【完結】神田.zipにはなりたくない   作:翔々

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禍根を断つ

 

 関越道を東京へと戻る車が一台、快調に飛ばしている。地方の傘下団体との会合を終えた東城会六代目と側近数名を乗せたリムジンである。予定よりも大幅に長引いてしまい、このままでは本部での泊まり込みが確実になる。顔には出さないものの、大吾を含む全員がげんなりとした気持ちだった。

 

 几帳面にファイリングされた書類の確認を峯が済ませたところで、大吾が口を開く。

 

「明日の幹部会だが、錦山組は大丈夫か?」

「もちろんです。今晩も神田のカシラが碇代行と打ち合わせの予定なので、万事滞りないかと」

「そうか⋯⋯碇の事は残念だった。去年までは腐っていたが、お前と神田のふたりが来てからは見違えるように働いてくれたよ。知っているか? お前が本部で働けるように一役買ったのは、碇からの声もあったんだ」

「代行の、ですか? それは⋯⋯初耳です。本人からは、一言も」

 

 めったに表情を変えない峯の顔つきが、少しだけ驚いたように変わった。珍しいものを見たのが嬉しくなり、大吾の声も明るくなる。

 

「お前達を本部に呼ぶ前の会合でな。上納金とは別に推薦状を持ってきて、頭を下げて回ったんだよ。うちの新入りで凄いのがいる、迷惑をかけるが絶対に損はさせない男だ、ゆくゆくはよろしく頼むってな。普通なら若衆ひとりのためにそこまではしない。本部中で評判になったよ」

 

 峯の口は開かない。言葉にできない感情が胸の内でのたうち回りそうになるのを、必死にこらえるので精いっぱいだった。

 

(⋯⋯俺は)

 

 最初は神田と同じで、利用するだけ利用するつもりだった。斜陽の組織のトップにすがりつくだけの、冴えないチンピラ。実際にその通りだと思った。自分を危険視していたのも察している。

 

 いつからか、それが変わった。神田がフォローしているのだろうと思ったが、普段のコミュニケーションが柔らかくなり、働き過ぎたら倒れちまうぞ、などと口にするようになった。神田不在での交渉が成功した時はご褒美だと料亭に連れていかれ、酒の趣味が良いと喜ばれた。千鳥足でろれつの回らない彼をタクシーに押し込んだ時、もっと気楽に生きな、と背中を軽く叩かれた。

 

 あの人は、あの人なりに自分を見ていたのだ。

 

(⋯⋯どうして気づかなかったんだ、俺は)

 

 峯の様子から事情を察した大吾が、優しく肩に触れる。

 

「受けた恩は、返さないとな」

「⋯⋯はい」

「幹部会が終わったらでいい、碇の見舞いに行ってやれ。俺も時間を作る」

「会長も、ですか?」

「会長だからだよ」

 

 何でもない事のように、さらりといってのける。

 

「大事な息子を預けてくれた親に挨拶しないでどうするんだ」

 

 普段なら綺麗事と切り捨てる、その言葉が。

 

 いまの峯義孝の心には、途方もなく重くのしかかった。

 

『あの会長には、ワシらがついていくだけの器がある』

 

 組が襲撃を受けたあの日、神田が自分にかけた言葉の意味を、ようやく理解できた気がする。

 

 胸の内がざわついて落ち着かない。震えを抑えようと、無意識に腕を掴む。カチ、カチ、と耳障りに響くのは、食いしばった自分の奥歯が鳴らす不協和音。なのに、心はいつもより暖かかった。

 

 車内が無言に包まれる。そっとしておいてやろうと大吾が案じて、外の景色を見やった。すでに高速から地上に移り、本部まで数十分。これなら日付が変わるまでに帰宅できる。ほっと安堵の息をつこうとして、

 

 前後を挟まれている事に気づいた。

 

「車線を変えろ! 前に出るんだ!!」

 

 大吾が指示を出すのと同時に運転手がハンドルを切る。だが遅かった。反対車線から突っ込んできた大型トラックが運転席を潰す勢いでアクセルを踏み込み、外壁との間にリムジンの前半分が圧縮される。運転手と助手席の側近が即死し、護衛は峯ひとりになった。

 

 運転席に背を向ける形で座っていた峯は、大吾の声を聞いた瞬間に後部座席へと飛び込み、間一髪で死を免れる。大吾もケガはない。が、ふたりとも衝突のショックから身動きがとれない。

 

 粉々に割れた窓ガラスからピストルを突き付けられ、外へ出るように促される。

 

(会長)

(行くしかない)

 

 お互いに頷き合う。まずは峯が先に降り、続いて大吾。銃を持ったチンピラらしき男が左右を挟む中、車道から歩道の先、廃工場へと誘導される。ジーンズに短パン、ジャージにスーツと、まったく統一されていない集団の中心に、まとめ役らしい男ふたりがいた。

 

 ひとりは若い。社会人数年目だろう。リクルートスーツに度の強い眼鏡を掛け、神経質そうな目が峯を睨んでいる。ろくな生活を送っていないのか、やつれた頬に広がる湿疹が痛々しい。

 

 もう片方はチンピラとしか言いようがなかった。安物のフード付きのパーカーに穴開きジーンズ、半端に脱色して染めたリーゼント。場数だけは踏んだのか、顔や手などの人目につく傷を隠さず、見せつけるように振る舞っている。暴力にすがるしか生きられない、典型的なヤクザくずれ。

 

 だが、峯と大吾、それぞれに見覚えがあった。

 

「久しぶりですねぇ、峯主任。おっと、いまは会長でしたか」

「⋯⋯開発部門にいた遠藤か。なぜお前がこんなところにいる?」

「あなたにだけは言われたくありませんよ。一般人の会長のくせに、好きこのんでヤクザになるような人には。ねぇ、僕を追い出して、会社の金を湯水のように使い続けて、還暦まで悠々と過ごせる椅子に座った気分はどうです? きっと何の苦労もないんでしょう! ああ、羨ましいなぁ、畜生!」

 

 嫉妬と羨望。恨み、妬み、嫉み。負の感情で埋め尽くされた双眸が峯を睨む。

 

「お前は⋯⋯あの夜に襲撃してきた連中のまとめ役か?」

「そうだよ。あと一歩のところまでいったのに、風間組の連中が加勢しにくるのが見えたからな。もう撤退するしかなかった。だが、上はそれが気に入らないんだとさ。『お前が死ねば殺せたのに』なんて抜かしやがった! あんたの首を取るまで破門だと? ふざけやがって、あのクソども!」

 

 憤怒と怨恨。怒り、呪い、憎しみ。組織への積もり積もった感情が大吾に向けられる。

 

 しかし、このふたりに威圧は通用しない。自身に向けられた怨嗟が見当違いの自業自得であると見透かして、思考が冷徹に研ぎ澄まされていく。銃の数、全体の人数、得物の大小。いかに立ち回るか。衝突で受けたダメージを回復するまで、なるべく時間を稼ぎたい。

 

 まずは峯が口火を切る。

 

「開発部門から移すように指示は出したが、異動先が決まる前に自主退職したのはお前だ。これでも福利厚生は充実させたはずだがな。貯め込んだ有休も使わず、必要のない残業で無駄な手当を要求し、あまつさえ職場の人間関係を破壊していたのを俺は知っている」

「べらべらとよく喋る⋯⋯!」

 

 舌鋒が鋭すぎた。やり過ぎたな、と判断して軌道修正を図る。

 

「だが、絵面が見えない。お前ひとりでこれだけの人数を集められる仕組みは何だ? どんなコネと手段を使えばこうなる?」

 

 峯の記憶にある遠藤という男は、人一倍に自尊心が強い。プログラミングが得意で、学生時代から自作のアプリを開発して企業に売り込んだと面接でも自慢していた。そのプライドをくすぐるように問いかける。

 

 遠藤の顔がニヤリと歪んだ。

 

「僕が開発したんですよ。会員制のアプリでね、個別に配布するパスワードを使えば誰でも利用できる。恨みを買った人間を始末するように依頼して、腕に自信のある利用者が報酬と引き換えに代行する。時代にマッチしているでしょう? 『復讐代行サービス』と名付けました」

「評判いいんだぜぇ? カタギから感謝される日が来るなんて思いもしなかったがな!」

 

 集団の中から威圧的な笑い声が響く。思った通り、元ヤクザが複数いる。こいつらが無秩序に集められた素人を指導・組織化させたのだろう。プロと遜色のない動き方だった。

 

「錦山組を襲ったのもお前達だな?」

「俺は参加しちゃいないがな。あそこの組に恨みを持つ連中は山ほどいる。そいつらだけで百人は手を上げた。出る杭は打たれるっていうだろ? やり過ぎたんだよ、ずっと前からな」

 

 初代の錦山彰から二代目の新藤浩二と、錦山組はシマ争いの抗争と吸収を続けてきた。風間組のシマの横取りから始まり、嶋野組の武闘派を吸収し、川村組や飯渕組といった成り上がりの残党も根こそぎ拾い集めて、最後にはクーデターの始末で多くの組員を路頭に迷わせた。

 

 リストラを断行したのは碇新平だが、誰がトップにいようとやっただろう。でなければ、実入りの減った組が自壊する。傾いた組織が人件費のコストカットから手を付けるのは、カタギもヤクザも変わらないのだ。

 

 つまり、こいつらは。

 

(誰がトップというわけでもない。社会に、組織に、自分の境遇に不満を抱いた、無秩序な暴徒の集団と何も変わらないわけだ)

 

 カチコミを受けた錦山組は、もっとも多くの恨みを買っていたに過ぎない。初代・二代目が無秩序に組織を拡大させる裏で溜まった負債が代行の時代に爆発した、手痛いツケを払っただけなのだ。わかってみれば単純だが、それだけに恐ろしさを感じさせる真相だった。

 

 これが全国に波及したらどうなる?

 

 昭和から平成のこれまで、極道社会でクビを切られた元組員が何十、何百、何千とこのハコに合流すれば、全国規模で不特定多数の半グレ達となって暴れ回る地獄絵図になる。そうなれば間違いなく東城会・近江連合といった大組織は管理不行届きとして政府、一般市民から糾弾され、最悪解散に追い込まれるだろう。それを思えば、まだ規模の小さい内に現れたのは幸いだったともいえる。

 

 まだわからない事がある。大吾が探りにかかった。

 

「仕組みはわかった。だが、金の出どころはどうやった? ざっとここにいるだけでも百人。これだけ集めて動かせる大金は、個人ではまず不可能だ。近江連合の反東城会派が仕組んだとでもいうのか?」

「金ならあるじゃねぇか」

 

 大吾と峯、ふたりを指で差す。

 

「明日の幹部会。そこに上納金を持っていくのはわかってんだ。錦山組は七億だってなぁ? 俺達が全部いただくぜ、お前らを人質にしてな。他の組からも取れるだけ取って海外に高飛びよ」

 

 あまりにも杜撰な計画に、大吾は目を見開き、峯は呆れ交じりの無表情に染まった。

 

「正気か⋯⋯? はっきりしているのは錦山組の七億だけだ。他の組を集めても十億に届くかどうかしかない。お前達で山分けにしたら、それこそ端金にしかならないんだぞ!? たったそれだけの金で残りの人生をドブに捨てるのか!?」

「⋯⋯絵に描いた餅より慎ましい。あるかもわからない金目当てに、ここまで揃ったのか」

 

 一瞬、ふたりを囲む集団から、いっさいの音が消えた。下品な笑い声も、鉄パイプが鳴らす金属音も止まり、異様な空気が立ち込める。

 

 代わりにその場を満たしたのは、熱。

 

 殺しても飽き足らないと主張する、憎悪の塊だった。

 

「誰がそうさせたと思ってるんだ!?」

 

 遠藤が絶叫する。その場の全員を代弁するように。横に並ぶ男が続ける。

 

「あんたらはいいよなぁ! 日本を代表する裏社会のトップとカタギの会長様だ! 下々の連中なんてハナから見ちゃいない! あんたらが食う豪勢なメシのために誰が働くと思ってる!? あんたらが飲むバーの酒は誰が流した血の色だ!? 本部の屋敷も、そこのリムジンも、いま着てる服だってそうだ! てめぇらの人生は、俺達下っ端を使い潰した結果じゃねぇか!!」

 

 返せ、と誰かがいった。

 

 俺達から奪ったものを返せ。使い潰した代償を支払え。奪えるものはすべて奪え。生きてさえいればいい。殴って、蹴って、叩いて、歯をすべて抜いて、皮を剥いで。生きる尊厳を踏みにじってやれ。

 

 狂気が蔓延する。もはや言葉は通用しない。誰も彼もが暴力を正当化し、ナイフにドス、メリケンサックにブラックジャックと、隠し持っていた武器を装備する。銃を持った連中はかろうじて冷静だが、いつ発砲するかわからない。

 

 一度だけ首を振った峯が拳を構える。

 

「時間稼ぎはここまでのようです。動けますか、会長」

「誰にものをいってるんだ。全員ぶちのめして帰るぞ、峯」

 

 麒麟と不動明王が並び立つ。怯む様子のないふたりに、男が煽る。

 

「勇ましいねぇ。ま、いいさ。向こうも始まってるからな」

「⋯⋯何だと?」

「東都病院だよ。お偉いさんはVIP待遇だろ? 羨ましいこった」

 

 ガラケーの液晶画面を向けられる。

 

 

 

 

 肩を撃たれ、全身を血に染めながらも、倒れ伏す碇新平を背にして仁王立ちする神田強の姿がそこにあった。

 

 

 

 

「────なんてコトしてくれやがった、てめぇら!!」

「峯!?」

 

 ポーカーフェイスも、理性も、矜持も、すべてをかなぐり捨てた剥き出しの峯義孝が奔り出す。その背を追うように大吾も続いた。

 

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