禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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恵ってさ、案外あの当主の性質を勘違いしてるよな

……え?



27.禪院全-あたらしき呪いの王

 両面宿儺——虎杖悠仁と対峙しながら、恵の頬に冷や汗が垂れる。 

 今日ほど、かつて父が当主に渡してしまった十種影法術(とくさのかげほうじゅつ)を一旦返して欲しいと思った日はないだろう。

 

(正直、両面宿儺相手に俺一人じゃ勝ち目はない。だが、やるしかない……!)

 

 恵が『巨影』に攻撃の意思を込めようとした瞬間、悠仁は慌てて両手を高く上げた。

 

「待って待って! なんともねーって!!」

 

 それは攻撃の構えではなく、完全な降伏——敵意がないことの明確なアピールだった。

 

 ピタリ、と。

 恵の思念を受け取った巨影の巨大な手が、悠仁の頭上のわずか数センチ手前で空気を震わせて停止した。

 

「ふうぅ……っ」

 

 その止まった手を見て、悠仁はホッとしたように大きく息を吐き出し、さらに弁明を重ねた。

 

「なんか頭ん中がすっげぇ煩いけど、身体はちゃんと取り返したから。ほら、この趣味の悪い変なタトゥーみたいなのも消えてきたし!」

 

 悠仁の言う通り、彼の肌にびっしりと浮かび上がっていた禍々しい黒い文様が、まるで墨が水に溶けるようにスゥッと薄れ、消えていく。両目の下にあったもう一対の目も、いつの間にか跡形もなく塞がっていた。

 

「だからさ、その……デカいねーちゃん、引っ込めて? なっ?」

 

 悠仁は頭上から自分を見下ろしている不気味な影の巨人を見上げながら、引き攣った笑顔で懇願した。

 しかし恵は巨影の警戒を解かせず、鋭い視線で彼の一挙手一投足を観察し続けた。

 

 確かに、受肉後に浮かび上がった宿儺の文様は消えている。

 だが、史上最強の呪術師と名高い呪いの王がただの高校生に大人しく主導権を明け渡すなど、呪術の常識では絶対にあり得ないことだ。

 これが宿儺が虎杖悠仁のフリをして隙を窺っているだけの『演技』ではないと、一体誰が断言できる?

 

「なあ、禪院。お前ボロボロじゃん。早く病院行こうぜ……」

 

 悠仁が心底心配そうに、恵の血まみれの身体を見つめて言う。

 その真っ直ぐで不器用な気遣いは、先ほどまでの純朴な高校生そのものだった。

 

(……クソッ、どうしたらいい……!?)

 

 恵は奥歯を噛み締め、激しい葛藤に苛まれた。

 呪術規定に従えば、受肉した時点で悠仁は完全に()()であり、即刻祓除すべき対象だ。後詰めも居ないこの状況で放置すれば、取り返しのつかない大惨事を招くかもしれない。

 しかし、もし本当に悠仁が宿儺を抑え込んでいるのだとしたら?

 自分を助けるために猛毒を飲み込んだ恩人を、己の手で殺さなければならないのか。

 

 疲労と激痛、そして極限の選択が少年の思考を鈍らせる。巨影を維持する呪力も、そろそろ限界が近かった。

 

「——ねぇ、今どういう状況?」

 

 不意に、あまりにも呑気な……この張り詰めた死地には場違いすぎるほど軽い声が恵の背後から響いた。

 

「っ!?」

 

 恵がハッと息を呑み、痛む身体を無理やり捻って振り返る。

 そこには月明かりに照らされた渡り廊下の屋根の上に、音もなく一人の男が立っていた。

 

 夜だというのに黒いサングラスをかけ、銀髪を夜風に揺らしている長身の美丈夫。

 高専の教師であり、現代呪術界で()()()に強い男。

 

五条、先生……!? どうしてここに」

「や」

 

 恵が驚愕の声を上げると、五条悟はヒラヒラと軽く手を振って見せた。

 その飄々とした態度は、特級呪物が受肉した上に生徒が血塗れで立っているこの地獄のような現場にあっても一切崩れることはなかった。

 

「いやー、来る気はなかったんだけどさ」

 

 悟は血まみれで立っている恵とその頭上にそびえ立つ異様な影の巨人、そして怯えたように手を上げている悠仁の三人を、面白そうに交互に見比べながら軽い口調で切り出した。

 

「流石に特級呪物が行方不明なのに、一年一人に任せ切りはどうなのかって七海にガミガミ言われてね。しゃーなしに観光がてら馳せ参じた訳だけど……」

 

 悟はそこで言葉を区切り、サングラス越しに恵を覗き込んだ。

 

「見つかった?」

「…………」

 

 恵の視線が悟の手元へスッと向けられた。

 そこには、『喜久福(きくふく)』とデカデカと書かれた紙袋が、ブラブラと無造作に提げられていた。仙台名物の大福である。

 

(お土産買ってから来やがったな、コイツ……!)

 

 自分が特級の呪物に引き寄せられた化け物と死闘を繰り広げ、一般人が受肉するという最悪の事態に直面して血反吐を吐いていたというのに。このふざけた担任は、観光気分でお茶菓子を並んで買っていたのだ。

 恵の額に青筋が浮かび、奥歯からギチィッという音が漏れた。巨影の腕が主の怒りで少しだけプルプルと震える。

 

 だが、今はそんな無能教師にキレている場合ではない。

 恵は深呼吸をして怒りを腹の底に押し込み、顎でクイッと悠仁の方をしゃくった。

 

「あ、ハイ……その」

 

 彼がバツが悪そうに右手を上げ、もう片方の手で後頭部を掻きながら答えた。

 

「ごめん。俺、それ食べちゃった」

「…………は?」

 

 悟の動きが、一瞬だけピタリと止まった。

 

マジで?

マジです

 

 彼の問いに恵が低く、重々しく答える。

 

「へー」

 

 悟は持っていた喜久福の紙袋をひょいと持ち替え、サングラスを指で押し上げた。

 そしてその奥に隠された蒼い瞳——()()で、悠仁の全身をジッと舐め回すように観察し始めた。

 

「……ウケる。マジで混ざってんじゃん」

 

 数秒の沈黙の後に悟の口から漏れたのは深刻な事態に対する焦りでも恐怖でもなく、心底楽しそうな感嘆の声だった。

 

「んー。見た感じ、完璧に抑え込んでるね」

 

 彼は悠仁の体内深くに封じ込められた両面宿儺の魂の気配と、それを文字通り「牢獄」のように完全に閉じ込めている状態を六眼で克明に読み解いていく。

 

「これは、さしずめ()()()()()()()とでもいった感じかな。多分、千年探しても見つからないレベルの超絶レアな器だよ」

 

 悟はニヤニヤと笑いながら、恵の肩をポンと叩いた。

 

「恵んところの当主サマが喜ぶよ、コレ。あの大変態、こういうイレギュラーが大好物でしょ?」

 

 その言葉に、恵の背筋に冷たいものが走った。

 

 ——禪院全。

 呪詛師を資源として消費し、他者の術式を自らのコレクションとして遊び尽くす呪術界の冷徹な支配者。

 もし、両面宿儺という人類最悪の呪物を完全に抑え込める「監獄」のような器を見つけたと知れば。

 

(……間違いなく、自分のコレクションとして回収し、モルモットにする)

 

 全のあの底意地の悪い三日月の笑みと、無尽蔵の探求心が目に浮かび、恵は思わず息を呑んだ。

 

「ま、危なそうだから即死刑! ってやってた昔の呪術界よりはマシかな。憂太とかもそれのお陰で見逃されたわけだしね」

 

 悟はまるで他人事のようにケラケラと笑い飛ばした。

 かつての保守的な上層部であれば、虎杖悠仁は秘匿死刑が言い渡されていただろう。乙骨憂太の時もそうだったが、全の実利主義的な支配が、結果として彼らのような『イレギュラーな若者』の命を拾うセーフティネットとして機能しているのは皮肉な事実であった。

 

「……さて、君」

 

 悟は悠仁に向き直り、サングラスの奥で面白そうに目を細めた。

 

「宿儺と代われる?」

「スクナ? ああ、俺を乗っ取ろうとしたヤツか。たぶん、できると思うけど……」

 

 悠仁は自分の胸に手を当て、少し自信なさげに答える。

 

「いいね。じゃあ、交代して十秒くらいで戻ってきなよ。それで実際に制御できてるか見るからさ」

 

 その提案に、悠仁は目を剥いて「えっ」と声を上げた。恵も「アンタ正気か!」と抗議の声を上げようとしたが、疲労と激痛で声が出ない。

 

「危なくないか? アイツ、めっちゃ言うこと物騒だったぞ! 鏖殺だとか……」

 

 彼が必死に宿儺の危険性をアピールするが、悟は全く意に介さず、ヒラヒラと手を振った。

 

「平気平気。俺、超強いから」

 

 その言葉には一切の虚勢も驕りもない、絶対的な事実としての響きがあった。

 

「あ、恵。これ持ってて」

 

 彼は今までブラブラと提げていた喜久福の紙袋を、血まみれでへたり込んでいる恵の胸にポンと押し付けた。

 

「……」

 

 彼は無言で紙袋を受け取る。このふざけた担任の思考回路には、もうツッコミを入れる気力すら湧かなかった。

 

「……あ、それお土産じゃなくて俺が帰りの新幹線で食うオヤツだから。食うなよ?」

 

 わざわざ振り返って真剣な顔で釘を刺してくる悟に、恵が「食わねぇよ!」と怒鳴り返そうとした、まさにその瞬間だった。

 

「——死ね」

 

 いつの間にか顔に禍々しい文様を浮かび上がらせていた悠仁——両面宿儺が、悟の背後から音もなく跳躍し、その首を狩らんとして凶刃のような手刀を振り下ろしてきたのだ。

 

「おっと」

 

 悟は背後の殺気に対して振り向きもせず、ただヒョイと首を傾げただけでその必殺の一撃をサラリと躱した。

 

「なっ……!?」

 

 宿儺が驚愕に目を見開く間もなく。

 悟は躱した手刀の腕をガシッと掴み、そのままの勢いで宿儺の身体を強引に引き寄せた。

 

「そりゃッ!」

 

 そして空いている方の拳を、宿儺の顔面めがけて容赦なく叩き込む。

 

 ドゴォンッ!!

 

 千年の時を経て現世に蘇った呪いの王の身体が紙屑のように宙を舞い、渡り廊下の屋根に叩きつけられて盛大にバウンドした。

 

「ゲハッ……!」

 

 宿儺は血を吐きながらもすぐに受け身を取って立ち上がり、忌々しげに悟を睨みつけた。

 

「……まったく。いつの時代も、呪術師というものは厄介なものだな」

 

 宿儺は低く唸りながら、両手に凄まじい呪力を集中させた。

 大気を震わせる周囲の空間ごと切り刻む見えない斬撃の乱舞が、悟めがけて一斉に放たれる。

 

 ズバババッ!!

 

 屋根のコンクリートが抉れ、周囲の空気が裂ける音が響き渡る。

 ——しかし。

 

「うん、威力は上々。でもね」

 

 悟はその不可視の斬撃の嵐のど真ん中に立ちながらも一切の傷を負うことなく、ただ平然と薄笑いを浮かべていた。

 彼の周囲数ミリに展開された『無下限呪術』の絶対防壁が、宿儺の放つすべての呪力と物理的干渉を空間の()()の彼方へと遅延させ、完全に無力化していたのだ。

 

「——はい、時間切れ」

 

 悟がそう宣告した瞬間。

 

「……あ?」

 

 宿儺の顔がふいに驚愕に歪んだ。

 彼がさらに強力な呪術を展開しようとしたその手がピタリと止まり、言うことを聞かなくなったのだ。

 

 スゥッ……。

 

 宿儺の顔に浮かび上がっていた禍々しい黒い文様が、まるで水に溶けるようにスッと薄れていく。

 千年の呪いの王の意志が、一介の高校生の精神力によって強制的に肉体の奥底へと押し戻されていく。

 

「……おー、すっげ。ホントに戻ってきた」

 

 文様が完全に消えて元の純朴な少年の顔に戻った悠仁を見て、悟は感心したように手を叩いた。

 

「ハッ……!」

 

 我に返った悠仁が、ハァハァと荒い息を吐きながら周囲を見回した。そして、無傷で立っている五条悟を見て、ホッとしたように息をつく。

 

「……大丈夫、だった?」

「楽勝。君もちゃんと制御できてるようで何よりだ」

 

 悟は親指を立ててニッと笑った。

 宿儺の受肉を耐え抜いただけでなく、意識を完全にコントロールして任意で交代までやってのける。まさに呪物の器として逸材だ。

 

「でも、コイツ頭ん中でうるせーんだよな……」

 

 彼は自分の頭をポンポンと叩きながら、鬱陶しそうに顔をしかめた。

 

「それで済んでるのが奇跡さ」

 

 悟はそう言いながら、悠仁の顔の前にスッと手を伸ばした。

 そして人差し指と中指で、悠仁の額をトンッと軽く突いた。

 

 その瞬間、悠仁の身体からカクンと力が抜け、糸が切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 悟がすかさずその身体を受け止め、ヒョイと肩に担ぎ上げる。

 

「気絶させた。これで目を覚ましたときに両面宿儺が出てこなければ、彼の呪物の檻としての能力はホンモノだろうね」

 

 悟は眠る少年を見下ろしながら、少しだけ声を落として言った。

 

「……さて、連れてくよ。報告上げれば、恵んちの当主がすっ飛んでくるだろ」

「そう、ですよね……」

 

 恵は喜久福の紙袋を抱き抱えたまま、沈んだ顔でうつむいた。

 

「……いや、何その顔」

 

 恵のあまりにもお通夜のような表情に、悟は呆れたように肩をすくめた。

 

「あの人……社会的に消していい存在に対しては、一切の容赦がありませんよ」

 

 恵は奥歯を噛み締め、忌々しげに俯きながら答えた。

 虎杖悠仁は元々ただの一般人であり、あろうことか旧き呪いの王・両面宿儺を受肉してしまった存在だ。

 全のあの冷徹な合理主義において、社会的に消していい存在に対する容赦のなさを、恵は実家で嫌というほど見てきている。

 

 生け捕りにされた呪詛師たちが全によって術式と寿命を搾り取られた後、禪院家の奥深くにある呪具師の工房へと運ばれていく光景。そこで彼らの肉体がどう扱われ、どのように加工されているか。

 悠仁は呪詛師とは真逆の純粋な善人だが、受肉体となってしまった以上、呪術規定上の扱いは()()とさほど変わらない。

 

(当主様のことだ……悠仁のこの『監獄』の性質を活かして、なにか呪具にでも作り変えてしまうんじゃないか?)

 

 その恐ろしい想像が恵の心を重く沈ませていた。しかし、そんな恵の憂い顔を見て、悟はフッと小さく笑う。

 

「多分大丈夫だって。憂太もあの超絶重い里香ちゃんと真希に挟まれて、元気にラブコメやってるっしょ?」

「いやまあ、そうなんですが……」

 

 恵の脳裏に、乙骨憂太の姿が浮かぶ。

 禪院真希(ゴリラ)祈本里香(怨霊)に挟まれてラブコメと言うには少々バイオレンスな日々を過ごしている、数少ない手放しに尊敬できる先輩。

 彼の例は確かに希望だ。全の力によって里香の魂の歪みは矯正され、彼らは高専という居場所で前向きに生きている。

 

 ……だがそれでも恵の疑念は完全に晴れることはなかった。何故なら彼は当主にとって「生きていてこそ」利用価値がある存在であるからだ。

 器という性質は、おそらく呪具などにしてしまっても発揮される。

 悪い想像が駆け巡り、恵が憂鬱になっていると、悟が笑う。

 

「恵ってさ、案外あの当主の性質を勘違いしてるよな」

「……え?」

 

 そんな言葉に、恵が驚いて顔を上げる。

 悟は肩に担いだ悠仁の重みを感じながら、夜空の月を見上げた。

 

「なんとなく全ての黒幕みたいな雰囲気醸し出してるし、やってることも間違いなくエグいから誤解されやすいけどさ。……なんだかんだ、付き合いが長くなると見えてくるものがある」

 

 悟はサングラスの奥で六眼を細めた。

 かつて魔虚羅の公開調伏の後に持ち掛けたエキシビションマッチでの敗北を経て。五条家と禪院家という立場を超えて、悟は全という『特異点』の行動原理を彼なりに分析し続けてきた。

 

「あいつの向いている方向性は、基本的にはこの世界の秩序と()にとって意外と都合がいいんだよ」

「都合がいい……ですか?」

 

「そ。恐ろしいまでの効率主義は、古い体制の腐敗を殆ど排除した。そして長期的に見て最も効率良く人材を動かすために——彼は一番わかりやすくて簡単な『』と『恐怖』じゃなく『()()』と『()()』で縛る方法を取っている」

 

 悟の言葉に、恵はハッとした。

 確かに、全の支配下にある今の呪術界はかつての保身ばかりを気にする上層部が牛耳っていた時代とは比べ物にならないほど風通しが良く、犠牲者も少ないとよく言われている。

 胡散臭い雰囲気やその地位、肩書、そして単純な強さに勝手に畏れを抱くものは多いが、狗巻家のように全に救われて忠誠を誓う者たちも多くいるのだ。

 

「根本的に倫理観すっぽ抜けてる所と、あの胡散臭い雰囲気さえなければ文句なしの名君って言えるかもしれないね。ありゃ生来のものっぽいし無理だろうけど」

 

 悟はケラケラと笑い飛ばすと恵の方へと向き直り、安心させるようにウィンクしてみせた。

 

「少なくとも、懐刀の息子が気にかけてる存在をわざわざ呪具の素材にしたりして、身内の心象を無闇に損ねるような真似はしないだろうさ」

「親父は……関係ないです」

 

 恵は顔を背けて少しだけ不満げに口を尖らせたが、その強ばっていた肩の力はスッと抜けていた。

 

 彼の言葉にはどこか説得力がある。

 物事の本質を鋭く見抜くその目は、全という底知れない男の()()()を信じているのだ。

 

「ま、とにかく今はこの子を運ぶよ。一応の対策を施しておく必要もあるし」

 

 悟は悠仁を抱え直すと、恵の胸に押し付けた喜久福の紙袋をヒョイと指差した。

 

「ほら、紙袋潰さないでよ? 帰りの新幹線で食うの楽しみにしてんだから」

「……自分で持てよ、クソ教師」

 

 恵は悪態をつきながらも紙袋を大事に抱え直し、重い足取りで悟の後に続いて夜の校舎を後にした。

 

 

***

 

 

「と、いう訳で虎杖悠仁くん」

 

 悟は地下室の冷たい床に座り込む少年を見下ろし、パンッと軽く手を叩いた。

 

「恵んちの当主がすっ飛んでくるから、しばらくここで待機ね」

 

 目を覚ました悠仁の視界に広がっていたのは、壁から天井にかけてまで整然と不気味な呪符が貼られ、四隅で蝋燭の炎がゆらゆらと揺らめく、まるでオカルト映画のセットのような異様な空間であった。

 

(……っていうか、恵って禪院のことだよな? 俺、苗字しか名乗ってないのに、いつの間にかフルネーム知られてるし)

 

 悠仁はぼんやりとした頭でそんなことを思いつつ、ペタペタと自分の頬を触って異常がないことを確認した。

 そして、目の前で室内にもかかわらずラウンド型サングラスをかけた男を改めて胡乱な目で見上げる。

 あのときはツッコむ余裕もなかったが、そんなの漫画の怪しい中国人くらいしか使ってるの見たことないぞ、と。

 

「あのさ。えーと、先生?」

 

 悠仁はポリポリと後頭部を掻きながら、申し訳なさそうに口を開いた。

 

「ぶっちゃけ、俺あんま頭よくないから、まだ全然概要掴めてないんだけど」

「うんうん、素直でよろしい」

 

「恵ってのは禪院の事だよな? あいつの家のお偉いさんが俺を見に来るの? その人来る前に、ちゃんと色々と説明して欲しいんだけど」

 

 悠仁のド直球な要求に、悟は「んー、そうだねぇ」と顎に手を当てた。

 

「恵からはどこまで聞いて、どう理解してる?」

 

 そんな問いに悠仁は腕を組んで天井の呪符を見上げ、ウンウンと唸りながら記憶を辿り始めた。

 

「えっと……俺が拾った変な指が『呪物』ってやつで。それに化け物……えーと、ジュレイ? が引き寄せられて、先輩たちが襲われた。で、俺がジュリョクを得る為にその指を食ったら、なんか変な奴に乗っ取られかけて物騒なこと言ってたけど、俺が気合いで引っ込めた。……で、その後先生に気絶させられて、気づいたらここ」

「うん。だいたい合ってる」

 

 悟は感心したように頷き、指を一本立てて補足を始めた。

 

「まず一つ。呪力でしか倒せない呪霊をやっつけるのが俺達呪術師ってやつね」

「オーケー、ゴーストバスターズだな」

 

「そーそー。で、呪われた物や、昔の化物の一部とかが呪物ってわけ」

 

 悠仁の喩えを悟は笑いながら肯定する。

 

「そして、君が食ったその指は、ただの呪物じゃない。概ね五段階のランク分けの中で一番上の()()に分類される、超絶ヤバイ代物だ。指の持ち主の名前は両面宿儺。千年以上前に実在した、いにしえの呪いの王様だよ」

「呪いの王様……」

 

 どえらいなんか凄そうなワードが出てきたな、と悠仁はあのゲロマズなミイラの指を思い返す。

 

「その呪物は死後も強力すぎて、どんな呪術師も破壊することができなかった。そいつは人体に毒なんだけど、適合しちゃうとあんな風に体を乗っ取られて、復活するわけ。だから君が食って『受肉』しちゃったのは、呪術界的にはすんげー大事件な」

 

 悠仁はゴクリと唾を飲み込んだ。自分がとんでもないものを腹に収めてしまった自覚が、じわじわと湧いてくる。

 

「本来なら、呪術規定に則って君は両面宿儺の受肉体として『即・死刑』! ってなるのが昔のルールだったんだけどね」

「しっ、死刑……っ!?」

 

「でも安心して! 今の呪術界のトップは、そういう使()()()()()()()()()を即処分するような勿体ないことはしないから」

 

 悟はニシシと笑い、悠仁の肩をポンと叩いた。

 

「そこで出てくるのが、恵んちの当主サマ。……禪院全って人だ」

「禪院の……」

 

「そ。今の呪術界のルールは実質的にそいつが全部決めてると思っていい。いわば、新しき呪いの王って訳だね。その人が君の宿儺をも抑え込める()としての性質に価値を見出せば、死刑にはならない。……まあ、代わりに何かの実験台にされたり、こき使われたりするかもしれないけどね」

 

 悟の「実験台」という不穏な単語に、悠仁は顔を引き攣らせた。

 

「えっ……それって、痛いとか苦しいとか……」

「さあ? でもまあ、恵が君のこと気に掛けてたから、無闇に解剖されたりはしないと思うよ、たぶん」

「それは安し……たぶん!?

 

 悠仁が身を乗り出してツッコミを入れた、その時だった。

 

 

「おや。随分と物騒な噂を吹き込んでいるじゃないか、五条くん」

 

 

 ——ゾクリ。

 

 蝋燭の炎が、風もないのに一斉に揺らいだ。

 地下室の入り口。いつの間にか開いていた重い扉の向こうから、一人の男が悠然とした足取りで歩み入ってきた。

 

 黒の和装をラフに着崩した年齢不詳の端正な顔立ちに、三日月の如き薄く冷たい微笑みを浮かべた男。

 足音も呪力の気配すらも一切感じさせないその姿は、まるで最初からそこに居たかのような自然さでありながら空間を支配する()としての威圧感を放っていた。

 

「よっ。噂をすれば、ってね」

「……」

 

 そんな唐突な登場にも慣れたものと悟が軽く手を上げて挨拶する横で、悠仁は本能的な畏怖に息を呑み、動けなくなっていた。

 禪院全。この男が、禪院恵の実家の一番偉い人。

 

 ——そして、今の自分の生殺与奪を握っている存在。

 

「君が虎杖悠仁くんだね?」

 

 全は悠仁の目の前まで歩み寄ると、その漆黒の瞳で少年の全身を舐め回すように観察した。まるで極上のアンティークや、未知の玩具を検分するかのように。

 

「……ふむ、確かに混ざっている。それでいて、完全に抑え込んでいるようだ」

 

 全は悠仁の顔のすぐ近くまで顔を寄せ、その深淵のような瞳で彼の内側を覗き込んだ。宿儺という呪いの王の気配と、それを見事に封じ込めている悠仁の肉体の構造。

 全の持つ無数の術式が複合的に解析を行い、五条悟の六眼と同じ結論を弾き出す。

 

「これだけ濃密な特級呪物を腹に収めていながら、この安定ぶり。ここの結界呪符がなくとも肉体の制御権は奪われまいよ。精々、表層近くに意識が浮かび上がってきて、目や口くらいは現れるかもしれないけどね」

 

 全は満足げに頷いた。

 

「……うん、これは完璧な『呪物の檻』といっていいだろう」

「おー、やっぱり? 俺の見立て通りでしょ」

 

 悟が自慢げに相槌を打つが、全はゆっくりと首を横に振った。

 

「だが、それはあくまで()()を取り込んだ時点での話だ。問題は、この少年の許容量(キャパシティ)の限界がどこにあるか、ということだよ」

 

 そう言って全は懐からおもむろに一つの木箱を取り出した。

 彼が指先で箱の蓋を弾くように開けると、その中には禍々しい呪符で厳重に何重にもぐるぐると巻かれた二本目の『両面宿儺の指』が納められていた。

 

「なっ……! あの指!?」

「あーあ、勝手に忌庫から持ち出しちゃって。学長が知ったらまた胃を痛めるよ?」

 

 ギョッとする悠仁の横で、悟がやれやれと肩をすくめる。

 だが全は意に介する様子もなく、指に巻かれた封印の呪符をパラリと解き、彼の目の前へと差し出した。

 

「さあ、実食だ。飲み込んでごらん」

「ええっ!? また食うの!? ていうかコレ、マジで爪とか伸びっぱなしで超キモいし、死ぬほど不味いんだけど!?」

「いいから、食べなさい」

 

 全の微笑みは一切崩れなかったが、その静かな一言には有無を言わせぬ絶対的な強制力があった。特異点たる男の放つ、本能を竦み上がらせる威圧感。

 逆らえばただでは済まないという生物としての警鐘に押され、悠仁は半泣きになりながらその指を受け取り……思い切って口の中に放り込んだ。

 

「んぐっ……、おえっ……」

 

 ——ゴクンッ

 

 無理やり飲み込んだ瞬間。

 ドクンッ、と悠仁の心臓が大きく跳ねた。

 

「——ッ!」

 

 悠仁の顔に、首筋に、腕に。

 数刻前に受肉した時と同じように、禍々しい黒い文様が一気に浮かび上がる。

 ズッ……と重く、おぞましい呪力が地下室の空気を震わせ、周囲の蝋燭の炎が爆ぜるように大きく燃え上がった。

 

(来るか……?)

 

 悟がサングラスの奥で六眼を鋭く光らせ、いつでも対応できるように意識を向ける。しかし全は一切の警戒を見せず、ただ面白そうに、興味深く少年の変容を観察していた。

 

「……ふぅーっ」

 

 数秒後、悠仁が大きく息を吐き出すと同時に彼から漏れ出していた禍々しい呪力はスッと霧散し、全身に浮かび上がっていた黒い文様も嘘のように引いていった。

 完全に両面宿儺の意志を肉体の奥底へとねじ伏せたのだ。

 

「ぺっ、まずっ……! やっぱコレ、味がヤバすぎるって……」

 

 悠仁は舌を出してえずきながら口元を押さえて文句を垂れた。

 そんな彼の姿を見て、悟は「おー、二本目も余裕じゃん」と安堵の口笛を吹き、全はパチパチと静かに拍手を送った。

 

「素晴らしい、二本目も完全に抑え込んだね。術式を通して見た所、君の『檻』としての適性は疑いようのないといえるね」

 

 全は極上の笑みを浮かべ、おもむろに右手を伸ばして悠仁の肩へとポンと手を置いた。

 

「なっ……」

 

 悠仁は一瞬身構えたが、全の手から痛みや衝撃が来ることはなかった。

 だが、その代わりに。己の魂の根幹を冷たい指先で直接撫で回されているような、名状しがたい薄気味悪さと悪寒が全身を駆け巡った。

 

「——駄目、か」

 

 数秒後、全はやや残念そうに目を細めると、手を離して独り言のように呟いた。

 

「少なくとも、この少年の肉体の裏側に宿儺が押し込められている間は干渉が届かない。宿儺の術式を直接()()する事はできそうにないね」

「簒奪……?」

 

「あー、この人の特技。君の中にいる宿儺の能力を、そのまま自分のにしちゃおうとしてたの」

 

 悠仁の疑問に悟が横からあっさりと解説を入れる。

 その言葉に悠仁はゾッと背筋を凍らせた。他人の能力をパクるなんて、ゲームじゃあるまいし。そんなデタラメなことができる人間が目の前にいるのか。

 

「それになんだか、魂から奇妙な()()のようなものが見えるね」

 

 全は顎に手を当て、楽しげな推論を口にする。

 

「……そうか。宿儺の呪物は二十の指に分割されている。つまり、この彼の中にあるのは、宿儺の魂のほんの十分の一の欠片に過ぎない。指単体ではなく、全ての指が相互に補完し合っているのかな? あくまで呪物という()()を通じて、彼の肉体に宿儺の意識がアクセスし、顕現している状態に近いのだろうね」

 

 全の思考が呪術の深淵を冷徹に解き明かしていく。

 

「魂の全体像がここに揃っていない。あるいは、この少年という()の自我が強すぎるがゆえのロック機能か。多くの指を……下手すると全て与えて完全に近い形で受肉させないと、宿儺の術式を引き抜けない可能性すらあるね」

 

 ぶつぶつと、独り言のように恐ろしい考察を垂れ流す全。

 すべての指を食わせる。それは即ち、人類最悪の呪いの王に全盛期の力を取り戻させるという、狂気の沙汰に他ならない。

 それをただ「術式をパクれそうか試す」という好奇心と欲望の実験のためだけにやろうというのだ。

 

「……先生」

 

 悠仁は目の前の男が放つ得体の知れない異常性に震え上がり、隣に立つ五条悟へと助けを求めるような視線を向けた。

 

「この人……なんか、めっちゃ怖いんだけど」

 

 純朴な高校生の、あまりにも素直すぎる恐怖の吐露。

 悟はそれを聞いて「ぶっ!」と吹き出し、腹を抱えて笑い始めた。

 

「あはははは! そりゃ怖いよねー! 大丈夫大丈夫、この人基本的に倫理観がぶっ壊れてる変態なだけで、敵じゃないから!」

それフォローになってなくない!?

 

 悠仁が涙目でツッコミを入れる中、全はそんな二人のやり取りを意に介す様子もなく、再び極上の笑みを浮かべて悠仁へと向き直った。

 

「さて。通常の手順で無理なら……少しアプローチを変えてみようか」

 

 全は悠仁の怯えなど一切気に留めず、再び静かに右手を伸ばして少年の肩に触れた。先ほどよりもさらに深淵へと至るためのパズルのピースを、己の生得領域から引き出すために。

 

「——無為転変

 

 魂の形を弄り、自在に作り変えることができる、極めて異質で凶悪な術式。

 だが全が今行おうとしているのは、悠仁や宿儺の魂を歪めるという単純な使い方ではなかった。

 先ほど見えた、悠仁の魂の中に根を下ろす宿儺の()()()()。それを無為転変の力で絡め取り、少年の肉体という檻のさらに奥底——宿儺の魂の深層から、強引にその術式情報だけを引きずり出してやろうという、あまりにもテクニカルで無謀な力業の試みだった。

 

 全の意識が悠仁の肉体の表面をすり抜け、より深い魂の領域へと沈み込んでいく。

 

 

 

『——俺の魂に触れるか』

 

 

 

 ふいに全の脳内に低く、圧倒的な威圧感を伴った声が響く。

 次の瞬間、全の視界が急激に暗転した。

 

 薄暗い地下室の風景は消え失せ、代わりに広がっていたのは——。

 

 

 足の踏み場もないほどに無数の骨が転がり、血の池が広がるおぞましい()()()()。天を覆うようにそびえ立つ、巨大な獣の背骨と肋骨。

 そして、その中央。うず高く積み上げられたしゃれこうべの山を玉座として、一人の男が深く腰掛けていた。

 

 ——両面宿儺。

 

 受肉した影響か、虎杖悠仁の顔を持ちながらも、その身に禍々しい文様を刻み、四つの眼で冷然と全を見下ろす()()()()()()

 

「何者か知らんが、分を弁えろ。痴れ者が」

 

 宿儺の言葉には、怒りすらない。

 玉座に踏み込んできた羽虫を払うような、絶対的な傲慢さと無関心。彼は玉座に頬杖をついたまま、全に向けて人差し指をスッと向けた。

 

 そしてヒュッ、と軽く振る。

 

(——ッ!?)

 

 全の全細胞が、死の警鐘を打ち鳴らした。

 咄嗟に己の中から防御特化の複合術式を全力で引き出し、魂そのものに多重の盾を展開する。

 

 ——だが。

 

 

 

「……っ」

 

 ハッとして目を見開くと、全の視界は再びあの地下室の光景へと戻っていた。

 目の前には、心配そうに自分を見上げる虎杖悠仁の顔がある。

 

「あんた、血……出てるよ?」

 

 悠仁がおずおずと全の頬を指差した。

 全が己の頬に手をやると、指先にぬるりとした赤い液体が付着した。

 彼の頬に浅い切り傷がスッと一本、刻まれていたのだ。

 

(なるほど。今のは肉体ではなく、魂そのものへの直接的な斬撃か)

 

 冷や汗一つ流さず冷静に状況を分析する全。

 無為転変を介して宿儺の生得領域へアクセスした結果、向こうからも彼の魂に干渉できてしまった。

 咄嗟に防壁を展開していなければ、今の一撃で魂を通して肉体まで両断されていた可能性すらある。

 

 全はすぐに己の魂の形を無為転変で強引に修復しつつ『反転術式』を回して、頬の切り傷を一瞬で綺麗に消し去った。

 

「いやあ、まいったね」

 

 全は何事もなかったかのように血を拭い、苦笑交じりに肩をすくめた。

 

「こういう形で相手の生得領域に直接踏み込んでしまうと、向こうのホームグラウンドに行くようなものだからね。……少々、分が悪いみたいだ」

 

「あっはっは! だっせ、返り討ちにされてやんの!」

 

 一部始終を六眼で観察していた悟が腹を抱えてケラケラと笑い声を上げた。

 あの禪院全がほんの掠り傷とはいえ手傷を負わされた。彼にとっては、それがおかしくてたまらないらしい。

 

「まあ、他人の心の中に土足で上がり込んだら怒られるのは当然だからね」

 

 悟の嘲笑を全く気にした様子もなく、全は頬の血を優雅に拭い去りながら飄々と答えた。

 

「さて、実験は一旦ここまでにしようか。……現状、外から強制的に術式を引き抜くのはリスクが高すぎる」

 

 全は悠仁からスッと手を離し、今度は値踏みするような冷徹な視線で彼を見下ろした。

 

「そうだね。君の処遇だが……」

 

 全の言葉に悠仁がビクッと肩を震わせる。

 先ほど悟が言っていた「実験台」や「こき使われる」という言葉が脳裏をよぎり、最悪の処分が下されるのではないかと身構えた。

 

「その()の性質を活かし、両面宿儺の指をすべて集めてほしい」

 

 全の口から出たのは、思いがけない要求だった。

 

「……えっ?」

「君の中の宿儺の気配を探知機代わりにして、残りの指を掻き集めるんだよ」

 

 全は、悠仁の胸のあたりを指差し、淡々と説明を続ける。

 

「現在、高専の忌庫に保管されている宿儺の指が()()。そして君の中に取り込まれたのが、先ほどの一本を含めて計二本。……残り十二本、どこにあるか分からないそれらを探し出し、全て君の中に収めておくれ」

 

「え、二十本?」

 

 悠仁は思わず自分の手足を見下ろした。

 

「二十本って、両手両足の指全部ってこと?」

「ああ、いや」

 

 横から悟が、ポンッと手を叩いて補足を入れた。

 

「宿儺って、腕が四本あるバケモノだったんだよ。顔も二つあるしね」

「腕四本……カイリキーかよ」

 

 悠仁が思わずゲームのキャラクターを引き合いに出してツッコミを入れる。

 しかしそのツッコミの後、悠仁はハッと気づいた。先ほど悟から聞いた話のピースが、頭の中でカチリと組み合わさる。

 

 特級呪物たる両面宿儺の指は、呪術師たちが束になっても破壊できなかった絶対に壊れない代物であること。

 おまけに、放っておけば呪霊を引き寄せ、取り込んだ呪霊が力を増すという、存在しているだけで迷惑な超危険物でもあること。

 

 そして――自分がそれを取り込めば、受肉した宿儺が徐々に力を取り戻していくが、自分はそれを完全に押さえ込める『檻』であること。

 

「……もしかして」

 

 悠仁の顔から、スゥッと血の気が引いた。背筋に冷たい汗が伝う。

 

「全部俺に取り込ませてから……俺を殺して、指をこの世から葬ろう……とか?」

 

 それなら筋が通る。壊せないなら、器ごと滅ぼしてしまえばいい。

 すべての指を集め終わった自分が殺されれば、宿儺の魂も指も、まとめてこの世から消滅する。

 

 それが呪術界のトップである目の前の男が下した、最も合理的で冷酷な『死刑宣告』なのではないか。

 悠仁が恐怖に顔を引き攣らせると、全はキョトンとした顔をした後、腹を抱えてクスクスと笑い始めた。

 

「はは。確かに、そうすれば君の中の宿儺も指と一緒に滅ぶだろうね」

 

 全は悠仁の推測をあっさりと肯定した。

 だが、すぐにその瞳に、得体の知れない探求心と欲望の光を宿し、ニィッと三日月のように口角を吊り上げた。

 

「けど、そんな()()()()()()事はしないさ」

「…………えっ?」

 

「君のその器としての体質。今までの千年の歴史の中でどこにも記されていない、本当に珍しくて面白いイレギュラーな代物だ。一度切りで死なせるより、何に使えるか、どう応用できるかを考えたほうがずっと面白いだろう?」

 

 全の言葉は悠仁を死刑から救い出すものではあった。

 だがその裏に隠された「徹底的に実験材料として遊び尽くす」という物騒なニュアンスが、悠仁にとっては死刑宣告以上に恐ろしく感じられた。

 

「さて、今はまた少し忙しくしてるからね。そろそろおいとまさせてもらおうか」

 

 全は悠仁の全身をもう一度じっくりと値踏みするように舐め回した後、満足げに踵を返した。

 

「虎杖くんの所属は、ひとまず東京校預かりとしておいてくれ。……五条くんがいれば、万が一宿儺が暴走するようなイレギュラーがあっても()()()()()()()()()()()で対処できるはずだからね」

 

 全のあまりにも軽い指示に悟も「はいはーい、了解ー」と軽いノリで応じた。

 だが悠仁は「地図の書き換え程度ってどういうこと!?」と、自分の命や周辺被害を欠片も考慮していない会話のスケールに顔を青ざめさせている。

 

「それじゃあ。……指がすべて揃うのを、楽しみに待っているよ」

 

 全は振り返りもせず、ヒラヒラと優雅に片手を振りながら地下室の扉の向こうの闇へと音もなく溶けるように姿を消していった。

 

 残されたのは、蝋燭の揺らめく不気味な地下室で自身の過酷すぎる運命にポカンと口を開けて立ち尽くす少年と。

 

「よしっ! じゃあ、とりあえず明日から高専入学ってことで! 荷造りしとけよー!」

 

 何事もなかったかのようにパンパンと手を叩いて陽気に笑う、白髪の不真面目な担任教師だけであった。

 

 特級呪物を食らい、千年の呪いの王を受肉した少年・虎杖悠仁。

 彼の命は、特異点たる禪院全の『興味』によって拾われ、数奇な運命の歯車へと組み込まれた。

 

 いにしえの呪いの王の指を巡る、新たな時代の幕開け。

 すべてを呑み込み、消費する呪術界の巨大なシステムの中で、少年の歩む過酷な道が、今、静かに動き出そうとしていた。




■ 禪院全
真人と同じように無為転変で宿儺の魂に触れたらカウンターを食らわされた。

■ 両面宿儺と簒奪呪法
生得領域になんか入ってきたから殺そうとしたら普通に撤退されてイラッとした。

20本の指はそれぞれ魂の共振により互いの存在を保っており、分散しまくってる今は魂に直接干渉するのが極めて困難な状態にある。
もしかして:分霊箱

原作で19本の指が消滅すれば、残りの一本も魂を繋いでいけない、みたいな。
逆に一本や二本程度ならば残りが状態を保証してくれる。
故に()()()()()()()()()()()()()()とします。

20本に近付く程に簒奪呪法は通りやすくなっていく、といった感じですね。
そもそも通常の簒奪自体は無為転変と同じ条件で呪力ガードによる対抗ロールに持ち込めますが、簒奪呪法の場合抵抗すると逆に肉体や魂へダメージが入ります
これは皮膚に刺さった棘を術式、ピンセットを簒奪呪法として、呪力ガードは棘に()()をつけて抜けにくいようにしているイメージです。
その状態だと抜きにくいですが、強引に引き抜いたとき肉がずたずたになりますよね? そういう感じです。最悪死にますし、呪力操作も乱れるので結局当て得術式ですね。
領域展開ならガードしようが問答無用でぶっこ抜けます。
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