禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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えーと……

 ドルオタゴリラに拉致されました



45.姉妹校交流会-黄金の萌芽

「うーわ、おっかな……何あのゴリラ」

 

 釘崎野薔薇は遠くの惨状を眺めながら心底ドン引きしつつ呟いた。

 視線の先では先ほどまで禪院恵に向かって暴走トラックのごとく突進していた巨漢——京都校三年の東堂葵が、東京校の二年生たちの連携によって完全に鎮圧されていた。

 狗巻棘の重圧で足を止められた隙に乙骨憂太を介して放たれた祈本里香の強靭な呪糸でぐるぐる巻きにされた彼は、パンダと禪院真希から交互に冷ややかな説教を受けている。まさに猛獣が檻にブチ込まれたような絵面である。

 

「ほんとにな……。俺も大概ゴリラ扱いされるけど、あの人はベクトルが違いすぎるっていうか……」

 

 虎杖悠仁もまた、額に冷や汗を浮かべてコクコクと深く頷いた。

 

「——暴走が止まったみたいね。もう大丈夫よ」

 

 野薔薇と悠仁の横で、様子を窺っていた禪院真依がふっと息を吐いた。東堂の殺る気スイッチが入った瞬間、「近付いたら巻き込まれて死ぬわよ」と野薔薇の腕を引っ張って安全圏まで退避させてくれていた真依は、掴んでいた彼女の手をパッと離した。

 

「関わるだけ損なタイプだから、なるべく近づかない方がいいわよ。脳味噌まで筋肉で出来てるんだから、アレ」

 

 呆れたように肩をすくめ、容赦のない評価を下す彼女に野薔薇と悠仁は「確かに」と心の中で激しく同意した。

 

「で? あんたたち、恵の同期よね?」

 

 彼女は少しだけ面白がるような、からかうような笑みを浮かべて二人を見つめた。

 

「あの無愛想なのと、うまくやれてる?」

 

 その問いかけに、悠仁はいつもの快活な笑顔で即答した。

 

「おう! メグミン、いつもしかめっ面で説教くさいとこもあるけど、案外愉快なヤツだよ!」

「まーね。いっつもムッツリしてるけど、なんだかんだ言っても付き合いはいいのよね、アイツ」

 

 野薔薇も腕を組んで、ちょっとだけ得意げに答える。

 少年院での絶望的な死線を共に越え、都市伝説を探して夜の街を歩き回ったりした仲だ。口は悪いが、恵の根底にある優しさや不器用な気遣いを二人はちゃんと理解していた。

 

「へぇ……そう」

 

 彼女は少しだけ意外そうな顔をした後、フッと柔らかい笑みをこぼした。

 そんな彼女の佇まいを見て、野薔薇は改めて真っ直ぐに視線を向けた。

 

「えーと……真希先輩の双子の妹さん、で合ってるわよね?」

「メグミンのねーちゃん……じゃなくて、いとこ違いだったっけ」

 

 悠仁が先ほど恵から聞いたばかりの複雑な親戚関係を思い出しながら付け足す。

 

「ええ、そうよ。自己紹介がまだだったわね。私は禪院真依、京都校の二年生よ。よろしくね、東京校の一年さんたち」

 

 彼女は「ふふっ」と短く笑い、優雅に髪をかき上げた。

 

「アタシは釘崎野薔薇! こっちの芋くさいのは虎杖悠仁」

「芋くさいって言うな! 虎杖悠仁っス、よろしく!」

 

 元気よく名乗る二人を見て、真依は「よろしく」と微笑む。

 野薔薇は真依の姿を上から下までジロリと眺め、感心したように目を輝かせた。

 

「それにしても真依先輩、そのノースリーブの夏服、めっちゃいいわね! 高専の制服ってなんか野暮ったくてさー、そういうのってどうやったらもらえるのよ?」

 

 オシャレに敏感な野薔薇の食いつきに、真依は気を良くしたようにクスリと笑った。

 

「普通に申請すれば通るわよ。少しデザイン変えたいとか、サイズ感を調整したいとか。……ただ、うちの同期も東京校の二年も、服装に頓着しないのばかりだから、大抵皆デフォルトのまま着てるみたいだけどね」

 

 真希は機能性重視で無骨だし、パンダに至ってはそもそも制服を着ていない。オシャレに気を遣う女子同士、野薔薇と真依の波長はすぐに合ったようだった。

 

「へーっ! じゃあアタシも今度申請してみようかな! 色々教えてくださいよ、センパイ!」

「ええ、いいわよ。今度東京のブティックでも案内してくれない?」

 

 キャッキャとすっかり意気投合し始めた女子二人のトークに、悠仁は「女子ってスゲーな……展開早っ」と少しだけ引いた顔で傍観していた。

 

「それにしても……」

 

 野薔薇はチラリと、先ほどまで東堂に絡まれていた恵の方——今は憂太の反転術式で治療を受けている背中を見て、ヒソヒソと声を潜めた。

 

「人間性と包容力なんて誤魔化しといて、結局やってる事は『子供の頃に面倒見てくれた巨大なお姉さんを模した式神を使役してる』って事でしょ? ……アイツ、案外業が深いっていうか、拗らせてるわよねぇ」

 

「……ねー。あのクールぶってる恵が、実はデッカいお姉さんにバブみ感じてるとか……ちょっと引くわよね」

「男ってバカだなーって思うわ、ホント」

 

 コソコソと、しかし確実なダメージを伴う女子特有のえげつない陰口が展開される。

 悠仁は「いや、アレは純粋に強そうだから使ってる所もあるんじゃ」と心の中で恵を擁護したが、二人の勢いに押されて口には出せなかった。

 

「そういえば」

 

 真依は話題を切り替えるように、今度は悠仁の方へと視線を向けた。

 

「真希からちょこちょこ話は聞いてるわよ。アナタが例の宿(・)儺(・)の(・)器(・)なんでしょ?」

「お、おう。まあ、そうだけど」

 

「うちの当主様や技術班の連中が随分と注目してるみたいね。……特に技術班の双子の爺さんなんてアンタの身体の構造に興味津々で、『いつか解剖させてくれんかのう』なんて冗談で言ってたわよ」

 

「ひっ……!!」

 

 冗談で済まない、絶対に済まない。

 悠仁の顔面から一瞬にして血の気が引き、トラウマがフラッシュバックしてガタガタと震え始めた。

 全のあの三日月の笑みと、宿儺を通して見た生体兵器『惱无』のあのグロテスクな姿が脳裏をよぎる。

 

「……ぷっ、あはは! 冗談よ冗談! 当主様が『今はどう成長するのか楽しみだ』って言ってる限りは、あのマッドどもも絶対に手出ししないから安心しなさい」

 

「その今(・)は(・)ってのが怖いんだよ……」

 

 ケラケラと笑う真依に、悠仁は涙目で項垂れた。

 

 そんな他愛のないやり取りが弾んでいた、そんな時。

 不意に、彼らの背後から太陽の光を遮る巨大な影が落ちた。

 

「ん?」

「えっ……」

 

 野薔薇と悠仁が振り返ると、そこには。

 先ほどまで二年生たちに拘束され、説教を受けていたはずの巨漢——東堂葵が。

 

 いつの間にか拘束を解かれ、ヌゥン……と無言のまま、三人の背後に立ちはだかっていたのである。

 

「——行くぞ、真依」

 

 グラウンドに不気味な静けさをもたらした巨漢——東堂葵は、先ほどの狂戦士のような殺気はすっかりと鳴りを潜め、まるで憑き物が落ちたかのように深々とため息をついた。

 彼が大人しくなったためこれ以上の拘束は不要と判断されたようだった。

 

「……少々、熱くなりすぎた。今日は大事な用があるというのに」

 

 東堂は自身の額に手を当て、反省しているかのような、どこか物憂げな表情で呟いた。

 

「少々……??」

 

 野薔薇と悠仁の顔が、見事なまでに引き攣った。

 他校の後輩をラリアットで吹き飛ばし、影の怪物をフィジカルで引き裂き暴れ回ったあの暴挙を、この男は少々熱くなった程度の認識で済ませているのだ。

 その倫理観のズレに、二人はドン引きを通り越して戦慄すら覚えた。

 

「大事な用って、何よ」

 

 呆れ顔の真依が、腰に手を当てて東堂に問いかけた。

 東京校への偵察という名目で勝手についてきたこの男がわざわざ時間を気にするような用事など、呪術関係であるはずがない。

 

「決まっているだろう!」

 

 東堂は真依の問いに待ってましたとばかりに両手を広げ、天を仰いで大音声で叫んだ。

 

「高田ちゃんの個握だ!!」

「……は?」

 

「京都会場の抽選が見事外れてしまったが故に! この東京での個別握手会は絶対に、何があっても遅れるわけにはいかんのだ!!」

 

 鼻息を荒くし、目を見開いて熱弁を振るう東堂。

 そのあまりに呪術師らしからぬ熱烈なオタクの叫びに、野薔薇は「……こあく? 個別握手会? アイドルの?」と、ポカンと口を開けて完全に思考を停止させた。

 

「いいか真依! 東京の路線図は複雑怪奇! もし乗り換えにミスって会場にたどり着けなかったら……俺は、己の絶望のあまり、何をしでかすかわからんぞ!!」

 

 東堂は真剣そのものの顔で、拳をワナワナと震わせながら言い放った。

 

「洒落になんないって……!」

 

 その言葉に、悠仁は本気で背筋を凍らせた。

 ただ後輩の返答が気に食わなかっただけで暴れ回った男だ。

 もし敬愛するアイドルの握手会に行けなかったなどという絶望的な事態に陥れば後々大惨事になりかねない。

 

「……はぁぁぁっ」

 

 真依は今日一番の、心底疲労困憊といった深いため息を吐き出した。

 

「……勝手な人。いいわよ、会場までついていってあげるわよ」

「おお! 恩に着るぞ、真依!」

 

「はいはい、遅れないうちにさっさと行くわよ」

 

 真依はヤレヤレと首を振りながら、踵を返して正門の方へと歩き出した。東堂も「高田ちゃ〜ん!」と暑苦しいオーラを放ちながら、その大きな背中を揺らしてルンルン気分で後を追う。

 

「それじゃあね、一年生さんたち。交流会じゃ、よろしくね?」

 

 真依は歩きながら、肩越しにクルリと振り返った。そして毒気を抜いたような、少しだけ楽しげな笑みを浮かべてヒラヒラと手を振った。

 

「お、おう! またな、先輩!」

「あ、今度服屋巡り行きましょうね」

 

 悠仁と野薔薇も、嵐のように現れて嵐のように去っていく京都校の二人にポカンとしながらも手を振り返し、ホッと胸を撫で下ろした……まさにその時だった。

 

 ピタ、と。

 数歩歩いた東堂が立ち止まり、ゆっくりと振り返ったのだ。

 その視線は、真っ直ぐに悠仁を射抜いていた。

 鋭い眼光は単なる一年生を見るものではなく、なにやら品定めの色を帯びている。

 

「そうだ、一年。……オマエ、名前は?」

 

 突然の指名に、悠仁はビクッと肩を震わせた。

 

「えっ、俺? 虎杖悠仁だけど……」

 

 悠仁が咄嗟に名乗ったその瞬間、真依がサッと二人の間に割って入り、両手を広げて庇うように立ち塞がった。

 

「ちょっと、やめときなさいよ。時間ないんでしょ?」

 

 真依は東堂の暴走のスイッチが入るのを未然に防ごうと、必死に窘めた。これ以上この場で時間を食えば、それこそ「個握」に遅刻して大惨事を招きかねない。

 しかし、東堂はその丸太のような腕で、真依の肩を邪魔だとばかりに軽く押しのけた。

 

「分かっている。簡単に済ませるつもりだ……今は、な」

 

 東堂の瞳が、獲物を定める猛禽類のようにギラリと光った。

 その圧倒的な圧力に、悠仁はゴクリと生唾を飲み込む。

 

「さあ、虎杖悠仁。オマエにも聞いておこう」

 

 彼は先ほど恵を問い詰めた時と同じか、それ以上に熱を帯びた声であの『魂の問い』を投げかけた。

 

「——どんな女がタイプだ?」

 

 グラウンドに再びあの悪夢のような質問が響き渡った。

 東堂の顔が仁王像のように歪む。

 

「禪院恵のように、建前で己の性癖を隠すような女々しい事はしてくれるなよ?」

 

 無難な回答をした恵が理不尽なラリアットの餌食になり、顔面を土に擦り付けられた惨劇を二人は特等席で見たばかりである。

 ここで東堂の逆鱗に触れれば、今度吹き飛ばされるのは悠仁だ。

 

「っ……!」

 

 野薔薇は冷や汗を流しながら、ひきつった笑顔で助け舟を出した。

 

「ほ、ほら虎杖! チャチャッと答えちゃいなさいよ! ロリコンだろうが熟女専だろうが聞かなかった事にしてあげるから!」

「そんな変な趣味俺にはねーよ!!」

 

 野薔薇のあまりにも失礼すぎる前提のフォローに、悠仁は思わず大声でツッコミを入れた。

 だが、ツッコんでいる場合ではない。東堂の瞳は今か今かと悠仁の魂からの回答を待ち構え、その筋肉はピクピクと収縮を始めていた。

 

「女のタイプ、ねえ……」

 

 東堂の放つ殺気とプレッシャーの真っ只中で、悠仁は逃げることも誤魔化すこともしなかった。

 彼は少しだけ空を仰いで腕を組み、真面目に考え込んだ後、ポンッと手を打って真っ直ぐに東堂の目を見つめ返した。

 

「強いて言うなら、ジェニファー・ローレンスみたいな、尻と身長がデカい女の子かなぁ」

 

 それは、飾らない等身大の男子高校生としての純度一〇〇パーセントの素直な回答だった。

 

「そういう意味じゃ、アンタと一緒か」

 

 悠仁がはにかんで答えた、その瞬間。

 東堂葵の瞳孔が、限界まで見開かれた。

 

 建前ではない。

 ラリアットを恐れておもねった回答でもない。

 目の前の少年が、己の魂の底から嘘偽りなくその言葉を口にしているのだということを、東堂の魂が完全に理解したのだ。

 

 理解した、瞬間——。

 東堂の脳内に溢れ出した、存(・)在(・)し(・)な(・)い(・)記(・)憶(・)。

 

 

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 抜けるような青空と、心地よい春の風。

 そして悠然と街を見下ろしながら歩く、天を衝くような巨大な麦わら帽子と白いワンピースの女。

 

 ——天覆う女神、八(・)十(・)八(・)尺(・)様(・)。

 遠くからでもその神々しく慈愛に満ちた微笑みを拝むことができる、彼らの街の守り神である。

 

「俺、高田ちゃんに告る」

 

 中学校の屋上で東堂葵は拳を強く握り締め、遠くを見つめて力強く宣言した。

 

「やめとけ!! 俺、オマエ慰めんの嫌だぞ!?」

 

 屋上のフェンスにもたれかかり、遠くの八十八尺様に向かってのんびりと手を振っていた虎杖悠仁がギョッとして振り返り、全力で制止の声を上げた。

 

「なんで振られる前提なんだよ」

 

 東堂がジト目を向ける。

 

「そりゃお前、相手はあの高田ちゃんだろ? 高嶺の花すぎるだろ!」

 

 悠仁が頭を抱えて嘆くが、東堂の決意は固い。

 やがてチャイムの音が響き、二人は並んでフェンスから離れた。屋上の出入り口へ向かう前、二人は慣れた動作で街を見下ろす八十八尺様の巨大な威容に向かって深く一礼を捧げた。

 

「逆になんでOK貰えると思ってんだよー……」

 

 階段を下りながら、悠仁が呆れたようにため息をつく。

 

「俺は八十八尺様に毎日祈りを捧げている」

 

 東堂は胸を張り、自信満々に答えた。

 

「今日も俺に微笑んでいらっしゃっただろう。あのお姿こそが、吉兆の証だ」

「いや、八十八尺様は誰にでも微笑んでくれるだろ。そういう神様なんだから」

 

 悠仁の真っ当すぎるツッコミも、恋に盲目な中学生の耳には届かない。

 

 ——そして、放課後。

 

『ごめんなさい、私好きな人いるの』

 

 ビッ、と裂かれるラブレター。

 桜の花びらが舞い散る校庭の片隅で、東堂の初恋はあまりにもあっさりと、綺麗に散った。

 

 夕暮れの教室。

 オレンジ色の西日が差し込む中、東堂は床にへたり込み、魂が抜けたような顔で虚空を見つめていた。

 

「……好きな人が俺ってパターンは?」

「ある訳ねーだろ……」

 

 窓枠に腰掛け、そんな親友の無様な姿を見下ろしていた悠仁が、やれやれと首を振りながら立ち上がった。

 

「ほら、行くぞ」

 

 そして、東堂の前に手を差し出し、ニッと笑う。

 

「ラーメン、奢ってやるよ。そのあと八十八尺様に愚痴聞いてもらいに行こうぜ!」

 

 その差し出された手と不器用で温かい言葉に東堂はふっと口元を緩め、その手をしっかりと握り返した。

 

「……ああ」

 

 二人は並んで、夕闇の迫る街へと歩き出す。

 失恋の痛みは残っているが、その顔はどこか一つ吹っ切れたような清々しいものだった。

 

 

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「……あー、そういやアンタの部屋、ジェニファー・ローレンスのポスター貼ってたわね」

 

 野薔薇の呆れたような声が、グラウンドに響き渡った。

 

「初めて部屋覗いた時、どこのヤンキーの部屋かと思ったわよ」

「いいだろ別に、ポスターくらい。俺の自由だろーが」

 

 野薔薇のツッコミに、悠仁が唇を尖らせて抗議する。

 そんな一年生たちの他愛のないやり取りが聞こえていないかのように。

 

「………………」

 

 東堂葵は一人、天を仰いで立ち尽くしていた。

 その巨躯は微かに震え、彼の周囲にはまるで大長編の青春映画を一本見終えたかのような謎の感動的な空気が漂っている。

 

「……地元じゃ、負け知らず、か」

 

 どこかの青春歌謡曲のフレーズのようなセリフを独りごちた瞬間——東堂の目から、鼻から、あらゆる顔の穴から、滝のような体液がダバァッ!! と決壊したように噴き出した。

 

「うおっ!? な、泣いてる!?」

「きっしょ!!」

 

 突然の号泣に悠仁がギョッとして後ずさり、野薔薇が心底嫌そうな顔で身を引く。

 

「……どうやら、俺達は親友のようだな」

 

 顔中を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、東堂は感動に打ち震える声で言い放った。

 

「今名前聞いたのに!?」

 

 悠仁が全力でツッコミを入れるが、東堂の耳にはもう何も届いていなかった。

 

 ガシィッ!!!

 

「うわぁっ!?」

 

 東堂の丸太のような太い腕が、悠仁の肩を強引に抱き込んだ。まるで長年連れ添った親友の肩を抱くような熱く、力強いホールド。

 そのままの勢いで東堂はクルリと踵を返し、正門の方へと歩き出した。

 

「ゆくぞブラザー! 高田ちゃんの個握へ!」

「えっ、ちょ、えええ!?」

 

 肩を組まれたまま、足が地面から浮いてズルズルと引きずられていく悠仁がパニックになって叫ぶ。

 

「なあに、京都のが外れた分、東京のは多めに取れている! 手を握る時間が減るのは辛くとも、幸福を分け合うのはブラザーとして当然だ!」

「いや俺高田ちゃんのことそんなに知らないんだけど!?」

 

 東堂は悠仁の抵抗を全く意に介さず、豪快に笑いながらズンズンと進んでいく。

 

「……ああ、真依の分もあるとも! 偏った幸運に感謝だな!」

「あー、うん。そうね……」

 

 助けを求める悠仁の視線は、無情にも見捨てられた。

 

「……虎杖くん、借りていくわね」

「え? え?? ちょっと、誰か助けっ……」

 

 真依は東堂を止めるのは不可能だと早々に悟り、考えることをやめたような遠い目をして、野薔薇に向かって手をヒラヒラと振った。

 

「遅くなる前には返すから」

「……はい。いってらっしゃーい」

 

 野薔薇の棒読みの見送りの声と、悠仁の「たすけてえええ!」という悲鳴が彼方へと遠ざかっていった。

 

 

 

 

「……あれ、悠仁は?」

 

 それから数分後。

 憂太による恵の治療もすっかりと終わり、気絶から復帰した彼と一緒にグラウンドの入り口へとぞろぞろと連れ立ってやってきたパンダが不思議そうに首を傾げた。

 

 真希が木刀を肩に担ぎながら、周囲を見回す。

 そこには、呆れ果てた顔で一人立ち尽くす野薔薇の姿しかなかった。

 

「えーと……」

 

 野薔薇は、悠仁が引きずられていった正門の方角を指差した。

 

「ドルオタゴリラに拉致されました」

「「…………はあ???」」

 

 真希と恵の口から、見事なまでに重なった、心の底からの疑問符が飛び出した。

 憂太は「ド、ドルオタゴリラ……?」と顔を引き攣らせ、棘は「ええ、拉致……?」とドン引きする。

 

 秋晴れの空の下。

 呪術高専東京校のグラウンドには、理解不能な事態に取り残された術師たちの、深いため息だけが虚しく響き渡っていたのであった。

 

 

***

 

 

 ——呪術高専東京校、応接室。

 

 古びた革張りのソファに深く腰を沈め、京都校の学長たる楽巌寺嘉伸(がくがんじよしのぶ)は、まるで胃の奥底から鉛を吐き出すかのような重いため息をついた。

 

「……先日の件は、肝を冷やしたぞ。夜蛾よ」

 

 白髭を蓄えて顔に深い皺を刻んだ老学長は、対面に座る夜蛾正道とその隣で足を組んでふんぞり返っている五条悟を鋭く睨みつけた。

 

「両面宿儺の顕現に、器の死。……宿儺の気まぐれで死が覆ったからよかったものを。一歩間違えれば、取り返しのつかない事態になっておった」

 

 楽巌寺の言葉には、特級呪霊による被害以上の明確な畏怖対象への怯えが滲んでいる。

 

「あやつ――宿儺の器は、あの禪院全が直接目を掛けている存在なのだ。……下手に死なれて機嫌でも損ねられれば、困るのは我々高専だけでなく呪術界全体なのだぞ」

 

 楽巌寺の言葉には、大袈裟な誇張は一切なかった。

 虎杖悠仁という特異な器は全が自ら赴き、直々に「指を集めろ」と勅命を下した存在だ。それを高専側の不手際で失ったとなれば、あの呪いの王がどう動くか分かったものではない。

 

 しかし、そんな老学長の切実な危惧を前にして、五条悟は丸いサングラスを指で押し上げながらフッと鼻で笑った。

 

「まーまー、お爺ちゃん」

 

 その重苦しい空気をぶち壊すように、悟がサングラスの奥で六眼を細めて軽薄な笑みを浮かべた。

 

「目の前で死にかけてる人を助けたいっていう、若人の純粋な情熱を簡単には突っぱねられないさ。俺は立派だと思うけどね」

「五条、貴様……」

 

「それにさ」

 

 悟は眉をひそめる楽巌寺の言葉を遮り、鼻で笑った。

 

「アイツの機嫌にそこまでビビってんのなんて、がっつり寿命を握られてる上層部のジジイ共くらいだろ」

 

 図星を突かれ、楽巌寺の顔がピクリと引き攣る。

 彼自身は寿命の取引に溺れる連中ほど堕落してはいないつもりだが、それで最も全の顔色を窺っているのが総監部なのは疑いようのない事実だ。

 

「いいか? あの禪院全にとって呪術師は皆、自分の手足となって呪詛師や呪霊を狩り集めてくれる働きアリだ。……いくら性格が悪いからって、単なる八つ当たりで自らの有能な手足を捥ぐような馬鹿じゃない」

 

 全は徹底的な合理主義者だ。感情で動くことはあっても、自らのシステムを損なうような非合理な行動は取らない。

 

「仮に全が今回の件で咎を問うとすれば——現場の生徒や補助監督じゃなく、それを統括して人員配置をミスった者……つまり、アンタら上層部の方に責任を問うんじゃなーい?」

 

 悪魔のような笑顔で核心を突く悟。

 

 ——パコンッ!

 

「痛っ!」

「相変わらず、口の減らん奴だ」

 

 彼の後頭部を夜蛾が丸めた書類で軽く、しかし良い音を立てて叩いた。

 悟は「痛いなぁもう」と頭をさすりながら唇を尖らせたが、楽巌寺は深く息を吐き出し、その無礼を咎めることはしなかった。

 

「……まあよい。その不遜な態度にはとうに慣れておる。とっとと本題に移ろうではないか」

 

 楽巌寺が表情を引き締め、室内の空気が一段と冷たく張り詰めたものへと変わる。

 夜蛾もまた、腕を組んで重々しく口を開いた。

 

「……近頃、何かが裏で動いている、という件ですね」

「うむ」

 

 楽巌寺は渋面を作り、机の上に置かれた報告書の束を指でトントンと叩いた。

 

「特に、あの少年院での『呪胎』の件だ。いかに繁忙期とはいえ……まるであらかじめ組まれた詰将棋のように、面倒かつ強力な呪霊が順番に遠方へと湧き出した」

「ええ。そのせいで、初期対応とはいえ経験の浅い一年生らをあのような現場へ駆り出すまで人員が逼迫してしまった」

 

 夜蛾の言葉に、悟も静かに頷いた。

 

「それに、あの呪胎が取り込んでいたという宿儺の指。あれも、出所が全く不明だ。当然、あんな場所に安置されていた訳がない……今思えば、不自然なところがいくつもあった」

 

 誰かが意図的に人員を分散させ、虎杖悠仁という「宿儺の器」を特級呪霊とぶつけるように仕向けた。そうとしか考えられないほどの、不自然な符合。

 

「そして極めつけは、先日俺が遭遇した火山頭の呪霊」

 

 悟が背もたれに寄りかかりながら口を挟んだ。

 

「知性を持つ未確認の特級呪霊。俺としっかり意思疎通が図れたし、何より俺の足止めをして首だけになったそいつをかっ攫っていった別の呪霊もいた。……他にも同等級の仲間がいてもおかしくない」

 

 呪霊が徒党を組み、明確な意志を持って呪術界に牙を剥こうとしている。それは自然発生の呪いとは全く異なる、意図的なテロリズムの胎動だった。

 

「……全のやつは、何か言ってるか?」

 

 悟がサングラス越しに楽巌寺へと尋ねた。

 呪術界のあらゆる裏表に情報網を張り巡らせ、有用な呪いとあればどこへでも首を突っ込んでくるあの強欲な蒐集家。彼がこの不穏な動きに気づいていないはずがない。

 

 しかし、楽巌寺は重々しく首を横に振った。

 

「いや。禪院家からは何の通達もない。あの男も、現状は静観を決め込んでいるのか、あるいは……」

「アイツですら気付いてないか、だね」

 

 悟が顎に手を当てて呟いた。

 全の持つ情報網と探知能力は呪術界でも群を抜いている。その全の監視の目を掻い潜り、あるいは気取られずにこれだけの大掛かりな盤面を動かしているのだとすれば。

 

「……相当に厄介だぞ、そいつは」

 

 夜蛾が低い声で唸る。

 特異点たる全の目を欺き、暗躍する影。それが呪術界にどのような災厄をもたらそうとしているのか、全貌は未だ闇の中だ。

 楽巌寺が顔に深い皺を寄せて警戒を露わにする。

 

 だが、そんな老学長の重苦しい危惧を他所に、悟の顔には一切の焦りもない。むしろ、彼はどこか楽しげに窓の外——高専のグラウンドの方角を見つめていた。

 

「まあ、そう深刻になりなさんなって」

 

 悟はふっと口元を緩め、気軽に構えてみせた。

 

「かつて禪院全が台頭して、術式取引を始めたおかげで今の呪術界全体の質は底上げされた」

 

 悟の言葉に、夜蛾も楽巌寺も沈黙する。それは否定しようのない事実だ。

 

「そして、傑が外で始めた草の根活動。……あいつが泥臭く拾い上げているおかげで、本来なら社会から弾き出されて呪詛師に堕ちていたかもしれない原石たちが、呪術師として正しき道を歩み出してる」

 

 傑が救った双子の少女たちや、彼に賛同して集まったはぐれ術師たち。彼らもまた、今の呪術界を支える新たな力となっている。

 

「何よりさ」

 

 悟の脳裏に、頼もしく育ちつつある生徒たちの顔が次々と浮かんでいく。

 

「三年生の秤に、二年生の乙骨や真希、京都の東堂。……生徒たちのレベルは、近年急激に上がり続けてる。挙句の果てには、宿儺の器なんていうイレギュラーまで現れたんだ」

 

 悟はその蒼天の瞳をギラギラと輝かせて言う。

 

「今やこの呪術界で術式を持たない呪術師なんて、天与呪縛の二人くらいなもんだ。ほとんどいないと言っていい。長い呪術の歴史の中で、今まさしく新たな黄(・)金(・)時(・)代(・)を迎えようとしてるんだ」

 

 その言葉のスケールに、楽巌寺と夜蛾は息を呑んだ。

 

「アンタら老人どもが自分たちの地位や伝統を守るために必死に押し堰き止めていたものを、禪院全というバケモノが良くも悪くも完膚なきまでにぶっ壊した結果——新しい時代の波は、ものすごい勢いで押し寄せてきてる」

 

 その挑発的で傲慢な言葉に楽巌寺はギリッと奥歯を噛み締めたが、反論はできない。彼ら古き世代こそ、それを最も痛感しているからだ。

 悟は両手を広げ、来るべき未知の嵐を歓迎するように不敵な笑みを浮かべた。

 

「だから、心配しなくていいよ。……これからの世代は、特級なんていう古い物差しじゃあ到底測りきれない連中が育ってきてるんだからさ」

 

 ——もちろん、俺含めてね。

 口には出さずとも、蒼き目が高らかにそう宣言していた。

 

 新しき呪いの王が耕した土壌で、準最強の術師が見守る中育ちゆく若き雛たち。

 彼らがどのような花を咲かせ、どのような呪いを祓っていくのか。

 時代のうねりは、誰にも止めることはできない。

 

 姉妹校交流会という、彼らの力が激突する祭典の日は、すぐそこまで迫っている。

 

 

***

 

 

 人里離れた、深い山奥にひっそりと湧く秘湯。

 木々の葉が色づき、山肌を撫でる風が微かな冬の冷たさを帯び始めた季節にあって、その岩風呂の周辺だけはもうもうと立ち込める白い湯気に包まれ、むせ返るような熱気を保っていた。

 

 その乳白色の湯に浸かり、豊満な肉体を惜しげもなく晒している乙女が一人。

 たっぷりと豊かな双丘が湯面でたゆたい、白磁のような肌は熱めの湯に当てられてほんのりと桜色に上気している。漆黒の濡れた髪をかき上げるその仕草は、見る者があれば息を呑むほど蠱惑的な色香を放っていた。

 

 ——残念ながら(?)、その中身は千年の時を生きる呪詛師、羂索である。

 

「んーっ……」

 

 羂索は両腕を天に向けてぐっと大きく伸びをすると、ふぅ、と心地よさそうに息をついた。

 

「呪力は大方戻ったようだね、漏瑚」

 

 艶やかな唇から紡がれた言葉の先。

 岩風呂の縁、地熱が最も強く伝わる岩場に腰を下ろしていたのは、頭頂部が火山のようになっている単眼の特級呪霊だった。

 つい先日、五条悟によって生首だけにされるという屈辱的な敗北を喫した漏瑚であったが、今は辛うじて五体を取り戻している。

 

「何をやっているのだ、貴様は……」

 

 無防備すぎる姿で湯を堪能している羂索を単眼でギロリと睨みつけながら、漏瑚は呆れたように鼻を鳴らした。

 そして呪いで形作られたキセルを口に咥え、ふーっと紫煙をくゆらせる。

 

「……まあ、な。火山に近いこの辺りは、心持ち儂の呪力の補完に良い。血眼になっている呪術師どもの目を盗み、わざわざこんな山奥まで来る価値はあるというものだ」

「呪霊は生まれの性質に近い場所ほど活性化する傾向があるからね。大地への畏れから生まれた君なら、こういう場所が療養地として最適だろうさ」

 

 羂索はちゃぷんと湯の中で姿勢を変え、面白そうに目を細めた。

 

「……しかし」

 

 彼女は両手を水面に出し、指先を器用に組んで水鉄砲の形を作った。

 

「次の計画に連れていけるほど、万全とはいかないらしいね」

 

 ビュッ! と羂索の手のひらから飛ばされた一筋の湯が漏瑚の足元の水面に当たり、ピチャンと小さな波紋を生み出した。

 

「忌々しい事にな……」

 

 図星を突かれた漏瑚は、キセルの吸い口をギリッと噛み締めた。

 肉体の再構築こそ果たしたものの、失われた呪力の完全な回復にはまだ時間がかかる。頭頂部の火口から、苛立ちを隠せないようにチリチリと黒煙が上がった。

 

「万全でない状態で呪術師どもと事を構えるのは、やはり不安が残る」

 

 あの時、五条悟という規格外に見せつけられた圧倒的なまでの力の差。それが漏瑚の本能に、決して無視できない警戒心として深く刻み込まれていたのだ。

 

「仕方ない、次の計画では私が身体を張るしかなさそうだ」

 

 羂索はやれやれといった風に肩をすくめ、お湯を手のひらにすくって遊ぶ。

 

「なにせ、手足となる駒として十分に使える呪詛師だって、もうろくに残っちゃいないからねえ」

 

 彼女の脳裏にまず浮かぶのは、呪詛師を刈り尽くす呪術界の冷酷なシステムだ。

 

 かつてなら金を積めばいくらでも湧いてきた裏社会の薄汚い手駒たち。

 今でも、呪力を使える万能感のままに無法を働く呪詛師はポコポコと出ては来るが……禪院全台頭前のように小さな失敗を重ねて成長するのを待たず、呪詛師として得るべき常識を知る前に、呪術師どものボーナスとして狩られていく始末。

 生まれはすれど、育つ暇がない。

 

 それに、夏油傑。彼の活動もまた、呪詛師に堕ちる者を確実に削っている。

 

「あーあー、禪院全はホント恐ろしいねえ」

 

 そう口では言いながらも、両手ですくったお湯をちゃぷちゃぷとこぼし、くすくすと喉の奥で笑う羂索。

 その顔には、言葉どおりの恐怖や焦りなど微塵も浮かんでいなかった。

 

 むしろ——。

 

(こやつ、この状況すらも愉しんでおるのか……)

 

 漏瑚の単眼には、千年の呪詛師がこの逆境——手駒を失い、自らが動かざるを得ないイレギュラーな事態すらも、極上のゲームとして味わい尽くしているようにしか見えなかった。

 

 そして漏瑚は、忌まわしい記憶を呼び起こして「チッ」と舌打ちをした。

 

 世界を己の都合で最適化していき、呪霊の尊厳を削り道具に貶める禪院全。

 そして、己を赤子のように捻り潰し、不可侵の領域から嘲笑ってきた五条悟。

 

 あの二つの特異点の恐ろしさを、肌で、魂で知ってしまったが故の、拭い切れない焦燥感が漏瑚の胸の奥で重く渦巻いていた。

 

「……それで、次の計画とやらはどうするのだ?」

 

 紫煙の奥から、漏瑚が苛立ち紛れに低く唸るように尋ねた。

 このまま山奥で湯に浸かって機を待っているだけでは、あの化け物たちの盤面が有利に傾いていくだけだという焦りが彼にはあった。

 

「まさか、このまま湯治気分で機を待つわけではあるまいな」

「もちろんさ」

 

 羂索は身体を隠そうともせず、ざばりと豪快な水音を立てて温泉から立ち上がる。

 

 息を呑むほどに完璧なプロポーション。乳白色の湯の滴が、豊満な双丘の谷間から引き締まった腹部、そして滑らかな腰のラインを伝って妖艶に滑り落ちていく。

 彼女は岩に掛けておいたバスタオルを手に取ると、無造作にその豊かな身体を拭き始めた。

 

「高専が保有する六本の宿儺の指を回収するよ」

 

 羂索が濡れた黒髪を払いながらあっけらかんと告げた目標に、漏瑚の単眼が怪訝に細められた。

 

「……必要か? 禪院全は宿儺の指を取り込ませる為に、虎杖悠仁という小僧を飼っているのだろう? 放っておいても、いずれヤツらが勝手に集めるのではないか」

「そうだね。通常ならばそう考えるのが自然だ」

 

 彼女はバスタオルを胸元でふわりと巻きつけ、水気を帯びた赤い唇に艶やかな笑みを浮かべた。

 

「あの男のことだ、指をすべて集めたらまずは抵抗できないよう手はずを完璧に整えてから事を進めるはずだよ。そして術式を『簒奪』し、宿儺そのものすらどうにかして己の手中へ収めようとするだろうね。そうなれば、私たちの計画は完全に詰みだ」

 

 全のあの底知れぬ探求心と強欲さを知る羂索だからこそ、その未来図は容易に想像がついていた。あの特異点にとって両面宿儺は人類の脅威ではなく、極上のコレクションの一つに過ぎないのだ。

 

「……だからこちらで残りの指を揃え、機を見計らって虎杖悠仁を確保し、一度に飲ませてしまうんだよ。禪院全の管理下から外れた状況で、強引にね」

「なるほど……」

 

 漏瑚はキセルを持つ手をピタリと止め、忌々しさと戦慄が入り混じったような顔で唸った。

 

「やはり禪院全、おぞましいまでの欲望の塊だ。旧き呪いの王すら己の蒐集に加えようというのか。……しかし」

 

 漏瑚は現実的な壁を指摘した。

 

「高専となれば、虎穴も虎穴。結界の奥深くに厳重保管されている指を、どうやって盗み出すというのだ?」

「大丈夫、仕込みはしてある」

 

 羂索は余裕の笑みを崩さず、ふわりと肩をすくめた。

 

「まあ、みんな過去の遺物よりも新しい王様の方に媚を売るようになって、あまり強く縛れなくなってしまったけどね」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは、呪術界の中枢でふんぞり返っていた総監部や保守派の老人たちの顔だ。

 かつて羂索は、御三家の中でも保守派への影響力が強い『加茂家当主』の肉体を奪い、呪術界の内部から時間をかけてじっくりと土壌を耕していた時代があった。

 しかし、長い月日が経ち、その時の肉体はとうに寿命を迎えて故人となっている。

 いずれすべてを裏から掌握するために、彼女が呪術界のシステム深くへと残しておいた『根』。

 だが、その根に連なる権力者たちは今や新しき呪いの王がもたらす不老長寿の甘い蜜に完全に骨抜きにされている。

 

 もはや彼女の残した過去の遺物としての権力や縛りに、全の威光を撥ね除けてまで上層部を動かす力など残ってはいない。

 

 オマケに今の羂索は新たに肉体を奪って暗躍するという手段を封じられている。

 自らを最高出力の呪詛師として完成させるため、そして全の『簒奪呪法』への対策として、『禪院全以外への肉体の移行を禁じる』という強烈な縛りを受肉体としての己に課したからだ。

 それ故に、誰かに成り代わって直々に上層部を掌握し直すことなどは不可能となり、かつて得意としていた搦め手の自由度は格段に下がってしまっていた。

 

 ——しかし。

 

 羂索はいたずらっぽく笑うと、濡れた人差し指を自らの艶やかな唇へとそっと当てた。

 

「でもね。パイプが完全に死んだわけじゃあないんだ」

 

 その瞳の奥で千年の悪意が昏く、しかし楽しげに煌めく。

 

「いつだったかに……『印』をつけた指を、高専の連中に渡してあるのさ」




虎杖はなんだかんだ個握を楽しんだらしい。

・存在しない記憶
八尺様にかなり汚染されている。

・八十八尺様
子供が好きで学校などの校庭によく出没する、26メートルちょっとの女神様。
東堂の脳内にしか存在しない。

・羂索
サービスショット担当。
総監部への影響力が激減しているが、原作で吉野家のテーブルに置いた宿儺の指の代わりは既に仕込んである。マーカーの呪力は羂索自身のもの。
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