美少女荷物持ちの収納魔法【ナイナイ】が実は世界最凶だった件 ~魔王すら瞬殺だけど、カモミールを飲んでいたいの~   作:月城 友麻

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104. 正気じゃない策

 ならば――。

 

 可能性が一つだけあった。

 

 この月がシアンの所有物であるという可能性。シアンがこの月を衛星として配置し、「いつでも動かせる権限」を仕込んでいた。自分で置いたものを自分で動かすのは、熾天使(セラフ)の権能でも可能だ。

 

 なるほど。

 

 あの月を作り物のように感じていたのは正しかったのだ。月はリアルだった。物質として本物だった。だが純粋な天体ではなかった。シアンの、ある意味おもちゃ。いつでもこの星を焼き払えるようにする究極の爆弾として、地球の周りを有史以来ずっと回していたのだ。

 

 何という傲慢。何という恐ろしさ。

 

 この星の住人たちは何も知らない。夜空に浮かぶ美しい月を眺め、詩を詠み、恋を語り、月見の宴を開く。だが、その月がいつでも自分たちを皆殺しにできる爆弾だということを、誰も知らない。

 

 まさに熾天使(セラフ)。まさに神宮書記官(メタトロン)の化身。

 

 勝手に宇宙を跳んできた自分が罰を受けるのは、仕方ないかもしれない。だが、この星には何の罪もない人々が暮らしている。王都だけだって何十万人もの人が暮らしている。自分がここに来たせいで彼らに災いが及ぶなど、あってはならない。

 

 考えろ。考えろ。

 

 頭上では月がさらに迫っていた。もう空の半分以上が灰色の岩肌で埋め尽くされている。大気が悲鳴を上げるように唸り、地表から岩や土砂が浮き上がって月に吸い込まれていく。

 

 リリカの鼻から血が垂れていた。赤い線が唇を伝い、顎から滴り落ちている。

 

「リーシェ……早く……! もう、持たな……っ」

 

 歯を食いしばるリリカの腕が震えている。それでも両手を突き上げたまま、月を一ミリでも遅らせようと権能を絞り出し続けている。限界はとうに超えている。それでも止まらない。止まれない。この手を下ろしたら、全てが終わってしまう。

 

 止められない。押し返せない。いくら女神の権能でも、七千京トンの質量を力で止めるのは不可能だ。

 

 力で止められないなら。

 

 リーシェの脳裏に、一つの答えが閃いた――【ナイナイ】。

 

 馬鹿げた答えだった。あまりにも馬鹿げていて、思いついた自分自身が笑いそうになった。正気じゃない。ありえない。常識で考えれば不可能だ。

 

 でも。

 

 ナイナイは常識の外にある。

 

 あの力に、上限があるなんて、誰にも言われたことがない。

 

 魔王城を収納した。五十メートルのドラゴンを収納した。炎龍を収納した。なら――月だって。

 

 いや、できるかどうかは分からない。誰もやったことがないのだから。

 

 でも、やるしかない。

 

「リリカ! もういい、手を離して!」

 

「は? 離したら落ちるわよ!?」

 

「いいから! 私に任せて!」

 

 リーシェの声は震えていなかった。

 

 恐怖は消えていた。残っているのは、ただ一つの確信。

 

 リーシェは空を見上げた。

 

 月。直径三千五百キロメートル。重さ七千京トン。灰色のクレーターだらけの巨大な岩塊が、空を覆い尽くしてそこにある。

 

「……いけるわ。いける」

 

 自分に言い聞かせるように呟いた。

 

 両手を月に向かって突き上げた。

 

 女神の権能が、身体の奥底から湧き上がる。持てる全てを、一滴残らず注ぎ込む。血が沸騰するような感覚が全身を駆け巡り、視界の端が白く霞んでいく。

 

 だが――足りない。

 

 半分の魂では。この規模のナイナイには、圧倒的に力が足りない。

 

「リリカ! あんたの力も貸して!」

 

「えっ……」

 

 リリカは一瞬だけ目を見開いた。そして、全てを理解した。

 

 元は同じ魂だ。リーシェが何を考えているか、言葉にされなくてもわかる。

 

「正気? 月をナイナイするの!?」

 

「他に手があるなら教えてよ!」

 

「……ないわね!」

 

 リリカは月を支えていた両手を下ろし、リーシェの背中に手を当てる。

 

 その瞬間、リーシェの細い身体に温もりが流れ込んできた。

 

 リリカの権能が、背中から、肩から、指先から、全身に染み渡っていく。半分と半分。一年前に引き裂かれた二つの断片が、この瞬間一つに重なる。

 

 パズルのピースが嵌まるような感覚。

 

 欠けていた場所が埋まっていく。足りなかった力が満ちていく。

 

 リーシェの身体が、光に包まれた。黒い髪が風もないのに舞い上がり、瞳が黒から金色へと変わっていく。背中の光背が太陽のように輝き、夕暮れの谷間を真昼のように照らし出した。

 

 ――行ける。

 

 確信があった。理屈じゃない。魂が、「できる」と叫んでいる。

 

 リーシェは息を吸った。

 

 肺が破裂するかと思うほど深く、深く吸い込んだ。

 

 そして――。

 

 

「ナイナイッ!!」

 

 

 その声は、ただの音ではなかった。

 

 女神の権能そのものが言霊に乗り、空を駆け上がっていく。光の柱が天を貫き、その先端で収納空間の入口が展開され始めた。

 

 最初は数十メートル。

 

 それが数百メートルに。

 

 数キロメートルに。

 

 数十キロメートルに。

 

 数百キロメートルに。

 

 やがて月の直径を超える、途方もなく巨大な収納空間の門が空に開いた。

 

 

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