あれは確か、ベンチャー企業として駆け出しの頃に請け負った仕事だったろうか。
アーケードへの新規参入として開発中の対戦格闘ゲームをどう売り出すか、市場の求めるニーズに合わせたゲームバランスの調整を依頼された。まったくの畑違いなので断ろうかと自分は考えたが、業界に詳しい部下が熱心に推すので不承々々引き受けたのを思い出す。
キャラクターを際立たせるにあたってそれぞれに特徴を持たせようという話になり、具体的にどうするのかと聞けば、一例として返ってきた答えが、
「必殺技以外の攻撃を受けてもひるみません。スーパーアーマーというやつです」
何だそれは。そんなふざけた体質の人間がいてたまるか。そもそもファイターとして戦えるだけの力量同士の攻撃でひるまないなんてあり得るのか。まったくもって現実的じゃない。
次から次へと湧いてくる罵声を我慢しながら、自分はいっさい関わるまいと心に決めて部下に一任。結局その仕事は成功を収めたものの、企業としては二度と手を出す事はなかった。
あの時の自分に言ってやりたい。
時として、現実は空想を超えるのだと。
「おらあああああああああああ!」
「むっ⋯⋯!」
丸太のような太さの剛腕が、ごうごうと風を切って振るわれる。
右。
左。
右。
左。
間隙を縫うようにして、がら空きの胴体に拳を突き立てる。だが止まらない。わずかな動きの静止にもならない。中途半端なカウンターではこちらの致命的な隙に繋がってしまう。
右からの振り上げ。避けようとしたが間に合わず、コロリと太い親指が首筋をかすった。むず痒い熱。明日にはミミズが這ったような痕が残るかもしれない。だが、後の事を心配する余裕などなかった。目の前の危機がそれを許さない。
神田強のファイトスタイルはいたって単純である。
相撲の型のひとつ、本来よりもやや高めに重心を据えた姿勢からの不知火型。相手の攻撃はすべて受け切る、とでもいいたげに両碗を大きく広げた構えは、現代格闘技のディフェンス理論を真っ向から否定する。
少なくとも、峯がたしなむシュートボクシングには馴染みがない。防御を捨てて攻撃に懸けるといえば潔く聞こえるが、生身のサンドバッグとして打たれ放題になり、全身痣だらけで地面に沈む未来しかないからだ。
しかし。
ダメージを一切負わない、獣のタフネスの持ち主なら。
(バケモノかこいつは⋯⋯!?)
神田が一発空振りする間に峯は四発を打ち込む。だが止まらない。攻撃のために足を止めた峯に向かって次の一発が迫る。避けようとしてフットワークを消費。距離を取ろうと腹に膝蹴り。腹筋で跳ね返される。物理的な熱が肌をかすめた。かわしざまにフック。自分の拳の方がダメージを負う。
熊でも相手にしているような気分だった。
「おうりゃ!」
ここに来て、ついに神田が技を見せる。右腕を振り上げた勢いのままに回転し、左腕によるアッパースイング気味の裏拳。ダブルラリアットにも似た軌道を描いたそれが、峯の首めがけて飛来する。
(危険だ)
まともに受ければ骨まで砕かれる、絶対にくらってはならない一撃。本能が警報を鳴らすのに従って、距離を取ろうとステップバック───しかけた瞬間、ガクン、と峯のバランスが崩れた。
馬鹿な!?
⋯⋯神田の猛攻が始まってから、実に三分間。ボクシングの試合なら1ラウンドの間、峯は一度も動きを止めさせてはもらえなかった。ほぼ無呼吸で攻撃を続ける神田も化け物だが、カタギの身で回避し続ける峯もまた人間離れした存在である。
だが、それにも限界があった。本人の知らない内にスタミナを削られた峯の右脚が動く事を放棄し、致命的な隙をさらしてしまう。
(これは、まずいな)
首を刈り取る勢いで迫る剛腕を、他人事のように見つめる。死を意識して脳内麻薬が過剰分泌され、視界に映るものすべてがスローモーションに切り替わる。自分を脅かす凶器がゆっくりと迫る様を見せられるとは、なんて残酷な仕打ちだろう。
20cm。
15cm。
10cm。
刻々と近づいてくる脅威。その距離が一桁を切る瞬間、峯の意識は理性から解放され、本能が導き出す最適解に従おうとする。
勝機。
「せいぃぃぃやっ!」
自分の身体が動かないのなら、相手を利用すればいいのだ。完全な脱力でもって重心を下げる事で屈伸を果たす。自分の頭上を振り抜く左碗の袖を両手で掴み、自らを宙に浮かせる。不完全な跳躍。飛べるなら十分だ。
一回転。足りない。
二回転。まだ駄目だ。
限界まで上半身をひねり、勢いをつけた鞭のしなりを生み出す。満足に動くのは左脚一本。それでいい。骨まで折れよと振り上げる。
トリプルスピンからのローリングソバットが、神田強の頭を盛大に揺らした。
ズゥン⋯⋯と音を立てて地面に横たわる神田強の前で、峯義孝も膝をついていた。荒い呼吸がおさまらない。三分間、一発も食らってはならない攻撃をノンストップでかわし続けるという苦行を強いられた反動である。スタミナはとっくに底を突き、巌のような筋肉を殴り続けた両の拳がじわじわと痛む。ヒビこそ入っていないが、数日は休ませる必要があるだろう。
「どこまでも⋯⋯予想外が過ぎる⋯⋯!」
どうしてこうなった、といいたくなるような一日だった。事前に峯の立てた予定では、うだつの上がらないチンピラヤクザの神田強が出所するのに合わせて交渉を持ち掛け、風前の灯火まで落ちぶれた錦山組を自分達が盛り返して権力を握るプランに賛同させる、それで済む話だったのだ。
ところがどうだ? まず刑務所から姿を現した男の容姿がどうにも一致しない。すぐに手が出る暴力性とも聞いていたのに、出迎えに来た舎弟達と穏やかに接し、少なくない小遣いまで与えていた。バッグ片手に神室町をぶらつきながらも油断なく周囲を警戒し、ひと気のない空き地まで巧みに誘導してのける。
一筋縄ではいかないかもしれない。覚悟を決め直そうとしたこちらのタイミングを見計らったように腕試しを持ちかけられ、圧倒的な実力差まで見せつけられた。勝機だと? あんな曲芸じみた一撃、もう一度やれといわれたって不可能である。本当に自分がやってのけたのか実感すらないのだ。
こんなものを勝ちといえるのか?
「⋯⋯私は、勝ったのか? 本当に?」
「おう、兄ちゃんの勝ちやで。おめでとさん」
無造作に起き上がった神田強が二度、三度と拍手する。蹴られた頭を撫でてから、ゴキリ、と首を一回鳴らした。背筋がぞくりとするような音だった。
「せめて一発くらい当たると思っとったんやが。いやぁ、カタギにしとくのが惜しい逸材やな! リングの上でもやってけるんと違うか?」
「衆人環視にさらされる趣味はないので。しかし、あれを受けても立てるのですか。本当に自信を無くしそうですよ、神田さん」
「痛いもんは痛いで? ただな、受ける時に自分からほんの少しだけ飛ぶねん。そうするとダメージが減る。何やったかな、プルバック? スリッピングアウェイやったか? そういう小細工も仕込んでたっちゅうわけや。芸達者やろ、今時のヤクザも」
ガハハ、と笑いながら歩み寄る神田が、熊の手のような掌を差し出す。
「いつまでも地べたに座ってたらアカンな」
「⋯⋯どうも」
大きな手だった。二年間の刑務作業で鍛えられたのだろう、ガサガサで、いたるところに傷があって、幾つもの豆を潰しては固まった、尋常ではない熱を放つ手だ。
握手というには力が強過ぎた。勢いよく全身が引っ張り上げられる。ガクガクと震える右脚に気づかれないよう、左脚に重心を預けた。そちらも負けず劣らず疲労困憊である。
パッ、
パッ、
肩まわりをはたかれる。砂を払ったのだ、と気づいた時には、神田の姿は数歩先にあった。お互いの荷物を持ってくるなり、自身のバッグから天然水のペットボトルをふたつ取り出す。
「話の前に休憩しよか。ほれ、飲んどき。天下一のコンビニで買ったばかりや、口もつけとらんから心配せんでええ」
肉食獣のような狂猛さを見せたと思えば、カタギ並にきめ細やかな心配りを絶やさない。噂と風貌、虚実が入り乱れて一致するところがない。あまりにも異質な存在だった。
「⋯⋯あなたという人間がつくづく理解できなくなってきました」
「そこまでいうかぁ?」
差し出された水は、雑味がなく美味かった。
峯くんが強すぎる件。
あのな、こっちはムショ上がりやねん。時間も道具も限られた環境で必死こいてトレーニング積んで、一番にドン引きされながら界〇拳じみた技まで会得したんやぞ。なのにビンタひとつ当たらないどころかソバットでぶっ飛ばされるとは思わんかったわ。
というか、何やねん最後のアレ? 三回転ジャンプとかフィギュアスケートでしか見た記憶がない。おまけに助走無し、屈伸なし、介助なしの自力でこなすとか、ワシよりよっぽどバケモンやないか。
ムショでの一番の成長スピードを基準にしていたが、まだ甘かった。この時点ではカタギの峯といい、4での秋山といい、龍が如く世界は人外クラスの連中がカタギ・ヤクザを問わずひしめいている。
これは怠けていられませんわ。本編を生き残れても、下手したら引退するまで鍛え続けないと重大事件の巻き添えで死にかねん。トンカチで殴られても痛いで済むが、ヘリコプターからの銃撃はさすがにヤバいからな。
⋯⋯あの、ゲーム的にいったら未強化状態の峯でさえこの強さなのに、ワシはこの先『堂島の龍』桐生一馬とやらにゃならんの? マジで死んでしまうのでは? 罰ゲームどころかデスゲームに突入してない?
誰か助けてほしい。切実にそう願った。
なお、桐生さんは背後から瓶で殴られてもノーダメージである。なんで???