中学三年の秋。
発目明と正式なバディの契約(口頭だが、彼女にとっては絶対の約束だった)を結んでから、冬機の放課後は一段と忙しくなった。
雄英高校の推薦入試まであと数ヶ月。
冬機は公安の特別訓練メニューと並行して、発目の「やってみたい」という欲求に付き合う日々を送っていた。
「試作品を作って試させてほしい。材料費は出してね!」
ある日の昼休み、発目が技術室で当然のように要求してきた。
「……何を作るんですか」
「まだ決まってないわ。あなたのデータを毎日見てたら、色々アイデアが湧いてきちゃって。とりあえず、日常の動作を拡張するガジェットから始めようと思うの」
「俺のためではないと言っていましたが」
「そうよ。私が、私の技術を試してみたいだけ。でも、完成したらあなたが使っていいわ」
この明確な区別に、悪意はない。彼女にとっては「開発のプロセス」こそが報酬であり、完成品はテストパイロットへの貸与品に過ぎないのだ。
冬機は少し考えてから、「わかりました」と答えた。
伊都から貰っている給料(公安の報酬)は、まだかなりの額が口座に残っている。生活費は伊都が持っているため、冬機のお金は高純度オイルと数冊の専門書を買った以外、手つかずだった。
自分への投資として、材料費を出すのは合理的だ。
数日後、発目が最初の試作品を持ってきた。
「じゃーん! 第一号ベイビー、『姿勢制御サポーター改』よ!」
それは、以前作ってくれた「学校の椅子の補助具」のアップデート版だった。
前回のものはパイプ椅子を物理的にくり抜いただけの粗削りなものだったが、今回は全く違う。冬機の背鰭の形状に合わせて3Dプリンターで出力された複雑な曲面のパーツに、小さなダンパーがいくつも仕込まれている。
「前のはアドホック(場当たり的)すぎたわ。今回は、あなたがどんな角度で寄りかかっても、ダンパーが背鰭への圧力を吸収して分散するように設計したの。汎用性を持たせてあるわ」
冬機はそれを受け取り、自分の椅子の背もたれに装着した。
座ってみる。
背中を預ける。
カチャリ、という微かな音と共に、ダンパーが沈み込み、背鰭の鋭い先端を優しく包み込んだ。
確かに、前よりも安定している。体重を完全に預けても、背中に違和感がない。
「……前のでも、十分でしたが」
冬機は素直な感想を述べた。
「十分じゃなくて、最適を目指してるの!」
発目がビシッと指を差した。
「技術に妥協は許されないわ。常に『さらに向こうへ(プルスウルトラ)』よ!」
「……俺のセンサーでは、前回のものとの違いが数値化しにくいレベルです」
「わからなくていいわよ。私がわかってるから!」
発目は胸を張って言い切った。
使う側の感覚よりも、作る側の設計思想を優先する。
冬機はそれ以上何も言わなかった。彼女が納得しているなら、それでいい。それに、座り心地が良くなったことは事実だ。
以降、発目が中学校の数少ない放課後の時間を使って、小さな試作品を作り続けるサイクルが始まった。
冬機は伊都に「学校での活動費」として経費の申請をしたが、却下されたため、自分のお小遣い(口座の預金)から材料費を渡した。
雄英に入学すれば学校の予算が使えるが、今は限られた資金でやりくりするしかない。だから、彼女が作るのも「日常改善」の小さなデバイスばかりだった。
ある日は、篭手の指先に装着する『感圧センサー・プロトタイプ』。
「あなたの『機械操作』の個性は、物理的な接触と電磁波の送受信のハイブリッドよね。なら、指先の接触面の感度を物理的に増幅すれば、接続速度が上がるんじゃないかと思って」
冬機はそれを着けて、技術室の古いパソコンに接続してみた。
結果は「没」だった。
センサーが拾う物理的なノイズが多すぎて、逆にDNAコンピュータの処理を阻害してしまったのだ。
「……違和感があります。情報の解像度が粗くなりました」
冬機が外して返すと、発目は「そうかー」と少しだけ唇を尖らせたが、すぐに手帳を開いてメモを始めた。
「やっぱり生体電流と直接リンクしてる個性には、後付けの物理センサーは相性が悪いのね。アナログな干渉がノイズになる。なるほどなるほど」
彼女は全く落ち込んでいなかった。
「……悔しくないんですか」
冬機はふと、疑問に思って聞いた。
「悔しいよ? せっかく作ったベイビーが役に立たなかったんだから」
発目は手を止めずに答えた。
「でも、悔しいのと、貴重なデータが取れたのは別の話でしょ。失敗は成功のマザーよ!」
「……」
冬機は、その言葉を脳内で処理した。
──そういえば。
前世では、失敗は「避けるべきもの」「嫌なもの」だった気がする。
テストで悪い点を取ったとき、工作がうまく動かなかったとき。失敗してしまったら、落ち込んで、恥ずかしくて、そのことを考えたくなくなった。
失敗は、自分に対するマイナスの評価だと思っていた。
でも、発目明にとって、失敗はただの「データ」だ。
設計の仮説が間違っていたという結果が得られた。それは次へ進むための確実なステップになる。だから、彼女は怒らないし、落ち込まない。
「前世では……俺の過去の認識では、失敗は悔しいだけのものだと思っていました」
冬機がぽつりと言うと、発目は手帳から顔を上げた。
「そうかもね。普通はそう思うかも。でも、悔しいまま次に進めばいいじゃない。立ち止まってる時間がもったいないわ」
同じ「失敗」という結果が来ても、受け取り方と、どこへ向かうかが違う。
発目のその合理的なポジティブさが、冬機にとってはとても仕事がしやすかった。
伊都の「失敗は許さない」という完璧主義とはまた違う、技術者としての寛容さ。
「……そうですか」
冬機は小さく頷いた。
「わかったら、次のデータの測定に付き合いなさい! 次は背鰭の先端につけるシリコンカバーの試作よ!」
そのシリコンカバーは、背鰭が壁や椅子に当たったときの衝撃を和らげ、カチャカチャという音を消す効果があった。これは非常に機能的で、冬機も重宝した。
さらに、以前作ってくれた『ハンズフリー雨天シールド』の改良版・第二試作。
「前のより、全体の重量が軽くなっている」
「そうでしょ! フレームをチタン合金の廃材から削り出したの。これで走ってもバランスが崩れないはずよ」
そうやって、少しずつ、冬機の日常の不便さが解消されていく。
──そういえば。
前世では、便利なものが当たり前に存在していた。
靴も、傘も、座りやすい椅子も。お店に行けば、お金を払うだけで手に入った。
それがどういう仕組みで作られているのか、誰が設計したのかなんて考えたこともなかった。
今、この世界では、順番が逆になっている。
不便さがあり、それを解決するためのアイデアがあり、試行錯誤があり、そして形になる。一つずつ、自分のために(発目は自分のためだと言うが)作られていく。
前世の「当たり前」とは違う。
でも、発目が作ってくれたアイテムを身に着けたとき、「これがあると楽だ」と感じるその安心感は、前世のそれにとてもよく似ていた。
「小さなこと」が積み重なって、自分の世界が最適化されていく。
その過程を一緒に歩めることが、冬機にとっては静かな喜びだった。
季節が冬に近づき、日が短くなってきた頃。
推薦入試を控え、冬機と発目の放課後の作業は、夜遅くまで及ぶことが増えていた。
雄英に入学した後に作る予定の、本格的なパワードスーツの基礎設計。
そのための詳細なデータ収集と、出力シミュレーション。
「ここ、出力係数が合わない。ブースターの推力を最大にした場合、この装甲厚では熱で溶ける」
冬機がノートパソコンの画面を見ながら指摘する。
「えー? いけるいける! 耐熱コーティングを二重にすれば大丈夫よ!」
「重量が増える。機動性が落ちる」
「じゃあブースターをもう一基追加!」
「燃料(俺の体力)の消費効率が悪化する」
「むきー! 細かい男ね!」
いつもの技術室での、喧嘩のような議論。
窓の外はすっかり暗くなり、時計の針は午後八時を回っていた。
伊都には「学校で遅くなる」と連絡してある。彼女も最近は忙しく、セーフハウスに帰るのは深夜になることが多い。
発目が、ふうっと大きく伸びをした。
「あー、お腹すいた! 頭使うと糖分とカロリーが減るわ!」
彼女は机の上の設計図を乱暴に束ねると、立ち上がった。
「鋼城くん、ご飯食べに行こう!!!」
「……今日の作業は、これで終わりですか」
「まあいいや!!! 続きは明日! 今は腹ごしらえが先よ!」
発目は冬機の腕を引き、強引に技術室から連れ出した。
二人が向かったのは、駅から少し離れた場所にある、古びたラーメン屋だった。
カウンター席だけの小さな店。
冬機は背鰭が邪魔にならないよう、一番端の席に浅く腰掛けた。
発目は隣に座り、「豚骨ラーメン大盛りと餃子!」と元気に注文した。
「お前は?」と店主が冬機を見る。
「……同じものを。普通盛りで」
冬機は無難な選択をした。
湯気を立てるラーメンが運ばれてくる。
濃厚な豚骨スープの匂い。
冬機は箸を割り、麺を啜った。
熱い。そして、強い塩分と脂の味が口の中に広がる。
効率的なエネルギー補給としては最適だ。
「んー! 美味しい!」
隣で、発目が満面の笑みでラーメンを頬張りながら叫んだ。
その声を聞いて、冬機は箸を止めた。
「……そうですね」
冬機は相槌を打ち、もう一口スープを飲んだ。
そして、少し間を置いてから、言い直した。
「……美味しいです」
発目が、ラーメンを啜る手を止めて、ちらりと冬機を見た。
彼女は少しだけ笑っていた。
「鋼城くん、毎回言い直すよね」
「……気づいていましたか」
「三回目くらいからね。学食でカレー食べたときも、『効率的だ』って言ったあとに『美味しい』って付け足してたでしょ」
発目は餃子に醤油をつけながら言った。
「直さなくていいよ。どっちでも。鋼城くんがどう感じてるかは、データ見てればわかるし」
「……いや、正確なデータを出力する方がいいです」
「どうして?」
「本当に、美味しいと思っているので」
冬機は、自分の器の中のラーメンを見つめながら、真面目な声で答えた。
──そういえば。
誰かとご飯を食べる、ということ。
施設では一人だった。廃工場でも一人だった。
伊都と食べる食事は静かで、相川と食べる給食は騒がしかった。
そして今、発目と一緒に、夜のラーメン屋で麺を啜っている。
「美味しい」と誰かが言葉にすると、不思議なことに、自分の中にある「美味しいかもしれない」という曖昧な感覚が、はっきりとした形を持って浮かび上がってくるのだ。
自分一人では輪郭がぼやけてしまう感情が、他者の言葉を借りることで、自分自身のものとして確定する。
それが心地よくて、冬機はいつも「美味しい」と言い直していた。
自分の内側にある感情を、少しずつ外の世界とすり合わせているような感覚。
それが、人と一緒に食事をするということの、本当の機能なのかもしれない。
発目がまた笑った。
いつもの、発明品のアイデアを思いついたときの「ニヤリ」とした笑い方ではなく、もっと柔らかくて、年相応の女の子らしい笑い方だった。
「そっか。美味しいなら、よかった!」
彼女はそう言って、再びラーメンに勢いよく食らいついた。
冬機も、静かに麺を啜った。
店内のテレビからは、ヒーローの活躍を伝えるニュースが流れている。
外は冷たい冬の風が吹いているが、ラーメンの熱気と、隣にいるバディの熱量が、冬機の鋼の身体を確かに温めていた。
この日常が、もう少しで終わる。
そして、新しい戦いの場所へ向かう。
冬機は、空になったどんぶりを見つめながら、雄英高校での日々に静かな決意を固めていた。
自分の機能を、誰かのために使う。
それが、自分が見つけた、この世界での生き方だから。