禪院全「全ては僕の為に」 作:羂索ハードモード
――これはなんですか?
九十九由基によってもたらされた、禪院全という最凶の男の「巨女好き」というあまりにもナナメ上すぎる性癖の暴露。
その絶大すぎる変態的スケールの前に、夏油傑の心に落ちていた幼き日のヒーローとその正体の残酷なギャップという重く深刻な葛藤は、見事なまでにぶち壊されていた。
「……で。用はそれだけか?」
呆気にとられていた空気が一段落したところで、五条悟が呆れたようにため息をついた。サングラスの奥から、胡散臭げな六眼の視線が九十九に向けられる。
「特級のアンタが、わざわざこんな特大イベントの裏に顔出しに来た理由。まさか、あの変態当主の性癖リサーチ結果を俺たちに教えるためだけに進み出てきたわけじゃないだろ?」
「いいや。まあ、今のはただの笑える話の取っ掛かり、アイスブレイクってやつさ」
九十九はケラケラと笑いながら答え、それから少しだけその表情からおどけた色を消した。
「だよねー。どうせまた、あの
「まあね! 最も新しき特級術師ともなれば、やはり一度は直接意見を伺いたくてさ」
九十九の視線が、悟から隣の傑へと移った。突然特級の先輩から話を振られた傑は、怪訝そうに眉をひそめる。
「……私の意見、ですか?」
「そう。君たちも見てきただろう? 術式取引の開始による呪術界の戦力底上げに、寿命取引という総監部の尻を叩いて呪詛師狩りを活発化させる策、そして縛りによる呪詛師堕ちを抑止するシステムの完成。……これまでの保守的な上層部と違い、禪院全が刷新した新しき呪術界は、確かに効率的で被害を減らしている。でもね」
九十九は、傑の目を真っ直ぐに見据えて言い切った。
「やっている事は結局、
「対症療法……?」
「そう。呪霊が現れれば祓い、呪詛師が活動をすれば狩り、あるいは部品として資源化する。いくら狩る効率が上がって術師の死傷率が下がったとして、その
九十九は己の手をギュッと握り込み、熱を帯びた声で宣言した。
「私がやりたいのは
その壮大すぎる宣言に、傑は思わず目を見張った。
「呪霊が存在できない世界……そんな事、可能なんでしょうか」
「無理じゃない?」
傑の疑問に即座に被せるように答えたのは、家入硝子だった。彼女は面倒くさそうに首を振りながらあくびを噛み殺す。
「前に説明聞いたことあるけどさ、ただの机上の空論だし。聞くだけ無駄無駄」
悟もまた、硝子に同調するようにからかい半分の鼻で笑う。かつて特級である彼女の思想を聞かされたことのある夜蛾と悟にとって、それはスケールが大きすぎて非現実的な絵空事に過ぎなかった。
「そこ、うるさい! ……まあ、実際のところ難しいのは認めるよ」
茶化す二人をピシャリと一喝しつつも、九十九は苦笑するように肩をすくめた。
「まず、呪霊も呪詛師も存在できない世界を作る方法……その答えは、全人類から呪力を消し去る事! 全員が完全に呪力を持たない一般人になれば、人間の呪力が漏出することもなくなり、呪霊はそもそも誕生できない。そして当然、呪力を持たない以上、悪意持つ人間も呪詛師たり得ない!」
人類全体からの呪力の奪却。
それは、呪術界の根幹を成す「呪力」という概念そのものを世界から消し去ろうという、あまりにも途方もない思想であった。
「……なるほど。確かに理屈の上ではそうですが、人間から呪力を完全に無くすなんてことが」
「これには、完璧なモデルケースが居てね」
傑の疑問を遮るように、九十九は人差し指を立てて笑った。
「ショウの後、禪院全の背後に影のように控えていた大男を見たかい? ――現禪院家の当主の懐刀である、禪院甚爾。彼は天与呪縛によって一切の呪力を持たない、完全なるフィジカルギフテッドなんだ!」
「あー……そういや、やたらガタイのいい男が居たね。呪力を全く感じなかったから、まさか一般人を連れ込んでるのかと首を傾げたけど」
悟が顎に手を当てて思い出すように言う。直接の接点こそ一切ないものの、あの特異点である全の背後に堂々と立っていた男の異質さは確かに悟たちの視界の隅に引っかかっていたのだ。
「天与呪縛によって一般人並の呪力となるケースはこれまでにもいくらか見てきた。けど、完全に呪力が
九十九はそこで口をへの字に曲げ、深く大げさなため息をついた。
「原因療法の要となる存在。だから当然、彼に研究に協力してもらおうと思って声をかけたんだけどね……。『あ? 暇じゃねえんだよめんどくせえ』って、それはもう見事にバッサリ振られたよ」
「……見るからに学問とか興味なさそうな、非協力的な顔つきでしたからね」
遠目に見かけたあの不遜で世を舐め腐ったような男の佇まいを思い出し、傑が妙に納得した顔で頷くのを見て、九十九はさらに肩を落とした。
「まあ、彼は当主の側近で忙しそうだしね……。これはもう、完全に呪力がゼロのもう一人のサンプル、従姉妹の方の成長に期待するしかないかなぁ」
九十九はそう言って大きく伸びをすると、真剣な表情に戻って指を二本立てた。
「さて。原因療法に至る方法……実は、もう一つある」
「もう一つ?」
傑が食い入るように聞き返す。
「そう。さっきのが『全人類から呪力を無くす』ことなら、もう一つは真逆。『
その極端な二択に、高専の面々は絶句した。
「人間全員が呪力コントロール術を身につければ、人間から無自覚に漏れ出す呪力はなくなる。つまり、術師本人が死後呪いに転じない限り、呪力の澱みから生まれる呪霊の自然発生は完全に起こらなくなるってわけさ」
「なるほど、極論ですが理屈は通ってます。……ですが」
傑が冷静に問題点を指摘する。
「全人類が術師ともなれば、呪詛師は減るどころか爆発的に増えるでしょう。この場合、一般人の犯罪者がイコールで呪詛師になるようなものですから」
「そう! まずそこが問題になるね。でも、ちょっと考えてもみてくれ」
九十九はパチンと指を鳴らした。
「全人類が術師なら、今みたいに一般人が何も分からず不条理に食い物にされるようなことはなくなる。自分の身を呪力で守る術を持てるんだからね」
「皆が自衛の手段を獲得する、ということですか」
「その通り。それにさ……呪詛師がどれだけ増えようと、結局のところ彼らも元は血の通った
そのドライで合理的な理屈に、傑はなるほどと少しだけ得心がいったように頷いた。
「まあ、当然その移行期には世界は一度荒れるだろうさ。……で、ここからが本題だ。私自身の今の想像では、その問題込みの途方もない人類の術師化計画において――
その名前に。
夏油傑は、ハッと大きく目を見開いた。
「あの禪院全……彼は、まさしく可能性の塊だ。術式を剥ぎ取り、他者へ与えるというあの『簒奪呪法』。――それをもし、術式だけでなく
「……ッ」
悪魔の所業とも言える術式取引。だが、そのシステムをさらに発展すれば全人類を術師へと引き上げるという途方もない理想を現実にするための、最大のブレイクスルーになり得る。
傑の胸の中に、ほんのわずかな期待と昂ぶりが渦巻いた。
あの時ヒーローだった特異点の悪魔は、根底では世界を救いうる
「そう思ってね。この原因療法の共同研究を、ちょっと彼にも持ち掛けてみたことがあるんだけど……」
「……どうだったんですか?」
傑が、思わず身を乗り出して結果を問う。しかし、九十九は両手をバツ印にして、思いきり顔をしかめた。
「ぜんっっっぜん駄目! にべもなくフラれちゃったよ」
期待を裏切るあまりにも軽い玉砕報告に、傑はカクッと肩を落とした。
「私が呪詛師が増えたら、君の商売的にもっと潤うんじゃない? って聞いても、全然ダメ。譲りに譲ってもし研究が成功したら、私の術式をあげる縛りを結んでもいいとまで言ったのに、それでもダメだった!」
「なっ……自分の術式をあげるって、アンタ本気で言ったのか?」
特級の術式を差し出すという狂った条件に、悟がドン引きした顔を作る。
「本気も本気さ。でも彼には『自分にメリットがない事に縛りは結べない』って、冷たく切られたけどね」
「メリットがないって、どういう事?」
話を聞いていた硝子が、不思議そうに首を傾げた。
「呪詛師が世界中に増えたら、アイツの商売的には術式も寿命もウハウハで取り放題なんじゃないの?」
「私もそう思ったんだけどねー」
九十九はやれやれと首を振り、全から受けた理不尽な拒絶の理由を語り始めた。
「彼が言うには『呪霊から剥ぎ取れる術式は、人間のそれとは毛色が違うことも多くて面白い』んだってさ。それに、よく考えてみれば、呪霊そのものも彼の『呪霊操術』の手駒を増やす
つまり禪院全にとって人間のままでも、それらが死して呪いに転じたとしても、どちらにせよ己の倉庫を潤すための美味しい資源に変わりはないのだ。
あえて自分から世界の理を変えてまで、呪霊の発生を食い止める「メリット」など、彼からすれば一ミリも存在しなかったというわけである。
「それにね。彼の場合、おそらくだけど……非術師からも術式を抜いてるよ」
サラリと告げられたその言葉に、傑は大きく目を剥いた。
「非術師に、術式が? ……いや、それより、非術師に対して一方的に呪力を行使するというのは、呪術規定違反には……」
「まあ、グレーってところかな。別に傷つけている訳じゃないしね」
九十九は、まるで自分がやっているかのような手つきで、空中で何かを拾い上げるジェスチャーを見せた。
「『落とし物しましたよ』とか言って渡す際、さり気なく手でも触れば、スッと抜けてしまう。術式というものを認識すらしていない非術師は抜かれたことに気づきもしないし、そもそも使えないものを失っても彼らの生活において困る事は一つもないからね」
その会話に、悟が腕を組みながら割り込んだ。
「確かに、術式持ちの非術師はちょくちょく見かけるな。前に任務の帰りにさ、すげえトンデモ術式抱えた非術師を見つけて思わず二度見したことあるわ」
六眼を持つ悟が「トンデモない」と称するほどの術式。それが非術師に無自覚に宿っているという事実。
「アレ、もし本人が術師として万全にあの術式を使えたら、俺やあの変態当主よりヤバイかもね。ついでに言うと、あの当主が活用できる類の術式でもないし」
悟の言葉は決して大げさではなく、呪術という理不尽な世界において純粋な「バグ」のような才覚が一般社会に埋もれているということを示唆していた。
そして禪院全は、その埋もれた「バグ」たちをも誰も気づかないうちに、そして完全に呪術規定の隙間を突くグレーな手法で、自らのコレクションへと加え続けているかもしれないのだ。
「とはいえ」
九十九は髪をかき上げながら、小さく息を吐いた。
「そうやって自分の足で出向き、自分の目で一人ひとり術式の有無や種類を確かめて回るのはあまりにも非効率極まりないからね。もし全人類が術師になれば、今の事業システムをそのまま拡大するだけで、より効率よく強力な術式を自動的に収集できるようになると思うんだけど……。やっぱり彼にとっては、その引き換えに『呪霊が生まれなくなる』という事実が、それなりに大きなネックなんだろうね」
「いや、ていうかさ」
原因療法に協力しない理由を呪術的な観点から真面目に推測する九十九に対し、悟が呆れたような顔でツッコミを入れた。
「全人類が取引対象なんて規模になったら、回収だの査定だので単純に禪院家の管理システムがパンクするからじゃないの?」
世界で二番目に強い男の、あまりに身も蓋もない現実的すぎるマジレス。
それには九十九も傑も、思わず「あー……」と間の抜けた声を漏らして素直に納得してしまった。
「……術式取引なんて基本的に一生に一度のデカい買い物とはいえ、そもそも今の規模でどうにか回っているのは呪術界全体が圧倒的な
九十九が呆れたように眉を下げる。
「それが全人類相手に何千倍、何万倍と取引規模がスケールアップしたとしても、取引を実務で処理する本人のキャパシティがそれに合わせて増えるわけじゃない。あの悪魔のような特異点も、結局のところは物理的な処理能力の限界を持った、ただの一人の人間に過ぎないってことか」
特級術師の壮大な理想論や呪霊問題の解決よりも、どれだけ取引対象が増えようと
「それはそれとして……どうだい?」
九十九は傑の目をじっと見つめ、バチンと軽快なウインクを飛ばした。
「あの禪院全を出し抜いて、私の研究に手を貸す気はないかい?」
「その辺にしていただきたい」
傑が口を開くよりも早く、横から夜蛾がピシャリと重低音の声で遮った。
「有能で真面目な彼が、あなたの様に任務にもろくに応じず、海外をフラフラするような術師になられても困る。高専のエースをたぶらかすのはやめていただこう」
「うわー。ロクデナシだー」
夜蛾の言葉に便乗し、硝子がゴミを見る目で九十九を指差す。
そのあからさまな「ダメ大人」扱いに、九十九は「ロクデナシとは心外だね!」と明らかに拗ねたような態度で唇を尖らせた。
そんな賑やかなやり取りの中、傑だけは一人静かに俯いてしばらく考え込んでいた。
禪院全。かつて自分の命を救ってくれた「ヒーロー」であると同時に、呪術界を冷徹に支配し、呪詛師を部品として資源化し、倫理を無視して世界を
(……彼は、私にとって理想の存在ではない)
傑はゆっくりと顔を上げた。
「禪院全は、確かに私が理想とする存在ではありません。しかし、そのあり方が呪術界へかつてないほどの
傑の言葉に悟も夜蛾も、そして九十九も真剣な目を向ける。
「彼は呪術界のあり方を自分の都合の良いように変えているだけだ。ですが、あの術式没収の縛りだって治安の維持に直結するであろう事もまた事実」
「……」
傑は九十九を真っ直ぐに見据え、言葉の刃を静かに突き刺した。
「目処の立たない原因療法よりも、彼のやり方の方が確実に地に足のついた平和を作っていくのは間違いないと思います」
「ぐっ……手厳しいねぇ。流石は優等生だ」
ぐさりと痛いところを突かれた九十九が、大げさに胸を押さえて苦笑する。
悟も「おっ、傑がマジレスで論破した」と感心したように口笛を吹いた。
だが、傑の言葉はそこで終わりではなかった。
「しかし……」
傑の瞳に、強い意志の光が宿る。
「悪人とはいえ人間を資源として使い潰す冷徹さも、実害がないからと人知れず非術師から術式を抜いていく行為も……いい事だとは思えません。権力者に対する寿命のやり取りも、どうしても嫌悪感が拭えない」
弱者を守るという崇高な理想。
全のやり方は結果的に弱者を守ってはいるが、その手段はあまりにも人の道を外れている。傑はどうしても、それを受け入れることだけはできなかった。
「ですが……そうですね。あなたの様な生き方が許されるなら」
傑は特級の先輩である九十九に向けて薄く、しかしどこか晴れやかな笑みを浮かべた。
「この狭い呪術界に縛られるよりも、私は私らしいやり方で世界を良くする方法を模索していくってのもいいかもしれません」
それは禪院全のような強引な支配でもなく、総監部のような保守でもない。夏油傑という一人の特級呪術師としての、己の道への静かな宣言だった。
「おっ。それって高専卒業したら、九十九さんみたいに趣味人にでもなるって宣言?」
「趣味人じゃない。崇高な使命を掲げた研究者とでも言ってくれ。……でも、意外だな。夏油くんは真面目にお堅く高専で教師でも目指すのかと思ってたよ」
悟が茶化し、硝子が目を丸くする。
「まだそうすると決めた訳じゃありません。実際、あなたが言うように後進を育てる事にも興味はありますからね」
夜蛾も「……まあ、お前が自分でそう決めた道なら、止める権利は私にはないがな」と、渋い顔をしながらもどこか誇らしげに息を吐いた。
「ふふっ。いい目になったじゃないか、後輩」
九十九は、己の道を見据えた傑の清々しい表情を見て、満足げに笑った。
世界で最も力を持つ特異点、禪院全が築き上げた新しき呪術界。
その巨大すぎる支配の影で、最強の若き術師たちは、それぞれ己の戦い方と生きる道を見つめ直し、新たな高みと現実へと足を踏み出そうとしていた。
***
悟が「最強」の看板を下ろしてからも、月日は変わらず過ぎていく。
「お疲れ様。二人とも怪我はないかい?」
ある日の高専。任務から帰還した二人の後輩――灰原雄と、最近一級術師へと昇格を果たした七海建人の姿を認め、夏油傑は片手を上げて出迎えた。
「夏油先輩! ただいま戻りました!」
「ええ。一級案件の土地神、無事捕獲できました」
元気に駆け寄ってくる灰原とは対照的に、七海はいつも通りの冷静な口調で報告しつつ、片手に持っていた小さな
ギョロリと傑を見るそれは禪院家独自の技術によって加工された――呪詛師の肉体を由来とする、生々しくも強力な「呪霊捕獲用」の呪具である。
「お見事。それで、目標は達成できそうかい?」
「はい。この土地神を納品すれば、これでおそらく灰原も
七海の言葉に、灰原が「やったー!」とパッと顔を輝かせて嬉しそうにガッツポーズをした。
「いやぁ、七海が先に二つ目の術式をゲットした時はどうなるかと思いましたけど、これで俺も『二重術者』の仲間入りですよ!」
「はしゃがないでください。浮かれていると足を掬われますよ」
七海が釘を刺すが、灰原のウキウキとした態度は全く崩れない。
そんな二人のやり取りを傑はどこか複雑な、しかし安堵も入り混じったような目で見守っていた。
――禪院家の『術式取引』は、より若い術師たちにとっても「当たり前のシステム」として定着していった。
もっとも、その取引ハードルは若手にとってはなかなかに高いのだが……それでもじわりと広がっている最大の要因は、禪院家がようやく実用化し、呪術界に広くばら撒き始めた『呪霊操術』の力の一部を込めた呪具の存在だ。
これを使えば術者でなくとも、一定まで弱らせた呪霊を安全に「生け捕り」にすることが極めて容易になったのだ。
あの日多くの術師たちが戦慄した『呪詛師に落ちた際の術式全没収』という恐ろしい縛り。
だが、現行の呪術界において、まだその絶対的なシステムが発動し、実際に術式を没収された者は――今のところ一度も報告されていない。
明確な裏切りさえしなければ、安全に力を得ることができる。その事実が、当時の恐怖と警戒心を少しずつ、しかし確実に麻痺させていったのだ。
結果として、傑の大切な後輩たちも、こうしてごく当たり前に全の作った取引システムに組み込まれ、喜んでそこに臨み始めている。
七海はこのシステムに合理性を見出し、灰原もまたより力を伸ばすために第二術式の取得を目指しているのだ。
なにより、それは彼らの
いつ命を落とすかも分からない理不尽な呪術の世界において。彼ら若い術師たちが少しでも長く生き延びて明日を迎えるために、この残酷なシステムはあまりに「最適」すぎた。
「それにしても、今回の任務は七海の新しい術式がなかったらマジで死んでましたよね!」
「ええ。奴には近づくのも困難でしたからね」
灰原の言葉に、七海が淡々と頷いて眼鏡を押し上げる。
件の一級呪霊は、存在する周辺十数メートルに渡り侵入するだけで急速に疲弊していく厄介な結界を展開していた。
遠距離から削れる手段がなければ、決死の覚悟で肉薄するしかできない厄介な存在だった。
「私が以前手に入れた『刻印呪法』。これのおかげで安全圏から直接呪霊の急所を的確に削ることができました」
刻印呪法。数秒間視線を固定しなければならないという特性上、素早く動き回る相手に呪印を刻むのには不向きであり、ほぼ必中の攻撃を届けられるとはいえ、威力自体には何の補正もかからないという単体で言えばやや微妙な術式である。
だが、七海の本来の術式『
どんな場所に居ようと相手の七:三の弱点箇所に呪印を刻み込み、威力無補正という短所を
自らの長所を最大限に活かし、短所を補ってみせたその恐るべきシナジー。
それは、真面目で堅実なこの若き一級術師の生存力と突破力を、間違いなくかつてない規格外の領域へと引き上げていた。
「先輩、どうかしましたか?」
その報告を聞きながら、やはり物思いにふけるような傑の様子を見て、灰原が少し遠慮がちに尋ねた。
「まだ、禪院家のやり方に思うところアリですか?」
「……どうだろうね」
傑は、曖昧な笑みを浮かべて返した。
罪人とはいえ、人間を部品や資源として文字通り「絞り尽くす」という外法。
そして、そこから抽出した術式や寿命を、金と権力を持つ老人たちが買い上げるという、あまりにも冷酷で醜悪なシステム。
「……いや。以前ほどではないかな」
傑は優しく微笑み、七海と灰原の顔を交互に見つめた。
「呪詛師の所業も、現場で何度か目にしてきたからね。……そうされるだけの許されざる罪を重ねた者がいるというのも、十分すぎるほど実感できた。それに何より……君たちの生存力が上がって、こうして無事に帰ってきてくれるのはいいことだ」
そう言う傑の声は優しく、本心からの安堵がこもっていた。
だが、そう言いながらも――傑の顔には、やはりまだ心のどこかに重く暗いつかえがあるのは、七海や灰原から見ても明らかだった。
(……悪人が裁かれ、若き術師の糧となることは呑み込める。しかし……)
傑の脳裏をよぎるのは、呪詛師の引き渡し現場などで時折見かける妙に肌艶の良い老人たちの姿だ。
あの日魔虚羅の公開調伏の会場で見た、総監部の老人たち。
本来ならば老衰で寿命を迎えて行くはずの所を、罪人から搾取した寿命を啜り次世代に席を譲ることもなく醜く生き延びている存在。
彼らを見るたび、傑の胸の奥底からは、どうしても拭い去ることのできないどす黒い嫌悪感が静かに湧き上がってくるのだった。
***
二〇〇七年九月。
■■県■■市(旧■■村)。
特級呪術師・夏油傑に下された任務内容は、村落内での神隠しや変死事件の原因と見られる呪霊の祓除。
彼にとっては、造作もない日々のルーチンの一つに過ぎなかった。
原因の呪霊自体は、傑があっさりと祓って事なきを得た。
だが、問題はその後に起きた。
不気味なほどの静寂に包まれた村の集会所。
傑はそこで、薄暗い座敷牢のような木製の檻に閉じ込められた、痣や傷だらけの幼い双子の少女――菜々子と美々子を目にする。
「――これはなんですか?」
一切の感情を消した、能面のような表情。
傑の静かな問いかけに、村人たちは恐れる様子も見せず、口々に彼女たちを罵り始めた。
「そのガキどもが事件の元凶だろう、そいつらが村の人間を呪い殺したんだ」
「度々妙な力で人に危害を加えるんです、うちの孫たちもその二人に——」
醜悪極まりない、非術師たちの身勝手な叫び。
傑の研ぎ澄まされた目でも、その幼い少女二人からは、確かに術師として十分な呪力が感じられる。
しかし事件の直接の原因は先程傑が祓った呪霊であり、彼女たちは一切無関係だった。ただ自分たちと「違う」というだけで理解できない力を恐れ、責任を押し付け、残酷に虐げていただけの事だ。
「…………ふぅ」
深く、深く息を吐き出す。
傑は目を閉じ、己の内で荒れ狂いそうになる黒い感情の海を、冷徹な思考で押さえつけ、無理やりに精神を落ち着かせた。
(……非術師の、見えぬゆえの無知と無理解による迫害)
愚かで醜い、人間の真実の姿の一つ。
(そして罪人を、人間を資源化する呪術界の冷徹なシステム)
強者が弱者を食らい、徹底的に最適化していく世界の姿の一つ。
(……どちらも、理解はできる)
傑は、静かに静かに目を開けた。
(――理解はできるが、私はそのどちらの在り方にも……決して
傑は、叫び続ける村人たちを完全に無視して、静かに木製の檻へと近づいた。
そして、檻の中で身を寄せ合い、怯えきって震えている二人の少女の目の前でしゃがみ込み、まるで幼子に囁くように、優しく言った。
「もう大丈夫。私が来た」
それは、かつて自分が恐怖のどん底に落とされたあの日。
絶望から自分を救い上げてくれた、傑にとっての強大なヒーローの言葉。
その言葉を、今は自分が――この理不尽な世界から弱者を救い出す「ヒーロー」として、力強く口にする。
次の瞬間。
スパンッ、という鋭い風鳴りの音が響いた。
「ひっ!」
「……え?」
村人たちが腰を抜かして悲鳴を上げる中、傑の放った不可視の風の刃が、頑丈な木製の檻を見事に真っ二つに切り裂いていた。
ガラガラと音を立てて崩れ落ちる木の残骸の中で、双子の少女たちは信じられないものを見るように目を丸くし、ポカンと口を開けていた。
今まで自分たちを理不尽に縛り付け、痛めつけ、苦しめ続けていた強固な檻。それが、目の前の青年のただの一瞥で、文字通り消し飛んだのだ。
あまりの出来事に恐怖する事すら忘れ、二人はぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、ただ自分たちを「助けに来た」と力強く宣言してくれた『本物のヒーロー』から、瞬きすら忘れて目を離せずにいた。
「な、何をするんだ! そいつらは村の――」
解放された双子を庇うように立った傑を止めようと、激高した村人の一人が詰め寄る。
だが傑が冷たい一瞥を向けると、その圧倒的な「特級術師」という上位存在のプレッシャーの前に、彼らは弾かれたように尻餅をついた。
「いいですか。よく聞いておきなさい」
腰を抜かして怯える村人たちを冷ややかに見下ろしながら、傑ははっきりと宣告した。
「彼女らは、私と同じ
村人たちが一斉にざわめくが、傑は構わずに抑揚のない声で言葉を続ける。
「健やかに育ってさえいれば、彼女らは今回の事件の原因たる呪いを人知れず祓う、この村の守護者となっていたかもしれない。……かつて、幼き私が誰にも知られずそうしていたように」
その言葉には、傑自身の過去の孤独と、彼女らの失われた未来と可能性への哀惜が込められていた。
「しかし、貴方がたの
傑は、怯えと後悔、そして無知ゆえの困惑に満ちた村人たちに、最後通告のように静かに告げた。
「せめて、それだけは理解して生きなさい」
傑はそれ以上、何も言わなかった。
村人たちを罰するでもなく、皆殺しにするでもなく。ただその理不尽な見えざる愚かさを冷徹に突きつけて、彼は身を翻した。
その両腕の中には理不尽に潰され世界に見捨てられそうになっていた小さな二つの命が、決して離れまいとただただ彼にしがみついていた。
***
「……は? 傑が謹慎?」
高専の教室。
五条悟は、耳を疑うような言葉を聞き、信じられないという顔で担任である夜蛾正道の前に立ち尽くしていた。
夏油傑は、誰よりも「呪術師たるべき正論」を大事にし、ルールを重んじる生真面目な男だ。あいつに限って、自ら問題を起こして謹慎処分を食らうなど、天地がひっくり返ってもあり得ない。
悟は本気でそう思っていたからこその、純粋な驚きだった。
「何度も言わせるな」
夜蛾は、重いため息をつきながら腕を組む。
「傑は先日の任務で、村で迫害されていた呪力持ちの少女二人を保護した。その際、一般の村人たちに対してあからさまに呪術を見せつけ、さらに術師についての情報を自ら開示した」
呪術は、非術師に対して秘匿されなければならない。
それが、呪術規定の最も重要にして基本的なルールだ。
「……幼い双子の少女が理不尽な虐待を受けていたという事情を考えれば、情状酌量の余地は十分にある。だが……結果として、呪術規定に違反した事実は変わらん」
「……」
悟は、サングラスの奥で目を細め、舌打ちをした。
非術師を守るべき弱者だと自分に言い聞かせ、呪術の隠匿というルールを誰よりも遵守していたあの生真面目な傑が、一般人相手に自ら呪術を見せつけて真っ向から規定違反を犯したのだ。
あの事件の現場で、傑の心にどれほどの重い衝動と葛藤があったのか、親友である悟には痛いほどに想像がついた。
「それで、どれくらいの期間なんだよ。その謹慎ってのは」
「……長引くことはないだろう。だが、少し頭を冷やしたいと本人も言っている」
夜蛾は、自分以上に複雑そうに顔をしかめる悟の肩に手を置き、静かに言った。
「しばらくは、そっとしてあげなさい」
悟は何も言わずにただ静かに俯き、ぽつりと一つだけ頷きを返した。
「や、しばらくぶり」
街の喫煙所。紫煙をくゆらせながら一人静かに一服していた家入硝子に、不意に声がかけられた。
煙の向こう側から現れたのは、私服姿の夏油傑。
謹慎処分中の身でありながら、その表情はどこか憑き物が落ちたように穏やかなものだった。
「おっ、不良君じゃん」
硝子は特に驚いた素振りも見せず、咥えていたタバコを指に挟んで吐き出した。
「謹慎中にこんな所まで出歩いていいの? それとも何か用?」
「いや……自分探しってところかな」
傑の自嘲気味な言葉に、硝子は「ふーん」と気のない返事をして、ジッと彼の顔を見つめた。
「そんなに耐えられなかったんだ?」
短く、しかし核心を突く問い。
それに対して、傑は顔を伏せることも、激昂することもなかった。
ただ、悟り切ったような、ひどく凪いだ瞳で空を見上げた。
「……そうだね」
ポツリと、彼の口から本音がこぼれ落ちた。
「非術師たちの、見えぬゆえの醜い無理解も。それを救う呪術界の本質も、悪人を資源として文字通りに消費し老人がそれを啜って長生きするシステムとして回っている。そんな現在のあり方も……どちらも含めて」
傑は、特級術師の教条や重圧をすべて肩から下ろした一人の青年として、どこか晴れやかに笑って言い切った。
「世の中、クソだなと」
「ふはっ」
そのあからさまな本音に、硝子は肺にため込んでいた煙と共に、思わず吹き出すように笑い声を上げた。
「ヒーロー志望がそんなこと言っちゃいますかー。……まあ、分からなくもないけどね」
硝子はニコニコと悪びれもしない傑の顔を見て、短くなったタバコを携帯灰皿に押し付けた。かつての、見えない重圧に押し潰されそうになっていた危うい彼よりも、今のどこか吹っ切れたような、いい意味で「人間臭く」なった不良の姿の方が、硝子にはよほど好ましく思えた。
「それで? これからどうすんの。自分は見つかりそう?」
「どうだろうね」
傑は、遠くの街並みを眺めながら、どこか清々しい表情で肩を竦めた。
「少なくとも、これからは救う相手は選ぶタイプのヒーローを目指そうと思っているよ」
「救う相手を選ぶヒーローね。随分と我儘なご身分だことで」
呆れたように笑う硝子に、傑はにかっと、かつて悟とふざけ合っている時のような悪戯っぽい笑顔を見せた。
「あの日九十九さんに宣言した通りだよ。どうせ謹慎処分でもあることだし、これからは呪術界のシステムから離れて彼女みたいに世界中をフラフラしてやるつもりさ。あるいは、彼女に協力するのもアリかもしれない」
「お、そのまま退学する気?」
硝子が面白がるように茶化し、もう一本のタバコを取り出す。
傑は背を向け、路地の出口の方へと歩き出しながら、肩越しに振り返って言った。
「それもいいかもね。自分でも思っていた以上に鬱憤が溜まっていたらしい……結局、あの村の件も一つのきっかけに過ぎないんだよ。……悟によろしく言っておいてくれるかい、会うとややこしそうだ」
「あーっ、厄介ごと押し付ける気? ひどっ、夏油はマトモだと思ってたのに結局は五条と同じ穴のムジナじゃん」
「そこまで言う? ……まあ、とにかく頼むよ」
そして、前を向いてゆっくりと歩きながら、ぽつんと後に言葉を残していく。
「——それから、中退しても一応呪術師だ。……呪いを祓い、善き人を守る。それは変わらないから安心してくれ」
ただ一つ変わったのは、それを
「ただちょっと、しがらみの外でそれをやるだけさ」
そう言い残し、夏油傑は雑踏の中へと静かに歩き去っていった。
もう、遠ざかっていくその後ろ姿は、かつてのように誰が見ても危うく痛々しいものではなかった。
理不尽な世界に絶望することなく、かといって最適化された冷徹なシステムに飲み込まれることもなく。
自分だけの全く新しい道を見つけ出した青年の足取りは、どこまでも軽やかだった。
夜蛾「傑が自主退学した」
悟「……は?」
■九十九さんと全
術式を差し出す縛りまで条件に出しても協力は拒否された。
人類全てを非術師or呪術師に? どっちも嫌。前者は旨味がないし、後者は非術師からこっそり術式抜けなくなるし。
取引は増えるだろうけど、それだけに忙殺されるより今のままの方がいい。
とはいえ現状積極的に邪魔するほどの脅威は感じていない。
■禪院家の匣型呪具
モンスターボール。目玉がついてる。
弱らせた呪霊に投げつけることで封印する事ができる量産型呪具。
開封は禪院家の持つ「鍵」の呪具がないとできないなど、色々と縛りがあるものの理論上は特級呪霊でも押し込む事ができる。
これを貸すからじゃんじゃん呪霊連れてきてね!!!
■強化ナナミン
お買上げ頂いた「刻印呪法」は数秒かけてロックオンした場所に打撃、斬撃を距離度外視で必中させられる一見強そうな術式。ただし、その威力は直接振るった時と同じ、さらに呪力ガードで普通に防ぐ事もできるし、どこを狙われてるか丸わかりなのでそこの防御を厚くされがち。
十劃呪法の強制クリティカルを乗せる事でエグい性能になった。
■結局キレた傑
でもギリギリ呪詛師堕ちはしていない。
非術師にもクズはいるけど、呪術界も倫理的にアレだし。
九十九さんの影響は、呪術界に縛られず好きに活動してもいいという彼女の生き方そのもの。
呪詛師としてではなくとも、高専を離れフラフラしながら思うままに人助けをしていくつもりだとか。ひょっとしたら、九十九さんと合流して研究に協力する未来もあるかもしれない。
中退しても呪術師やれるかは知らない。やれるという事にした。
原作ほど深刻な状況ではないので、悟呼び出しはなし。
引き止められる気がしたから悟には会わずにフラフラし始める。悟はキレた。
ということで玉折相当の時間軸まで終了となります。
ここから先についてはどう進めるか、まだ少し迷っています。
もっと先の羂索の策とか、物語をどう締めるかなどはざっくり決まっているんですが、呪術廻戦0辺りをどうするかがいまいち定まりません。
コピーがなかなかに作劇上の扱いが厄介過ぎる……簒奪コピーされるのは寛大な全くんも流石にちょっとリスクを感じるでしょうし。
案自体はあるんですが、纏めるのに少し時間がかかるかも……。
傑君は同じように仲間を集めるかもしれませんが、呪詛師ではありませんし、ましてや百鬼夜行なんて起こしません、というか起こせません。
全を直接的、間接的に絡めた「山場」をまだ思いつけてないんですよね。
なので、今までよりもお時間いただくかもしれません。