伊都と共にマンションを出て、最寄り駅から電車に乗る。
制服姿の学生や、スーツ姿の大人たちがひしめく通勤・通学ラッシュの時間帯。
冬機の姿は、明らかに異彩を放っていた。
銀髪、金色の目、そして制服の隙間から覗く鋼の装甲と、ズボンの後ろから伸びる長い尻尾。
乗客たちの視線が、一斉に冬機に向けられる。
「なんだあれ」「すげえ個性だな」「重装歩兵みたい」
ひそひそとした囁き声が、ソナーの感覚を借りるまでもなく耳に届く。
冬機は無表情のまま、つり革に捕まって揺れに耐えていた。
視線には慣れている。この一年、伊都と外出するたびに向けられてきたものだ。
だが、今日は少しだけ質が違った。
──そういえば。
前世でも、新しい学校に行く初日は注目された。
「どんな奴が来たんだ」「頭はいいのか」「スポーツはできるのか」。
それは、新しいコミュニティに対する純粋な好奇心と、値踏みの視線だった。
今、冬機に向けられているのは「異形型だ」という、外見に対するストレートな注目だ。種類は違う。
しかし、どちらにせよ「自分が見られている」という事実には変わりない。
「慣れる」ことができるかどうかは、まだわからなかった。
目的の駅で降り、桜並木を歩いて中学校へ向かう。
校門には『入学式』と書かれた看板が立てられ、真新しい制服を着た新入生と保護者たちで溢れかえっていた。
「……じゃあ、私は保護者席に行くから。あなたは新入生の列へ行きなさい」
伊都はそう言うと、冬機の肩を軽くポンと叩いた。
「問題を起こさないようにね」
「善処します」
「そこは『はい』でしょ」
伊都は小さくため息をつき、体育館の入り口へと消えていった。
冬機は一人で、新入生の列が形成されている校庭の隅へ向かった。
案内板に従って、自分が配属された『1年3組』のプラカードを持つ教師の前に並ぶ。
冬機が列に入った瞬間、周囲の空気がピタリと止まった。
前後に並んでいた生徒たちが、ぎょっとして一歩後ずさる。
「……え、マジで? すげえ……」
「サイボーグ?」
「尻尾あるぞ……痛くないのかな」
同世代の子供たちからの、フィルターのかかっていない素直な反応。
冬機は彼らを見ず、ただ真っ直ぐに前を向いて立っていた。
鋼の身体は重く、威圧感があることは理解している。怖がらせるつもりはないが、愛想よく笑う方法も知らない。
だから、ただ「そこにいるだけ」の無害な存在として振る舞うのが、最適解だと思った。
やがて列が動き出し、体育館へ入場する。
パイプ椅子が等間隔に並べられている。
自分の席を見つけ、座ろうとして、またしても「背鰭問題」に直面した。
パイプ椅子の背もたれに、背鰭の先端が当たってしまう。
冬機は小さく息を吐き、いつものように身体を少し斜めに向け、前傾姿勢で腰を下ろした。重い尻尾は、隣の席とのわずかな隙間に逃がす。
「うわっ」
隣に座った男子生徒が、足元に伸びてきた鋼の尻尾を見て小さく悲鳴を上げた。
「……すまない。当たらないようにする」
冬機は小声で謝り、尻尾を自分の脚に巻き付けるようにしてスペースを空けた。
「あ、いや……大丈夫ッス」
男子生徒は引きつった笑顔で頷いた。
入学式が始まる。
校長の長い挨拶。来賓の祝辞。新入生代表の誓いの言葉。
冬機はDNAコンピュータの処理能力を最低限に落とし、音声データをただの環境音として聞き流していた。
退屈な時間だ。これも前世の記憶と同じ。
違うのは、この硬いパイプ椅子の上で、斜めに座り続けることで生じる筋肉の微細な疲労感だけだった。
式が終わり、それぞれの教室へ移動する。
1年3組。
真新しい黒板、木目の机、チョークの匂い。
冬機に割り当てられた席は、教室の一番後ろ、窓際だった。
これは伊都が事前に学校側と交渉し、「個性の特性上、周囲の生徒に物理的な影響を与えない場所」として配慮してもらった結果だ。
廊下側だと通行の妨げになるし、中央だと後ろの席の生徒の視界を背鰭が遮ってしまう。窓際なら、尻尾を壁側に逃がすことができる。
席に着く。
やはり椅子には深く座れないが、机に肘をついて前傾姿勢を取れば、多少は安定した。
──そういえば。
前世の学校の椅子。
木と鉄でできた簡素なものだったが、そこには確かに「背もたれ」という機能があった。
授業中、先生の目を盗んで背もたれにだらっと寄りかかり、手遊びをしたり、窓の外をぼんやり眺めたりしていた記憶がある。
あの「だらっとする」という無防備な姿勢。
今の自分には、それができない。常に重心を前に置き、筋肉で姿勢を維持しなければならない。
「これが俺の座り方だ」
冬機は内心でそう処理し、不便さへの未練を断ち切った。
担任の教師が教室に入ってきた。
三十代半ばくらいの、眼鏡をかけた真面目そうな男性だ。
「えー、入学おめでとう。1年3組の担任になった、相田(あいだ)だ。一年間、よろしく頼む」
黒板に名前を書き、出席簿を開く。
「それじゃあ、順番に自己紹介をしてもらおうか。名前と、出身小学校、あとは……趣味とか、特技とか、好きなことを一言。じゃあ、出席番号一番から」
教室に緊張感が走る。
生徒たちが順番に立ち上がり、初々しい声で自己紹介をしていく。
「サッカーが好きです」「個性を活かしてヒーローになりたいです」「趣味はゲームです」
無難な挨拶が続く。
冬機は自分の順番を計算した。
「鋼城(こうじょう)」だから、真ん中より少し前くらいか。
何を言えばいい?
趣味。特技。好きなこと。
伊都に聞かれたときと同じ問いだ。
趣味は情報収集。特技はハッキングと爆発物処理。好きなものは高純度の潤滑オイル。
……絶対に言えない。
ここは中学校だ。公安の面談室ではない。
普通の、無難なことを言わなければならない。
「趣味は読書です」とか? いや、最近読んだ本と言えば、通信プロトコルの専門書くらいだ。突っ込まれたらボロが出る。
「次、鋼城冬機くん」
名前を呼ばれた。
冬機は立ち上がった。
ガタン、と椅子が鳴る。鋼の尻尾が床を叩き、鈍い音が教室に響いた。
全員の視線が、一斉に最後列の冬機に集まる。
三十人以上の、好奇心と恐れが入り混じった目。
冬機は表情を変えず、ただ真っ直ぐに黒板の方を見た。
「……鋼城冬機です」
声が出た。
震えていない。平坦な、落ち着いた声だ。
「出身小学校は……事情により、ありません。特技は、機械の構造を理解することです。よろしくお願いします」
それだけ言って、すぐに座った。
趣味については省いた。「ない」と言うよりはマシだろうと思ったからだ。
教室が、しんと静まり返った。
「出身小学校がない」というイレギュラーな情報と、「機械の構造を理解する」という可愛気のない特技。
そして何より、その圧倒的な異形の存在感。
どう反応していいか、誰もわからないという空気が満ちていた。
相田先生が、少し慌てたように咳払いをした。
「あー、鋼城くんは、その……個性の関係で、少し身体が大きい。みんな、移動のときとか、ぶつからないように気をつけてあげてくれ。もちろん、仲良くするんだぞ」
フォローのつもりだろうが、それは「特別扱い」を強調する言葉でもあった。
「腫れ物」として認定された瞬間だった。
冬機は小さく息を吐いた。
まあ、いい。
今日の最初の仕事──「自己紹介を滞りなく済ませる」というタスクは完了した。
それで十分だ。
ホームルームが終わり、初日の日程は全て終了した。
「さようなら」の挨拶のあと、緊張が解けた生徒たちが、三々五々グループを作って話し始める。
「一緒に帰ろうぜ」「LINE交換しよう」
新しい人間関係が構築されていく音。
冬機はカバンを持ち、立ち上がった。
誰からも声はかからない。
当然だ。この見た目で、しかもあんな無愛想な自己紹介をしたのだ。初日から話しかけてくるような命知らずはいないだろう。
帰ろう。伊都が夕食を作って待っているはずだ。
教室の後ろのドアから出ようとしたとき。
前を歩いていた女子生徒のリュックに、冬機の尻尾の先が触れてしまった。
歩くリズムに合わせて揺れていた尻尾が、彼女のリュックに付いていたキーホルダーのチェーンに引っかかったのだ。
プチッ。
小さな金属音がして、キーホルダーが床に落ちた。
可愛らしい、クマのぬいぐるみのマスコットだった。チェーンの根元からちぎれている。
「あ……」
女子生徒が振り返った。
床に落ちたマスコットと、その横にある鋼の尻尾を見て、彼女の顔がサッと青ざめる。
「……ごめんなさい」
冬機は反射的に謝り、拾おうとして屈み込んだ。
しかし、鋼の分厚い指先では、床に落ちた小さなチェーンの金具をうまく摘まむことができない。
カチャカチャと、爪がリノリウムの床を滑る音だけが虚しく響く。
焦った。
壊してしまった。うまく拾えない。
女子生徒が、少し怯えたような目で冬機の大きな鋼の腕を見ている。
それが、自分の大事なものを壊した「凶器」に見えているのかもしれない。
どうする。どうすればいい。
「弁償します」と事務的に言うべきか。それとも、個性の精密操作を使って、ピンポイントで拾い上げるか。
「貸して、俺が直してあげるよ」
横から、手が伸びてきた。
冬機が顔を上げると、そこには一人の男子生徒が立っていた。
茶色い髪。少し眠そうな目。制服のシャツの裾が少しはみ出している。
彼は冬機の手からマスコットをひょいと取り上げると、自分の指先をじっと見つめた。
すると、彼の指先から微かに粘り気のある透明な液体が滲み出た。
彼はその指で、ちぎれたチェーンの金具同士をくっつけた。
「はい、直った。俺の個性『粘着』で仮止めしただけだから、帰ったらペンチでちゃんと直してな」
男子生徒は、それを女子生徒に笑顔で手渡した。
「あ、ありがとう……!」
女子生徒はほっとした顔で受け取り、冬機の方をちらりと見てから、逃げるように小走りで去っていった。
その場に、冬機と男子生徒が残された。
「……ありがとう。助かった」
冬機は立ち上がり、礼を言った。
「いいってことよ。俺、こういう細かい作業得意なんだよね」
男子生徒はニカッと笑った。
「俺、相川(あいかわ)。相川奏多(かなた)。よろしくな、鋼城!」
屈託のない笑顔だった。
冬機の鋼の腕を見ても、背鰭を見ても、全く動じる様子がない。ただのクラスメイトとして話しかけてきている。
「……鋼城冬機です」
「知ってるよ、さっきの自己紹介で聞いたし。てか、お前すげーな、その身体! 全部本物の金属?」
相川は目を輝かせて、冬機の腕を指差した。
「……超高張力鋼に近い合金です」
「へー! かっけー! ロボットアニメの主人公みたいじゃん!」
子供っぽい感想。
でも、そこには悪意も、過度な同情も、腫れ物を触るような気遣いもなかった。
ただ「かっこいい」という、純粋な肯定。
冬機は、どう反応していいかわからなかった。
施設では「兵器」と呼ばれた。公安では「戦力」として扱われた。
「かっこいい」と言われたのは、初めてかもしれない。
「一緒に駅まで帰ろうぜ! 俺、あっちの方向なんだ」
相川が歩き出した。
冬機は少しだけ迷い、そしてその後を追った。
夕暮れの廊下。並んで歩く二つの影。
一つは普通の人間の形、もう一つは尻尾のある異形の形。
でも、歩く速度は同じだった。
──そういえば。
前世でも、新しい友達ができるときは、こんなふうに些細なきっかけからだったかもしれない。
「友達になろう」と改まって言うのではなく、いつの間にか隣を歩いて、くだらない話をしている。
相川がずっと隣で喋っている。
「昨日のアニメ見た?」「ゲーム何やってる?」「部活どうする?」
冬機は「見てない」「やってない」「入らない」と短い言葉で返した。
それでも、相川は気にした様子もなく喋り続けた。
その騒がしさが、今の冬機にとっては、春の風のように心地よかった。
学校という場所。
そこは、ただ知識を詰め込むだけの場所ではなく、こういう「人間」との繋がりが発生する場所なのだ。
冬機は、自分の重いローファーの足音を聞きながら、明日もここに来るのが少しだけ楽しみだと思った。