禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

15 / 26

――なあ、悟

彼の持っている術式の中に……()を繰るような術式は、あるかい



公開調伏編
15.簒奪者の共演劇-公開調伏会


 うだるような初夏の日差しが、山深く切り開かれた森の木々をじりじりと焦がしていた。

 禪院家の私有地――その最深部に建造された巨大なすり鉢状の演習場は、今、むせ返るような異常な熱気と、数千人を超える術師たちが無意識に放ち結界内に充満する濃密な呪力の残り香によって、肺が押し潰されそうになるほどの息苦しい密度に満たされていた。

 

 広大な演習場の底を見下ろす階段状の観覧席では、主催たる禪院家の女中たちや、下級部隊である『灯』の面々が、黒い羽織を翻して忙しなく客の誘導や警備に追われている。

 だだっ広い空間に何重にも張り巡らされた、空気が歪むほど強力な結界群。それは、これからこの中心で執り行われる()()が、いかに常軌を逸した凄まじい暴力であるかを、否応なく観衆の皮膚へと実感させていた。

 

 「なにか、とてつもない歴史的な事象が起きる」。その予感だけで、誰もが胃を締め付けられ、固唾を呑み、肌を粟立たせている。

 

 だが、異様なのはその熱と異常な殺気だけではない。演習場に集った()()こそが、現在の呪術界が抱える静かな狂気を如実に表していた。

 

 特等席の中心、最も見晴らしの良い場所に陣取っているのは、呪術界の最高権力機関たる総監部の重鎮たち。

 本来ならば杖をつき、死の影に怯えながら日々を過ごす年齢の老人たちなのだが、今の彼らは揃って背筋をしゃんと伸ばし、老いを押しのけるほどに精気と張りのある顔つきで歩いている。

 深く刻まれていた皺は顔のたるみの軽減とともに薄くなり、白髪は艶をとり戻し、爛々と輝く瞳からは野心すら滲んでいた。禪院新当主がもたらした『寿命の販売』という禁忌の商い。それが呪術界の上層部をどのように支配し、どれほどおぞましくも絶対的な恩恵を与えているかの明確な証明がそこにあった。

 

 その隣の区画には、御三家の一角たる加茂家――当主から幹部、さらにはこれからの次代を担う若き天才たちまでが、一様に硬い表情でずらりと顔を揃えている。

 その反対側には、数年後には子息へ家督を譲ることを決めている五条家当主をはじめ、幹部一同と分家の若い衆までが、屈辱と敗北感を隠し切れない複雑な顔色を浮かべつつも勢揃いしていた。

 

 御三家交流会ですらないというのに、各家の主要人員が、さらには総監部のトップ層までもが一堂に会している。それだけでも歴史的異常事態だが、狂騒はこれで終わらない。

 狗巻家や西宮家といった、御三家と比べれば細々とした呪術宗家の一同。

 さらには東京、京都のみならず福岡校まで含めた各地の呪術高専の関係者や生徒たち。

 おまけにフリーの呪術師たちまでもがこの歴史的瞬間をその目に焼き付けるべく大挙して押し寄せているのだ。

 

 まさに、事実上の『日本呪術界サミット』であった。

 日本の呪術界を構成する最重要人物から末端の学生に至るまでの層が、たった一つの極上にして最悪の見世物のために集結している。

 

 八握剣異戒神将魔虚羅の公開調伏会。

 

 御三家相伝の奥義にして、呪術の歴史上においてあの六眼かつ無下限の術師を葬ったとされる「最強の式神」。

 それを誰の目にも明らかな白日の下に引きずり出し、己の絶対的な力を見せつけるための見世物(ショー)にする。

 その神将殺しの儀式を観衆として見届けるという純粋な熱狂と畏怖が、数千の呪術師たちをこの山奥のコロッセオにすし詰めにしていた。

 

 もし仮に今、ここで大規模な結界の暴走や呪詛師の自爆テロでも起ころうものなら、文字通り日本の呪術界は指導層の大半を失い、再起不能の大惨事となる。一瞬にして国は崩壊するだろう。

 しかし、そんな杞憂は誰一人として欠片も抱いていなかった。

 こんな強者だらけの巣窟に単騎で飛び込むほどの気概を持つ呪詛師など、この狂騒の主催者たる()()()への捧げ物として、とうの昔に根こそぎ狩り尽くされ、金と寿命の資源としてミイラにされ尽くしているからだ。

 今の呪術界は、全というただ一個の絶対的な暴力によって、皮肉にも過去数百年の歴史でかつてないほどの完全なる「治安の良さ」と「均衡」を維持していた。

 

 そんな、むせ返るような恐怖と興奮がないまぜになった観客席の片隅。

 御三家の重鎮たちが威儀を正して並ぶVIP席から遠く離れた一般立ち見エリアの最奥に、呪術高専東京校二年の三人、五条悟、夏油傑、家入硝子の姿があった。

 

「うっわー、人多っ。呪力が混ざりまくってるしなんか空気薄いわ、マジで」

 

 本来ならば五条家の次期当主として特等席のど真ん中に座るべき分際でありながら、一族のしがらみを完全に無視して級友たちとつるんでいる悟が、丸いサングラスをわずかにずらして周囲を見渡しながら、心底嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「そりゃ空気も薄くもなるだろうよ。日本の呪術師の何割がここに集まってんだって話だし」

 

 隣で制服のポケットに手を突っ込んだ硝子が、気怠げに返す。彼女の目もまた、VIP席でふんぞり返る異常に若々しい総監部の老人たちの異様さを見て、微かにすがめていた。

 

「にしても、悪趣味だねぇ。あのジジイども、禪院の当主から寿()()を買ってあんなにピチピチになってるんでしょ? 権力者が不老長寿を手に入れたら、世の中本格的に終わる予感しかしないんだけど」

「別にいいんじゃね? どうせ偉ぶってるだけのジジイが若返ったところで、中身はポンコツのままだろ。むしろ、あの胡散臭い禪院の当主サマが、これからどんな大道芸を見せてくれるかの方がよっぽど見物だわ」

 

 悟がニシシと凶悪な笑みを浮かべる。先の星漿体護衛任務の最後に魔虚羅を単独撃破し、反転術式虚式『茈』まで会得して覚醒した彼は、今や揺るぎない「最強」の絶対的な自信に満ち溢れていた。

 

 だが、そんな気安く軽口を叩き合う二人の横で。

 夏油傑は、欄干に両肘をついたまま、未だ誰も足を踏み入れていない巨大な演習場の底を、静かに、そして鋭利な刃のような眼差しで見つめていた。

 

「……傑? どうした、そんな怖い顔して」

 

 硝子が呆れたように声をかけるが、傑の視線はすり鉢の底から一ミリも動かなかった。

 

「……いや。少し、興味があってね」

 

 傑は静かに口を開いた。

 

「禪院全――今の呪術界の在り方を、たった数年で完全に作り変えてしまった、革命児にして特異点。私はまだ、直接彼の顔を見たことがないんだ」

 

 傑の脳裏をよぎるのは、星漿体護衛任務での出来事だった。

 自分たちを襲ってきた、あの紙袋の呪詛師。分身の術式に加え、戦闘の最中に二つ目の術式、重力操作を行使してきたあの異常な男。

 後天的に複数の生得術式を有する異常。それが、「術式の売買」という事業を公然と行っている禪院全の関与によるものだという疑念は、夜蛾からの抗議文としても禪院家に叩きつけられた。

 

 それに加えて、あの任務中に共闘した禪院直哉が誇らしげに放った言葉。

 『死んどったらただのゴミやけどな、生きとったら術式も寿命もぜーんぶ絞れる立派な資源や』。

 呪詛師を、同じ人間を()()として徹底的に搾取し、すり潰し、利益に換える。自分たち呪術師の根源的な目的であるはずの「非術師を守る」という大義すらも、彼にとっては全てを回すための商売のエコシステムの一つの歯車に過ぎない。

 

 傑が幼い頃から信じ続けてきた「弱きを助けるヒーロー」という泥臭くも純粋な理想とは、あまりにもかけ離れた、冷酷で暴力的な合理主義の極致。

 しかし一方で、その非情なシステムの構築によって呪詛師の活動は歴史上類を見ないレベルで沈静化し、多くの一般人が間接的に命を救われているのもまた、誰も否定できない動かしがたい事実であった。

 

「あの男が、善なのか悪なのか。呪術界の救世主なのか、それとも……世界を喰い潰す最大の呪いなのか」

 

 傑の漆黒の瞳の中には、明確に警戒と、それを上回るほどの抗いがたい探求心が渦巻いていた。

 

「この目で見定めてみたいんだよ。……寿命と術式を売り捌き、呪詛師を資源として貪り、そしてこれから悟ですら死にかけた八握剣異戒神将魔虚羅を余興として叩き潰そうとしている怪物が……一体、どんな人間なのかをね」

 

 傑の捻れた感情のこもった言葉に、悟もサングラスの奥の六眼を静かに輝かせ、演習場の底へと視線を落とした。

 地響きのような観衆のざわめきが徐々に、徐々に、狂気じみた一方向への熱に収束していく。空気がビリビリと震え、誰かが息を呑む音が異様に大きく聞こえた。

 

 ――来る

 

 千を優に超える呪術師が視線を注ぐ、その演習場の中心へ向けて。

 今まさに、一人の男が足を踏み入れた。

 

 『調伏の儀』の余波が外へ漏れ出ないよう、無数の呪符つきの楔やしめ縄が張り巡らされ、何重にも厳重に構築された特殊な結界。

 その最深部となる広場の中心へ向けて、男は一人散歩でもするかのように悠然と歩みを進めていく。

 

 男が一歩踏み出すごとに、大見世物への興奮と熱狂でざわめいていた会場から、さあっと波が引くように音が消え失せた。

 数千人の呪術師たちが、一斉に息を呑み、金縛りに遭ったかのように完全に沈黙する。

 畏怖、感謝、崇拝、恐怖、そして――途方もない悍ましさへの悪寒。

 あらゆる感情の重い視線を一身に浴びながらも、男は微風すら感じていないかのように涼しい顔で歩を止めない。

 

 彼こそが、今この呪術界の中枢神経(システム)だった。

 天性の術式に恵まれなかった者、あるいは更なる高みを目指し力に飢える術師ならば、必ず一度はその前に頭を垂れる。

 莫大な対価、あるいはいずれ訪れる己の()()に術式を売り渡すという狂気の契約と引き換えに、新たな力を授かりに向かうのだ。

 いずれ後世の呪術界において「術師に在らば一度は必ず禪院へ参るべし」などという言葉が出来上がってもおかしくないほどに、彼は「力と寿命を取引するインフラ」として、この狂った呪術界の根底へ禪院家の名を、そして己という存在を深く、深く刻み込んでいた。

 

 呪術界の全てを己の掌上で転がす、最悪の盤面支配者にして特異点。

 ――禪院全が、姿を現した。

 

「やあやあ、皆さんお集まりで」

 

 静寂に包まれた広大なすり鉢状の演習場に、涼やかな青年の声が響き渡った。

 何らかの結界術式、あるいは音声を媒介する術式によるものか。これだけ広大で、全から遥か遠く離れた客席にまで、その声はこの場に集った数千人の全術師の耳へ、すぐ隣で囁かれているかのようにはっきりと、それでいて心地よく響き渡った。

 

「それぞれお忙しい中、この禪院家主催『魔虚羅公開調伏会』にご足労いただき、誠に感謝するよ」

 

 声の主――結界の中心に立つ禪院全は、遠く離れた観客席へ向かってパチンと軽くウインクを飛ばすような余裕の仕草を見せた後、くるりとその場で一回りして観衆全員へ向かって優雅に微笑んだ。

 

「さて、本題に入る前に。先日、この呪術界において非常に大きな出来事が起きたことは、皆さんもとっくにご存知だろう。星漿体の同化拒否と、総監部による正式な承認。それにより、天元様はめでたく()()されたそうだ」

 

 その言葉に、観客席のあちこちでざわめきが起きる。天元の進化は、一歩間違えれば防壁の崩壊や人類への脅威となり得た大事件だ。

 

「だが、安心してほしい。危惧されていたような暴走などは一切起こらず、天元様は今も穏やかにこの日本の呪術界の結界管理をされている」

「――進化による暴走を望み、凶行に走った呪詛師の方々は、ご愁傷さまといったところだね。まあ、呪詛師集団『Q』に関しては、うちが解体してありがたく資源化させてもらったけど。……あぁ、Qの連中からいくつか使い勝手のいい術式が手に入ったから、購入希望の人は後で商談においで」

 

 この呪詛師暗黒時代において日本最大規模を維持していた集団の壊滅を、まるで「新作の在庫が入荷した」かのように語り、その場で新商品の宣伝をさらりと済ませる全。

 あまりにも常軌を逸した新当主の振る舞いに、総監部の老人たちは苦笑し、他の術師たちは絶句するしかない。

 命のやり取りすらも、彼にとっては単なる商材なのだ。

 

「……さて、商売の話はここまでとして」

 

 全の纏う空気が一瞬にして刺すような冷たく、重いものへと変わった。

 

「その星漿体同化に伴って、あの日は都内にとても厄介な呪詛師が現れたようだね。紙袋を被った呪詛師。彼はなんと高専の特級術師二人と、当家の若く優秀な特別一級術師を同時に相手取り、翻弄し逃げおおせたというんだ」

 

 全がパチン、と指を鳴らす。

 次の瞬間、演習場の何もない空間が陽炎のように大きく揺らぎ、巨大な虚像(ビジョン)が空中に投影された。

 そこに映し出されたのは実際に現地でその呪詛師と対峙した禪院直哉の記憶から全が直接引きずり出して構築した一人の男の素顔だった。

 直哉の黒閃により暴かれた呪詛師の顔は、こうして呪術界すべてに晒されることとなった。

 

 ――実質的な公開指名手配だ、とその場に居合わせた誰もが理解した。

 

「そう、この男だ。彼が見せた手妻は、本当に恐ろしいものだったそうだよ」

 

 空中に男の顔を大写しにしたまま、全は芝居がかった手振りで語り続ける。

 

「この男は降霊術と分身術式を組み合わせた抜け穴を利用して、あろうことか当家の八握剣異戒神将魔虚羅をノーリスクで呼び出してみせた」

 

 その名が出た瞬間、会場中から息を呑む短い悲鳴がいくつも上がった。

 魔虚羅。呪術の知識を学ぶ者ならば、資料や伝承から概ね把握している。

 それが禪院家相伝『十種影法術』に内包される最強の式神であり、歴史上一度も調伏されず、その理不尽なまでの強さで六眼と無下限の抱き合わせたる五条家の当主すらも相討ちで葬り去ったとされる絶対の()()であることを。

 

「この式神は途方もない、本物の化け物だ。由々しき事態だとは思わないかい? 我が禪院家の歴代当主の誰もが調伏できなかった究極の力を、どこの馬の骨とも知れないこの呪詛師がいとも簡単に使役してしまっているという事実」

 

 巨大に引き伸ばされた男の虚像が、静かに観衆を見下ろしている。

 神殺しの力を行使する最悪の呪詛師が、現在も野に放たれているという底知れぬ事実に、会場の呪術師たちは改めて震え上がり、ごくりと唾を飲んだ。

 

「お恥ずかしながら……先日、我が禪院家の墓所が暴かれ、『十種影法術』を身に宿した歴代当主たちの遺骨が持ち出された」

 

 全の口から放たれた衝撃の事実に、観客席に一層のどよめきが走る。

 本来、御三家の墓所が暴かれ遺骨を奪われるなど、一族の根幹を揺るがす前代未聞の不祥事であり、隠し通すべき最大の「恥」である。それを大衆の面前で堂々と公表するなど、名門の長としては狂気の沙汰だった。

 

「降霊術の触媒として加工するにも、ある程度の量は必要になる。呪術師は五体満足に墓に入れる事は少ないとしても、奪われた質量から導き出される最悪の予測……この指名手配犯は、最大であと()()、あの魔虚羅を解き放てる」

 

 あえて自派閥の恥を痛痒も感じていない様子で晒しつつ、日本全土の呪術師たちに最悪の危険を周知する全。

 本来ならば、一族の管理責任を問われ、総監部や他家から非難轟々になってもおかしくない失態の告白である。

 

 だが、その言葉を放つのが他ならぬ()()()であるという圧倒的な暴力の事実が、この場から一切の抗議の声を奪っていた。

 彼の不興を買う真似ができる呪術師など、現在の呪術界には存在しない。せいぜい、彼がもたらした不老長寿や術式という恩恵を頑なに無視し続けている、五条家の一部術師くらいのものだ。

 しかし、その五条家ですら他の術師たちが完全に全の威圧感に呑まれているこの場においては、同調者を得られず嵐が過ぎるのを待つことしかできなかった。

 

「……五回。あと五回も、かの最強の式神が世に顕現される可能性がある」

 

 全はゆっくりと演習場の底を歩きながら、拡声された声で全体へ語りかける。

 

「その式神を用いたテロが行われる場合、狙われるのは『呪詛師が排除したくても排除できない規格外の強者』だ。……例えば、特級呪術師の九十九由基。夏油傑。五条悟。そして――特別特級術師たる、この僕がターゲットとして選ばれる可能性が極めて高い」

 

 名指しされた四人の強者たちの名に、観衆は沈黙の中で生唾を呑み込む。

 今の呪術界において、その四名はまさに国家の屋台骨であり、頂点に立つ特異点だ。もし彼らの誰かがテロの標的となり、一瞬で葬り去られるような事態があれば、その損失は計り知れない。

 

「もっとも」

 

 緊迫した空気の中、全はふと口元を緩め、からかうような視線を遠くの立ち見エリアへと向けた。

 

「あの五条家のお坊っちゃんは、あの日の対峙で既にこの式神を()()()打ち破ってしまっているようだけどねぇ」

 

 その言葉は、数千人の呪術師たちにあらためて落雷のような衝撃を与えた。

 五条悟が「最強」に成り得る逸材であることは、彼が生まれた日からの呪術界の共通認識だった。並び立つ者のない天性の才を誰もが知っていた。

 しかし、呪術の歴史書を紐解けば、かつて彼と全く同じ『六眼と無下限呪術』を併せ持った五条家の当主は、この魔虚羅の前に相討ちとなり死亡している。

 

 神の如き最強の式神。それをあの若さで、単独で打ち破っているという事実。

 過去の歴史の限界を超え、前人未到の神域へと到達した本物の最強が存在するという事実に、会場中の数千という視線が一斉に、畏怖と畏敬を込めて立ち見エリアの悟へと向けられた。

 

「やれやれ。あの当主サマ、絶対面白がって言ってるね」

 

 周囲の術師たちがざわめきながらサァーッと道を開け、自分に畏怖の視線を向けてくる中、悟はうっとうしそうにため息をつくと、丸いサングラスの奥から戯けたようにわざとらしく肩をすくめてみせた。

 数千の視線が突き刺さるその状況下で、いつも通りの無邪気な反応を見せているのは悟だけであった。

 

 隣に立つ夏油傑は、周囲の視線など全く目に入っていないかのように、息を呑んだまま真っ直ぐに演習場の底を見下ろしている。

 

「……さて。先ほど幾人かの名前を挙げたが、この中で今後最もそのテロの対象となりやすいのは誰か。()()()()()()()()()()()()()()

 

 再び広場に響き渡った全の声に、観衆の意識が演習場の底へと引き戻される。

 

「呪詛師を狩り集めては術式を取り上げ、この呪術界全体で共有し、総合力を高め続けている。当然、今の僕の存在は裏社会の連中にとって最も忌々しく、絶望的なものだろう。……自分で言っちゃなんだけど、僕が居なくなるだけで日陰に追いやられ地を這う呪詛師たちはかつての勢いを取り戻すだろう。それ故に、彼らは必死こいて僕を呪い殺したがっている」

 

 自分自身への殺意を、まるで明日の天気を予想するように軽やかに言い捨てる全。

 だが、観衆にとってその言葉は決して笑い事ではない。全が作り上げた特異なインフラの上に、今の圧倒的な治安と彼ら自身の保身が成り立っているのだから。

 

「――だからこそ、そんな僕が『呪詛師の使役する魔虚羅にやられるかもしれない』と、夜も眠れないほど不安に思っているチキンな大物もいるんじゃないかな?」

 

 全はそう言うと、特等席で固まっている総監部の老人たちをちらりと見上げ、悪びれる様子もなく悪逆な笑みを浮かべた。

 その氷のような視線を受けた老人たちは、図星を突かれたようにビクッと肩を震わせる。全というインフラの損失は、そのまま彼らの不老長寿の供給が永遠に絶たれることを意味し、さらには呪術界全体へ壊滅的な打撃をもたらす事態となるからだ。

 

「……当代の禪院家当主たるこの僕が、底辺の呪詛師なんぞが操る魔虚羅にやられるなんて。そんなの、皮肉を通り越してただの三流ギャグだよね」

 

 クスクスと、全の喉の奥から絶対的な余裕に満ちた笑い声が漏れる。

 誰も笑えないその冗談に、数千の呪術師たちが冷や汗を流しながら固唾を呑む中、全はふっと笑みを消し、静かに両腕を横に広げた。

 

「……でも、安心していい。そのつまらない不安を今日、この場で完全に払拭するために。皆さんにはここまでお集まりいただいたんだからね」

 

 全の朗々とした声が、演習場を包み込むように反響する。

 

「今日、我が禪院家の長い歴史の中で――史上初となる『八握剣異戒神将魔虚羅』の調伏が、この場で成される」

 

 誰もが、息を止めた。

 六眼と無下限呪術の抱合せすら相討ちに持ち込んだ、強大すぎる最強の式神。歴代十種影法術使いが幾度挑めど、ことごとく無惨に散っていった絶対不可侵の存在。

 だが、全の言葉には、そんな懸念を微塵も挟ませない絶対の自信――否、もはや傲慢とも呼べるほどの確信が漲っていた。

 

「この、禪院全の御手によって。圧倒的にね!! 皆さんには、その新しい()()()()()()となっていただく!!」

 

 誇張のない、確定した事実のような宣言。

 観衆のボルテージと緊迫感が限界まで高まり、結界内の空気がパキパキとひび割れそうなほどの重圧に満ちる。

 しかし、全はそこで不敵な笑みを浮かべ、さらにとんでもない言葉を重ねた。

 

「そして――ただ調伏するだけでは、最高の大見世物としてあまりに退屈だ。皆さんご存知の通り、僕は領域展開を使える。だが……」

 

 全は、ニィッと三日月の如き暗黒の笑みを深く刻み込んだ。

 

「今回の調伏の儀式において、僕は()()()()()()()使()()()()()ことを自らへの縛りとする!!」

 

 その瞬間、数千人の呪術師たちから一斉に悲鳴にも似た、鼓膜を劈くような衝撃のどよめきが弾けた。

 領域展開。それは呪術戦における頂点であり、術師が持つ必殺必中の最大の奥義である。ましてや、相手はいまだ誰も調伏したことのない最強の神将。

 いかに自らに課した「縛り」によって一時的に能力の向上が得られるとしても、最大の切り札を自ら手放すなど狂人か自殺志願者の選択に他ならない。

 

「な、何を考えている……! 禪院全は狂ったのか!」

「領域もなしで、かの式神と真っ向からやり合うというのか……!?」

 

 常軌を逸した宣言に、広場は騒然とした空気に包まれる。

 その混乱と畏怖の坩堝の中心で全は一人、極上のショーの幕開けを喜ぶ猛獣のように、喉の奥から低い嗤い声を漏らしながら言葉を続けた。

 

「何、単純な理由さ。領域なんて結界で覆ってしまったら、皆さんに決着の最高に面白い瞬間を外側から見ていただけないからね」

 

 ただ観客に見世物(ショー)のすべてを隈なく披露したいという、それだけの理由。

 自らの身と、場合によってはこの場にいる数千人の命すら丸ごと巻き添えにしかねない死合いにおいて、そんなふざけた理由で切り札を捨てる。

 その異常な傲慢さとそれを成立させるであろう底知れぬ実力への恐怖に、観衆はもはや返す言葉すら見失い、ただただ戦慄するばかりであった。

 

「……さて。前置きも十分に済んだことだし、そろそろ始めようか」

 

 そう言って、全は演習場の真ん中で、静かに佇んだ。

 

 そして、おもむろに右の拳を、左腕の内側へと真横に押し当てる。

 それは、十種影法術における最も神聖にして、血塗られた歴史を誇る最も忌まわしい調伏の布陣。

 数千の視線が一点に集中する中、全の唇から、重々しい言霊が紡がれた。

 

「――布瑠部由良由良(ふるべ ゆらゆら)

 

 ゴオンッ!!

 

 全の足元から、文字通り空間の底が抜け落ちたかのような錯覚とともに、異常な密度の影が爆発的に膨れ上がった。

 それはただの影ではない。どす黒い呪力の泥流が巨大な津波となってすり鉢状の演習場を瞬く間に埋め尽くし、轟音を立てて渦を巻き始める。

 飲み込まれれば即座に生ける屍にされるほどの狂気的な呪力の波濤。だがそれは、観客席と演習場を隔てる何重もの結界の境界線でピタリと止まり、水際で凪のように張り付いた。

 結界の向こう側にいる聴衆の足元には、数ミリたりとも届かない。

 

 それは、「万が一があっても、手さえ出さなければ絶対に巻き込まれない」という全の絶対的な支配力と傲慢な保証が、視覚という暴力を以て証明された瞬間であった。

 

「――八握剣(やつかのつるぎ)

 

 ズズズズズッ……!!

 

 全の背後、逆巻く漆黒の影の海の中から、巨大な繭のような形の()()がせり出してくる。

 周囲の光を全て捻じ曲げるような圧倒的な質量。天地を繋ぐように虚空から垂れ下がった無数の呪力の糸と、血のようにおどろおどろしい呪文が隙間なく書き込まれた分厚い拘束布。

 それらによって何重にも雁字搦めに封印された、白く不気味な巨大な異形。

 繭が脈打つたびに、演習場全体が巨大な心臓のように大きくドクン、ドクンと嫌な振動を繰り返した。

 

「――異戒神将(いかいしんしょう)

 

 次の瞬間。

 封印の要であった分厚い布が、内側からメリメリと音を立てて引き裂かれた。

 露わになったのは、常理を逸した特級呪霊すら赤子に見えるほどの、途方もない呪力の奔流。そして、裂け目から覗く、太く鋭い牙が狂暴に並ぶ巨大な口。

 

 バァァンッ!! バチィィンッ!!!!

 

 空間が物理的に弾け飛んだ。

 落雷のような破裂音とともに虚空の糸が次々と千切れ飛び、拘束布が粉微塵に吹き飛ぶ。

 そこから現れた、顔面から生えた四本の白い『翼』が、台風を一撃で巻き起こすかのように周囲の空気を暴力的に薙ぎ払い、天高く広がった。

 筋骨隆々とした、神の彫刻のように不気味で完璧な白い肌の巨体。神々しくも禍々しい異形。

 頭上に浮かぶ、あらゆる事象への適応を司る、不気味に回転を待つ法陣。

 そして太い右腕に括り付けられた、あらゆる呪いを一方的に打ち砕く絶対の刃――退魔の剣。

 

「――魔虚羅(まこら)

 

 ズォォォォォォォン……ッ!!

 

 大地が悲鳴を上げ、天が震えた。

 魔虚羅がその二本の足で演習場の大地に降り立った瞬間、すさまじい呪力の波動が衝撃波となって周囲の結界を叩き、数千の観衆の息を根こそぎ奪い去った。

 強者ぞろいの特等席の術師たちですら、巨大な神殿が顕現したかのようなその威圧感の前に誰一人微動だにできず、本能的な恐怖に全身の毛を逆立て、冷や汗を流すほかなかった。

 

 今ここに、禪院家の歴史上誰も御し得なかった神殺しの怪物にして、十種影法術最強の式神が、その絶対的な威容と暴力のすべてを世界に見せつけるように、完全に顕現したのである。

 

 

***

 

 

「うっわー……なにあれ、えっぐ……こっわ」

 

 眼と鼻の先に顕現した化け物の威容に微かに震えながら、硝子が呟いた。

 主に後方支援の治癒に当たる本業から、彼女は他の二人に比べて呪霊との戦闘経験も比較的浅い。

 ましてや特級呪霊すらも凌駕するような怪物を目の前にお出しされたら、基本肝の太い彼女でも流石に本能からビビるほかなかった。

 

「大丈夫だよ硝子。もう倒し方わかってっからさ」

 

 そんな彼女を安心させるように、悟がいつもの飄々とした調子で声をかけた。

 彼にとって、あの怪物は既に一度()()()()()だ。未知への恐怖はとうに剥がれ落ちている。

 

「もしあの自惚れた当主サマがトチって死んでも、俺がパパッと始末はつけられるしね。……まあ、あの結界の性質からして、少なくとも今の魔虚羅からこっちは視えてないだろうけど」

「視えてない?」

「ああ。とにかく、余程イレギュラーな事態がなければ、わざわざ暴れてあの堅牢な結界を破ってこっちに出てこずに、当主を仕留めたらその場で帰るさ」

 

 悟の蒼い六眼は、分厚い呪符と幾重もの結界術によって構築された演習場の()の構造を正確に読み取っていた。

 あれは禪院家の長い歴史の中で、調伏の儀の為に作られた結界だ。全の「手さえ出さなければ巻き込まれない」という観衆への保証はハッタリではない。あの空間は、魔虚羅という死神と全を二人きりにするための、完全なるコロッセオとして機能しているのだから。

 

 そして、『六眼』を持つ悟には、結界の構造だけでなく、そのコロッセオの中央に立つ全の()()()もまた、誰よりも克明に視えていた。

 

 悟の眼に映る禪院全という男の肉体は、もはや人間のそれではない。無数に蠢き、重なり合う生得術式の塊であった。

 幼少期に御三家交流会で初めて彼を見た時と同様、ストックされている術式の大半は取るに足らないゴミだ。しかし、今の全にあって当時の全になかったもの――あのゴミ山の中には今、とんでもないレア物がいくつか紛れ込んでいる。

 

 ——呪霊操術、そして啜命呪法

 

 その二つは、強者である悟から見ても特にヤバい代物だった。

 前者は言うまでもなく、術師としてそれを一つ持っているだけで無条件で特級認定されるような規格外の術式だ。

 後者に至っては、他者の寿命や生命力を変換し操るという、長い呪術の歴史の中でも元の持ち主たる呪詛師『烏丸蘇枋(からすますおう)』以外の使い手が果たして見つかるかどうかすら疑わしい代物である。

 

 そして何よりおぞましいのが、多種多様なそれらのレア術式を統括し、己に縛り付けるためのハブとして機能している全本来の根幹能力――『簒奪呪法』だ。

 他者の術式を肉体から安全に引き剥がし、生得領域へと置き場を変えて保存するという、神が定めた()()()()()()()()()()()()()を根底からハックする理外の術式。

 レアリティ(希少性)という一点においてのみ測るならば、それらは五条家が数百年の時を経て顕現させた『六眼と無下限呪術の抱き合わせ』よりもよっぽど希少であり……何より、現在のこの呪術界全体へ与えている圧倒的な影響力がいまや強大すぎた。

 

「――なあ、悟」

 

 そんな風に、底知れぬ全の術式の深淵を六眼で検分していた悟に、隣から微かに震える声が掛けられた。

 

「彼の持っている術式の中に……()を繰るような術式は、あるかい」

 

 尋ねてきた傑の声と横顔には、これまでに見たことのないような深い動揺が刻まれていた。

 悟は怪訝そうに眉をひそめながらも、全の肉体に刻まれた無数の術式の中から該当するものを探し出す。

 

「ん? ああ……幾つかあるな。『呪糸操術(じゅしそうじゅつ)』とか。一番使い古されてて熟練度が高そうだけど……それがどうかした?」

「……いや。なんでもない」

 

 傑はそれ以上は何も答えず、ただ演習場の底に立つ『禪院全』の容姿を、穴が開くほどに見つめて黙り込んだ。

 呪糸操術。その名を聞いて、傑の脳裏には幼い日の記憶が鮮明にフラッシュバックしていた。

 

 『もう大丈夫。僕がいる』

 

 呪いが見えるせいで恐ろしい思いをしていた自分を颯爽と助け出し、見えざる糸の閃光で怪物を一瞬にして切り刻み、そして優しい言葉と共に消えていったあの日のお兄さん。

 あの日の出来事こそが、傑の中に「呪術師とは、弱きを助けるヒーローの如き存在なのだ」という強烈な憧憬と信念を根付かせた原点であった。

 

 仮にも人間である呪詛師を「資源」として徹底的に利用し、使い潰す冷徹な盤面支配者。

 しかし同時に、その非情なシステムによって呪詛師たちを日陰に追いやることで、一般人への呪いによる甚大な被害を激減させたという歴史的な功績を持つ男。

 傑が呪術界に入って以来ずっと複雑な思いでその行動とシステムを見つめ続けていた当代の禪院家当主の正体は――。

 

(……あなたが、あの日の)

 

 他でもない、傑の呪術師としての在り方を決定づけた、幼少期の()()その人であったのだ。




羂索「別にその顔は晒されても問題ないけどね」

■日本呪術界サミット
と言えそうなほど呪術師が大集合している。
御三家の相伝ともなれば知名度はあるだろうし、御前試合の一件で有名な気もするのと、なにより「禪院全の呼びかけ」であることで集まりが良かった。

■調伏の儀の為の結界
調伏の様子を見守る際に周りを巻き込まないようにするための結界であり、式神は中から外を確認することができず、巻き込み範囲も結界内に留まる。
魔虚羅も例外ではないが外からちょっかい掛けたら一発でガコンッするので注意。
内から外に影響を及ぼさない効果が高いので大体の流れ弾は防げる。

■禪院全
観客の領域展開を縛る宣言をした。
術式の能力は術式ではない、というのが私の認識なので、領域展開当てても適応を奪えたりはしません。しかし無数の術式で適応が追いつかないまま消し飛ぶまで滅多打ち、というのも一つの攻略法だと思うのでそれを縛る形。
基本的に目立ちたがり屋で見せたがり屋だと思います。

■夏油傑
ついに知ってしまった。


おまたせしました、魔虚羅公開調伏編です。
色々くっつけた結果、合計5話構成となりました。
残り四話、ぜひお付き合いください。

感想返し、全部する!主義だったのですが……流石にキッッッツ♡となったので、申し訳ありませんが、今後は目についた一部のみの返信とさせていただきます。
誠にごめんなさい。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。