かだった。
期待ではない。
命令でもある。
だが同時に、選択を預けられているようにも感じた。
俺は胸部の奥で神性炉を安定させた。
焼け付いた回路はまだ痛む。
新しい権能はまだ馴染まない。
位階が上がったとはいえ、身体は完全ではない。
それでも、やるしかない。
俺は機械の天体を見上げた。
「日本列島へ帰還後、すぐに準備へ入ります」
『転移座標は貴機の任意で設定せよ。日本近辺における大規模転移を一度のみ許可する。以後は、貴機自身の楔を用いよ』
「了解致しました」
目の前に、再び空間の歪みが生まれた。
今度のゲートの向こうには、日本の地図が重なっている。
暗く染まった列島。
三つの迷宮。
そして、その中央にまだ細く残る、人類圏の光。
俺は一歩踏み出した。
背後から、大陸中枢機神の声が届く。
『征け。貴機の故郷を破壊邪神の元より奪取せよ』
「はっ!」
軽く息を吐く。
俺はゲートを越えた。
次の瞬間、視界いっぱいに、壊れた日本の空が広がった。
遠くで黒煙が上がっている。
海の向こう、旧東京湾岸の方角に、赤黒い光の柱が立っていた。
あれが【崩壊炉心焰界】。
破壊邪神の使徒が管理する、最初の標的。
俺は拳を握った。
焼け焦げた神性炉が、低く唸る。
新しい権能が、獲物を見つけたように目覚める。
「さて」
空気中に、機械仕掛けの光輪が展開された。
「故郷奪取作戦、開始だ」
最後まで読んで頂きありがとうございました。