禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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ありがとう、憂太。……時間をくれて。ずっと、側に置いてくれて

里香はね、この六年間が……生きてるときよりずっっっと、幸せだったよ!


25.呪術0-救済者の形

 ——僕自身が解いてみせます。

 そう力強く宣言した直後に現れた、呪術界の頂点に君臨する男からの申し出。

 乙骨憂太は差し出されたその提案にすぐには頷けず、口を引き結んで少しだけ視線を彷徨わせた。

 

(たった今、僕の手で里香ちゃんを自由にするって決めたばかりなのに……)

 

 それに何より、目の前に立つ禪院全という男が放つ異質さだ。

 ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべてはいるが、禪院真希五条悟などが時折語る「呪いを資源とする」という事前情報や、特級術師たちすら気配を察知できなかった底知れぬ実力を肌で感じれば、おいそれと大切な幼馴染の命運を預けていいものか本能的な警戒心が警鐘を鳴らすのも無理はなかった。

 

 憂太が言い淀んでいると、その葛藤を察した悟がポンと軽く彼の肩を叩いた。

 

「まあ迷うのも無理はないけどさ。でも憂太、一つだけ言っておくよ」

 

 彼はサングラスを指で押し上げ、胡散臭そうに全を横目で見やりながら言った。

 

「この若作りの当主サマ、超絶胡散臭いけどさ。……()()()()()()()()()()()っていうテクニカルな面においては、マジで信用できる。それだけは、俺が一応保証してあげるよ」

 

 それは悟なりの不器用な太鼓判だった。

 自身も胸を貫かれるほどの死闘を演じた魔虚羅を、()()()として無数の術式で鮮やかに圧倒してみせたあの技術。こと「呪いという現象の理をハックする」という一点において、この男の右に出る者はいないはずだ。

 

「五条先生が、そこまで言うなら……」

 

 憂太は自分の胸元にそっと手を当てた。

 ドクン、と奥底で脈打つ、強大すぎる呪いの気配。

 愛する里香を、こんなおぞましい化物に貶める呪縛。それを一刻も早く解いてあげるべきではないのか。

 ()()()()()()()()()()などというのは、結局のところ自己肯定感を得たいという醜いエゴなのではないか。

 

(いつになるかもわからないほど先延ばしにして、その間ずっと里香ちゃんをあんな苦しそうな姿のままにしておくなんて……それこそ、本末転倒だ)

 

 憂太の瞳に、迷いが晴れた確かな光が宿った。

 彼は深く息く吸い込み、禪院全へと真っ直ぐに向き直ると、深々と頭を下げた。

 

「……どうか、力を貸してください。里香ちゃんを、助けてあげたいんです」

 

 その真っ直ぐで純粋な懇願に全は満足そうに目を細め、三日月の如き笑みを深く刻んだ。

 

「いいとも。それじゃあ……ひとまず、その『祈本里香』を完全な形で見ないことには始まらないよね」

「……御当主様、まさか単に見たいだけじゃないだろうな」

 

 真希があからさまな疑いの眼差しでジトッと全を睨みつけた。彼女からすれば、この男が「ただ面白そうだから」という個人的な理由だけで特級過呪怨霊を完全顕現させ、高専の一帯を更地にしかねないことなど容易に想像がついたからだ。

 

「……こんな場所で、やめていただきたいのですが」

「いやいや、被害がデカくなりそうで危ないからって本格調査に二の足を踏んでたんでしょ!?」

 

 七海が閉口し、九十九由基も呆れたように声を上げた。

 先ほど七海が言っていた通り、特級過呪怨霊の完全顕現など被害を抑えきれる保証がない以上、調査のためだけに呼び出すのは狂気の沙汰である。

 

 しかし、悟は顎に手を当てて、六眼で全の体内を透かし見ながらニヤリと笑った。

 

「いや、そうでもないかもよ」

「悟?」

 

「最初に押さえ込んでしまえば、多分この場でなんとかしちゃうよ、このヒト」

 

 悟の言葉に、傑も九十九も訝しげに眉を寄せる。

 青く輝く六眼は、全の生得領域の奥深くで渦巻いている無数の術式の中に、ひときわ異彩を放つ『新しいピース』を捉えていた。

 

「またどっかの可哀想な奴から、都合のいいモン剥ぎ取ってきたんでしょ?」

「まあね。ひとまず霊魂そのものが過呪怨霊へ変化したケースなら、なんとかできる自信はあるよ」

 

 全はあっさりと肯定し、悪びれる様子もなく肩をすくめた。

 そして一切の予備動作もタメもなく、ただ静かに右の拳を左腕の内側へと押し当てた。

 

「――布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)

 

 ゴォォォンッ!!

 

 全の足元からグラウンドの芝生を黒く塗りつぶすように巨大な影が爆発的に広がり、そこからせり上がってきたのは、神話の戦神を思わせる純白の巨躯。

 頭上に不吉な法陣を戴き、右腕に退魔の剣を括り付けた怪物。

 

 ——八握剣(やつかのつるぎ)異戒神将(いかいしんしょう)魔虚羅(まこら)

 

「ひっ……!?」

「うおぉっ!?」

 

 突如として真昼の高専に顕現した、あまりにも理不尽な気配を放つバケモノ。

 初めてそれを間近で見た憂太は悲鳴を飲み込み、パンダは毛を逆立てて後ずさり、棘も冷や汗を流して身構えた。

 

 だが、その特級呪霊すら凌駕する禍々しい殺気を放つ怪物は、全の背後に回ると、まるで忠実な騎士のように音もなくその場に跪き微動だにしなくなった。

 

「……え?」

「な、なんだあれ……大人しい……?」

 

 ギョッとしていた一年生たちは、魔虚羅のそのあまりにも絶対的な服従姿勢を見て、徐々に警戒を解き始めた。

 

「これが噂の魔虚羅か……すっげえ威圧感だな」

「うぉ、かっこよ……」

 

 パンダと棘が恐る恐る、しかし興味津々といった様子でしげしげと神将の巨体を観察し始める。

 

「魔虚羅だけじゃない。万が一に備えて、結界関連の術式で周囲の保護も完璧に固めておこう。……祈本里香がどれだけ暴れても、外には指一本触れさせないし、完全に押さえ込む手段は用意してあるから安心していいよ」

 

 全は傅く最強の式神を背に、まるでこれから極上のショーを披露する手品師のような優雅な手つきで、憂太へと手を差し伸べた。

 

 

「——はい。どうか、お願いします……!」

 

 憂太は小さく頷き、銀色の指輪を左手に握り締めた。

 結界の外側からは真希、パンダ、棘、そして特級術師たちからの心配げな、しかし力強い励ましの視線が向けられている。

 禪院全は魔虚羅を背後に侍らせたまま、優雅に片手を広げてみせた。

 

「いつでもいけるよ。……さあ、君の愛を、呪いの形を、見せてごらん」

 

 その言葉を合図に。

 憂太は掲げたリングに己の呪力を流し込んだ。

 

「――来て、里香ちゃん

 

 ドズゥンッ……!!

 空間が重く、粘り気のある何かに圧し潰されたように沈み込んだ。

 

 憂太の影の中から、ズクリ、ズクリと。

 巨大で、白くおぞましいほどに歪な影が這い出してくる。

 

『――なぁにぃ……ゆぅたぁ〜?』

 

 少女のような甘ったるい声と、怨念を煮詰めたようなノイズが入り混じった、鼓膜を引っ掻くような悍ましい声。

 結界を隔ててなお、グラウンドの空気をビリビリと震わせる異様なほどの呪力。

 総量、出力。そのどれもが、特級という枠すらも飛び越えた、異常としか言いようのない化け物の顕現。

 

「……なるほど。こいつはスゲェや」

 

 結界の外で五条悟がサングラスをずらし、六眼を大きく見開いた。彼の目の前に初めて完全顕現した祈本里香を、神域の目が原子レベルで観測する。

 その視界には彼女を形作る複雑怪奇な呪力の塊と――それ以上に強固でドス黒い、悲しいほどに強固な『執着』という名の呪いの縄が憂太の方から彼女の魂へと伸び、がんじがらめに絡み付いているのがはっきりと確認できた。

 

 ——やはり、呪っていたのは憂太のほうであった。

 愛する者の死を拒絶し魂を現世に縛り付けた、純粋すぎる愛の呪縛。

 

『……だぁれぇ゙……このひとォ〜?』

 

 完全顕現した里香の巨大な単眼がギョロリと動き、憂太の前に立つ全を捉えた。

 途端に彼女の周囲に漂う呪力が明確な『敵意』と『警戒』へと変質する。愛する憂太に近づく得体の知れない存在に対する、過保護で狂暴な殺意。

 

「里香ちゃん、大丈夫だよ。この人は……」

 

 憂太は、慌てて里香を宥めようと声をかけた。

 

「里香ちゃんを診てくれる、お医者さんみたいな人だから」

『……おいしゃさんん〜??

 

 ギチィッ、と里香の純白の巨体が不気味に軋む。

 

『りか……おいしゃ、きらぃい゙〜〜っ!!』

 

 次の瞬間、金切り声の絶叫と共に里香の巨大な腕が全の頭上へと振り下ろされた。

 結界内の大地を丸ごと粉砕し、全を肉片に変えんとする理不尽極まりない暴威の一撃。

 

 ――ガァンッ!!

 

 だがその無慈悲な一振りは、全の頭上に届く前に割り込んできた純白の巨腕によってガシリと淀みなく完璧に受け止められた。

 ——魔虚羅の太く白い豪腕によって。

 

 ギィィィ……ッ!

 

 見た目以上の、特級過呪怨霊の常軌を逸した重圧。

 魔虚羅の巨体すらも一瞬ミシッと軋みを上げたが――。

 

 ――ガコンッ!

 

 頭上の法陣が不吉な音を立てて一回転した瞬間、魔虚羅の肉体がその重圧に即座に()()し、逆に里香の腕を力任せに押し返し、そのまま地面へと強引に組み伏せた。

 

『ぃい゙や゙あ゙ぁ〜〜っ!! は な゙せぇぇ〜〜!!

 

 地面に押さえつけられながらも里香は狂ったように暴れ回り、その底知れぬ呪力で魔虚羅を振り払おうともがく。

 凄まじい呪力の嵐が結界内で吹き荒れ、魔虚羅の巨体すらも何度か浮き上がりそうになる。

 だが、その度に――。

 

 ――ガコンッ! ガコンッ!!

 

 法陣が連続して回転。魔虚羅の肉体が異常な速度で肥大化し、より強靭な筋肉と呪力耐性を獲得していく。

 どれほど里香が暴れようと、無限に適応し続ける最強の式神は次第にその圧倒的な膂力で彼女を完全に地面へと縫い留め、身動き一つとれない状態へと押さえ込んでしまった。

 

『はぁぁな゙ぁぁぁせぇ゙ぇぇえええ゙え゙——!!!』

「……お見事。やっぱり頼りになるね、魔虚羅は」

 

 全は暴れる里香の咆哮をBGMにするかのように、涼しい顔で魔虚羅の働きを褒め称え、悠然と里香の巨大な顔の前へと歩み寄った。

 

「……なるほど」

 

 全の漆黒の瞳が、もがく里香の呪力の構造を――そして憂太から伸びる呪縛の縄を冷徹に、そして興味深げに解き明かしていく。

 

「祈本里香の魂を縛り上げ、死から守る様に注ぎ込まれた呪力。過剰すぎるそれが魂の形を歪め、外殻のように肥大化させているわけだ。……この異常なまでの呪力量は、愛する者の魂を現世に縛り付け、怨霊として貶めたことが結果的に強力な()()として成立した事によるものだね」

 

 全の分析は、六眼を持つ悟が見立てた内容と寸分違わず一致していた。

 

「そして、乙骨君の本来持っているはずの()()も、莫大な呪力も、ほぼ全てが彼女に流れ込んでしまっている。故に主たる乙骨くんが今扱えているのは、その残滓に過ぎない」

 

 憂太が持つ呪術的な才能の殆ど。

 それを一人の少女の魂を留めるためだけに捧げた事により、流れ込んできた膨大な力で歪み果てた魂の姿。

 それこそが、目の前で蠢く『特級過呪怨霊・祈本里香』の正体であると全は断言した。

 

「……っ!」

 

 憂太は唇を噛み締め、ギリッと歯音を立てた。

 自身こそが里香を呪い、こんな悍ましい姿に縛り付けていたという残酷な仮説が、呪術の深淵を知る男によって完全に裏付けられたのだ。

 自分のエゴが、愛する人を化け物に変えてしまった。その事実に、胸が張り裂けそうになる。

 

「……禪院さん。なんとか、してあげられますか」

 

 憂太は震える声で、すがるように全へと問いかけた。

 

「うーん、そうだね……」

 

 全は顎に手を当て、少しだけ困ったような素振りを見せた。

 

「君の愛が作り上げた、この強固に彼女を拘束する呪いの縄は……君にしか解けないよ。外から強引に破れば、報いがくる。縛りというのは、そういうモノなんだ」

 

 その言葉に、憂太は絶望で目を伏せた。

 目の前にいる万能の呪いの王。あらゆる術式を使いこなす特異点ですら、この呪いを解くことはできないというのか。

 結局、自分がなんとかするしかないのだ。

 しかし、どうやって?

 

 だが、全の口元には不敵で、底意地の悪い三日月の笑みが深く刻まれていた。

 

「でもね」

 

 彼はゆっくりと右手を伸ばし、魔虚羅に押さえつけられている里香の巨大な顔——その頭部へとそっと触れた。

 

「彼女の()を整え、その魂の歪みを正すことくらいなら……今の僕にもできる」

 

 全の生得領域の奥底からどこからか手に入れたらしき、このパズルの最適なピースが引き出される。

 

 

「——無為転変(むいてんぺん)

 

 

 その言葉が全の口から紡がれた瞬間、魔虚羅に押さえつけられていた祈本里香の白い巨体が、金切り声にも似た悲鳴を上げた。

 しかしそれは苦痛による叫びではない。魂の形が急激に書き換えられ、今まで異常膨張し歪み切っていた呪力が、全の掌を通して強制的に本来のスケールへと「圧縮」されていく強烈な軋みの音だった。

 

 ギィィィ、アァァァッ……!!

 

 周囲の空気が渦を巻き、里香の肉体が光を放ちながらシルエットを変えていく——。

 

 ——おぞましく巨大な単眼が柔らかく愛らしい二つの瞳へ。

 ——すべてを握りつぶす凶悪な腕が華奢で小さな子供の腕へ。

 

 ——そして下半身を構成していたドス黒い呪力のうねりは、彼女の白い肌を包み込む漆黒のワンピースへと姿を変えて定着していく。

 

 数秒後。

 光が収まり、魔虚羅がそっと拘束を解いて後方へ退くと。

 そこにへたり込んでいたのは――もうバケモノなどではなく。

 

 幼き日のあの日、誰よりも愛おしげに憂太を見て笑っていた姿のままの祈本里香本来の姿があった。

 

『——あれ、わたし……?』

 

 里香は自分の白く小さな両手に視線を落とし、不思議そうに瞬きをした。かつての恐ろしい姿ではなく、人間の女の子としての確かな輪郭。

 そして、ゆっくりと顔を上げた彼女の視界に飛び込んできたのは。

 

「…………っ」

 

 自分の目の前で信じられないものを見るように目を見開き、大粒の涙をポロポロとこぼしている、すっかり背の伸びた少年の姿だった。

 

『憂太っ——!!』

 

 里香の顔がパァッと輝き、彼女は弾かれたように立ち上がると、そのまま憂太の胸の中へと力いっぱい飛び込んだ。

 

「里香、ちゃん……っ」

 

 憂太は飛び込んできた小さな身体を壊れ物を扱うように、それでもしっかりと両腕で抱きしめた。

 懐かしい温もり。あの日失ったはずの、最愛の幼馴染の感触。

 

「ごめんっ、里香ちゃん……! 僕のせいで、あんな姿に……っ!」

 

 憂太は里香の肩に顔を埋め、声を出して泣きじゃくった。

 自分のエゴが愛する彼女を化け物に変え、この世界に縛り付けていた。

 呪縛に雁字搦めにされ、魂が歪み肥大化していく苦痛など、想像するだけで胸が張り裂けそうだった。

 

「苦しくなかった……? 辛くなかった……?」

 

 涙ながらに許しを乞う憂太。

 だが、里香の口からこぼれたのは怨嗟の言葉でも、苦痛の叫びでもなかった。

 

 彼女はまるで母親のように優しく微笑み、憂太の背中を小さな手でポンポンと撫でた。

 

『——ううん』

 

 鈴を転がすような、可愛らしい声。

 

『ありがとう、憂太。……時間をくれて。ずっと、側に置いてくれて』

 

 里香は憂太の胸の中で、これ以上ないほどに幸せそうに笑った。

 呪いに貶められた蒙昧な思考の中でも、確かに感じていた事実。

 

『里香はね、この六年間が……生きてるときよりずっっっと、幸せだったよ!』

「……っ! 里香ちゃん……!」

 

 憂太はその言葉にさらに涙を溢れさせ、里香を強く、強く抱きしめ返した。

 互いの存在を確かめ合うように、いつまでも離れようとしない二人。

 それは六年越しのあまりにも美しく、そして切ない再会と和解の抱擁であった。

 

 そんな涙を誘う感動のフィナーレのような光景を背景に。

 

「さてさて、僕の仕事はここまでだね」

 

 全はパチンと指を鳴らして周囲の結界をあっさりと解体した。

 用済みとなった魔虚羅は音もなく全の影の底へとスゥッと沈み込み、姿を消していく。

 

「……お見事。やっぱりあの当主サマ、色々と反則だわ」

 

 結界が解かれ、グラウンドの端から一部始終を見守っていた悟が感心したようにサングラスを押し上げた。

 

 『()()()()』という術式。

 魂の形をいじり、自在に作り変えてしまえる凶悪な力。

 あれをどこで手に入れたのかは分からないが、それを怨霊の『歪みの矯正』という荒業にピンポイントで使ってのけるとは。

 

 あれほど繊細かつセンスの要求される術式……恐らく、元の持ち主は呪詛師ではなく呪霊。人とは根本的に異なる感覚を要求される繊細な術式を扱うために、手に入れてから恐ろしいほどの鍛錬を重ねた筈だ。

 一年間姿を見せなかった理由が垣間見えた。

 

「……よかった。本当に、よかったね憂太……」

 

 棘がもらい泣きしそうになりながら目元を拭い、パンダも「おう……」と鼻をすすっている。真希もまた腕を組みながらフッと口元を緩め、安堵の息を吐いていた。

 

 

「理性を取り戻して姿は人間サイズに戻れど、彼女の本質は特級過呪怨霊のままだ」

 

 全は抱き合う二人に向け、あえて冷徹な事実を告げるように言った。

 

「真の意味で彼女を解呪し、魂を成仏させるためには……君自身が、君の心にある執着の()()を解く必要がある――」

 

 全が今後の解呪への道筋を説こうとした、その時だった。

 

いらないっ!!!

 

 突然。憂太の胸の中で里香が顔を上げ、鼓膜を劈くような大声で叫んだ。

 

「……えっ?」

 

 憂太が驚いて里香を見下ろすと、彼女は憂太の首に両腕を回し、誰にも渡さないとばかりにギュッと力強くしがみついていた。

 

『里香はね、これからもずーっと、憂太と一緒にいるんだから!! 成仏なんかしないもん!!』

 

 先ほどまでの感動的な空気はどこへやら。

 特級過呪怨霊としての()()()()は、人間の姿を取り戻したことで消えるどころか、むしろハッキリとした自我を持ってさらに強力に全開になっていたのだ。

 

「え、あ、里香ちゃん……?」

 

 戸惑う憂太をよそに。

 里香は結界の外側で安堵の表情を浮かべていた真希の方を、ビシッと小さな指で指し示した。

 

『それからそこの女!! 憂太に気安く近づかないでよね!! 憂太は、絶対に渡さないんだからっ!!』

 

「…………は?」

 

 がるる、と唸り声すらあげる特級怨霊からの名指しでの宣戦布告。

 真希の額に、ピキリと特大の青筋が浮かび上がった。

 

「誰が取るかバカ!!」

 

 真希がブチギレて怒鳴り返すと、里香も負けじと『憂太の隣は里香の特等席だもん!!』と嫉妬のあまりか微妙に噛み合ってない言葉をキャンキャン吠え返す。

 

「あーあ、こりゃまたややこしいことになったねぇ」

 

 九十九が、腹を抱えて大爆笑し始めた。

 悟も「ははっ! 憂太、愛されてんなー!」と手を叩いてゲラゲラ笑い、傑も「……これはこれで、微笑ましいのか?」と苦笑いするしかない。

 

 感動の涙から一転、一人の少年を巡る人間と怨霊の修羅場と化したグラウンド。

 憂太はしがみつく里香と怒り狂う真希の間で板挟みになり「ごめんなさいごめんなさい……!」とひたすらオロオロと平謝りする羽目になったのであった。

 

「ふふっ。元気そうで何よりだね」

 

 そんな騒がしい日常の光景を全は、自身の仕事の出来栄えを満足げに、そして悪戯っぽく笑いながら見届けていた。

 彼が提供した一つの奇跡のピースが、少年と呪いの運命を劇的に前向きな方向へと書き換えた。

 だが、これはあくまで彼の新しい術式の仕上がりの確認に過ぎない。

 呪詛師という換えの効くモルモットから、特級過呪怨霊という特殊な個体を経て、自身の術式制御が確実に育っている事を確認できた。

 次は志願者を募り、人間の強化に踏み切るか。あるいは自身をどこまでいじれるか試すか。

 

 ——あるいは。

 

(……六眼。この術式を通して見ると構造が複雑すぎるのがよく分かる……この方法は少々、現実的ではないね。やはり——)

 

「あのっ!」

 

 すっかりお祭り騒ぎの修羅場と化したグラウンドの空気を切り裂くように。

 憂太が必死の面持ちで大きく声を張り上げた。

 

 その声に彼にしがみついて真希を威嚇していた里香も、青筋を立てて模擬薙刀を構えかけていた真希も、そして腹を抱えて笑っていた特級術師たちも。考え事をしていた全も含め、一斉に動きを止めた。

 

 憂太は里香の小さな肩をそっと抱き寄せたまま、ゆっくりと——しかし確かな足取りで、禪院全の前へと歩み出た。

 そして己が縛り付けていた呪いの形を、愛する少女本来の姿へと戻してくれた目の前の「万能の呪いの王」へ向けて深く、深く頭を下げた。

 

「……本当に、本当にありがとうございました」

 

 顔を上げた憂太の瞳には、かつての怯えや迷いは微塵もなかった。

 そこにあるのは強大な力を持つ特異点への恐怖ではなく、ただ純粋な感謝と、そして呪術師として生きていく決意の光。

 

「この恩は……一生、忘れません」

 

 真っ直ぐに全を見据え、少年は力強く言い切った。

 

「…………」

 

 全はその澱みのない純粋な眼差しを受け止め、数秒だけ黙って見つめ返した。

 呪詛師を資源として消費し、他者の術式を売り買いしてこの世界のシステムを支配する男。そんな冷徹な魔王に対して、これほどまでに真っ直ぐな感謝を向けてくる人間は、あの狗巻家の一族以来であった。

 

 やがて全の口元にいつもの、底意地の悪い三日月の笑みが深く刻まれた。

 

「ふふっ……いいよ。その言葉、しっかりと受け取っておこう」

 

 全は楽しげに喉の奥でクスクスと笑うと、憂太の目線に合わせてスッと顔を近づける。その言葉には決して慈善事業ではない、特異点としての明確な『対価』の要求が孕んでいた。

 

「でもね、乙骨くん。僕への恩は、高くつくよ?」

「えっ……」

 

「その力は、いずれ()()()()に役立てて貰おうかな」

 

 全は憂太の背後に隠れるようにしながらも自分を警戒している里香をちらりと見やり、悪魔のように囁いた。

 

「君の持っている模倣の術式自体は、僕にはそんなに必要ないんだけど。……底なしの呪力と特級過呪怨霊。それら全部ひっくるめた『乙骨憂太』という存在は、手駒としてかなり有用だろうからね」

 

 そのあからさまな「お前をいずれ取り込むぞ」という宣言。

 それは悟が手塩にかけて育てている特級の原石を、堂々と横取りするという宣戦布告に等しかった。

 

「おいおい、勝手なこと言ってんじゃねーよ」

 

 案の定、悟がサングラスを押し上げながら不機嫌そうに割って入ってきた。

 

「憂太は俺の可愛い生徒だぞ。お前んちのシステムに組み込まれてたまるか」

「まあまあ、そう焦らないでよ。別に今すぐどうこうするわけじゃない。卒業後、うちに来てもらおうって話さ」

 

 悟の牽制をヒラリと躱し、全は余裕たっぷりに肩をすくめる。

 そしてふと何かを思いついたようにポンと手を打ち、これ以上ないほどに悪趣味な笑顔を浮かべて、少し離れた場所に立っている真希の方へと視線を向けた。

 

「……ああ、そうそう」

 

 全はニヤニヤと笑いながら爆弾を投下した。

 

「うちの禪院家では、有能な術師の血を絶やさないための()()も認められているからねえ。……ねえ、真希?」

「なっ……!?」

 

 突然名指しで話を振られ、しかもその内容が内容なだけに、真希の顔がボンッ! と音を立てて真っ赤に爆発した。

 

「実質的な正室は祈本里香でもいいから、乙骨くんを真希の相手として禪院家に婿入りさせる……うん、一族の繁栄としては悪くない未来の投資じゃないかな?」

ふ、ふざけんなァァァァッ!!!

 

 真希の怒声が高専のグラウンドをビリビリと震わせた。

 彼女は顔を完熟トマトのように染め上げながら、手にした模擬薙刀を力任せに全めがけて投げつけた。

 しかし全はそれを「おっと」と軽やかにステップを踏んで躱し、「照れなくていいのに」とさらに火に油を注ぐ。

 

「だーれがこんなヒョロガリの側室なんかに……!! ぶっ殺すぞクソ当主!!

きゃあああっ!? なに言ってるのこの人!! 憂太は里香の!! 里香だけのなの!! 泥棒猫になんか、指一本触れさせないんだから!!』

 

 全のあまりにも生々しい丸ごと取り込む気満々な提案に、元の姿を取り戻したことでより人間らしい自我を取り戻した里香もまた嫉妬に狂い、憂太の首にギリギリと抱きついて威嚇の金切り声を上げ始めた。

 

「ぐえっ……り、里香ちゃん、苦し……っ!」

 

 愛が重すぎる特級怨霊にギチギチと首を絞められ、顔を青くして白目を剥きかける憂太。木刀を拾い直して全をシバキ倒そうとする真希。

 そして、その修羅場をゲラゲラ笑いながら見物している五条悟と九十九由基、呆れ果てた様子の夏油傑と七海健人、生暖かい視線を向けるパンダと棘。

 

 グラウンドは先ほどまでの感動的な空気が完全に消し飛び、禪院全という男の放った悪意のない言葉一つで、大パニックのるつぼと化してしまったのである。

 

「あはは、元気があってよろしい。それじゃあ、今日のところはそろそろ失礼するよ。いや、割と洒落にならないくらい仕事が溜まってるからね……」

 

 グラウンドが怒号と悲鳴、そして特級怨霊の愛の締め付けで完全にカオスと化す中、その元凶である禪院全はこれ以上ないほど満足げな笑みを浮かべて背を向けた。

 彼にとっては、五条悟の育成する特級の原石をからかい、将来の「手駒」としての唾をつけておいただけで十分な成果だったのだろう。

 それに、あの乙骨憂太という少年の真っ直ぐな感謝の言葉は、冷徹な彼の心にほんの少しだけ、心地よい響きを残していた。

 

「またね、皆さん。乙骨くんの今後、楽しみにしているよ」

 

 全はひらひらと手を振りながら、足元の影へとふわりと沈み込むようにして、その姿を消していった。

 誰もその気配を追うことはできない。文字通り影のように現れ、嵐を巻き起こして去っていく新時代の呪いの王。

 

「……あいつ、やりたい放題して帰りやがった」

 

 悟が呆れたようにサングラスを押し上げ、ため息をついた。

 その隣では、真希が顔を真っ赤にしたまま「帰ったら絶対にぶっ飛ばす……!」とギリギリと歯軋りし、憂太は里香の締め付けから解放されて地面にへたり込み、「はぁっ、はぁっ……」と息も絶え絶えになっていた。

 

 そんな騒がしい光景を少し離れた場所から静かに見守っていた傑は、ふと空を仰いだ。

 

(どこまでも自己都合で突き進みながらも、結果として多くを救い……同時に、蜘蛛の糸で絡めとるようにすべてを己の中へ取り込んでいく)

 

 禪院全。

 幼き日に自分を呪いの恐怖から救い出してくれた、あの優しい『ヒーロー』の面影は、今の彼には微塵も感じられない。

 呪詛師を資源として消費し、術式を売り買いし、人々の人生をチェスの駒のように冷徹に操る男。

 

 だが、それでも。

 

(……彼が、一つの()()()であることは間違いない)

 

 傑は、小さく苦笑した。

 乙骨憂太祈本里香。あんなにも歪で、悲痛な呪縛に囚われていた二人の魂を、全は自身の力でたやすく解きほぐしてみせた。

 全の力がなければ、彼らは一生化け物としての苦しみを背負い続けたか、あるいは保守的な上層部によって理不尽な死を賜っていたかもしれない。

 

 あの男の行動原理がどれほど身勝手なエゴに満ちていようとも、彼がもたらした恩恵によって、救われている命が確かにここに存在しているのだ。

 

「……傑?」

 

 不意に、悟が怪訝そうな顔で声をかけてきた。

 

「なんだよ、一人でニヤニヤして。気持ち悪いぞ」

「失礼だな、悟」

 

 傑は肩をすくめ、グラウンドの中心で仲間たちに囲まれている憂太の姿へと視線を戻した。

 

「ただ、少し皮肉なものだと思ってね」

「皮肉?」

 

「ああ。彼の領域展開……『玲瓏簒宝閣(れいろうさんほうかく)』。あの時に彼が結ぶ掌印が、何か知っているかい?」

 

 悟は首を傾げた。

 直接対峙し、ぶつかりあった彼なら当然その形は記憶しているはずだ。

 右手を開き、左手を差し出すようなあの独特の印。

 

「確か……『施無畏印(せむいいん)』と『与願印(よがんいん)』だろ? 仏像とかがよくやってるやつ」

「そう」

 

 傑は、静かに頷いた。

 

「恐れを無くし、人々に安心を与える『施無畏』。そして、人々の願いを聞き届け、望みを与える『与願』」

 

 それは仏の慈悲を象徴する印。

 呪いを喰らい、他者の術式を奪い尽くす最悪の簒奪者が、領域を展開する際に結ぶのが、その「救済」と「願い」の印なのだ。

 

「呪いを取り除き、力を与える。……まさに、彼がこの呪術界でやっていることそのものじゃないか。あまりにも、皮肉なほどにぴったりだと思ってね」

 

 傑の言葉に、悟も「あー、なるほどね」と納得したように鼻で笑った。

 

「確かに、アイツにピッタリの印だな。……悪趣味なくらいにね」

 

 二人の特級術師は、呆れたように、しかしどこか晴れやかな表情で笑い合った。

 

 世界は、禪院全という一つの巨大な特異点を中心に回り始めている。

 それは時に冷酷で、時に理不尽で、時に救いをもたらす、途方もない混沌の渦。

 だが、その渦の中で、乙骨憂太という新たな光が、確かに歩み始めた。

 夏油傑もまた、己の信じる「ヒーロー」の在り方を、その渦の外側から探し続けていく。

 

 呪いの時代は、まだ終わらない。

 だが、少しだけ――本当に少しだけ、優しい風が、高専のグラウンドを吹き抜けていった。




圧倒的めでたし!!の余韻で不穏を押し流すスタイル!!!

■無為転変
呪霊と人間では肉体の組成とか色々と違うため、魂を捉えていないから効きまセーンとかはできないし、これを使った分身とかもできない。
ついでにあんまり変形させすぎると人体が耐えられないので自分含めて人体を安全に過剰に変形させるのも不可能、本来の使い手に比べるとかなり見劣りする。
これによる六眼移植も現実的ではないことが確定する(何十年研鑽すればワンチャン?)。
技術研鑽では超えられない壁であり、超える為には肉体を捨てる必要がある。
しかし、その範囲を逸脱しなければ色々とできるかもしれない。

■特級過呪怨霊・祈本里香
形状が元の女児としてのものに戻り、正常な思考や理性も取り戻した。
しかしその性質は依然として特級過呪怨霊としてのそれから変わっていない。
解呪も成仏もしていないので性能も据え置き。やばい。

■乙骨憂太
一生返しきれないくらいの恩が禪院全にできた。
禪院家に婿入りさせられる事が概ね決まりつつある。
模倣が体制に対する脅威? なら取り込めばいいじゃんね。
正室は里香でも真希でもどっちでもいいからさぁ!!!
未来考えるとくっついてくれないと困るし!!
里香ちゃんはブチギレ。


何も(不穏は)な゙かった……! ひたすら平和な章でしたね!
交流戦入れようか迷いましたが、投稿に時間かかりそうなのでやめときました。
次からは恐らく2018年あたり、つまり原作時間軸に突入します。
全を主体とするのは序盤は特に厳しそうで、もう主人公というか本格的にトリックスターの立ち位置になってきましたが、この章くらいには存在感を見せていきたいとは思っています。


感想欄で早々に「全が夢中になってるのが何か」で真人の名前を挙げられまくって変な汗出てました……流石、よくわかってらっしゃる……!
里香ちゃんに無為転変使ってどうにかする、まで当てている人もいましたし。
受肉羂索のようにちょっと軽く意表を突くつもりがバレバレ……ッ!

それではまたちょっと時間開くと思いますが、しばらくお待ちください。
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