禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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『躯倶留隊』は、本日をもって解体する



03.簒奪者の戴冠-ひとつ目の成就

 特級仮想怨霊の顕現と、全による『術式再分配』の狂気的なビジョン。

 それがもたらした熱狂と恐怖は、禪院本家の大広間を真っ二つに引き裂いた。直ちに執り行われた、長老衆と特別一級術師、さらには炳の代表者たちをも含めた、かつてない規模の次代当主選定の投票。

 

 沈黙の中、記名された木札が次々と開票されていく。

 

「……直毘人様を推す者、三十三名。……扇を推す者、一名。……甚壱を推す者、なし」

 

 開票役を務める長老の声が、かすかに震えている。

 

「そして……全を推す者、三十三名」

 

 広間に、深いため息と、息を呑む音が同時に響いた。

 行われた投票は、直毘人と全で、見事なまでに二分されていた。

 全の圧倒的な武力と、術式を与えられるという魅力的な提案に惹かれた若手や末端の術師たち。彼らは皆、己の野心に従い全へと票を投じた。

 対して、長老衆や現在すでに恵まれた術式と地位を持っている者たちは、全の「術式再分配」という恐怖のビジョンによって()()()()()()()()()()()ことを即座に理解した。

 彼らは既得権益を守るため、そして何より全という不可解な怪物を排除するため、最も強き相伝術師である直毘人へと票を集中させたのだ。

 

「……三十三対、三十三、か」

 

 全は、面白がるように木札の山を見つめた。

 そして、己の分でもう一枚の票を持つ男——扇の方へと視線を向ける。唯一の「一名」は、言うまでもなく彼の自薦である。

 

「見事なまでに拮抗したねえ。扇伯父さんが意固地になってご自身に投票しなければ、どちらかここで決まっていただろうに」

 

 全が、まるで他愛のない世間話でもするように言って笑う。

 扇は顔を真っ赤にして立ち上がり、腰の刀の柄に手をかけた。

 

「貴様……! 出涸らしの息子風情が、たてつくか!!」

「よせ、扇」

 

 静かに、しかし絶対的な重みを持って扇を制止したのは、直毘人であった。

 彼は懐から瓢箪を取り出し、ぐびりと酒を煽ると、その鋭い目を全へと向けた。

 

「……票は割れた。そして互いに一歩も引く気はない。ならば、言葉や数で決めるのはここまでだ」

 

 直毘人の口癖のごとき言葉。

 それは、禪院家という武闘派集団において、最もシンプルで、最も絶対的なルール。

 

「決着は、己が力でもぎ取るべし。……そうだったね?」

 

 全が、直毘人の言葉を先回りするようにして同意した。

 それは前回の、二十五代目を決める争いの時と全く同じ流れであった。

 どれほど策を弄しようとも、最終的に禪院の王を決めるのは、呪術と呪術の純粋なぶつかり合い。

 

「……よかろう。演習場へ出ろ、若造。その舐め腐った根性ごと、ワシの『投射呪法』で叩き直してやる」

「ええ、お手柔らかにお願いしますよ。『前・当主候補』殿」

 

 全は三日月の笑みを深く刻み、悠然と立ち上がった。

 禪院の頂点を決する、二人の怪物の激突。

 決着の舞台は、数々の血が染み込んだ本家の演習場へと移されることとなった。

 

***

 

 禪院家のすべての男衆が固唾を呑んで見守る中、本家の演習場にて、全と直毘人は数十メートルの距離を置いて対峙した。

 冷たい土の匂いと、微かに残る血の錆びた匂いが混じり合う空間。

 周囲を取り囲む炳や灯、そして長老たちの無言の重圧が、ピンと張り詰めた糸のように場を支配している。

 

「——始めッ!!」

 

 立会人を務める甚壱の、空気を裂くような号令が響き渡った。

 先陣を切ったのは、誰もが「最速の術師」と疑わない直毘人——ではなく、全だった。

 

「『瞬発』+『身体自在』+『メトロノーム』」

 

 全の脳がストックされた無数の力から三つの術式を引き出し、神速の演算によって結合する事で一つの完璧な『解』を導き出す。

 爆発的な初速を生み出す術式。自身の肉体のリミッターを完全に統制する術式。そして、呪力操作のタイミングをミリ秒単位で同調させる術式。

 

「之即ち——」

 

 全の姿が、瞬きする間もなく掻き消えた。

 次に彼が姿を現したのは、直毘人の眼前の死角。その右拳には、空間そのものを歪ませるほどの、禍々しくも濃密な呪力が球体に圧縮されていた。

 

「——嵌合術(かんごうじゅつ)黒点調律(こくてんちょうりつ)

 

 直毘人が立っていた位置の空気が、文字通り()()()

 ドォンッ!! という鼓膜を破るような轟音とともに、空間が黒く歪み、真昼の太陽のような黒い火花が演習場を飲み込む。

 呪力の衝突がもたらす空間の歪み——黒閃

 並の術師であれば一生に一度出せるかどうかの奇跡の一撃が、全の拳から放たれたのだ。

 

「……チッ!」

 

 土煙が晴れた先。

 高速で後方へと離脱していた直毘人が、忌々しげに舌打ちをした。

 その着物の帯は粉々に砕け散り、脇腹の布地が大きく抉り取られている。

 

(……化け物が。今のは肝が冷えたわ)

 

 直毘人は内心で冷や汗を流していた。

 もし今のをまともに食らっていれば、幾ら鍛え上げた自分の肉体であろうと、一撃で意識が刈り取られていたはずだ。

 かといって、安易に『投射呪法』を発動してあの瞬間に帯に触れられていれば、自分がフリーズさせられ、そのまま粉砕されていた可能性がある。

 数多の死線を潜り抜けてきた直毘人の「長年の勘」だけが、死神の鎌から彼を的確に逃れさせていた。

 

「ば、馬鹿な……!? 今のは……黒閃!?」

「あり得ない! あれを()()()放ったというのか……!?」

「此奴、本当に……!」

 

 散った黒い花火の残滓を目にして、観客席にいる術師たちの間に、悲鳴にも似たどよめきが広がった。

 運任せの現象であるはずの黒閃。それを、全はどう見ても完全に任意で引き起こして見せたのだ。

 

「おや。さすがは最速、見事な反応だね」

 

 全は、黒い火花を散らした右拳を軽く振りながら、余裕とも嘲笑ともとれる三日月の笑みを浮かべた。

 底知れぬ簒奪者の、底知れぬ暴力。

 その圧倒的な()の気配を前にして、直毘人は初めて、己の心臓が警鐘を鳴らすのをはっきりと自覚した。

 

「さて、ステゴロもいいが……こんなのはどうかな?」

 

 直毘人の驚愕をよそに、全は楽しげに笑いながら自身の右腕をだらりと下げた。

 

「『膂力増幅』+『筋骨柔軟』+『瞬発』+『凝固』」

 

 四つの術式が、彼の中でまたしても淀みなく組み合わさる。

 脱力していた右腕が、常人ではあり得ない角度と速度で鞭のように大きくしなった。

 

嵌合術・穿空剛鞭(せんくうごうべん)

 

 ヒュガッという嫌な風切り音。そして、その()の先端——全の指先から放たれた極限まで圧縮凝固された空気の弾丸が、音速をとうに超えて撃ち出される。

 

 ドウゥゥンッ!!

 

 それは雷鳴の様な轟音を立て、直毘人が先ほどまで立っていた遥か後方の強固なコンクリート壁を深々と穿ち、巨大な風穴を開けた。

 一ミリでも回避が遅れれば、胴体の半分が吹き飛んでいただろう威力。

 だが、壁が砕け散る直前にはすでに、直毘人の姿はそこにはなかった。

 

(速い……ッ!! だが、当たらなければ意味はないわ!)

 

 ——投射呪法。一秒を二十四分割し、あらかじめ作った動きの軌跡をトレースする、禪院家相伝の術式。

 空気弾が放たれた瞬間、直毘人自身もまた自身の術式によって超高速で移動を開始していた。

 死角。弾を撃ち終わった直後の硬直を狙い、全の真後ろへと回り込んだ直毘人が、その無防備な後頭部を的確に捉えようと掌を突き出す。

 確殺のタイミング。

 

「おっと。……術式:『衝撃反転』」

 

 全の涼やかな声が響いた。

 直毘人の掌が直撃する文字通りその寸前。

 全の身体の周囲を、薄いガラスのような呪力の膜が瞬時に覆った。拳を受けた後頭部の箇所を中心に、その膜が星のようにピクリと輝く。

 

「……ッ!?」

 

 一瞬の後、直毘人が叩き込もうとした致命の衝撃が、魔法のようにそのまま完全に()()した。

 全の身体には傷一つ付かず、代わりに出力したそのままのダメージが、直毘人の腕そのものへと襲いかかる。

 

「オォォッ!」

 

 直毘人は自身の放った衝撃に弾かれ、後方へと鋭く飛び退いた。

 自身に跳ね返った力を逆に利用し、距離を取る見事な身のこなし。だが、その右腕は確かな痛みに痺れていた。

 彼は顔をしかめて自らの手をプラプラと振った後、骨に異常がないことを確認するように、ぎゅっと力強く握り直す。

 

「いいね、素晴らしい。強い人は何人でも必要だ」

 

 全は、振り返りもせずに嬉しそうに笑った。

 まるで、血を分けた伯父との殺し合いではなく性能評価でもしているかのような、無邪気で残酷な言い草。

 

「……もう当主気取りか、小童が」

「降参してもいいよ? 無闇矢鱈に、優秀な人に怪我をさせたくないからね」

 

 特異点の口から発せられたのは、強者の驕りすら通り越した、呆れるほどの思い上がりであった。

 

「特に直毘人伯父さんは、まだまだ現役でやれる十分な膂力があるし。何より禪院家の中でも突出して強い。……僕がこれから禪院の陣頭指揮を執る上で、絶対に()()()()()だから」

 

 その言葉の裏には、「優秀な駒として」という傲慢極まりない本音が、分厚いガラス越しのように露骨に透けて見えていた。

 一族の重鎮、しかも先ほどまで当主候補筆頭であった男に向かって、あからさまに「自分の部下になれ」と命じているのだ。

 

「どこまでもふざけた小僧だ……ッ!」

 

 直毘人の額に青筋が浮かぶ。

 いくら才能があろうと、格闘センスが桁外れだろうと、呪術の本質は個人の武力のみに非ず。

 自身の投射呪法の真髄を以て、このふざけた甥の首を刈り取らんと直毘人が身を屈めた、その時だった。

 

「まあ、男ばかりのむさ苦しい演習場だ。……少しばかり、場に『華』を添えようか。呪霊だけどね」

 

 全が、楽しげに笑いながらパチンと指を鳴らした。

 

 瞬間、地下演習場の温度がさらに数度、急激に低下した。

 先ほどの大広間でも見せた、全の影の底なし沼。そこから『ポ、ポ、ポ……』という不気味な鳴き声とともに、白いワンピースの巨女——特級仮想怨霊『八尺様』が再びその巨体をヌルリと顕現させる。

 だが、絶望はそれだけでは終わらなかった。

 

「出番だよ」

 

 全の左右の影が、さらに二つ、致命的な呪力の塊となって膨れ上がる。

 左の影から現れたのは、絢爛豪華な十二単に身を包み、背後に燃え盛る九つの狐尾を揺らめかせる妖艶な美女。

 ——特級仮想怨霊・化身『玉藻前(たまものまえ)』。

 

 そして右の影から現れたのは、血に汚れ、ボロボロになったトレンチコートを羽織り、顔の下半分を巨大なマスクで覆った長髪の女。

 ——特級仮想怨霊『口裂け女』。

 

「……はっ」

 

 三体の『特級』が、全を主と仰ぐようにその背後に並び立った。

 圧倒的。あまりにも圧倒的な暴力の顕現。

 見守る長老たちはおろか、甚壱や扇ですら、あまりの現実に言葉を失い、ただ口をパクパクとさせることしかできない。

 

 一対四。それも、相手は規格外の術師と、三体の特級呪霊である。

 もしも先日死んだ兄——前当主が彼の相手だったなら、十種影法術の式神を次々と呼び出し、怪獣大決戦のような大立ち回りを演じてみせただろう。

 だが、直毘人の投射呪法は、あくまで自身を加速させ、相手を罠にはめる近接特化の術式だ。

 多対一の物量戦。しかも相手が全て特級クラスとなれば、相性としてはこれ以上なく最悪といえる。

 

 絶体絶命の死地。

 常人であれば、恐怖で戦意を喪失するか、狂乱して逃げ出すかの場面。

 

「……くっ」

 

 直毘人は、瓢箪の酒を思い出したように一口呷り、前髪を乱暴にかき上げた。

 

「くひっ……カッカッカッ!!

 

 その口から漏れたのは、絶望の悲鳴ではなく、腹の底から湧き上がるような愉快な大笑いであった。

 あまりにも理不尽で、あまりにも規格外すぎる敵。

 この何十年、呪術界の最前線で「最強」の一角として君臨してきた彼にとって、久しぶりに出会った、自身の命を容易く刈り取る本物の()

 直毘人は、一周回って、今この状況が殺したいほど()()()なっていた。

 

***

 

 それからの戦闘は、まさに神話の再現のごとき激戦となった。

 迫り来る三体の特級仮想怨霊。それぞれの持つ理不尽なまでの絶大な呪力と広範囲攻撃を、直毘人は投射呪法の神速を以て紙一重でいなし、躱し、時にはフリーズさせて砕き割る。

 だが、いくら最速の術師とはいえ、特級三体を同時に相手取りながら無傷でいられるはずもない。着物はボロボロに引き裂かれ、全身から血を流しながらも、直毘人の眼は恐ろしいほどの輝きを放ち、ひたすらに全というただ一点の首を狙い続けていた。

 

「ハァァァァッ!!」

 

 そして。

 玉藻前の狐火をすり抜け、八尺様の巨大な腕をフリーズさせて足場にし、飛び上がった直毘人が、ついに全の懐へと飛び込んだ。

 口裂け女の大鋏が直毘人の背中を深く切り裂くが、彼は構わず、生涯で最も完璧な『二十四フレーム』の動きを作り上げ、己の全呪力を乗せた右拳を全の顔面へと叩き込む。

 

 対する全。

 彼は笑みを浮かべたまま、その直毘人の渾身の一撃を、あえて同じく真っ向からの右拳で迎え撃った。

 

 ——黒閃

 

 バチィィィンッ!!

 二人の拳が激突した瞬間。演習場の空間が爆発し、黒と黒、二つの太陽が同時に弾け飛んだ。

 直毘人と全、両者が全く同時に放った黒閃の衝突。

 その凄まじい衝撃波は、周囲の空気を真空へと変え、見守る術師たちを壁際まで吹き飛ばした。

 

「ガァッ……!」

 

 だが、その結果は残酷なまでに明暗を分けた。

 ()()()()()()()()()()投射呪法の性質上、この予測不可能なバグのような衝撃波によって直毘人が作っていた動作の軌跡がほんの僅かに乱れてしまったのだ。

 

 ピタッ。

 彼の身体が、自らの術式のペナルティによって、一秒間、完全にフリーズした。

 それは、最速の術師にとって、そしてこの特異点を相手にした死合いにおいて、あまりにも致命的な()であった。

 

「……捕まえたよ」

 

 全の右手が、フリーズして動けない直毘人の胸倉を情け容赦なく鷲掴みにする。

 直毘人の眼が見開かれる。

 次の瞬間。

 

「——簒奪

 

「ゴハァッ……!!?」

 

 直毘人の口から、声にならない絶叫が吐き出された。

 それは肉体を傷つけられるのとは全く違う、己の魂の根幹を、臓腑ごと乱暴に引きずり出されるような根源的な痛みと喪失感。

 一秒の硬直が解けた直後、直毘人は糸が切れた操り人形のようにガクンと膝をつき、そのまま冷たい地面へと這いつくばった。

 

 静寂が、演習場に降りたった。

 圧倒的な力とカリスマで禪院家を牽引してきた「最速の男」が、文字通り全ての力を奪われ、無様な姿で地に伏している。

 

「あーあ……口裂け女、持っていかれちゃったね」

 

 全は、先ほどの直毘人の決死の特攻の余波で完全に祓われ、消滅しつつある口裂け女の残滓を見つめて、少しだけ残念そうに肩をすくめた。

 特級呪霊を失ったというのに、その口調には微塵の焦りも後悔もない。

 

「でもまあ、彼女くらいの知名度なら、いずれまた別の個体としてそのうち湧くだろうし、いっか」

 

 全はそう呟くと、膝をついた直毘人の頭を、まるでよく懐いた老犬を扱うかのように、優しくポンと叩いた。

 

「さて……。この勝負、僕の勝ちでいいよね? 直毘人伯父さん」

 

 勝負を決したそのあまりに静かな宣言が、禪院家という泥沼の上に君臨する、新たな()の産声をあげていた。

 

「しょ、勝者っ……禪院、全ッ!!」

 

 立会い人である甚壱の、ひび割れたような声が地下演習場に木霊した。

 それは、長きにわたる実力主義の果てに、ただ一人最強を証明した特異点が、正式に第二十六代禪院家当主として認められた瞬間であった。

 全の派閥である若手や躯倶留隊出身の者たちからは、割れんばかりの歓声が上がる。一方で、長老たちや扇は、自分たちの終焉を見るかのように青ざめ、ただ黙り込むしかなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……」

 

 直毘人は地面に頽れ、未だ失われた魂の欠落感に喘ぎ、肩で激しく息を繰り返していた。最速の術師としての自尊心も、相伝の術式も、すべてが根こそぎ奪われた抜け殻の生。

 そんな直毘人の背中に、全はそっと、労わるように手を添えた。

 掌から、柔らかな呪力の波が送り込まれる。

 

「——術式反転:禅譲

 

 ドクンと。直毘人の胸の奥で、失われていたはずの『投射呪法』の術式核が、まるでパズルの最後のピースがはまるように、再びピタリと収まった。

 痛覚に近いほどの欠落感が瞬時に消え去り、馴染み深い呪力操作の感覚が直毘人の身体を駆け巡る。

 

「……な、に?」

 

 直毘人が、信じられないものを見るように振り仰ぐ。

 全は、何もなかったかのように屈託のない笑顔を浮かべていた。

 

「ほら、元通り。……『投射呪法』。あらかじめ動きを作って、それを精密になぞる。一見単純そうに見えて、恐ろしく精密な事前演算が必要な術式だ。独特のセンスと慣れが必須だろうね。扱いがとても難しそうだし、そういうのはあまり僕好みじゃないんだよ」

 

 全は、まるで借りたゲームソフトを返すような軽薄な口調で言ってのけた。

 

「これは長年練り上げてきたあなた以外にふさわしい持ち主はいないよ、伯父さん。あなた自身の肉体とセンスが合わさってこその、あの速さだ。僕が持っていても宝の持ち腐れだし、せっかくの優秀な人材を劣化させるのはもったいない」

 

 ニコリと。

 全は、地面に伏したままの最速の術師の目を覗き込みながら、最も残酷な「慈悲」の言葉を告げた。

 

「だから——“あげる”ね?」

 

 その言葉は、「奪われたものを取り戻した」という安堵を直毘人に与えるものではなかった。

 これまでは『生まれつき己のもの』であった術式が、これからは()()()()()()()()()()として再定義されたのだ。

 生殺与奪の権は、完全に全の手の中にある。その事実を最も屈辱的な形で刻み込むための、計算し尽くされた仕打ち。

 直毘人は、反論することも力で抗うこともできず、ただ苦々しく唇を噛み締めることしかできなかった。

 

 ……こうして、二十歳という異端の若さで頂点へと上り詰めた新星のもとで、禪院家の血みどろなる『術式再編』は、その幕を堂々と開けることとなった。

 

***

 

 この日を境に、千年以上続く御三家の一角たる禪院家は、その根底から徹底的に生まれ変わることとなった。

 新たな血と理性に染め上げられた『術式再編』の嵐。

 それは、誇り高き呪術師たちを単なる「部品」として扱う、身の毛のよだつような全体最適化の号砲であった。

 

 禪院家のすべての術師は、全の冷徹な査定によってその肉体的・精神的な適性に応じて容赦なく生得術式を入れ替えられた。

 かつてどれほどの武勇を誇ろうとも、相伝の血筋であろうとも関係ない。老いや体力の衰えによって前線で戦えなくなった長老たちは、泣き叫ぼうが憤怒しようが術によって縛られ魂の奥底から長年連れ添った術式を乱暴に剥ぎ取られていった。

 代わりとして彼らに宛がわれたのは、全のストックの中から選ばれた適当なゴミ術式。あるいは、手足が動かずとも頭の巡りが良く有能な者に対してのみ、後方支援や索敵に役立つ実用的な術式が再配置されるといった徹底ぶりであった。

 

 全の執務室の前に列をなし、己のアイデンティティたる術式を引き剥がされる老術師たちの絶望的な呻き声は、何日も不気味に本邸に響き渡った。

 だが、彼ら長老たちには決して知らされていない、さらに残酷な一面の事実がある。

 全の視界には、『術式:死神の目』によって、他者の「事故などの外的要因を考慮しない純粋な健康寿命」がデジタル時計のように明確に表示されていたのだ。

 そして全はその残酷なタイマーに従い、余命が長くないと判断した者——つまり、これから投資する長期的な価値のない「寿命間近の不良品」たちに対しては、容赦なく、本当に何の役にも立たない在庫処分の『いらない術式』を笑顔で押し付けていたのであった。

 

 才能も、努力も、血脈の誇りも、もはやこの家には存在しない。

 あるのはただ、禪院全というただ一人の絶対的な脳髄が導き出す、おびただしい数の「部品」たちの冷徹な最適化の果て。

 

***

 

 そして、すでに術式と地位を持っていた者たちの()()が概ね終了した数日後。

 今度は、全の召集により、生まれつき術式を持たぬがゆえに這いつくばることを運命づけられていた下働きの集団——『躯倶留隊(くくるたい)』の全隊員が、本邸の中庭に集められていた。

 

「うんうん、みんな集まったね」

 

 上座から彼らを見下ろす新当主・全は、地面に額を擦りつけるように平伏する無数の背中を見て、苦言を呈すように首を傾げた。

 

「そんなに這いつくばらなくてもいいのに。……まあいいや。単刀直入に言おう」

 

 全の口元から、三日月の弧が深まる。

 

「『躯倶留隊』は、本日をもって解体する」

 

 その言葉が落ちた瞬間、中庭に戦慄が走った。

 それは単なる部隊の解体を意味しているだけではない。

 術師の家系に生まれながら術式を持たず、長年虐げられてきた彼らにとって、『躯倶留隊の解体』はすなわち居場所の剥奪——禪院家からの放逐、あるいは一族の『恥』としての「処分」を意味しているように思えたからだ。

 

 生きた心地がせず、何人かが歯の根を鳴らす中。

 全はさらに笑みを深め、ゆっくりとその両手で、掌印を結んだ。

 施無畏印・与願印。恐れを取り除き、願いを与えること——強欲にして傲慢なる簒奪者の手によって成されたなら、それは大きく意味を変える。

 

「まあ、硬い話は抜きにしようか。せっかくのハレの日だ」

 

 その言葉の直後。全の全身から、膨大にして濃密な、海のように深く暗い呪力が爆発的に膨れ上がる。

 

 

「——領域展開

 

 それは、呪術戦の極致。

 具現化された心象風景が、中庭に平伏していた躯倶留隊の隊員たち全員を、世界そのものを塗り替えるようにして呑み込んでいく。

 

玲瓏簒宝閣(れいろうさんほうかく)

 

 隊員たちの視界を埋め尽くしたのは、息を呑むほどに絢爛豪華で、しかし同時に、肺が押し潰されるほどに禍々しい呪力に満ちた『宝物閣』であった。

 黄金の棚が天高く聳え、そこには色とりどりの宝石が無数に散らばっている。

 生得領域に蓄えられたそれらの宝石の一つ一つこそ、全がこれまで簒奪し、ストックしてきた()()()()の結晶に他ならない。新たなる王の宝物庫にして、冒涜的なまでの力の陳列棚。

 

 中心に立つ全が、タクトを振る指揮者のように優雅に片手を振るった。

 すると、数多の宝石の中から、ちょうど隊員たちの数と同じだけの光の粒がふわふわと浮かび上がり、呆然と立ち尽くす彼らの身体へと、水が染み込むように溶け込んでいった。

 直後、隊員たちの身体がビクンと跳ね、これまで感じたことのない異質な熱——()()()()()の設計図が、肉体の底から湧き上がるのを自覚する。結界術による必中効果を利用した、強制的かつ広域の禅譲

 

 パチン、と指が鳴らされ、幻のような宝物殿は泥が溶けるように解除された。

 元の本邸の中庭に戻った彼らは、自分に宿った新たな力に戸惑い、己の手を震えながら見つめている。

 

「はい、おしまい。……予定通りの術式が、全員に行き渡ったはずだよ」

 

 全は、満足げに手をパンパンと払った。

 

「一人ひとり順番に配っていくのも面倒だからね。領域を使えば、簒奪も禅譲もいっぺんに済ませられるから、すごく効率的なんだ」

 

 戦闘で『玲瓏簒宝閣』を使えば、領域に飲み込まれた時点で相手は一瞬にして()()()()()()()()()()()()()

 さらに、領域内に浮かぶ無数の宝石から、ありとあらゆる色とりどりの術式が必中の雨あられとなって降り注ぐという、まさに特異点たる全の究極の札であった。

 

 呆然とする元・躯倶留隊員たちに向かって、全は高らかに宣言する。

 

「というわけで。これより諸君は、授けられた術式への適性と実力に応じて、それぞれ『灯』および『炳』の隊員として振り分けられる」

 

 かつての落伍者たちが、禪院家の主力兵器として生まれ変わった瞬間であった。

 

「隊員がゼロとなった躯倶留隊という組織の枠は、これで晴れてお役御免というわけだね」

 

 全がにっこりと笑いかけると、ようやく気が変わって「処分」されるのではなく、約束通りの「昇格」であったことを理解した男衆の間に、爆発的な歓喜の波が広がりかけた。

 だが、事実に歓喜する一方で、彼らの内心には共通する一つの冷や汗と突っ込みが存在していた。

 

(ある程度の説明は事前に聞いてたとはいえ、怖すぎるだろ……ッ!)

(『解体する』とか、他にいい言い方なかったのかよ!? 心臓止まるかと思ったぞ……!)

(ってか当主様、絶対ただ『領域展開』を見せびらかして、僕らをビビらせたかっただけじゃないかな!?)

 

 王への絶対的な陶酔と恐怖、そして若干の呆れがない交ぜになった狂騒。

 こうして、術を持たぬすべての男衆は『昇格』という形で消え去った。しかし、全の常軌を逸した改革の波は戦闘要員である男たちだけに留まらなかった。

 この『術式再編』は、家の中で徹底的に虐げられ、ただの道具として扱われてきた女中たちにすらも平等に適用されたのだ。

 

 女中であっても、一定水準以上の呪力量とその操作の才能があり、かつ「本人に戦う意思と希望がある」場合においてのみ戦闘向けの術式を与えられ、正式な術師部隊への編入が認められることとなった。

 そうでないものも、何かしらの適当な術式を与えられていく。

 無論、物心ついた時から裏方の使用人として洗脳されるように生きてきた女中たちの中で、今更血なまぐさい死地に赴きたいと志願する奇特な変わり者はそう多くはない。

 だが重要なのは、そこに『強い意志さえあれば、女であっても正式に術師としての道が開かれる』という、かつての禪院では絶対にあり得なかった選択肢が提示されたことである。

 

 生まれ持った才の差。生得術式の有無。そして、性別の差。

 かつて禪院家を縛り付け、多くの人間を腐らせてきた旧態依然とした呪いのような差別のすべては、二十歳の若き特異点によって、完膚なきまでに叩き壊された。

 新当主・禪院全の辞書には、もはや「男だから」「相伝だから」といった無価値なカーストは微塵も存在しない。

 すべての禪院の人間が、ただ『純粋な呪術戦闘での有用性』という、たった一つの合理的で狂気的な基準によってのみ、完全に再編・統一されたのだから。

 

***

 

 こうして、表向きはこれまで通りの名門・御三家を装いながらも、その内実は一人の絶対者を頂点に戴く、最強の私兵軍団……新生・禪院家が完成した。

 しかし、その完全に生まれ変わった禪院家において、ただ一人だけ、イレギュラーが存在した。

 

 すべての術を持たぬ者が消えたはずのこの家で。

 唯一人、全の『簒奪呪法』をもってしても、術式を与えられなかった——意図的に拒絶したのではなく、真に呪力から脱却した肉体が術式の定着そのものを不可能とする男。

 そもそも呪力がないため、仮に定着したところで術式はうんともすんともいわないだろうが。

 

「というわけで、甚爾さんは今日から『炳』ね」

 

「……は?

 

 次代の当主を名乗り、家中の体制をすっかりひっくり返した怪物から飛び出た突拍子もない言葉に、禪院甚爾は思わず間抜けな声を漏らした。

 つい先日、目の上のたんこぶだった先代当主(ちちおや)が死亡した。それを良い区切りとして、いよいよこの腐りきった生家からの出奔に向け呪具や金目のものを集めていた矢先、唐突に全から呼び出しを食らってこのザマである。

 

「いやいや、おかしいだろ。俺は呪力ゼロのただの猿だぜ? 術式一つ植え付けられない不良品を、名門『炳』様に突っ込もうってのか」

「そんなちっぽけな基準、もうこの家にはないよ。ただ強い順に位を与えただけ」

 

 呆れたように肩をすくめる甚爾に対し、全は悪びれもせず、屈託のない笑みを浮かべた。

 当然、この破天荒極まりない人事には、周囲を取り囲む新『炳』の隊員たち——つい先日まで甚壱や扇を推していた古株の猛者たちから、強烈な反発の怒声が上がった。

 

「当主様! 貴方の采配とはいえ、それはあり得ません!」

「我々は貴方の実力を認め、忠誠を誓いました! ですが、呪力すら持たない正真正銘の()を我々と同じ席に並べるなど、あまりに愚弄が過ぎる!」

 

 血眼になって抗議する隊員たち。

 そりゃそうだろうな、と甚爾自身もやれやれと内心で同意する。彼らにとって、呪力がないということは未だに人間以下の証明なのだから。

 しかし、全は涼しい顔でパンッと手を打ち鳴らした。

 

「うんうん、気に入らないのはわかるよ。これまでの常識を手放すのは怖いよね」

 

 全は、隊員たちの群れと、面倒くさそうに首の後ろを掻いている甚爾を交互に見て、三日月の笑みをこれ以上ないほどに深く刻み込んだ。

 

「じゃあ、納得できるように……君たち、彼と()()()()してみよっか」

 

 静寂。

 次いで、侮辱されたと顔を真っ赤にした炳の術師たちが、次々と呪力と術式を展開し、徒手空拳の甚爾へと殺到した。タイマンだって言っただろ。

 

 ——まあ、結果は推して知るべしであった。

 

 

「……あーあ。服、汚れちまった」

 

 ものの数分後。

 本邸の大広間には、より自身に適応した真新しくより強力な術式を誇っていたはずの十数名の『炳』の隊員たちが、ただの一人も立ち上がれず、無残なスクラップの山となって築き上げられていた。その中には、生得術式をそのまま身に宿しておく事を許された扇や甚壱も混じっている。

 殴られ、蹴られ、投げ飛ばされ、自慢の術式を発動する暇すら与えられず、ただ()()()()()という名の理不尽によって蹂躙された呪術師たち。

 その頂点に腰掛け、甚爾は己の衣服に跳ねた血の染みを忌々しげに払っている。

 

 呪力から完全に脱却した『天与呪縛のフィジカルギフテッド』。その圧倒的な身体能力の前に、中途半端な術式など児戯にも等しい。

 全の眼は、その完成された肉体の躍動を、食い入るように、そして愛おしそうに見つめていた。

 

「素晴らしい……。やっぱり最高だよ、甚爾さん。あなたの強さは、僕がこれまで集めたどんな術式よりも美しくて、合理的だ」

「……気持ち悪いお世辞はやめろ。殺すぞ」

「付け替え自由な術式と違って、その唯一無二の肉体は誇るべきだと本心から思ってるけどね。……まあ、高い給料を払うから、僕のために働いてよ。『炳』筆頭の一人としてね」

「チッ……。金払いがいいなら、少しは考えてやらなくもねぇよ」

 

 舌打ちの裏に、どこか悪くない響きを感じ取りながら。

 全は、満足げに目を細めた。

 術式、金、地位。それらはすべて、彼にとって目的に至るための手段でしかない。

 

 

(これで、ようやく欲しかったものの『一つ目』が手に入った)

 

 天与の暴君・禪院甚爾。

 そしていつの日か、あの天上天下唯我独尊の『六眼』をも必ずこの手に——。

 すべてを呑み込む真っ黒な簒奪者の野望が、静かに、そして確かに産声を上げていた。




躯倶留隊「そのまま殺されるかと思った……」
全「術式クソ余ってるのにそんなもったいないことしないよ」

嵌合術(かんごうじゅつ)
複数の術式をパーツのように組み合わせる簒奪呪法の拡張術式。
事前に何の術式を合わせたか開示することで威力が上がる。
もちろん元ネタはオール・フォー・ワンの複合個性技である。

○嵌合術・黒点調律(こくてんちょうりつ)
確定黒閃。ちゃんと黒閃バフも発生する。
○嵌合術・穿空剛鞭(せんくうごうべん)
腕を鞭のようにしならせ、先から凝固させた空気弾を放つ。そのまま腕でぶん殴るのもあり。


■領域展開・玲瓏簒宝閣(れいろうさんほうかく)
掌印は施無畏印・与願印。不安の代わりに術式を取り除き、自身の都合で与える。
取り込まれた時点で自動で『簒奪』が成立するクソ領域。
色とりどりの宝石で埋め尽くされた宝物庫のような景色をしており、その宝石の一つ一つが奪った術式。術式によって色と形が違う。
呪霊由来の術式はやや歪な形をしている傾向がある。
直接触れずとも、全の意思一つで宝石を飛ばし、『禅譲』もできる。
宝石の一つ一つをファンネルのように浮かせ、雨あられと術式による必中攻撃を行う事もできる。
領域効果自体に殺傷力がないためか、押し合いは割と強い。詐欺だろ。
全のストックした術式はここにすべて陳列されている。

禪院家の人数ってどんなもんなんですかね?
ひとまず適当に有権者(?)だけで67名ということに、扇さんがネタ要員になるためだけに奇数にした。
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