禪院全「全ては僕の為に」   作:羂索ハードモード

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彼らじゃないよ。でも、もしかしたら

   ……少しは、時間ができたかもね



51.姉妹校交流会-諦めは選ばない

 

「あっ、アナタたち無事だったのね!」

 

 漆黒の帳が降りた薄暗い森の中を急ぎ足で進んでいた庵歌姫は、前方から茂みをかき分けて走ってきた三人の生徒の姿を認めパッと顔を輝かせた。

 京都校の一年生――枷場菜々子美々子、そして新田新の三人である。特に新田は涙目でゼェゼェと息を切らしていたが、五体満足であることに変わりはない。

 

「歌姫センセ! それに楽巌寺学長と、夜蛾学長まで!」

 

 菜々子がスマートフォンを片手に大きく手を振りながら駆け寄ってくる。その後ろから美々子がぬいぐるみを抱きしめながら小走りで続き、新田は「た、助かった……」と安堵のあまりその場にへたり込んだ。

 

「よく無事で合流してくれた。……一体何が起きている? 可能な限り詳細に状況を報告しなさい」

 

 夜蛾正道が厳しい顔つきで問いただす。通信が遮断され、モニターの映像も途絶えた今、現場にいた彼らの証言だけが頼りだった。

 

「それが、私らもよく分かんないんですけど……」

 

 菜々子が息を整えながら、東の森の方角を親指で指し示した。

 

「演習場の東の奥で急にとんでもない呪力の爆発があったと思ったら、木が津波みたいにグワァーッて飛び出して。……あんなのどう見ても私らの手に負えるレベルじゃないって、ひとまず避難を開始しました」

「あの感じ、絶対特級呪霊ですよ……! それに、禪院先輩が言ってた七尺様とも全然性質が違います」

 

「外部の特級呪霊……! ならば、避難したのは賢明な判断じゃ」

 

 新田の補足に楽巌寺嘉信は深く頷いた。

 東の方角といえば、今回のレイドボスとして禪院全が放流した特級仮想怨霊『七尺様』の配置ポイントである。

 

「……なるほど、特級呪霊同士で争っているのか」

 

 夜蛾が眉間に深いシワを寄せて推測する。

 しかし、楽巌寺は忌々しげに目を細めて、森を震わせる異様な地響きの音へ意識を向けた。

 

「……いや。遠くからでも観測できる程の圧倒的な規模であれば、七尺様では手も足も出まい。おそらく一方的な蹂躙だろうな」

 

 特級仮想怨霊である七尺様も決して弱いわけではないが、森全体を飲み込みかねない異常な呪力出力と環境操作の規模を考えれば、格が違うのは明らかだった。

 大人たちが一様に顔を険しくし、最悪の事態に対処すべく思考を巡らせていた、その時。

 

「あっ、そうだ! 歌姫センセ、モニター見てました!?」

 

 緊迫した空気を全く読まない菜々子が急に思い出したように明るい声を上げ、バシッと綺麗なピースサインを決めてみせた。

 

「私、あの特級呪術師の乙骨憂太を倒したんですよ!」

 

 こんな状況ではあるが、せっかく大戦果を引っ提げてきたのだ。大好きな先生に褒めてもらいたくもなるというモノであった。

 そんな言葉に新田は「えっ? 倒したって言うか、あれは……」と引き攣った顔で呟き、美々子は淡々と拍手をする。

 

 菜々子の言う通り、彼女の機転と術式『被写体操作』による微弱な精神作用が特級過呪怨霊・祈本里香の「憂太とイチャイチャしたい」という欲望と見事なまでに合致して大暴走を引き起こさせ、結果として憂太は偽装ダイナマイトボディの下敷きとなり、実質的に行動不能へと陥った。

 

 一年生の、しかも戦闘向きとは言えない三級術師による特級術師の無力化。言葉にすれば、大番狂わせにもほどがあった。

 こんな事態でなければ、京都校の引率としてハグで出迎えて手放しで褒め称えるべき大金星である。

 

「あ、ああ……うん。見てたわよ。まさかあんな風に、特級呪術師を無力化するなんてね……」

 

 先ほどモニタールームであのハレンチで生々しい光景を見せつけられた歌姫は、少し頬を赤く染めながらも菜々子を褒めた。

 

「よくやったわ、菜々子。本当に大金星……って」

 

 歌姫の言葉が、途中でピタリと止まった。

 

「——待って?

 

 歌姫の顔から、急速に血の気が引いていく。

 その()()()は、伝染するように夜蛾と楽巌寺の顔を険しくさせ、さらには菜々子、美々子、新田の顔色をもスッと青ざめさせていった。

 

 ——外部から侵入した、特級呪霊。

 ——この森を覆う、特定の特級術師の侵入を拒む帳。

 

 今この森の中でその特級呪霊を確実に祓う為には天与の暴君たる禪院真希、あるいは特級術師である乙骨憂太の力が必要になるだろう。

 

 ……そう、その()()()()が、その奇跡的な勝利によって今まさに濃厚な愛情表現の真っ只中にあるのだ。

 

「…………これ」

 

 歌姫が震える声でその絶望的な事実を言語化した。

 

「祈本里香が乙骨を手籠めにする大義名分を得て暴走してるなら……直接乙骨に危害でも及ばない限り、何者にも絶対に邪魔はさせないわよね……?」

 

 あの二人は名目上、憂太が主で里香が式神という扱いではある。

 しかしその呪力供給や術式の起動などの主導権は里香にあるという、極めて特殊な主従なのだ。

 

 ——つまり、東京校最大にしてこの場における最高の戦力である乙骨憂太及び祈本里香は、この未曾有の危機的状況において盤面から除外されてしまっていることになる。

 

「——もっと悪い知らせがあるよ」

 

 そんな最悪のパズルが見事に組み合わさってしまった事実に大人たちが頭を抱えていた中、彼らと同行していた冥冥がいつも浮かべている余裕ある笑みを完全に凍りつかせて口を開いた。

 

 帳に入った彼女は己の生得術式たる『黒鳥操術』によって森の各所に放っている烏たちと視覚を共有し直して現状を探っていたのだ。

 

「烏の視覚に、信じられないものが映った。……()()()()()()

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 森の空気が、氷点下まで凍りついた。

 

「加茂君と禪院恵君を追跡している最中だ。……速度からして追いつかれるのも時間の問題だろうね」

 

 その言葉に夜蛾も、楽巌寺も、歌姫も。

 そして魔虚羅について授業で教わっている一年生たちも含め、息の仕方を忘れたように凍りついた。

 

「ほ、本当か……冥」

 

 夜蛾は急速に乾いていく口内から、ひどく掠れた声をどうにか絞り出した。

 

 ——八握剣(やつかのつるぎ)異戒神将(いかいしんしょう)魔虚羅(まこら)

 

 かつて禪院家が執り行った公開調伏において多くの術師の目の前でその暴威を見せつけた、最強の式神。

 星漿体護衛任務にて、あの五条悟ですら一度は殺しかけたという最悪の怪物。

 

 それがなぜ、全のいないこの閉鎖空間に顕現しているのか。

 

「こんな嘘、つきやしないさ。……願望混じりで聞くけど」

 

 冥冥は片手で己の銀髪をかき上げながら、重々しい声で夜蛾と楽巌寺へと問い返した。

 

「あれ、祈本里香の使役個体とかだったりしないかい?」

 

 その問いには、呪術界の一部で共有されている一つの事実が背景にある。『模倣』の術式を持つ里香は、禪院全から『十種影法術』を模倣して保持しているのだ。

 憂太との蜜月を邪魔されないための番犬として放たれた可能性に彼女は縋った。……だが。

 

「……いや、あり得ん」

 

 楽巌寺が顔に深い皺を刻み、力なく首を振った。

 

「確かに祈本里香は十種を模倣しておるが、魔虚羅の調伏自体はまだ終えてはおらん。あまりにも危険が大きいゆえ、その許可は今のところ出していないのだ」

 

 調伏の儀式を開始すれば、巻き込まれた全てを鏖殺する最強の式神が顕現する。仮に倒せるにしても、周辺への被害がどれほどのものになるか。過去の討伐例から、軽々しく許可などできなかった。

 

「それに、乙骨の制止を振り切ってまでこの場所で調伏の儀を始める理由も動機もなかろう。……あやつは今、それどころではないのだからな」

 

 楽巌寺の脳裏には、先ほどモニターで見たハートを振り撒き乙骨に甘える里香の姿が浮かんでいた。

 

 その行動原理はすべて()()()()()()()()に起因し、その彼が望まない凶行をあの怨霊が独断で行うとは到底考えにくい。

 ……菜々子の術式に便乗して憂太を組み敷いている件はともかく。現在ご満悦な怨霊がわざわざムードをぶち壊して魔虚羅の調伏を始めるなどどう考えても非合理的すぎる。

 

 となれば——。

 残される結論は、ただ一つしかない。

 

「十二年前に現れた、()()()()()……!」

 

 夜蛾がギリッと奥歯を噛み砕かんばかりに強く噛み締めた。

 星漿体護衛任務の折、禪院家先代当主の遺骨を用いて降霊術を行い、魔虚羅を解き放った最悪の呪詛師。

 奇しくも、悟の予想が当たった形となったのだ。

 

 なぜこんな場所で。何の目的で。

 だが、そんな敵の思惑を推察している暇など彼らには一秒たりとも残されてはいなかった。

 

 事態は一刻を争う。

 禪院恵と加茂憲紀が魔虚羅に追いつかれれば、遠からず確実に死ぬ。

 

 頼みの綱である呪術界の王は忌庫が荒らされたという急報を受けて本家へと帰還してしまった。

 結界の外にいる五条悟にこの緊急事態を伝えれば間違いなく静観を撤回して助けに入ってくれるだろうが、あの強固な帳を外から破壊するにはいかに悟とはいえ相応の時間がかかる。

 それでは、間に合わないのだ。

 

 ——ならば、今この結界の内側にいる者たちだけでどうにかしてあの死神を消し飛ばさなければならない。

 

「冥さんっ!! 乙骨はどこに!?」

 

 歌姫が血相を変えて冥冥に詰め寄った。

 

「水ぶっかけてでも彼に対処させないと、手遅れになる!!」

 

 まるで発情期の野良猫の交尾を物理的に引き離すかのような、あまりにも身も蓋もない言い草。だが、他に状況を打開できる札がない以上、背に腹は代えられない。

 

 しかし、冥冥は困り果てたように眉をひそめて首を振った。

 

「……それがね。烏たちの視界にも、全く()()()()んだ」

「映らないって……どういうことよ!?」

 

 だが、冥冥は静かに首を横へ振った。

 

「どうやら祈本里香が、誰にも邪魔されないように本気で隠れているらしい」

「……ッ!?」

 

 その言葉に、歌姫も夜蛾も絶句するしかなかった。

 

「こうなると、烏の視界だけじゃ見つけられる気がしない」

 

 特級過呪怨霊・祈本里香——その異名、『()()()()()』。

 

 彼女の恐ろしさは、無尽蔵に近い呪力量だけではない。

 対象に触れる必要がある禪院全の『簒奪呪法』とは異なり、彼女が憂太から預かる術式『模倣』は見ただけで相手の術式をコピーできるという、ある意味では上位互換と言える特性を持つ。

 

 そして彼女は簒奪呪法をも既に模倣して自らの手札に加えた、いわば『ジェネリック禪院全』。

 

 呪術界の王という立場で手駒の力も利用して貪欲に術式を蒐集し続けてきた全の手札の多さにこそ遠く及ばないが、無為転変によって魂の歪みが矯正されて縛りが緩んだ今でさえその呪力総量は素の禪院全を遥かに上回っている。

 結ばされた縛りによる制約や、幼子のまま変わらない精神性という欠陥を考慮しなければ、いずれ彼女は禪院全すらも超えかねない絶対的なバケモノへと至ると上層部の間でも密かに囁かれているのだ。

 

 そんな存在が、憂太との時間を誰にも邪魔されたくないという極限のモチベーションで隠れ潜んでいるのである。

 冥冥の黒鳥操術による索敵網すら完璧に欺いてみせるだろう。

 

「そんな……! じゃあ、二人は……ッ!」

 

 歌姫が絶望に顔を歪める中、逃げる二人の若き才能へ刻一刻と無慈悲なる死神が刃を近づけている。

 

「……とにかく、最後に彼らが確認されたエリアを虱潰しに探すしかない」

 

 夜蛾が重く沈みかけた空気を断ち切るように力強く宣言した。

 

「大体の位置は割れている。直接赴いて隠れている二人を見つけ出し、乙骨に現状の危機を知らせれば……必ず彼が里香を押さえ込んで、対処に当たってくれるはずだ」

 

 その言葉に歌姫も僅かに希望を見出したように顔を上げる。

 いかに欲望が暴走していようとも、憂太が本気で「皆を助けるために力を貸してほしい」と説得すれば、里香は絶対にそれを無下にはしない。

 

「ええ、そうね……! グズグズしてる暇はないわ、手分けして探しましょう!」

 

 歌姫も袴の裾を握り締め、覚悟を決めたように頷く。

 楽巌寺も愛用のギターケースを背負い直し、重い腰を上げた。

 

「枷場!」

 

 自分の術式が結果として仲間を魔虚羅の凶刃から見殺しにする原因になりかけている事実を噛み締め、真っ青な顔で目を泳がせる菜々子に夜蛾が鋭い視線を向けた。

 

「お前たちが最後に乙骨と遭遇した場所へ案内しろ! そこを起点に捜索網を広げる!」

「は、はいっ!」

 

 彼女は背筋を伸ばし、力強く頷いた。

 美々子も無言でコクリと頷き、新田新に至っては半泣きになりながらも首を縦に振る。

 

 彼ら全員が、一縷の望みをかけて森の奥へと直接捜索に飛び込もうとした――まさにその時だった。

 

おっ

 

 憂太の手掛かりを欠片でも掴むため、森へ烏を集中させようとしていた冥冥がふいに短く声を上げた。

 彼女は前髪の奥の瞳を細め、恵と憲紀を追っている一羽の烏が捉えた視界。

 

「どうした冥! 乙骨たちが見つかったのか!?」

 

 夜蛾が弾かれたように振り返り、急かすように問い詰める。

 冥冥は口元を少し余裕を取り戻した笑みを浮かべつつ、頭を振ってそれを否定する。

 

「彼らじゃないよ。でも、もしかしたら」

 

 冥冥は緊迫する彼らを落ち着かせるように、ゆったりとした声で告げる。

 

「……少しは、時間ができたかもね」

 

 

***

 

 

 鬱蒼と生い茂る森の地面を、平面の怪物『影鰐』が這うようにして猛スピードで滑走していく。

 その暗黒の腹の中に格納された禪院恵加茂憲紀は、外の様子を時折影面越しに確認しながら冷や汗に塗れていた。

 

 ——逃げ切れない。

 背後から迫る圧倒的な死の気配は、少しも遠ざかることはなかった。

 

 八握剣異戒神将魔虚羅。その恐るべき怪物は、すでに彼らの逃走という行動そのものに対する適応を進めていた。

 一度目は物理的な障害物をすり抜けるような滑らかな挙動による速度の最適化、そして二度目はさらなる速度強化。

 それらの適応で魔虚羅は、全速力かつ障害物を完全に無視して大地を泳ぐ影鰐の背中を捉えつつあった。

 

来るぞッ!!

 

 恵が叫んだ直後。

 彼らの頭上——影鰐の黒い影面めがけて、魔虚羅の右腕に括り付けられた退魔の剣が容赦なく振り下ろされた。

 

 ——ガガガガッ!!

 

 激しい振動と、耳障りな不協和音が影の空間内に響き渡る。

 退魔の剣の刃が影鰐の表面を削り、恵の呪力がゴリゴリと削り取られていく。

 

「くっ……!」

 

 恵は奥歯を噛み締め、必死に呪力を注ぎ込み影鰐を維持する。

 結果として退魔の剣の切先は影の内部に到達することはなく、影鰐を透過して森の地面を深く抉り取るに留まった。

 

 これこそが、恵が『影渡り』や『影鰐』といった拡張術式に多大な信頼を置いている最大の理由であった。

 影の中は物理空間とは隔絶された概念的な領域であり、明確な対抗策無しには放たれた攻撃は内部まで届かず、浅い水たまりへ刃を突き立てるが如くその先へ突き抜けていくのだ。

 しかし、この最強の式神に対しては——。

 

 ——ガコンッ!

 

「……ッ!!」

 

 背後から響く聞き慣れた不吉な音に鼓膜を殴りつけられ、恵と憲紀の顔が同時に絶望で強張った。

 

 ——()()。次にもう一度あの剣を振るわれれば、間違いなく影鰐の防御概念そのものが打ち破られ、完全に霧散する。

 そうなれば、二人は無防備な状態で地上へ放り出され、一瞬にして細切れにされるだろう。

 

(終わる——!!)

 

 恵が死を覚悟し、憲紀が最期の抵抗として『赤燐躍動』の起動をしかけた、その次の瞬間だった。

 

「——メカ丸・終焉回路(ファイナルバースト)ッッ!!

 

 木々の間から、血を吐くような怒声が轟いた。

 同時に、森のあちこちで待機していた数体の量産型メカ丸が自らの機体をロケットのように射出し、魔虚羅の巨大な身体へと四方八方から特攻を仕掛けたのだ。

 

「————!?」

 

 魔虚羅が剣を振り下ろす動作を止める間もなく、数体の鋼鉄の傀儡がその四肢や胴体にガッシリと組み付く。

 そして——。

 

 ——ドガァァァンッ!!!!

 

 内蔵された呪力バッテリーと駆動機関を暴走させた大爆発。

 量産型メカ丸たちの、文字通りの自爆特攻である。

 凄まじい爆炎が森を包み込み、木々が薙ぎ倒され、視界が完全に火柱と黒煙に覆われた。

 

 だが——。

 

 ガコンッ!

 

 爆炎の中心から、無慈悲な方陣の回転音が鳴り響く。爆発への適応。燃え盛る炎と黒煙を切り裂くようにして、無傷の魔虚羅がその威容を顕にした。

 

「ヒッ……!!」

 

 その圧倒的な絶望を前に、爆心地のすぐ側——煙に紛れるように震えながら飛び出してきた人影があった。涙目で今にも泣き出しそうな顔をしながらも、彼女は決死の覚悟で魔虚羅の足元へと駆け寄っていた。

 

 東京校三年——星綺羅羅

 彼女は恐怖でガタガタと震える右手を伸ばし、魔虚羅の白く分厚いふくらはぎに、ペタッと直接その掌を触れさせたのだ。

 

「術式解放——っ」

 

 綺羅羅は涙目になりながらも、後輩を守る三年生としての意地とプライドを叫びに変えた。

 

「——愛の重力(ポールシフト)ぉっ!!

 

 その言葉が紡がれた瞬間。

 魔虚羅の巨体に、目に見えない不可思議な力が爆発的に作用した。

 

 ——綺羅羅はかつて自身の生得術式である『星間飛行(ラブランデブー)』の絶妙な扱いづらさに悩んでいた。

 条件付けが複雑で、対象をマーキングする手間も多い。

 そこで彼女は禪院家の術式取引を利用して術式の方向性は変えず、よりシンプルかつ強力なものへと入れ替えていたのだ。

 

 その名も術式『磁極操術』あらため、『恋磁石(ロマンスポラリティ)*1

 

 術者本人を除く一定範囲内に存在する対象の()()()に応じて男にはS極、女にはN極の仮想磁極を自動で付与するという特異な術式だ。

 性自認を持たない呪霊や無生物に対しては、綺羅羅自身が一つ一つ指定する事で各自に磁極を決定でき、さらには一度決定した磁極も彼女が直接触れることで強制的に反転させることもできる。

 

 そして今、綺羅羅が放った奥義『愛の重力(ポールシフト)』。

 これは地球そのものを「巨大かつ強力な磁石」として扱い、対象に付与した磁極と地球の磁極を強烈に干渉させる彼女が編み出した必殺技であった。

 発動時には磁極の自動付与はすべて解除され、対象に直接触れなければならないという制約こそあるが——その効果は絶大。

 

 ——████ッッッ!!?

 

 魔虚羅が初めて、理解不能な事態に驚きの声を上げ、浮き上がった身体を支えるために手近にあった木の幹を握り締める。

 地球と対象たる魔虚羅に同極の仮想磁極を付与したことによる強烈な反発だ。

 恋に浮かれ、愛に落ちる——本来ならばこの後に仮想磁極の地磁気逆転(ポールシフト)を引き起こすまでがセットの技だが、今回は飛ばしっぱなしだ。

 

 大地から強烈に拒絶された白い巨体は根本から引っこ抜けた木を握り締めたまま瞬く間に森の樹冠を突き破り空高く、果てしなく上へと吹き飛ばされていく。

 それを確認すると、恵と憲紀がドロリと水面を割るようにして影鰐の暗黒空間から外へと這い出してきた。

 二人とも息も絶え絶えで、肩で激しく呼吸を繰り返している。

 

「し、死ぬかと思ったぁ……」

 

 その彼らの元へ、足の震えが止まらずにその場へへたり込んでいた綺羅羅が安堵の息を吐きながら擦り寄ってきた。

 そして、そのすぐ後ろから二人の高専生が駆け寄ってくる。

 

「おい、無事か」

 

 声をかけてきたのは、両手をポケットに突っ込みながら顔を険しくしている東京校三年の秤金次だった。

 その後ろからは京都校二年の与幸吉が顔の右半分を青紫色に酷く腫らした痛々しい姿で足を引きずりながら付いてきている。

 

 先程まで付近で鉢合わせて交戦状態に陥っていた彼ら三人。

 綺羅羅の術式によって主力であるメカ丸たちを実質的に封じられた幸吉は生身で立ち向かうものの、ゴリゴリの武闘派である秤との純粋なステゴロの殴り合いで勝てるはずもなく……見事にボロ負けしてこの有様だったのだ。

 

「……助かりました。ありがとうございます」

 

 恵は荒い息を整えつつ地面に座り込む綺羅羅に向かって頭を下げ、憲紀もまた無言で深く一礼した。姉妹校の垣根を越えた連携がなければ間違いなく自分たちは今頃細切れになっていた。

 

「いやぁ、ホント……手が震えて危うく触るの失敗するかと思ったよ……」

 

 綺羅羅が涙目で両手を震わせながら、へらへらと力なく笑う。

 

「で……」

 

 秤が上空——果てしなく高い位置に広がる帳の方へと視線を向けたまま、重苦しい声で尋ねた。

 

「何だよ、今のデカブツは……いや、見りゃわかるが、一応な」

 

 視線の先、綺羅羅によって空高く打ち上げられた魔虚羅の巨体は、漆黒の天井にぶつかることもなく、空中の遥か彼方でピタリと停止していた。

 

 ——遠目からでもはっきりと分かる。

 魔虚羅の頭上の方陣がカコン、カコンと何度か回転し、地球規模の磁気反発という理不尽な事象に対しても、急速に()()を進めて減速したのだ。

 

「……あれじゃあ、すぐに戻ってくるよね」

 

 綺羅羅が絶望的な声を漏らす。

 

 かつて禪院家主催の公開調伏の場において、魔虚羅の姿と「あらゆる事象に適応する」という理不尽極まりない性質は呪術界全体に完璧な恐怖とともに広められた。

 高専においても万が一の対処について徹底的に教え込まれている。

 授業をちゃんと聞いて覚えてさえいれば——そして、実際にあの威容を目の当たりにすれば、間違いなく今の事態の深刻さは理解できるはずだった。

 

「……ええ」

 

 恵は空中で反転し、再び地上めがけて落下してくる準備を始めた白い死神を睨み据えながらひどく掠れた声で答えた。

 

「十二年前に当主様が警告していた……()()()()()が、実行されました」

 

 その言葉が落ちた瞬間、秤の顔がさらに険しさを増し、幸吉は腫れた顔を歪めてギリッと奥歯を噛み締めた。

 

 ——自分たち学生の演習場に、あの全でさえも極ノ番を利用しなければ調伏を終えられない怪物が降臨した。

 それはもう、交流会などという生易しいものではない。

 

「……座学の復習をするぞ」

 

 顔を赤紫に腫れ上がらせた幸吉が痛む頬を押さえながら、どこまでも真面目くさった声で言った。

 

八握剣異戒神将魔虚羅の対処法だ」

 

 かつて禪院全が世界に知らしめ、彼ら高専生が授業で叩き込まれた最強の式神を攻略するための()()()()()

 幸吉は迫りくる死の気配を前に、あえてそれを一つずつ口に出すことで自らの冷静さを保とうとしていた。

 

「その一。魔虚羅は『適応の怪物』である。故に、その適応が間に合わないほどの単発大火力をもって一撃で消し飛ばし滅すべし」

 

 かつて全が極ノ番『廃珠ノ坩堝(はいじゅのるつぼ)』で見せたように。

 あるいは、五条悟が虚式『(むらさき)』で成し遂げたように。

 超火力の一撃必殺こそが魔虚羅を倒す唯一の手段である。

 

「その二。上記を満たす火力が自力で用意出来ないと判断したならば、即座に特級呪術師に連絡を取り、彼らが到着するまでの間、決死の覚悟で時間稼ぎに徹すべし」

 

 そしてそれが、今の彼らにできる現実的な唯一の選択肢だ。

 

「その三。時間稼ぎの最中において、適応による耐久力の強化を防ぐため、こちらからの無用な攻撃は極力避けるべし。半端な攻撃は奴をより強固な装甲を持つ化物へと変質させる」

 

 先ほど二人が即座に逃走を選んだのもそのためである。

 攻撃が通じないとわかっている以上、攻撃に対して適応させるのは愚の骨頂である。

 

「その四。単一の手段による逃走や防御といった持久戦は、いずれはその『行動そのもの』に適応され、必ず破綻する。……ゆえに、逃げるにしても防ぐにしても、様々な術式や手段を織り交ぜて行い、適応の的を絞らせないことを徹底すべし」

 

 綺羅羅が先ほど新たな手段として磁力の反発という別角度の方法を利用して魔虚羅を空の彼方へ吹き飛ばした行動は、この第四のセオリーに合致していた。

 

 しかし、それも長くは続かない。

 先ほど上空で方陣が回り、すでに地球との反発は魔虚羅の適応に刻み込まれて耐性を獲得したということを意味している。

 

「そして、その五」

 

 幸吉はそこで言葉を区切り、ひどく沈痛な面持ちでゆっくりと告げた。

 

「対応可能な特級呪術師の到着が、どうしても間に合わないと判断した場合……」

 

 重い、重い沈黙。

 

「——『()()()()()』」

 

クソゲーすぎるッ!!

 

 綺羅羅が頭を抱え、涙目で絶叫した。無理ゲーにも程がある。

 火力が足りなければ逃げるしかないが、逃げ続けることすら適応によっていずれ不可能になり、最終的には死を受け入れろというのだ。

 呪術界のトップが作成した公式マニュアルに「諦めろ」と明記されている時点で、その怪物の理不尽さがどれほどのものか嫌というほど伝わってくる。

 

「……だが、それが現実だ。対応可能な手段を持つ者はここにいるか?」

 

 秤金次が全員の顔を順番に見回しながら低く尋ねた。

 

 憲紀は無言で首を横に振った。彼の造血を兼ね備えた赤血操術による無限の弾数と手数は強力だが、魔虚羅を跡形もなく消し飛ばせる瞬間火力は持ち合わせていない。

 恵もまた忌々しげに顔を歪め首を振る。影法師による足止めや撹乱はできても、決定打には遠く及ばない。

 綺羅羅も「無理無理、私の術式じゃ短時間の足止めが限界だよ……」と肩を落として首を振る。

 

 全員の視線が残る一人、幸吉へと集まった。

 

「可能性がありそうな手段なら、なくもないんだが……」

 

 濁すような彼の言葉に、恵や憲紀の瞳に一瞬だけ希望の光が宿った。

 

本当に!? なにそれ、あるなら早く出してよ!!」

 

 綺羅羅が弾かれたように身を乗り出す。

 全に肉体を治してもらうまでの長きに亘る天与呪縛の代償として幸吉が貯め込んでいた膨大な呪力のストック。

 そして、それを一気に撃ち出すための巨大な兵器。

 

「……だが、流石に学生同士の交流会にそんな過剰な物を持って来るはずないだろ」

「じゃあ言わないでよ! 無駄に期待しちゃったじゃない!!」

 

 幸吉が自嘲気味に鼻で笑ってその希望を打ち砕いた。

 彼の最大火力である超大型呪骸:装甲傀儡 究極メカ丸 試作0号――『絶対形態(モード・アブソリュート)

 それは彼の切り札であるが、学校行事に持ち出すような代物では断じてないし、第二術式で圧縮してもなお気軽に運べるサイズではない。

 

「まあ、そりゃそうだわな……」

 

 秤が深くため息をつきながら眉間を強く揉みほぐした。

 

 ズズゥゥン……ッ!!

 

 彼らが絶望的な作戦会議を交わしている間にも、森に響き渡るような轟音と共に白き巨躯が再び森の奥深くへと着弾した。

 大地が大きく揺れ、凄まじい土煙が舞い上がる。

 恐るべき適応の怪物が彼らの命を刈り取るべく、地球との反発を無力化して再び地上に戻ってきたのだ。

 

「……来たか」

 

 秤は両手をポケットから抜き、首をポキリと鳴らしながらゆっくりと一歩前に出た。

 

「特級を呼ぶったって、この帳のせいか電話も繋がらねえ。その内入ってくるとは思うが、あのクソ目立つ木の津波の方に行っちまってそうだ……どの道、こっちから探して連れてくるしかねえだろ」

「秤先輩……?」

 

 恵が怪訝な顔で秤の背中を見上げる。

 

「倒すのは無理だが……持久戦は任せとけ」

 

 秤はこんな絶望的な状況下にあってなお、生粋のギャンブラーとしての血を滾らせるような凶悪な笑みを浮かべていた。

 

「相手の適応ってのがあるからな。俺のやり方がどれくらい長く持つかはわからんが……特級が来るまで、なるべく持たせる」

 

 指の関節をバキバキ鳴らしながら彼は後輩たちへ向けて素早く指示を飛ばす。

 

「お前ら攻撃はせずに、俺の死角から逐次撹乱を手伝え。……与! お前は残ってる呪骸の予備でも使って、とにかく乙骨や五条さんを探し出せ、禪院全でもいい! あいつらがいなきゃどうにもなんねえ!」

 

 幸吉はハッとして顔を上げ、即座に「……了解した!」と頷き即座に懐から残り少ない圧縮結界を取り出す。

 解凍(unzip)されたメカ丸たちが駆動音を鳴らして森へと散っていく。

 

「行くぞ」

「金ちゃん……!」

 

 綺羅羅が不安げに声を上げるが、秤は威嚇の声を上げながら迫る魔虚羅を恐れる様子もなく、両手を胸の前に持ち上げた。

 ギャンブルの神に祈りを捧げるかのように()()()()を結ぶ。

 

「領域展開——」

 

 秤の呪力が爆発的に膨れ上がり、周囲の空間をパチンコの役物や電飾、そして電車のドアといった奇妙なオブジェクトが入り乱れる、ギャンブルの熱気に満ちた異空間へと塗り替えていく。

 

 ——坐殺博徒(ざさつばくと)!!

 

 パチンコを模した領域の必中効果によって魔虚羅と、味方である恵たち全員の脳内に、この領域の複雑怪奇な「ルール」が無害な情報として一瞬で開示される。

 これには流石の魔虚羅も一旦足を止める。

 

「さあて、死神さんよ」

 

 激しいBGMと極彩色の光が明滅する領域の中心で、秤は両拳を強く握り込み魔虚羅へ向けて猛然と突進した。

 

「俺の引きとオマエの適応……どっちが上か、命懸けの()()()と行こうじゃねえか!!」

 

 ギィィンッ! と退魔の剣が振り下ろされる。

 それを秤は紙一重で回避し、背後から恵の影が魔虚羅の足元を絡め取り、憲紀の血の膜が視界を遮り、綺羅羅が磁力を付与した周囲の瓦礫を飛び交わせる。

 

 倒すためではなく、ただ生き残るため。

 最強の助っ人が駆けつけるその時まで、一秒でも長く時間を稼ぐため。

 絶対に勝てない死神を相手取り、両校合同で決死の遅延戦闘が始まった。

*1
綺羅羅命名





・呪いの女王、祈本里香
呪縛が大幅に緩んでなお莫大な呪力総量と万能な模倣能力。
ジェネリック禪院全ともいえるその力。故に、呪いの女王
理論上最終的には全を超越しかねないが、その全と様々な縛りを結んでいるため下克上は実質封じられている。

・影の世界
物質上は平面の影として扱われるため、明確に影の中へ届きうる概念的な力を帯びた攻撃でなければ概ね無力化してしまう。つよい。
領域展開などをされると影渡りでは引きずり出されてしまうが、簡易領域機能を兼ね備えた影鰐ならばそれもある程度耐えられる。ある程度だが。

・メカ丸・終焉回路(ファイナルバースト)
組み付いての自爆する必殺技。サイバイマン。
あまり魔虚羅に対してダメージを与えてはいけないのだが、綺羅羅に繋げるための足止めと目くらましのためにやむを得ず行った。

・星綺羅羅 交換術式『恋磁石(ロマンスポラリティ)
星間飛行(ラブランデブー)が複雑すぎて私が扱いが難しかったため交換した術式。もとの名は『磁極操術』。
術者本人を除く一定範囲内に存在する対象の()()()に応じて男にはS極、女にはN極の仮想磁極を自動で付与する。
もしかして:引石健磁(マグネ)
呪霊や無機物に対しては逐一指定する必要があるが術者が自由に決められる。
磁極をあとから変えることも可能だが、それには直接触れる必要がある。

愛の重力(ポールシフト)
恋に浮かされ、愛に落ちる。
地球と術式対象の間にのみ作用する強力な仮想磁力を付与する綺羅羅の必殺技。
磁極の自動付与が全て無効化され、対象の選択には直接触れなければならないがその出力は莫大で、同極の反発により高く吹き飛ばされる。
そして、地球側の仮想磁極を地磁気逆転(ポールシフト)させることで相手を墜落させるというなかなかにエグい技である。
今回の件をきっかけに、磁極逆転をせずに飛ばしっぱなしにする派生技ができた。
その名も——『星間飛行(ラブランデブー)』!!

必殺技に関しては中島愛繋がりですね。



この章で羂索が大暴れできているのには複数のカラクリがあります。
ネタバレ故に明かせませんが、今はそれで納得いただけるとありがたいです。

既知の内容として、羂索は懐玉編にて大きな縛りを結んでいます。
そう、『今後、禪院全の肉体以外に移らない』というものです。
これは彼女が千年間続けてきた策謀の要を封じるものであり、本人のアイデンティティそのものを手放すような強烈な縛りです。
それによる恩恵により、元々得意とする結界術を大幅に強化してます。
ついでにいうと原作では嘱託式でなお五条悟を弾いていた帳が、今回は中で大幅に強化された本人(の分身)が維持していますからね。
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