東城会直系団体・錦山組は絶体絶命の危機にある。
初代組長である錦山彰が組を立ち上げた当初こそ舐められていたが、育ての父が率いる風間組から派遣されてきた古参組員がシマ荒らしのトラブルを起こすや、組長自らケジメをつけて決別を宣言。ブレーキの壊れたF1カーじみた勢いで組を拡張し続け、あっという間に直系団体へと昇格した。
十年目を迎える頃、極道社会を揺るがす『100億円盗難事件』が起こる。東城会・近江連合・チャイニーズマフィア・内閣府調査室が複雑に絡み合う攻防の中、錦山彰は東城会の権力を握るために暗躍。ミレニアムタワーの最上階で首謀者の神宮京平とともに爆死するという壮絶な最期を遂げた。
それから二年後。初代組長を失った錦山組は弱小団体に落ちぶれると思われたが、錦山を崇拝していた二代目の新藤浩二が勢いを盛り返す。解散した嶋野組の構成員を吸収して武闘派路線に傾き、時を同じくして近江連合とジングォン派が戦争を仕掛けてきたのを好機とみてクーデターを敢行。臨時代行の堂島弥生を含めた東城会首脳陣を制圧寸前まで追い詰めたところで、堂島の龍こと桐生一馬によって敗北。後に東城会六代目を襲名する堂島大吾の手で射殺された。
⋯⋯並べて書けば勇ましいが、そもそも初代が組を立ち上げる段階で親団体と騒動を起こすわ、権力目当てに三代目の世良会長を暗殺するわ、ようやく見つけた100億円を爆発させてパーにするわでダメージしか与えていない。二代目にいたってはクーデターを起こす時点でフォローしようがなく、おまけに当人の熟女趣味という実益を兼ねてましたなんてミソまで付いてしまった以上どうしようもない。
近江連合との戦争による混乱、東城会六代目襲名からの地盤固めで処分こそ先送りにされているが、状況が落ち着けば一年以内、早ければ明日にも解散を命じられかねない。そんな斜陽団体に関わろうとする人間はまずいない。親交のあった組とも疎遠になり、残されたシマの維持で手一杯という、まさしく風前の灯火。
そんな先の見えない組織の代行を務めるのがこの男、碇新平だった。
「⋯⋯誰だてめぇ?」
今日も朝から景気の悪い報告に怒鳴り散らしながら仕事を終えたところへ、二年前に厄介払いした爆弾が帰ってくるというストレス発生。まったくやる気が起きず、組長室でタバコ片手にふんぞり返っていたのだが、控えめなノックとともに入ってきた男を見た一言である。
「ちっとばかしムショで痩せましたが、神田強ですわ。組の大事な時期に抜けてしまい、ほんまに申し訳ありません。遅れましたが碇の兄貴も代行就任、おめでとうございます。ほんで、ご祝儀代わりって事になるんですが」
あの神田とは思えない殊勝な口上を並べると、背後に控えていた若い男を横に立たせる。カタギにしてはえらく眼光の鋭い、ホストも真っ青なイケメンであった。
「お初にお目にかかります。私、峯義孝と申します。ベンチャー企業の経営に関わっているのですが、以前から数兆円産業と呼ばれる極道に強い関心がありまして。ぜひとも勉強させていただけないかと、神田さんにご助力をお願いした次第です」
ベンチャーが。
神田に。
ご助力を?
すべての単語が結びつかない。ヤクザ業界が汚い金の渦巻く社会なのはその通りだし、金儲けの好きなベンチャー企業が目を付けるのもわかる。だが、よりによって暴力しか取り柄のない神田の弟分になり、明日にも消滅しかねない錦山組に入る? いったい何を考えたらそうなるのだ?
「峯の才能はピカイチです。金稼ぎはもちろん、腕っぷしも相当なものを持ってます。ついさっきぶっ飛ばされたワシが保証しますわ」
「ほぉ! お前をかい」
褒められた峯が何か言いたげな顔をしているのにも気づかず、碇は吸っていたタバコを灰皿に捨てて思考を巡らせる。視界にあるのは机の上、峯が手土産として持参した札束入りのジュラルミンケースだった。
(どアホウ。どれだけシノギをあげられるかが重要なご時世に、ケンカが強いなんて大した強みにもならねぇ。だが、正直この金は喉から手が出るほどに欲しい! 今月の上納金もままならなかったが、これさえあれば何とかなる。それに、いざとなったらこの金持ちから搾れるだけ絞っちまえばいい。トンビが金の卵を産むガチョウを連れてきやがった)
最初から逃がす手はない。それでも計算高く、もったいぶるように振る舞う。新しいタバコに火をつけてから、じっと神田を見やった。
「ま、いいだろう⋯⋯神田ぁ! お前が面倒見てやれ。カタギのお偉いさんにヤクザ社会の仁義ってのを教えてやりな」
「任せてください、けして損はさせやせん。せやろ、峯?」
「もちろんです。手始めとして、まずこちらをご覧ください」
目の前にずらりと並べられる資料の山。組の財政状況を数値化したバランスシートに四期分の資産推移、組が所有する不動産とテナント店の赤字状況、敵対する組の若衆に頭を下げる古参組員のツーショット⋯⋯数えるのも嫌になるほどの部外秘の数々が、責任者である碇の前に陳列されていく。
「極道組織の経営改革といきましょうか」
とんでもない人間を組に入れてしまったと碇が気づくには、時すでに遅かった。
◇
「会長、こちらが今月の幹部会で配る予定の資料になります。細かい数字については当日までに修正されますが、おおよそは変わらないものと」
「わかった。目を通しておこう」
東城会六代目会長・堂島大吾が事務方から提出された書類の束を処理していく。最初は慣れなかった作業も、数をこなせば自然と身に着くものである。管理職の仕事はカタギも極道も変わらないな、と嘆息していると、今期の収支報告書が目に入る。
ここ数年、東城会は激動の時代である。昨日まで隆盛を極めていた大幹部の組がいくつも解体される一方、それらの抱えていたシマを中堅・若手の組が支配し、独自の色に塗り替えていく。変化を恐れる古参幹部は嫌がるものの、組織内の風通しは良くなったといっていい。
ところが全体の収益となると、黒字からは程遠かった。元の安定したアガリを得るための再建中とはいえ、今年も赤字なら上納金ノルマを上乗せする必要がある。今回も少なくない数の弱小団体が解散するかもしれない。
「⋯⋯気のせいか? 前期の予想より増益見込みが跳ね上がっているぞ」
「確認しましたが、正しいようです。錦山組からの上納金が改善されたと」
「錦山組だと?」
自身と因縁浅からぬ組織の名前を聞いて、大吾の眉間に皺が寄った。
数か月前に繰り広げられた近江連合との戦争中、それまで前科持ちのチンピラでしかなかった大吾は実家の稼業である極道社会の一員となった。きっかけである堂島の龍こと桐生一馬に導かれるまま戦っているさなか、東城会本部でクーデターが発生。その実行犯が錦山組であり、二代目組長の新藤浩二である。
結果的には阻止したものの、新藤が自分の母である堂島弥生に懸想していたという生理的な嫌悪感、さらには悪あがきとして桐生を背中から撃とうとしたのを自身の手でもって射殺した記憶が蘇ったのだった。
「あそこは弱体化させたはずだ。まさか、復活したとでもいうのか?」
クーデターを起こしておいて存続するなど前代未聞である。大吾からすれば、会長就任のご祝儀で潰したかった。そうしなかったのは、東城会という組織がこれ以上弱体化するのを危惧した古参幹部達の思惑と、事件解決に奔走してくれた四代目・桐生一馬が初代組長の錦山彰と親しかった縁によるものだ。
恩人の思い入れのある組を解散させるのはいかがなものか。もっともらしい意見を聞かされては我儘を通すこともできず、最後のチャンスをくれてやったのが実情である。
「お勤めから戻った神田という男がやり手のようです。出所後にそいつが連れてきた新入りと組んでからというもの、死にかけのゾンビ状態だったテナントをひとつ残らず再生させたとか。さらには神室町の不動産まで手掛けたそうで」
「⋯⋯ムショで数年潰して、か」
自身も少年院、さらに成人後は銃刀法違反で五年を刑務所で過ごした。社会から隔離された空間で長い時を過ごすほど、シャバに戻ってからの適応に苦労するものだ。
ところが話を聞く限り、その男は出所初日から精力的に活動し、とうとう組を立て直してしまった。シノギのでかさは新藤時代を超えつつある。
ムショの中でも腐らずに励んでいたのか?
あるいは、もうひとりの新入りによるものか?
「直接話してみたい。近日中に本部まで来るよう伝えてくれ」
「了解しました」
確かめなくてはならない。場合によっては、仇敵の組といえども認識を改める必要がある。若い大吾にとって、その柔軟性こそが強みであった。