鋼鉄の龍はヒーローとなる   作:カラミナト

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雄英高校 推薦入試

 中学三年の二月。

 雄英高校ヒーロー科の推薦入試が、いよいよ翌日に迫っていた。

 一般入試よりも早く行われるこの試験は、全国から選りすぐられたエリートたちだけが挑む狭き門だ。A組とB組を合わせても、合格できるのはわずか四名。

 伊都が公安のルートを使って用意した特例推薦枠とはいえ、試験をパスできなければ入学はできない。

 ちなみに、バディを組む約束をした発目明が志望する「サポート科」の試験は、また別日程で行われる。あちらは設計知識や素材への理解度、技術評価が中心の全く異なる形式だという。

 

 その日の夜、セーフハウスのリビングで明日の準備をしていると、スマートフォンの画面が明るくなった。

 発目からのメッセージだった。

 『明日の試験頑張って!!! 私はサポート科の試験が別日だけど、心の中で応援してるから!!!』

 冬機は画面を見て、短く『はい。善処します』とだけ返信した。

 すると、すぐに追い打ちのようなメッセージが飛んできた。

 『あなたが落ちたらバディが成立しないから、絶対受かってね!!! 私の最強のベイビーたちを世界にお披露目する計画が頓挫しちゃう!!!』

 冬機は小さく息を吐いた。

 『……プレッシャーをかけているつもりですか』

 『事実を言ってる!!!』

 冬機はメッセージアプリを閉じ、スマートフォンを机に置いた。

 キッチンでコーヒーを淹れていた伊都が、そのやり取りに気づいて声をかけてきた。

「発目さんから? 相変わらず元気ね」

「はい。落ちたら計画が頓挫すると言われました」

 冬機は伊都の方を向いた。

「……確認ですが、俺がこの推薦試験に落ちることはあるんですか。公安の特例枠だと聞いていましたが」

「あるわよ」

 伊都はコーヒーカップを片手に、冷徹に答えた。

「公安が用意したのはあくまで『受験資格(チケット)』であって、『合格の確約』じゃない。雄英の教師陣は独立性が高くて頑固だから、彼らが『ヒーローとしての資質なし』と判断すれば、容赦なく不合格にするわ」

「……そうですか」

「不安?」

「いえ。合格確率の計算に、不確定要素のウェイトを少し上方修正しただけです」

 冬機は淡々と答えた。

 伊都は小さく笑い、「ならいいわ。早く寝なさい」と言って自室へ戻っていった。

 

 ──そういえば。

 

 前世の記憶に、「試験」という概念がある。

 高校受験や大学受験。数ヶ月前から準備をして、当日は胃が痛くなるほど緊張して、終わったら虚脱感でいっぱいになった。

 「落ちたらどうしよう」という不安が常に付き纏っていた。

 明日はその試験だ。

 でも、今の冬機は不思議と胃が痛くならない。心拍数も正常だ。

 ただ、DNAコンピュータが明日の試験内容をシミュレーションし、最適な行動パターンを構築するためにフル稼働している。何かが頭の中で速く動いている感覚。

 これが「緊張」という状態なのかどうか、自分ではわからなかった。

 でも、手が止まったり、足がすくんだりすることはない。

 機能はしている。だから、問題はない。

 冬機はベッドに横たわり、背鰭を逃がして斜めに丸まると、静かに目を閉じた。

 

 翌朝。

 雄英高校の広大な敷地内にある、推薦入試用の施設。

 午前中の筆記試験は、標準的な国語、数学、理科、社会、英語の五教科だった。

 冬機にとっては、単なるデータの書き出し作業に過ぎなかった。

 個性の「機械操作」を使わなくとも、施設で強化された脳の処理速度だけで十分すぎるほど速い。問題文をスキャンし、最適解を瞬時にマークしていく。制限時間の半分も使わずに全科目を終え、残りの時間は他の受験生たちの筆記音をソナーで分析して時間を潰した。

 焦っている者、余裕のある者。シャープペンシルの芯が紙を擦る音のリズムで、ある程度の精神状態が読み取れた。

 

 午後。

 いよいよ実技試験の時間がやってきた。

 一般入試が「仮想ヴィラン(ロボット)の破壊による得点制」であるのに対し、推薦入試の実技は「障害物競走形式」だ。

 複数の受験者が同時に巨大な特設コースに立ち、個性を駆使して制限時間内にゴールを目指す。

 単なる足の速さだけでなく、障害への「対応力」「個性の使い方」、そして「判断力」を、別室にいる教師陣がモニター越しに総合的に評価する仕組みだ。

 

 スタート地点に立つ。

 冬機の周りには、全国から集まった数人の推薦受験者たちが並んでいた。

 皆、一様に緊張した面持ちでコースを見つめている。

 その中で、冬機のすぐ隣に立つ少年から、尋常ではないプレッシャーを感じた。

 右半分が白髪、左半分が赤髪。顔の左側に火傷の痕。

 轟焦凍(とどろき・しょうと)。

 知っている。前世の記憶にある、物語の主要キャラクターの一人。

 圧倒的な「半冷半燃」の個性を持つ、No.2ヒーロー・エンデヴァーの息子。

 彼が同じ推薦枠で受けることは知っていたが、こうして実際に隣に立つと、画面越しではわからなかった彼が放つ「冷気」と「熱気」の揺らぎが肌に伝わってきた。

 

 『READY……』

 アナウンスが響き、ゲートのランプが赤から黄色へ変わる。

 受験者たちが一斉に姿勢を低くする。轟も、右足から冷気を漏らしながらスタートの構えを取った。

 冬機だけが、直立したままだった。

 彼はコースの先を見ていない。

 目を閉じ、意識の糸を地面の下、壁の中、コース全体に張り巡らされた「電力網」へと一気に伸ばしたのだ。

 

 『GO!!』

 

 ブザーが鳴り響いた瞬間。

 轟が右足を踏み込み、凄まじい勢いで氷結の波を放った。

 氷の道ができあがり、彼自身がそれに乗って一気に他の受験者を引き離し、トップに躍り出る。

 他の受験者たちも、それぞれの個性を使って走り出した。風を操る者、身体をバネのように変化させる者。

 冬機は、ゆっくりと目を開け、歩き出した。

 走らない。

 ブースターも使わない。

 ただ、重いコンバットブーツで、一定のペースで歩を進める。

 彼の意識のほとんどは、すでにコース全体の電子制御システムの中にあった。

 仕掛けられた障害物の作動タイミング。

 センサーの検知範囲。

 電動ゲートの開閉プログラム。

 全てが「読めた」。

 冬機は、自分の前方に現れる障害を、物理的に回避するのではなく、システム側から制御していくことにした。

 

 最初の障害エリア。

 地面からランダムなタイミングで巨大な壁が突き出してくる「ウォール・ポップ」。

 先行していた数人が、タイミングを読み違えて壁に激突したり、迂回を余儀なくされている。轟は壁ごと氷結させて突破したようだ。

 冬機がそのエリアに差し掛かる。

 足元のセンサーが冬機の体重を検知し、壁を押し上げるモーターに信号を送る。

 その信号が到達するコンマ一秒前。

 冬機はモーターの制御盤に接続し、起動プログラムを「一時停止」に書き換えた。

 彼が歩く一歩先の壁は、全て微動だにせず地面に収まったまま。

 彼はただ、平坦な道を歩くようにそのエリアを通過した。

 

 次の障害。

 振り子のように巨大な鉄球が揺れる「ペンデュラム・ゾーン」。

 冬機は鉄球を吊るすクレーンの制御システムに侵入。

 自分の歩幅に合わせて、鉄球の揺れるタイミングをコンマ数秒ずつずらす。

 鉄球は、冬機の鼻先や背中スレスレをかすめていくが、決して彼に当たることはない。

 周囲の受験者たちが必死に飛んだり跳ねたりして避けている中、冬機だけが散歩でもしているかのように、無傷で、一定の速度で進んでいく。

 身体はゆっくりと動いているが、頭の中では数十のプログラムを同時に書き換え、再構築する凄まじい並列処理が行われていた。

 脳が熱を持つ。背鰭の冷却ファンがフル回転し、蒸気を吹き上げる。

 

 コース中盤。

 最大の障害物が現れた。

 通路の幅いっぱいに広がる、回転する巨大なローラーブレード。触れれば弾き飛ばされるか、巻き込まれる。

 冬機が追いついたとき、他の受験者の一人が、そのローラーの隙間を抜けようとしてタイミングを計りかね、立ち往生していた。

 冬機は歩みを止めず、ローラーの駆動モーターに直接過電流を流し込んだ。

 ガガガッ!と嫌な音を立てて、巨大なローラーが完全に停止した。

 立ち往生していた受験者が、驚いたように振り返り、冬機を見た。

 冬機は彼を一瞥もせず、停止したローラーの横をすり抜けて歩いていった。

 結果として、その受験者も安全に通過できるようになった。

 

 モニタールーム。

 複数の画面で受験者たちの様子を監視していた教師陣の中で、一人の男が目を細めた。

 首に長い布を巻いた、無精髭の男。イレイザー・ヘッド。

「……あいつ、なんだ」

 彼は冬機の映像を拡大し、手元の資料と照らし合わせた。

「鋼城冬機。個性『機械操作』。公安推薦の特例枠か。……コースのギミックを全てハッキングしてやがる」

「驚きましたね」隣にいた別の教師が言う。「他の受験者は身体能力で突破していますが、彼はシステムそのものを掌握して『道』を作っている。しかも、他の受験者が立ち往生していた障害を止めて、助けるような動きも見せました。レスキューの素質もあるのでは?」

 イレイザー・ヘッドは冬機の金色の瞳を画面越しに見つめ、ペンを回した。

「……いや、助ける意図があったようには見えねえな。ただ自分の進路の邪魔だったから排除した。結果的に他人が通れただけだ」

 彼は冬機の評価シートに、何かを書き込んだ。

 

 冬機は、そのままのペースでゴールラインを越えた。

 トップは轟焦凍。圧倒的なタイムだった。

 冬機の順位は真ん中くらい。走っていないのだから当然だ。

 だが、息一つ切らさず、制服に泥一つ跳ねていない彼の姿は、他の泥だらけになった受験者たちの中で、異様な存在感を放っていた。

 

 実技試験の直後、そのまま面接が行われた。

 小さな部屋に、三人の面接官が座っている。

 その中の一人が、先ほどモニタールームにいたイレイザー・ヘッドだった。前世の記憶にある通りの、気怠げな風貌。

 冬機はパイプ椅子に斜めに座り、彼らと対峙した。

 

「鋼城冬機くん。実技試験、お疲れ様」

 中央に座る面接官が口を開いた。

「君はコース上の電子系を制御して進んでいたね。個性の使い方は見事だった」

「ありがとうございます」

「一つ聞きたい。中盤で大型のローラー障害物を停止させたね。あのとき、前で立ち往生していた他の受験者も通りやすくなったわけだが……あれは、彼を助ける意図があったのかね?」

 

 冬機は少し考えた。

 ここで「はい、助けようと思いました」と答えれば、ヒーローとしての評価は上がるだろう。

 前世の自分なら、間違いなくそう嘘をついた。

 だが、今の冬機の論理回路は、不正確なデータを出力することを拒否した。

 

「……意図していませんでした」

 冬機は淡々と答えた。

「あの障害物が、俺の想定する最短ルート上にあり、稼働したままだと通過時のリスクがゼロではなかった。だから排除しました。結果として他の受験者も通れたというのは、副次的な事象に過ぎません」

 面接官たちが顔を見合わせた。

 イレイザー・ヘッドが、少しだけ口角を上げた。

「正直だな」

「事実を述べたまでです」

「ふん。じゃあもう一つ聞く」

 イレイザー・ヘッドは冬機の目を真っ直ぐに見た。

「怖くなかったか。あんな巨大な仕掛けが動くコースを歩くのは。お前、一度も走らなかったし、避ける素振りすら見せなかったな。自分のハッキングが失敗して、鉄球に潰されるかもしれないとは思わなかったのか?」

 怖くなかったか。

 ホークスにも同じようなことを聞かれた。

 冬機は自分の内側を確認する。

「……怖かった、のかもしれません」

 冬機は正直に言った。

「脳内で計算処理がフル稼働して、常にフェイルセーフ(安全装置)の用意をしていました。何かが速く動いていて、常に緊張状態にあったと推測されます。ただ……」

「ただ?」

「その状態に『怖い』という感情の名前を貼り付けるのが、まだうまくできません。でも、手は止まらなかったので、問題なく機能は果たせたと思います」

 

 部屋に少しの間が落ちた。

 中学生の面接の受け答えとしては、あまりにも機械的で、異常だ。

 面接官の一人が困惑したようにイレイザー・ヘッドを見た。

 イレイザー・ヘッドは何も言わず、ただ手元の評価シートにペンを走らせた。

 

 ──そういえば。

 

 前世でも、試験の後には面接があったり、先生から評価されたりした。

 「頑張ったね」とか「ここが足りないね」とか。

 施設にいた頃も、スタッフから評価された。「出力低下」「速度向上」。ただの数値としての評価。

 今日の評価は、そのどちらとも種類が違う気がした。

 「怖くなかったか」「助ける意図はあったか」。

 数値でもなく、表面的な態度でもなく、俺の『答え(内面)』を聞かれた。

 雄英の教師たちは、俺というシステムのスペックではなく、その奥にあるものを測ろうとしている。

 何かが違う。

 この学校は、今までの場所とは違う。

 そう感じた。

 

 数週間後。

 セーフハウスの郵便受けに、雄英高校からの分厚い封筒が届いた。

 伊都がそれを受け取り、リビングにいる冬機に渡した。

「開けてみなさい」

 冬機は封を切り、中に入っていたホログラムディスクを取り出した。

 机の上に置くと、オールマイトの立体映像が浮かび上がる。

 『私が投影で来た!! 鋼城冬機少年! 君は見事、推薦入試をクリアした! ようこそ、君のヒーローアカデミアへ!』

 大袈裟な演出と、前世で見た通りのセリフ。

 冬機は静かにその映像を見つめた。

 合格。

「……合格しました」

 冬機が振り返って報告すると、伊都はソファに座ったまま、短く「そう」と答えた。

「喜ぶべき場面ですか」

 冬機が聞く。

「あなたが決めることよ。私はただの結果として受け取るだけ」

 伊都は素っ気ない。

 冬機は少し考えた。

「……よかったです」

「そうね」

 伊都は微笑みはしなかったが、カップのコーヒーを飲む仕草がいつもより少しだけゆっくりだった。

 

 冬機はスマートフォンを取り出し、発目にメッセージを送った。

 『合格しました』

 数秒後、返信が来た。

 『やったーーー!!! わたしも受かったわ!!! これで最強のバディ成立ね!!! 入学式からフルスロットルで行くわよ!!!』

 冬機は、その文字の羅列から発目のうるさい声が聞こえてくるような気がして、少しだけ口元を緩めた。

 『おめでとうございます。善処します』

 そう返信して、画面を閉じた。

 

 その日の夜、伊都は自分のデスクで公安への報告書を作成していた。

 『対象名:鋼城冬機。雄英高校ヒーロー科、推薦入試にて合格。来春より第一学年として入学予定』

 事実だけをタイプし、送信ボタンを押す。

 それだけだった。

 しかし、彼女は報告を終えた後、ふとブラインドの隙間から窓の外の夜景を見た。

 あの日、廃工場から連れ帰った、感情の壊れた異形の子供。

 その子が、自分の足で、光の当たる場所への切符を掴み取った。

 「……これからが本番よ、冬機」

 誰にも聞こえない声で、彼女はそう呟いた。

 

 舞台は、用意された。

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