禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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おのれ……おのれ、禪院全……ッ!!



05.禪院家の新家業-極上の贈り物

 鬱蒼とした山の木々に同化するように張り巡らされた、認識阻害の隠し結界の中。

 そこに息を潜める三人の呪詛師たちは、眼下の広場の中央に出現した領域の外殻を前にして、文字通り固唾を呑んで見守っていた。

 

「おいおい……マジかよ。あの禪院のヒヨッコ、領域展開なんてバケモノじみた芸当まで隠し持ってやがったのか」

 

 太い木の枝にしゃがみ込み、額に嫌な汗を滲ませて悪態をついたのは、この村の事件の引き金を引かせた男——百目鬼(どうめき)である。

 痩せぎすで、どこか神経質そうな顔つきの彼だが、その『脳裏憑き(のうりづき)』という暗示工作の術式による実績は裏社会でも高く評価されていた。

 今回も、総監部の密命を受けて地元の不良少年に暗示をかけ、封印を破らせたのは彼の手腕によるものだ。

 

 その百目鬼の隣で、丸太のような腕を組み、大盾のようにそびえ立つ巨漢が低い唸り声を上げる。

 

「全が祠ごと封印を完全にぶっ壊しちまった時は冷や汗をかいたがよ。まさか、あの化け物相手に領域の押し合いで勝っちまうとはな」

 

 彼の名は鉄坊(てつぼう)。身長二メートルを超えるその筋骨隆々の肉体から放たれる『重極鎖縛(じゅうきょくさばく)』の術式は、相手を強引に縫い留める生きた拘束具として恐れられている。

 

 だが、彼ら二人のような一癖も二癖もある凶悪な呪詛師たちであっても、今回ばかりは分が悪い。

 彼らは標的を狩るにあたり、特級呪霊・姦姦蛇螺と事前に一つの縛(・)り(・)を結んでいた。

『我々が結界を一部破壊し、極上の餌を誘い込んで殺させる。その狂宴が終わるまでは外で暴れず、我々にも手を出さない』という、特級呪霊の知能と凶暴性を逆手にとった悪辣な契約だ。縛りのおかげで、この作戦中、全が息絶えるまでは姦姦蛇螺の術式の影響も受けない。

 呪詛師たちの目論見としては、不完全顕現している姦姦蛇螺の音(・)の必中術式でジワジワと削られるところを背後から撃ち、全の死を確認した直後、縛りが切れて暴れ出す特級呪霊から誰よりも早くこの山を離脱する算段だったのだ。

 

 しかし、予想は完全に裏切られた。

 全は姦姦蛇螺の術式を耳塞ぎで無効化し、あまつさえ挑発するように封印を破壊して完全顕現を促した。更には黒閃まで飛び出し、手を出すタイミングを逃すうちに特級呪霊の領域が展開され、直後それを食い破るように全の領域が広場を塗り替えてしまった。

 介入の隙が全くと言っていいほど無かったのだ。

 

「……勝ったのは禪院の小童の領域だ。姦姦蛇螺の敗北は、もはや確定的だろうな」

 

 百目鬼と鉄坊が動揺を見せる中、ただ一人、涼やかな声でそう断じた男がいた。

 この呪詛師部隊のリーダー格——烏丸蘇芳(からすますおう)である。

 

 年の頃は二十代半ば。線の細い、書生のような理知的な顔立ちをした優男。

 だが、その瞳の奥には、若さとはおよそ不釣り合いな、何百年も泥水を啜ってきたような粘着質で淀んだ光が宿っている。

 事実、彼は明治以前から他者の寿命を啜って生き永らえてきた、文字通りの化(・)け(・)物(・)だった。総監部の狸どもが裏で飼い慣らしている、最高戦力にして最悪の切り札の一つ。

 

「チッ、総監部の老いぼれ共め。これほどの規格外だと知っていれば三倍は請求したものを、次の施(・)術(・)は思い切りふんだくるか。……さて、そろそろやつの領域も解ける」

 

 蘇芳は、長く生き延びてきた者特有の、決して熱り立たない冷徹な視線を領域の外殻へと向けた。

 その佇まいは、まるで盤上のチェス駒を見下ろす老獪な棋士そのものだ。

 

「いかにかの禪院で当主を勝ち取った鬼才といえど、領域展開の甚大な呪力消費と術(・)式(・)の(・)焼(・)き(・)切(・)れ(・)は免れまい。もし領域が解けた後、あの小童がまだ生きているようなら……その隙を突き、我らの全力をもって、残った姦姦蛇螺ごと確実に葬り去る」

「へっ、違いねえ。特異点だかなんだかしらねえが、ガス欠の丸腰なら俺たちの敵じゃねえよ」

 

 蘇芳の理路整然とした分析に、百目鬼が下卑た笑いを浮かべて同意し、鉄坊も無言で巨大な拳を鳴らした。

 そして——彼らが息を殺して待つこと数分。

 

 領域が解けた直後の広場。そこに特級呪霊・姦姦蛇螺の禍々しい巨体はどこにもなく、ただひっそりとした森の静寂だけが残されていた。

 そして、その広場の中心。

 

「……ハァッ……、ハァッ……」

 

 地面に片膝をつき、肩で大きく息をしながら下を向く若き禪院家当主の姿があった。全身から立ち昇っていた底知れない呪力の圧力は見る影もなく、その背中は酷くひ弱で、無防備で、今にも倒れ伏してしまいそうに見える。

 

 その決定的な隙(・)を目の当たりにして。

 木の上に潜む三人の呪詛師たちは皆一様に、獲物を狩る直前の獣のように、下劣で歓喜に満ちた笑みを口元に浮かべたのであった。

 

(……バカどもが。まんまと引っかかりやがって)

 

 そして、その呪詛師たちのさらに背後。

 完全に気配を絶ち、死の影そのものと同化した最悪の暴君・禪院甚爾もまた、眼下で滑稽な死へのカウントダウンを始めた愚か者たちを見下ろしながら、その口角を裂けるように深く、深く吊り上げていた。

 

***

 

 ジャラッ!! という重々しい金属音と共に、息も絶え絶えにしゃがみ込んでいる全の足元の地面から、漆黒の太い鎖が無数に生え出た。

 それらは獲物に絡みつく大蛇のように素早く全の四肢に巻き付き、その身を地面へと強引に縫い留める。

 

「なっ……!?」

 

 全はバッと顔を上げ、驚愕と、そして張り付いたような真っ青な恐怖を顔に浮かべて、冷や汗をダラダラと垂らした。

 彼を完全に包囲するように、周囲の木陰から三つの影が音もなく広場へと降り立つ。

 

「誰だ、お前たちッ……!?」

 

 震える声で叫ぶ全を見下ろし、呪詛師たちのリーダーである烏丸蘇芳は、口の端を歪めてニヒルに笑った。

 

「死にゆく者に名乗る名などない。ただ……少しばかり、才能のままに目立ちすぎたな、若き特異点よ」

「……まさか、総監部か!?」

 

 全は、その言葉に顔を強張らせ、必死に鎖を引き千切ろうともがきながら喚き散らす。

 

「簒奪呪法に危惧を抱いた年寄り共が、僕を消すために暗殺者を放ったって言うのか!? やめろ、ふざけるな! 僕は呪詛師や、呪霊からしか術式を奪っていない! 禪院家の再編だって、正当な当主権限の範囲内のはずだ!!」

 

 無様にもがき、理を説いて命乞いをしようとする弱々しい若造。

 その光景に、暗示使いの百目鬼はたまらないといった様子でニヤニヤと下劣な笑みを深め、拘束された全の真正面へと近づいていった。

 

「だーから言ったろ? 目立ちすぎたって。呪術界のお偉いさんってのはな、自分たちの理解の及ばねぇ不確定要素が何よりも嫌いなのさ」

 

 百目鬼は懐から取り出した薄汚れたナイフの平の部分で、もがく全の頬を「ぺち、ぺち」と小馬鹿にしたように叩く。

 

「ま、出る杭は打たれるってこった。いい勉強になったなぁ、御三家のお坊っちゃん。その高い高い授業料は、てめえの、いの——」

 

 カン…………カン…………

 

 百目鬼が「命だ」と言い切る前に。

 静寂の森に、地獄の底から響くような、重く冷たい金属音が響き渡った。

 

「——あ?」

 

 百目鬼の動きが、文字通り完全に凍りついた。体も鉛のように重い。

 否、百目鬼だけではない。少し離れた位置で余裕ぶっていた烏丸と鉄坊の顔からも、スッと一瞬にして血の気が引いていた。

 彼らの視線は、全の頭上——広場を囲む巨大な古木の一本へと釘付けになっている。

 そこに、巨大な蛇の下半身と無数の腕を持つ異形がズルリ、ズルリと幹に巻き付いていたからだ。

 

「ば、な……」

「なんで、なんで生きてやがる……っ! 禪院のガキの領域内で、祓われたはずじゃ……!」

 

 間違いなく、先ほどまで彼らが外から見物していた特級呪霊『姦姦蛇螺』だった。

 

「ヒッ、……あ?」

 

 百目鬼が息を呑み、ナイフを持ったまま硬直したその横で。

 烏丸と鉄坊の目前で、あり得ないことが起きた。

 

 ズルリ、と。

 鉄坊の術式である、簡単には外れないはずの拘束術式『重極鎖縛』が、拘束されている全の四肢から、まるで最初から存在しなかったかのようにあっさりと抜け落ちたのだ。

 

「な、……なんで、術式が……!?」

 

 術式が焼き切れていて、なおかつ今の全には呪力の残滓すらろくに感じられなかったはず。

 到底理解できない現実に鉄坊がパニック混じりの声を上げた、その時。

 

「ああ、焼き切れたのは簒(・)奪(・)呪(・)法(・)だ(・)け(・)だからね。他の“手持ち”術式はピンピンしていて今まで通り使えるとも」

 

 先ほどまでの無様な怯えも、死に物狂いの焦りも、ひ弱な呪力反応も。

 すべてが嘘だったかのように、全の顔から冷や汗がスウッと消え去り。

 代わりに、この世で最も邪悪で、底意地の悪い三日月の笑みが——パッと花咲くように浮かび上がったのである。同時に立ち上る濃密な呪力に、三人は総毛立つ。

 全が、まるで手品師のように指を鳴らした。

 

「ちなみに今のは『縄抜け』っていうゴミ術式だよ。さあ、お待ちかねのショータイムの始まりだ」

 

 その最悪の種明かしに対して、一番早く動いたのは誰だったか。

 それは、パニックに陥るでもなく、恐怖に硬直するでもない。百余年という途方もない歳月を生き延びてきた年(・)の(・)功(・)たる老獪さを持つ男——烏丸蘇芳だった。

 

「百年使用! 啜命呪法(せつめいじゅほう)・極ノ番――」

 

 蘇芳は全が言葉を言い切るより早く、指先にゾッとするほど禍々しいどす黒い光の球体を顕現させていた。

 それは彼がこれまでに他者から啜り上げ、ストックしてきた『他人の命』の高純度な結晶体である。

 出し惜しみなどしている場合ではない。この異常事態において、大火力を叩き込まねば確実に殺されると彼の経験が本能レベルで警鐘を鳴らしていた。

 

「——怨命の赫星(えんめいのかくせい)!!」

 

 掌から放たれたのは、周囲の空間ごと削り取るような極大の呪力の奔流だった。

 それは一直線に全へと迫り——その射線上に思い切り被る形で、悲鳴を上げて一目散に逃げ出そうとしていた百目鬼の右腕を、紙屑のように完全に消し飛ばした。

 だが、蘇芳は味方を巻き込んだことなど歯牙にもかけない。ただ、その必殺の火力が全の体を消し炭にする結末だけを確信して放った一撃だ。

 

 ズドォォォォォンッ!!

 

 凄まじい爆発が森を揺るがし、土煙が舞う。

 しかし。その爆炎を切り裂いて現れたのは、無傷で微笑む全の姿と……彼を庇うように立ち塞がり、直撃をその身で受け止めて血を吐く巨大な蛇女だった。並の特級なら跡形もなく消し飛ぶ光の奔流を、その呪霊は受け切って見せた。

 

「馬鹿な……っ」

 

 蘇芳の顔が、今回初めて驚愕に歪む。

 いくら元は温厚な土地神とはいえ、特級呪霊が人間の盾になるなどあり得ない。ましてや先程まで全てを賭け呪い合った相手を、だ。

 そもそも全によって祓われたはずの姦姦蛇螺がなぜか生きている。そして今、己の意志を放棄したかのように全の盾となった。

 その二つの強烈な事実を元に、百余年を生きた老境の脳細胞が一瞬で最(・)悪(・)の(・)正(・)解(・)を弾き出す。

 

(——呪霊操術!!)

 

 ならば、もはや勝ち目など万に一つもない。術式が焼き切れ無力化されたふりをして油断を誘い、極大の一撃すらも手持ちの呪霊で防ぎ切るバケモノ。

 そう理解した瞬間の、烏丸蘇芳の判断と行動はまさに電光石火だった。

 全に向けた敵意を完全に捨て去り、姦姦蛇螺の呪いを振り切るように呪力を滾らせ踵を返す。己の体内にストックしていた命(・)を推進力となる呪力へと変換し、轟音を立てて空へと跳躍した。

 長生きの秘訣とは、決して強力な術式を持つことだけではない。強者と対峙した時、いかに早く「逃走」の二文字を選べるかだ。

 

(これは無理だ、ここは逃げ切って——)

 

 空高く跳び上がり、森の結界を抜けようとした蘇芳の視界が。

 突如として、上空から降ってきた黒(・)い(・)影(・)によって完全に覆い隠された。

 

「……あ?」

 

 ドゴォォォォォッ!!!!

 

「ガ、アアアアッ!?」

 

 隕石激突と見紛うほどの理不尽な重さの踵落としが、空中にいた蘇芳の脳天にクリーンヒットした。

 推進力も何もなく、脳が揺れる暇すらない圧倒的な暴力。蘇芳の体は叩き落とされ、地面にクレーターを作るほどの勢いで激突した。

 

「やっと出番かよ。待ちくたびれて欠伸が出そうだったぜ」

 

 砂煙の中から、肩を回しながらだるそうに姿を現したのは、最悪の伏せ札にして最強の暴君・禪院甚爾。

 彼は足元で全身の骨を砕かれ、血反吐を吐きながら痙攣する蘇芳を見下ろして鼻で笑った。

 

「あーあ、甚爾さん。そいつ、殺し切らないでね」

 

 土煙を払うようにパタパタと手を振りながら、全がのんびりとした足取りで近づいてくる。

 

「そいつ、すんごい術式持ってるんだから。……他人の命を吸い取って自分のストックにする能力持ちで、なんと残りの健康寿命が六〇〇年超えだって。いやぁ、さすが総監部の隠し玉だね」

「あ? そうなのか?」

「うん。でも、今甚爾さんが本気で一回『殺しちゃった』せいで、残機が減って健康寿命も百五〇年くらい減っちゃったよ。もったいないなぁ」

「チッ、めんどくせぇ野郎だな」

 

 甚爾は舌打ちをすると、格納用の呪霊から取り出した呪具——天逆鉾を、回復しようと蠢く蘇芳の心臓スレスレに突き刺し、物理的に地面へと縫い留めた。

 

「ガ、アァァア……ヒィィイイ!!」

「ヒッ……ァ、アッ……」

 

 腕を完全に吹き飛ばされ、激痛にのたうち回りながら泥水をすする百目鬼。

 そして、全の背後に控える特級呪霊・姦姦蛇螺の放つ圧倒的なプレッシャーと、「いつ殺されるか分からない」という呪いの音への恐怖から、完全に心を折られてしまい、へたり込んだまま失禁している巨漢の鉄坊。

 地面に縫い留められた蘇芳を含め——つい先ほどまで狩人であったはずの呪詛師たちの勝敗は、実に文字通り、あっという間に決してしまったのであった。

 

「さて、と」

 

 全はしゃがみ込み、苦痛に悶える蘇芳の胸ぐらを掴むと、その胸の奥深くに右手を沈めた。

 

「ガッ、!? ア、アアアァ……ッ!?」

「うん、綺麗に取れた。強力な術式は大歓迎だよ」

 

 ズルリ、と。

 蘇芳の胸から、彼が百年以上かけて磨き上げてきた生得術式『啜命呪法』が、全の腕を伝って完全に抜き取られた。

 もはや術式を失い、見た目が若いだけの瀕死の老体と化した蘇芳を見下ろしながら、全は手にしたばかりの術式を弄ぶように寿命由来の呪力を滾らせ、底意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「ちょうど『簒奪呪法』も焼き切れから回復したし……ついでだから、ちょっと試してみようか」

「ん?」

 

 甚爾が訝しげに眉を顰める中、全は両手で優雅に掌印を結んだ。

 それは、全の領域展開。だが、今回は付与されている『術式』が違った。

 

「領域展開——玲瓏簒宝閣(れいろうさんほうかく)・啜命(せつめい)」

 

 ズンッ……!! という重低音と共に、再び静寂の森がまばゆい黄金の結界に塗り替えられていく。

 再度展開された規格外の領域が、全と甚爾、そして三人の呪詛師たちを丸ごと飲み込んだ。

 周囲を取り囲むのは、神々しい神殿と、無数の宝石が陳列された豪華絢爛な宝物殿。

 ヒュウと甚爾が口笛を吹いてぐるりと見渡した。

 

「へぇ……これが、お前の領域か。豪華な泥棒御殿って感じで最高に悪趣味だな」

「フフ、そんなに褒めないでくれるかな。照れちゃうじゃないか」

 

 呪力を持たないが故に、本来であれば結界系の術式に閉じ込められることのない甚爾だったが、自ら同意して領域内に留まり、興味深そうに周囲の宝物殿を見渡して佇んでいた。

 そんな中、領域の『必中効果』が三人の呪詛師たちに牙を剥く。

 

「アッ、ガァアアッ!?」

「ヤ、ヤメ……ッ!!」

 

 三人の呪詛師たちの胸元から、ふわり、と鮮やかな光の球体が浮き上がった。

 それは、彼らの残(・)さ(・)れ(・)た(・)寿(・)命(・)そのもの。蘇芳が持っていた膨大な光の玉と、百目鬼と鉄坊が持っていた小さな二つの光の玉。

 そして同時に、百目鬼と鉄坊の体からは、彼らの生得術式が宝(・)石(・)となって具現化し、飛び出していた。

 

 二つの術式の宝石は、全の手を離れ、宝物殿の宙に浮かぶコレクションの一部として陳列されていく。

 そして、大小三つの「命の光の玉」は、意思を持つように全の胸へと真っ直ぐに吸い込まれ、同化していった。

 その瞬間、呪詛師たちは完全に命を吸い尽くされ、ミイラのように干からびた絶望の死骸へと成り果てた。

 

「うんうん、素晴らしい。これなら効率よく健康寿命を延ばせるね」

 

 全身に漲る圧倒的な生命力に、全は満足そうに伸びをした。

 そして、傍らで退屈そうに大剣を肩に担いでいる甚爾を振り返ると、「あ、そうだ」とポンと手を打つ。

 

「はい、お裾分けね」

 

 全は自身の胸元から先ほど吸い込んだばかりの光の玉の一部を引き抜き、甚爾の胸元へと無造作に押し込んだ。

 

「あ?」

「よしよし、『死神の目』で見ても耐用年数が増えてる。——合計してざっと七〇〇年ちょい寿命があったから、甚爾さんにも三〇〇年くらいあげる。長生きして、これからも僕のためにいっぱい暴れてね」

 

 さらりとトンデモないことを言い放つ全に対し、甚爾は自分の胸元をポンポンと叩きながら、呆れたように、しかしひどく愉快そうに鼻で笑った。

 

 

 

 

 

「な……なんという……、なんという……ッ!!」

 

 その頃。総監部の奥深く、薄暗い和室にて。

 遠く離れた禁足地の様子を、結界外に配置した監視用の式神の視覚を通して伺っていた総監部の老人たちは、わなわなと全身を震わせていた。

 

 彼らが見ていたのは、再び領域外殻が現れ、そして間もなく弾け飛んだ直後の光景。

 領域の中までは式神の目を通すことはできなかった。しかし、領域が解けた後に広がっていた光景は、彼らを絶望のどん底へと叩き落とすに十分すぎる結末だった。

 

 禪院の若造は悠然と立っており、その隣には配下らしき男が談笑している。そして——彼らが密かに全を葬るために放った最強の暗殺者である烏丸蘇芳を含む呪詛師三人衆が、信じられないほど干からびた「ミイラ」と化して地面に転がっていたのだ。

 

「あの小童……焼き切れたのは『簒奪呪法』だけだと言いよった! 無数の術式を抱え込んでいるが故に、術式が焼き切れようとも即座に別の術式で代用できる。つまり奴にとって、領域展開後の隙など端から存在しないということだ!」

 

 一人の重鎮が、血を吐くような悲鳴じみた声で叫んだ。

 特級呪霊を従える『呪霊操術』の獲得だけでも呪術界をひっくり返すほどの大事件だというのに、領域展開のリスクすら実質無効化してみせたのだ。

 だが、現在彼らが感じていた最大の絶望と喪失感は——そこではなかった。

 

「烏丸が……我々の手持ちの中で、最強の暗殺者が死んだ」

 

 別の老人が、顔面を蒼白にしながらうわ言のように呟く。

 干からびたミイラの死体。そのあまりにも悍ましい姿の理由を、長年「烏丸蘇芳」という男を裏社会で飼い慣らしてきた彼らが導き出せないはずがなかった。

 奪われたのだ。烏丸が、今まで奪ってきた他人の寿命、そして『啜命呪法』の術式そのものを。

 

「あやつは……烏丸は、莫大な見返りと引き換えに、我々にも僅かずつではあるが『寿命』を分け与えてくれていたというのに……ッ!」

 

 それこそが、何百年も生きるバケモノのような呪詛師を、総監部が飼っていた最大の理由だった。

 権力と富を欲しいままにする彼ら老人たちにとって、喉から手が出るほど欲しかった「命の延長」。それを彼らから完全に、そして永久に奪い去り——あろうことか、最悪の特異点へとプ(・)レ(・)ゼ(・)ン(・)ト(・)してしまったのである。

 

「おのれ……おのれ、禪院全……ッ!!」

 

 血を吐くような怨嗟の叫びが、何の意味も持たずに薄暗い部屋に虚しく響き渡る。

 総監部の暗殺計画は全という怪物を討ち取るどころか、彼に特級の手駒と、そして実質的な「不老不死」に近い命すらも献上するという呪術界の歴史に残る『最悪の自殺行為』として幕を閉じたのであった。

 

***

 

 そして、全が何食わぬ顔で本家へと悠々と帰還した数日後。

 禪院家から、呪術界の常識を根底から覆す信じられない布告が、全呪術機関および御三家、果ては末端の呪術師たちに向けて一斉に発出された。

 

 ——これより禪院家は、当主・禪院全の生得術式を用いた『呪詛師および呪霊より奪取した術式の提供』を正式に開始する。

 

 その通達は生まれ持った血と才能、生(・)得(・)術式こそが絶対であるという呪術界の根幹を、ものの見事に破壊する爆弾であった。

 術式を持たぬ非術師や、才能に恵まれなかった術師であっても、対価さえ払えば強大な術式を後天的に「買う」ことができるというのだ。

 

 布告には、取引における『対価』の条件も明確に記されていた。

 

一、金品、および『呪具』の提供。

二、生け捕りにした『呪詛師』および『呪霊』の身柄の引き渡し。

(※対象が強力な『生得術式』を宿している場合、その価値はさらに高く換算され、上位の術式との交換レートが優遇される)

 

 これは事実上、呪術界全体を巻き込んだ「術式狩り」の奨励であった。

 全にとっては、自分が動かずとも日本中から珍しい術式、呪霊、そして寿命のストックが勝手に集まってくる、最高のビジネスモデルである。

 

 そして、その布告の末尾には、あまりにも魅力的な「悪魔の誘惑」として——現在提供可能な術式のメ(・)ニ(・)ュ(・)ー(・)リ(・)ス(・)ト(・)が堂々と記載されていたのである。

 

【提供可能術式一覧(一部抜粋)】

・『血刃』:血液を刃状に硬化・操作する(赤血操術の下位互換)

・『造血』:失った血液を急速に補給する

・『縄抜け』:いかなる物理拘束からもノーモーションで脱出する

・『筋骨柔軟』:骨と筋を柔軟にし、鞭のようにしならせられる

・『衝撃反転』:発動して一秒以内に受けた衝撃を無効化、ベクトルを反転して相手に返す(発動中は動けず扱いづらし)

・その他、炎や氷、雷などの操作術式、身体強化系など多数

※特級呪霊由来の術式など、より強力なラインナップについては要相談

 

 それは才無き者にとっては垂涎の希望であり、特権階級にとっては自身の序列を脅かされる最悪の恐怖を意味していた。

 かくして、伝統の破壊者が用意した欲望の宴により——呪術界はかつてない熱狂と混沌の渦へと叩き落とされたのである。

 

***

 

「……狂っている。奴は呪術界の歴史を無意味にする気か!」

「自身や身内を肥やすために使うだけならば、まだ影響は知れていた。しかし、これはあまりにも——あまりにも、これまでの呪術界の秩序を完膚なきまでに破壊する一手ではないか……!」

 

 その布告を受け取った総監部の奥宮では、老人たちの絶望の声が悲鳴のように反響していた。

 禪院全自身の強さと底知れなさは、自分たちが放った最高にして最強の子飼いの手駒・烏丸蘇芳を含む三人衆を容易く絡め取られ、ミイラにされたことで骨の髄まで身に染みていた。

 総監部の暗殺計画は完全に失敗したばかりか、最悪の兵器に最高の武器と兵站を提供してしまったのだ。

 

「奴を……あのバケモノを物理的に潰せるとすれば、もはや『五条悟』の六眼と無下限呪術以外にあり得ん」

 

 重鎮の一人の言葉に、場を重い沈黙が支配した。

 彼らが恐れ、バランスブレイカーとして持て余している神童。しかし、その五条悟もまだ七つの子供に過ぎない。

 いくら圧倒的な素質を持っていたとしても、精神的にも肉体的にも未熟な今の彼では、あの化け物じみた特異点にはまだ勝てまい。

 

 そして何より恐ろしいのは……五条悟が、その無類の才能を完全に開花させ、禪院全を物ともしない絶対的な強さに育ち上がるその頃には。

 『術式の売買』という最強のビジネスで呪術界全ての利権と欲望を集結させた禪院全は——もはや、あの天元様とすら並び称されるような、呪術界の『基幹的システムの一つ』として、完全に組み込まれてしまっているだろうということだ。

 

「……もはや、奴を排(・)除(・)す(・)る(・)段(・)階(・)は過ぎてしまった」

 

 上座に座る最古参の老人の口から、血を吐くような無力な諦念が紡がれた。

 総監部は、ついに悟らざるを得なかったのだ。自分たちの完全敗北と、新たな支配者の誕生を。

 

「……ここから我々がやるべきことは。どれほどの屈辱であろうと、どれほど癪に障ろうと、あの若造にいかにして取り入り、その用意した餌場から旨(・)味(・)を啜り上げることができるか……その一点に尽きる」

「特に、『寿命の提供』は……かつて烏丸が我々に納めていたあれだけは、どのような対価を払ってでも、是が非でも交渉ルートをもぎ取る必要がある……!」

 

 彼らにとって、呪術界の平和や秩序の崩壊よりも恐ろしいのは、自分たちの「命の期限」であった。永遠に近い権力を握りしめた彼らにとって、啜命呪法による寿命の延長は絶対に手放せない麻薬なのだ。

 

「しかし、どうやって交渉の席を設ける? 奴は布告の中で『啜命呪法』を公言しておらんぞ。我々から交渉を持ちかければ、我々があの刺客の黒幕であると自白するようなものではないか!」

「アホウ! 奴が送った三人と対峙した時点で、とうにバレておるわ! 奴は己がすべてを把握している上で、こちらがどう出るか試しているのだ!」

 

 全の意図は明白だった。彼はわざわざ「首謀者が誰か分かっている」ことをアピールした上で、こちらの手のひらで踊りなさいと嘲笑っているのだ。

 

「な、ならば……どうするのだ? このままでは、暗殺の報復という建前で、総監部に直接あの化け物がカチ込んで来る可能性すらあるのだぞ!」

 

 怯えた声に、上座の老人はギリリと歯軋りをして、酷く無理のある最悪の『言い訳』を口にした。

 

「……あの三人は、我々が用意した当(・)主(・)就(・)任(・)祝(・)い(・)の(・)極(・)上(・)の(・)品(・)であったということにするしかない」

「なっ……!?」

 

 その言葉に、総監部の老人たちは一斉にざわついた。

 

「さ、流石に無理があるのでは……!?」

「だが、他に言い訳のしようもないではないかッ! 『あれはあなたの術式や呪霊操術の糧とするために我々が用意した御祝儀である、あの力を使って我々にも寿命をお裾分けしてほしい』とすがりつくしかないのだ!」

「あの若造に……我々総監部の長たる者たちが、そんな見え透いた嘘で擦り寄れというのか……っ」

「やるしかない。奴が空気を読んで、つまらぬ報復よりも総(・)監(・)部(・)と(・)の(・)パ(・)イ(・)プ(・)という実利を取ってくれることを、今は祈るしか……!」

 

 かくして、総監部の老人たちは苦渋の決断を下した。

 公言していない『啜命呪法』の交渉テーブルを無理やりにでも作るには、どう頭を捻ろうと自分たちと刺客・烏丸の繋がりを明かし、さらにその上で禪院全という怪物の足元に平伏して懇願するしかなかったのである。

 長年呪術界の頂点に君臨してきた老人たちは、自尊心を粉々に砕かれながら、新たな恐怖の君主へと宛てた祝(・)辞(・)という名の降伏文書の作成に取り掛かるのだ。

 

***

 

「——おのれ、禪院全ッ!! 御三家千年の研鑽を何だと心得ておるのだ!!」

 

 同じ頃。御三家の一角、加茂家の本邸にて。

 豪奢な大広間には、現当主の怒声がビリビリと響き渡っていた。

 彼の足元には、禪院家から送りつけられた『術式の提供開始』を知らせる布告書——に添付されていた『提供可能術式リスト』が、怒りに任せて無惨にも引き裂かれ、散乱している。

 

「血統こそが術師の格、己そのもの! 術式とはその血統により紡がれるべきもの、それを対価と引き換えに売(・)り(・)買(・)い(・)す(・)る(・)だと!? 許してはおけん、これは呪術師すべての尊厳に対する重大な裏切りだ。直ちに五条家とも連携し、全一族郎党を挙げてあの若造を糾弾——」

 

 息巻く当主の言葉を遮るように。

 広間の末席に控えていた、一人の加茂家の若き術師が、ハッと息を呑む音を立てた。

 彼は退屈しのぎの手慰みに、当主の足元に散らばった布告書の残骸……その破れた『術式のメニューリスト』の切れ端の一枚を拾い上げ、目を完全に血走らせて凝視していた。

 

「な、……なんだこれは……!?」

「どうした。騒々しいぞ」

「と、当主様! これを……この禪院家のリストの記載を、よくご覧になってください……!!」

 

 若手術師は、興奮と恐れが入り混じったような震える手で、引き裂かれた紙片を当主の御前に差し出した。

 そこには、全がわざわざ布告の特玉として記載した、現在提供可能な術式の一部が書かれている。

 

・『血刃』:血液を刃状に硬化・操作する(赤血操術の下位互換)

・『造血』:失った血液を急速に補給する

 

「それがどうした! 我らの相伝のまがい物を売るなど腹立たしい、当てつけ以外の何物でもないわ!」

「違います、その下です!! ……『造(・)血(・)』!! 失った血液を急速に補う、生得術式……!!」

 

 その言葉が大広間に響いた瞬間、激昂していた加茂家の重鎮たちの間に、水を打ったような不気味な静寂が落ちた。

 加茂家相伝の『赤血操術』。それは血を操る強力で汎用性の高い術式だが、同時に「自身の血液を使用する」という、失血による貧血や死と常に隣り合わせの致命的な弱点を抱えている。

 

「もし……もし仮に、我々加茂家の人間が……赤血操術を持つ者が、この『造血』の術式を禪院家から買い取り、後(・)天(・)的(・)に(・)付(・)与(・)す(・)る(・)こ(・)と(・)が(・)で(・)き(・)た(・)と(・)し(・)た(・)ら(・)……?」

 

 若手術師のうわ言のような推論に、当主の顔色からサッと怒りの朱が引き、代わりにゾッとするような青白さが浮かび上がった。

 

「失血のリスクという最大の枷が外れ……文字通り、無(・)限(・)に赤血操術の奥義を撃ち続けられる……無敵の砲台が完成いたします……っ!」

「……ッ!!」

 

 それは、もはや伝統への冒涜どころの話ではない。

 加茂家が長年抱えてきた弱点を完全に克服し、五条家すらも出し抜く決定的な「進化」の可能性が、その破り捨てられたリストの切れ端に提示されていたのだ。

 

 怒りに任せて布告を破り捨てていた当主の手が、プルプルと痙攣するように震え始める。

 許してはおけない、あんな物に頼るなど御三家の恥だ。本来であれば、売り買いが始まる前に禪院の若造を潰さねばならない。

 ——だが、もし他の誰か……例えば木っ端呪術師などがこれを買い取れば? その前に我々が莫大な対価を払ってでもこの『造血』の術式を買い取れば、加茂家は呪術界の頂点に立てるかもしれないというのに。

 

「ッ……、あ、ああ……」

 

 もはや、禪院家を糾弾しようという高尚な怒りなど、誰も抱いていなかった。

 大義名分や誇りすらも容易くへし折る、強烈で抗いがたい「実利」という名の劇薬。

 総監部の老人たちと同様に、御三家の一角たる加茂家もまた――最悪の異端児が撒き散らした禁(・)断(・)の(・)実(・)の強烈な魅力に抗えず、どっぷりと狂わされていくのであった。

 

 

 

 一方の五条家は、加茂家や総監部ほど狼狽えてはいなかった。

 禪院家の布告は確かに呪術界の根幹を揺るがす異常事態であり、大人たちからは非難轟々の声が上がってはいたものの、どこか「対岸の火事」のようなどんぶり勘定な余裕が漂っていた。

 なぜなら、彼らには五(・)条(・)悟(・)という至宝がいるからだ。

 

 数百年ぶりに「六眼」と「無下限呪術」の抱き合わせで誕生した、奇跡の神童。

 他の御三家や家系がどれほどの術式を掻き集めようとも、どれだけ己の家系を「最適化」しようとも。五条悟という圧倒的に完成された個(・)の前では、その他有象無象の塵芥に過ぎない。

 だからこそ、五条家の大人たちは禪院家の狂行を「浅ましい成金趣味」と一蹴し、自分たちの優位性を疑うことはなかったのだ。

 

「フワァアア……」

 

 そんな呑気に構える大人たちの醜い寄り合いを、上座に座らされた五条悟は退屈そうに大欠伸をしながら眺めていた。

 いかなる宝石ですら見劣りするほどに美しく、世界のすべてを見透かすような蒼天の瞳を瞬かせ、悟はぼんやりと思考を巡らせる。

 

(禪院全、ねえ……)

 

 悟の六眼は、その情報の海から「一つの記憶」を引っ張り出していた。

 二年ほど前、御三家の集まりか何かで見かけた、禪院家の胡散臭い男。

 その時も悟の六眼は、常に無数の術式を身にまとっている全の異様さに面食らい、そして簒(・)奪(・)呪(・)法(・)なる術式の特異な性質には少しだけ興味を惹かれた。

 

 だが、あくまで「それだけ」だった。

 悟にとっての禪院全は、『ゴミ拾い好きな、ちょっと変わった術式のやつ』……その程度の認識でしかない。

 どんなに珍しい術式だろうと、塵を集めて山としたところで、五条悟という天の星に手が届くわけがないのだ。

 所詮は、地面を這う蟻たちが集めたおもちゃ箱の自慢大会にすぎない。

 

「……ま、いっか」

 

 悟は頬杖をつき、誰にも聞こえない声でポツリとこぼした。

 禪院全が集めている「ゴミの山」が、もし少しでも自分の退屈を紛らわせてくれるような面白いものになるのなら、それはそれで悪くない。

 圧倒的な強者としての絶対の自信と、ほんの少しの期(・)待(・)感(・)。

 まだ幼き最強の神童は、遠く離れた禪院の屋敷にいる怪物を思い浮かべながら、ニィッと悪戯っぽく笑った。

 

***

 

「アハハハハハハッ!! いやぁ、傑作だね。長年生きてきたけど、こんなに笑ったのは本当に久しぶりだよ」

 

 ある目的のために、永劫とも呼べる刻を呪術界の裏で暗躍し続けてきた一人の男——額に不気味な縫い目を持つ羂索(けんじゃく)は。

 薄暗い隠れ家のソファに深く腰掛け、手元の紙切れを見ながら腹を抱えて大笑いしていた。

 

 その紙切れこそが、呪術界をパニックと欲望の渦に叩き落としている禪院家からの『術式提供』の布告書である。

 

「まさか、こんなトンデモ術式を持つイレギュラーが出てくるなんてね。しかも、それを自分一人に留めず、呪術界全体の常識を根底からぶち壊すようなとんでもないことをやらかしてくれるなんて……。いやあ、長生きはしてみるもんだねぇ」

 

 ひとしきり笑い転げた後、羂索は「ふー」と息を吐いて笑いを収め、布告書をテーブルにペラリと放り投げた。

 彼の楽しげな瞳の奥には、歴史の黒幕としての底知れない冷酷な光が宿っている。

 

 羂索の持つ情報網は、総監部の奥深くまで及んでいる。

 数日前、総監部が禪院全を消すために放った最強の暗殺者・烏丸蘇芳を含む呪詛師部隊の存在も、その烏丸が全の術式によって寿(・)命(・)と(・)術(・)式(・)ご(・)と(・)逆に喰い殺されたという結末も、彼は概ね正確に把握していた。

 だからこそ分かるのだ。新当主就任の際に血相を変えて喚き散らしていた総監部の老人たちや、他ならぬ加茂家が、今回のこの異常な布告に対して不自然なほどに「沈黙」している理由が。

 

「あの老害どもは『寿命』を、加茂は『造血』を……見事に急所を突かれて、最早彼に頭が上がらないといったところだろうね。盤外から現れて、たった数日で総監部と御三家の首根っこを事実上押さえてしまうとは。恐れ入ったよ」

 

 権力者たちは、もはや絶対に全を敵に回せない。むしろ、全が用意した蜜に群がるように、何としてでも彼に取り入ろうとするだろう。

 実質、全はこの呪術界のほとんどすべてを手に入れたに等しい。

 

「まあまあ、ご丁寧に『呪霊操術』まで獲得してるそうじゃないか。彼の体を私の手中に収めてしまえばもう体を乗り換える必要もほとんどないし、なにより長年準備してきた計(・)画(・)はアガリも同然……なんだけどさぁ」

 

 そこで、羂索は顎に手を当てて、ふぅむ、とわざとらしく困ったようなため息をついた。

 

「彼にちょっかいをかけるのは、ちょっと色々と不味いよねえ」

 

 禪院全は呪術界の頂点の一つである『禪院家』の絶対的な当主であり、その周囲には天与の暴君・禪院甚爾という第二のイレギュラーが常に控えている。

 さらに今や総監部や他家までもが全のご機嫌を伺うという、呪術界全体が全を守る巨大な盾(・)になりつつある状況だ。これでは、手駒を使っておいそれと削り殺すこともできない。

 一呪術師ならば罠にはめ、精神を削り、呪詛師にでも落として成長した五条悟でもぶつければ殺せるかもしれないが……この場合はそうも行かない。

 

 だが、羂索が最も「困っている」のは、環境的な要因だけではなかった。

 

「何より……彼のあの術(・)式(・)を(・)簒(・)奪(・)す(・)る(・)という能力は、私との相性が最高に、笑えないくらいに最悪と言っていい」

 

 羂索の最大の武器は、他者の肉体を渡り歩き、その者が生前に持っていた術式を行使できるという特異な術式だ。

 それゆえに。もし禪院全と対峙し、直接その手で触れられるか、あるいはあの理不尽な領域に飲み込まれでもすれば。

 

「——その時点で、私はおそらくあっけなく術式を奪われ、文字通り死(・)ぬ(・)だろうね」

 

 生得術式を失えば、彼はただの死体に押し込まれた一臓器に貶められ、そのまま生命活動を止めてしまう。

 あの若造は、呪力出力や体術といった単純な強さも驚異的だが、それ以上に「能力の相性」という点において、羂索という黒幕をたった一撃で「ゲームオーバー」にしかねない致命的なジョーカーなのだ。

 

「ふむ……そろそろ、宿儺の器の仕込みも本格的に考えなきゃいけない時期だし。うーん、どうしたもんかねぇ」

 

 独りごちながら、羂索は隠れ家の天井を仰ぐ。

 計画を根底から狂わせかねない特異点の誕生。自分の命ですら一瞬で奪われかねない最大の脅威。

 それは、彼にとって千年の悲願を阻む、マジで困った事態であるはずなのに。

 

「……フッ、アハハッ」

 

 だが、その事態を思い乱す羂索の口元には、どうしても隠しきれない歓喜とワクワクとした笑みがこぼれていた。

 千年の退屈を打ち破る、未知なる混沌。

 これだから、人間の進化は面白い。

 

 ——こうして、各勢力の思惑と欲望、そして果てしない混沌を巻き込みながら。

 禪院家新当主・全の歩む覇道は、呪術界全土を飲み込んで、さらに加速していくのであった。




烏丸「過去の術師が封印せざるをえなかった上澄みの特級呪霊、姦姦蛇螺の力をもって禪院家新当主を弱体化させつつ、姦姦蛇螺と我等で挟み撃ちにする。鉄坊に動きを止めさせ、並大抵の特級呪霊ならば一撃で消し飛ばせる極ノ番でトドメを刺す。そこまで無謀な作戦だったとは思っておらん、ヤツがおかしいのだ。おのれ……おのれ、禪院全……ッ!!」

烏丸「……は? 作戦成功時に残る姦姦蛇螺の始末? 知らん。我等呪詛師ぞ?」

■玲瓏簒宝閣(れいろうさんほうかく)・啜命(せつめい)
領域展開時に啜命呪法を追加で付与した玲瓏簒宝閣。
できたら今後の“取引”に便利だろうなぁと試しにやってみたらできた。
術式だけでなく寿命も同時に簒奪/禅譲できる。

・術式:死神の目
読んで字のごとくだし分かるだろう、と解説も省いていたが念の為。
事故や他殺、病死などを考慮しない健康寿命を対象から読み取る術式。生き物だけでなく物体が朽ちるまでの時間も見ることができる。見る度に数値は割と変わる。
全は愛用しているが、これしかないならぶっちゃけゴミ術式。

・術式:縄抜け
束縛を解除する術式。
全はゴミ術式と言っているが実は拘束なら大体抜けられるので使えなくはない。
本来の持ち主が生得術式としてこれ一つしか持っていなかったと考えると……やっぱりゴミかもしれない。

■烏丸蘇芳(からすますおう)
江戸後期あたりの生まれの呪詛師。普通に強い。
寿命を吸い取る術式を持っており、その力で20代半ばの外見を維持している。
奪い取った寿命をコストに呪力を生成する事もでき、単純にスペックが高い。
常に千年前後の寿命をストックしており、致命傷を負ったとしてもストックを消費する事で肉体を急速に再生できる残機もち。
単純に呪力変換することもでき、ブースターや攻撃手段にも使う。
長年呪術総監部と関わりがあり、寿命という餌をぶら下げて様々な要求を通していた。寿命との交換レートは極悪。
一番の取り柄は逃げ足。

・啜命呪法
順転で命を吸い取り、反転で命を与える。
拡張術式として、寿命を呪力として変換して噴出させたり呪力弾のように打ち出したりと万能。
分け与えた寿命は『死神の目』でも健康寿命として観測できる。
極ノ番・怨命の赫星(えんめいのかくせい)は、要するに寿命版「うずまき」。

■百目鬼(どうめき)
そこそこ高度な暗示の術式持ち。三人の中で一番の若手であり、口が達者。
今回の封印解除の為に少年に暗示をかけて動かす役割をした。

・脳裏憑き(のうりづき)
対象の脳裏に強迫観念を植え付けて実行させる。
遅行性気味ではあるがその分強力である。発動条件は対象とある程度の時間会話すること。

■鉄坊(てつぼう)
身長2メートルを超える巨漢。
今回は全の動きを止めるのための要員だった。

・重極鎖縛(じゅうきょくさばく)
触れた者の身体を重くする鎖を生み出し、相手を縛ったりどついたりする。
拘束力はなかなか高く、一部に巻きつけるだけでデバフも与えられる。


日間一位とれててビビりました。
今までそこそこの数書いてきましたが初の快挙、禪院家ブーストすげえ!
総合評価も手持ち最高のやつの既に倍近く行ってます。まだ5話ぞ?
評価バーの9が見たこともない色になってる……まだ投稿5日ぞ?
感想、ここすき、評価、本当に本当にありがとうございます。
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