禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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全ては僕の為に



禪院家掌握編
01.簒奪者の黎明-全ては僕の為に


 一九七七年、冬。

 

 千年以上続く呪術界の歴史において、権力の中枢に君臨し続ける呪術御三家——その一角を成す名門、禪院家。

 京都の山奥に広がるその広大な敷地は、古き良き日本家屋の厳格な様式美を残しつつも、どこか近づきがたい異様な威圧感を放っている。

 高くそびえる土塀と、複雑に入り組んだ渡り廊下。迷路のように重なり合う屋根瓦の隙間に落ちる濃い影は、この一族がいかに多くの業と呪いを抱えて生きてきたかを象徴しているかのようだった。

 季節外れの冷たい風が木々を揺らす夜。敷地の奥まった場所に位置する離れの産屋では、今まさに一つの命が産声を上げようとしていた。

 

 部屋の中に満ちているのは、むせ返るような血の匂いと、それを誤魔化すために焚かれた伽羅の香の匂い。

 そして何より、常人であれば立っていることすら困難になるほどの、重く、粘り気のある呪力の気配であった。

 

「ひっ……!」

 

 産屋の中で、長年禪院家のお抱えとして何人もの赤子を取り上げてきた老齢の産婆は、己の喉から引き攣った短い悲鳴が漏れるのを止められなかった。

 彼女は術師ではない。わずかに呪いを見る目がある程度の、しがない奉公人に過ぎない。だが、だからこそ生物としての本能があからさまな警鐘を鳴らしていた。

 今、血の池のような母親の胎内から滑り出て、彼女の震える両手の中に収まったその小さな命の異質さに。

 

 ずしり、と。

 赤子特有の柔らかな重みとは違う、もっと根本的な、魂そのものの質量というべき圧力が産婆の両腕にのしかかる。

 生まれたばかりの赤ん坊の身の内には、到底あり得ないほどの膨大で高密度な呪力が渦を巻いていた。

 それはまるで、圧縮された嵐のようであり、底知れぬ深淵のようでもあった。赤子の肌に触れているだけで、指先からジリジリと火傷のような痛みが這い上がってくる錯覚すら覚える。

 

 ——この赤子は、()()()だ。

 

 産婆の顔から血の気が失せる。

 禪院の血筋において、優れた呪力を持って生まれる赤子は決して珍しくはない。当主候補となるべき直系の赤子ともなれば、生まれながらにして周囲を威圧する気配を纏う者もいる。

 だが、これは違う。次元が違った。

 格、という言葉で表現するのすら生ぬるい。ただそこに在るだけで周囲の空気を歪め、己の存在を世界に強制するような、絶対的な強者の覇気を持っていた。

 

「……ぁ」

 

 赤子が、ゆっくりとその小さなまぶたを持ち上げた。

 産婆はその瞳と視線がぶつかり、息を呑む。

 濡れた漆黒の瞳。まだ視力などまともに備わっていないはずのその目は、しかし、明確に自分を含めたこのちっぽけな世界を見据えているように感じられた。

 泣き声はない。ただ静かに、産婆を見上げている。

 その不気味なほどの静寂に産婆が震え上がった直後。

 

オギャアアアアッ!

 

 障子をびりびりと震わせるほどの大音声が、産屋の中に響き渡った。

 それはか弱き赤子の泣き声などではなく、王が己の誕生を世界に布告する咆哮のようであった。

 産婆はガタガタと震える手で、必死に赤子の身体を拭った。生ぬるい羊水と血を拭き取り、用意されていた純白の産着でその小さな身体を包み込む。

 ただの布切れ一枚では到底覆い隠せない凶悪な気配を放つ白い塊を抱き抱え、産婆はよろめく足取りで産屋の襖を開けた。

 

 ——ピシャンッ!

 

 廊下に座り込み、焦燥の面持ちで待っていた一人の男が、襖の開く音に弾かれたように立ち上がる。

 

 男の名は、禪院(みつる)

 禪院という誇り高き名を冠していながらも、特筆すべき才能を持たず、一族の中で冷飯を食わされ続けてきた凡庸な男である。

 彼にとって、己の血を引く子供こそが一発逆転の希望であり、同時に最後の絶望になり得る存在であった。

 

「産まれたか……! 男か? 女か!?」

 

 血走った目で身を乗り出してくる満に対し、産婆は顔を青ざめさせたまま、震える腕を差し出した。

 

「お……男の子でございます、満様……。ひどく、ひどく骨の太い……立派な……」

 

 言葉の後半は恐怖で震え、聞き取れないほどに掠れていた。

 しかし満の耳には、最早産婆の言葉など届いていなかった。

 産婆の手から乱暴な手つきで白い包みを受け取った瞬間、満の身体に雷に打たれたような衝撃が走ったからだ。

 

(な、なんだ……!? なんだ、この途方もない呪力は……!)

 

 凡庸な術師である満にも、いや、凡庸であるからこそ、その異常性が痛いほどに理解できた。

 抱き上げた我が子の重み。そこからとめどなく溢れ出す、黒く、濃密で、全てを焼き尽くすかのような圧倒的な呪力の奔流。

 相伝の術式を引いているかどうかなど、今は関係ない。ただこの尋常ならざる呪力の絶対量と、纏っている圧倒的な()だけで、この赤子が禪院の歴史の中でも特異な存在になるであろうことは火を見るより明らかだった。

 

 満の震える手から力が抜けそうになる。

 恐怖ではない。それは歓喜の震えだった。

 長年、才能無き者として一族から向けられ続けてきた軽蔑の視線。兄や分家の実力者たちに頭を下げ続け、奥歯を噛み砕くほどに耐え忍んできた屈辱の日々。

 その全てが、今、腕の中にいるこの赤子によって報われようとしている。

 

「ハハ……ハハハハハッ!」

 

 満の口から、狂気を孕んだ笑い声が漏れ出した。

 彼は純白の布に包まれた我が子を高く抱え上げ、血走った眼を開ききってその無垢な顔を見つめる。

 赤子は泣き止み、自分を見下ろす父親の狂乱を、どこか冷めたような漆黒の瞳で見つめ返していた。

 

(ああ……私では決して届かなかった、当主という至高の座。才能という絶対の壁)

 

 満は、震える手でその小さな指に触れる。

 その瞬間、彼の中で長年燻っていた野心が、炎となって燃え上がった。

 

(だが、この子なら。この生まれながらにして圧倒的な()()を内包する化け物ならば!)

 

 禪院家の全てを支配し、己を蔑んできた者たちをその足元にひれ伏させることができる。

 満は、狂熱に浮かされたように目をギラつかせ、己の魂を搾り出すように叫んだ。

 

全てを喰い破り、お前こそが当主たれ!

 

 それは父親としての祝福などとは程遠い。醜い野心と執念が入り混じった、おぞましい祈りであり、呪いであった。

 彼が与えたその名は、やがて呪術界全体を揺るがし、盤石たる御三家の歴史に深く、おぞましい爪痕を残すことになる。

 

 その名は——禪院 (ぜん)

 男の執念を吸い込むように、束の間の静寂の後、赤子は再び重低音のような産声を上げる。

 

***

 

 時は流れ、四年後。

 禪院家の敷地内、本邸から少し離れた場所に位置する鍛錬場には、冷たい夜気が満ちていた。

 時刻は深夜。日が昇っている間は分家や(へい)の術師たちが鎬を削るこの場所も、今は水を打ったように静まり返っている。

 人気のないこの時間を選び、満は毎晩のように一人の幼児をこの場へと連れ出していた。

 

「……よし。呪力の練り上げは申し分ない。四歳にして、これほど滑らかに呪力を操作してみせるとは」

 

 月の光に照らされた板張りの床。そこに胡座をかいて座る満の視線の先には、道着に身を包んだ小さな影があった。

 禪院全、四歳。

 その小さな体から立ち昇る呪力は、四年前の凄惨な産声とともに放たれたソレと比べれば幾分か洗練されていたが、内包するどす黒い圧迫感はいささかも減衰していない。

 むしろ、意志を持って統制されている分、より一層の不気味さを醸し出していた。

 

「あとは……後は、相伝の術式にさえ目覚めてくれれば」

 

 満の呟きには、隠しきれない焦燥と強烈な熱が籠っていた。

 全の呪力総量と出力は、既に並の術師を凌駕しつつある。だが、呪術界、とりわけ御三家において絶対的な権力を持つのは()()()()()()()、とりわけ相伝術式を持つ者だ。

 どれほど呪力が大きかろうと、強力な術式を持たなければ禪院に非ずと蔑まれる。満自身がその呪縛に人生を狂わされてきたのだ。

 だからこそ彼は、血を吐くような思いで幼い全に基礎的な鍛錬を強いていた。この圧倒的な呪力に見合うだけの、最強の術式が引き出されることを祈りながら。

 

「ちちうえ、じゅつしきとはどうすればめざめるのですか」

 

 静かな、ひどく理知的な響きを持った声だった。

 四歳児とは思えぬほどに淀みのない言葉遣いで、全は満を見つめていた。その漆黒の瞳には、子供らしい無邪気さなど微塵も存在しない。

 ただ、世界を冷徹に観察し、知の欲求を満たそうとする底知れぬ深淵があった。

 

「それは……血だ。禪院の血が濃ければ、自然と体に刻まれた術式が形を成していく」

 

 満は無意識のうちに喉を鳴らす。

 実の息子から向けられる視線に、時折背筋が凍るような錯覚を覚えることがあった。捕食者に睨まれた小動物のような、根源的な恐怖。

 だが、それは同時に全の底知れぬ才能の証左でもあると、満は己を奮い立たせる。

 

「ぼくにも、じゅつしきはあるみたいですね」

 

 唐突な全の宣告に、満は心臓をわしづかみにされたような衝撃を受けた。

 

「なっ……! ほ、本当か、全!? どのような術式だ! 相伝か!? 十種影法術か!?」

 

 満は座っていた場所から弾かれたように立ち上がり、全の元へと歩み寄った。

 興奮のあまり口の端から唾を飛ばし、血走った眼を開ききって我が子を見下ろす。

 全はそんな父親の狂乱を感情のない瞳で見上げると、ゆっくりと小さな手を伸ばし、満の右手に触れた。

 

 ——ピチャリ。

 

 まるで、水面に一滴の墨を落としたような、奇妙な音が満の脳内に響いた。

 直後、満は己の魂の根幹から()()が根こそぎ引き抜かれるような、筆舌に尽くしがたい喪失感と悪寒に包まれたのだ。

 

ヒッ……!? あ、あ、あああっ!?」

 

 満は悲鳴を上げ、全の手から逃れるように後ろへ飛び退いた。

 ドサリと無様に板張りの床に尻餅をつき、荒い息を吐きながら己の手を見つめる。肉体的な痛みはない。だが、もっと致命的な何かが決定的に欠落していた。

 長年、己の身の内にあり、呼吸をするように馴染んでいた生得術式の感覚が、跡形もなく消失していたのである。

 

「なんだ……これは……私の術式が……ない……?」

 

 満の顔色から急速に血の気が引いていく。

 彼自身の生得術式は、物体の表面をわずかに硬化させる程度の、取るに足らない三流の能力だった。それでも、術師としてのアイデンティティそのものである。

 それが、喪われた。まるで最初から何も持っていなかったかのように。

 

「……これがちちうえのじゅつしきですね」

 

 恐怖に震える父親をよそに、全は自分の掌をじっと見つめながら、ひたすらに冷静な声で分析を口にしていた。

 全の小さな指先から、微弱ではあるが確かな呪力が練り上げられる。そして彼が足元の床板に触れると、ミシリ、と木の繊維が異常な密度で圧縮され、鋼のような硬度を獲得したのだ。

 それは紛れもなく、たった今、満から失われたばかりの生得術式であった。

 

「さわったものがかたくなる……あんまり、つよくなさそうですね」

 

 全はこともなく言い放ち、興味を失ったように床から手を離す。

 満は恐怖と混乱で歯の根をガチガチと鳴らしながら、後ずさるばかりであった。

 

()()()()()()……!? そんな馬鹿な。他者の生得術式を剥奪し、あまつさえ己のものとして行使するなど……)

 

 それは呪術の常識を根底から覆す、あまりにも規格外な凶行であった。

 あらゆる才能を、努力を、血筋すらも無に帰す、最悪の能力。

 後に満自身によって『簒奪呪法(さんだつじゅほう)』と名付けられるその術式は、他者の有する全てを喰い破り、己の糧とする、まさに覇道にして外道の力であったのだ。

 

 満が絶望と恐怖に顔を歪める中、全は無表情のまま再び満へと近づき、今度は胸の中心にそっと手を当てた。

 

「ぼくには、いらないかな」

 

 全の口元が、ほんのわずかに弧を描いたように見えた。

 直後、彼の掌から禍々しい呪力が溢れ出し、今度は満の体内へとなだれ込んできた。

 先ほどの喪失感とは真逆の、異物が無理やりねじ込まれるような暴力的な感覚。だが、それらが内側で収束した瞬間、満は己の術式が完全な形で戻ってきていることを悟った。

 

術式反転:禅譲(ぜんじょう)

 

 全は静かにその名をつぶやき、手を離した。

 順転によって対象の術式を簒奪し、反転によって己の持つ術式を他者へ禅譲する。

 ――奪うも与えるも、全てはこの小さな暴君の掌の上である。

 

「あ……ああ……、術式反転までもか……!!」

 

 満はへたり込んだまま、呆然と息子の姿を見上げた。

 規格外の術式だけでなく、高度な技術である術式反転すらも初めから扱える。

 そんなこと、歴代当主にすらいまい。呪術の歴史の中でも類を見ないほどの才能。

 四歳児特有の小さな背中が、今はどんな特級大怨霊よりも恐ろしく、巨大な怪物に見えた。

 恐怖。戦慄。自らが産み落とした存在に対する、逃れようのない畏怖。

 だが、その底知れぬ感情の奥底で、満の腐りきった野心はこれ以上ないほどの歓喜の炎を上げていた。

 

(この子は……勝つ)

 

 才能の壁を、相伝の縛りを、文字通り全て()()()()ことで超越する。

 他者の研鑽も、名家の誇りも、この化け物の前ではただの餌でしかない。

 

(この禪院全こそが、必ずやこの禪院家の——否、呪術界全ての覇者となる!)

 

 満は狂ったように笑い出しそうになる口元を必死に押さえつけながら、深々と、床にすりつけるように我が子へと頭を下げるのだった。

 

***

 

 自室に戻った満の頭脳は、かつてないほどの早鐘を打っていた。

 

(全のあの力——『簒奪呪法』は、決して今の段階で本家に知られてはならない)

 

 特異すぎる。あまりにも、御三家の歴史と常識から外れすぎている。

 禪院の相伝術式である『十種影法術』や『投射呪法』などであれば、手放しで喜ばれ、次期当主の筆頭として手厚く保護されただろう。

 だが、他者の生得術式を奪い取る能力など、前代未聞の怪現象だ。

 保守的で血筋と伝統を重んじる禪院家の上層部が、己の術式すら脅かしかねないこの得体の知れない爆弾を放置するはずがない。

 

(間違いなく、全は消される。暗殺か、あるいは一生幽閉されるか……どちらにせよ、私の野望はそこで潰える)

 

 満は薄暗い自室の畳の上を行ったり来たりしながら、爪を噛む。

 全という最強の『駒』を育て上げ、誰も手が届かない絶対者へと至らしめるためには、カモフラージュが必要だった。

 本家を欺き、この規格外の化け物が完全な牙を剥くまで、時間を稼ぐための隠れ蓑が。

 

「……そうだ。全には、別の術式を()()()()()いいのだ」

 

 血走った目で暗闇に呟いた満は、すぐに下働きとして仕えている一人の女中の顔を思い浮かべた。

 その日の深夜。

 満は誰の目にも触れないよう、極秘裏に彼女を全のいる離れへと呼び寄せた。

 

「あの、満様……こんな夜更けに、いったいどのようなご用件で……?」

 

 女中は怯えたように身をすくめていた。

 禪院の分家筋の中でも末端の血を引く彼女は、術式こそ持っているものの呪力総量が絶望的に少なく、おまけに女の身であったため術師として役立てる機会など一生巡ってこない無価値な存在として扱われていた。

 そんな自分が、こんな得体の知れない時間に当主の弟に呼び出されたのだ。不吉な予感しかしないだろう。

 

「お前に頼みがあるのだ。もちろん、タダとは言わん。一生遊んで暮らせるだけの金を積もう」

 

 満は懐から分厚い札束を取り出し、畳の上にドサリと放り投げた。

 その異様な光景に、女中は息を呑んで後ずさる。

 

「ヒッ……! み、満様、私は何も……」

「黙れ。お前の持つ術式は『呪糸操術(じゅしそうじゅつ)』だったな。指先から呪力の糸を作り出し、操作する……珍しくもなく、弱くも強くもない凡庸な術だ。それを、我が息子に寄越せ」

 

「……えっ?」

 

 女中は満の言っている言葉の意味が理解できず、ぽかんと口を開けた。

 術式を寄越せ? そんなことができるはずがない。術式とは生まれつき肉体に刻まれているものであり、譲渡など不可能な代物だ。

 

「縛りを結べ。今日ここで起きたことは、死ぬまで誰にも口外しないと。さすれば、この金はお前のものだ」

 

 満の瞳の奥でギラギラと燃える異常な光。

 すでに正常な判断力を失っている男の狂気に気圧され、女中は震える声で縛りを結ばされてしまう。

 

「は……はい、私は今宵の出来事を生涯口外いたしません……これを縛りといたします」

 

 後戻りできない契約が成立したことを確認すると、満は満足そうに頷き、暗がりの奥へと声をかけた。

 

「全、出てきなさい」

 

 襖が音もなく開き、小さな影が現れる。

 四歳とは思えぬほど静かな足取りで女中の前に立った全は、全く感情の読めない漆黒の瞳で彼女を見上げた。

 

「……このひとのじゅつしきをもらえばいいの?」

「そうだ。その女の術式を奪い、己の表向きの術式とせよ」

 

 満の冷酷な命令を受け、全はわずかに小首を傾げる。

 そして、獲物を物色するような手つきで、怯え切った女中の腕にそっと触れた。

 

 ——ピチャリ。

 

 再び、墨が落ちるような薄気味悪い音が鳴る。

 その瞬間、女中の口から声にならない悲鳴が漏れた。

 白目を剥き、崩れ落ちるように畳へと倒れる女中。彼女の中から呪糸操術という生得術式が、根こそぎ全の中へと吸い上げられたのだ。

 

「……じゅりょくの、いと。ふうん、けっこうおもしろいかも」

 

 全の小さな指先から、月の光を反射して煌めく、鋭利で細い鋼線のような呪力の糸が何本も生み出される。

 女中が扱っていたものとは比べ物にならないほど高密度で、凶悪な殺傷能力を秘めた呪糸であった。

 

「素晴らしい……! あんなゴミのような術式が、全の呪力にかかれば立派な一級の術となる!」

 

 これでいい。この『呪糸操術』を全の生得術式として本家に報告すれば、誰も彼の異常性には気付かない。

 奪った術式を己の手足のように使いこなす我が子の姿を見ながら、満の口元は醜く、そして深く歪んでいった。

 

***

 

 月日は、飛ぶように過ぎ去っていく。

 禪院家の敷地内で秘匿されながらも、全という怪物はかつてない速度で成長を遂げていた。

 満は本家からの目録にある任務——とりわけ、分家が担当するような地方での呪霊討伐や、はぐれ呪詛師の始末といった汚れ仕事の際、密かに全を同行させるようになった。

 それは無論、全に実戦経験を積ませるためでもあったが、最大の理由は他にあった。

 

「……父上、終わりました」

 

 血生臭い匂いが充満する廃工場の片隅。

 月光すら届かぬ暗がりの中で、七歳になったばかりの全が静かに振り返った。

 そのあどけない顔には返り血ひとつ飛んでいない。だが、彼の足元には、数分前まで満たちを相手に狂気じみた笑い声を上げていた呪詛師が、無惨な姿で事切れている。

 

「よくやった、全。加茂家相伝の下位互換だが、また一つ手数が増えたな」

 

 満は満足げに頷き、呪詛師の死体を見下ろした。

 この男は、自身の血液を刃に変えるという厄介な術式を持っていた。満一人の力では苦戦を強いられたかもしれない。

 だが、満が隙を作り、全が背後から呪糸で四肢を拘束し、瀕死の重傷を負わせることで制圧した。

 そして息絶える直前、恐怖に歪む男の顔を覗き込みながら、全は容赦なくその術式を()()したのである。

 

「ええ。血液の刃……自分自身の血という制限があるのでイマイチですが、先日奪った造血の術式があれば使えなくもないですね」

 

 全はそう呟きながら、自らの指先をわずかに切ってみせた。

 滲み出た赤い雫が、次の瞬間には鋭利な細氷のように硬化し、宙を舞う。

 奪ってからまだ数分しか経っていないというのに、既に本来の持ち主以上の精度で使いこなしている。それが全の恐るべき才能だった。

 

 彼らはこうして、生得術式を持ったターゲットを狩り続けていた。

 悪辣な呪詛師だけではない。準一級以上の強力な呪霊であっても、術式を持っていると判明すれば、全は決して逃がさなかった。

 呪霊から術式を奪うのは、人間から奪うのに比べてリスクを伴う。呪霊の持つ術式は、彼らの存在そのものに深く結びついているため、奪取の瞬間に呪力の暴走を招く危険があるからだ。

 しかし全は、事もなげにその危険を乗り越えてみせた。

 

「ギ、ギギ……ガァァ……ッ!」

 

 ある夜の廃村で対峙した、二つの顔を持つ醜悪な準一級呪霊。

 そいつは、対象の視覚を一時的に奪うという生得術式を持っていた。

 満がその術式に捕らわれ、暗闇の中で身構えた直後——生暖かい風が吹き抜け、呪霊の断末魔が響き渡った。

 

「もろいですね。あんなものに手こずっていては、当主の座など夢のまた夢ですよ、父上」

「……ああ、問題ない。当主となるのはお前なのだからな」

「ふうん、まあいいですけど」

 

 視界が回復した満の目に映ったのは、呪霊の巨大な頭部を呪糸で正確に切断し、残った胴体に無造作に手を突っ込んでいる我が子の姿だった。

 全の腕を伝って、どす黒い呪力が脈動するように彼の体内へと吸い込まれていく。

 そして呪霊が完全に祓われ、塵となって消滅する直前、全の瞳が妖しく光を放った。

 

「……術式:『視覚剥奪』。なるほど。発動条件は相手の眼球を二秒以上見つめること、使い勝手は悪くない」

 

 七歳。

 本来であれば、まだ家の稽古場にて鍛錬に励むべき幼い年齢である。実戦など言語道断、血の匂いを嗅ぐことすら避けるべき時期だ。

 だが、全はすでに完成しつつあった。

 年齢に似つかわしくない冷徹なる知性。圧倒的な暴力の権化とも言うべき呪力総量。そして、狩り取った数多の術式を己の牙として使いこなす適応力。

 それらを完璧に統治する精神の異常なまでの凄絶さ。

 

 今や、裏の任務において全は満の補佐の域を完全に超えていた。

 潜入、索敵、制圧、術式の簒奪、そして祓除。

 満はただ、この小さな化け物が本家の目に触れぬよう立ち回り、適当な言い訳をでっち上げるだけの()()()になり下がっていた。

 

「全、お前は……本当に……」

 

 月明かりに照らされた、幼くも冷徹な無表情。

 その背中を見つめながら、満は歓喜に震えつつも、同時に言い知れぬ恐怖を抱き始めていた。

 全の強さは、すでに満の理解の範疇を超えつつある。彼の中に蓄積されていく多種多様な術式は、百鬼夜行の如き様相を呈していた。

 

(このまま育てば……いや、もう止めることなどできない)

 

 満は己の震える手を強く握りしめた。

 この怪物を生み出したのは自分だ。ならば、その行く末を最後まで見届ける義務がある。

 たとえその結果、己自身が喰い殺されることになったとしても。

 

「行きましょうか、父上。次の()が待っています」

 

 全が、静かに振り返った。

 その背後で、呪霊の残骸が紫色の煙を上げて消えていく。

 まるで地獄の底から這い出たような幼き暴君は、漆黒の夜の闇へとなんの躊躇いもなく足を踏み入れていった。

 

***

 

 月日は流れ、全が十歳になる頃。

 彼はすでに禪院家において、術式を持つ中で炳に満たぬ者が属する(あかし)の見習いとして籍を置いていた。

 表向きは呪糸操術という地味な術式を扱う、取り立てて目立つことのない少年。現当主である第二十四代目の末弟、満の息子という立場ではあるが、家の中での扱いは決して重いものではなかった。

 だが、それはあくまで表面上の偽装に過ぎない。

 

「……全よ。お前も十歳になった。そろそろ、己の手足となる()()を作ってみせろ」

 

 ある夜、満は全に対して一つの課題を出していた。

 一人でどれほど規格外の力を持とうと、呪術界という巨大な組織の中で当主として君臨し、本家を掌握するには、絶対的な忠誠を誓う派閥が必要不可欠である。

 もちろん、他者に『簒奪呪法』の秘密を明かすことは、致命的なリスクを伴う。だが、それすらも完璧に制御しきれなければ、真の覇者にはなれないという親心——あるいは、狂気に裏打ちされたテストであった。

 

 満はあえて具体的な指示は出さなかったが、全はすでに完璧な()()を導き出していた。

 

「——で? こんな夜更けに、末端の俺たちを呼び出して何の用ですか、全様?」

 

 禪院家の敷地の外れ。人気のない古びた倉の中に、苛立ちを隠せない低い声が響いた。

 集められていたのは、数人の屈強な男たち。彼らは禪院家において術式を持たない男たちが落とされる掃き溜め——躯倶留隊(くくるたい)の隊員たちであった。

 当主の末弟の息子からの呼び出しとはいえ、相手はまだ十歳の子供。おまけに灯見習いに過ぎない。血縁の序列としての敬語は使えど、その態度には明らかな侮蔑と不満が滲んでいた。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。ですが、皆さんにどうしてもお話したいことがありまして」

 

 倉の入り口付近で、全は静かに微笑んでいた。

 齢十にして、すでにその立ち姿には完成された美しさと、周囲を圧倒するような異質な静けさが備わっている。

 全は彼らを適当に選んだわけではない。躯倶留隊の中でも、特に呪力素養が高く、呪力操作のセンスに長けている者だけをピンポイントで選別していた。

 術式を持たないが故に冷遇され、燻っている実力者たち。それこそが、全の求める最高の()()であった。

 

「話って何だよ。こっちは明日も朝からしごきがあるんだ。ガキのお遊戯に付き合ってる暇は……」

 

 一人の男が舌打ちしながら近づこうとした、その瞬間。

 

 ——ズンッ!!

 

「……ッ!?」

「な、なんだ……!?」

 

 倉の空気が、突如として石の塊のように重くなった。

 息ができない。肩に目に見えない巨岩が乗せられたかのように、屈強な躯倶留隊の男たちの膝が次々と大理石の床に屈していく。

 それは、十歳の子供の細い体から放たれたとは到底信じられないほどの、高密度で暴力的な()()の圧力であった。

 

「お遊戯ではありませんよ。これは、あなた方の人生を根底から覆すための、極めて有意義な商談です」

 

 一切の感情を感じさせない、冷ややかな見下ろす視線。

 先ほどまで侮蔑の目を向けていた男たちは、全身から冷や汗を噴き出しながら、目の前に立つ異形の怪物に恐怖を刻み込まれていた。

 この呪力量、この気迫。並の術師どころか、一級術師すら凌駕しかねない絶対的な格の違い。

 呪糸操術の凡庸なガキなどという評価が、いかに見当違いであったかを彼らは本能で理解させられた。

 

「条件はシンプルです。()()()()()() 禪院家という掃き溜めで、一生惨めな思いをして死んでいくか。それとも僕に従って、底辺から這い上がるか」

「な、何を……言ってる……」

 

「まずは縛りを結んでいただきます。僕がこれから話す秘密を、僕の許可なく口外しないこと。それが第一の条件。了承するならば、真実をお話ししましょう」

 

 全の提案に対して、男たちは顔を見合わせた。

 圧倒的な力への恐怖と、彼が見せた異常な呪力の魅力。藁にもすがる思いで、彼らは震える口で縛りの契約を結んだ。

 

「父が暗殺を警戒し、僕の術式を偽って伝えています。僕の真の術式は——」

 

 そして、全は己の真の術式——『簒奪呪法』と『術式反転:禅譲』の存在を明かした。

 

「他者の術式を……奪い、与える……?」

「そんな馬鹿な……。そんな神のようなことが……」

 

可能です。僕が奪い溜め込んできた不要な術式をあなた方にさしあげます。躯倶留隊のあなた方でも、そこまで呪力操作が巧みなあなた方ならすぐに使いこなせるはず」

 

 全の悪魔の囁きに、男たちの呼吸が荒くなる。

 術式とは、生まれ持った絶対の才能。それを後天的に得られるなど、呪術界の常識ではあり得ない。

 だが、目の前に立つこの化け物ならば、それができると確信させた。

 

「ただし、タダではありません。術式を与える代わりに、僕に生涯の忠誠を誓うという第二の縛りを結んでいただきます。破れば……どうなるか、()()()()()()()()()()()()?」

 

 背筋が凍るような全の微笑みに、男たちは一も二もなく頷いた。

 術式が手に入るなら、己の矜持も魂も喜んで差し出す。彼らにとって、術式を持たずにこの家で生きることは、死以下の地獄であったからだ。

 

「よろしい。では、一番手前のあなたからいきましょうか」

 

 全は静かに歩み寄り、緊張で身を強張らせている一番大柄な男の分厚い胸板へと、その小さな掌を無造作に当てた。

 

術式反転:禅譲

 

 全の口から紡がれた冷徹な呪詞とともに、禍々しく淀んだドス黒い呪力が、その掌から男の体内へと雪崩れ込んでいく。

 男の身体がビクンと大きく跳ねた。異物が魂の奥底、生得領域の核へと無理やり根を下ろしていくような、おぞましくも熱を帯びた暴力的な感覚。

 

「が、ああっ……! ぐあああっ……!」

 

 男は激痛に叫び声を上げ、胸をかきむしるようにして大理石の床に膝をついた。

 だが、その直後。苦痛に歪んでいた男の顔に、信じられないものを見るような驚愕と、圧倒的な歓喜の色が浮かび上がった。

 男が震える指先を虚空に向けると、バチッ! と青白い火花が弾け飛んだのだ。

 

「こ、これは……呪力が、形を……! 俺の、アァッ、俺の術式……!!」

「『放電』の術式です。出力を間違えれば自分へのダメージも大きいので、せいぜい精進してくださいね。——さあ、次の方」

 

 男が狂喜の涙を流して床に伏し、生涯の忠誠を誓って額を擦りつけるのを冷淡に見下ろしつつ、全は次なる()()たちへと向き直る。

 その光景を目の当たりにした残りの隊員たちは、数秒の間、完全に言葉を失い硬直していた。

 ありえない。呪術界の根幹を成す絶対のルールの崩壊。だが、目の前で起きたあまりにも鮮烈な奇跡の証明を前に、彼らの内にあった疑念や矜持は跡形もなく吹き飛んだ。

 

「お、俺にも……! 全様、俺にもどうか術式を!!」

「俺はあんたに全てを差し出します! 一生、あんたの犬として這いつくばってでも生きてみせる! だから、どうか……!」

 

 さっきまで蔑みの目を向けていたはずの屈強な男たちが、我先にと這い進み、全の足にすがりつく。

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、狂ったように忠誠と服従を叫ぶその姿は、あまりにも醜悪であり、同時に彼らが禪院家でどれほどの地獄を味わってきたかを如実に物語っていた。

 

「慌てずとも、順番に授けますよ。ただし、縛りを違えればその報いは覚悟していただきますからね」

 

 狂乱する男たちの脳髄に冷や水を浴びせるような、全の底冷えする声。

 全は縋り付く者たちの胸にも次々と己の手を当て、これまで狩り溜めてきた()()()術式を禅譲していった。

 雷撃、発火、蟲の群れを操る術式など。とりたてて強力とは言えなくとも、確かな才能の証。

 

 こうして術式を得た元・躯倶留隊の男たちは、突如として遅咲きの術式に目覚めた者として、急速に禪院家の中で頭角を現していくことになる。

 当然、本家からは「これほど年を重ねてから急に術式に目覚めるなどおかしい」と疑念を抱かれることもあった。

 だが、事実は事実。彼らは灯や、エリート術師の集まりである(へい)へと昇格していった。

 

 疑念は残れど、強大な戦力が手に入ることを本家が拒むはずがない。

 そして、昇格した彼らが誰よりも忠誠を誓い、密かに情報を流し続けるのは、当主でも炳の筆頭でもなく——灯の見習いにすぎない、十歳の禪院全だった。

 満のテストは、完璧な形でクリアされた。全は本家の目の届かぬところで、強固にして絶対的な己の派閥を創り上げてしまったのである。

 

***

 

 手駒を手に入れ、秘密裏に己の勢力を拡大し始めた全だったが、彼自身の内面にも一つの明確な変化が訪れていた。

 当初、彼が他者の術式を奪い、己の血肉としていたのは、ひとえに父親である満の狂気じみた期待に応えるためであった。

 産屋でかけられた呪いのような言葉——『全てを喰い破り、お前こそが当主たれ』という命題を果たすための、合理的な手段として。

 だが、数多の術式をその身に宿し、他者の人生を、才能を、魂の形そのものを簒奪し続けるうちに、全は気づいてしまったのだ。

 

「……()()()()()()

 

 ある夜、自室の縁側に座り、月を見上げながら全はぽつりと呟いた。

 己が奪った術式の数々を、自らの手のひらの上で弄ぶ。指先から溢れる雷撃。硬化する皮膚。空を斬る血の刃。虚空に現れ消える自身の幻影。

 これは、僕のものだ。誰かが血を吐くような努力で磨き上げたものも、名家が血の代償として受け継いできたものも、全て。

 圧倒的な全能感。他者の尊厳を暴力的に踏みにじり、己の一部として再構築する快楽。

 もはや全の渇望は、父親に強いられた窮屈な呪縛などではなくなっていた。

 

(僕は、全てが欲しい。この世界の、全ての理が)

 

 自ら力を欲し、全てを支配したいという純粋で暴力的なエゴ。

 ただ当主になるのではない。このくだらない血掟に縛られた禪院家そのものを、僕が喰い破ってやる。

 そしてゆくゆくは、呪術界そのものを。

 

 ——全ては、僕の為に。

 

「全様。例の件、ご報告に上がりました」

 

 暗闇の中から音もなく現れたのは、かつて倉で最初に全から術式を与えられた大柄な男だった。

 彼は現在、見事に炳への昇格を果たし、本家の任務を任されるエリート術師として確固たる地位を築いていた。だが、全の前に膝をつくその態度は、従順な飼い犬そのものである。

 男の足元には、全身を縛られ、猿轡を噛まされた血まみれの呪詛師が転がされていた。

 

「ご苦労様。今回の獲物は?」

「はっ。対象の影を縫い付け、物理的な動きを封じる術式を持つ呪詛師です。全様に相応しい()()になり得るかと」

 

 全が自身の手駒たちに下していた秘密裏の命令。

 それは、「珍しい術式、あるいは強力な術式を持つ呪詛師や呪霊を、殺さず祓わず生け捕りにし、自分の元へ連れてくること」であった。

 術式を与えられ、絶対の忠誠を誓った手駒たちは、全への恩返しと崇拝の念から、狂ったように「全のための獲物」を探し、狩り集めるようになっていたのである。

 

「素晴らしい。影の拘束……禪院家らしい術式で、使い勝手も良さそうです。あなた方の働きには、いつも感心させられますよ」

 

 全は無表情のまま呪詛師の頭を掴み、一瞬にしてその術式を簒奪する。

 抜け殻となり、白目を剥いて卒倒した呪詛師を見下ろし、全は満足げに息を吐いた。

 

「全様のためであれば、我々は命に代えても」

「期待しています。……今はまだ、僕のプールにある不要な術式を適当に割り振っているだけですが、いずれ僕がこの家の全てを掌握した暁には、よりあなた方個人の身体や呪力特性に合った術式へ、順次最適化して与えることを約束しましょう」

 

 全の静かな宣言に、男は感極まったように激しく震え、床に額を擦りつけた。

 

「おお……! 我が主、禪院の真なる王よ……! 一生、三途の川の底までお供いたします!!」

 

 狂信者のような手駒の姿を冷ややかに見下ろしながら、全は己の胸に手を当てる。

 彼の中に渦巻く無数の術式たちは、次なる餌を求めて蠢いているようだった。

 全の恐るべき野望は、今まさに静かに、しかし確実に禪院の根深く暗い森を浸食し始めていたのだ。

 

***

 

 特異な術式だろうが、血筋だろうが関係ない。

 あらゆる生得術式を自由自在に付け替え、他者に与えることすら可能な全にとって、人材を選定する最も重要な基準は、もはや「初めからどんな術式を持っているか」ではなかった。

 器さえあれば、中身の術式は全がいくらでも注ぎ込める。

 ゆえに、全が真に渇望する()()()()()の条件とは、ただ一つ。

 

 ——純粋な暴力。魂と肉体の絶対的な強さ。

 

 その一点において最高の原石を全は既に見初め、熱狂的な眼差しを向けていた。

 ある日の鍛錬場。

 本家の術師たちが己の術式や呪力操作を誇示するように打ち合う中で、ただ一人、木刀の素振りだけを黙々と繰り返している同年代の少年がいた。

 口元に傷を持つその少年の名は、禪院甚爾。

 本来ならば後に()()()()として呪術界を震撼させることになる男の、若き日の姿であった。

 

「……素晴らしい……」

 

 少し離れた渡り廊下の陰から、全は息を呑んで甚爾の動きを見つめていた。

 甚爾は、この禪院家において決定的な欠陥を抱えていた。術式を持たない躯倶留隊の者たちですら僅かながらに持っている呪力が、彼には文字通り、欠片ほども存在しなかったのだ。

 呪力を持たない者は、呪霊を見ることも祓うこともできない。術師の家系である禪院家において、それは存在すら許されない()と同義である。

 甚爾は一族の者たちから日常的に酷い虐待を受け、ゴミのように扱われていた。

 

 だが、全の眼穴は真実を捉えていた。

 呪力がない? それがどうしたというのだ。あの肉体の完成度、空気を切り裂く刃のような身のこなし。呪力という世界からの干渉を完全に断ち切ったことによる、絶対的な()()()()()()()()()()()()()()()

 全は一目見た瞬間から理解していた。もし今、あの禪院甚爾と術式を複数隠し持っている自分が殺し合いをしたならば——間違いなく、自分が惨殺されると。

 

(欲しい。あんな見事な暴力の化身、手駒にしない手はない)

 

 全の胸の奥で、ドクンと欲望が脈打つ。

 だが、同時に全は己の置かれた状況の歯痒さに気づいていた。

 全の最大の武器であり、躯倶留隊の男たちを絶対服従させた交渉材料である『術式の禅譲』。それは、対象に呪力を扱う素養があって初めて成り立つ契約だ。

 完全に呪力から切り離された甚爾の肉体には、どれほど全が『禅譲』を使おうとも、術式を定着させることは不可能である。

 つまり、今の全には、甚爾の渇きを満たし、忠誠を買うための()()が存在しなかった。

 

(彼はおそらく、遠からずこの家を捨てる)

 

 全は冷徹に未来を予測した。

 あの見事な牙を持った獣が、いつまでもこの腐った檻の中でおとなしく虐げられ続けているはずがない。

 彼が禪院家を見限り、一人で外の世界へと出て行く日は、そう遠くない未来に必ず訪れる。

 そして一度野に放たれてしまえば、あの獣にはもう二度と首輪をつけることはできないだろう。

 

「……それまでに、彼を抱え込む方法を見つけなければ」

 

 全は、遠くで理不尽に打ち据えられている甚爾の背中を見つめながら、暗がりの中でひっそりと笑みを深めた。

 呪術の理から外れた天与呪縛。それを縛るための、呪力に依存しない絶対的な手段。

 考えろ。全てを簒奪し、全てを支配する王となるために。

 

 全の漆黒の瞳には、すでに底知れぬ狂気と、果てなき探求の炎が宿っていた。

 




■禪院全
呪術版オールフォーワン。
転生者ではないのでAFOの生まれ変わりとかではないが、異世界同位体的なアレの可能性はある。
まだ十歳だが大人の手駒を作った、将来が悪い意味で楽しみなやつ。
4歳にして術式の自覚と同時に術式反転を使えたポテンシャルの塊……ということになっているがもしかするとそもそもセットの術式かもしれない。
とんでもねえやつに育つ事は確定しているが、五条悟のように生まれただけで世界のパワーバランスを崩したりはしていない。
表向きの術式は呪糸操術、糸使いである。

・禪院満
25代目当主、直毘人、扇あたりの末弟になる。所属は『灯』。
術式は触れたものを硬化させるだけで、カラテもイマイチで兄弟最弱。
禪院家での扱いはいまいち良くない。

■簒奪呪法
手で触れた相手から生得術式を奪い取る。
奪い取られた際には魂を引き剥がされたような精神的なショックを受ける。
奪い取った時点で術式の詳細が分かる。

・術式反転:禅譲
触れた相手に溜め込んだ術式の中から任意で植え付ける。
簒奪ほどではないが、魂に響くような衝撃を受ける。
無理矢理沢山押し込むと多分死ぬ。

順転と反転とセットで呪術版AFOとなる。
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