禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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考える頭があっても、結局はその程度ね



29.祓除任務-田舎の呪い、都会の呪い

「まーまー! 悠仁には実地を通してちょっとずつ教えていけばいいさ!」

 

 悠仁へまともに指導していない事が明らかとなった悟への恵のジト目と、野薔薇の呆れ果てた視線。その二方向からの痛烈な非難を、彼はヒラヒラと両手を振って強引に振り払った。

 

「それよりさ! せっかく今年の一年生がようやく勢揃いしたんだ。しかもその内二人は、ピッチピチのおのぼりさんときてる」

 

 悟はサングラスの奥で悪戯っぽく目を細め、ポンッと景気良く手を打ち鳴らした。

 

「……行くでしょ、東京観光!

 

 その甘美な響きを持った四文字が放たれた瞬間。

 先ほどまで「使えない担任」と蔑むような目を向けていた悠仁と野薔薇の顔が、一瞬にしてパァァァッと向日葵のように輝きを放った。

 

「マジで!? いいの先生!?」

「話が分かるじゃないの! さすが特級、羽振りがいいわね!」

 

 両手をグッと握りしめ、目をキラキラと輝かせて喜ぶ田舎者二人。

 一方で、一人だけ東京の――というより五条悟の性質を骨の髄まで理解している恵は、「はぁ……」とこれ以上ないほどに深くて重い渋面を作っていた。

 

「TDL! 俺、TDL行きたい!!」

 

 悠仁がピョンピョンと跳ねながら歓喜の声を上げる。

 

「バッカじゃないの!? TDLは千葉でしょ! 田舎者丸出しね!」

 

 すかさず野薔薇がバシッと悠仁の背中を叩いてマウントを取る。

 

「先生、中華街にしましょ! 本場の中華まん食べ歩きよ!」

「はあ!? 中華街だって横浜だろ!」

横浜は東京だろ!!

んなわけねぇだろ!!

 

 原宿の雑踏のど真ん中で、地理の概念が完全に崩壊したおのぼりさん二人が、ギャーギャーと騒がしく言い争いを始める。

 その喧騒を前に、悟はスッ……と右手を高く上げ、厳かに一言だけ告げた。

 

「静まれ」

 

 その妙に威厳のある低いトーンに二人はピタリと口論をやめ、ゴクリと生唾を飲み込んで担任を見上げた。

 どこへ連れて行ってくれるのか。TDLか、中華街か、それとももっと凄い場所か。

 ワクワクと期待に胸を膨らませる二人に、悟はニヤリと口角を吊り上げ、高らかに発表した。

 

「行き先は……六本木!

 

「「六・本・木!!?」」

 

 悠仁と野薔薇の顔が、これ以上ないほどに紅潮した。

 

「ヒルズ!! ヒルズだ!!」

「ギロッポン! 眠らない街、六本木!!」

 

 二人の脳内にはガラス張りの高層ビル群にレッドカーペット、きらびやかなネオンサイン、そしてオシャレなカフェで優雅にお茶をする自分たちの姿が鮮明に浮かび上がっていた。

 キャッキャと手を取り合わんばかりにはしゃぐ同期二人を横目に、恵だけは(絶対ロクなことにならねぇ……)と、静かに天を仰いでいた。

 

 

 

 ――そして。

 

「…………」

 

 先ほどまでの狂騒が嘘のように、その場は重く、冷たい静寂に包まれていた。

 目の前にあるのは、六本木ヒルズでも、きらびやかなネオン街でもない。

 

 ズズズ……と、外にまで明確な悪寒とドス黒い()()の圧力をダダ漏れにしている、窓ガラスが割れて蔦が這い回る巨大な廃ビルだった。

 周囲の空気はどんよりと淀み、カラスすら寄り付かないようなおぞましい気配が立ち込めている。

 

「……えーっと」

 

 悠仁が、震える指でその不気味な廃墟を指差した。

 

嘘つきーッ!! 六本木ですらねーじゃねぇか!!」

「地方民弄びやがってこのクソ教師!! ふざけんな!!

 

 期待を裏切られた田舎者二人の、血を吐くような怒号が薄暗い裏路地に轟き渡る。

 

「まーまー、そう怒るなって」

 

 ギャーギャーと抗議する悠仁と野薔薇を、悟は全く悪びれる様子もなくヒラヒラと手であしらった。

 

「ここ、近くにでっけー霊園があってね。その陰気な雰囲気と、この気味の悪い廃ビルっていうダブルパンチのせいで呪いが発生しちゃったんだってさ」

 

 悟のあっさりとした説明に野薔薇は眉を吊り上げたが、悠仁の方は「おっ」と素早く気持ちを切り替え、廃ビルをまじまじと見上げた。

 

「やっぱ、墓地とかってそういうのが出やすいのか? 成仏できない魂の未練とか、そういうヤツ?」

 

 幽霊やオカルトの定番とも言える素朴な疑問。

 だが、そのファンタジーな認識を正すように、恵がやれやれとため息をつきながら口を開いた。

 

「違う、呪霊ってのは死人が化けて出るもんじゃない。生きている人間から無意識に漏れ出す()()()()が原因で発生するんだ」

「あ……」

 

 恵の説明に、悠仁はポンと手を打った。

 

「そういや、高校の時にも言ってたな。人がいっぱいいるトコの方がむしろ出やすいってヤツだっけ」

「そういうこと」

 

 悟が満足げに指を鳴らして引き取る。

 

「今回のケースだと、近くに霊園があるでしょ? そうなると、そこを通る非術師たちは無意識に『墓地、イコール怖い、気味が悪い』っていう恐れの感情を抱くわけ。で、その流れ出た負の感情が、誰も近付かないこの不気味な廃ビルに吹き溜まって呪いとなった、というわけだ」

 

 そのわかりやすい解説に、悠仁は「はえー、なるほどなー」と、どこまで本当に理解しているのか怪しい顔でウンウンと大きく頷いた。

 

 だが、その素人丸出しのやり取りを横で聞いていた野薔薇は、腕を組んだまま怪訝そうに首を傾げていた。

 

「ねえ、ちょっと。……コイツ、さっきからマジで何も知らないじゃない」

 

 野薔薇はジト目で悠仁を指差す。

 

「いくら一般家庭出のポッと出にしたって、呪術高専にスカウトされるくらいなんだから、感覚的にもうちょっとそういうの把握してると思うんだけど。……アンタ、今までどうやって呪いと戦ってきたのよ?」

 

 野薔薇の尤もな疑問に、悠仁は「えっと……」とバツが悪そうに頬を掻く。

 そこで、悟が「あー、それね」と横からあっさりと事情を説明し始めた。

 

「実はさ、悠仁はついこないだまで非術師だったんだけど……学校で呪霊に襲われた先輩を助けるために特級呪物を丸飲みして呪力を手に入れちゃったんだよねー」

 

「…………はぁ!?

 

 野薔薇の口から、素っ頓狂な声が裏返って飛び出した。特級呪物を、丸飲み。

 野薔薇は目をひん剥き、信じられない汚物でも見るように、後ずさりしながら悠仁を指差した。

 

「キッショ!!! ありえない、衛生観念キモすぎ!!!」

「い、いや! あの時はそうするしかなくてだな!?」

 

 必死に弁明しようとする悠仁だったが、野薔薇のドン引き具合は尋常ではない。

 そしてそれに追い打ちをかけるように、隣で腕を組んでいた恵が静かに頷いた。

 

「……それには激しく同感だ。呪物としてのリスク度外視して考えても、まんま干からびたミイラの指だからな。アレを食うとか正気の沙汰じゃない」

 

「ええっ!? メグミンまで!?」

 

 唯一現場に居合わせたはずの恵からの冷酷な同意に、悠仁はショックでガックリと肩を落とした。

 

「まー、そういう訳でね」

 

 漫才のようなやり取りをゲラゲラ笑いながら見ていた悟が、パンパンと手を叩いて場を仕切り直す。

 

「今回は地方から出てきたばかりの野薔薇の実力と、呪術の素人だけど特級呪物の器である悠仁……お前ら二人の今の実力を知りたい訳だ」

 

 悟はサングラスの奥の六眼を細め、ビルから漂う呪力の気配を見据えた。

 

「実地試験みたいなもんだね。中にいる呪いを二人で協力して祓っておいで」

「……でもさぁ、先生」

 

 実地試験と言われ、悠仁は少し不安そうに首を傾げた。

 

「俺、呪術とかそういうの全然使えねーよ? それとも、特級呪物食ったから、俺もメグミンみたいに影を操ったりとか、バッとなんか凄いビームみたいなの飛ばしたりできるようになってんの?」

 

 特撮やアニメのヒーローのように、力を得れば自動的に必殺技が撃てるようになると思い込んでいる悠仁。

 しかし、悟は笑って即座に否定した。

 

「影を操ったりするやつは()()ね。残念ながら、悠仁には生まれつきの術式は無いよ。欲しかったら、そのうち恵んちに買いに行きな」

「買えんの!?」

 

 悠仁が目を丸くして驚くが、まあ実績上げたらタダで貰えるかもしれないけど、と悟はヒラヒラと手を振って話を戻す。

 

「まあ、術のテイをなしていなくても呪力さえ通ってれば呪霊は祓えるんだよ。呪物を取り込んだ今の君は半分呪いみたいなもんだから、最悪そのまま素手でぶん殴るだけでも多少のダメージは通らなくもない」

 

 悟の言葉に悠仁は自分の拳を見下ろし「おおっ」と感嘆の声を漏らした。

 だが、悟はスッと真剣な顔になり、懐から何かを取り出した。

 

「けどまあ、呪力の制御なんて一朝一夕でできるもんじゃないからね。はい、これ」

 

 悟が悠仁にポンと投げ渡したのは、柄に穴が二つ開いた大振りのサバイバルナイフのような短刀だった。

 ズシリとした重みと、刃から微かに漂う冷たい気配。

 

「呪具『屠坐魔(とざま)』。あらかじめ呪いの込められた武器さ。これなら、難しい呪力コントロールとか考えず、ただぶった斬れば呪いにもダメージが通るよ」

 

「おー! カッケェ!」

 

 悠仁は目を輝かせ、屠坐魔を受け取ってヒュンヒュンと軽く素振りをしてみせた。

 その身体能力の高さゆえに、初めて握る短刀でも中々に様になっている。

 

「でも、一つだけ忠告」

 

 悟のサングラスの奥の瞳がスッと冷たく、そして鋭く細められた。

 

「宿儺は出すなよ」

 

 その低く凄みのある声に、悠仁の手がピタリと止まった。悟は先に進まんとしている野薔薇をちらりと見ながら言う。

 

「呪霊は瞬殺だろうけど、宿儺は周りの事を考えてくれはしない。積極的に巻き込むまである。そうなれば最悪、俺が出張って悠仁ごと吹っ飛ばすことになるから」

「……ッ!!」

 

 冗談ではない。圧倒的な()・最強としての冷徹な宣告。

 それを肌で感じた悠仁は、額に冷や汗を流しながら、ブリキのおもちゃのようにカクカクと激しく頷いた。

 

「よしっ、いい子だ」

 

 悠仁の反応に満足した悟は、すぐにいつもの飄々とした笑顔に戻ると、再び懐をごそごそと漁り始めた。

 そして、手の中に収まるサイズの肌色をした不気味なキューブを二つ取り出す。その表面には血走った人間の目玉のようなものが一つずつ埋め込まれており、ギョロリと周囲を見回している。

 

「はい、これ。……ほら、野薔薇も!」

 

 悟はそれを、悠仁と野薔薇に向かって一つずつ放り投げた。

 

「呪具『魍魎匣(もうりょうばこ)』。……弱らせた呪霊に投げつけると、スポンッ! て捕まえられる便利なアイテムね」

 

 悟はニシシと笑いながら、親指を立てた。

 

「なるべく強いのを捕まえて納品したら、禪院家からボーナスが出るからさ。悠仁もいっぱい集めて目指せ術式ゲット!」

 

 悠仁はキャッチした魍魎匣を両手で持ち、その表面でギョロギョロと動く目玉を興味深そうにマジマジと見つめた。

 

「なんかこれ、ベヘリットみたいだな……」

 

 悠仁がそう呟きながらキューブの目の周りを指で優しく撫でてやると、なんと魍魎匣は気持ちよさそうに目を細め、ブルブルと小さく震えた。

 

「キモカワ……ってやつか……」

 

 悠仁はそれをなんとも言えない表情でポケットに入れる。

 

「うげぇ……出たな、キモいモンスターボール……」

 

 一方の野薔薇はコンクリートに叩き付けられて涙目になったキューブを指先で摘むようにして持ち、心底嫌そうに顔を顰めてうめき声を上げていた。

 

 彼女も二重術師である以上、この呪具の存在や禪院家のシステムについてはよく知っているのだろう。便利であることは百も承知だが、この悪趣味極まりないデザインだけは何度見ても慣れないらしかった。

 

「それじゃあ、二人とも頑張ってこーい!」

 

 悟がパンパンと手を叩いて見送る中、悠仁は屠坐魔を構え、野薔薇は腰のポーチから釘と金槌を取り出し、並んで廃ビルの入り口へと足を踏み入れていった。

 

 

***

 

 

あ゙〜、タルっ。なんで東京来て早々、呪いの相手なんかさせられなきゃいけないのよ……」

 

 薄暗く埃っぽい廃ビルのエントランスに足を踏み入れるなり、野薔薇は心底ウンザリしたように愚痴をこぼした。

 ヒールの音をカツカツと鳴らしながら、彼女は金槌を肩にトントンと叩きつける。

 

「時短時短。サクッと終わらせるわよ。二手に別れましょ、アンタは下からで私は上からね」

 

 野薔薇は悠仁に向かって顎でしゃくり、さっさと階段の方へと向かおうとした。

 

「さっさと終わらせて、ザギンでシースーよ」

「シースーって、銀座のは絶対高いだろ……」

「五条先生が出すに決まってんじゃない」

 

 何のためらいもなく担任の財布をアテにする野薔薇に、悠仁は苦笑しつつも、少しだけ表情を引き締めた。

 

「なあ、釘崎」

 

 悠仁の声色が変わったことに気づき、野薔薇が「あ?」と足を止めて振り返る。

 

「もうちょいマジメにいこーぜ。呪いって、危ねーんだよ」

 

 母校、杉沢第三高校で味わったばかりの恐怖。呪力のプレッシャーと、先輩たちが飲み込まれかけたあの惨状。そして、両面宿儺という悪意の顕現。

 呪いという存在の理不尽さを肌で知ったからこそ、悠仁は素人なりに真剣な忠告を口にしたのだ。

 

 ――しかし。

 その言葉は、野薔薇の逆鱗に、見事なまでに触れてしまった。

 

「はぁ?」

 

 野薔薇の眉が吊り上がり、額にピキリと青筋が浮かぶ。

 

「最近までパンピーだった奴に言われたくないわよ!!」

 

 ドンッ!!

 

「うおっ!?」

 

 野薔薇の容赦ない回し蹴りが、悠仁の尻を文字通り強烈に蹴り飛ばした。

 

「さっさと行け!! 足引っ張ったらシバくからね!!」

 

 野薔薇はそう吐き捨てると、ヒールを鳴らしてさっさと階段を駆け上がっていってしまった。

 

「痛ってぇ……どんな情緒してんだよ!!」

 

 蹴られた尻をさすりながら、悠仁が抗議の声を上げる。

 

「そんなだからモテないのよ!!」

 

 階段の上から、さらに辛辣なトドメの言葉が降ってきた。

 

「なんで俺がモテないの知ってんだよ……」

 

 事実なだけに反論もできず、悠仁はブツブツと文句を零しながら、一人で薄暗い1階の廊下を進み始めた。

 埃まみれの床に足音が響く。蛍光灯はとうの昔に切れており、窓から差し込む僅かな光だけが頼りだ。

 

(とりあえず、見つけたらブッた斬る。で、弱らせてこのモンスターボールにぶち込む……)

 

 悠仁が頭の中で作戦を反芻しながら歩を進めていた、その時だった。

 

 頭上の配管の影から。

 カサリ、と嫌な音が鳴り、蟷螂の鎌のように鋭く巨大な手が悠仁の首筋めがけてソロリと伸びてきた。

 

「……!」

 

 悠仁の野生の勘とも言える反射神経が、即座に死の気配を捉えた。

 振り返るよりも早く、身体が勝手に反応する。

 身を沈めながら、右手に握った屠坐魔を上段へと鋭く振り抜いた。

 

 スパァンッ!

 

ギィッ!?

 

 紫色の血飛沫が舞い、斬り飛ばされた巨大な鎌の先端が床にボトリと落ちる。

 悠仁はそのままの勢いで前転し、即座に身を翻して背後の敵と対峙した。

 

 そこにいたのは節足動物と人間を歪に混ぜ合わせたような、六足歩行の醜悪な呪霊だった。

 斬り飛ばされた腕の断面からドロドロとした体液を滴らせながら、歪んだ顔の赤い目が悠仁をギョロリと睨みつける。

 

「出たな、呪霊……」

 

 悠仁は屠坐魔を構え、低く身構えた。

 

「弱らすって、どの程度やりゃいいんだろうな。……とりあえず!」

 

 悠仁が爆発的な脚力で床を蹴る。

 ギャアアアッ! と咆哮を上げ、呪霊が残った腕で大振りの薙ぎ払いを放ってくる。

 しかし悠仁は、その攻撃の軌道を冷静に見極め、紙一重でスライディングするように四足歩行の胴体の下へと潜り込んだ。

 

「そらっ!」

 

 下から上へ。

 屠坐魔の刃が、呪霊の太い脚の関節を無慈悲に両断した。

 

ギガァァァァッ!!

 

 支えを失った呪霊の巨体がバランスを崩して床にドシャッと無様に崩れ落ちる。

 悠仁は立ち上がると同時に、左のポケットから肌色のキューブ――魍魎匣を素早く取り出し、野球のボールを投げるようなフォームで思い切り呪霊の背中めがけて投げつけた。

 

「いっけぇぇぇ!!」

 

 ——ゴンッ!

 

 魍魎匣が呪霊の背中に見事に直撃し——次の瞬間、キューブの表面がガパァッ! と大顎のように開き、そこから強烈な吸引力が生じた。

 

ギャ、ギィィィ……!!

 

 呪霊の肉体が、まるで掃除機に吸い込まれる煙のようにドロドロと黒い玉のような形に圧縮されながらその小さな口の中へと一瞬にして吸い込まれていく。

 

 ——パタン、と口が閉じ、満腹になったかのように表面の目玉が細められた魍魎匣が、コロンと床に転がった。

 

「おおっ……マジで入った」

 

 悠仁は感心したように呟き、床に落ちたキューブを拾い上げた。

 先ほどまでの禍々しい呪力は完全に消え失せ、手の中にはただの気味が悪い箱だけが残っている。

 

「……うん」

 

 悠仁は魍魎匣をポケットに仕舞うと、軽く屠坐魔を振って血を払った。

 祖父を亡くし、宿儺を受肉して昨日から目まぐるしく環境が変わったが。

 

「動けんね、俺」

 

 初めての「呪術師としての戦闘」を無傷で乗り切った実感を噛み締めながら、悠仁は薄暗い廊下の奥へと再び力強い足取りで進み始めた。

 

 

 

 一方の野薔薇は、階段を上り廃ビルの上層階へと足を踏み入れていた。

 

 そこはかつてブティックのテナントでも入っていたのか、埃まみれの床には服の残骸や首や腕の欠けたマネキンがいくつも乱雑に転がっていた。

 野薔薇はカツカツとヒールを鳴らしながら歩みを進め、やがて部屋の中央に固まって置かれているマネキンの群れの前で、ピタリと足を止めた。

 

 彼女の視線がマネキンの群れ——真ん中の不自然な一体へと鋭く突き刺さる。

 

「……おい、そこの呪い」

 

 野薔薇は金槌を肩にトントンと叩きつけながら、氷のように冷たい声で言い放った。

 

「真ん中のやつ。それで隠れてるつもり? ……来ないなら、こっちから行くわよ」

 

 その言葉が終わるや否や。

 彼女は左手から三本の五寸釘を素早く取り出し、空中に並べて浮かばせた。

 

「ハァッ!!」

 

 空中に静止した三本の釘めがけて、野薔薇が右手の金槌をガッと横薙ぎにフルスイングする。

 金属音が弾けて釘が矢のような速度で同時に射出された。

 

ギギッ!?

 

 マネキンに擬態していた呪い——放置された無機物に呪霊が宿った()()()()()が、不意を突かれて奇声を上げる。

 だが、回避する間もなく三本の釘がその頭部へ深く突き刺さった。

 

 パチンッと野薔薇が軽い手つきで指を鳴らす。

 

 その瞬間、突き刺さった釘を起点にして彼女の呪力が爆発的に流れ込み、呪骸の内部構造を一気に破壊した。

 ボシュッ! とくぐもった音を立ててマネキンの呪骸がバラバラに崩壊し、ただのプラスチックと布の残骸へと成り果てる。

 

「いっちょ上がり」

 

 野薔薇は満足げな笑みを浮かべ、金槌を軽く振り下ろした、その時。

 

 ——ガサリ

 

 部屋の隅にうず高く積まれた古びたダンボールの陰から、微かな物音が聞こえた。

 彼女が油断なく視線を向けると、そこには、膝を抱えてガタガタと震えながら座り込んでいる、一人の幼い少年の姿があった。

 

(……子供? 肝試しにでも入ったところを、呪いに迷わされたってとこか)

 

 こんな廃ビルに一般人がいること自体イレギュラーだが、今は助けるのが先決だ。

 野薔薇は武器を下ろし、少年を安心させるように柔らかな笑みを浮かべて近づいていった。

 

「大丈夫よ、もうお姉ちゃんが——」

 

 少年は彼女の顔を見るなり、怯えたようにフルフルと激しく首を横に振った。

 

「……え?」

 

 野薔薇がハッとして足を止めた瞬間。

 少年の背後——ただのコンクリートの壁を透過するようにぬっと、不気味で長い手が伸びてきた。

 

「うあっ!」

 

 驚く間もなくその手は少年の首元をガッチリと拘束し、もう一方の手の鋭く伸びた長い爪が、少年の細い首筋にピタリと突き付けられた。

 

「なっ……!」

 

 野薔薇が咄嗟に金槌を構え直す。

 だが、壁から半身を乗り出した呪霊はその爬虫類のような目で野薔薇をねめ回し、少年の首筋に当てた爪に少しだけ力を込めた。

 チクリと皮膚が裂け、少年の首から一筋の赤い血がツーッと流れ落ちる。

 

「う、うぅ……っ」

グフフ……グフフフ……

 

 少年が痛みに涙をこぼし、呪霊が勝ち誇ったように喉の奥で気味の悪い笑い声を漏らす。

 

(いっちょ前に人質……?)

 

 野薔薇は奥歯をギリッと噛み締めた。

 目の前にいる呪霊は気配からして精々三級あるかないかの雑魚だ。だが、この程度の低級呪霊が「人質を取って術師を脅す」という高度な知性を見せている。

 今までの田舎の呪霊を基準とすれば明らかなイレギュラーだ。

 

 ここで下手に動けば間違いなく少年は首を掻き切られる。

 

「……分かったわよ」

 

 野薔薇は内心で激しく歯噛みしつつも、動きを止めて手に持っていた金槌と釘を床にカランと投げ捨てた。

 

「ほら、丸腰になってやったわよ。……その子を離しなさい」

 

 彼女は観念したように両手を上げ、呪霊へとにじり寄る。

 しかし、呪霊は不気味に嘲笑うだけで少年の首を掴んだ手を離そうとはせず、むしろ丸腰になった野薔薇をも仕留めようと、もう一方の手の爪を振り上げようとした。

 

 ——その瞬間。

 彼女の口元に、スッと不敵で冷酷な笑みが浮かび上がった。

 

「……ハイ、マヌケ」

グェ?

 

 野薔薇の瞳が獲物を狩る肉食獣のように鋭く光る。

 呪霊が事態を把握するより早く、少年を掴んでいた呪霊の腕の背後——空中に浮遊して死角に忍び寄っていた二本の五寸釘が、突如として矢のような速度で射出された。

 

 ズプッ!!

 

ギャァッ!?

 

 釘が呪霊の腕の関節に深々と突き刺さる。

 

「考える頭があっても、結局はその程度ね」

 

 間髪入れずに野薔薇が指をパチンと鳴らす。

 突き刺さった釘から呪力が爆発的に流れ込み、少年の首を掴んでいた呪霊の腕を肩口からバツンと無惨に千切り飛ばした。

 

 クイッと彼女が右手の指を手前に引くと、空中に浮かぶ呪力を帯びた釘が、千切れた呪霊の腕ごと掴まれていた少年を野薔薇の腕の中へと見事に引き寄せてみせた。

 

 ——術式『念動』。

 

 シンプルながらも有用な野薔薇の第二術式。これは彼女の生得術式と抜群の相性を誇っていた。

 

「うわぁっ!」

 

 少年を左腕でしっかりと抱きとめた野薔薇。

 そして、彼女の空いた右手には——先ほど床に捨てたはずの金槌が、念動によっていつの間にかスッポリと戻ってきていた。

 

「さあ、アンタの()()は貰ったわよ」

 

 野薔薇の目の前。空中に見えない力で縫い付けられたように静止している、呪霊の千切れた腕。

 その腕の前に、どこからともなく取り出した『藁人形』と、最後の一本の釘がフワリと浮かび上がる。

 

グ、ギィィィ……!!

 

 腕を失い、慌てて壁の中に逃げ込もうとする呪霊。だが、野薔薇の術式は距離や壁などの障害物を一切無視する絶対的な必殺の呪い。

 

芻霊呪法(すうれいじゅほう)——共鳴り!

 

 カンッ!!

 野薔薇の金槌が、空中に浮かぶ藁人形の心臓部へ、釘を深々と打ち込んだ。

 

 

ギャアアアアアアアアッ!!!!

 

 

 壁の中に半分逃げ込みかけていた呪霊の胸の中心——心臓の位置へと、野薔薇の呪力がダイレクトに流れ込み、内側から激しく破裂した。

 ドロリとした紫色の体液を壁にぶちまけながら、知性を持った三級呪霊は断末魔とともに完全に消滅した。

 

 

***

 

 

「——地方と東京じゃ、呪いの質が違う」

 

 六眼を通して教え子たちの実地試験を見守っていた悟は、サングラスをクイッと持ち上げながら隣に立つ恵へと語りかけた。

 

「人口の桁が違うからねぇ。無数の人から滲み出し、複雑に混ざり合った負の感情は、時に呪いへ()()()を与えるんだよ」

 

 悟の言葉に、恵も無言で頷く。

 地方の呪いが純粋な暴力や本能で襲いかかってくるのに対し、東京の呪いは時に人を騙し、罠にかけ、今回のように人質を取る知恵すら見せることがある。

 

「悪辣な知恵ある獣を相手に、彼女がうまく立ち回れるほどちゃんと『イカれてる』か。それを見たかった訳だけど……うん、彼女は大丈夫だったみたいだね」

 

 悟は満足げに笑みを浮かべた。

 人質を取られ、武装解除したフリをしながら念動の術式を駆使して死角から呪霊の腕を奪い、本体を確実に仕留める。

 その判断の速さと、狡猾な呪い相手にも一歩も引かない度胸。呪術師として必要なものを釘崎野薔薇はしっかりと持ち合わせていた。

 

「狡猾さでは、彼女も負けず劣らずってところかな」

 

 悟がそう評した直後。

 廃ビルの入り口から、助け出した少年を背負った虎杖悠仁と何やらまたしてもドン引きの表情を浮かべた釘崎野薔薇が無事に出てきた。

 

「お疲れサマンサー」

 

 悟がヒラヒラと手を振って陽気に迎えるが、野薔薇は挨拶もそこそこに、ビシッと悠仁を指差した。

 

「ちょっと先生!! コイツ、マジでどうなってんの!?」

「んー? どしたの野薔薇、悠仁がどうかした?」

 

「コイツ、呪力操作もままならないくせに壁を素手でぶち抜いたんだけど!!」

 

 彼女の剣幕に、悟と恵は目をパチクリとさせた。

 

 事の顛末はこうだ。

 野薔薇が共鳴りで仕留めた際、その呪霊は半分壁に逃げ込んでいたため、壁の向こう側にいた悠仁が偶然その残骸を発見した。

 そしてなにやら勘違いした悠仁は、あろうことかコンクリートの壁を素手でぶち抜きながら追撃を試み、そのまま野薔薇の目の前に文字通り壁を粉砕して登場したのだという。

 

「何食って育てば素手で壁ぶち破れんのよ!!」

「鉄コンじゃなかったんだよ!!」

 

「鉄コンかどうか以前の問題でしょうが……!」

 

 野薔薇が至極真っ当なツッコミを入れ、頭を抱える。

 呪力による身体強化もままならない素人が、素手で壁をぶち抜く。ゴリラとかそういうレベルの話ではない。

 

「……なるほどね」

 

 悟は悠仁のその規格外のフィジカルを改めて観察し、顎に手を当てた。

 悠仁が呪物を飲み込む前から砲丸投げで30mの記録を出したり、校舎の4階までジャンプで飛び込んだりする超人的スペックを誇っていたことは、事後調査で知っている。

 恵もまた、杉沢第三高校での一件でその身体能力を間近で目の当たりにしているのだ。

 

 呪力強化なしで規格外のパワーを発揮する存在……恵に関してはその類似の例は身近に二人もいる。

 禪院甚爾禪院真希。呪力を完全に持たない代わりに圧倒的な肉体を与えられた()()()()のフィジカルギフテッドだ。

 

(……だが、おかしな点が一つある)

 

 恵もまたその同じ疑問に行き着き、眉をひそめていた。

 もし虎杖悠仁の異常な身体能力が「天与呪縛」によるものだとしたら——宿儺の指を飲み込み、呪力を得た時点でその対価としての剛力は喪われていないとおかしいのだ。

 

 しかし彼は今も平然と壁をぶち抜くパワーを維持している。

 呪力を持ちながら天与呪縛並のフィジカルを併せ持つなど、なかなかに規格外と言っていい。

 ……だが。

 

「まあ、いいか……」

 

 恵は数秒考えた後、あっさりとその疑問を思考の隅へと追いやった。

 もともと、禪院全という規格外のバケモノが跋扈する世界だ。それに比べたらまだそこまでおかしな存在でもない。

 

「それじゃあ、実地試験も無事に合格したことだし! ちゃんとザギンでシースー奢ってあげるから、子供を警察に送り届けたら行くよー!」

っしゃあああ!! 回らないお寿司!!」

やったわ!! エビ! アワビ! 大トロ!!」

 

 悠仁と野薔薇がハイタッチして歓喜の声を上げ、先ほどの不気味な廃ビルでの恐怖などすっかり忘れてはしゃぎ始める。

 

「……はぁ。どいつもこいつも寿司くらいでうるせぇな」

「うわでた、良家のお坊ちゃま仕草」

「これだから御三家は!」

 

 恵は深くため息をつきながらも、どこか呆れたような、それでいて少しだけ肩の力の抜けた顔で、騒がしい同級生たちの背中を追いかけたのであった。

 

 

 


 

 

——2018年 7月

  西東京市 英集少年院

      運動場上空

 

特級仮想怨霊(名称未定)

その受胎を非術師数名の目視で確認

緊急事態のため高専一年生3名の派遣が決行される

 

対象の祓除は、後刻到着予定の禪院家の実験戦力が行う

先行する高専生徒の任務は呪いに警戒しつつ事前の避難誘導、並びに最悪の事態に備えた周辺待機および現況報告とする




魍魎匣「私、初登場は19話なんですよ。ちょこちょこ登場してますが、ようやく捕獲シーン貰えました」

■ 釘﨑野薔薇
第二術式は「念動」である。
念動力で釘を浮かべたり飛ばしたり、簪で千切った呪霊などの一部を引き寄せて空中に固定、そのまま藁人形も浮かべて共鳴りできます。
シンプルながら利便性大幅向上。ただし、動かす対象が重ければ重いほど負荷が増えるため、あくまで補助がメインの術式である。

■ 術式取引について
対価はほしい術式によってマチマチだが、術式持ちの呪詛師や魍魎匣で術式持ちの呪霊などを捕らえて対価として引き渡せば大抵は対価として十分なものになる。
お金だけで払おうとするとちゃんとした呪具買うくらいの金額が要求される。
なんなら、捕まえてきた呪詛師や呪霊の術式を移して貰うだけなら手間賃+術式によって下記の縛りを結ぶだけで施術して貰えたりもする。
取引時に「絶命時に禪院全へ保有術式をすべて差し出す」という縛りを結ぶ事でより安価に珍しく強力な術式の取引も可能となる。
術式取引時には呪術規定第十条により「呪詛師認定された場合、全ての保有術式を禪院全が没収する」という縛りを結ぶ事になっている。
全が自分で使いたい、一族に与えたい術式は当然取引リストに並ぶことはない。

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