禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

13 / 26

「……うんっ!!」



13.懐玉-因果の果てに

「よー、傑。ついでに禪院」

 

 血まみれの顔で、五条悟はいつものように軽く片手を上げた。

 

「遅くなってゴメンな。上の奴、ちょっと手こずった」

 

 その信じがたい光景を前にして、地下通路は水を打ったような静寂に包まれた。

 

 退魔の剣に貫かれていたはずの胸の傷は、べったりと赤黒い血糊を残しているものの、その下にある肌はすでに塞がりかけていた。

 死の淵に立たされたはずの少年の肉体は、自ら生み出した正の呪力――()()()()によって、致命傷を完全に克服していたのだ。

 

 最も驚愕したのは、他ならぬ紙袋の呪詛師であった。

 直哉を押し潰していた重力の術式が、彼の動揺に呼応するようにプツリと途切れる。

 

「……は……はは」

 

 紙袋の奥から漏れ出たのは乾ききった、どこか諦観すら混じった笑い声だった。

 

「ここまで……ここまでしても、駄目なのか」

 

 男の言葉には、綿密に組み上げた盤面をひっくり返された者の純粋な驚きが滲んでいた。

 高額な報酬で残り少ない呪詛師たちを釣り、三日間緊張を解かせなかった。

 報酬に期限を設け、更にリスクを犯してでも最後の襲撃場所を高専の結界内にする事で緊張を、なにより術式を解くように仕向けた。

 呪力の伴わない狙撃を用い、完全に不意をついた筈だった。

 これまでに契約してきた蝿頭をばらまき、高専の援軍を遅らせた。

 禪院家の墓を荒らし、禪院全の影響で表立った活動を控えていたオガミ婆を引っ張りだして魔虚羅まで呼び出した。

 

星漿体の同化直前。六眼と星漿体を同時に狙えるこの土壇場にやれば、流石に()()()()()が涌いて来る余地など物理的にないと思っていたが……」

 

 男は、まるで天を――この世界のシステムそのものを呪うように、ゆっくりと首を振った。

 

「そうか。三日三晩、呪力を垂れ流させて疲労困憊させた上で、あの魔虚羅をぶつけても……打ち勝つか。これだから、()()()()()ってやつは」

 

 六眼と星漿体、そして天元。

 それらは因果という目に見えない鎖で繋がっている。過去に六眼の赤子を殺そうとも、同化の当日には必ず六眼が現れた。

 ならば同化の目前に成長した六眼を確殺すれば、因果の穴を突けるやもと。

 

 だが、結果はこの通りだ。

 極限の死地すらも、五条悟という規格外の怪物を()()させるための舞台装置でしかなかったのだから。

 

「……流石にこの状況じゃ、ノーチャンスってやつだね」

 

 紙袋の男の視線が、通路の面々を順番に舐めるように動く。

 

 胸を貫かれてなお魔虚羅を単独撃破し、呪力の核心に触れて完全に覚醒した五条悟。

 圧倒的な重力に押し潰されながらも、土壇場で黒閃を決めて獣のように殺意を研ぎ澄まし、今まさにゾーンに入っている禪院直哉。

 そして、星漿体である天内理子を背後に庇い、冷静に、かつ一歩も退かずに青嵐の呪力を練り上げている夏油傑。

 

 手負いとはいえ、この三人の怪物を同時に相手取り星漿体を殺すことなど――もはや不可能だった。

 

「大人しく撤退するとしよう。……まずったね、色々と。早まったか」

 

 男は、小さく肩をすくめた。

 しかし、その声に絶望はなかった。

 

「いや、しかし……まだ、終わりじゃないさ。きっとね」

 

 意味深な言葉を残し、男が指を鳴らす。

 

 ズルリ、ベチャッ。

 

 その場に展開していた三体の分身体が、一斉に形を崩し、茶色い泥の塊となって通路の床に溶け落ちていった。

 呪力の残滓すらも綺麗に消し去り、強大な謎の術師は、ついにこの場から完全に手を引いたのだった。

 

 

***

 

 

 しばしの静寂が、地下通路を支配した。

 残された泥の染みが、そこに確かに敵がいたことを証明しているだけだ。

 

「……消えた、か」

 

 傑が、大きく息を吐き出しながら、展開していた大気のシールドをゆっくりと解除した。

 張り詰めていた空気が一気に弛緩し、張り裂けそうだった緊張感が嘘のように霧散していく。

 

「なんとかなったね……」

 

 傑は額に滲んだ冷や汗を手の甲で拭いながら、安堵の笑みを浮かべた。

 親友が無事だったこと。そして何より、背後の少女の命を守り抜けたこと。

 それだけで、彼の心は十分に救われていた。

 

「チッ……!! あのハゲ、また逃げおったわ!!」

 

 一方の直哉は、ドムッ! とコンクリートの壁を力任せに殴りつけ、悔しげに吠えた。黒閃を決め、せっかくゾーンに入りかけていたというのに、最後の最後で逃げられたのだ。

 全に献上する最高の手土産を取り逃がしたことも相まって、彼の苛立ちは頂点に達していた。

 

「あー、マジウケる。お前、ハゲハゲ言ってっけど、アイツお前んところの当主サマから術式買ってるお得意様かもよ?」

 

 悟が、フラフラとした足取りで階段を降りつつニタニタと笑いかけてきた。

 覚醒の余波による脳のオーバードーズと、大量の失血。そして丸三日間の徹夜による疲労。それらが限界を超えて混ざり合い、今の悟は完全に「ハイ」になっていた。

 瞳孔が開き気味で、どこかフワフワと浮遊しているような足取りだ。

 

「うっさいわボケェ! アレが当主サマの客やろうと何やろうと、次会うたら絶対原型留めんくらいにしたる!」

ひゃはは! 無理無理、お前じゃアイツの分身ごっこのスピードに追いつけねーっての!」

「なんやとコラァ!!」

 

 疲労困憊でハイになっている悟と怒り心頭の直哉が、小学生のようにギャーギャーと言い争いを始める。

 そんな騒がしい男たちのやり取りを背に。

 

「あああ……死ぬかと思った……っ!」

 

 理子はへなへなとその場に座り込み、隣にいた黒井の胸に縋り付いて大声を上げて泣き出した。

 呪詛師の恐怖、渦巻く呪力の圧迫感、頭上から響く轟音。中学生の少女が耐えるには、あまりにも過酷な時間だったのだ。

 

「理子様……! よく、よくご無事で……っ!」

 

 黒井もまた、ボロボロと涙を流しながら理子の小さな身体を痛いほどに強く抱きしめ返した。互いの温もりを確かめ合うように抱き合う主従。

 それを見下ろす傑の顔にも、穏やかな安堵の笑みが浮かんでいた。

 

 これで、誰も死なずに済んだ。

 敵は退けられ、護衛任務は実質的に完了したのだ。

 

 ――だが。

 

「……ほな」

 

 悟との口喧嘩を適当に切り上げ、直哉が着流しの埃をパンパンと払いながら、冷ややかな声で言った。

 

「そろそろ行こか、薨星宮(こうせいぐう)。天元サマ、待っとるやろ」

 

 ピタリ、と。

 その一言で、地下通路の空気が再び、重く冷たく凍りついた。

 

 悟のニヤケ顔がスッと消え、傑の穏やかな微笑みが硬直する。

 抱き合っていた理子と黒井の動きも止まった。

 

 そうだ。

 忘れていたわけではない。だが、激闘の果てに生き残った安堵がこの一時だけ、その「残酷な現実」を忘れさせていたのだ。

 

 この戦いに勝利したということは。

 星漿体である天内理子が、無事に天元と同化できる――つまり、彼女の()が確定したということに他ならないのだから。

 

「…………」

 

 理子がゆっくりと黒井の腕から離れ、立ち上がった。

 その顔は先ほどまでの恐怖の涙とは違う、どこか諦観と絶望が入り混じった酷く蒼白なものへと変わっていた。

 

 目的地である薨星宮の入り口は、もうすぐ目の前だった。

 

「流石にもう、これ以上の刺客はやってこないだろう」

 

 傑は通路の奥へと続く闇を静かに見据え、ぽつりと呟いた。

 紙袋の呪詛師は撤退し、盤星教もQの残党も野良の呪詛師も、この神聖な結界の奥深くまで手出しすることはできない。

 このまま進んで、昇降機を降りて、天元様の住まう薨星宮へたどり着いたら――。

 そこからは、天元様がこの星漿体を守ってくれる。呪術界のシステムが彼女を受け入れて保護し、そして()()する。

 

 護衛任務の、完全なる成功と終焉。

 

 傑はゆっくりと振り返り、まだ恐怖の余韻で震えている少女――理子を、まっすぐに見つめた。

 その瞳には、これまでの特級呪術師としての厳しさや、刺客に対する冷徹な殺意は微塵もなかった。

 ただ、一人の迷える少女を導く、どこまでも優しく、そして危うい『ヒーロー』の眼差しだけがそこにあった。

 

「そして」

 

 傑は、言葉を区切った。

 次に紡がれる言葉が、呪術界における絶対のタブーであることを理解した上で、それでも彼は口にした。

 

「それか、このまま引き返して黒井さんと一緒に家に帰るのはどうだい?」

 

「……え?」

「……は?」

 

 理子と直哉の、素っ頓狂な声が完全に重なった。

 理子は目を丸くしてポカンとし、直哉は壁を殴った右手を下ろして、信じられないというように傑を凝視した。

 

「本気で言っとんか?」

 

 直哉が、呆れと怒りが入り混じった声で凄んだ。

 

「せっかくここまで星漿体のガキ連れてきたっちゅうのに、帰るゥ? アホなこと抜かすなや! 同化せんかったら、天元サマがおかしゅうなるかもしれんねんぞ?」

 

 日本の呪術界の基盤を成す結界。

 それを維持する天元がもし同化の失敗によって肉体を進化させ理性を失い暴走でもすれば、それは呪術界の崩壊――ひいては、日本という国家そのものの存亡に関わるかもしれない大惨事だ。

 直哉の主張は呪術師として、そして御三家の人間として100%正しい正論であった。

 

 だが、傑は微塵も揺るがなかった。

 

「でも、そうはならないかもしれない」

 

 傑は静かに、だが確固たる意志を持って直哉の正論をはねのけた。

 

「天元様が進化しようとも、人としての理性を保つ可能性だってある。……それに」

 

 傑の言葉には、彼がこれまで抱え続けてきた、呪術界という()()()()に対する静かな憤りが込められていた。

 

「罪なき少女を人身御供として要求してくるような神に、いつまでも縋り付いて安心を得るような時代でもないだろう?」

 

「そ、そこまで悪し様に言われたら、天元様がかわいそうではないか?」

 

 傑のあまりにも不敬な言い草に、当の生贄である理子の方が慌ててフォローを入れるという奇妙な構図になった。

 しかし、傑はそんな理子の優しさを見て、ふっと微笑んだ。

 

「いいさ。それに、天元様は命じただろう? 『()()()()()()()()()()()()()()』って」

 

 傑は、理子の前にゆっくりとしゃがみ込んだ。

 そして、目線を彼女と同じ高さに合わせ、これ以上ないほどに穏やかな、慈しむような声で問いかけた。

 

「さあ、理子ちゃん。君は、どうしたい?」

 

「…………」

 

「どんな選択をしても、君の未来は……私たちが保証する」

 

 その言葉はハッタリでも慰めでもなく、その気になれば台風すら巻き起こす特級呪術師・夏油傑の魂からの誓いだった。

 そして、その後ろには――血まみれになりながらも「最強」を証明して見せた五条悟が口の端をニッと吊り上げて「俺もいるしな」とばかりにふんぞり返っている。

 

 この二人のバケモノが保証すると言っているのだ。天元だろうが上層部だろうが、それこそ禪院全だろうが。どんな権力が束になってかかってきても、彼女の明日を無理やり終わらせることはできないはずだ。

 彼らは本気でそう思っている。

 

 沈黙が落ちた。

 傑のあまりにも無責任で、あまりにも優しすぎる提案に。

 これまで「天元となることは名誉」だと強がってきた少女の心の鎧が、音を立ててひび割れていく。

 

 しかし、本当に……本当にいいのだろうか。

 自分一人のわがままで、呪術界を大混乱に陥らせるなんて。

 

 そんな理性が理子の口を塞ぐ。

 浮足立つような沈黙が続く中——。

 

「……はぁぁ」

 

 その静寂を破ったのは、直哉の深い、深いため息だった。

 

「ま、ええわ」

 

 直哉は、面倒くさそうに後頭部を掻き毟りながら、コンクリートの壁に背中を預けてズルズルと腰を下ろした。

 そして、投げやりな口調で言い捨てる。

 

「もし天元サマが暴走してアホなバケモンに成り下がったとしても、それはそれでうちのご当主サマが喜んで()()()()()()として制圧しに行きよるやろうしな」

 

 直哉のその一言は、場の空気を一気に脱力させた。

 そう。今の呪術界には天元の暴走を食い止め、あまつさえ「新しい手駒」として喜んで飼いならしかねない規格外の特異点――禪院全がいるのだ。

 そう考えれば、天元がどうなろうと、世界が滅ぶような最悪の事態にはならないのかもしれない。

 

 直哉は「好きにせぇや」とばかりに目を閉じ、壁にもたれて休み始めた。

 彼なりの、不器用ながらも確かな()()だった。

 

 皆の優しい、そして絶対的な力を帯びた注目を浴びる中。

 理子はうつむいたまま、ぽつり、ぽつりと。

 これまで誰にも言えなかった――自分自身にすら隠し続けてきた本当の心を、絞り出すように話し始めた。

 

「……産まれた時から、皆とは違うって、ずっと言われ続けてきた」

 

 小さな手が制服のスカートをきつく、白くなるほどに握りしめる。

 

「星漿体として生きるのが、私の()()だった。……お父さんとお母さんが居なくなった日のことも、もう上手く思い出せなくて。だから、もう悲しくも、寂しくもない」

 

 ぽたり、と。

 理子の瞳から、大粒の涙が床に落ちた。

 

「だから……同化して、私が私じゃなくなっても。天元様の中でみんなの役に立てるなら、それで平気だって、ずっと思ってた」

 

 彼女の肩が、小刻みに震え始める。

 強がりで塗り固められていた少女の素顔が、そこにあった。

 

「でも……」

 

 理子は、顔をクシャクシャに歪めて、ついに堪えきれずに泣きじゃくった。

 

「でも、やっぱり……っ! もっと皆と……黒井とっ、一緒に居たいっ……!!」

 

 嗚咽が、地下通路に響き渡る。

 もう、これ以上嘘はつけなかった。

 

「色んな場所に行って、色んな物を見て……もっと……もっと!!」

 

 生きたい。

 天元でも、星漿体でもなく。

 ただの『天内理子』という一人の女の子として、明日を生きたい。

 その悲痛で、あまりにも当たり前の魂の叫びに。

 

「理子様……っ! 理子様ぁぁっ……!!」

 

 気がつけば、黒井は号泣しながら理子にすがりつき、彼女の小さな身体を力いっぱい抱きしめていた。

 二人して声を上げて泣き崩れる主従の姿に、悟は「やれやれ」とサングラス越しに目を細め、直哉は「アホくさ」とそっぽを向きながらも、決してそれを否定はしなかった。

 

 傑は、泣きじゃくる理子の前に、そっと手を差し伸べた。

 

「帰ろう、理子ちゃん」

 

 その言葉は、彼女を縛り付けていたすべての呪いを解く、魔法の鍵だった。

 理子は、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、傑の差し出された大きな手を、両手でしっかりと握り返した。

 

「……うんっ!!」

 

 それは、沖縄のビーチで見せた時よりも、遥かに純粋で、美しく、生命力に溢れた力強い返事だった。

 

 ——パンッ!

 

「……さ、骨折り損のくたびれ儲けだ。さっさと帰って休もうぜ」

 

 悟が手を叩いてぐっと伸びをし、血まみれの身体を引きずりながら踵を返した。

 その後ろ姿は、信じられないほどに軽やかだ。

 

「ほんまや、何やってんねんこの依頼。……依頼主のジジイどもに怒られたら、どないしてくれるん」

 

 直哉が壁から立ち上がり、着流しの埃を払いながらブツブツと文句を垂れる。

 

「あー? まあ、なんとかなんじゃね? しらんけど」

 

 最強に覚醒した悟の、どこまでも無責任で頼もしい一言。

 「しらんけど」で済まされる呪術界のトップたちも不憫だが、彼らなら本当に「なんとかなってしまう」のだろう。

 

「ふふっ」

 

 傑が笑い、理子と黒井も、涙を拭いながらつられて笑い声を上げ。

 

 がやがやと、悪態をつき合いながら。

 一行は、必死の思いで死線を潜り抜け、守り抜いてきた薨星宮への道を――あっさりと背を向け、元来た道へと引き返していく。

 任務の放棄。呪術界の秩序への反逆。

 だが、彼らの足取りは、ここに来た時よりも遥かに力強く、自由だった。

 

 ――そして、天元は。

 

 星漿体・天内理子の同化拒否という呪術界の歴史上類を見ないこの前代未聞の事態を……一切の咎めも、罰も与えることなく。

 

 静かに、正式に受け入れたのであった。

 

 

***

 

 

「……はは。はははは!!

 

 都内の喧騒から遠く離れた、薄暗く冷たい地下のアジト。

 その淀んだ空気を震わせるように、一人の男の狂気に満ちた哄笑が響き渡った。

 

()漿()()()()()()()!! あまつさえ、()()()()()()()()()()だと!!!

 

 紙袋を脱ぎ捨てた、つるりとしたスキンヘッドの男。

 先ほどまで高専の地下で傑や直哉を翻弄していた男は、情報屋の呪詛師から仕入れたばかりの『最新の結末』を聞き、腹を抱えて心底愉快そうに笑い転げていた。

 

「なんだそれ! なんだそれ! 今回私がしたこと、全部無駄どころか綺麗に裏目じゃないか!! 骨折り損のくたびれ儲け、なんてレベルじゃないね!!!」

 

 笑い声が壁に反響し、涙すら浮かべて床をバンバンと叩く。

 

 星漿体の暗殺。そのために周到に用意した、三億の賞金とそれに釣られた野良呪詛師の囮を用いた。

 禪院全を恐れ、隠れ潜んでいたオガミ婆を見つけ出し縛りを結んで協力させた。

 禪院家の墓を密かに荒らし、先代当主の遺骨を持ち出した。

 五条悟を疲労困憊させ、満を持して投入した先代禪院家当主の降霊、そして最凶の式神・魔虚羅の顕現。

 

 すべては六眼と星漿体、そして天元を繋ぐ()()の鎖を彼自身の手で断ち切るための完璧な詰み盤のはずだった。

 

 ——だが、蓋を開けてみればどうだ。

 五条悟は魔虚羅という死の淵を食い破り、最強への覚醒を果たして生還した。

 さらに、同化を巡る結末は星漿体自身の拒否と、天元によるそのあっさりとした受理という、千年を生きた黒幕の予測すらも軽々と超える「ちゃぶ台返し」によって幕を閉じたのだ。

 

 この結末が待っていると知っていれば、多くのリスクを冒し、少なくないリソースを投じ、取り返しのつかない縛りまで結んで決死のVS六眼なんて演じなかったというのに。

 

「なんだよもう。魔虚羅をねじ伏せるくらいに根性見せたってのに、六眼の因果はどうしちゃったんだ? どこでねじれた? どこで壊れた?」

 

 男は、笑いすぎて痛む腹を押さえながら、天井を仰ぎ見た。

 その瞳の奥には、計画を挫かれた者の絶望や怒りは微塵もない。あるのはただ、予想のつかない混沌とした盤面を前にした、純粋な知的好奇心と狂喜だけだった。

 

「……まあ、いいか!

 

 男は、パチンと指を鳴らして立ち上がった。

 

ハードモードでゲームオーバーかと思いきや、コンテニューが入って『()()()()()()()()()』に移行したようなものだ」

 

 呪術界のシステムは禪院全というもう一人の規格外によって完全に掌握され、呪詛師は狩り尽くされつつある。

 さらに、五条悟は完全に覚醒し、手がつけられない化物になった。

 いつの間にか産まれていた呪霊操術も、禪院全が持ち去ってしまった。

 

 状況はこれまでの千年間で最も悪く、最も難易度が高い。

 その上、この理不尽なまでの難易度上昇最大の元凶たる禪院全は烏丸蘇芳の啜命呪法を喰らい不老長寿となった。

 計画の延期は無意味どころか、今後どんどんと難易度を上げていくだろう。

 

 だが——今たしかに、彼の計画は大きな一歩を踏み出した。

 これまで足踏みしていた一番難易度が高そうな部分が、予想外な方法で。

 

「……ゲームオーバーじゃないならまだ続行できる。計画は、続けられる」

 

 男の口元が、三日月に歪む。

 六眼と星漿体の因果は壊れた。ならば、天元の進化は避けられない。それは彼にとって、計画が一段階大きく進んだ事を意味していた。

 

「となれば、どうするか考えないとね」

 

 男は、己の無骨な両手を見下ろした。

 この肉体――最大五体まで分身し、全てが本体同様の性能を有し、その中のどれを本体とするか随時選択可能という、なかなかに「妥協できる」だけの術式を持ったこのスキンヘッドの男。

 彼がなぜ、今回このような姿で暗躍していたのか。

 

 通常、彼――()()は、他者と脳を入れ替えその肉体と術式を乗っ取るという手法で千年を渡り歩いてきた。

 しかし今の時代にはその通常の「脳渡り」では絶対に抗えない天敵が存在する。

 

 他者の術式を強制的に奪い取る、禪院全の『簒奪呪法』だ。

 

 もし通常の脳渡りの状態で全に触れられ、肉体に刻まれた脳渡りの術式を奪われれば、羂索はただの「脳みそ」に成り下がり即座に死を迎えるはずだ。

 だからこそ羂索は、今回自らの在り方を根本から変えるという極めてリスキーな賭けに出ていたのだ。

 

「自身を()()()して、この男に()()して正解だったよ」

 

 そう。今の彼は、脳を入れ替えたわけではない。

 自らを呪物に変え、このスキンヘッドの男に喰わせて受肉したのだ。だからこそ、彼の額には羂索のトレードマークである()()()が存在しない。

 

「さらに――『以後、禪院全以外の何物にも体を移し替えることをしない』という縛りを結んで、この肉体と術式の出力、そして私自身の呪力や呪力操作精度を更に底上げした」

 

 これは、千年を生きる羂索にとって自らの退路を断つに等しい強烈な縛りだった。だが、その分見返りは絶大だ。

 受肉体の出力が跳ね上がり、特級術師たちを相手に立ち回れるほどの力を得た。

 そして何よりこの状態であれば、万が一禪院全に術式を根こそぎ奪われたとしてもそれで死を迎えることはない。

 さらに、全と対峙する際に「分身体」だけを向かわせれば、物理的に魂の根幹を簒奪されること自体が不可能となる。完璧なメタ対策だ。

 ただし、なにもしなくとも同化失敗に終わると知っていれば紙袋の男の一つ前、最後に経由する肉体をもっと吟味する時間はあったはずだ。

 

「となると、次にすべきは……」

 

 羂索は、自身の胸に手を当てた。

 禪院全以外には乗り移れない。ならば、彼がいずれ全の肉体を奪うその日まで、この受肉体を()()()()にカスタマイズしておく必要がある。

 正直この肉体、術式は破格にもほどがあるが、この肉体の外見は好みではなかった。これではややモチベーションが下がってしまう。

 

「そうだね」

 

 羂索が己の魂の形を強くイメージし、呪力を練り上げる。

 受肉体とは、魂の形に肉体が引っ張られるもの。通常の呪霊や受肉者なら無意識に行われるその現象を、羂索は高度な呪力操作で意図的かつ劇的に促進させた。

 

 ミシッ……メキメキメキッ……!!

 

 アジトに骨と肉が軋み組み替わる異様な音が響き始めた。

 スキンヘッドの男の無骨な骨格が内側から砕け、縮み、そして新たな形へと再構築されていく。

 太く無骨だった腕が滑らかで白魚のような曲線を描き、肩幅が狭まり、逆に骨盤が豊かに蠱惑的に張り出していく。

 

「あァ……」

 

 喉仏が引っ込み、低かった男の声が、艶やかで色気のある女の吐息へと変わる。

 着ていたダークスーツが急激に変化する体型に耐えきれずにパツンと弾け、はち切れた。

 

 禿頭を突き破るようにして頭皮から漆黒の髪が滝のように溢れ出し、腰のあたりまでを覆い尽くす。

 そして――はち切れたシャツの隙間から、豊満すぎるほどに豊かな双丘がこぼれんばかりに主張を始めた。

 

 数分の後。

 骨肉の軋む音が止み、そこに立っていたのは先ほどまでのスキンヘッドの男の面影など微塵もない——息を呑むほどに美しい女だった。

 

 身長は優に百七十センチを超え、モデルのような長身。

 しかしその身体は決して細いだけではない。安産型と呼ぶにふさわしい豊満な尻と、シャツの胸元を暴力的に押し上げる巨大な乳房。

 漆黒の長い髪が、白磁のような肌を妖艶に彩り、切れ長の瞳が色香と底知れぬ狂気を湛えて怪しく光っている。

 

 そして何より――その艶やかな額にはやはり()()()が存在しなかった。

 

「……ふう」

 

 女――真の姿を取り戻した羂索は、破れたスーツを鬱陶しそうに脱ぎ捨てながら、己の豊かな胸の谷間と引き締まった腰のラインを確かめるように撫で下ろした。

 

「そうそう、私本来の体はこんな感じだったね」

 

 蠱惑的な赤い唇から、妖艶な微笑みがこぼれる。

 

「千年ぶりじゃ、我が身ながらさすがに印象が薄れてしまったよ」

 

 受肉を利用した、魂の形による肉体の完全な上書き。

 かつて平安の世で暗躍していた頃の、羂索という存在の()()()()()に最も近い姿。

 禪院全の簒奪を警戒したからこその受肉という手段が、奇しくも彼女に長らく忘れていた己の真の姿を現世に呼び覚まさせたのだ。

 

「さて」

 

 黒髪の美女は、豊満な胸を大きく揺らして背伸びをし、妖しく目を細めた。

 

 五条悟の覚醒。

 星漿体の生存。

 禪院全の覇道。

 

 盤面はかつてないほどに複雑怪奇に入り乱れ、千年の黒幕ですらコントロールしきれないほどの熱を帯びている。

 

 ——だが、だからこそ面白い。

 ——だからこそ、真なる混沌へと至る道は開けるのだ。

 

「心機一転、頑張りますか」

 

 誰もいない地下室で、妖艶な美女の姿をした羂索は、クスクスと、愛らしい少女のように――そして底知れぬ化け物のように笑った。

 

 五条悟をどう封じるか。禪院全という特異点をどう利用し、あるいは奪うか。

 そして、未だ幼い宿儺の器をどう扱い、いつ、どう用いるか。

 考えなければならないことは、山ほどある。

 

 そう言って女は――羂索は、破れた衣服の隙間から蠱惑的な素肌を惜しげもなく晒したまま、次なる千年計画の「大幅な修正」へと、心底楽しそうに着手し始めたのであった。




■六眼と天元、そして星漿体の因果
途中までは頑張っていた。
五条悟の覚醒をより強く促し、魔虚羅を撃破させた。
最後の最後に因果(のろい)を断ち切ったのは、因果の外の呪力から脱却した存在——ではなく()()()()()()()
言うまでもなく、一番大きな要因は、天元その人の決断。
そもそも盤星教が星漿体の抹殺ではなく保護隔離を選択したならそれに味方をした、と言っていましたが。その決断に至った理由、その最大の要因は()()()にある事だけをここに明かす。
あと単純に理子ちゃんに生きてて欲しいってのと、羂索に骨折り損させたかった。
■紙袋マンの正体
自力で覚醒したアルティメット紙袋マンでもなく、暗躍する禪院全でもなく。
紙袋マンに受肉した羂索でした。
羂索を選択した人、正解! 全、想像以上に怪しすぎた!

全「心外だよねえ」

■明かされてる範囲でまとめると
目的は無論同化の阻止であり、星漿体及び五条悟の抹殺。
禪院全という特異点は性質上時間が経てば経つほど強くなり、その性質から羂索が必要な計画のパーツを根こそぎ持っていってしまう。しかも不老。
時間はもはや羂索の味方ではなく、大敵となってしまった。
故に今回は大きなリスクを払いつつ、同化阻止チャレンジに自ら乗り出す。
二度目の敗北では赤子の状態で六眼を根絶やしにしたが直前になって現れた。
今回は新しく現れる余地が無いタイミングで六眼を確殺することを選択した。
その方法は400年前の御前試合の如く魔虚羅をぶつけること。
まず、全と接敵すると即死するし、術式持って行かれて全部台無しになるため、羂索が取った第一の策は『受肉』。
受肉することで、術式が無くとも生きながらえる事ができるようになる。
しかしそれでも術式を奪われては問題だ。
そこで受肉先の肉体にUR術式「分身」を持った紙袋マンを選択する。
これにより術式の簒奪そのものを封じたのである。
更にここで羂索は今後の動きで有利になるため『「脳移り」の術式を以後「禪院全」以外に対して行わない』という縛りを結んで色々とバフを受けることにした。そもそも全を相手にする限り脳移り使えないので実質ノーリスクながら長年やってきた事の実質的な封印であるため効率高し。
多分自身の呪物化の際には絶命の縛りを用いてなんやかんやしてます。

……で、実際に羂索の行動は今回の同化拒否にあまり関係がないことにします。
UR術式持ちを見つけたとはいえ受肉を急いだ事、貴重な十種使いの遺物を無駄に一つ使用したこと、その他諸々全部先走ってしまいました。
背水の陣敷いて必死こいた結果五条悟を覚醒させただけの結果に終わったと。
まさに骨折り損のくたびれ儲け、どころか大損です。笑っちゃうよね(タハー

因みに25代目の死に羂索は関わってないとします。
そこまでは基本的に概ね原作筋に近い動きをしていたとし、別にわざわざ手札使って葬る必要性もそんなに感じないので。

■シン・羂索
全を乗っ取れるその日まで体がツルッパゲの紙袋マンってのはなのはあんまりなので、せっかくですし、完全受肉ということにして『羂索女性説』を採用し、ケツとタッパとチチがデカい美女になってもらいました。
完全受肉による回復が勿体無い? まあ術式からしてまずは致命傷を負うこともないしモチベーションのほうが大事ということで……。

多分今説明できる範囲はこれくらいですかね?
何か不足あればまた必要に応じて書き足すかもしれません。

全かな? 羂索かな? いや羂索だな? 傷がない!? という反応は概ね予想通りに得られて満足でした、受肉まで見抜いた方までいて感無量
しかし想像よりだいぶ全が疑われてて笑っちまいました、どんだけ信用ないのこいつ
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。