禪院全「全ては僕の為に」 作:羂索ハードモード
強き児等よ、今は怒りを鎮め——ただ、感謝を
『抜け出せ、ないっ!!』
特級呪霊、花御は、自身を取り囲む極彩色の空間の中でかつてないほどの焦燥と混乱に呑み込まれていた。
視界を埋め尽くすのは、ふよふよと空中に浮かび、あるいは風に流されて漂う無数のシャボン玉。
それらを鬱陶しく思い根や枝を振るって突き破ろうにも、呪力で編まれた泡はゴム鞠のようにただ押し退けられるだけで容易には弾けない。
この
この空間に漂う無数の泡の表面に映り込む景色——そのすべてが、東堂葵という男の視界の延長であり。
そして泡そのものが
——パァンッ!!
東堂の柏手が森に響き渡る。
その瞬間、花御の死角に漂っていた泡が上空から降り注いできた西宮桃の『星光操術』による星型の呪力弾と入れ替わる。
回避する間もなく、背中に星の爆発が突き刺さる。
『ぐ、おぉ……ッ!!』
体勢を崩した花御の眼前で、再び柏手が鳴る。
今度は狗巻棘が口元の吹き出しから放った『ドゴォッ』という文字の塊が花御の顔面スレスレに漂う泡と位置を交換して容赦なく直撃する。
——バチィィィィッ!!!!
そして極め付きは、空間を圧殺する黒い火花。虎杖悠仁の放つ、呪力の極致たる『黒閃』。
それがただの一度で終わるどころか、東堂のサポートによって完璧なタイミングと位置で導き出され、二度、三度と立て続けに花御の強靭な装甲を打ち砕いていた。
『読めない……! どこから、何が飛んでくるか……!』
花御はすでに覆っていた白い布を解き放ち、隠されていた黒い腕を解放している。その腕には、中心に巨大な眼球を宿した紅い花——供花が咲いていた。
より激しく木の根をうねらせ、弾けるように呪いの種子を飛ばすものの、それらはすべて空を切り、あるいは不義遊戯の入れ替えによって自らを撃ち抜く結果となっている。
IQ五十三万を自称する東堂の異様なまでの空間把握能力と、仲間たちの火力を自在に配置する神がかり的な戦術眼。
何をしてこようと反撃の隙間すら与えず、あらゆる攻撃を死角から命中させてくるその様は、まるで必中効果を備えた領域展開の中に閉じ込められているかのごとき錯覚すら花御に覚えさせた。
桁外れの頑強さを持つ花御ではなく、生半可な特級呪霊であったなら既に三度は確実に祓われているであろう致死の暴風雨。
だが花御を最も混乱させ、窮地へ追い詰めていたのはそれらだけではなかった。
——パァンッ! パパパパパパッ!!!!
森の中に絶え間なく拍手の音が鳴り響いている。
しかし花御の視界の先——自らに猛然と殴りかかってきている東堂はその拳を握り込み、全く手を叩いていなかったのだ。
それにも関わらず、彼の周囲の虚空からはまるで万雷の喝采のごとく無数の柏手の音が鳴り響き、その一つ一つが不規則なタイミングで不義遊戯の位置替えを発動させている。
『遅延……!? いや、反響……!?』
花御が懸命にそのカラクリを解き明かそうとするが答えは出ない。
手を叩いていないのに鳴る音。鳴った音のどれが本命で、どれがブラフなのか。どの音がどの対象を入れ替えるのか。
その一切が、全く読めないのだ。
——それこそが東堂葵が禪院全から取引によって得た第三の術式。反復反響こと『
本来の名の通り「術者の出した音が、任意の回数虚空に反響するだけ」という、単体で見れば嫌がらせにすらならない、これまでに全が拾った中でも指折りの産廃術式である。
……だが、そんな術式であっても、東堂が己の不義遊戯と組み合わせた瞬間、拍手という発動条件の「タメ」を完全にゼロにしつつ相手にタイミングを一切読ませず、さらに無数のフェイントを自動的に発生させ続けるというあまりにも理不尽で凶悪なシナジーを生み出したのだ。
攻略不能。対処不能。
視界は泡に満たされ、聴覚は万雷の喝采に狂わされ、肉体は黒閃と筋肉と星と文字の豪雨に削り取られていく。
——だが。不思議なことに。
ボロボロになり、追い詰められていく花御の魂の奥底で——呪霊としての闘争心が、かつてないほどの高揚を見せていた。
『ああ……』
これほどまでの無力感に襲われたのは、花御にとって初めてのことだった。
地球という星の意思を代行する絶対的な存在であると自負していた自分が、ちっぽけな人間の少年少女によって、ここまで圧倒的に蹂躙されている。
死の淵に立たされるという、このヒリつくような感覚。
『これが……
花御の口の端が、知らず知らずのうちに歓喜につり上がる。
とてつもない障壁。ならば、超えよう。
この理不尽な盤面を、己のすべてを懸けて。
東堂の不義遊戯による入れ替えは、すべて彼の驚異的な情報処理能力と空間把握能力によって成立している。
ならば、一時的にでもその処理を狂わせてしまえばいい。
『オォォォォォォッ!!!!』
花御は残された呪力を絞り出し、地面へ向けて両腕を突き立てた。
その瞬間に大地が爆発し、太く鋭い無数の木の根や枝が出鱈目な軌道を描いて、全方位へと放射状に展開された。
狙いを定めた攻撃ではない。ただひたすら無秩序かつ乱暴に、自らですらその後の展開を把握できないほどの大樹の壁を構築し、その中に姿を完全に隠し込む捨て身の賭け。
「むっ……!」
東堂の目が微かに見開かれた。
あまりにも無秩序な質量の急激な増加と視界の遮断により、一瞬だけ彼の超人的な空間把握能力にノイズが走ったのだ。
その、コンマ一秒の完全な死角の中で。
花御はボロボロに傷ついた両腕を胸の前に引き寄せ、掌印を結ぶことに成功した。
『——
自然の畏怖たる大地の呪いが、極彩色のシャボン玉と万雷の拍手を飲み込むように、爆発的に膨れ上がる。
『
パァァァァッ!!
花御の呪力が爆発すると、周囲の風景はまるで幻灯機が切り替わるように一瞬にして全く別の世界へと塗り替えられた。
直前まで血みどろの死闘が繰り広げられていた薄暗い森から一変し、どこまでも高く抜けるような青空と視界の果てまで咲き乱れる色とりどりの美しい花畑へと姿を変えた。
「領域展開ですって……!?」
「まずいっ、だれか領域対策は……!」
領域内に取り込まれた高専生が戦慄する中、花御の胸中では人間たちへの怒りと憎悪が不思議なほどに霧散していた。
地球という星が泣いている。だから大地や海を穢す人間を間引き、自然にとっての『時間』を取り戻さなければならない。その崇高な使命感こそが花御の存在意義であったはずだ。
『強き児等よ、今は怒りを鎮め——ただ、感謝を』
しかし今花御を満たしているのは、ただ純粋な闘争の悦びと、それを己に与えてくれた眼前の若き呪術師たちへの深い
——ふわり、と。
甘く、優しい花の香りが風に乗って領域内に吹き抜ける。
(……あれ? なんだ、俺……なんで戦って……)
その香りを嗅いだ瞬間、悠仁の身体からスッと力が抜け、握りしめていた拳の呪力が霧散しかけた。
「なんだ、これ……」
「戦う気が、抜けていく……?」
桃は力を失ったように箒ごと上空から緩やかに引きずり降ろされ、そのまま地上へ降り立った。同乗していた棘もまた、呆然と花畑を見渡していた。
二人の身体から力が抜け、張り詰めていた殺気が春の雪解けのように溶けていく。
それこそが、花御の領域展開『朶頤光海』に付与された回避不能の必中効果であった。
相手の「戦意」を強制的に低下させるという極めて強力な精神干渉であった。それはすなわち、呪力出力の劇的な低下を意味する。
この美しい花畑の中にいる限り、対象は闘争心を根こそぎ奪い取られてゆき……やがては無抵抗のまま痛みを自覚することすらできずに死を受け入れることとなる。
「気をしっかり持て、ブラザー!!」
その穏やかな死の空間にあってただ一人、東堂だけがその奇人故の強固な自我と精神力で辛うじて闘志をつなぎ止め、大音声を張り上げた。
パァンッ!!
東堂が柏手を打つ。その瞬間、少し離れた位置で毒気を抜かれかけていた悠仁と棘、そして桃の三人が不義遊戯の強制転移によって東堂のすぐ背後に撒かれた万舞留と入れ替わるように一箇所に密集させられた。
彼は両足を大きく開き、腰を深く落として抜刀術の構えを取る。
九十九由基より伝授され、己の肉体とセンスで磨き上げた領域対策。
——シン・陰流 簡易領域!!
東堂の足元から半径数メートルに円形の結界が展開される。
簡易領域が領域の必中効果を中和したことで、悠仁たちの脳を覆いかけていた甘い霞が晴れ、ハッと我に返った。
「っぶねぇ! マジで戦う気無くなりかけてた!」
「さすがは東堂先輩……! でも!」
花畑の中に不気味に乱立する、歪み、ねじ曲がった奇妙な枯れ木たち。それらは領域が展開された瞬間から、周囲の植物の生命力を根こそぎ吸い上げ、おぞましい呪力へと変換し続けていた。
そしてその莫大なエネルギーのすべてが、花御の左肩に咲く巨大な『供花』へと一極集中している。
棘が額の冷や汗を拭いながら、前方を見て顔を強張らせる。
東堂の顔にも安堵の色はない。むしろ、その額にはかつてないほどの濃い滝汗が滲み出していた。
「……焦ってるわね」
夕闇迫る教室の中。聞こえてきた声にハッと顔を上げる東堂。
開かれた教室の扉からひょっこりと顔を覗かせているのは——。
「たっ、高田ちゃん!!!」
ひらひらと手を振りながら入ってくると、高田ちゃんはツーと教卓の縁を指先でなぞる。そんな姿に見惚れつつも、東堂は拳を強く握り締めた。
「……この領域は、敵意を霧散させる効果をもっていた」
「戦意喪失状態になれば、呪力も弱る——あのままじゃ、強大な敵を前にしながら無防備に棒立ちになってしまうでしょうね」
「ああ! 深みにはまれば無抵抗のまま死を受け入れるしかなくなる、恐ろしい力だった。だからこうして皆を集め、簡易領域を展開した——」
簡易領域によって必中効果を防ぐためには、対象者を自分の結界の範囲内に集めるしかなかった。結果として全員が戦意を取り戻し、構え直すことができたのだ。
「……だが」「でも」
憂いを見せる高田ちゃんに指摘されるまでもなく、東堂のIQ五十三万の頭脳は現状の致命的な矛盾を瞬時に弾き出していた。
「あの呪霊、領域展開と同時に凄まじい呪力を肩の花に集めていたわ」
「……この手の予備動作から繰り広げられるのは大抵、高威力の呪力砲だ」
この行動は、敵の広範囲殲滅攻撃よる格好の的として一網打尽にされるリスクを自ら作り出してしまったことを意味していた。
「俺は、間違えたのだろうか」
「いいえ、間違っていないわ」
即座の否定に、東堂はハッと顔を上げる。
「どのみちバラバラに居た所で、簡易領域がなければ攻撃は必中してしまう。そんなコト、ほんとは貴方も分かってるはずよ」
「——ああ、そうだ。こうするより他になかった!!」
力強く言う東堂に、高田ちゃんはにこりと笑い、両手を広げて窓際に立つ。
窓の外には夕日を遮り、八十八尺様が穏やかな笑みで見守っていた。
彼女は何も言わない。だがいつだって東堂を勇気づけてくれる!
胸に手を当て、高田ちゃんとともに八十八尺様への礼拝を捧げた。
東堂の目にはもはや一片の迷いもない。
「なら、やる事は一つ。でしょ?」
「そうだとも!!」
——この間、0.01秒。
「西宮! 狗巻! 防御だッ!!」
東堂の裂帛の気合が響き渡り、二人がハッと顔を上げる。
敵の最大火力を前にして逃げる選択肢を封じられたならば、全員の力を結集して真っ向から受け止めるのみ!
「
棘が血を吐くような勢いで叫ぶ。
口元の吹き出しから、過去最大サイズの『凸』と『凹』の立体文字が幾重にも射出され、東堂たちの前面にガッチリと噛み合わさって分厚い文字の防壁を形成した。
だが、その壁だけでは特級の極大砲を凌ぎ切るには心許ない。
「その隙間は俺が埋める!」
東堂が両手をかざし、第二術式である万舞留を限界出力で発動させる。無数のシャボン玉が文字の防壁の隙間という隙間にぎっしりと充填され、まるで接着剤のように壁の強度を補強していく。
だが、形を支える効果はあっても、極大呪力砲撃を防ぐには強度が足りない。
「まだだ、狗巻!!」
「……そうか! わかった——ガチ、ゴチッ!!!」
東堂の意図を正しく汲み取った棘が、さらに追加のオノマトペを具現化させる。
『ガチゴチ』という硬質な響きを持った文字が東堂の密集させた呪泡の壁へと溶け込むように浸透した瞬間、シャボン玉の層が一瞬にして硬質な輝きとハニカム構造に近い堅牢さを持つ、クリスタルの盾へと変質したのだ。
「!!」
桃が箒を高く掲げ、星光操術のきらめく呪力をその防壁を包むように展開する。
キラキラと輝く極彩色の星の光が、文字と泡の複合装甲をさらに覆い尽くすようにして強固な光のバリアを形成した。
東京校と京都校の若き術師たちが、極限の死線においてそれぞれの術式を完璧に噛み合わせた嵌合防壁。
だが、それでも足りないかもしれない。
そう直感した悠仁が両拳を固く握りしめ、東堂の隣へと一歩踏み出した——まさに、その刹那だった。
『ありがとう、そしてさようなら』
領域展開後に一度だけ放てる、花御の最大火力にして必殺の一撃。
左肩に咲き誇る供花が領域内に投影された虚像の太陽すら呑み込むほどのまばゆい呪力の光を放ち……極大の呪力砲が彼らめがけて一直線に解き放たれた。
***
——八握剣異戒神将魔虚羅。
この呪術界において、誰もがその名を恐れる最強の式神。
それを討たんとする場合、絶対にやってはいけないことは何か。
それは、「様子見をしつつ徐々にギアを上げていくこと」だ。
相手の出方を伺って小手先の技から入り、通用しないと見てから本気を出す。通常の戦闘であればセオリーとなるその立ち回りは、この
全力を出す頃には耐性が万全の仕上がりとなるため、複数系統の攻撃手段を抱えていない限りは理屈上どれほどの超越者であっても勝ち目はゼロとなるからだ。
ならば、逆に魔虚羅に対して
——それは、「最初からトップギアの機動で翻弄し続けようとすること」である。
「シッ!」
禪院真希は魔虚羅の振り下ろした退魔の剣を鋭い呼気とともに紙一重で躱し、大振りの薙ぎ払いをしゃがみ込みやり過ごす。
反撃はしない。ただひたすらに、剣の軌道と巨体のステップを見極め、最小限の動きで死の領域から身体をズラし続ける。
相手の攻撃を躱す際に全力でバックステップを踏んだり、神速で死角に回り込んだりすれば、確かに安全に回避できるだろう。
だが、その極限の回避機動を見せ続ければ見せ続けるほど、適応の歯車はその機動そのものに対する解析を早め、たちまちトップギアの速度すらも完全に捉えるようになってしまう。
……ましてや、人間のスタミナには限界がある。全力で動き続ければ、適応される前にバテて切り捨てられるのがオチだ。
(だからこそ、持久戦では……
真希は魔虚羅の剣をギリギリまで引きつけ、必要最低限の歩幅と速度だけで捌いてみせる。
時にはあえて危うい動作を見せ、時には大袈裟に体勢を崩す。
常に一定のリズムを刻まず、相手に自らの「速度の底」と「回避パターンの最適解」を悟らせないように、わざと不規則で無駄のある動きを混ぜ合わせる。
これこそ、天与の暴君二人が導き出した対魔虚羅の最適な遅延戦術であった。
禪院家の実力至上主義に塗り替わった訓練カリキュラムには、当主の悪ふざけ……もとい、不測の事態に備えた『魔虚羅対策訓練』というものが組み込まれていた。
一族の精鋭たちが集まる訓練場で当主の全が魔虚羅を呼び出し、タイマンでの耐久テストを行わせるのだ。
『はい、お疲れ様。十秒持たなかったか、次。——あ、魔虚羅。近接格闘への適応リセットね』
『………………』
ガコンッ!
主の命により、せっかく適応した情報を自ら初期化させられる、どこか哀愁漂う魔虚羅の姿。
そんな双方に理不尽な訓練において、一族の猛者たちであっても大半が数分ともたずに叩き伏せられる中。
真希は禪院甚爾に次ぐ圧倒的なハイスコアを叩き出していた。
——その数値、
圧倒的な身体能力と、戦闘IQの高さ。
そして何より、先述の手抜きと撹乱による適応の遅延戦術を頭ではなく本能で理解し実行できる天与呪縛のセンスがあってこその大記録だった。
キンッ!!
真希は薙刀の柄で退魔の剣の腹を軽く叩き、その軌道をほんの数ミリだけ逸らして自らの首への直撃を避ける。
刃風が頬を掠め、前髪が数本切り飛ばされた。
(とはいえ……さすがにヒリつくな……!)
真希の額からは、滝のような冷や汗が流れ落ちていた。
目の前で剣を振るう未調伏の魔虚羅は、フルチューンされた全の使役個体に比べれば遥かに弱く、動きも単調だ。
だが、その一振り一振りに込められた「確実にコイツを殺す」という剥き出しの殺意の重さは、訓練の比ではないほどに真希の神経をゴリゴリと削り取っていた。
事前の秤たちとの戦闘で重ねられた適応の蓄積もあるだろう。
しかし、何よりも真希自身を圧迫している最大の要因は——彼女がこれまでの人生で、
真希から見て従兄にあたる甚爾は、全が当主の座に就く前の古き悪しき禪院家の因習の中で
その虐げられた過去と、幾度となく死の淵を歩いた経験が彼の圧倒的な生存本能と修羅としての凄みを作り上げている。
対して真希が生まれた頃には、すでに禪院家は全の支配下で完全実力至上主義へと移行しつつあった時期だ。
彼女は幼少期に双子の呪縛を解かれて完全な天与呪縛として覚醒した瞬間からその強大な才能を認められ、最高の環境で鍛え上げられてきた。
血を吐くような努力はした。厳しいシゴキにも耐えた。
——だが、それはあくまで「護られた箱庭」の中でのこと。
(……それに、私より遥かに強いバケモノなんて味方にしか見たことがねぇからな!)
禪院全に禪院甚爾。そして五条悟。その他の特級呪術師。
彼女にとって「自分より遥かに強い存在」は、いつだって味方側に陣取っていた。
彼らの放つ圧倒的な暴力と理不尽さはあくまで身内としての頼もしさであり、本気で自分を殺しにくる敵として対峙したことは一度もないのだ。
今、真希は生まれて初めて明確に自分よりも強く、そして本気で自分を殺しにかかる強者のプレッシャーを真正面から浴びた。
——ズドォンッ!!
魔虚羅の裏拳が真希のガードを強引に弾き飛ばし、そのままの勢いで彼女の身体を大木へと叩きつけた。
「ぐはっ!」と空気が肺から漏れ出し、背後の大木がメキメキと音を立ててへし折れる。
(……ヤバい。少しずつ、動きを読まれ始めてる)
誤魔化しの手抜き機動も、次第に適応の網に捉えられつつある。
殺意の重圧が真希の思考を僅かに鈍らせ、疲労が天与の肉体に鉛のようにのしかかっていく。
魔虚羅がゆっくりと歩み寄り、トドメを刺さんと退魔の剣を高く振り上げた。
真希は薙刀の柄を強く握り直し、血を吐きながらも獰猛な笑みを浮かべた。
(まだだ……! ここで終わって、たまるか……ッ!)
限界を超えた生存本能が彼女の闘志をさらに燃え上がらせる。
振り下ろされる死神の刃を前に、真希が最後の抵抗に打って出ようとした——まさに、その刹那だった。
「——里香! 風をッ!!」
絶体絶命の死線に、切羽詰まった少年の声が力強く轟き渡った。
『はいっ♡』
普段の「里香ちゃん」という優しい呼び方ではなく、緊急事態ゆえの余裕のない呼び捨て。それに不謹慎にもキュンと胸をときめかせた特級過呪怨霊が、歓喜に満ちた極上の甘い声を上げる。
その直後に勇ましい声とともに放たれたのは、禪院全から模倣した暴風の術式であった。
「
真希と魔虚羅の間に極大の暴風が巻き起こる。
それはかつて公開調伏の際に禪院全が魔虚羅を両断したのと同じ、極限まで圧縮された真空の刃。
底知れぬ里香の呪力を惜しみなく注いだその一撃は、本家のそれを凌駕しかねないほどに理不尽な威力を誇る。
——ズバァァァァァァッ!!!!
無防備に剣を振り下ろそうとしていた魔虚羅の巨体は、その圧倒的な風の刃をモロに受けて上半身と下半身を見事に泣き別れにされ、そのまま森の奥深くへと豪快に吹き飛ばされていった。
——ガコンッ。
遠くの茂みで方陣の回る不吉な音が響く。これで風の斬撃に対しても適応が進むだろう。
……だが、真希にとって今はそんなことどうでもよかった。
限界ギリギリだった持久戦の果てに、ようやく望んでいた助っ人が駆けつけてくれたのだ。
「——ハッ」
真希は額の冷や汗を拭いながら張り詰めていた緊張を解いた。心底安堵したように表情を緩め、薙刀を肩に担ぎ直して声のした方へと振り返る。
「——おいっ、おせえぞ憂、太……?」
彼女は悪態交じりの歓迎の言葉を吐きつつも、誰が見てもわかるほどに破顔していた。自身の窮地に駆けつけた婚約者を満面の笑みで迎えようとしていたのだ。
だがその顔に浮かんでいた笑顔はその姿を視界に捉えた瞬間にピシリと凍りつき、やがて能面のような無表情へと変わっていった。
「……あの、えっと……真希さん、無事でよかった」
その視線の先には、駆けつけてきた乙骨憂太がいた。
その背中には童女の姿をした祈本里香がぴったりとくっついていたが、そこまではいい。いつもの見慣れた光景だ。
問題は憂太の顔から首筋にかけての
頬や顎、首元、さらには襟元から覗く鎖骨のあたりに至るまで、鬱血して赤紫に染まった生々しいキスマークが無数につけられていたのだ。
「…………」
真希は、瞬き一つせずにその光景を凝視した。
憂太の背中にしがみついている里香は、いつもであれば真希の姿を見るなり「泥棒猫!」と嫉妬心を露わにするのがお決まりだ。
だが今の彼女は真希を威嚇するどころか、憂太の首に腕を絡ませながら余裕たっぷりの勝ち誇った笑みを浮かべていた。
(………………は?)
真希の頭の中で急速に思考が回転し、そして一瞬だけ、すべてが真っ白になった。
「…………………は???」
真希も禪院家の女だ。優秀な血を残すために側室を持つ前時代的な一族の人間関係にも慣れているし、覚悟もある。
(……里香とそういう関係になるのは、まあいい)
現在の見た目が女児であるという絵面こそ最悪の犯罪臭を放っているが、元は同い年で将来を誓い合った幼馴染同士。怨霊とはいえ、長年の愛情の行き着く先として文句を飲み込んでやれる度量くらいは彼女にもある。
——だが。
この、自分たちが命懸けで魔虚羅から逃げ回っていた最中に。
百歩譲ってその前の時間帯だったとしても、他校の生徒もいる交流会の真っ最中、演習場のど真ん中でナニやってやがった??
それ以上に……。
真希の奥歯が、ギリッと音を立てて噛み締められた。
(てめぇ……
そうだ。憂太は反転術式の使い手。
あんな鬱血の痕など、ほんの一秒呪力を回せば綺麗さっぱり消し去ることができるはずなのだ。
……なのにそれを消しもせず、こんな顔から首までキスマークだらけの情けない顔をこれ見よがしに堂々と晒して私の前に出てきたのは、一体どういう了見だ??
真希の胸の奥底で、ドス黒い何かが煮え滾り始めた。
天与呪縛でなければ、とんでもない呪力出力が計測されていただろう。
(……アレか?)
彼女の脳裏には、かつて当主がグラウンドで笑いながら提案した『正室・側室』の話がよぎる。
(心から想い合っている幼馴染の純愛と。当主の意向で無理やり婚約させられただけの私との愛情の差ってやつを、わざわざ見せつけてきてんのか?? そういう嫌がらせか??)
ブチィッ!!!
真希の頭の中で、何かが音を立てて弾け飛んだ。
魔虚羅が放っていた死のプレッシャーにも負けない、底冷えのするような純粋でドス黒い殺意が彼女の全身から陽炎のように立ち昇り始める。
「ひっ……!」
真希から放たれる異様なオーラに、憂太は顔面を蒼白に引き攣らせた。
「ま、真希さん! ち、違うんだ! これには深い訳がっ……!」
必死に弁解しようと両手を振る憂太だったが、その言葉の途中で憂太がハッと目を見開き、真希の背後を指差した。
「後ろ! 危ない——ッ!?」
憂太が指差した先では、再生を終えた魔虚羅が無音のまま真希の死角から退魔の剣を振り下ろそうと肉薄していた。
背後から迫る、最強の式神の凶刃。
——だが。
「……鬱陶しいな」
真希は、背後を振り返ることすらもしなかった。
彼女は半身をずらし、振り下ろされた退魔の剣の軌道を紙一重で躱すと同時に、手にしていた薙刀を鋭く旋回させ、下から上へと容赦なく振り抜いた。
——ズバンッ!
「————!?」
退魔の剣が括り付けられていた魔虚羅の右腕は、肘から先をいとも容易く切り飛ばされ、宙を舞った。
「話の邪魔、すんじゃねえよ」
さらに真希はその勢いのまま独楽のように身体を回転させながら跳躍し、全身のバネを極限まで引き絞った渾身の蹴りをガラ空きの鳩尾めがけてブチ込んだ。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
白く巨大な身体が、蹴飛ばされたゴム鞠のように二十メートル近くも後方へと凄まじい勢いで吹き飛んでいき、土煙を上げて転がる。
——これまで高専生たちは、討伐の際に手詰まりにならないように魔虚羅に対してはなるべく攻撃を加えずに立ち回ってきた。
耐久力がプレーンに近い状態であれば——四メートル近くの体躯と筋骨隆々の肉体相応の頑丈さとはいえ、本気でやれば一度くらいは切り刻んで蹴り飛ばすことなど真希ならば可能であった。
——ガコンッ。
その頭上で魔虚羅の方陣が虚しく回転し、今の斬撃と打撃への適応を進める音がどこか事務的に鳴り響く。
「ひっ……!」
魔虚羅をゴミのように蹴り飛ばした真希の、氷のように冷たく、温度というものが完全に抜け落ちた視線。
冷や汗をダラダラと流して後ずさる憂太と、その後ろでこれ見よがしに彼に頬擦りして見せる里香。
「……で? 訳があるって?」
薙刀を肩にトントンと叩きつけながら、ゆっくりと——般若のような笑みを浮かべてにじり寄ってくる真希。
「聞こうじゃねえか。そのだらしねぇ顔の理由をよ」
「ひっ……!?」
「…………何やってんだ、あいつら」
先ほどまで一人で魔虚羅の猛攻を捌く真希の姿を手に汗握りながら固唾を飲んで見守っていた禪院恵は、魂が抜けたような目でその修羅場を傍観していた。
「交流会サボってアレたぁ、童顔のくせにやることが派手だな」
顔と首にびっしりと赤紫のキスマークをつけた憂太を見て、秤金次はニヤリと笑いながら口笛を吹いた。その脇腹には、今も血が滲む反転術式を受け付けない傷跡を抱えている。
「けどまあ、タイミングってもんがあるだろ。女は怒らせるとマジで怖えぞ、乙骨」
「ちょっと金ちゃん、笑い事じゃないよ!」
面白がっている秤の腕をバシッと叩き、星綺羅羅はプンスカと頬を膨らませた。
「乙骨くんと里香ちゃんの関係は知ってるし、可哀想だとも思うけど……! いくらなんでも、婚約者である真希ちゃんにあんな姿を見せつけるなんて、デリカシーがなさすぎるでしょ!」
死してなお相手を想い続ける特級過呪怨霊の純愛という重すぎる背景をある程度把握している綺羅羅であっても、この状況下における憂太の仕打ちは到底擁護できるものではなかった。
東京校の面々が呆れと憤りを口にする中、さらに深い絶望のどん底に落とされていたのは、京都校の真面目な二人であった。
「……東京校の風紀は、一体どうなっているのだ」
加茂憲紀は血まみれの顔を両手で覆い、頭を抱えていた。
御三家次期当主として常に呪術師の模範となる行動を心がけてきた彼にとって、こんな状況で痴話喧嘩を始めるという風紀の乱れは理解の範疇を遥かに超えていた。
「同感だ……理解に苦しむ」
隣に立つ与幸吉もまた大きく腫れた頬を撫でながら、心底嫌そうに同意した。
「あらあら、まあまあ……」
途中で真希から一尺様を押し付けられつつ遅れて合流した真依だけが、先程まで不安げに見守っていた姿から一転、姉とその婚約者の修羅場に対して肩を震わせて笑っている。
この森に降臨した最悪の死神を討ち果たすため、待ちに待った最強の援軍がようやく到着し、乙骨憂太と禪院真希という東京校が誇る反則級の最大戦力二人が、ついにこの場に揃い踏みしたというのに。
(…………なんなんだよ、この空気)
怒気で肩を震わせる真希と顔を引き攣らせて後ずさる憂太を見比べながら、恵は心底疲労困憊した様子で天を仰いだ。
・東堂葵 第三術式:
元の名は『反復反響』。という術者が出した音を繰り返し反響させるだけの術式。
だが、不義遊戯と組み合わせれば反響する柏手一つ一つに不義遊戯判定が乗る。
東堂がいちいちブラフを張らずとも、フリーハンドで繰り返し不義遊戯できる。
不義遊戯と万舞留と無頼望が回り始めると東堂を止められるやつはほぼいない。
対策は不意をついて領域に取り込んでしまうとか、万舞留の範囲を一気に消し飛ばすとかそんな感じ。
高田ちゃんのコンサートとかに行けばシャボン玉を飛ばしてキラキラさせながら一人で何百人分も拍手喝采する東堂が見られるかもしれない。
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未プレイながらファンパレの動画を見て登場させた花御の領域展開。
必中効果で敵意を喪失させる。敵意や戦意が消えると、呪力も多分練りにくくなる。そうして無防備になったところで『供花』からビームをぶちかます。
そういう内容だと判断しました。
原作だと使わずじまいで祓われたので、本作ではむしろ使ってもらう。
帳が原作より頑丈なのと、これを出すほどテンション上がるのが早かったのと。
・嵌合防壁
凝声呪法+万舞留+星光操術の組み合わせる防壁。
キラキラしてる。かたい。
・対魔虚羅遅延戦術
とにかく動きへの適応を遅らせるためにギアを少しずつ上げつつ回避し続ける。
倒し方とは真逆みたいな感じがいいなと個人的に思う。
パーフェクトフィジギフがこれやればかなり持つと想定しました。
・邪魔だとぶっ飛ばされる魔虚羅
二回目は適応されるでしょうが、パーフェクトフィジギフなら一回くらいはできる……と思っています。フィジギフ信頼しすぎかな?
とりあえず、本作の魔虚羅は被弾無しで回避や防御に対しても適応します。
でないと影鰐使ってガン逃げするだけでいくらでも時間稼げちゃいますし。
そして調伏済みであれば適応した内容は意図的に破棄しない限り保持されます。
そういう事になった。
……ちなみに適応リセットって原作のどのへんに書いてます?五条対宿儺辺り読み返して探しましたが、見落としてるのか探し切れず……。
次回、姉妹校交流会編はラストとなりますが、ちょうどいい切りどころが見えず二つの決着を盛り込んだら超長くなりました。
感想欄見てるとちょいちょい設定覚え違えしてる疑惑アリアリの私ですが、既にプロットの都合がある部分に関してはある程度理屈をつけようと試みつつもこちらのやり方で押し通します。
作劇上便利なように、基本的にエンタメ性優先でやっていきたいと思ってますし。