禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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うちじゃ、一桁のガキでもこんなん余裕でやれるぞ。甘えてんじゃねえ
うわあ……基準が違いすぎる……!



21.呪術0-新時代の術師たち

 弛緩した空気が教室に満ち、一同はようやくそれぞれの席に腰を下ろした。

 

「さっきはごめんねー、驚いたでしょ?」

 

 棘は悪びれる様子もなくヘラヘラと笑いながら、憂太に向かってちょこんと両手を合わせた。

 

「ああいう緊迫した空気苦手でさあ。……改めまして、僕は狗巻棘ね。こう見えても準一級の二重術師だよ」 

 

 『二重術師』。

 その言葉は、禪院全が呪術界に君臨して以降、ごく一般的に使われるようになった「複数の術式を持つ者」の称号である。

 狗巻家という呪言師の家系でありつつも、産まれ持ってしまった呪言を手放し、取引によって代わりに二つの有用な術式を与えられた彼の肩書き。

 

「……まあ、コイツはこう言うヤツだから」

 

 真希が呆れたようにため息をつきながら、立てかけていた薙刀を机の横に置いた。

 

「私は禪院真希一級だ」

 

 禪院全の懐刀と同じ天与呪縛のフィジカルギフテッドであり、一級という高位に上り詰めている彼女の言葉には、確固たる誇りと実力が滲み出ていた。

 全の徹底した実力至上主義の恩恵を最も受けている一人であり、彼女が一級の地位に収まっていること自体、かつての禪院家ではあり得なかったことである。

 

「棘はノリは良いやつだしすぐ仲良くなれると思うぞ。俺はパンダ二級だ」

 

 パンダがのっそりと立ち上がり、憂太に向かって親指を立てた。

 その存在感は憂太にとっても最初は最も異様に見えたが、今ではただの気のいい同級生にしか見えない。

 

「憂太は何級なんだ?」

 

 パンダが何気なく尋ねた。

 

「え、えっと……アレですよね」

 

 憂太は視線を泳がせながら、七海や灰原から聞かされた「呪術師の等級」という聞き慣れないシステムを頭の中で引っ張り出した。

 

「七海先生が言ってた、呪術師の等級……ってヤツですよね? 一応、特級って事になってるらしいですけど……」

 

 彼が申し訳なさそうに、消え入るような声でそう答えた瞬間。

 

「「「特級!?」」」

 

 教室に、三人の驚愕の声が完璧にハモって響き渡った。

 

 特級呪術師

 それは単純な実力や才能といったモノサシでは到底測りきれない、()()()()()()()()()()()ほどのバケモノにのみ与えられる称号である。

 現在の呪術界に於いてその恐るべき名を冠しているのは無下限と六眼を併せ持つ五条悟、局所的な大気を操り台風すら起こしてみせる夏油傑、呪術界の根本を覆すような独自研究を続ける九十九由基、そして――あの特異点にして新しき呪いの王、禪院全

 そのたった四人しか居ない狂った領域に、目の前でビクビクと怯えているもやしのようなひ弱な少年が名を連ねているというのだ。

 

「ま、マジか……」

 

 真希が信じられないものを見るように目を剥き。

 

「うっわー……」

 

 棘が先ほどの悪戯を本気で後悔したように顔を引き攣らせ。

 

「特級被呪者ってそういう……」

 

 パンダが憂太の背後に潜む『里香』という呪いのヤバさを改めて痛感し、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 憂太は彼らの驚愕の反応にますます居心地が悪くなり、「あ、あの、僕自身は全然そんなんじゃなくて……!」と両手を振って必死に弁解しようとした。

 

「おまたー」

 

 特級というワードに固まっていた教室の空気を、ガララッとつま先で行儀悪く引き戸をこじ開けて入ってきた五条悟が見事にぶち壊した。

 

「よーし、親睦は深まったかな?」

 

 両手にそれぞれ黒い紙袋と謎のジュラルミンケースをぶら下げた悟は、相変わらず飄々とした足取りで教卓へと戻ってきた。

 生徒たちの引き攣った顔色には一切気づいていないのか、あるいは気づいていてわざと無視しているのか。

 

「午後の授業は任務を兼ねた戦闘実習! みんな等級的にはバリバリ単独任務やれるレベルなんだけど、今日は転校生の顔合わせも兼ねてるからね。ペア実習にしよっか」

 

 悟は黒板にチョークで素早く名前を書き殴りながら、パンッと手を叩いた。

 

「棘&パンダペア、と……真希&憂太ペアね」

「げっ」

 

 その組み合わせを聞いた瞬間。

 つい先ほど、憂太が「特級」だと知らされたばかりの真希の口から、心底嫌そうな声が漏れた。

 

 触れれば暴発するかもしれない特級過呪怨霊を抱えつつも、自分自身は呪術の「じゅ」の字も知らないひ弱な素人。

 そんな歩く爆弾のストッパー役を、よりにもよって自分がやらされるハメになったのだから無理もない。

 

「んー? なにか不満でも?」

 

 悟がサングラスをずらし、わざとらしく小首を傾げる。

 

「な、なんで私がこの爆弾転校生の相手なんだよ!」

 

 真希が立ち上がり、薙刀をドンッと床に突いて抗議した。

 

「棘は二重術師で遠距離もサポートもできるし、パンダは頑丈なんだから適任だろ!」

「あー、それなんだけどさ」

 

 悟は、持ってきたジュラルミンケースを教卓の上にドサリと置き、ニヤリと悪戯っぽく笑った。

 

「真希が一番()()だし、何より……もし里香ちゃんがご機嫌ナナメになって出てきちゃっても、真希ならワンチャンボコボコにできるかもしんないじゃん?」

「できるかバカ!!」

 

 真希の怒声が教室に響く。

 天与呪縛のフィジカルギフテッドである彼女の実力は、確かにそこいらの特級呪霊とも渡り合えるほどの規格外の強さではある。

 しかし祈本里香という特級過呪怨霊の底知れなさは、悟の「ワンチャン」で済まされるようなレベルではないはずだ。

 なにせ、それに憑かれた憂太が「特級呪術師」と認定されている――つまり、国家転覆級の脅威と認定されているのだから。

 

「まーまー、そんくらい真希には期待してるって事!」

 

 悟は、真希の抗議をヒラヒラと手を振って躱しながら、悪びれる様子もなくウインクした。

 

「なんたって、高専の一年生で俺との組手がまともに成り立つレベルなんだからさ。自信持ってよ、ゴリラ」

「誰がゴリラだ!」

 

 額の青筋をさらに増やす真希。

 だが、悟の言葉は決して出まかせやお世辞などではない。彼がわざわざ面倒な教師という道を選んだのには明確な目的があるのだ。

 そして現状その目的にある程度届き得るほどの圧倒的なポテンシャルを見せているのは二年生の秤金次と、一年生にして完成された天与呪縛の真希くらいのものであり、そこに名を連ねられる事自体が、その実力を高評価している証左だ。

 そしてそこに底知れぬ呪力の器である特級・乙骨憂太が加わる可能性が高いと、悟は六眼を通して確信に近い期待を抱いている。

 

 悟は教卓に置いたジュラルミンケースのロックをガチャリと外し、ゆっくりと蓋を開けた。中から姿を現したのは、黒い鞘に収められた一振りの日本刀であった。

 

「ほら、受け取って」

 

 悟が鞘ごとヒョイと投げて寄越したそれを、憂太は慌てて両手で受け止める。

 

「……っ」

 

 ずっしりとした金属の冷たい重みが、彼の細い両腕にのしかかった。

 

「し、真剣……!?」

 

 憂太が目を丸くして驚愕の声を上げると、悟はニッと笑って頷いた。

 

「それ、今日から憂太の刀ね。名前は……まだないから、好きにつけていいよ」

「ぼ、僕の……?」

 

 彼は恐る恐るその黒い柄を握りしめ、自分には到底似つかわしくない物騒な代物を見つめた。

 

「呪いってのはさ、何もない空間に漂ってるより形のある物質に憑いている状態が一番安定するんだ」

 

 悟は教卓に寄りかかりながら、教師らしい真剣なトーンで説明を始める。

 

「だから憂太はその刀に、少しずつでいいから『里香ちゃんの呪力』を意識して流し込んでコントロールする感覚を身につけていくんだ」

「流し込んで……コントロールする?」

 

「そう。それを毎日繰り返して、刀に収める呪いの量を増やしていく。——そしていずれは、里香ちゃんの全てをその刀一本の中に収めるんだ。そうすれば、彼女が無闇に暴走して周りを傷つけることは無くなって、万事解決って訳さ」

 

 その言葉は自分のせいで他人が傷つくことを何よりも恐れ、死すら望んでいた憂太にとってこれ以上ないほど明確で具体的な『希望への道筋』であった。

 

「……ホントはさ」

 

 悟はそこで言葉を区切り、サングラス越しにチラリと真希の方へと視線を向けた。

 

「真希んところの当主にでも来てもらえれば、色々と手っ取り早くて確実な解決策がわかるんだろうけど……」

 

 呪術界の特異点であり、他者の術式を簒奪しあらゆる術式を我が物としている、禪院全。彼ほどの理不尽なまでの解析能力と干渉力があれば、祈本里香という特級過呪怨霊の構造を解き明かし、より安全に解呪、あるいは安定化させる方法を一瞬で見出せるかもしれない。

 いくら嫌味を言い合う仲とはいえ、生徒の命が懸かっている場面において悟はその絶対的な能力の有用性を認めるのにやぶさかではなかった。

 

 しかし悟の視線を受けた真希はやれやれと首を振り、心底呆れたように肩をすくめた。

 

「……生憎、うちの当主サマは去年あたりから()()()()()()()に掛かりっきりらしくてな」

 

 真希の言葉に、教室の空気がほんの少しだけピリッと冷たくなる。

 

「それが完璧に制御できるまでは、誰にも邪魔されずに集中したいんだとさ。……今本家に行っても、多分門前払い食らうのがオチだぞ」

 

 その言葉の裏にある、禪院家の奥深くで進行しているであろう得体の知れない事象。呪術界を根底から作り変えた特異点がそこまでして没頭する「オモチャ」とは、一体どれほどおぞましく、あるいは強大な代物なのか。

 

「……だそうだよ」

 

 悟は仕方ないというように、そしてどこか忌々しげに短くため息をついた。

 結局のところ、憂太の呪いは憂太自身で制御し、向き合っていくしかないのだ。

 

 憂太は悟と真希の会話が何を意味しているのか完全には理解できなかったが、与えられた刀の冷たい柄を、自分の体温で温めるように、ギュッと両手で握りしめた。

 

「里香ちゃんを……この刀に」

 

 ぽつりと呟き、刀身に視線を落とす。

 

 誰も傷つけないために。

 呪術高専というこの新しい場所で、自分を受け入れてくれた大人たちや同級生たちと、生きていくために。

 

 少年は、自分の影の奥底に潜む巨大な愛と呪いに立ち向かう覚悟を、その小さな刀身へと重ねていた。

 

「よし」

 

 憂太が与えられた真剣を慎重にジュラルミンケースの中へと収めるのを見届けると、悟はパンッと軽く手を叩いた。

 

「じゃー、そろそろ行こっか。午後の実習、兼ねて初陣ね」

 

 悟はそう言いながらもう片方の手に提げていた黒い紙袋をガサゴソと漁り始め、そして中から取り出したのは――掌サイズの肌色をした不気味なキューブだった。

 その四角い表面には何故か血走った人間の目玉のようなものが一つギョロリと埋め込まれており、時折瞬きをするようにピクピクと動いている。

 

「はい、これ」

 

 悟はそのグロテスクなキューブを四つ取り出し、真希、棘、パンダ、そして憂太へとそれぞれポンポンと無造作に配って回った。

 

「ヒッ……!?」

 

 憂太は手渡された瞬間に生温かい肉の感触がしたそれにギョッとして、思わず落としそうになった。

 しかし他の三人の同級生たちは、顔色一つ変えずに当たり前のようにそれを受け取り制服のポケットやポーチへと無造作に仕舞い込んでいる。

 

「な、なんですかこれ……?」

 

 憂太は手のひらでピクピクと動く目玉付きのキューブ型呪具と見つめ合いながら、引き攣った顔で悟に問うた。

 

「ああ、これ?」

 

 悟はサングラスの奥で面白がるように目を細めた。

 

魍魎匣(もうりょうばこ)——いわゆる、()()()()()()()()ね」

 

「……は?」

 

「弱らせた呪霊にぶつけると、スポンッ! て中に入って捕獲できる便利な呪具。……まあ、真希んところの胡散臭い当主サマが作って、呪術界にばら撒き始めたヤツなんだけどさ」

 

 悟は肩をすくめつつ、そのおぞましい「モンスターボール」の正体を語った。

 

「その禪院家の当主が持ってる『呪霊操術』って術式の肥やしにするんだよ。捕獲してウチの窓口を通して納品すれば、中身の呪霊の強さや持ってる術式に応じて禪院家から追加報酬が支払われる仕組みになってんの」

 

 つまりこれは呪霊を生け捕りにし、全という特異点のコレクション――あるいは軍事兵器の弾薬庫――を際限なく潤すための合理的極まりない回収システムであった。

 任務などのついでにこのキューブを使って呪霊を納品すれば小遣い稼ぎや術式取引のポイントとして還元されるため、今や広く呪術界に普及しているのだ。

 

「一つにつき一匹しか入らないからね。たくさん持つと嵩張るし、間違ってもそこら辺飛んでる蠅頭とかの雑魚呪霊には使わないように!」

 

 悟はビシッと人差し指を立てて憂太に注意を促す。

 

「勿体無いからできるだけ二級以上の呪霊にしてね! 準一級以上の術式持ちならボーナス確定だよ!」

 

「…………」

 

 憂太は手のひらの上で瞬きをする肌色の肉塊キューブを軽く引いた目で見つめた。

 これを使って呪霊を捕まえ、それを強大な権力者が自身の力として喰らい尽くす。

 あまりにも理にかなっているが、同時にどこまでも人間の業と欲望が煮詰まった、ひどく冷酷なシステム。

 

(かなり邪悪なモンスターボールだなぁ……)

 

 憂太は恐る恐る、そのシステムの元締めである禪院家の人間――真希の方へと視線を向けた。

 

「……ッ!」

 

 その怯えとドン引きが入り混じった憂太の視線に気づいた真希は顔を真っ赤にし、持っていた薙刀の石突きで床をドンッ! と強く叩いた。

 

「……言っとくけど、私のセンスじゃねーからな!!」

 

 真希は自分がこの悪趣味極まりない呪具のデザインに関与していると思われてはたまらないとばかりに全力で抗議した。

 

「あの当主とその取り巻きの変態呪具師どもが考えた悪趣味なオモチャだ! 私を同類みたいに見るな転校生!!」

 

「ひっ、す、すいません……!」

 

 真希の剣幕に、憂太は慌ててキューブをポケットに突っ込み、深く頭を下げた。

 

 棘が「まあまあ」と笑いながら真希を宥め、パンダが「まあ、デザインはともかく実用的ではあるからな」と冷静にフォローを入れる。

 そんな一年生たちのドタバタとしたやり取りを、悟は「あはは」と愉快そうに笑いながら見守っていた。

 

「よしよし、それじゃあ準備も整ったし出発進行! 今日の獲物は強い呪霊だといいねー」

 

 特級過呪怨霊を抱える少年と、最強の矛たる天与呪縛の少女。そして呪言を捨てた二重術師と、喋る謎のパンダ。

 五条悟率いるこの異端で強大すぎる一年生チームは、初めての合同任務という名の初陣へと、騒がしく歩み出していったのである。

 

 

 初めての任務へ向かう車中。

 五条悟の引率のもと、補助監督である伊地知の運転する黒いセダンには憂太と真希が同乗していた。

 もう一つのペアである棘とパンダは、別の車両で別の現場へと向かっている。

 

 やがて車が停まったのは、閑静な住宅街の一角にあるごく普通の――。

 

「……小学校?」

 

 憂太は車の窓から外を覗き込み、不思議そうに首を傾げた。

 彼がこれまで『呪い』がいる場所と聞いて勝手に思い浮かべていたのは、廃屋や廃病院、あるいは古びた墓地といった、いかにも不気味なスポットであった。

 だが、目の前にあるのは、綺麗に手入れされた花壇や、校庭にカラフルな遊具が並ぶ、ごく普通の現役の教育施設である。

 

「そ。意外でしょ?」

 

 助手席からひょっこりと顔を出した悟が、サングラスをずり下げてニヤリと笑った。隣に座る真希も憂太の疑問に答えるように口を開く。

 

「廃墟なんぞより生きた人間がウジャウジャいる場所の方が、よっぽど呪いは集まりやすいんだよ」

「……どうしてですか?」

 

「呪いを生むのは人間の感情そのものだからな。不安、恐怖、嫉妬……そういうドロドロした負の感情の受け皿になりやすいのは、常に人が密集している現役の施設なんだよ。学校とか病院とか、特にな」

 

 真希の現実的な説明に、憂太はハッとして校舎を見上げた。

 確かに多くの人間が毎日集い、様々な感情を交差させる場所。そこが最も呪力の澱みが溜まりやすいのだと、虐めを受けていた憂太には実感を持って理解できた。

 

「ここ最近、この小学校で児童が立て続けに二人失踪しているんです」

 

 運転席の伊地知が、手元の資料を確認しながら重苦しい声で説明を付け加えた。

 失踪。その言葉の響きに、憂太の顔がサッと青ざめる。

 

「……生きてたら保護、死んでたら回収ね」

 

 悟の口からこぼれた、あまりにもドライな言葉。

 それは呪術師として日常的に死と隣り合わせにいる者特有の割り切った響きだったが、まだこの世界に足を踏み入れたばかりの憂太にとっては顔を強張らせるには十分すぎるほどの冷酷さだった。

 彼が守るべきものと直面する現実の重さが、初めて形を伴ってのしかかってきたのだ。

 

「さてと、今回は俺がやるから」

 

 伊地知に代わり、悟が車から降りて小学校の正門前へと立った。

 スッとサングラスを上げ、蒼い六眼を空へ向ける。

 

「——闇より出でて 闇より黒く その穢れを 禊ぎ祓え

 

 悟の静かな詠唱とともに、空から漆黒の(とばり)が、まるで夜の闇のようにゆっくりと降りてきた。

 それは小学校の敷地全体をすっぽりとドーム状に覆い隠し、白昼の景色を一瞬にして不気味な夕闇へと変貌させた。

 

「これは『(とばり)』。呪いをこの中に閉じ込めて炙り出し、同時に外の非術師たちの認識を逸らす力がある結界だよ」

 

 悟が振り返り、呆気にとられている憂太にウィンクして見せた。

 そして緊張でガチガチになっている彼と薙刀を肩に担いだ真希の背中を、ポンポンと軽く押した。

 

「じゃあ行ってらっしゃい! わかってると思うけど、今回真希は基本手を出さずに危ない所だけカバーね。でなきゃ、憂太が何も分からないうちにワンパンで終わっちゃうし」

 

 天与呪縛の暴力で瞬殺してしまっては、憂太の訓練にならない。

 

「んな事わかってるわ」

 

 真希は悟の軽口に忌々しげに舌打ちをしつつも顎でしゃくって彼に先導を促した。

 

「行くぞ、転校生。オドオドしてんじゃねえ」

「は、はい……っ!」

 

 憂太はジュラルミンケースをしっかりと胸に抱え込み、大きく深呼吸をした。

 初めての帳の中。初めての任務。

 

 恐怖と不安、そして自分が誰かを傷つけてしまうかもしれないという重圧を抱えながら、少年は薄暗い校舎へと続く道へ震える足で第一歩を踏み出したのであった。

 

「おい。いつまで大事に抱え込んでんだ、意味ねーだろ」

 

 帳が下り、薄暗く気味の悪い静寂に包まれた校舎の廊下。

 真希が前を歩きながらも振り返らずに、ジュラルミンケースを胸にギュッと抱きしめている憂太に呆れたように声をかけた。

 

「え、あっ、はい……!」

 

 憂太は慌ててケースのロックを外し、中から黒い鞘に収められた真剣を恐る恐る取り出した。

 ズシリとした本物の刃の重みに再び手が震える。

 これからこの刀で「呪い」とやらを斬る。里香の力をここに流し込むのだという現実感が、少しずつ湧いてきていた。

 

 おっかなびっくり柄を握りしめ、抜き身にはせずに鞘ごと抱えるようにして、彼は真希の少し後ろを付いて歩く。

 窓から差し込む光は帳によって遮られ、不気味な薄紫色の影が長く伸びている。

 

「……あの、禪院さん」

 

 呪いの気配を探りながら、静まり返った教室を一つ一つ確認していく道中。

 憂太はどうしても拭いきれない疑問を口にした。

 

「よく考えたら……今日入学してその日の午後に即任務って、いくらなんでもおかしくないですか?」

 

 普通、学校といえば座学や基礎訓練から始まるものだ。

 右も左も分からない、つい数時間前まで地下室で死のうとしていた素人をいきなり実戦に放り込むなど、どう考えても狂っている。

 

 その憂太のもっともな疑問に、前を歩く真希は鼻で「フン」と笑った。

 

「教育機関みたいなテイしてるけどな。高専ってのは、学生だろうが何だろうが顎で使う呪いの()()()()みたいなもんなんだよ」

「駆除、業者……」

 

「そうだ。そもそも呪いが見えて、呪力をまともに扱える人間なんてのは世の中に一握りしかいねえ。未熟だろうが素人だろうが、使える手駒は全部使わなきゃ、全国に湧いてくる呪いの数に全く追いつかねえんだよ」

 

 真希の言葉には、呪術界が抱える慢性的な、そして致命的なまでの「人手不足」という現実が重くのしかかっていた。

 才能ある者は少なく、呪いは人間の負の感情から無限に生まれ続ける。需要と供給のバランスが完全に崩壊している世界なのだ。

 

「……人手不足、エグいんですね」

 

 憂太は想像以上のブラック企業ぶりに顔を引き攣らせた。

 

「まあな。でも、これでもかなり()()()()()なんだ」

 

 真希は肩に担いだ薙刀をトントンと叩きながら、少しだけ声のトーンを落とした。

 

「うちの当主——禪院全が進めた術式取引だのなんだのの改革のおかげでな。末端の呪術師たちの殉職率は、一昔前の三割以下にまで激減したんだとさ」

 

「さ、三割以下……!?」

 

 憂太は目を丸くした。たった一人の人間の改革で、それほどまでに目に見えて犠牲者が減っているという事実。

 先ほど教室で「超名門」と紹介された時はいまいちピンときていなかったが、憂太は今更ながらに『禪院さんの家って、もしかして滅茶苦茶凄いのでは……?』と実感し始めていた。

 

 しかし当の禪院家の人間である真希の顔は、そんな一族の功績を誇るどころか、ひどく複雑でどこか忌々しげなものであった。

 

「勘違いすんなよ。うちの当主サマが、正義感とか人助けのためにそんなことやってるわけじゃねえからな」

「えっ、そうなんですか?」

 

「あいつの場合、たまたま自分の『やりたい事』——術式や呪霊をコレクションして自分の玩具にするってエゴを追求したら、結果的に治安が良くなったパターンだな」

 

 真希は忌々しげにため息をついた。

 呪詛師をミイラにして寿命を啜り、術式を売り買いして呪術界のトップたちを傀儡にする。その人間を資源としたあまりにも非情で合理的なシステムが、結果として「術師が死ににくい世界」を作ってしまったという強烈な皮肉。

 

「なんか、ちょっとした掛け違いがあったら人類最悪の(ヴィラン)になってても全然違和感ないんだよな、うちの当主……」

 

 真希の冗談とも本気ともつかない毒舌に、憂太は「あはは……」と乾いた苦笑を漏らすしかなかった。

 呪術界の頂点に君臨する男がそんな紙一重の存在だという事実に、この世界の底知れなさを改めて思い知らされる。

 

 ――そんな、二人の緊張感を紛らわせるような会話が途切れた、その瞬間だった。

 

「……!」

 

 真希の足がピタリと止まる。

 天与呪縛の研ぎ澄まされた五感が、廊下の奥——理科室の扉の向こうから漂ってくる、生臭くドロリとした重い「何か」の気配を捉えたのだ。

 

 理科室の扉が、ゆっくりと嫌な音を立てて開いた。

 

 その奥の暗がりから、不気味な姿をした呪霊が三体、ズルリと這い出してきた。

 それは人間の手足を無理やり縫い合わせたような、あるいは巨大なガマ口財布に手足が生えたような、おぞましい形をしていた。

 ギョロリと血走った巨大な眼球が、憂太と真希の二人をねめ回す。

 

「は……は、はいるぅ?」

 

 その口から縫い付けられた粗い糸をブチブチと引きちぎりながら、人間の声帯を無理やり震わせたような歪んだ誘い文句が漏れた。

 パカッと大きく開いたガマ口の奥には、ドス黒い闇と鋭い牙がびっしりと並んでいるのが見える。

 

「ひっ……!」

 

 憂太はあまりの気味悪さに思わず一歩後ずさった。

 今まで自分の周囲で里香が引き起こしていた凄惨な現象は見慣れていたが、明確な殺意と意思を持って自分に襲いかかってくる純粋な化物と対峙するのは、これが初めてだった。

 

 だが隣に立つ真希はそんな呪霊たちを見て鼻でふんと嘲笑った。

 

「ほら、おいでなすったぞ。……三級、ってとこか。雑魚だな」

 

 彼女は構えていた薙刀をストンと肩に担ぎ直し、一歩下がって壁に背中を預けた。

 そして、顎で憂太をしゃくってみせた。

 

「見ててやっから、一人でやってみろ」

「えっ!?」

 

 憂太の顔が引き攣った。

 

「す、スパルタ……!!」

 

 初めて見る化け物を前にして、たった今ケースから出したばかりの刀を震える手で持っている素人に、「一人でやれ」と丸投げする。

 だが、真希は「あ?」とドスの利いた声で睨み返してきた。

 

「うちじゃ、一桁のガキでもこんなん余裕でやれるぞ。甘えてんじゃねえ」

「うわあ……基準が違いすぎる……!」

 

 憂太は禪院家という武闘派一族の恐るべき英才教育——おそらくは当主による「実力至上主義」のスパルタぶりを想像して震え上がった。

 

「や、やってみます……!」

 

 彼は震える足に力を込め、おっかなびっくりと黒い鞘から真剣を引き抜いた。

 シャリン、と冷たい刃の音が薄暗い廊下に響く。

 初めて握る日本刀の重みとバランスの悪さに戸惑いながらも、憂太は両手で柄を握りしめ、ジリジリと間合いを図った。

 

「へっぴり腰過ぎんだろ! 刃筋がブレてんぞ!」

 

 背後から、真希の容赦ない指導の言葉が飛んでくる。

 

「も、もっとこうですか!?」

「踏み込みが甘い! それじゃあ斬る前に食われるぞ!」

 

「は、はいるぅううう!?」

 

 三体のガマ口呪霊が、一斉に口を大きく開けて飛びかかってきた。

 ドロリとした涎を垂らし、鋭い牙が憂太の顔面へと迫る。

 

(怖い……! でも、やらなきゃ……!)

 

 憂太は恐怖で目をギュッと瞑りそうになるのを必死に堪え、重い刀を無我夢中で振り回した。

 

 ――ズバッ! ぐちゃり。

 

 嫌な手応えと共に、予想に反してその刃はあっさりと不気味な呪霊の肉を断ち切っていた。

 三級程度の低級呪霊の動きは、思っていたよりもずっと鈍重で、憂太の出鱈目な太刀筋でも十分に届いてしまったのだ。

 

「ギ、ギィィイッ……!!」

 

 断末魔の叫びを上げて、三体のガマ口呪霊は紫色の煙となって消滅していった。

 床には、彼らが持っていたであろうドロリとした体液の残滓だけが残されている。

 

「うっ、わ……」

 

 憂太は刀身から伝わってきた生々しい「肉を断つ」という感触と、その気味の悪い光景に、思わず顔をしかめて呻いた。

 

「まあ、動きは素人丸出しのゴミだが……初めてにしちゃ、刀を落とさなかっただけマシだな」

 

 真希が壁から離れ、軽く採点するように呟いた。

 そして憂太の顔色など気にすることなく、薙刀を肩に担ぎ直してズンズンと廊下の先へと歩き出す。

 

「よし、次探すぞ」

 

「もしかして……」

 

 憂太は血のような体液を震える手で拭いながら、スタスタと歩いていく真希の背中を追いかけた。

 

「お嬢様っていうか、禪院家って……戦国時代の武家みたいな家だったりするんですか……?」

 

「武家ってよりは、『強さがアイデンティティの()()()()』だな」

 

 真希が振り返りもせずに鼻で笑った。

 その言葉は、全の作り上げた実力至上主義によって研ぎ澄まされた、今の禪院家の異常な強さと在り方を、これ以上なく正確に表していたのであった。




パンダ「一人だけそのままなのもアレだから二級なんだと。俺の扱い雑じゃない?」

■乙骨の刀
とっとと渡しておくべきでは? と思ったのでこの時点で渡す。
多分ナナミンあたりの提案。

魍魎匣(もうりょうばこ)
邪悪なモンスターボール。
動くものを目で追う、撫でると目を細める。
目を突くと涙を流す、などベヘリットくらいには表情(?)がある。
呪霊操術で取り込める程度に呪霊を痛め付けてから投げつければカパッと口を開けて呪霊玉を飲み込む。条件を満たせば確定成功。
ちなみに歯もある。キモい。

■禪院家の対呪霊訓練
術式を安全に入れ替えられる五歳過ぎには呪力や術式の扱いを教わり、遅くとも10歳までにはだいたい三級くらいは倒せるようになる。
呪霊操術訓練にも便利すぎる。

原作では小学校の呪霊も闇落ち夏油の仕込みですが、ここでは自然発生によるものとなります。
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