禪院全「全ては僕の為に」 作:羂索ハードモード
……なるほど。
——プツンッ。
本邸のモニタールームの壁にズラリと並んでいた数十の画面が、一斉に砂嵐へと変わった。
冥冥の操る烏たちの視覚共有によって映し出されていた演習区画の映像が、何の前触れもなく完全に途絶したのだ。
「……何だ?」
「映像が切れたぞ。冥冥、どうなっている」
「……妙だな、鳥たちが何も見ていない?」
夜蛾正道や楽巌寺嘉伸が怪訝な声を上げる中、上座で優雅に茶を啜っていた禪院全の動きもまた、ピタリと止まっていた。
彼の瞳の奥で、微かな——しかし明確な疑問符が浮かぶ。
モニターの映像だけではない。演習区画内に配置した『七尺様』をはじめとした全の使役下にある呪霊たち。彼らと繋がっていた視覚のリンクが文字通りブラックアウトするように遮断されたのである。
「……なるほど。これはただの通信障害じゃなさそうだね」
全が面白そうに目を細めたのと同時に、五条悟もまたサングラスの奥の六眼を鋭く光らせ窓の外の空を見上げた。
「……帳だ。それも、とびっきりタチの悪そうなやつが降りてる」
異常事態を察知した大人たちは、即座に演習区画を覆う森の境界へと急行する。
彼らを待ち受けていたのは、生徒たちが戦う森をすっぽりとドーム状に包み込む黒の帳であった。
「なんで……なんで二人が弾かれて、私が入れんのよ」
結界の前に立ち往生する引率の大人たちの中で、庵歌姫が信じられないものを見るような顔で、その漆黒の膜にズブズブと自らの右手を突っ込みながら冷や汗を垂らしていた。
彼女の腕は、水面に手を入れるように何ら抵抗なく結界の内側へと入っていく。夜蛾や楽巌寺、冥冥も同様だ。
しかし、彼女たちのすぐ後ろでは——。
「……………これは」
悟が見えない壁に力任せに掌を押し当て、反発によりバチバチと呪力の火花を散らしていた。そして彼から少し離れた位置では、全もまた自身の手のひらを無表情のままジッと見つめていたのだ。
「なるほどね」
悟は弾き返された手をパンパンと払い、ニヤリと口角を吊り上げた。
「おおかた、これは俺達——五条悟と禪院全の侵入を拒む代わりにその他すべての者が出入り可能な帳って所だろうね。……特定の個人二人をピンポイントで弾くことに特化させてその分強度を極限まで引き上げる。恐ろしく緻密な設計だ」
「……はぁ!?」
歌姫が素っ頓狂な声を上げる。
特定の個人を弾く条件付きの帳など聞いたことがない。しかも、呪術界において名実ともに「特異点」として君臨するこの二人のバケモノを同時にシャットアウトするとなれば、どれほどの縛りと呪力出力が必要になるのか見当もつかない。
「いやあ、呪いの王サマと同列に扱われるとは光栄だねぇ」
悟は全く危機感のない様子で、全の方を見やりながら皮肉げな笑みを浮かべた。
生徒たちが未知の敵と隔絶された空間に閉じ込められているというのに、彼の顔にあるのは「してやられた」という面白さだけだ。
「……そうだね、とんでもなく高度な結界術だ」
全は手から視線を外し、黒い帳を見上げながら底冷えのするような薄く暗い笑みを返した。
「まあ、弾くっていうなら破りゃいいでしょ」
悟は首の骨をポキリと鳴らし、いかにも面倒くさそうに、だが凶暴な闘志を滲ませて全へと言い放った。
「全えもーん、魔虚羅出してよー。あれならこの条件付きの結界でも適応すりゃ粉砕できるだろ?」
悟の言葉は的を射ていた。
どんな強固に作られていようとも、あらゆる事象に適応する魔虚羅に剣を振るわせればたちまち解体されるはずだ。
「……ふむ」
全が右拳を左腕の内側へ押し当て、少しだけ思案するように目を伏せた——まさに、その時だった。
ピリリリリッ! ピリリリリッ!
全が懐に忍ばせていた最新のハイエンド機種スマートフォンが、けたたましい電子音を鳴らし始めた。
このタイミングでの着信に、彼は一切の躊躇いなく端末を取り出し、通話ボタンを押して耳に当てた。
「——はい、もしもし?」
〘……全か! 今すぐ本家へ帰ってこい、
電話口から飛び出してきたのは、普段の飄々とした態度を完全にかなぐり捨てた、禪院直毘人のひどく焦燥しきった怒声だった。
その只事ではない声色に、近くにいた悟や歌姫たちも何事かと視線を向ける。
〘
「…………」
全はその報告を聞いても顔色一つ変えない。
ただ目の前にそびえ立つ漆黒の帳と高専の建物を順番にゆっくりと視線を滑らせて見やり。
「……なるほど。
その深淵のように黒い瞳は怒りも焦りもなく、ただ盤面の動きを俯瞰するような底知れぬ平静さだけを湛えていた。
「……悪いけど、禪院家当主として最優先でやらなければならない事ができたらしい」
通話を切った全は、振り返ってあっさりとそう告げた。
その言葉の意味するところを理解した瞬間、歌姫は相手が呪術界の最高権力者であるという畏れすらも完全に忘れ、血相を変えて声を張り上げた。
「はあ!? 帰るって……この中にはその禪院家の子供だって何人もいるんですよ!!」
東京校の真希と恵、そして真依。禪院の血を引く若き才能たちが、正体不明の何者かによりこの閉鎖空間に閉じ込められているのだ。
当主自らが彼らを見捨てて帰還するなど、本来であればあり得ない。
「そうだね」
全は歌姫の怒声を受け流し、薄く穏やかな笑みを浮かべた。
「だけど、だからこそでもある」
「……どういう意味ですか」
夜蛾が低い声で問い質す。全は漆黒の帳の向こう側を、まるで愛おしい我が子を見守るかのように目を細めて見つめた。
「うちの子たちの中でも、特に真希は優秀だ。そしていずれ婿入りしてくる乙骨くんはそれ以上にね」
サラリと憂太を身内扱いする全に夜蛾の眉間がピクリと引き攣ったが、全の言葉は止まらない。
「可能であればこの二人にこそ、この受難を乗り越えて欲しいと僕は思っているよ」
その言葉を聞いて楽巌寺は信じられないものを見るような、それでいてどこか得心がいったような、なんとも言えない複雑な表情を浮かべた。
「……正気か。貴方らしくも……いや、貴方らしいのか、むしろ」
夜蛾も「ううむ」と唸り、深く腕を組んだ。
禪院全という男は、身に纏う雰囲気に反して手駒を大切にする。
その損耗を嫌い、たとえ他家の人間であれ術式の取引やその他の事柄で手ずから力を貸してきた。……だがその反面、彼が手駒に求める基準は厳しくもあり、常に高いパフォーマンスを要求することでも知られている。
彼は誰にでも嘱望する。あらゆる可能性を期待している。
そして、その可能性を
(物語に登場する賢者か何かか……?)
夜蛾は内心で毒づいた。神の視点から勇者に試練を与え、傍観を決め込む傲慢な上位者。それが全という男の、もう一つの本質であった。
「…………」
悟は丸いサングラスの奥でその蒼い瞳——六眼を光らせ、彼の真意を確かめるように、底知れぬ深淵を真っ直ぐに覗き込んだ。
数秒の沈黙の後、やがて彼は「ふぅ」と息を吐き、呆れたように肩をすくめて両手をお手上げの形に広げた。
「ま、たしかに憂太や真希に期待したい気持ちはあるね。……その感じだと、俺にも手出ししてほしくない感じかな?」
悟の問いかけに、全は少しだけ思案するように顎に手を当てた後、やがてニッコリと微笑んだ。
「君が手を差し伸べたいというのであれば、僕もそれを止めるつもりはないさ」
悟は全の顔をまじまじと見つめ、やがて視線を再び自分たちの侵入を拒む漆黒の結界へと注いだ。
中にいる生徒たちの実力を誰よりも信じているのは悟自身だ。
ここで自分が助けに入れば、彼らの成長の機会を奪うことになるかもしれない。
「……そっか」
悟はポケットに手を突っ込み、ニヤリと不敵に笑った。
「じゃ、俺も危なくなるまでは見てようかな」
その決定に歌姫は「信じられない」とばかりに目をひん剥き、怒りの頂点に達した。
「アンタまで何を……! もう知らない、私達だけでも行くから!」
歌姫はそう叫ぶなり二人の特級呪術師に背を向けて漆黒の帳の中へと迷いなく飛び込んでいき、夜蛾も生徒たちを救うべくそれに続く。冥冥は「戦闘について別途請求するよ」と言いつつ続いた。
残された楽巌寺は全の顔をしばし無言で見つめ、何かを測るように目を細めた後、重い足取りで帳の中へと消えていった。
大人たちが結界の奥へと姿を消し、静寂が戻った森の境界。
「……じゃあ、あとは頼んだよ」
全は悟に向けて短くそう言い残すと、広げた掌を交差させて作り出した影絵に呪力を注ぎ込んだ。
肥大化した影の中から、けたたましい鳴き声とともに巨大な怪鳥——十種影法術の式神『鵺』がその姿を現す。
全が軽やかに鵺の背に飛び乗ると、その姿がまるで水面に溶けるようにしてスッと透明になり完全に背景と同化した。
縛りにて強化した
……ヒュゥゥゥッ。
風だけが吹き抜け、新しき呪いの王は京都の方角——忌庫が荒らされたという禪院本家へと向けて音もなく飛び去っていった。
「…………」
一人残された悟は彼が飛び去ったであろう西の空を静かに見上げると、おもむろにサングラスを外して美しくも冷徹な六眼を秋の空に晒す。
「……ま、念の為に帳くらいは壊しとくかね」
悟の口から深く、どこか鬱屈したようなため息が漏れた。
***
「さあ、キミたちはこれにどう抗う?」
深い森の中で木漏れ日を背にして立つその男は、口元に傲慢な笑みを浮かべたまま悠然と両腕を広げた。
禪院家十二代目当主の姿をしたそれは、背後に立つ圧倒的な死の気配を感じながら眼前の二人の学生に向けて趣味の悪いエールを送る。
「なんだかんだ、近年は立て続けに倒されているからね。……君たちも、後に続くといい」
五条悟と禪院全。呪術界の歴史を根底から書き換えた二つの例外をさも当然の前例かのように引き合いに出し、禪院直嗣の降霊体は足元からドロドロと崩れ落ち、茶色い泥の染みとなって跡形もなく消滅した。
術者の消失。それは本来であれば戦闘の終了を意味するはずだが、今この状況においては真なる地獄の始まりでしかなかった。
「…………ッ」
禪院恵は額から滝のような冷や汗を流しながら、眼前に顕現した白く巨大な異形を見上げていた。
分身術式と降霊術を組み合わせ、術者がノーリスクで『八握剣異戒神将魔虚羅』を解き放つというあらゆる盤面をひっくり返す極悪非道な自爆テロ。
(話に聞いたときはインチキ過ぎるだろと思っていたが……)
恵はギリッと奥歯を噛み締めた。
(実際に食らうと、クソゲーにも程があるぞ……ッ!)
その式神は御三家相伝の奥義であるから、という理由以上に呪術界において今や知らぬ者はいない式神だ。
十二年前の星漿体事件での顕現、そしてその後の禪院全による大観衆の目前での『公開調伏』。そして禪院家が発した、この究極のテロリズムへの警戒令。
その
——それを実行できるかどうかは、全く別の話であるが。
ズォォォォンッ……!!
顕現を果たした魔虚羅が、再び天を衝くような咆哮を上げる。
呼ぶだけ呼んで姿をくらました召喚者への怒り……かは不明だが、肩を怒らせて歩いてくるそれを前に、恵と隣に並び立つ加茂憲紀は冷や汗にまみれた顔で互いにサッとアイコンタクトを交わした。
——あれ、倒せる?
——無理無理! 絶対無理!!
京都と東京の若きエリート二人の意見は、ものの〇・一秒で完全な一致を見た。
あの八尺様が小柄に見えるほど巨大なバケモノを、適応される前に一撃で消し飛ばすような超火力など二人の手札のどこを探しても存在しない。
挑むのは勇敢ではなく、ただの無謀な自殺である。
故に——二人の優秀な術師は、一切の躊躇なく全力の逃走を選んだ!!
「——飛び込めッ!!!」
すでに直嗣への攻撃の為にそれが顕現していたそれに、恵は裂帛の叫びとともに飛び込む。それと同時に憲紀は迷うことなく影の沼へとダイブし、身体を完全に沈み込ませた。
二人の身体を飲み込んだ平面の怪物、操影呪法による式神『影鰐』は、物理的な障害物である倒木や岩をすべてすり抜け、まるで海面を泳ぐサメのように、森の地面をスイスイと滑るようにして猛スピードで逃走を開始する。
「ハァッ……ハァッ……!」
影の海の中、恵は恐怖に息を切らしながら必死に呪力を注ぎ込み影鰐の速度を限界まで引き上げていた。
(どうする……! どうすればアレから逃げ切れる!?)
恵の脳裏に、先ほど目撃した巨大な樹木が津波のように押し寄せてくる規格外の特級呪霊の存在がよぎった。
(あの植物の特級呪霊のところまで誘導して、魔虚羅をぶつけるか!? ……いや、ダメだ!!)
バケモンにはバケモンをぶつけんだよ、というのはロマンとしては最高だが、基本的に上手くいかない。
もし上手くぶつけられたとしても、魔虚羅が
それ以前に、あの速度で追ってくる魔虚羅のタゲを負ったままそこまで誘導しきれるわけがない。
「禪院! 乙骨はどのエリアが配置だ!?」
隣で影面を見上げる憲紀が、必死の形相で声を張り上げた。
帳が外と中を完全に遮断しているとすれば、この演習場の中でふざけたクソゲーをどうにかできる火力を持ち合わせているのは特級である乙骨憂太くらいしかいない。
「あの人は遊撃役なので、どこにいるか分かりません!!」
「………ッ!!!」
恵が怒鳴り返す。顔に絶望の二文字を浮かべる憲紀。
全速力で森を逃げ回る影鰐。しかし、その背後から、彼らを絶望に突き落とす不吉な音が響いてきた。
——ガコンッ。
「……っ!?」
方陣が回転する、重く禍々しい金属音。
それに呼応するように、背後から迫り来る地響きのスピードが明らかに一段階跳ね上がったのだ。
先ほどまで魔虚羅はその巨体ゆえに鬱蒼と茂る木々に阻まれ、それを強引になぎ倒しながら進んでいたため追跡速度がある程度落ちていた。
だが今、背後を振り返った恵の視界に映ったのは。
木々の隙間をその巨体を信じられないほど滑らかに捻らせ、まるで蛇のようにぬるぬると障害物を避けながら異常な速度で肉薄してくる魔虚羅の姿だった。
「嘘だろオマエ!!」
恵の口から、たまらず悲痛な抗議の声が漏れた。
物理的な障害物による減速という事象にすら適応し、動きの最適化を果たしたというのか。
調伏の儀に居合わせた者は強制的に儀式の参加者として認定され、戦意がなかろうと背中を向けていようとこの死神からの慈悲など微塵も期待できない。
(くそっ、このままじゃ追いつかれる……!!)
迫り来る巨大な影と退魔の剣の切っ先を前に恵と憲紀は絶望の森を必死で泳ぎ続けるしかなく、さらに二人にはもう一つ致命的とも言える
この広大な演習区画においては想定外の事態――呪詛師の手で顕現した「魔虚羅」と、外部からの特級呪霊という二つが同時多発的に起きていたわけだが……問題は、後者の放った一撃があまりにも、圧倒的に
遠く離れたエリアにいる恵たちですら、森の木々が津波のように押し寄せるその異常な呪力反応を察知できたほどである。
ならば、索敵のために散っていた両校の優秀な有精卵たちの大半がその巨大な目印に気づかないわけがない。
……結果として、彼らを追跡している魔虚羅の存在は誰にも察知されることなく完全な死角へと追いやられてしまっていたのである。
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森の遥か彼方で巻き起こった、まるで巨大な津波のように押し寄せる大樹の隆起。
そして、それらをすっぽりと覆い隠すように、空を黒く塗りつぶしながら降りてきた異常なスケールの
血気盛んな高専生たちといえども、どう見てもイレギュラーなその二つの事象を目の当たりにしながら殺し合い一歩手前の模擬戦を続けるほど愚かではなかった。
「……タイム、タイム! 一時休戦よ」
上空から星型の呪力弾を雨あられと降らせていた西宮桃は、箒の上で目を見張り、眼下の広がる異常な光景と肌を刺すような桁外れの呪力プレッシャーに顔を強張らせる。
桃は片手を上げつつ地上に降りていき、頭上を覆い尽くしている真っ黒な空——漆黒の帳を指差した。
「賛成。……どう見ても、そんな場合じゃなさそうだよね」
地上で『凝声呪法』のオノマトペ弾を乱れ撃っていた狗巻棘もまた、口元に浮かべていた呪力の吹き出しをフッと消し去り、小さく息を吐いた。
「おいおい……なんだよ、あのデカい木のお化けみたいなの」
巨大なパンダが毛皮のあちこちを焦がし、一部の綿をはみ出させながらもっさりと歩いてくる。
その後ろには肩で息をする釘崎野薔薇と、どこか気まずそうに目を泳がせているスーツ姿の三輪霞が並んで歩いていた。彼女らもまた異常事態を察知して争いをやめ、この少し開けた場所へと合流してきたのだ。
「どういうこと? あれ、どう見ても特級レベルの呪力よね?」
桃が合流したメンバーを見渡し、怪訝な顔で首を傾げた。
「真依ちゃんが話してた、団体戦用に用意された特級呪霊とは明らかにタイプが違うんだけど」
「……うん。真希が推測した『七尺様』には、あんな広範囲に樹木を操るような力は無いからね」
棘は額に滲んだ汗を手の甲で拭いながらも険しい顔で同意する。
「なにより、あんな広範囲に無差別な破壊をもたらすような強大な呪霊を嗾けてくるなんてあの当主さんでもしないと思う」
配置した特級呪霊には宣言通り『殺さないように』というコントロールを完璧に効かせているはずだ。
巻き込まれた生徒を殺しかねないような無軌道な広範囲攻撃を許すようなミスを、かの呪いの王がやるわけがないと。
「それに、この『帳』よ」
野薔薇が忌々しげに上空の漆黒の結界を睨みつけた。
「この演習場をまるごと覆うなんて、尋常じゃないでしょ。乙骨先輩や五条先生、あとはあの禪院家当主なら多分出来るでしょうけど……やる理由がどこにもないわ」
「えっ、じゃあこれって……もしかして……?」
野薔薇の言葉に、三輪は青ざめた顔でブルブルと震えながら半ばから無惨にへし折られた刀の柄を未練がましく握りしめた。
「十中八九、外部の呪詛師が侵入したんだろうな」
そう言うのは、顎の毛をもふもふといじるパンダだった。
「こないだ五条が言ってたろ。未確認の特級呪霊と、それを手引きしてるらしい呪詛師が裏で組んで何か企んでるって話。……それと関係あるかもしれん」
「つまり、本物のテロってわけね」
先日悟が見せてきたヘッタクソな呪霊の似顔絵を思い出し、野薔薇が顔をしかめつつ腰のポーチに手をやった。
「向こうの方で誰かがその呪霊と戦ってる様子だし、急いで応援に向かわなきゃ。あと、先生たちにも早く連絡を——」
「もう試したけど、駄目よ」
桃が苛立たしげにスマートフォンのカバーをパタンと閉じて遮った。
「完全に圏外、帳に電波遮断の効果も付与されてるみたい。……まあ、こんなデカい帳が張られれば外の先生たちもすぐ気付いて駆けつけてくれるとは思うけど」
「でも、ただ待ってるわけにもいかないよね。被害が広がるかもしれないし」
棘が状況を整理するように手を叩いた。
「援軍に向かう組と先生たちに現状報告へ向かう組、二手に分けよう。もし結界が出入りを阻むような性質を持ってた場合、外の先生たちがすぐに入ってこられない可能性もあるしね」
「なるほどな。じゃあ、俺と野薔薇、あと三輪は報告組として撤退だな」
パンダが即座に提案すると、血の気の多い野薔薇が即座に眉を吊り上げて反発した。
「はぁ!? 私はまだやれるわよ! なんで撤退組に——」
「いいから自分の体見てみろ、野薔薇。出血がそこそこ多いぞ」
パンダに指摘され、野薔薇は言葉に詰まった。
彼女の制服はあちこちが破れ、特に剥き出しの肩からはツーッと血が流れ落ちている。三輪の放った飛ぶ斬撃は致命的な位置こそ外されていたが、手足には少なからず傷を負わせていた。
「っ……ま、かすり傷だけどね!」
「変に強がるな、特級相手じゃ命取りになる。俺もさっきの戦いで核にダメージを貰っちまってるしな。それに三輪も、だろ?」
破れた毛皮を押さえて顔をしかめるパンダの冷静な指摘に、三輪は「うっ……」と言葉に詰まり、無残に折れた刀の柄を悲しげに見つめた。
シン・陰流の抜刀術も術式による飛ぶ斬撃も、どちらも刀ありきで真価を発揮する技だ。今の彼女はほぼ戦力外と言っても過言ではなかった。
「お互い、本気すぎる模擬戦の煽りが出まくってるってわけだ。この状態で特級に突っ込むのはただの自殺志願者だぞ」
パンダの冷静な言葉に、野薔薇も舌打ちしながら渋々納得せざるを得なかった。
「それに……俺も、メカ丸を完全にブッ壊しちまったからな……」
パンダは少しだけ申し訳なさそうに、頭を掻いた。
戦いの中で操作を放棄するという侮辱にブチ切れた彼は、オートモードとなった究極メカ丸を完全にスクラップにして活動停止に追い込んでいる。
「あいつの本体は傀儡操術の使い手だろ? 呪骸ナシじゃ、いくらなんでもパワーダウンが激しすぎる。怒りに任せてちょっとやりすぎちまったかもな……」
「あっ、与くんなら大丈夫だと思います!」
刀の柄を抱きしめて落ち込んでいた三輪が、パンダの言葉にハッとして顔を上げた。
「与くんは術式で圧縮したメカ丸を複数持ち歩いてますから。他にもストックはあるはずです」
「へぇそうなのか、ならよかっ……」
「まあ、さっきパンダくんが壊したのが一番強い
三輪が視線を逸らして気まずそうに付け加えると、パンダは「やっぱりやりすぎたわスマン……」とさらに肩を落とした。
「……ちっ、分かったわよ。足引っ張るくらいなら大人しく伝令役をこなすわ。援軍は任せたわよ、先輩たち」
野薔薇が金槌をポーチに収め、ため息交じりに言った。
「じゃあ現場には機動力のある私と、それから遠距離から撃てる狗巻くんで向かうわね。……乗って」
桃が箒を低く浮かせ、棘に向けて合図を送る。
彼は頷くとさっと桃の後ろにまたがり、二人を乗せた箒は少しだけ重そうに宙へ浮かび上がった。
「パンダに野薔薇、それに三輪さんも。先生たちとの合流、頼んだよ!」
棘が声をかけると、パンダがもふもふの腕を挙げて応えた。
「おう。そっちもな」
その言葉を合図に桃の箒は一気に加速し、特級呪霊の呪力が渦巻く森の最深部へと矢のように飛んでいく。
「……よし、俺たちは交流会運営がある方角へ向かうぞ。外から帳を破ってくる先生たちとの合流を目指す」
パンダの号令を皮切りに、野薔薇と三輪がそれに続いた。
***
ドォォォォンッ!!
太い樹木の根が地割れを起こして隆起し、白き異形の巨体を絡め取らんとうねりを上げる。巨大な規模の木々の津波は、早々の決着をもたらさなかった。
演習区画の東部。自然への畏怖から生まれた特級呪霊・花御は、眼前に立つ白い女の呪霊を静かに見据えていた。
禪院全によって放たれた、この団体戦における討伐目標『七尺様』。
彼女もまた特級に座するほどの呪力量を誇る強力な呪霊である。花御の顔には操られた同胞に対する憐憫ではなく、確かな戦意があった。
『今のを躱しますか。いいでしょう、貴女を立ちはだかる敵として葬ってさしあげます』
それは自らの意思で人間の手駒に成り下がった強き同胞に対する、花御なりの最大限の敬意と慈悲であった。
その意志に呼応して森の木々が更に爆発的に成長し、凄まじい大樹のうねりとなり目の前の敵へと襲いかかる。
「ぽぽ、ぽぽぽぽぉっ!」
そのうねりの中心で、七尺様は迫り来る巨大な木の根の連撃を必死に回避する。
彼女の靭やかな腕から放たれる拳は、迫りくる根を砕きはしても、敵へ痛痒を与えられはしない。
さらに花御が足を踏み鳴らすと彼女の足元から太く強靭な根が爆発的に隆起し、長くしなやかな四肢をまるで大蛇のように幾重にも巻き付いて太く強固に拘束した。
「ぽ、ぽぽ……ッ!」
『終わりです』
ミシミシと巨体を締め上げる樹木の圧力。このまま握り潰され、祓われるかと思われた——その瞬間。
——ポンッ!!
拘束されていた七尺様の巨体が、まるで風船が弾けるような軽快な音とともに七つの小さな影へと分裂したのだ。
身長30cmほどの可愛らしい一尺様が七匹。
「ピャーッ!!」
「ぽっぽぽぽーっ!!」
突如として小動物サイズに分割されたことで樹木の拘束は空を切り、スルリと抜け出した一尺様たちはクモの子を散らすように逃げ出した。
『…………!? 逃しません!』
予想外の分裂と逃亡に花御は一瞬動きを止めたが、即座に木の根を鞭のように振るって追撃を放った。
バガンッ! グシャッ!
逃げ遅れた五匹の一尺様が殺到した巨大な根に叩き潰され、紫色の煙となって消滅する。だが、残る二匹は驚異的なすばしっこさで木々の隙間や草むらへと潜り込み、あっという間に視界から姿を消してしまった。
花御が逃げた分体を追うべく、さらに森の木々に呪力を通そうとした——まさに、その時だった。
——ふわり、ふわり。
花御の周囲の空間に、木々の隙間から七色に光を反射する無数の
『……これは?』
花御が怪訝そうにそのシャボン玉を見上げた瞬間。
——パァンッ!!
宙を漂っていた内の二つが、軽快な破裂音とともに人の形へと変貌した。
『なっ……!?』
「いけるな! マイベストフレンド!!」
「おうッ!!」
雄叫びと共に現れたのは、暑苦しい筋肉を晒す巨漢——東堂葵と、その隣に並び立つ虎杖悠仁であった。
東堂の生得術式『
「見せてみろ、親友! 全身全霊を!」
花御が迎撃の構えを取る間すら与えない神速の接敵。
「登って来い、この高みへッッ!」
東堂の暑苦しくも魂を震わせる咆哮が、森の空気をビリビリと震わせる。
「キメてみせろ、黒閃をッッッ!!!」
「——らぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
東堂のエールに呼応し、悠仁の全身の細胞が沸騰するような熱を帯びた。
彼の拳にこれまでとは比較にならないほど高密度に圧縮された青黒い呪力が激しく迸る。
東堂の熱すぎる鼓舞。
悠仁の瞳が、獣のように鋭く花御の顔面を捉えんとする。
花御は即座に防御の構えを取り、分厚い樹木の盾を正面に展開しようとした。
——パァンッ!
だが、東堂が空中で再び柏手を打った瞬間、悠仁の姿が花御の正面から消え去り、背後に漂っていた別のシャボン玉——完全に無防備な花御の死角へと入れ替わった。
視界から消えた敵に花御が反応する暇など、コンマ一秒すらも与えられない。
(呪力の波、感情の高ぶり……全部、拳の先端に! 今、ここで合わせるッ!!)
映画鑑賞という名の過酷な修行で培った、無意識下での呪力操作。
真希との地獄の組手で叩き込まれた、一切の無駄を省いた完璧なフォーム。
そして今、東堂から示された呪力への捉え方。
それらがすべて、今この瞬間に一つの極致へと収束していく
——ドゴォォォォンッ!!!!
『ぐっ……!?』
悠仁の拳が花御の強固な表皮を穿ち、背中へと深々と突き刺さる。
空間が歪み、花御の巨体が前方にくの字に折れ曲がって大きく吹き飛んだ。
——
だがその一撃は、これまで悠仁が抱えていた
圧倒的な身体能力と、そこに大きな遅れもなく乗せられた濃密な呪力の重さ。
それが極めて硬い肉体すらも確実に抉り、そのダメージを骨の髄まで徹したのだ。
「——っし!!」
着地した悠仁は、今までと明らかに質が違う確かな手応えに会心の声を上げる。
それを見た東堂が自分のことのように歓喜し、惜しみない喝采を送る。
過ごした時間はそう長くない。だが、彼らの間にはすでに、長年背中を預け合ってきた相棒のような完璧な阿吽の呼吸が完成していた。
「惜しいッ! だがここからだ、ブラザー!」
東堂は筋肉を隆起させ、興奮に満ちた笑顔で彼にビシッと指を突きつけた。
「オマエが黒閃を決めるまで、俺は一切手を出さんし、誰にも邪魔はさせん! 存分にやれッ!!」
それは実戦の最中という極限状態において行われる、狂気のスパルタ指導。
特級呪霊を相手に、親友を更なる高みへと引き上げるための絶対の信頼と傲慢さ。
悠仁もまたその期待に真っ向から応えるべく、不敵な笑みを浮かべた。
「おうっ!! 見ててくれよ、東堂!!」
花御が立ち上がり、怒りと共に森の呪力を高め始める中。
虎杖悠仁の呪術師としての真の覚醒を賭けた死闘が、東堂葵という最高のブースターを得て今まさに火蓋を切った。
禪院全、撤退!!
羂索「欲しいものもあるし、まかり間違って入ってこられても困るからね!!!」
・荒らされる禪院家忌庫
流石にこうなってしまっては禪院家当主としてこちらの対象が最優先。
持って行かれちゃ困るやつがいくらか持って行かれた。アレとかソレとか。
あと原作だとこんな所には無いはずのアレとか。
・
実は呪術界には「魔虚羅対応マニュアル」があり、それに則った行動。
マニュアルはあるけど、あったからって対処できるかと言われたらまあ……。
花御の開幕ブッパが派手すぎて大体の視線はそちらへ釘付け。
・花御vs七尺様
自然呪霊が上澄み側なのと、七尺様が程々の格かつ不完全かつ火力が無いタイプなのでその差は歴然。
あっという間に花御の勝利……とみせかけて情報もって一尺様が撤退。
そして入れ替わるように東堂&虎杖参戦。
この章も後半戦になって来ました。
ここからは「vs花御」と「vs魔虚羅」が同時進行していきます。
キーパーソンは乙骨憂太! そんな彼は貞操の危機!!
というわけで、残り四話もよろしくお願いします!