鋼鉄の龍はヒーローとなる   作:カラミナト

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取引

 その夜も、ソナーは静かに周囲の情報を拾っていた。

 

 風がコンクリートの壁を撫でる音。遠くの幹線道路を走る大型トラックの低い振動。草むらで鳴く虫の音。上空を飛ぶ航空機の微かなエンジン音。

 廃工場の床に敷いたブルーシートの上に横たわりながら、三号はそれらの情報を処理し続けていた。目を閉じていても、意識は建物の外へと広がっている。

 施設を抜け出してから、およそ一ヶ月と少しが経っていた。

 

 異変を捉えたのは、深夜の二時を回った頃だった。

 

 ソナーの端に、複数の気配が引っかかった。

 車だ。一台ではない。二台。サスペンションの沈み込みから、乗員だけでなくかなりの重量物を積載していることがデータとして弾き出された。

 いつものことだ、と最初は思った。

 ここ数日、隣の廃倉庫に複数の人間が深夜に訪れるようになっていた。彼らはそこで何らかの取引を行い、一時間ほどで立ち去っていく。三号はこれまで、息を潜めてやり過ごしてきた。彼らが隣の倉庫を使っている限り、こちらには干渉してこない。

 だが、今夜は軌道が違った。

 二台の車は、隣の廃倉庫へ続く未舗装の道を曲がらなかった。真っ直ぐに、三号が拠点としているこの廃工場へと向かってくる。

 ヘッドライトの光が、割れた窓ガラスの隙間から天井を掠めた。

 エンジン音が止まる。ドアが開く音。複数の足音。

 四人、いや五人。

 彼らは廃工場の入り口の前に立った。

 三号はブルーシートの上で、静かに身体を起こした。背鰭がシートに擦れる音すら立てないように、ゆっくりと動く。呼吸を浅くし、意識を入り口のドアへ集中させた。

 

 「……おい、鍵がかかってるぞ。前は開いてたはずだが」

 「浮浪者でも住み着いたか? チッ、面倒だな。壊せ」

 

 男たちの声が聞こえた。

 直後、金属がひしゃげる激しい音が響いた。三号が拾い集めた電子部品で作った即席の電子錠は、物理的な破壊には耐えられなかった。おそらく、バールのようなもので強引にこじ開けられたか、あるいは個性で蝶番ごと壊されたのだろう。

 重いドアが軋みながら開く。

 三号はすぐに行動を切り替えた。逃げるか、隠れるか。

 外に出るための別の扉は、建物の反対側にある。だが、そこまで行くには広い空間を横切らなければならない。月明かりと、彼らが持ち込んだライトの光がある中で、見つからずに移動するのは不可能に近いと判断した。

 最適な選択は、現在の位置──工場の最奥、かつて大型プレス機が置かれていた巨大な残骸の陰──で完全に沈黙することだった。

 彼らが入り口付近で用事を済ませて帰れば、それで終わる。

 

 男たちが中に入ってくる。

 強烈なLEDライトの光が、廃工場の中を無遠慮に照らし出した。光の束が、埃の舞う空気を切り裂く。

 「よし、ここに運べ。隣はサツが嗅ぎ回ってるらしいからな。今日はこちらを使う」

 リーダー格らしい男の声が響く。

 三号はソナーをさらに広げ、彼らの持ち物に意識を向けた。

 電力系に接続する。彼らが持ち込んだ照明器具、通信機、そして車載の電子機器。それらの回路を辿ることで、映像を直接見なくても状況が把握できる。

 男たちは車から重いケースを運び出していた。

 ケースの留め金が外される音。中に入っているものの形状が、ソナーの音波の反射でわずかに読み取れる。金属の筒状の部品。引き金。銃器類だ。別のケースには、液体の入った小瓶が大量に詰められている。薬物。

 「取引をしている」と、明確にわかった。

 ニュースで毎日のように報道されている、ヴィランたちの裏社会の光景。それが今、自分からわずか二十メートル先の場所で行われている。

 客観的な認識が来た。

 まずい場所にいた。これは、ただの浮浪者が見つかるのとは意味が違う。

 秘密の取引現場を見られたとあれば、彼らは確実に見撃者を消しにかかるだろう。

 

 「……おい」

 

 不意に、一人の男が声を上げた。

 荷物を運んでいた男が、立ち止まっていた。その顔が、三号の隠れている奥の暗がりを向いている。

 「そこに誰かいるのか?」

 三号は動かなかった。呼吸を止め、瞬きすら堪えた。

 だが、男の持っていたライトの光が、容赦なく奥へと向けられた。

 光の円が、コンクリートの床を滑るように進み、三号の足元を照らす。そして、ゆっくりと上へ。

 素足。泥で汚れた白い手術衣。そこから伸びる、金属質の鈍い輝きを持つ鋼の尻尾。

 さらに光が上がる。

 胸と腕を覆う銀灰色の装甲。首元から連なる鋭い背鰭。

 そして、白銀の髪と、金色の目。

 光の中で、三号の姿が完全に露呈した。

 

 「なんだ、こいつ……子供か?」

 男が怪訝な声を上げる。

 「子供? こんな時間に、こんな場所でか?」

 別の男が近づいてくる。チャカッ、と金属が擦れる音がした。ホルスターから銃を抜く音だ。

 見つかった。

 三号は動けなかった。

 逃げ道を探す。ソナーが全方位の情報をかき集める。

 前方に男が三人。入り口付近に二人。さらに、外の車の後ろにも一人回っているのがわかった。見張りを立てている。

 出口は遠い。強行突破するには、彼らの間を抜けなければならない。

 

 ──怖い、という感情が来た。

 

 確かな恐怖だった。

 しかし、それは前世で想像していた「怖い」とは少し違った。

 

 ──そういえば。

 

 前世での恐怖は、もっと身体的なものだった気がする。

 お化け屋敷に入ったとき、あるいは不良に絡まれそうになったとき。心臓がどきどきと嫌な音を立てて早鐘を打ち、足がすくみ、冷や汗が噴き出し、頭の中が真っ白になる。それが「怖い」という状態だった。

 今は違う。

 心拍数は安定している。足も震えていない。頭の中は白くなるどころか、逆に異常なほどクリアになっていた。

 全ての情報が、途方もない速度で流れている。

 男たちの位置座標。筋肉の緊張状態。銃口の向き。弾倉に残された弾の数。出口までの正確な距離。風の向き。床の摩擦係数。

 膨大なデータが、DNAコンピュータ化された脳内で並列処理されていく。

 これは「怖い」という感情によるパニックなのか、それとも脅威に対する「対処」のための自動的な機能なのか。自分でも区別がつかなかった。ただ、圧倒的な情報量が「生き延びろ」という命令を下していることだけがわかった。

 

 「おい、ガキ。お前、どこから入った。何を見た」

 銃を構えた男が、じりじりと距離を詰めてくる。

 殺気。それはソナーではなく、皮膚で感じるものだった。

 三号は思考より先に、個性を動かした。

 

 意識の糸を、男たちの持つ武器へと伸ばす。

 電子制御が組み込まれた近代的な火器。彼らの持つ自動小銃や拳銃の構造が、手に取るようにわかる。

 安全装置(セーフティ)の機構に微弱な電磁波を送り込む。

 カチリ、と男たちの手元で、彼ら自身も気づかないほど小さな音がした。全ての銃の安全装置をオンにし、トリガーを物理的にロックした。これで彼らは引き金を引けない。

 次に、外に停まっている輸送車。

 エンジンコントロールユニット(ECU)に侵入する。システムを書き換え、点火プラグの動作を停止。エンジンを完全に沈黙させた。

 そして、最後。

 彼らが周囲を照らしている強力なLEDライト。そのバッテリーの回路を、一瞬だけ過剰な電力を流して焼き切る。

 

 パツン、という音と共に、廃工場の中が完全な闇に包まれた。

 

 「なんだ!?」

 「照明が消えたぞ! 停電か!?」

 「クソ、ライトが点かねえ!」

 突然の暗闇に、男たちが動揺する声が響く。

 三号にとっては、ここからが自分の領域だった。

 視覚が奪われても、ソナーは稼働し続けている。男たちの立ち位置、動揺して速くなった心拍音、荒い呼吸。それらが音波の反響となって、暗闇の中にワイヤーフレームのようにはっきりと空間を形作っていた。

 彼らには何も見えない。だが、三号には全てが見えている。

 今だ。

 三号は動いた。

 ブースターは使わない。噴射音と光で位置を知らせてしまうからだ。

 重い鋼の尻尾をわずかに持ち上げ、コンクリートに擦れないようにする。体重を足の裏に分散させ、音を殺して走る。

 男たちの間を縫うように、暗闇の中を駆け抜ける。

 「どこ行った! 撃て!」

 男が叫び、引き金を引こうとする。だが、ロックされたトリガーは動かない。

 「クソッ、銃が壊れてやがる!」

 混乱に乗じて、出口まであと十メートル、五メートル。

 このまま外へ出られる。

 そう思った瞬間だった。

 

 「ふざけるなァッ!!」

 

 怒号と共に、一人の男の身体が発光した。

 機械を経由しない、純粋な個性による光だった。

 男の全身から放たれた強烈な閃光が、廃工場の闇を吹き飛ばす。

 機械ならば制御できる。だが、人間の生体から発せられる個性そのものに、三号の「機械操作」は干渉できない。

 突然の光に、三号の網膜が焼かれるような錯覚を覚えた。思わず足を止め、腕で顔を覆う。

 「いたぞ! あそこだ!」

 光の中で、出口の直前にいる三号の姿がはっきりと照らし出された。

 「逃がすかよ!」

 別の男が腕を振り上げるのが見えた。

 銃ではない。その男の腕が、異常なほど肥大化し、空気を叩き潰すようなモーションに入っていた。

 ソナーが、大気の激しい圧縮を警告する。

 衝撃波だ。

 避ける時間はなかった。

 空気を塊にして撃ち出すような、不可視の暴力。それが三号の身体に直撃した。

 

 ドンッ!!

 

 空気が破裂するような轟音。

 胸部の銀灰色の装甲に、凄まじい力が叩きつけられる。

 体重三百キログラム近い三号の身体が、宙に浮いた。

 そのまま後方へ吹き飛ばされる。

 数メートルを弾き飛ばされ、廃工場のコンクリートの壁に激突した。

 ドガァン! と、背中の壁がひび割れ、粉塵が舞う。

 重力に従って床に落ちる。尻尾が打ち付けられ、鈍い音を立てた。

 肺から空気が強制的に吐き出され、むせる。

 

 ──これが、痛いというものか。

 

 鈍い衝撃の残響が、身体の内側で響いていた。

 

 ──そういえば。

 

 前世での痛みは、もっと鋭くて局所的なものだった。

 刃物で指を切ったとき、机の角で足を打ったとき。特定の箇所から強烈な信号が脳に届き、思わずうずくまってしまうような、わかりやすい痛みだった。

 今は違う。

 皮膚が破れるような鋭さはない。超高張力鋼に相当する装甲は、衝撃波をまともに受けても傷ひとつついていなかった。ひしゃげることも、割れることもない。

 だが、殺しきれなかった運動エネルギーの波が、装甲の下の生身の肉体へと伝わっていた。

 骨全体が軋むような感覚。内臓が大きく揺さぶられ、吐き気を催すような重い圧迫感。

 痛い、というより、苦しい。

 それでも、立ち上がれないほどではない。手足は動く。致命傷には至っていない。

 これが「頑丈さ」というものらしい。

 普通の人間なら、今の衝撃波で内臓が破裂し、即死していてもおかしくなかった。自分の身体がどれだけ人間離れしているか、身をもって証明された形だ。

 あまり嬉しくない発見だった。

 自分が頑丈だと知るということは、それだけの暴力を受けたということだ。そして、これからも受け続ける可能性があるということ。

 

 「おい、生きてるぞ、あのガキ」

 「バケモンかよ。あの至近距離で食らってピンピンしてやがる」

 男たちが、倒れた三号を取り囲むように近づいてくる。

 光を放つ男が、周囲を照らし続けている。

 「ヴィランの使い魔か? それとも新手のヒーロー気取りか? どっちにしろ、ここで消す」

 衝撃波を放った男が、再び腕を振り上げた。

 三号は壁に寄りかかったまま、その動作を見ていた。

 次は避けられるか。ブースターを全開にして横へ跳べば。しかし、空中で姿勢制御ができなければ、さらに隙を晒すことになる。

 思考をフル回転させ、生存確率の最も高い行動を計算する。

 

 そのときだった。

 

 外で、先ほどの衝撃波を遥かに凌ぐ、凄まじい爆音が響いた。

 

 廃工場の入り口の重い金属ドアが、蝶番ごと吹き飛び、宙を舞って床に叩きつけられた。

 「な、なんだ!?」

 男たちが一斉に入り口を振り返る。

 土煙の中から、複数の人間が踏み込んでくるのが見えた。

 強いライトの光。黒い戦闘服。統率の取れた、無駄のない動き。

 警察ではない。彼らが纏う空気は、もっと鋭利で、圧倒的な暴力の匂いがした。

 「公安委員会だ! 全員動くな!」

 鋭い声が響き渡る。

 「サ、サツじゃねえ! 公安だ! 逃げろ!」

 男の一人が叫び、銃を構えようとする。

 しかし、公安の捜索部隊の動きは速かった。

 「抵抗する者は排除する」

 無機質な宣言と共に、閃光と爆発が連続して起こる。

 三号はソナーでその様子を捉えていた。

 鮮やかな制圧術だった。男たちの個性を使う隙を与えず、圧倒的な手数と連携で一人、また一人と地面に押さえつけられていく。

 衝撃波の男も、光の男も、数秒と経たずに無力化された。手錠がかけられ、武器が蹴り飛ばされる。

 戦闘は、あっという間に終わった。

 男たちの呻き声と、公安職員たちの簡潔な報告の声だけが響く。

 

 静寂が戻った廃工場の中で、三号は壁際で座り込んだまま動かなかった。

 内側に残る痛みを静かに処理しながら、目の前で起きた劇的な変化を眺めていた。

 これが、ヒーロー社会の「管理」する側。

 効率的だ、と思った。彼らは無駄な感情を挟まず、ただ任務を遂行する機械のように見えた。

 

 「……エリアの制圧完了。武器と薬物の押収に入ります」

 職員の一人が通信機で報告しながら、廃工場の奥へと歩いてくる。

 その歩みが、ふと止まった。

 職員が持っていたタクティカルライトの光が、壁際に座り込んでいる三号を照らし出した。

 光の中で、三号は見上げている。

 白銀の髪。感情の読めない金色の目。

 胸部と腕を覆う銀灰色の鋼の装甲。首から続く背鰭。腰から伸びる重厚な尻尾。

 着ている白い手術衣は破れ、埃と泥にまみれている。布の切れ間からは、人間の皮膚と金属が融合した境目と、無数の痛々しい手術跡が覗いていた。

 職員の表情が、一瞬だけ硬直したのがわかった。

 訓練された彼らでさえ、目の前の存在をどう認識すべきか迷っているようだった。

 ヴィランか。被害者か。それとも、何かの兵器か。

 

 「……子供?」

 

 絞り出すような、信じられないものを見る声だった。

 その声には、僅かながらの戸惑いと、人間らしい同情のようなものが混じっていた。

 

 三号は、眩しいライトの光に目を細めながら、ただ黙ってその職員を見つめ返した。

 施設を出てから一ヶ月と少し。

 誰とも会話していなかったことに、今さらながら気づいた。

 助けてくれ、と言うべきなのか。

 何もしていない、と言い訳すべきなのか。

 自分が何者なのか、説明すべきなのか。

 

 どれも違った。

 三号は言葉を持たなかった。

 感情の表し方を知らない。痛みの訴え方を知らない。大人に保護を求める方法を知らない。

 だから、ただ事実だけを伝えることにした。

 

 「……大丈夫です」

 

 自分の声が、予想よりずっと小さく、掠れていることに驚いた。

 一ヶ月間使っていなかった声帯は、うまく震えてくれなかった。

 それでも、声は出た。

 外では雨が上がったばかりの風が吹いていた。

 廃工場の割れた窓から、夜の冷たい空気が流れ込んでくる。

 三号の世界が、再び大きく変わろうとしていた。

 この夜の出会いが、自分の「行く場所」を決めることになるとは、まだ知る由もなかった。

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