禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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おっっっま!!

悪ノリは相手と状況考えろって、この前も言っただろが!!



呪術廻戦0編
20.呪術0-最適化された箱庭にて


 二〇一六年 十一月 東京。

 

「……これは、酷いですね」

 

 凄惨な光景が広がる教室の中心で、七海建人は忌々しそうに眉をひそめて呟いた。

 彼の視線の先では高専から手配された補助監督たちが、ひしめき合うように歪んだ一つの小さなロッカーから()()の男子生徒を慎重に運び出している。

 

 常識的に考えれば、人間が四人も一つのロッカーに収まる道理などない。

 だが彼らは、重力や骨格の理を無視するかのように不自然に身体を折り曲げられ、骨を砕かれ、文字通り()()()()()()いたのだ。

 

急げ! 肉体保護の術式を掛けながら慎重に運び出せ!」

「はい! まだ息はあります!」

 

 補助監督たちが、禪院家との取引によって広まっている有用な回復・保護系の術式を行使しながら、重傷を負った生徒たちをストレッチャーへと移していく。

 その血生臭く慌ただしい様子を見送った七海と、彼の隣で同じく険しい顔をしている灰原雄は、ゆっくりと視線を落とした。

 

 視線の先――教室の窓際。

 そこには、どこにでもいるようなひ弱そうな一人の少年が頭を抱えてうずくまっていた。

 

「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 それが、四人の生徒が無惨にもロッカーに詰め込まれたというこの異常な事件の中心にいる少年だった。

 彼はひたすらにガタガタと震えながら、誰に向けたものかも分からない謝罪の言葉を、壊れた機械のようにうわ言で繰り返し続けていた。

 

 

***

 

 

 壁一面のみならず、天井から床に至るまで。無数の御札が、計算され尽くした美しい幾何学模様を描くように整然と張り巡らされた薄暗い地下室。

 それは禪院家によって創り出された、強固極まりない()()()の封印符であった。

 部屋の四隅に置かれた呪具でもある蝋燭の火がゆるやかに揺れ、この閉鎖空間の呪力が極めて安定している状態にあることを示している。

 

「——昔の基準なら、秘匿死刑もあり得たかもね」

 

 その重苦しい静寂を破るように、五条悟がラウンドタイプのサングラスをわずかにずり下げながら、こともなげに笑って言った。

 

「でも安心していいよ。今は、使えるものは何でもかんでも自分の手元に置きたがる欲張りな呪いの王様がそれをさせないからさ」

 

 悟の言葉には皮肉と、ほんの少しの呆れが混じっていた。

 『特級過呪怨霊・祈本里香』。一人の少年に取り憑いた、底知れぬ呪力の底なし沼とも呼べるバケモノ。

 かつての保守的で臆病な上層部であれば、間違いなく少年の存在そのものを危険視し、速やかな死刑判決を下していただろう。

 

 しかし現在の呪術界で実質的に頂点に君臨する禪院全という男は、報告を聞くや否や——。

 

『へえ、面白そうだね。直接対応したいところではあるけど……今はちょっと手が離せないんだ。死刑にはさせないから高専あたりで保護しておいてくれるかい』

 

 ——とまあ、軽い通達であっさりとその死刑の可能性を握り潰したのである。

 あの男にとってこの呪われた少年は危険物たり得ず、殺すにはあまりにも惜しい極上の珍しい人材に過ぎないのだ。

 

「……死刑で、良かったのに」

 

 薄暗い部屋の中央。そこにポツンと置かれた木製の椅子の上で、両膝を抱え込むようにして座っていた少年が、消え入りそうな震える声で呟いた。

 特級被呪者という重すぎる肩書を与えられた少年――乙骨憂太

 その目の下には濃い隈が浮かび、憔悴しきった生気のない瞳は、ただ足元の床を虚ろに見つめている。

 

「暗いねえ、今日から新しい学校だよ?」

「行きません」

 

 彼は、さらに身を小さく縮めるようにして頑なに首を振った。

 

「……ここなら、あの御札の力で里香ちゃんも簡単には出てこられないんでしょう。なら、僕はここにいます。誰にも会わない場所で、ずっと」

 

 自らの意図とは無関係に暴走し、周囲の人間を無惨に傷つけてしまう里香の呪い。

 その恐怖と罪悪感に押し潰された憂太にとって、生きながらえることは苦痛以外の何物でもなかった。

 

「これ以上、僕のせいで傷付く人を……見たくないんです」

 

 その自己犠牲とも逃避ともとれる閉鎖的な態度に、悟は「あーあ」と肩をすくめた。

 

「そんな暗くちゃ、友達できないぜー?」

「………………」

 

 茶化すような軽い口調で煽ってみるものの、憂太の心には厚いシャッターが下ろされたままで、一切の反応を返さない。

 説得や慰めといった泥臭いメンタルケアは、生憎と「準・最強」を自負する五条悟が最も苦手とする分野であった。

 

「ふーん……困った……」

 

 悟は、銀色の髪をポリポリと乱暴に掻き毟る。そして、数秒で考えることをやめたように、パンッと軽く手を打った。

 

「七海ー! 灰原ー! ()()()()()()!!

 

 振り返りもせず、開け放たれた地下室の扉の向こうに向かって大声を張り上げる。

 すると、呆れたような深いため息の音とともに二人の青年の足音がコツカツと地下室の階段を下りてきた。

 

「アナタの方が先輩だというのに、全く……少しは教育者としての自覚を持っていただきたいものです」

 

 扉をくぐり、ネクタイを整えながら入ってきたのは、呪術高専東京校で教師を務める一級術師――七海建人であった。

 その生真面目な顔には、先輩の無責任な丸投げに対するあからさまな疲労と呆れが滲み出ている。

 

「まあまあ、七海。五条さんがそういうの苦手なのは昔からですし!」

 

 その後ろから、人懐っこい笑顔を浮かべて苦笑いしながら入ってきたのは、同じく教師として高専に籍を置く灰原雄だ。

 七海の堅物ぶりを宥めるように肩を叩き、場の空気を和らげようとする灰原。

 

 大人たちが織りなすその漫才のような、しかしどこか温かみのある日常的なやり取り。

 自分という「危険物」を前にしても微塵も恐怖を見せず当たり前のように呆れ、笑い合う教師たちの姿に。

 

 膝を抱えていた憂太は、思わず目を瞬かせた。

 張り詰めていた悲壮感と死への執着が、彼らのあまりにも自然体な空気に当てられ、ほんの少しだけ毒気を抜かれたようにその強ばった肩の力がスッと抜けていくのを感じていた。

 

「あっ……」

 

 新たに入ってきた二人の大人の生真面目な顔と、明るく笑う顔。

 それを見て、憂太はハッと息を呑んだ。

 見覚えがあった。忘れもしない、あの凄惨な事件の日。あの血まみれのロッカーの周りで事態の収拾に当たっていた、大人たちのうちの二人だったのだ。

 

「その様子なら、我々の顔は覚えているようですね」

 

 七海は怯えたように身をこわばらせた憂太に一歩近づき淡々とした、しかしひどく落ち着きのある声で言った。

 

「今の所、辛うじてではありますが……君の()()で命を落とした人物は一人も居ません。五体満足とは言えずとも、高専の迅速な治療によって事無きを得ています」

「……え?」

 

 憂太が信じられないというように顔を上げる。

 自分が四人のクラスメイトを殺してしまったとばかり思っていた彼にとって、それは何よりも欲しかった救いの言葉だった。

 

「それに、あれが君自身の意思でやったことでは無いということも、我々の調査ではっきりしています。故に、まだ君はやり直せる」

 

 七海は、厳格だが確かな包容力のある眼差しで、憂太を真っ直ぐに見据えた。

 

「――もし、君がその罪を償いたいというのであれば。これから学ぶ術式と共に、その強大な呪いを今度は人助けのために使うといいでしょう」

 

 七海の理路整然とした、しかし誠実さを含んだ大人の言葉が、少年の心を泥沼のように塞いでいた罪悪感をわずかに和らげていく。

 

「それにさ」

 

 続いて、灰原が一歩前に出て、屈託のない明るい笑顔を向けた。

 

「このままこんな狭い部屋で、ずっと独りぼっちってのは寂しいよ? 大丈夫。今の高専に居る子たちは皆、すごく強いからさ! そのリカちゃんって子が多少暴走しても、誰も取り返しのつかない酷いことにはならないから」

 

 それは日々過酷な任務をこなし、特異点の作ったシステムによってその生存力と火力を引き上げている「今の高専生たちの底力」への絶対的な信頼から来る言葉だった。

 

「それに、教師としては頼りないかもしれないけど……ここには()()()()()()()()()五条先生っていう最強の用心棒も居るからさ。安心して大丈夫!」

 

 灰原の裏表のない底抜けに明るい言葉が、少年の心を縛り付けていた恐怖を和らげていく。

 

「ちょっと灰原〜、誰が教師として頼りないって〜?? 部屋の外までバッチリ聞こえてるよー?」

 

 入れ替わるように部屋の外に引っ込んでいた悟が、ひょっこりと顔を出して不満げに茶々を入れる。

 その光景に、灰原は「あはは、やばっ」と笑って誤魔化した。

 

 ——こんな温かい大人たちがいる場所になら。

 

 彼はギュッと抱え込んでいた自分の膝から、ゆっくりと腕を解いた。

 

 本当に自分が生きていていいのだろうか。

 誰かと関わってしまっていいのだろうか。

 

 その不安が完全に消え去ったわけではない。

 自身の影の底には、未だ愛する幼馴染の姿をした巨大で恐ろしい呪いが、愛という名の執着で彼を雁字搦めに縛り付けている。

 

 ……それでも。

 

「……僕でも、やり直せますか」

 

 掠れた声で、乙骨は尋ねた。

 

「ええ、もちろん」

「当たり前だよ!」

 

 七海と灰原が、力強く頷く。

 

「……じゃあ」

 

 乙骨憂太は震える足に力を込め、椅子からゆっくりと立ち上がった。

 暗い地下室の床を見つめていた瞳が、扉の向こうから差し込む光を——外の世界を、真っ直ぐに見据える。

 

「僕、行きます」

 

 少年が、自らの呪いと向き合い、誰かと生きることを選んだ瞬間であった。

 

 

 

***

 

 

 ――呪術高専東京校・一年生教室。

 

「——はいはーい! 皆さん、席についてー!」

 

 ガラッ、と勢いよく扉を開けて入ってきたのは室内にも関わらずサングラスをかけた長身の担任教師・五条悟だった。

 

「転校生を紹介しやす! みんなテンション上げてー!!」

 

 パンパンッ! と一人で陽気に手を叩きながら教卓に立つ悟。

 しかしその無駄にハイテンションな呼びかけに対し、教室に座る三人の生徒たちからは、見事なまでに氷点下のシラーッとした冷ややかな視線が突き刺さった。

 拍手はおろか、歓声の一つも上がらない完全なるサイレント対応である。

 

「……えっ、無視かよー。お前ら冷たくない?」

 

 悟が唇を尖らせて不満げにぼやくと、窓際に座る銀髪の少年——狗巻棘が、ため息交じりに口を開いた。

 

「七海先生か灰原先生は? 今日は来ないの?」

 

 本来であれば呪言師として口を閉ざすべき存在であった狗巻家の少年が、当たり前のように流暢な普通の言葉で担任に問いかけた。

 禪院家の『術式取引』によって呪言という血の呪縛から解放され、代わりに使い勝手の良い術式を安全に得た彼は今や普通の少年と何ら変わらぬ声でコミュニケーションを取っている。

 

「ちょっとちょっとー! 棘、お前の担任は俺だかんね!? 七海と灰原は、二年生や三年生の任務の付き添いとか色々あって、今日は他の仕事!」

 

 悟が「俺が担任だぞ」とアピールするように胸を張るが、その言葉を遮るように、教室の真ん中に足を組んで座っていた少女が心底呆れたように鼻で笑った。

 

「その担任としての能力に不安があるから聞いてんだろ」

 

 禪院真希である。

 傍らに薙刀を立てかけた彼女は、一般の術師とは一線を画す圧倒的な覇気——()()()()のフィジカルギフテッドの完成形たる肉体の威圧感を、制服越しにでも漲らせていた。

 かつて双子の呪縛を全の荒療治によって断ち切られた彼女は、今やそこいらの一級術師すらも凌駕するほどの身体能力を誇る、高専一年生における最強格の矛として君臨している。

 

「悟の信用がないのはいつも通りとして……」

 

 真希の隣の席で腕を組み、のっそりと口を挟んだのは、どう見てもただの巨大なパンダだった。

 

「その転校生、相当尖った奴らしいね?」

 

 パンダが興味深そうに教卓の横、まだ誰も入ってきていない廊下の方へと視線を向ける。

 

 実は、この転校生がやってくるという話について、一年生の生徒たちは担任である悟からではなく、主に他の学年を見ている七海や灰原から、事前に詳細なプロファイルと()()()をしっかりと聞き出していたのだ。

 

 制御不能な強大な怨霊を身に宿していること

 怨霊が暴走すれば周囲に甚大な被害を及ぼす可能性があること

 

 悟の「とりあえず連れてきたからよろしくー」という大雑把なスタンスでは到底命がいくつあっても足りないような危険人物の加入。

 生徒たちは七海や灰原の真面目な事前ブリーフィングを信頼し、すっかり警戒態勢を整えていたのである。

 

「まあね、なかなか凄いよ」

 

 生徒たちの鋭い視線を正面から受け止め、悟はニヤリと笑った。

 

「さっ、入っといでー」

 

 その軽い呼びかけに従い、教室の引き戸が、キィ……とゆっくりと、ひどく遠慮がちに開かれる。

 そこに立っていたのは、少し猫背気味で、白い制服に身を包み、目の下に濃い隈を作ったひ弱そうな少年——乙骨憂太だった。

 

 だがその弱々しい見た目とは裏腹に、彼が教室へと一歩足を踏み入れた瞬間。

 

「「「…………ッ!!」」」

 

 教室にいた三人の生徒全員の背筋が、一斉に総毛立った。

 

 空気が一瞬にして重く、粘り気を帯びた泥のように変質する。

 それは、乙骨憂太という一人の少年から無意識に滲み出している底知れぬほど膨大でおぞましく、果てしなくドス黒い呪力の気配。

 特級過呪怨霊・祈本里香という化け物を身に宿しているという事実は、事前に七海たちから念押しされてはいた。しかし、いざ直接その気配を肌で感じた衝撃は、想像を遥かに超える重圧だったのだ。

 

「……こりゃ」

 

 真希が無意識のうちに立てかけてあった薙刀の柄をきつく握りしめ、ギリリと奥歯を噛み締めた。

 彼女は呪力を持たないが故に、魂や呪いの本質を感じ取る超感覚に優れている。その彼女の肌に、ビリビリと突き刺さるような異常な密度のプレッシャー。

 

(多分、総量や出力だけならうちの当主以上だな……!)

 

 真希は心底からの警戒を露わにした。あの規格外の暴力の権化たる禪院全。

 幼い頃からその底知れない呪力と幾多の術式のるつぼを間近で見続けてきた彼女をして、目の前の少年の内にある()()()の呪力総量は、全をも上回るかもしれないと本能が警鐘を鳴らしていたのだ。

 

「呪いの気配、やっば……」

 

 棘もまた、頬に冷や汗を伝わせながらごくりと喉を鳴らした。

 かつて呪言という呪いをその身に背負っていた彼だからこそ分かる、その身に宿る呪縛のあまりにもおぞましく、どろどろとした重さ。

 パンダに至っては野生の本能が危機を察知したのか、全身の毛をブワッと逆立てて威嚇するように身構えていた。

 

 全員からの針で刺すような痛烈な殺気と警戒の眼差し。

 そんな歓迎とは程遠い異様な注目を浴びて憂太はビクッと肩をすくめ、居心地悪そうに教卓の前に立つと。

 

「あ、あの……」

 

 震える声で、憂太はか細く口を開いた。

 

「乙骨、憂太です。……よろしくお願いします」

 

 そのひどく自信なさげで、まるで怯えた小動物のような自己紹介が、重苦しい教室の空気にぽつりと落ちた。

 

 

「ハイハイありがとー!」

 

 そのあまりにも細い声をかき消すように、悟はパンパンッと無駄に大きな音で手を叩いた。

 

「と言う訳で! 彼が今日からの転校生、乙骨憂太くんでーす! みんな、拍手ー!」

 

 おちゃらけた様子の担任が一人で陽気に拍手をしてはしゃいでいるが、生徒三人は相変わらず武器から手を離さず、ピリピリとした警戒を解く気配はない。

 憂太は自分の存在がクラスの空気をどれほど重くしているかを感じ取り、さらに背中を丸めて消え入りそうな声で「すいません……」と呟いた。

 

「さあて、憂太の自己紹介が済んだところで……」

 

 悟は、教卓からひょいと降りて、身を固くしている憂太の肩にポンと腕を回した。

 

「今度は君の学友たる三人の個性豊かな生徒たちの紹介と行こうか」

 

 悟はまず教室の真ん中で薙刀を構え、一番強烈な殺気を放っている少女を指さした。

 

「そこの物騒な薙刀持ってるのが真希。呪術界じゃ知らない人は居ない超名門、禪院家のお嬢様だけど……俺と素手で殴り合えるくらいには立派なゴリラ!

 

「おい」

 

 即座に真希の額にピキリと青筋が浮かんだ。

 担任から「お嬢様」と「ゴリラ」を同時に呼ばれるという最悪の紹介。

 しかし悟はそんな怒りの声など完全に無視して、次に窓際で冷や汗を流している銀髪の少年の方へと向き直った。

 

「で、こっちが棘。呪言師の家系、狗巻家の子。呪言ってのは本人の意志に関わらず、口に出した言葉がそのまま呪いになって相手を傷つけちゃう、おっかな〜い術式……なんだけど」

 

 悟はそこでニシシと笑ってウインクをした。

 

「その厄介な呪いの力は、棘が幼い頃に禪院家によって綺麗さっぱり除去済み! 今は別の超便利な術式を使ってるから、安心しておしゃべりしていいよ」

「はいヨロシクー」

 

 棘は警戒の汗を拭いながらも、ふんわりと気の抜けた声で乙骨に向かって手をヒラヒラと振ってみせた。

 憂太は「呪いを消された」という言葉にほんの少しだけ驚きと期待を懐きながらも、ペコリとぎこちなく頭を下げる。

 

「で、こっちがパンダね」

 

 最後に悟が指さしたのは、どう見てもただの巨大なパンダだった。

 

「パンダだ、よろしく頼む」

 

 パンダは立ち上がり、逆立てていた毛を少し落ち着かせながら低い声で流暢に喋った。

 その瞬間、憂太の頭の中に先ほどからずっと抱えていた巨大なクエスチョンマークが弾けた。

 

(……パンダも、生徒!?

 

 なんかパンダがいる。

 教室に入った瞬間から憂太の目はその異様な存在に釘付けになっていた。

 しかし七海や灰原から「ここは呪術を学ぶ特別な学校だ」と聞かされていた彼は、てっきりマスコット的な式神のような存在だと思い込もうとしていたのだ。

 

 それがまさかの「同級生」として紹介され、流暢な日本語で挨拶をしてきたのである。そりゃあ驚きもする。

 

「え、あ……パンダ……くん? えと、みなさんよろしく……お願いします……」

 

 憂太は呪霊の恐怖とはまた別の、得体の知れないシュールな現実に戸惑いながらオドオドとパンダたちに向けて頭を下げた。

 

 

「さて、お互いの紹介も済んだところで一つ注意事項!」

 

 悟はポンと一つ手を叩いて、生徒たちの注意を自分へと引き戻した。

 教室の空気が再びピリッと引き締まったものに変わる。

 

「七海辺りから耳にタコができるくらい聞いてるだろうけど、憂太は彼の事が大大大好きな里香ちゃんに深く深ぁく呪われている」

 

 悟は憂太の肩をポンポンと叩きながら、明るすぎるトーンで続けた。

 

「彼に攻撃したり、強い敵意を向けたりすると、その里香ちゃんの呪いが発動したりしなかったりする。……まあ、十中八九発動すると思っていいよ」

 

 その言葉に真希は薙刀の柄をきつく握り直し、棘はゴクリと唾を飲み込み、パンダは再び毛を逆立てた。

 特級過呪怨霊。それが無意識に発動するということは、下手な接触が即座に大惨事を引き起こすことを意味している。

 

「だから訓練で組手とかする時は、十分に注意するように! できれば俺か、呪具さえあれば特級呪霊でもシバキ倒せる真希が居る時推奨!」

「あのなぁ……」

 

 真希が呆れたように眉をひそめ、深いため息をついた。

 いくら自分が天与呪縛で頑強だとはいえ、得体の知れない特級過呪怨霊のストッパー役を気軽な推奨事項として任されるのは、あまりにも責任が重すぎる。

 

「以上! ということで、午後の実技授業に移る前に、自己紹介も兼ねてたっぷり親睦を深めておきなー。俺はちょっと、今日の()()()()()の準備してくるから」

 

 悟はそう言うと憂太の肩から手を離し、ヒラヒラと手を振りながら教室の扉へと向かった。

 

「……じゃあ、あとはよろしくー」

 

 ガラッ、ピシャリ

 

 無責任にもほどがある担任は、爆弾のような特級被呪者を丸投げして、さっさと教室から姿を消してしまった。

 

「…………」

 

 残された教室には気まずく重苦しい沈黙がドッと降り注ぐ。

 憂太がこの息の詰まるような沈黙に耐えきれず、オドオドと口を開いた。

 

「あの……五条先生が、親睦を深めろって……」

 

 その言葉にも、教室は依然として重苦しい沈黙がドッと降り注いだままだった。

 得体の知れない化け物を抱え、触れれば暴発するかもしれない特級被呪者。攻撃してはいけないとわかりながらも彼らが武器から手を離せないのは、呪術師としての生存本能が警鐘を鳴らしているからだ。

 

 しかし。

 そんな張り詰めた空気の中で真っ先にスッと肩の力を抜き、憂太に向かって歩み寄ってきたのは――銀髪の少年、狗巻棘だった。

 

「まあ」

 

 棘はひょうひょうとした足取りで教卓の前に立つ彼の目の前まで来ると、ふんわりと気の抜けた声で口を開いた。

 

「彼本人には、悪意なんか欠片もないんだし。あんまり最初から邪険にしたら、流石に可哀想だよね」

 

 その言葉に、真希とパンダは顔を見合わせた。

 確かに彼の背後で渦巻くおぞましい呪力は脅威だが、憂太自身は怯えきったただの気の弱い少年でしかない。

 棘の一言で、教室を支配していた殺気にも似た緊張感が、ほんの僅かに、だが確実に弛緩した。

 

「改めて、よろしく。乙骨くん」

 

 彼はニッコリと人懐っこく笑い、憂太の胸元へと右手を差し出した。

 

「これはお近付きの印。一枚、どうぞ」

 

 そう言って棘が差し出してきたのは、何の変哲もない板ガムだった。

 

「あ、はい……。どうもご丁寧に……」

 

 憂太は初めて向けられた明確な好意に少しホッとしたように、震える手でその板ガムの一枚を引き抜こうとした。

 

 パチンッ!!

 

「……痛っっった!?

 

 ガムを引き抜いた瞬間、指先に強烈な電流のような衝撃が走り、完全に油断していたこともあって憂太の口からは想定よりずっと大きな悲鳴が漏れた。

 古典的極まりないビリビリの悪戯グッズである。

 

「「「…………ッ!!!」」」

 

 瞬間、教室の空気が絶対零度にまで凍りついた。

 痛みに顔をしかめる憂太の背後で、ドロリと這い出すような底知れぬ呪力が主の痛みに呼応するように明確な『殺意』を持ってうごめき始めた。

 

 特級過呪怨霊が顕現する——。

 その最悪の事態が起こる、よりも早く。

 

「おっっっま!!」

 

 ドガッ! と机を蹴り飛ばして立ち上がった真希が鬼のような形相で棘の胸ぐらを引っ掴み、前後に激しく揺さぶった。

 

「悪ノリは相手と状況考えろって、この前も言っただろが!!」

「ジョ、ジョークだってば!!」

 

 首をガクガクと揺らされながらも、棘は「へへっ」と悪びれずに笑って言い訳をする。

 

「このくらいじゃ、ほら! 僕に悪意もないし、里香ちゃん出てきてないでしょ?」

「出てきそうだっただろうが!! ほんとにお前は……ッ!」

「ごめんて!!」

 

 首を絞められかけながらもケラケラと笑う棘と、マジギレして説教をする真希。

 そのあまりにも馬鹿馬鹿しく、緊張感の欠片もない学生らしい日常的な同級生のやり取りに。

 

「…………ぷっ」

 

 痛む指先を押さえていた憂太は、背後で渦巻いていた里香の呪力がスッと引っ込んでいくのを感じながら、思わず吹き出してしまった。

 

「あはは……っ」

 

 憂太の笑い声に、真希は棘の胸ぐらをパッと離し、気まずそうに頭を掻いた。

 パンダも「やれやれ」と毛を寝かせ、棘は「ほらね?」と得意げに笑っている。

 

 教室を包み込んでいた張り詰めた殺気と恐怖の空気は、ようやく決壊し、ごく普通の高校一年生のそれへと溶けていったのであった。





棘「普通に喋るよー」

■禪院全
今回はあまり出番がなさそうな主人公
なのに妙な存在感がある……かもしれない

■五条悟
目隠しはしておらず、サングラス続行。
原作よりも更に教師としてアレな感じになっている。
一人称もそのまま。でも多分原作より強い。
教師になった理由はちょっとだけアレな感じ。

■七海&灰原
ストレートに教師になって五条のサポートを手厚くやっている。
だから五条が教師として成長しないのでは?
乙骨の状態を伝えたのもこの二人……あれ、そういえば原作でも結局伝えてはいなかったし、教師としての五条悟は言うほどスペックダウンしていない?

■乙骨憂太
秘匿死刑は宣告されていない。
原作と違ってちゃんと説明を受けた上で入学している。七海たちから!
11月にロッカー詰め込みで入学が4月半ば…? 半年間勾留されてるの…? って思いつつも、まあ色々と手続きとかあるんだろうと原作通りの時期にしました。

■禪院真希
パーフェクトフィジギフゴリラ!
全の意向で入学した生徒第一弾の一人。
向かい合ってヨーイドンなら東京校でも学生以外を含めて屈指の強さ。
禪院家では15歳で「灯or炳」に本配属なので実戦経験はほぼない。
特級呪霊はもちろん全が組手のために呼んだやつなので、本人としては「いやまあ殴り倒したのは確かだけど訓練だしな……」くらいに思ってる。

■狗巻棘
しゃべる! おにぎらない! DX狗巻棘!!
術式入れ替え済みで安全におしゃべりできる。
好きなもの:悪ノリを全面に押し出しつつ優しげなやつに仕上げた。
全が安全のために「術式入れ替えは5歳から」としているのでちょっとだけ呪言使えた時期もあるはず。持っている術式は後ほど。

■パンダ
パンダ。唯一強化要素があまりない。
強いて言うなら呪術界の平均値が上がっているので、それに多少引っ張られているかも?

……といった感じで呪術廻戦0編開始となります。
夏油闇落ちがないため、後半が大幅に変更されて山場が少ない“つなぎ”のような章となっています。
その分、これまでに全がやってきた改革の結果がダイレクトに反映された感じの呪術界をお見せする内容となっているかと思われます。
全6話構成です、よろしくお願いします!
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