第1話 出立
――ジェイルのアジト*1
コツ、コツ⋯⋯
灯りは壁掛けの松明のみ。薄暗い地下の牢屋に、石造りの床を踏む足音が響く。木の板にボロボロの布切れをかけただけの粗末なベッドに寝転がっていたハルトは、その音に気付き、ゆっくりと体を起こした。
「出るんだ、ハルト。ギルツ様がお呼びだ」
牢屋の前には、男が一人。ふう、と息を吐いたハルトが鉄格子に歩み寄ると、黒いフードを被ったその男は、腰に差した鍵束から一本を選び取り、慣れた手つきで鍵穴へと差し込んだ。
「どうした? 牢の中がそんなに気に入ったか?」
「……そう見える?」
「いいや、まったく。……フン、お前を出したくないのは、ギルツ様とて同じだろう。しかしなぜか、気が変わったらしい。とにかく! ジェイルの一員であるからには、統主の命令は絶対だ」
気に入らない、という本音が言葉の端々から滲み出ている。それでも何の疑いもなく命令に従う男の姿からは、カリスマ性の高さがはっきりと窺えた。ポケモン研究機関『ジェイル』の創設者にして統主、そして――
「たとえ、お前が統主ギルツの息子であろうともな」
――ハルトの父であるギルツの。
「ついてこい」
促されるままに外へ出る。埃が床に積もり、蜘蛛の巣が壁の隅に張りついた地下牢を抜けると、すぅー⋯⋯ハルトは久しぶりの新鮮な空気を胸一杯に吸い込み、大きく伸びをした。
ごほんっ、と咳払いをひとつ。さっさとしろ、とでも言いたげに睨んでくる男の案内に従い、統主ギルツの部屋へ向かう。何度も通ってきた道だが、普段とは立場が違うからか、初めて訪れる場所のような気がして、妙に落ち着かない。
「ハルトを連れてきました」
「⋯⋯入れ」
扉越しに低い声が返る。心臓がドクッと強く打つのを感じながら、ハルトは扉に手をかけ、押し開けた。
天井まで届くほどの大きな本棚が四方の壁を覆い、その全ての段に分厚い書物がぎっしりと詰め込まれている。部屋の中央奥に置かれた木製の机に両肘をつき、両手を口元で組み、何かを考えるように視線を落としていた統主ギルツは、静かに顔を上げ、鋭い眼差しをハルトへ向けた。
「⋯⋯十日前、だったな。お前がここから逃げ出してまでポケモンGPに出ようとしたのは⋯⋯よくもまあ、それだけのためにあれほど暴れてくれたものだ」
ジェイルという組織そのものが嫌いなわけではない。なにせ研究をしているだけで、どこぞの悪の組織のような非道な実験はしていないのだ。嫌う理由がない。⋯⋯けれど、この小さな世界が窮屈に思えたのは紛れもない事実だった。
世界を見るため。追っ手を振り払えるだけの実力を身に付けるため。相棒のポケモンとともに脱走を試み――見事に失敗したのが十日前。ハルトは今の今まで地下牢に閉じ込められていた。
「いいだろう! お前がポケモンGP大会に出場することを許そう」
「えっ……本当に?」
あまりにも予想外な言葉に、思わず素で聞き返すハルト。自分をここまで連れてきた男が露骨にガンを飛ばしてくるが、それどころではない。いったい父は何を考えているのか⋯⋯。
「ただし! これは任務だ! お前にやってもらうことは時期を見て連絡する。ポケモンGPの選手という身分が隠れ蓑になるだろう。優勝などどうでもいいが⋯⋯私からの指令には絶対に従ってもらう」
そういう建前で送り出してくれるのか、それとも本当に任務のためなのか⋯⋯父のことだ。前者もゼロではないだろうが、後者の割合が殆どだろう。いずれにせよ、ハルトにとっては願ってもない話だった。
「⋯⋯以上だ。これを持っていけ」
「これは、メガリング⋯⋯?」
「言うまでもないが⋯⋯ポケモンをメガシンカさせるためのアクセサリーだ」
メガストーンと共鳴し、ポケモンをメガシンカさせる力を秘めた石――キーストーン。そのキーストーンを埋め込んだアイテムは「メガ◯◯」と呼ばれる。ジェイルの構成員に支給される指輪型メガアイテム――メガリングを渡されたハルトは、それを左手の中指へと嵌めた。
「……コッパは?」
「ここにいる」
短く答えると、ギルツはモンスターボールを机の上に置いた。間違うはずがない。相棒のイーブイ、コッパを入れたボールだ。ふふっと嬉しそうに口元を綻ばせたハルトへ、ギルツは告げる。
「⋯⋯ポケモンGPの開会式は今日だったな。準備が出来次第、会場のあるアルカポリス島に出発せよ」
「はい!」
力強く返事をして部屋を後にする。統主の部屋は最上階にあるため、桟橋に着くまで時間がかかる。階段を降りている途中、吹き抜けの下から、聞き慣れないポケモンの鳴き声と、誰かの会話が微かに聞こえてきた。
「おお! オノンドか。研究所のライブラリにないポケモンだ。よくやった。サンプルは多いほうがいいからな」
オノンド――あごオノポケモン。戦いでは丈夫なボディの体当たりで敵を怯ませると同時に、すかさず牙を振るって横から刺し貫く戦法を得意とする。野生の個体は進化前のキバゴの群れを率いており、オノンドたちによる縄張りを巡る争いは非常に激しいものになるという。
元々、ドラゴンタイプ自体が非常に捕獲の難しいポケモン群だが、その中でも群れを作るオノンドを捕獲するのは、実力のあるポケモントレーナーでもそう簡単にできることではない。
「⋯⋯あの。自分たちのやっていることは役に立っているんでしょうか? ただひたすらポケモンを捕まえることの繰り返しで⋯⋯」
「ジェイルを⋯⋯ギルツ様を信用できなくなったか? お前の立場では知りうることに限りがあるだろうが、全てはギルツ様が立てられた計画の礎となっている。完成の日は近い。今はただ、ギルツ様を信じるんだ」
「はい⋯⋯」
計画の全貌はハルトも知らないが、あれほどポケモンを大切にしていた父が、ポケモンたちに外道を働くとは思えない。尤も、それは身内だからこそ言えることで、本来の――昔の父を知らない一般構成員が不安に思うのも当然と言えば当然だ。詳しい事情を教えられず、ポケモンの捕獲を命じられるだけ⋯⋯そんな状況では不信感も募っていくだろう。
「⋯⋯そもそも、ここから逃げ出そうとした僕がどうこう言えることじゃないしね」
内心の不満をぐっと飲み込み、ハルトは桟橋直通のエレベーターへ乗り込む。下ること十数秒、扉の向こうに現れたのは、外から見えないよう岩陰に設けられた桟橋と、一台の水上バイク。
アジトの船着き場を管理する筋骨隆々の男に「やっ!」と片手を挙げて声をかけると、「待ってたぜ、ハルト」と笑顔で答えてくれた。
「任務でポケモンGPに出るんだってな」
「うん、今すぐ出発できる?」
「そいつぁもちろん。バイクの用意はもうできてるぜ」
十日前も、このバイクを動かすところまでは行ったのだが、遠隔操作で停められたせいで捕まったんだよなぁ⋯⋯と苦い記憶を思い出しながら、ハルトはバイクのステップに足をかけた。
「分かってると思うが⋯⋯一度アジトを出たら、任務が終わるまで帰ってこれねーぞ」
「大丈夫だよ。じゃあ、行ってくるね」
「おう! ポケモンGP、頑張ってこいよ」
エンジンをかけ、アクセルを押し込む。轟音を響かせながら走り出す水上バイクは、瞬く間に加速し、船着き場を離れていく。アジトのある島が小さくなっていくのを見届け、ハルトは――
「⋯⋯さぁ、冒険の始まりだっ!! ⋯⋯なんてね」
――七つの島からなるグランプール諸島。何処よりもポケモンが豊富なこの地で、
ポケモンGPと呼ばれる、最強のポケモントレーナーを決める大会が開かれようとしていた。
登場人物紹介
名前 :ハルト
元ネタ :【PokéDun LEGENDS】シリーズより『ハルト』