禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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……指揮はいらないと言っていたが、一つだけ指示を出す

                  ……虎杖を、頼む



31.呪胎戴天-無心器、その暴威

「……自惚れてた」

 

 特級呪霊の圧倒的な呪力衝撃に吹き飛ばされてコンクリートの壁に深くめり込んだまま、虎杖悠仁はうつむいた顔で、ポツリと呟いた。

 指が削り取られた右腕からは夥しい血が滴り落ち、足元の瓦礫を赤く染めている。

 

 主人である恵と距離が離れてしまったせいか、再生にやや時間を要している『巨影』が、再び悠仁を庇うように立ち塞がった。

 

 しかし、特級呪霊はそれを鬱陶しそうに巨大な腕で薙ぎ払い、たった一撃でまたしてもその半身を消し飛ばしてしまう。

 無残に崩れ落ちる影の残骸を意に介す様子もなく、特級呪霊は悠仁のその小さな呟きに反応し、ゆっくりと彼の方へと顔を向けた。

 

「俺は、自分が強いと思ってた……」

 

 悠仁の声は、震えていた。

 祖父の言葉に胸を張り、誰かを助けられるだけの力があると信じていた。自分には、死に時を選べるくらいには確かな強さがあるのだと、疑わなかった。

 

「でも、違った。……俺は、弱い」

 

 死にたくない。

 こんな薄暗い化け物の腹の中で、痛みに泣き叫びながら何もできず死にたくない。

 本能が上げる情けない泣き言を、悠仁はギリッと奥歯を噛み締めて無理やりに押し殺した。

 

「……でも」

 

 ゆらり、と。

 壁にめり込んでいた少年が、血みどろの身体を引きずるようにして、ゆっくりと立ち上がった。

 両足でしっかりと地を踏みしめ、特級呪霊を真っ直ぐに見据える。

 

 指先が削り取られ、ボロボロになった右の拳を、強く、強く握りしめる。

 激痛が脳を焼き切るように駆け巡るが、悠仁はその痛みを、己を奮い立たせる薪へと変えた。

 

(呪力が、負の感情から湧いてくるなら……!)

 

 己の無力さへの怒り。理不尽な死に対する恐怖。

 仲間を危険に巻き込んでしまった激しい後悔。

 そのすべてのドロドロとした感情を、余すことなくかき集め、己の魂の底から引きずり出す。

 

(全て出し切れ……! 拳に、乗せろッ!!)

 

 心の中で己に強烈な発破をかけ、悠仁は爆発的な脚力で地を蹴った。

 

うおおおおおぉぉぉぉッ!!!!

 

 咆哮と共に、指のすり減った血まみれの右拳を特級呪霊の醜悪な顔面めがけて全力で打ち出した。

 それは少し前までただの高校生だった男が放った、人生で最も重く、すべてを懸けた渾身の一撃。

 

 ——バァンッ!!

 

 重い衝撃音が響いた。

 

 ——しかし。

 悠仁がすべてを懸けたその拳は、特級呪霊の巨大な掌によってあまりにもあっさりと、まるで子供の遊びを受け止めるように軽々と受け止められていた。

 

ヒヒッ

「…………ッ」

 

 悠仁は歯噛みした。渾身の力が、全く通じない。

 特級という理不尽な壁の前に、己の無力さを改めて突きつけられる。

 特級呪霊は、悠仁の必死の抵抗を嘲笑うかのように、ニィッと醜悪な笑みを浮かべ、そのまま彼の腕をへし折らんと力を込めようとした。

 

 ——その時だった。

 

 特級呪霊の背後。

 半身を吹き飛ばされながらも執念深く再生を終えていた『巨影』が、ゆっくりと長い両腕を頭上に掲げた。

 そして、その両腕を交差させ、大きな()の形を作ってみせたのだ。

 

「……!」

 

 悠仁の瞳が見開かれた。恵からの合図だ。

 『十分に離れたから、宿儺を出せ』という、作戦の開始の合図。

 

(……間に合ってくれたか、恵!)

 

 悠仁は握りしめていた右手の力をスッと抜いた。

 そして、己の肉体の主導権を握る「自我の扉」を自らの意志で大きく開け放つ。

 

 己の裡の奥底——生得領域の深淵に沈む、千年の『呪いの王』へとその座を明け渡したのだ。

 

……?

 

 特級呪霊が、怪訝そうに首を傾げた。

 目の前の弱々しい少年の様子が、突如として激変したからだ。

 

 スゥッ……。

 

 悠仁の顔に、首に、そして腕に。

 禍々しくおぞましい黒い文様が、まるで墨が滲むように浮かび上がっていく。

 両目の下にはパチリと不気味なもう一対の目が開き、ギョロリと特級呪霊を睥睨した。

 

 そして少年の身体から、先ほどまでの弱々しい呪力とは次元の違う、どす黒い呪力が爆発的に迸った。

 特級呪霊がそのあまりの異質さと、本能的な()の気配にゾッと顔を引き攣らせ、反射的に悠仁の拳から手を離して後ずさった。

 

「——つくづく、忌ま忌ましい小僧だ」

 

 地を這うような、重く冷徹な声。

 それはつい数秒前まで「死にたくない」と泣き言を漏らしていた少年の声では、断じてなかった。

 

 旧き呪いの王・両面宿儺が、その圧倒的な威容と悪意を以て特級呪霊の目の前に顕現したのであった。

 

 

***

 

 

「ほほう。恵坊ちゃん、生きとったか」

 

 ぽっかりと開いた結界の穴の向こう。悍ましい異形の影からひょっこりと顔を出したのは、およそ武闘派集団である禪院家には似つかわしくない、丸々とした体型の二人の老人であった。

 

「入り込んだ施設が特級呪霊の生得領域になっとったと聞いて、てっきり死んだかと思っとったわい」

「まったくじゃ、まったくじゃ」

 

 瓜二つの顔に丸眼鏡。

 鼻の下には立派な口髭を蓄え、まるで鏡のようによく似たその老人たちは、状況の切迫感など微塵も感じさせない軽いノリで口髭を弄りながら笑い合った。

 

「……達磨(だるま)さんに、球大(きゅうだい)さん」

 

 恵は額の汗を拭いながら、忌々しげに二人の名前を呼んだ。

 

 ——禪院達磨禪院球大

 禪院全が立ち上げた『呪具・呪骸開発班』を束ねる双子の怪老だ。

 生得術式至上主義の時代には冷遇されていたが、新当主たる全の「呪詛師という資源の有効活用」に自らの知識と探求心を捧げた()()()()()()()()たちである。

 

「もう少し早く来て欲しかったんですが……今はそれどころじゃないです」

 

 恵は身体の痛みを堪えながら、必死の形相で声を張り上げた。

 

「虎杖——宿儺の器が、奥で特級呪霊の足止めをしています。恐らく、対抗する為に今頃……宿儺を、表に出しているはずです……!」

 

 その言葉が響いた瞬間。

 達磨と球大の丸眼鏡の奥の瞳が、狂喜にカッと見開かれた。

 

「「なにっ、両面宿儺が!?」」

 

 二人の老人は顔を見合わせ、まるで極上のおもちゃを与えられた子供のようにパァッと顔を輝かせた。

 

「なんと! なんて最高のタイミング!!」

「うむ、それは大変! 惱无の性能テストにこれ以上ないほど最適の相手じゃ!!」

「惱无! 旧き呪いの王をぶちのめし、御当主様にその力を見せつける好機じゃぞ!!」

 

 きゃっきゃと手を叩いてはしゃぎ、脳髄剥き出しの化物に向かって歓声を送る老人たちの姿。

 その倫理観の欠片もない狂乱ぶりに、野薔薇は完全にドン引きして顔を引き攣らせた。

 

「キャラ濃すぎでしょ……ちょっと、アンタの実家マジでどうなってんの……?」

「俺に聞くな……マジで……」

 

 野薔薇の蔑みを含んだ視線に、恵は頭を抱えたい衝動を必死に抑え込んだ。

 実家の恥部を見せつけられるのは今に始まったことではないが、状況が状況である。恵は老人たちの狂喜を無視して、結界の穴の奥——配管が入り組んだ領域の深部を指差した。

 

「とにかく、テストでも何でもいいから早く行かせてください! 虎杖が殺されるか、宿儺が完全に主導権を握って暴れ出す前にな!」

 

 そして恵は穴の外で青ざめている伊地知へと顔を向けた。

 

「伊地知さん! 今言った通りです。このままだと宿儺が暴れるかもしれない。……念の為、避難区域を周囲十キロまで広げて! あと、可能なら五条先生に戻ってきてもらってください!」

 

 伊地知はゴクリと生唾を飲み込んだ。それはもう、一つの街を完全に放棄するに等しい大規模な避難命令だ。

 

「……分かりました。五条さんとは連絡がつくかわかりませんが、可能な限り一級以上の術師を急行させられないか掛け合ってみます」

 

 伊地知は即座に携帯電話を取り出しながら、決死の覚悟を秘めた顔で恵たちを見返した。

 

「……禪院くんたちは、どうしますか?」

 

 その問いに、恵は迷うことなく自らが背を向けてきた暗い領域の奥底を睨み据えた。

 

「俺は、残ります」

 

 血を吐くような戦闘を強いられてボロボロになりながらも、その言葉には確かな呪術師としての意地が込められていた。

 

「アイツを……一人、置いておけないんで」

「アタシもよ」

 

 恵の隣で野薔薇が金槌を肩に担ぎ直し、不敵な笑みを浮かべた。恐怖がないわけではない。だが、仲間を見捨てて一人で逃げ延びるようなダサい真似は、彼女の美学が許さないのだ。

 

「そいつがその『ノウム』だか何だか知らないけど、援軍が来たなら話は別よ。宿儺が暴れようが何だろうが、虎杖のバカの首根っこひっつかんで引きずり出してやるわ」

 

 二人の確固たる決意を受け取り、伊地知は「……死なないでくださいよ」と短く祈るように告げ、踵を返して避難区域拡大の指示に走り出した。

 恵はそれを見送ると、未だに「両面宿儺のデータまで取れるぞ!」とはしゃいでいる達磨と球大へと向き直った。

 

「あなた方もです」

 

 彼は厳しい口調で二人の老人に釘を刺した。

 

「あなた方は呪具開発が本職で、戦闘は不得手でしょう。……惱无の指揮は俺がやります。足手まといになる前に、一緒に避難してください」

 

 恵の厳しい制止の言葉にも達磨たちは全く気を悪くした様子もなく、むしろ自慢の我が子を誇るように胸を張った。

 

安心せい! 知っての通り、嵌合魂魄呪骸(かんごうこんぱくじゅがい)は単独で任務をこなせるように作られた完全自立型の呪骸!」

 

 球大もまた、丸眼鏡を指で押し上げながら得意げに言い放つ。

 

その通り! こやつは現場の状況を自己判断し、最適な殲滅行動を選択する。細々とした指揮など一切いらん! むしろ、純粋な戦闘データの為には好きに動かさせるのが一番いい!」

 

 彼らの言う通り、全の命によって開発されたこの悍ましい呪術兵器は術者の呪力供給や細かな命令を必要としない。

 嵌合するように組み込まれた複数の魂から湧き出す豊富な呪力を動力源とし、そして統括する魂に直接書き込まれた禪院家への忠誠心に従って自律駆動するのだ。

 

「さて、宿儺との戦闘データを間近で収集できんのは残念じゃが、命あっての物種。坊ちゃんの言う通りここは大人しく引き上げるとしようかの」

「うむ。無駄死にしては、御当主様に叱られてしまうからの。皆の者、ゆくぞ!」

 

 双子の老人がそう号令をかけると、彼らの背後に控えていた呪具・呪骸開発班の禪院の人間たちも、「はっ!」と一礼して、そそくさと撤退の準備を始めた。

 彼らはあくまで技術者であり、戦場での立ち回りよりも己の命とデータを最優先する合理主義者たちだ。伊地知たち補助監督とともに、彼らは足早に避難区域の外へと退避していった。

 

 嵐のように現れ、嵐のように去っていった実家の変人たちを見送り、恵は一つ大きく息を吐き出した。

 そして己の目の前で(いわお)のように静かに、しかし父である甚爾に勝るとも劣らない圧倒的な()の気配を湛えて立ち尽くしている『惱无』へと向き直った。

 

 剥き出しの脳髄。パンパンに膨れ上がった黒い筋肉。

 人間の尊厳を極限まで踏みにじって造り上げられたその怪物を前にしても、恵は怯むことなく、真っ直ぐにそのギョロリとした目玉を見据えた。

 

「……指揮はいらないと言っていたが、一つだけ指示を出す」

 

 恵は低く、はっきりとした声で命じた。

 

「現場にはまだ俺の呪力で作られた『巨影』がある。そこに続くように俺の呪力の残穢が濃く残っているはずだ。……それを追って、特級のいる現場を目指せ」

 

 惱无のギョロリとした目玉が恵の顔をじっと見つめ下ろす。知性があるのかないのか、その表情からは一切読み取れない。

 

「……虎杖を、頼む」

 

 恵のその言葉には、実家の悍ましい兵器に対する嫌悪よりも、仲間を救いたいという切実な願いが込められていた。

 

「――オォォォォォォォォォォォォッ!!!!

 

 恵の言葉を受け取ったのか、惱无は天を仰ぎ、獣のような、あるいは無数の亡者が泣き叫ぶような、鼓膜を劈く咆哮を轟かせた。

 その異様な音波に、領域内の淀んだ空気がビリビリと震える。

 

 ドンッ!!

 

 次の瞬間、惱无はその巨体に似合わぬ神速で大地を蹴り砕いた。コンクリートの床が蜘蛛の巣状に割れ、凄まじい風圧を残して、怪物の姿は薄暗い配管の奥——生得領域の深部へと、弾丸のような速度で消えていった。

 

「……はっっっや! つーか、アレ大丈夫なの!?」

「わからん……だから、俺たちも行くぞ」

 

 野薔薇がそのスピードに目を丸くする中、恵は痛む身体に鞭を打ち、再び結界の綻びから生得領域の奥へと足を踏み入れた。

 

 

***

 

 

「少し待て、今考えている」

 

 ヒュ、と無造作に振られた指から迸った斬撃に、巨影が消し飛ばされる。

 いかなる業か、あるいは単純に限界を超える一撃ゆえか、巨影がその場で再構成される気配はない。

 

 宿儺は特級呪霊の肩のあたりをポン、と軽く押した。

 それだけでビクリと肩を跳ねさせる呪霊。突如として相手の放つ気配が、弱々しい少年から絶対的な()のそれへと変貌したことに呪霊は完全に硬直し、警戒を露わにしていた。

 

 だが、宿儺はそんな呪霊の怯えなど微塵も気にする様子もなく、血まみれの床を悠然と歩きながら、顎に手を当てて思案を巡らせていた。

 

(さて、どうするか。あのガキどもを追って皆殺しにしてやりたいところだが……)

 

 宿儺の脳裏に、先ほど身体の主導権を奪い返そうとしてきた悠仁の「檻」としての強固な性質がよぎる。

 

(あちらを追った所で、奴らを殺す直前にこの小僧に代わられるのがオチか……となると)

 

 宿儺の口元が、ニィッと歪な弧を描いた。

 

(奴らが一番困るのは……この特級呪霊を俺が連れ出し、共に外で相対すること。これだろうな)

 

 呪霊を祓うどころか、呪いの王と特級呪霊がタッグを組んで外界へ解き放たれる。

 これほど絶望的で、彼らの努力を無に帰す事はない。

 

「——おい」

 

 彼は足を止め、振り返って声を上げた。

 それに反応した特級呪霊がバッ! と威嚇するように身構える。

 宿儺はそんな呪霊の警戒を鼻で笑い、呪力で指先が吹き飛んでいた悠仁の右手を、反転術式によってあっさりと再生させてみせた。その真新しい五指で、呪霊をクイッと指差した。

 

「ガキどもを殺しに行くぞ。……ついて来い」

 

 傲慢極まりない命令。宿儺は呪霊の返事すら待つことなく、再び背を向けてゆっくりと歩き出した。

 

 ——しかし、その無防備な背中を見送る特級呪霊の眼球が、ギョロリと凶悪に動いた。

 格上の気配を感じられる知能を持ち合わせたとはいえ、所詮は生まれたばかりの未熟な呪い。本能の底にある闘争心と破壊衝動が、その圧倒的な死の気配に対する恐怖を上回ったのだ。

 

シィィィィィ……!!

 

 呪霊はおもむろに、手の中へと先ほど悠仁を吹き飛ばした時以上の渾身の高密度な呪力を集中させ始めた。

 

「——馬鹿が」

 

 背中越しに高まるその呪力の奔流に気づかない宿儺ではない。

 呪霊がそれを放とうとした瞬間。宿儺は振り向きざまに、無造作に左手を前に突き出した。

 

 ドッ————!!!!

 

 先ほどまでとは比べ物にならないほどの極大の呪力砲が、宿儺めがけて叩きつけられる。

 

 ——だが宿儺は、突き出したその左手一本でその破壊の奔流を正面からガシリと受け止めた。そして、まるで飛んできた紙くずでも破るかのようにその高密度の呪力砲を力任せに引き裂いて左右へと拡散させてしまったのだ。

 

「……あ」

 

 散らされた呪力の光の中、宿儺はふと、自身の突き出した左手を見下ろして呆けたような声を漏らした。

 呪力を受け止めたその手には、先ほどまで切断されて無かったはずの手首から先がしっかりと備わっていたのだ。

 

「チッ……こっちも治してしまったか」

 

 咄嗟の防御とはいえ、反射的に反転術式を回して悠仁の切断された左手まで綺麗に治療してしまった。

 宿儺は忌々しげに舌打ちをしつつ、白々しい笑みを浮かべてして特級呪霊へと向き直った。

 

「散歩は嫌か? まあ、呪霊は元来生まれた場に留まるモノだしな……良い良い」

 

 宿儺の手にバキバキと力が入り、呪力がほとばしる。

 

「ならば——ここで死ね

 

 そう言って呪霊の顔面を鷲掴みにした、まさにその刹那。

 

「……ん?」

 

 宿儺の四つの眼が、不意に上空へと向けられた。

 頭上のコンクリートの奥から、異常な質量の呪力がまるで隕石のように急接近してくるのを感知したのだ。

 

 咄嗟に宿儺はその場から後方へと大きく跳躍して退避した。

 ——直後。

 

 ドゴォォォォォォォンッ!!!!

 

 特級呪霊の頭上、分厚いコンクリートの天井が外側から爆散するように突き破られた。

 降り注ぐ巨大な瓦礫の雨とともに、剥き出しの脳髄を揺らし、黒い筋肉を限界まで膨れ上がらせた異形の怪物が土煙を突き抜けて姿を現した。

 

 禪院家の生体兵器、嵌合魂魄呪骸『惱无』

 その暴力の塊が、特級呪霊の目前へと重々しい地響きを立てて降り立ったのである。

 

 土煙が晴れるよりも早く、惱无は目の前で事態が飲み込めずに硬直している特級呪霊めがけてその丸太のような豪腕を無慈悲に振るった。

 

ギャァッ!

 

 特級呪霊は本能的な危機感から、咄嗟に両腕を顔の前にクロスさせてガードの姿勢を取った。

 ——だが、無駄だった。

 

 ズドォォンッ!!

 

 惱无の圧倒的な物理的質量と莫大な呪力が乗ったその一撃は、特級呪霊の強固なガードごと、その巨体をまるでボールのように跳ね飛ばした。

 ベキィッ! と太い骨が砕ける嫌な音が響き、呪霊はそのまま背後のコンクリートの壁を何枚も突き破りながら、遥か後方へと吹き飛ばされていく。

 

「……ほう」

 

 少し離れた安全圏へと退避していた両面宿儺は、その一部始終を面白そうに観察していた。

 

(異形だが呪霊ではない。確かな()()がある)

 

 宿儺の瞳は立ち込める埃の中で咆哮を上げる怪物を舐め回すように検分する。

 剥き出しの脳髄と黒く膨れ上がった筋肉。見た目は完全に化け物だが、その身体を巡る呪力と生命の構造は、限りなく人間に近い機能を維持している。

 

 ならば、人か? いや、それにしては生命の在り方があまりにも歪すぎる。

 

(——それに、()()()()()()()

 

 宿儺の眼は、その異形の体内に押し込められた()()()()を正確に見抜く。

 三つの魂が高出力エンジンのように莫大な呪力を産み出し続け、残る一つの魂がその呪力を制御して肉体という器を統括している。

 宿儺自身のような()()()とも根本的に違う。一つの肉体に複数の魂を無理やり継ぎ接ぎにして生かしているような、おぞましくも高度な呪術的加工の痕跡。

 

(見た事も聞いたこともないが、もしやこれは——)

 

 宿儺の脳裏に、一つの可能性がよぎった。

 千年前の呪術全盛の時代にすら存在しなかった、命への冒涜とも言える禁忌の技術。

 

 ダンッ!! ズダァンッ!!!!

 

 宿儺が思考を巡らせている間にも、惱无は吹き飛んだ特級呪霊を追いかけ、反撃のいとますら与えない怒涛のラッシュを叩き込んでいた。

 呪霊が必死に放った呪力の砲撃も、惱无は黒い筋肉で覆われた胸板で正面から受け止め、全く意に介さずにそのまま拳を振り下ろす。

 

 凄まじい暴力の連鎖。

 数発の重い打撃の後、特級呪霊は四肢を叩き折られ、地面に這いつくばるだけの瀕死の肉塊と化した。

 

 その消えかけの身体を踏みつけながら、惱无は袴の腰辺りに結えつけられた小袋から、動く目玉が一つ埋まった肌色のキューブ『魍魎匣』を取り出す。

 

 それを惱无が無造作に瀕死の特級呪霊めがけて投げつける。すると、表面に埋まった目玉がギョロリと獲物を睨みつけ、グパッと大口のごとく開く。

 特級呪霊は断末魔の叫びを上げる間もなく、その巨体を黒い玉へと圧縮されていき、匣の中へと吸い込まれていく。

 

 ゴクリ、と匣が獲物を飲み込むような生々しい音が響き、惱无の足元に転がった。

 

オォォォォッ!!!!

 

 特級呪霊の捕獲を完遂した惱无が、天井を見上げて勝鬨の咆哮を轟かせる。

 

 

「……なるほどな」

 

 その異形の咆哮を聞きながら、宿儺はゆっくりと口角を吊り上げた。

 

「人間を継ぎ接ぎにして造られた『呪骸』に『呪具』、か」

 

 宿儺の眼には、この悍ましい怪物を創り上げた者の、底知れぬ狂気と探求心が透けて見えていた。

 生きた人間を資源としてすり潰し、魂すら部品として組み上げられた人造の怪物。

 千年の時を経て目覚めたこの世界は、自分が想像していたよりも遥かに歪み、そして——。

 

「ククッ……」

 

 宿儺の頬が好奇心に目をギラつかせる。

 

「面白い。実におぞましく、実に愉快な時代になったものだ」

 

 呪いの王は目の前で荒れ狂う新たな時代の()()を見据え、己の血を滾らせるように舌なめずりをした。

 

 特級呪霊を完全に無力化した惱无は巨体をゆっくりと巡らせ、そのギョロリとした目玉で少し離れた場所に立つ宿儺を改めて視界に捉えた。

 

 先ほどの戦闘中、決して宿儺の存在を認識していなかったわけではない。

 異常なほどの死の気配を放つ存在ではあるが、手を出して来る気配がなかったため、惱无に組み込まれた自律戦闘システムが「優先すべきは特級呪霊の排除である」と判断して警戒しつつも一時的に放置していたのだ。

 

 呪霊が無力化された今、惱无の脳髄にセンサーとして搭載された術式がフル稼働して眼前の存在を解析し始める。

 外見はただの高校生。しかし、その身から立ち昇る呪力と全身に刻まれた黒い文様。

 

 惱无の魂の奥底にインプットされた情報が、一つの合致を見る。

 この場へ向かう直前、命令権限を持つ「禪院の血族」たる恵から齎された事前情報。

 

 『両面宿儺に肉体を明け渡した、個体名:イタドリ』。

 

 彼らが救うべき対象であり、同時に最悪の脅威となり得る存在。惱无は低い唸り声を漏らしながらも襲いかかったりはせず、ジッと宿儺の出方を窺うようにその場に佇んだ。

 

「……ほう? 襲い掛かってこないのか」

 

 宿儺は微動だにしない惱无を見て、感心したように目を細めた。

 

「あの呪霊のように本能のまま喰らいついてくるかと思ったが……醜悪な見た目でいて、命令に従うだけの()()は持っているらしいな」

 

 そう言いながら、宿儺は右手の指先で何かをクルクルと弄んでいた。

 先ほどまで特級呪霊の体内に取り込まれていた——そして今は主を失って床に転がっていた、もう一本の宿()()()()をいつのまにかかすめ取っていたのだ。

 

「まあいい。今回は面白いものを見れた事で、溜飲を下げてやる」

 

 宿儺は指を弄ぶ手を止め、つまらなそうにため息をついた。

 どうせ自分がここで暴れようとしたところで、すぐに虎杖がしゃしゃり出てきて主導権を奪い返される。半端な事をするくらいならば、忌々しくとも今は檻の中で大人しくしていたほうがマシというものだった。

 

「……おい、小僧。代わるのならさっさと代われ!」

 

 宿儺は己の内に潜むはずの虎杖悠仁の魂へ向けて、苛立たしげに声を張り上げた。

 

 ——しかし。

 

 一秒、二秒と待っても。

 身体の文様が消える気配はなく、悠仁の意識が浮上してくる感覚も全く訪れなかった。

 

「……小僧?」

 

 宿儺の四つの目が怪訝そうに細められる。

 しばらく思案し、悠仁が今すぐには自身を抑えられない状態にあるという事実を確信へと変えた。

 

「ククッ……」

 

 その瞬間、宿儺の口元にこれ以上ないほどに邪悪で、意地の悪い笑みが浮かび上がった。

 

「そうか、そうか。……なら、話は別だ」

 

 宿儺の全身から、先ほどまでとは比較にならないほど凶悪で、圧倒的な殺意が立ち昇り始めた。

 

 ——ギギッ。

 

 その明確な敵意と状況の変化を感知した惱无は静かに、そして巌のような重圧を伴って戦闘の構えを取った。

 

 

***

 

 

「……!! 生得領域が閉じた!!」

 

 巨影とのリンクが途絶えた事に表情を険しくしていた恵がハッと息を呑み、声を上げた。

 彼らを閉じ込めていたあのいびつで淀んだ配管の迷宮が、まるで水に溶ける絵の具のようにドロドロと崩れ落ち、周囲の景色が急速に元の無機質なコンクリートの壁へと戻っていく。

 少年院の第二宿舎の、本来あるべき廊下の姿。

 

「特級が死んだんだわ……」

 

 野薔薇が金槌を強く握りしめながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 

 生得領域の崩壊。

 それは、領域の主である特級呪霊が完全に祓われたことを意味している。

 二人は視線を合わせ、言葉を交わさずとも互いの脳裏に浮かぶ「三つの可能性」を共有した。

 

 一つ目は、悠仁に呼び出された宿儺が呪霊を祓った可能性。

 二つ目は、悠仁はすでに殺されており、後から駆けつけた『惱无』が呪霊を祓った可能性。

 

 そして三つ目は……悠仁が生きており、彼が宿儺を呼び出す前に惱无が間に合い呪霊を祓った可能性。

 

 望みは薄いが、最後の三つ目こそが彼らにとっての理想の結末だ。

 もしくは、宿儺を呼び出して呪霊を倒した後に、悠仁が自力で再びその意識を『檻』に押し込めることに成功したという可能性も、ゼロではない。

 

「行こう……! 虎杖のバカが、まだ生きてるかもしれない!」

 

 野薔薇が祈るように叫び、恵も「ああ!」と力強く頷いた。

 二人は、領域が解けたことで見通しが良くなった廊下を、生存の希望に縋って奥へと急ごうと駆け出した。

 

 ——だが、その祈りは。

 

 ドンッッッッ!!!!

 

 彼らの目の前、数メートル先の分厚い壁が突如として爆発したかのように内側から粉砕された。

 コンクリートの破片と凄まじい土煙が、嵐のように廊下に吹き荒れる。

 

「なっ……!?」

「きゃあッ!」

 

 二人は顔を覆い、爆風に耐えるように身を屈めた。

 やがて、もうもうと立ち込める土煙の中から、一つの人影が滑るようにして廊下へと飛び出してきた。

 

 ザザァッ、と。

 床を削りながら片膝をついて着地したのは、全身に禍々しい黒い文様を刻んだ虎杖悠仁の身体——両面宿儺であった。

 

「……ケヒッ」

 

 宿儺は膝をつきながらも、その顔にこれ以上ないほど楽しげで凶悪な嗤いを浮かべていた。

 明確なダメージを受けた様子はないが、明らかに何者かの強力な攻撃を受けて弾き飛ばされてきた着地だ。

 

 恵と野薔薇が戦慄に凍りつく中、宿儺が飛び出してきた壁の巨大な大穴の奥から、ズシン、ズシンと、重く地響きを立てる足音が近づいてくる。

 

 土煙を払い除けるようにして姿を現したのは、剥き出しの脳髄と黒く膨れ上がった筋肉を誇示し、両腕をだらりと下げた異形の生体兵器。

 

 禪院家の『惱无』が、悠然たる足取りで、呪いの王を追撃すべく廊下へとその姿を現した。

 




■ 禪院達磨/球大
禪院家の技術班の長である双子の老人。
達磨が呪骸メイン、球大が呪具メインで制作に携わる。
双子かつ術式がない上呪力も乏しく、手先は器用だが戦闘はからっきし。
そんなんだったので元々地位は激烈に低く、呪具の管理や雑用でもやってろと冷や飯食わされてたところを、全がその好奇心と手先の器用さを見出した。
組屋鞣造の術式は球大が持たされている。たまに達磨が借りる。

■ 嵌合魂魄呪骸・陸號:無心器『惱无』
コンセプトが『とりあえず全リソースブッパして最強の呪骸つくろうぜ! 五条悟とでも殴り合えそうなやつ!』であるため超強い。
実際殴り合って勝てるかはともかく、ある種の最終兵器として作られている。
構造に各種術式でスキャンした甚爾のそれを適応し、足りない部分を術式で補いまくった超ハイエンド型。ぶっちゃけ、今もう一体同じくらいの作れと言われても優秀な素体や乗せる術式が足りないので劣化型しか無理。
無為転変を使って創り上げられたのが伍號と陸號のみ。
ただでさえ忙しい全の時間を長時間拘束しまくる工法をしており、そっちの意味でも量産困難。途中での作業中断ができない。
無為転変を達磨か球大に投げてやらせようにも繊細な術式過ぎて実用に何年かかるかわかったもんではない。
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