美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~   作:月城 友麻

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103. 七千京トン

「くっ――!」

 

 リリカが咄嗟にリーシェの腰を抱き、さらに遠くへ跳躍した。今度は方角すら考えず、ただ遠くへ。ランダムに。予測させないために。

 

 着地と同時にリーシェがステルススキルを展開する。気配を消し、存在感を薄め、空間に溶け込む。そこからさらに三回、四回と跳躍を重ね、深い山脈の谷間に身を潜めた。

 

 荒い息をつく二人。巨木の影にしゃがみ込み、肩で息をしている。

 

「なに、あのバケモン!」

 

 リリカが額の汗を拭いながら叫んだ。声は潜めているのに、悔しさが隠せていない。

 

「歴代女神の模擬戦だって、あんなとんでもない動きなんてしないわ!」

 

「本当に手加減してくれてるのかしら……」

 

 リーシェは女神の権能を研ぎ澄まし、シアンの位置を探った。熾天使(セラフ)ほどの存在なら、どこにいても女神の権能で感知できるはずだ。

 

 権能が世界に広がっていく。山脈を越え、海を越え、大陸の果てまで。

 

 何も、引っかからない。

 

「どこにも……いないわ……」

 

「何でよ! 女神の権能でも見つからないなんて、あいつズルしてるんじゃないの!?」

 

「ズルじゃないわよ? あんたたちの考えそうなことなんて、バレバレなのよ」

 

 声は、どこからともなく響いた。

 

 上でも下でも右でも左でもない。空間そのものが震えるようにあらゆる方向から同時に聞こえてくる。

 

 リーシェが反射的に防御結界を展開しようとした、その刹那。

 

 頭上に、違和感が走った。

 

 ――ん?

 

 それは最初、ただの影だった。夕暮れの空に差す、不自然に大きな影。谷間が急速に暗くなっていく。

 

「――え?」

 

 見上げた。

 

 夕空いっぱいに、灰色の岩肌が広がっている。

 

 クレーターだらけの岩肌。凹凸のある灰色の大地が、空を覆い尽くしている。それが動いている。ゆっくりと、だが確実に、こちらに向かって。

 

「ナ、ナニコレ……?」

 

 ゴゴゴゴゴ、と大地震が来た。

 

 足元が揺れ、岩が転がり、木々が根元から傾いていく。そして――鳥の群れが、悲鳴のような鳴き声を上げて一斉に空へ飛び立った。だが飛び立った鳥たちは、上空に向かって加速していく。落ちるのではなく、吸い上げられるように。木の葉が渦を巻いて舞い上がり、小石が地面を離れ、土砂が空に向かって流れ始めた。

 

 重力が、狂い始めている。

 

「つ、月だわ……!」

 

 リーシェの声が震えた。

 

 月。

 

 この星の衛星。直径三千五百キロメートルの灰色の岩塊が、ありえない速度で落ちてきている。空の半分はもう灰色に覆われ、小さなクレーターの一つ一つまで詳細に確認できるほどに近づいていた。

 

「何でこんなことができるのよぉ!!」

 

 リリカがパニックに陥った。杖を握る手が、がたがたと震えている。

 

 月が落ちてきた――。

 

 それが意味することを瞬時に計算してしまう。直撃すればこの星は粉々に砕ける。直撃を免れても、その莫大な運動エネルギーで海は蒸発し、大気は剥ぎ取られ、地表は全て溶岩で覆い尽くされる。この星に息づく全ての生命が――消し飛ぶ。

 

 トトも、月桂樹亭の大将も、王都の全ての人たちも。

 

 全部、消える。

 

「止めなきゃ!」

 

「で、でもどうやって!?」

 

 直径三千五百キロの岩塊を操作するような権能は知らない。女神の権能はあらゆるものに干渉できるが、あの質量は想定外だ。もちろん、時間をかけて計画的にやればできるだろう。だが、ものすごい速度で落下してくる月をこの場で止める方法など思いつかない。

 

 シアンはどうやってあんなものを動かせるのか?

 

「はぁぁぁ、タルい……」

 

 リーシェはこの絶望的状況に思わず宙を仰いた。

 

「現実逃避しないで!! 私が何とか押さえてみるから、あなたは対策を考えて!」

 

 リリカは迷わなかった。月に向けてバッと両手を突き上げ、目をぎゅっと閉じて権能を全開にする。物体を操作する権能。本来は岩を動かし壁を砕くための力を、月という途方もない標的にぶつけた。

 

 月の落下速度が、わずかに緩んだ。

 

 だが、月の重さは七千京トン。

 

 七千京。数字にすれば七の後にゼロが十九個続く、想像を絶する質量。それをただの念動の権能で支えようとしているのだ。

 

 落下速度は遅くなった。だが、とても止められない。押し返すなど論外だった。

 

「くぅぅぅ……」

 

 リリカの全身が震えていた。額に汗が噴き出し、こめかみの血管が浮き上がり、歯を食いしばった口の端から細い血が垂れている。両腕は突き上げたまま、一ミリも下げない。それだけの気力で、月を一秒でも遅らせようと権能を絞り出し続けている。

 

 その気迫にリーシェも必死になる。

 

 考えろ。考えろ。考えろ。

 

 熾天使(セラフ)の権能で月を動かせるわけがない。月の質量は熾天使(セラフ)の権限を遥かに超えている。ならば幻覚か。幻覚を見せられているだけ――と、思いたかった。

 

 だが女神の権能で観測しても、月は確かにそこにある。

 

 本物だ。重力の歪みも、大気の乱れも、全て物理的に正しい。

 

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